不定期連載

「二老婆」


   2015.9.21

「アア嫌だ厭だ、此様(こん)なことして生きてる位なら早く死んだ方が可い。」

 と云う下品な、速弁(はやくち)の、甲走った声が聞こえると思うと、ザアッと盥の水をあける音がする。自分は刷毛の手を休めて、腰硝子(こしがらす)から不図(ふと)下を見下ろした。果たして裏のお幾(いく)婆さんが井戸側(ばた)へ洗濯に来ている。

 二月末の、可恐(おそろ)しい寒い日で、朝から日の目を見ず、どんよりと重苦しい雲の蔽被(おっかぶ)さった空、水気(すいき)を含んだ冷い風は、生物と云う生物を、チリチリ戦(わなな)かせているようである。此様(こん)な天気には、運動に出るのも不愉快、人を訪問しても話が逸(はず)まぬ。自分は行火(あんか)に火を入れて、顔を顰(しか)めて寝ていたが、ふと描きかけていた、「冬の雑木林」の写生画に此の感じを写そうと思ったので、私(そっ)とカンバスを引き寄せて、窓から見える、四下(あたり)の梢の、縮かまっている状(さま)など見ながら、野末の枯れ木立を想像していた。其の頃は学校の出たてで、画(え)も拙かったし、金もなかったし、国から迎えた妻と二人で、新花町の「杉山えい」と云う婆さんの二階の六畳一間を仮りて、其処で画も描けば、客をも通し、起き臥しもしていた。古い家(うち)で、梁は、傾(かしが)り、剝げた壁には新聞の附録の画など貼ってあった。部屋代は確か月三円であったと記憶する。

 其(それ)でもお栄婆さんは好い人であった。否(いや)、好い悪いの詮索よりか、寧ろ変な婆さんであった。

 初めて此の婆さんの家を訪ねたのは、妻が田舎から来た当時、一昨年の夏であった。貸室(かしま)の札を見当てに路次を入ると、其の突き当たりに、横に台所口の附いた格子戸の二階家がある。何だか陰気な家だと思ったが、兎(と)に角(かく)戸を開けて案内を乞うたが、二三度声をかけて見ても、誰も出て来ない。留守かと思って障子を細目に開けて奥を覗き込むと、五十余の婆さんが、暗い茶の室(ま)の縁側へ出てお化粧をしている。自分は適切(てっきり)聾(つんぼ)だと思った。

 漸(やっ)と気がついて、此方(こっち)を向いた顔を見ると、平顔(ひらがお)の、目のショボショボした、口の大きな婆さんで、可也(かなり)大きな丸髷の髪はツヤツヤしているが、入れ毛があると見えて、耳のあたりの鬢(びん)は薄く、眉も何だか塗ってあるようである。が、一体に柔和の相で、物腰も嫻(しとや)かである。自分は暗い台所の入口の横に附いている段梯子を上がって、二階を一見してから階下(した)へ降りると、婆さんは、大きな土瓶から番茶を汲んでくれる。煙草盆も出してくれる。お世辞もなければ、口数も利かぬが、人間は正直らしく、家賃が六円五十銭であることから、去年の暮、裁判所の小使いをしていた連れ合いの爺さんに死なれてから、独りで細々暮らしていると云うことまで話して、ジロジロと自分と家内の顔ばかり見ていた。

 兎に角借りることに決めて外へ出ると、妻は可厭(いや)な顔をして、「何だか厭味(いやみ)な婆さんね。加之(それに)家が薄汚くて、私はお茶を飲むのも気味が悪い位でしたよ。」と不平を言っていた。

 此の婆さんと眤(なじ)むにつれて、身の上が段々判って来た。宇都宮の産れで、兄は今でも其の町で有福な呉服屋であると云うことも知れた。お栄婆さんは若い時分、死(なくな)った其の爺さんと、少し許(ばか)りの金を浚(さら)って、東京へ駈け落ちして来たのだと云うことも判った。湯島で暫(しばら)く下宿屋をしていたが、婆さんが一向大様なので、段々と食い込み、十五六年前に到頭(とうとう)此(ここ)へ逐い込められて了(しま)ったのだと云うことも想像し得られた。婆さんの生活状態を見ていると、毎日唯(ただ)モゾクサモゾクサしているばかりである。釜を磨くのと、火鉢の掃除をするのと、其(それ)からお化粧をするのと、其がキチンキチンと決まった一日の仕事で、奈何(どう)かすると、肉厚の大皺の寄った顔に白粉(おしろい)を塗って、厚い唇に紅まで差している。耳が不自由なからでもあろうが、人が何を言ってもハキハキ返辞をしない方で、碌々金の勘定も出来なければ、如何(どん)な困ったことがあっても、口へ出して零すだけの技倆(はたらき)すらない。

 其の当時は、貧しいながらに煤けた箪笥(たんす)も据えてあった。茶箪笥もあった。着替えも一二枚持っていたようである。が、此の婆さんの収入と云っては、自分が月々払う三円の部屋代だけなので、一年半ばかり居るうちに、身の周りの道具を一つ売り二つ売りして、今では鏡台と、ブリキ落しの火鉢と、ランプが一つに、化粧道具の入った菓子の空き箱、手桶と赤土釜(あかがま)と膳椀が残っているばかり、台所も部屋もガランとして、其処ら中ツルツル雑巾光りのしている暗い部屋の真ん中に、お栄婆さんは相変わらず、テラテラ蜻蛉(とんぼ)のように光る大きな首を据え、薄い目を睜(みは)って、一日モンゾリともせず坐っている。

 或る日の午後、自分が二階で画を描いていると、階下(した)で誰やらシャ嗄れた声で、婆さんに何か談じつけている、其の尖(とん)がった調子が耳についてならぬ。何の事とも解らぬが、借金取りであるとだけは推察される。其の男は三十分ばかりで、ガラリと格子を締めて出て行った。後で階下へ降りて行って見ると、婆さんは火鉢の炭団(たどん)を掘じくりながら、去年の夏妻が着古しをくれてやった、薩摩絣(さつまがすり)の単衣(ひとえ)に裏をつけて綿を入れた、褪(は)げ褪げの着物に、縞目の計(わか)らぬ赤い双子(ふたこ)の羽織を着て、心配そうにツクネンと坐っている。周りには昼お粥を煮た赤土釜に板を敷いたのと、化粧道具が一ト箱、雁首の凹んだ煙管(きせる)に莨(たばこ)入れ、其(それ)と貧乏(びんぼ)くさい下宿使いの茶盆があるばかりだ。今のは何だと訊くと、据えた首を此方(こっち)へ振り顧(む)けて、目眩(まぶ)しそうに目を挙げ、

「他(あれ)は貴方(あんた)大屋ですよ。」

と鈍(のろ)い口の利き方をして、敷いていた薄汚い布団を尻から引っ張り出し、


「屋賃が滞っているものですからね。」と淋しそうに笑う。

「幾月溜まっているので?」

「何でも先月で六月(むつき)分だとか言いましたがね、人の好い大屋さんで、爺さんの時分から、私達の堅いことを承知しているもんですから、つい一度だって小言を言ったことはないんですけれど、此の頃余(あんま)り滞るもんだから、一先(ひとま)ず立ち退いてくれと云って来たんですがね……此処(ここ)を出れば、私の体は行く処がありませんもの。」とウソウソ四下(あたり)を見廻し、「もう売るものと謂(い)っても、何にも無くなって了ったし、私ももう手も足も出なくなって……。」

と頭髪(あたま)から歪みなりの簪(かんざし)を抜いて雁首を掘りはじめる。


 自分は惘(あき)れもしなかった。婆さんの此の頃の食料と言っては、三円の間代きりで、其(それ)で細々とお粥を啜っていることも能(よ)く解っている。自分達が立ち退いたら、明日から口の干上ることも知っていた。婆さんは、二三日油を買う金がなくて、日が暮れると、直きに戸締りをして、土龍(もぐら)のように布団へ潜り込んで了うことも、妻から聞いて知っている。

「何時(いつ)まで其様(そん)なことしている心算(つもり)です。宇都宮の其の実家とかへ相談してやったら、如何(どう)かしてくれんこともないでしょう。」

「宮ですかねえ……、」

「現に兄さんが居られると云う位だから。」

「でも二三十年以来(このかた)音信不通ですからね。先方(さき)も一切介意(かま)わぬ、私も決して世話になるまいと言ってやった位ですから、加之(それに)もう代が替っていると云う話だし……。」

と此様な切迫(せっぱ)つまった場合でも、婆さんはノロクサしたもので、相変わらずシホシホした目色(めつき)をして、厭味なような笑顔を見せている。


「しかし然(そ)う言っているうちには、段々首が廻らなくなって来るだろうから、今のうち何とか為(し)なけりゃならん。第一病気の時如何(どう)する心算(つもり)です。」

「然うですよ。」婆さんは格別気にもかけぬらしく、「生身のことですからね。」と同じようなことを言う。

「其(それ)かと言って、目が悪いから何一つ仕事は出来ませんしね、為方(しかた)がないから、少し知った人に、何処か留守番でもさせてくれる処があったらばと、其の事を頼んでありますけれど、其(それ)がね、矢張(やっぱり)捗々(はかばか)しく好い口も見つからないものと見えまして……。」

と莨(たばこ)の粉を掬って、少しづつ吸っている。

 自分は溜め息を吐いて、二階へ上って了った。

 

 

 

二 
 2015.9.22

 其(それ)から見ると、お幾婆さんは大した技倆(はたらき)ものである。

 井戸は宿の横手の杉垣の、直ぐ其の際にあるので、お幾婆さんの壊れかかった低い裏木戸が其の側(そば)に着いている。今では彼方此方(あちこち)水道が引けたので、此の井戸の水を使う家といっては、お幾婆さんと宿の婆さんとの外(ほか)に二軒しかない。中で一番用のあるのがお幾婆さんで、年が年中盥と洗濯板とを持ち出して、シャツや股引(ももひき)、半纏(はんてん)に腹掛(はらがけ)、木綿(もめん)の釈き物や単衣(ひとえ)ものの汚れたのをザブザブ洗っている。指頭(ゆびさき)の千断(ちぎ)れるような、此様(こん)な寒い日でも、目暈(めまい)がしそうな炎天でも、其(それ)を為なければ、三度々々の飯が食って行けぬので、怨言(こごと)ダラダラ、嘔吐(へど)の出るほど水を汲んだり明けたりしている。

 お幾婆さんは、お栄婆さんから見ると、年が二つ三つ上である。顔のちんちくりんな、髪の色の悪い婆さんで、兎のような赤い目をしている。性来(うまれつき)尫(ひ)弱い質(たち)であるのに、営養不足の所為(せい)か、色光沢(いろつや)の悪い皮膚が風に焦(や)けて、土工をやっている女に善く見る、彼(あれ)のもっと希薄な色をしている。看るから貧相な、チョコマカした女で、早口に弁(しゃべ)る愚痴が、人の胸に半分も応えぬ。毛が擦り切れて、荒い地の見え透いている、黒い縞の毛布(けっと)に紐をつけて、其(それ)を腰の周りに結(ゆわ)えつけている。此の縞毛布(しまげっと)を見ると、自分が此処へ引き移って来た頃、亡くなった連合(つれあい)の爺さんの事を思い出さずにはいられぬ。

 爺さんは、死ぬ五六年前まで、車の梶棒に摘(つか)まっていた。車が挽けなくなってからは、人の使行(つかいある)きや、引越しの手伝い、配り物の持ち運びなどをしていたのだが、小柄の、肉のブヨブヨした丸顔で、凸凹の頭がツルリと禿げていた。其の禿頭の皮が、所々薄汚い白瘢(しろなぎ)に斑点(まだら)つけられて、腫物(できもの)の痕と云ったような風である。

 此の爺さんが、夏の夕方、椽先へ出て、手拭い地か何かで縫ったチャンチャン児(こ)一枚で、太い不合好(ぶかっこう)な腕や、皺だらけの腹を露(む)き出しに、おりおり酒を飲んでいるのを、自分は善く二階から見ていた。朝顔の世話などもしていた。道具箱を持ち出して、羽目や木戸の破壊(こわれ)を直していた事もある。其の時分は、婆さんも、今よりは多少(いくらか)元気があったようである。爺さんの酒のお相(あい)などもしていた。髯など剃ってやっていたこともある。椽先には、草双子(くさぞうし)などの画に見るような秋草が深々と蔓(はびこ)っていて、垣根を這って、廂(ひさし)まで上った蔓(つる)から、糸瓜(へちま)が夕風にブラついていた。芙蓉(ふよう)を心(しん)に、娼妓草(おいらんそう)や孔雀草(くじゃくそう)が咲き乱れていて、其処(そこ)へ行水盥を据え込んで、二人で睦まじそうに、行水を使っているのも、希(めずら)しくなかった。爺さんは晩方になると、渋団扇(しぶうちわ)を持ちながら、燻(えぶ)る蚊遣(かや)りで苦労をしていたものだ。

「あれでも、昔は何かだったんでしょうね。」と妻が何時(いつ)でも笑っていた。

 其の時分から、お幾婆さんの体は、車鼠(くるまねずみ)のようにクルクル廻っていた。口も可也(かなり)煩(うるさ)い方で、朝から晩まで爺さんの世話を焼いていた。子供が一人あったが、今は十四五にもなったろう、爺さんの死ぬ少し前から、神田の指物屋(さしものや)へ年期小僧に住み込ましたと云う話である。お栄婆さんの口で利くと、婆さんは十三四年程前に、子供を一人に、風呂敷包みを一つ抱えて、爺さんの処へ転げ込んだ、「あれは乞食です」と言うのであるが、強(あなが)ち然(そ)うでないとも言えぬ。

 其の爺さんが、夏の半ば過ぎから滅切(めっきり)体が弱って、所好(すき)な酒も余り飲まず、始終浮かぬ顔をしていたが、其(それ)でも婆さんが口喧(くちやかま)しいので、時々は半纏腹掛で、何か知ら仕事に出て行く。水も汲んでやっていた。

 するうち、まだ残暑の酷(きび)しい九月の末の或る夕方、爺さんは不意にコロリと死んで了った。其の死に方が又酷く無造作である。

 もう其処(そこ)らの碧桐(あおぎり)の葉が、所々赭(あか)くなって破けていた。爺さんは常時(いつも)の如く、秋草の繁った垣根の側(そば)で、お幾婆さんに背(せなか)を流して貰っていたが、旋(やが)て好い心持ちで、蚊遣りの側(そば)で膳に向い、莨(たばこ)を一服喫(ふか)して、猪口(ちょこ)を手に取りあげると、妙に手が顫(ふる)え出して、其のまま仰(のけ)ざまに顚覆(ひっくらかえ)って了った。

 お幾婆さんは、変だと思って、

「爺さん如何(どう)かしたの。え、如何かしたのかよ。」

と側へ寄ると、もう目を白黒さして、ウンウン唸っている。


 婆さんは金切り声を振り絞って、杉山の婆さんを呼んだ、不断は悪口(あくこう)を吐(つ)きあっている間(なか)であったが、他に来て貰うような人と言っては、近所に一人もない。丸い瓦斯燈(がすとう)の出ている「原」と云う新建(しんだち)の宅(うち)は、自用車まで抱え込んだ某(なにがし)銀行の頭取(とうどり)で、其の時綺麗な塀の奥から、冴えた琴の音(ね)が洩れていたし、其の向うの「三谷(みたに)」と云う格子戸造りは、下谷辺(したやへん)の或る紳士の妾(めかけ)の宅(うち)で、是迄(これまで)に遂(つい)口を利いた事もない人達であった。

 彼此(かれこれ)して、医者に来る時分には、爺さんはもう呼吸(いき)を引き取って、不断飲み古した、茶こびれの着いた湯呑みから、婆さんが死に水を啣(ふく)んでやらなければならなかった。

 夕間暮(ゆうまぐれ)の出来事で、陰気な鈴(りん)の鳴る時分まで、爺さんの汗を流した盥の水は、浮垢(きら)を浮かせたまま、星明(ほしあかり)に黝(くろ)く光っていた。草の中には虫が鳴いて、何だか秋風らしい芙蓉の葉擦れの音がサワサワと、森(しん)とした幽暗(ほのぐら)い晩であった。

 お幾婆さんは、其の晩から真実(まったく)の独法師(ひとりぼっち)になって了った。

 お通夜に行くと、其(それ)でも爺さんの知り合いが三四人集まっていた。お幾婆さんは、十幾年前、爺さんと連れ添ってからの歴史を、切れ切れに話して、何か連(しきり)に爺さんの人の好かったことを吹聴していた。此の頃体の工合(ぐあい)の悪かったことから、打斃(ぶったお)れた前後の事を、人の顔を見る度(たんび)に、赤い目を擦(こす)り擦り、繰返し繰返し説明していた。自分が何様(どん)なに爺さんを、大切にしていたかと云う事も、醇(くど)いほど聞かされた。

「何だか笑談(じょうだん)のようでね。」と杉山の婆さんは、爺さんの死を身に染みても考えぬらしく、

「私も死ぬなら、何様(あん)な風に死にたい。誠に手数がかからなくてね。」と言い出す。

「だけど、何だか夢のようでね。」と言い言い、お幾婆さんは煩いほど、樒(しきみ)に水をくれたり、線香を立てたり、鈴(りん)を鳴らしたり、始終手を動かしづめでいた。

「私が先へ死のう死のうと思っていたら、到頭(とうとう)爺(じじい)に先を越されてしまいましたよ。お医者さまからの薬一服飲まず、背(せなか)一つ擦(さす)る間もなく、目を瞑(つぶ)ったもんだからね、何だか飽気(あっけ)ないようで……でもマア、あんな気楽な死にようをしたかと思や、私や爺さんが可羨(うらやま)しくて可羨しくて、為様がございませんよ。何でも、後に取り遺されたものは、割が悪(わる)ございますよ。明日から、又せっせと稼がなけや、御飯が頂けないんですからね。……ア、可厭(いや)だ可厭だ。爺さんに死なれようとは思わなかった。年中ヤレ腰が痛いの、ヤレ頭痛がするのと、生きてるか死んでるか、解らないような私が後へ後(のこ)るなんて、こんな間違ったことがあるもんじゃございませんよ。」とペラペラ舌ったるいような調子で弁(しゃべ)る。

 其(それ)から四五日の間は、「何だか笑談のようだ」と家内と杉山の婆さんとが、其の時のことを想い出しては、爺さんの死に方とお幾婆さんの周章(あわ)てようが可笑(おかし)かったと言って、腹を抱えて笑っていたが、お幾婆さんは、其の秋からガッカリ力落ちがして了った。

 お幾婆さんは、真実(まったく)生効(いきがい)のない生活をしている。素(もと)より手頭(てさき)で仕事の出来るような器用な腕は持たぬから、洗濯と水汲みをして、其(それ)で如何(どう)か恁(こ)うか食って行く。お栄婆さんが、暗い部屋のなかに坐り込んで、マシリマシリと目を据えて衿元ばかり気にしている隙(ひま)に、お幾婆さんの貧弱な体は、根(こん)の続く限り外でクルクル動いている。一日休めば一日食わずにいなければならぬので、始終死にたい死にたいと言いながら、今に一ト筋の釣瓶縄(つるべなわ)に齧りついて、ヤクザな生命(いのち)だけを繋ごうとしている。辛い労働に苦使(こきつか)うだけの生命(いのち)を、何の為に繋いでいなければならぬのか、其(それ)は自分にも判らぬ。如何(どう)かすると体が持ち切れなくなり、持病の寸白(すばく)が起って、二日も三日も寝て見ることもあるが、寝れば直ぐ口が干上るので、為(しょ)うことなし又起きて働く。ビショビショ雨の降る日は、二町も三町もある処まで、人の宅(うち)の水を汲みに行って、細い腕にバケツを提げ、破けた桐油(とうゆ)を冠って、其方此方(そっちこっち)の台所口へ水を持ち込まして貰って、其(それ)で幾許(いくら)か宛(ずつ)恵まれて来る。天気の好い日は、せっせと洗濯をして、洗い物を竿にかけ、干し揚げた奴を霧を吹くやら熨(の)すやらして、其(それ)を晩方風呂敷で背負い出し、方々のお得意先を配って行(ある)く。

 お幾婆さんは、お栄婆さんのことを「食わず貧楽」と言って、非(くさ)しているが、お栄婆さんのことは、「あんなに迄(まで)して、私や生きていようとは思いませんわね。」と言ってお幾婆さんを蔭で嗤(わら)っている。

「孰(どっち)にしても、今一歩(ひとあし)蹈(ふ)み外せば、乞食の境涯に落ちようとする、危い縁に辛うじて蹈み止(とど)まっているのです。」と言って、自分の妻は笑っていた。




三 
 2015.4.20

 見ていると、お幾婆さんは燥(はしゃ)ぎ切った盥(たらい)に水を幾杯も汲み入れる。盥の底からは粒々の白い泡が浮いている。婆さんはバケツに一杯持ち出して来た汚れ物を半分ばかり水に浸けて、赭(あか)い細い手に抑えていたが、旋(やが)て其(そ)の中(うち)から、青い棒縞(ぼうしま)の股引(ももひき)を一つ引っ張り出して、シャボンを着けて、ゴシゴシ板で擦りはじめる。脂気(あぶらけ)の乏しい、頸(えり)の赭いそそけ髪が、粟立ったような首のあたりで、一つ一つ風に戦(わなな)いている。婆さんはガチガチに顫(ふる)えているようである。

 何処の女中か、見馴れぬ二十二三の束髪(そくはつ)の山出(やまだし)が、「お早う。」と言って、提げて来たバケツを二つ、ガチャリと其処(そこ)に置くと、「此のお寒いのに、お婆さんは能く精が出ますのね。」とお愛相を言う。

 婆さんは手に着いたシャボンの泡を拭いて、腕で鼻を擦りながら、「いいえ、精も根もありゃしませんよ。此(これ)をやらなけりゃ、其(そ)の日が過ごせませんからね。」と又ゴシゴシ行(や)る。「此の又二三日の寒さは如何でしょう。私は腰が冷えて冷えて、如何にも恁(こ)うにも動けないものですから、昨日は一日位、食べなくても好いからと思って、楽をして見ましたがね、矢張(やっぱり)食べずには居られませんから、為(しょ)うことなし恁うして働いておりますよ。」

「真実(ほんとう)ですね。」

「アア莫迦(ばか)莫迦しい……。今日は又可恐(おそろ)しい寒い……。でもね、何の彼(かん)のと言っても、今月一ト月ですよ。三月になれば、そろそろ桜が芽ぐんで来ますからね、マア其迄(それまで)の辛抱ですよ。然(そ)う思って、目を瞑って働いていますがね、何分にも此の体の弱いのにや克(か)てませんよ。此様(こん)なことしてヂボヂボ生きてるよりか、速く死んだ方が優(まし)だと、熟々(つくづく)然う思いますよ。」

 下女は「ハハハ」と高調子な空笑(そらわら)いをして、水を汲みはじめる。

 婆さんは尚何か御託(ごたく)を並べ立てているようであったが、水を空ける音に消されて、能くは聞き取れなかった。

 耳に染みつくような其(そ)の声の聞こえる間は、画を描く気もしないので、自分は又行火(あんか)に潜り込んで、何を考えるともなく恍乎(うっとり)としていた。

 するうち婆さんは木戸を締め切って、内へ引っ込んで行く。ドンの鳴る頃まで、狭い庭で干物(ほしもの)で苦労をしているようであったが、施(やが)て宅へ上ると、障子を締めて多時(しばらく)は何のこともない。股引(ももひき)やシャツからは、トクトク雫が滴(したた)って、今にも雪の降りそうな空模様である。婆さんは、腰に行火を当てがいながら、襤褸切(ぼろきれ)や破けた足袋(たび)など取り出して、これを綴りはじめているのであろう。

 四時頃、学校から帰って来た家内と一緒に――家内は其の時分一ツ橋の職業学校へ通わしていたので――晩飯の膳に向っていると、宿の婆さんの所へ、女の客が一人で来ていた。其の声は、如何(どう)やら髪結のお六と云う女らしかったが、少時(しばらく)話しているうち、婆さんが二階の上口(あがりぐち)へ、綺麗に撫でつけた、大きな頭髪(あたま)を現して、些(ちょっ)と出かけるから……と云って、何やら落ち着かぬ目色でモゾリモゾリしている。

「お内儀(かみ)さん何方(どちら)へ」と妻が訊くと、婆さんはニヤニヤして、身の周りを見廻し、

「私もね、長くは此処にもいられませんから、何処ぞ少時(しばらく)口を托(あづ)けようかと思いましてね、お六さんが、実は其の事でね、色々心配してくれますもんですからね……。」

「ヘエ、じゃ其の口が決まった訳じゃありませんがね、是(これ)から些(ちょっ)と行って見ようかと思いましてね。」

「どんな口ですの。」

 婆さんが、障子際に立ててある、自分の画に薄い目を見据えて、気の脱けたような顔をしていたが、

「もう年が年だもんですからね、骨の折る処じゃ、迚(とて)も勤まりませんから……」と少時(しばらく)何か考えるようであったが、「宅(うち)は妻恋の下のあの、大きな酒屋ですがね、那処(あすこ)のお爺さんが、今玆(ことし)何でも六十三だとか言うんですがね、別に不足のある体じゃなし、奥の離房(はなれ)へ引っ込んで、気楽に暮しているんですけれど、何ですか、脚が少し悪くて、起居(たちい)に不自由だと云うのでね、心寂しいから、誰か茶呑み友達のような、介抱人のような年婆(としより)が一人欲しいとか云うのだそうですよ。お六さんが、矢張(やっぱり)那処(あすこ)がお得意先なものですから、行って見ては如何(どう)かと勧めてくれますので、大して難しい爺さんでもないようなら、私も行って見ようかと思うんですけれど。」

「大変好いじゃありませんか。」

「何ですか……。」

 婆さんは、モゾモゾしながら引っ込んで行った。

 婆さんが出て行くと、間もなく、お幾婆さんが、家内から頼まれた洗濯物を持ってやって来た。洗い賃を少し余分にくれてやると、婆さんは叮嚀(ていねい)にお叩頭(じぎ)をしていたが、例の体の弱いと云う話から、年々物価が高くなって、陽気までが、一と昔から見ると、余程寒くなったようだと云う事、其(それ)から例によってお栄婆さんの噂が出て、自分が恁うして、手の皮の擦り剥けるまで洗濯をして、其(それ)で漸(ようよ)う此の口だけ埋めて行けるのに、あの婆さんは、能くも今日まで日干にならなかったものだ、今にお菰(こも)にまで成り下がっても、あの婆さんのことなら、苦にもしないだろう。貴方方がいるから、尚(まだ)しも助かっているのです、と散々(さんざ)非難(こきおろ)す。

「何時(いつ)かの夏でしたよ。階下(した)にも階上(うえ)にも、同居人を三組(みくみ)も入れて、自分は台所に布団を布(し)いて寝ていましたっけがね、那(あ)の婆さんは、其様(そん)なにしても、体に楽がさせたいのだそうですよ。」

 家内が揶揄(からかい)半分に、お栄婆さんの先刻(さっき)のことを少し大業(おおぎょう)に話して、「何でも、大想お金のある宅(うち)だそうですよ。」

「ヘッ」と笑(い)って、婆さんは、赤い小さい目を円(まる)くしたが、
「ア、那(あ)の爺さんでしょう。他(あれ)は奥様の前でございますけど、名代(なだい)の女好きですよ、じゃ丁度好いかも知れません。」と汚い乱杭歯(らんぐいば)を出して笑う。

「でも、運の好い婆さんじゃないか。押(お)っ堪(こた)えていただけの事はあるわね。」

 婆さんの顔色は急に変わって、挨拶も匆々(そこそこ)、梯子(はしご)を降りて行った。如何(どう)かすると、不断からお天気屋の婆ァで通った女で、恁(こ)うしたむかッ肚(ぱら)も立てる。




四 
  2016.9.11

 風呂敷に化粧道具を一と箱、其(それ)に襤褸を(ぼろ)一ト行李(ひとこうり)提げて、お栄婆さんが妻恋の酒屋へ引き取られてから、二三日は何の事もなかった。

 お幾婆さんは、其(そ)の後(のち)余り姿を見せぬ。偶(たま)に外で行き逢っても、妙に憤々(ぷりぷり)して、見て見ぬ振りをして行き過ぎて了(しま)う。が、お栄婆さんに対する悪口(あくこう)は一層激しくなった。近所界隈をアクザモクザ言って、布令(ふれ)て行(ある)いていた事だけは確かである。誰か顔出しする者があるかと見ると、風評(うわさ)は必然(きっと)妻恋の酒屋の風評で、終いには聴かされる方が聴き飽きて、誰も相手にする者がなくなって了った。

 或る日髪結のお六が、家内の髪を結って帰りがけに、婆さんの処を覗くと、婆さんは相変わらず庭で干物を取り片着けていたが、お六の顔を見ると遂(つ)い其の話が出て、一つ二つ厭味を言って居るうち、到統(とうとう)大喧嘩が始まった。婆さんは青筋を立てて、お六に喰ってかかったが、相手が気象ものの、可恐(おそろ)しい痰火(たんか)の切れる江戸っ児肌なので、迚(とて)も敵わず、「此のよいよい婆アの死に損(ぞくな)いめ!」だの「冬瓜(とうがん)の川流れ」だの「何処の馬の骨だか知れもしない癖に、利いた風な口を利くんじゃないよ」だのと、散々毒口(どくぐち)を浴びせられて、終いには可悔(くやし)がって泣き出して了った。

 自分は其の日午後から、家(うち)を捜しに出ていったが、晩方帰って来ると丁度其の話で、お幾婆さんの宅(うち)を覗くと、成程婆さんは酷く沮(しょ)げ込んでいる様子である。窓から自分達の顔が見えると、ピシャッと障子を締め切って了う。

 其の日宅が漸(ようや)く見つかったので、明日早々此処を引き払う心算(つもり)で、晩飯が済むと、妻と二人で多くもあらぬ道具の始末をしていた。外は可恐(おそろ)しい風が吹き荒んでいた。

 荷物が一ト片着き片着いたところで、自分は火鉢の火を起こして、莨(たばこ)を吹かしながら、明日から空き家になる、此の家の事や、十五六年住み古したと云う、老(としより)夫婦の事や、お栄婆さんやお幾婆さんの将来など想っていた。お幾婆さんの爺さんが死んだ夏の夕(ゆうべ)の模様も、目に浮かんで来るようである。お栄婆さんが、死(なくな)った連れ合いの爺さんと、宇都宮を出奔して、東京で彷徨(まごつ)いた、ずっと昔の事なども、想像に上(のぼ)って来る。比較的裕(ゆた)かな生活をしている人々の中に挟まって、人生の底に哀れな残年(ざんねん)を、漸(ようや)く蠢(うごめ)いているような、二人の老婆の生活の果敢(はか)なさをも考えていた。此(これ)が何の意味か、自分には格別暗示される処もないようであるが、画題は左(と)に右(かく)二つ三つ出来た。

 と見ると、妻はポット上気したような顔をして、黙って、コマコマした小さいものの始末をして居た。初めから陰気だと云って、嫌っていた此の家も、もう今夜限(ぎり)で立ち退くかと思うと、何となく気が引き立っているのであろう。

 するうち、未だ宵の口だと思っていると、もう八時を四十分も過ぎている。自分は憊(くたぶ)れていたので、好い加減に段落をつけ、床(とこ)を展(の)べさせようとしていると、不図(ふと)格子戸の鈴が鳴るようである。

 大分経ってから、お栄婆さんが、ノソノソと上って来た。妻が愈(いよい)よ明日立ち退きますから……と、此迄(これまで)の挨拶などする。婆さんは、袂(たもと)から貰ったのを収(しま)っておいたのだとか言って、紙に裹(くる)んだ菓子を取り出したが、立ち退くと聞くと、急に落胆(がっかり)した顔をして、口も利かず鬱(ふさ)いでいる。が、一体がハキハキしない質(たち)なので、自分達は気にも留めずに居た。妻は又、お幾婆さんとお六との、今日の喧嘩の話をして、婆さんの身の上の気楽な事を悦んでやり、茶を淹れて、愛相(あいそ)をしていたが、婆さんは、一向浮かぬ顔色で、何か言いそうにしては、言いそそくれ、取り片着いた部屋中を、可懐(なつかし)そうに見廻していた。自分は、住み馴れた此の家が、明日から知らぬ他人の住居(すまい)となるので、様々の古い記憶が、婆さんの弱い胸に浮かぶのであろうと、其の事を言出すと、婆さんは、一層目をショボショボさせて、

「私も長い間、此の家に厄介に成りましたよ。余所(よそ)へ出て見ますと、矢張(やっぱり)住み馴れた家が恋しいもんでね……加之(それに)、爺も此処で目を瞑(ねむ)ったし、私も、何はなくとも、此処の軒下(のきした)で引き取られようと思いましたがね……。」ともう声を曇らしている。

「もう此の歳になるてえと、何処へ行っても好い事はないものでね……。」

 話が妙に滅入って来たので、自分達は黙って了った。婆さんは、今夜妻恋に少し取り込みがあるので、一ト晩だけ此処に泊めて貰いたい、もう今夜限(きり)だから……と、言って、九時少し過ぎに、小さいランプと、自分達が預かっていた布団を持って、悄々(すごすご)と下へ降りて行った。

「酒屋の方も、余(あんま)り面白くないんでしょうよ。」と妻は、送り出してから呟いていた。

 自分は間もなく、床(とこ)へ入って了った。

 一時間ばかりウトウトしたと思うと、ふと窓の外で、何やらザブリと云う音がした。釣瓶(つるべ)の音かと思うと、其(それ)よりは少し強いようである。自分は現心(うつつこころ)に、何の事とも思いつかずにいると、ガサガサ風に鳴る樋(ひ)の音と共に、「助けてくれ!」と云う声がニタ声(ふたこえ)ばかり、聞こえる。確かに井戸の中からで、お幾婆さんの声であると云う事も、明らかである。

 妻と一緒に、台所口から飛び出して、井戸端へ行った時分には、中ではもうガタガタ顫(ふる)えて居るらしく、「万望(どうぞ)お早くお早く、後生でございます……。」と速(しきり)に気を焦っていた。

 まだ十時少し過ぎた頃の事で、原でも三谷(みたに)でも、明かりがカンカン点いている。華やかな女の話し声が聞こえる、風は少し静まったようである。暗い晩で、空には星一つ姿を見せず、如何(どう)やらポツポツ雨が落ちそうであった。

 自分は表の武蔵屋と云ふ車宿(くるまやど)へ家内を走らせて、若い衆を一人応援に頼んでやると、ドレドレと言って、ゾロゾロ三四人もやって来た。中に細引に看板を振り翳(かざ)して、一杯機嫌の、可恐(おそろ)しい元気の好い男も居た。で、婆さんは何の苦もなく、引き揚げられる。 

 水も少し飲んだであらう、顔にも所々の擦過傷(すりきず)があって、腰でも打ったのか、碌々(ろくろく)足も立たぬ。髪も振り乱して、体中ビショビショ水が垂れる。皆は気の毒なうちにも、噴き出したくなつて、「如何(どう)したんだ如何したんだ。」と看板を差しつけた。婆さん真っ蒼な顔を気味の悪いほど顰(しか)めていたが、跛(びっこ)を曳きながら、口一つ利かず、解けかかつた帯を引き摺って、口を開けたまま、喘ぎ喘ぎ木戸口から入って行く。

 医者が来る時分には、寄って集って着物を脱がし、其処(そこ)に有り合う袷(あわせ)の裏やら抜き綿やら、手当たり次第に掻き集めて体を包(くる)み、静かに布団の中に寝かされていた。医者は水を吐かして、人口呼吸を試みた。水を吐く時、口から多量(たくさん)に出たのは、未だ消化(こな)れ切らぬ食物であった。意地汚く貪(むさぼ)ったと見える。天麩羅(てんぷら)が水の中にフワフワして居る。若い医者は唯(ただ)眉を顰めて見ていた。

 三十分も経つと、お幾婆さんは、多少(いくらか)顔色が出て来た。口も利けるようになった。無論死ぬ心算(つもり)であったので、棹に縋って、ズルズルと一間ばかり下りたまでは覚えているが、後は一切夢中であったと云って、面目なげに枕に突っ伏して泣いている。

 自分等は、間もなく此の家(うち)を引き揚げた。

 此の騒ぎに、お栄婆さんが、顔を出さぬのも不思議と、自分は帰りがけに、其の寝所(ねどこ)を覗いてみた。婆さんは、枕頭(まくらもと)に豆ランプを点けたまま、マジマジ目を開いていた。自分はお幾婆さんの助かった次第を、手短(てみじか)に報告して、笑いながら梯子(はしご)を上がった。

 翌朝は豁如(からり)とした天気である。自分等は何時(いつ)にない早起きであった。妻が元気よく台所へ出たと思うと、自分は不意に消魂(けたたま)しい声に駭(おどろ)かされた。

 急いで階下(した)に降りて見ると、お栄婆さんは、天窓(あまど)の縄に垂下(ぶらさが)って死んでいた。寒そうな旭影(あさひかげ)が、蒼白い其の死相を、上から照らして居る。

 

        *   *   *   *   *   *

 

お栄婆さんは、耳が遠くて目が悪いので、其の晩酒屋から暇(いとま)を出されたのだと云う事実が、後で漸(ようや)く解った。 



 (完)


◎八木書店版『徳田秋聲全集』第7巻の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
  初出:明治41年4月1日(「中央公論」第23年第4号)









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