不定期連載

「電柱」


(全1回)
   2014.10.23

 後ろの家にいるMI君の細君が、何か事件でも起こったように、台所口から下駄を突っかけて、あわただしく前庭の方へまわって行くのが、庭の垣根の下から見えた。多分後ろの家(うち)と向かい合っている例の下宿で、いつもの夫婦喧嘩が初まったんだろうと思っていると、やがて細君の声で、「奥さん奥さん」と私の家内を呼んでいる声がした。暫くすると細君や家内や子供が、MI君の住居から仕切られた、同じ棟つづきの子供部屋に集まって、何かざわざわ言っているようであったが、私は何事かと思って……三四日電燈会社の工夫達が、毎日大騒ぎをして引込工事なんかをやっているので、また何か厄介な事でも起こったのではないかと行ってみると、そこに子供達の部屋の前の、狭い庭の羽目に寄り添ったところで、一人の工夫が一人の工夫の命令で、シャベルで穴を掘りはじめていた。何うしたのかときいて見ると、其処へ電柱を立てるので、細君が間の切戸(きりど)を開けるのも待たず、闖入して来て、いきなり仕事をおっ初めたのだというのであった。どうせ廃屋(あばらや)のことだから風致なんかは頓着しないにしても、庭のうえを横ぎって電線が木とぶっつかっていたりして、少し厄介だと思っているところへ、そんな柱を庭先へ押し立てられるのは困ると思ったので、傍で指図をしている工夫に抗議を申し込んだ。

 ところが工夫の鼻息はなかなか荒かった。

「かまうもんか、掘れ掘れ」といった調子であった。

「一応の断りもなしに、そんな事をしてもいいことになってるんですか。」女達が言うと、工夫は一層嵩にかかって凄い権幕で脅すのであった。命ぜられた工夫は、笑いながらシャベルで仕方なし土を掘り返していた。

「おお、規則だよ。規則だとも。」

 私は少し防禦してみたけれど、何うしても柱を押し立てなければ承知しない勢いなので、少し怫然(むっ)とした。

「君は監督かね。」

「おら工夫だよ。」

 とにかく巡査にでも話をしてもらうより外(ほか)ないと思って、私は近くの交番へ女中を走らせたが、しかし巡査が来た時分には、彼等は掘りかけた穴へ土をかぶせて、どこかへ行ってしまった。その工夫は気が荒いというよりか、一刻もので口喧(くちやかま)しい方であった。彼が電柱のうえで働いている場合、下にいて用を達(た)している工夫たちを、糞味噌(くそみそ)にけなしつけているのを、私は毎日聞いていた。

「ああいう処で仕事をしているものは、誰でもああいう風になるんだろうな。」私は思っていた。

 晩方になると、周囲へは電燈が疾(とっ)くについているにかかわらず、私の家と、私のところへ線を引いた他の三四軒の家へは電燈が来なかった。そして会社へその事を言ってやってから漸(やっ)と社員は出向いて来て、明かりを見ることができた。

 この些(ささや)かな事件は、それだけでは何んでもない。しかし電柱や電線が電気の需要がふえるに従って、場所嫌わず無闇に濫設(らんせつ)されることは、住宅の趣味、都市の体裁から言って、随分困ったことだと思う。勿論電燈に限らず、総(すべ)てのことが行き当たりばったりで、風致や体裁などを気にして余裕のない我々の生活ではあるけれど、差し当たって今少し何とか工夫があっても好い筈だと思う。監督もつけずに頭のない工夫―それも請負会社の―委(まか)せきりでも困ると思う。で、私は差し詰め時分の利害もあるので、新聞でちょっと其(そ)の事をきいてみることにした。

 すると其の小言と、電気局の答えとが紙上に載った当日、直ぐ人がやって来た。会社から尻を持ち込まれて、請負会社からやって来たものらしい。そして比較的この問題を重大に視ているらしく、場合によれば工事を少し遣り直してもいいような口吻(くちぶり)であった。勿論庭へ建てようとした小柱は、私の抗議で塀の外へ立てて行ったが、外に遣り直してもらいたいところが、私の方にもあった。しかし私は新聞にまで出したりした事を、何だか大人気(おとなげ)ないことのように思って、恥ずかしく感じていたおりなので、強いて要求もしなかった。私の抗議が正当とすれば、そして其(それ)を根本的に遣り直す日になれば、市街の電柱を残らず撤廃して、総て地下線にでもするより外ないことになるに違いない。地下へ電線の蜘蛛の巣を張る日になれば、それはまた空中戦よりも遙かに厄介な仕事になると違いないのである。私の言う事は正しい事に違いない。そうするに越したことはないかも知れない。けれど正義がいつでも人間の生活に当てはめられると思うと大変である。



   短 冊

 三四日前私は歌舞伎にさそわれた。別に見たくもなかったけれど、行くことにした。ちょうど仕事があがったところなので、少し用事もあったし、あの辺をぶらつく積もりで、丸ビルへ立ち寄って、T-社を訪ねた。そしてS-氏に逢って、暫(しばら)く雑談に時を移していた。

 やがて私はT-社を辞して出たが、時間はまだ大分早かった。そこで私は二階までおりて来て、画の陳列を見たり、雑貨店のなかをぶらついたりした。 

 画の陳列で、私はふと紅葉さんの短冊が眼についた。それは「古布子花に対して恥じて出でず」という確かに先生の句だが、上に「庭前梨花」と題してある。その「庭前梨花」の四字が、誰か後で附け加えたものであることは、一見して判るのであるが、句の字もどこか怪しい。それに私の目を惹いたのは、つい近頃、この短冊を見たような気がするのである。よく考えてみると、書画好きな或る質屋から鑑定を頼みに来たもので、字の出来は悪くない、これならば余程先生の字を知っている人でも、胡麻化(ごまか)されるに違いないであろう程度の達筆で、巧みに模倣してある。しかし私は先生の字をよく知っている。字の形や、筆勢や、そんなものも無論大切だが、それよりも先生の気象が、字によく出ているのである。私は先生の字を見ると、直ぐにそれを書いたときの先生の口元目元手容(てつき)というようなものが、今でも感ぜられるのである。どんなに拙い書き損じのものでも、先生のものには先生でなければならない癖や気組(きぐみ)が出ているのである。しかし此の短冊は似ていれば似ているほど、先生が出ていないのである。到るところに破綻が見出される。余程巧く似せてあるが、それは畢竟(ひっきょう)或る程度の能書家の悪戯にすぎない。その人も大抵わかるように思えるのである。

「これは保証するのですか。」

 止せば可(い)いのに、私は掛りの人にきいた。若いハイカラな男がやって来て、

「これですか。紅葉先生です。」

「どうも怪しいと思うがね。」

 その人は少し変に思ったらしかった。

「私共でも確かだと思っているのでござんすが……。」

 そして彼は私を見ながら、

「お名刺をどうか」と言うのであった。

「まあこの位ならこれで通るでしょう。」

 私はただ笑いにまぎらして其処を辞したが、こんな事を、私はちょっと言って見たい、悪い癖があると見えるのであった。それが余り似ているのと、三四日前見たばかりの短冊だったので、ちょっと好奇心が起きたのであった。しかしこんなのを一々気にしていた日には、紅葉山人の短冊は、片端から買い集めて焼き棄てるより外ないのであった。それほど真蹟は少ないのであった。それは独り紅葉山人に限ったことではなかった。総ての書画は大抵贋(にせ)だといっても可(よ)いのであった。

 私なぞのものは、反対の意味で、死んでしまえば、真物其の物の行末が何うなるか判りはしない。濫(みだ)りに悪字を撒布しておきたくないなぞと考えるのも、我ながら滑稽である。


 

 




                                    (完)

                                       

 

◎八木書店版『徳田秋聲全集』第15巻の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
  初出:大正14年9月1日(「文芸春秋」第3年第9号)









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