武家屋敷 寺島蔵人邸

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所蔵品

寺島蔵人の作品

蔵人は竹石図や山水図などの絵画を描き、寺島蔵人邸には多くの作品が遺っています。画号に「艮嶴(こんおう)」、「静斎」、「王梁元」、「応養」などがあります。

山水図 寺島応養筆

掛軸 紙本墨画(縦110.0 横28.9)江戸時代(19世紀)

 池大雅などの南画を彷彿とさせる画法です。墨の単色で山や岩の量感や水流を表現することを試みています。初期の号である「艮嶴(こんおう)」の署名があり、蔵人独自の画風はまだ表れていません。

山水図 寺島応養筆

掛軸 紙本墨画淡彩(縦102.0 横28.1)江戸時代(19世紀)

 比較的簡素な描線で樹木や家屋を描き、全体に淡い色彩を施した山水図です。霞がかったような風景の描写からは深い寂寥感が感じられます。役儀指除(罷免)の処分を受けていた時期の蔵人の心境を反映しているのかも知れません。「王梁元」の署名から、蔵人40歳代の作とみられます。

山水図 寺島応養筆

掛軸 絹本着色(縦131.5 横55.2)江戸時代(19世紀)

 蔵人独自の完成された画風を示す力作です。山のすがた、樹木、岩の表現に見られる緻密な描法に特色があり、特に山や岩の筆致は重厚な線が重なり厳粛な趣を呈しています。晩年の山水図には大自然に親しむ人物の姿が多く描かれますが、蔵人の理想を表しているのではないでしょうか。復職がかなわないことを悟りつつ作画を楽しむ境地が、画面にすがすがしさとして表れているのかもしれません。晩年の号「応養」とそれ以前に用いていた「王梁元」の二つの号を併記した作品。

竹石図 寺島応養筆

掛軸 絹本墨画(縦131.0 横56.3)江戸時代(19世紀)

 蔵人の絵画で山水図に次いで多く遺る竹石図は、画面手前に岩を配しその背後に細い竹を数本密集させて描いた構図が多く見られます。墨の濃淡で岩と竹の質感の違いと、空間の広がりを表現しています。「応養」「静斎」の印が捺され、蔵人晩年の画風を示す作品です。

牡丹折枝図 寺島応養筆

掛軸 絹本着色(縦20.9 横26.0)江戸時代(19世紀)

 蔵人の絵画は山水図、竹石図が大部分を占めますが牡丹図が数点遺っています。本作もその一つで、花びらや葉を一枚ずつ入念に描いているところに蔵人の画風が表れています。
蔵人は牡丹を好んだと伝えられ、遺愛の品々にも牡丹文の鐙、花瓶、茶器などがあります。「応養」の署名があります。

蔵人とゆかりの人

文化5年(1808)秋、蔵人は金沢を訪れた画家の浦上玉堂を邸宅へ招いて交流し、玉堂は書2点と絵画4点を遺しました。蔵人の娘秀は絵をよくし、応姜という号で作品を描いています。

渓声書声図 浦上玉堂筆

掛軸 紙本墨画(縦136.4 横63.8)江戸時代 文化5年(1808)

  文化5年秋、浦上玉堂は寺島邸を訪れ蔵人と親しく交流し、書2点と絵画4点を遺しました。勢いのある渇筆を重ねることで樹木の繁りや山の重厚な様子を表わしており、特異な形状の山塊が林立する様は玉堂独自のものです。 玉堂晩年の画風がよく表れている作品です。

山水図 寺島応姜筆 寺島応養賛

掛軸 紙本墨画淡彩(縦25.1 横51.7)江戸時代(19世紀)

  寺島応姜(おうきょう)(1812~1881)は蔵人の娘で名を志於、秀といい、玉英、応姜と号して南画を描きました。蔵人が死去したとき応姜は26歳で、本作は蔵人の賛が書かれていることから、応姜若年の作と考えられます。蔵人は一人娘で画才に恵まれた応姜を可愛がり、流刑地からの手紙の中でも一緒に絵の修業ができず残念至極と述べています。

書状 寺島応養筆

掛軸 紙本墨書(縦27.3 横51.6)江戸時代 天保7年(1836)

 この書状は能登島流刑の前、養子主馬(しゅめ:応徴)に宛てたものです。始めに藩主への忠誠、家族睦まじく家来をいたわることを説き、前田藩主斉広(なりなが)の治政に心を砕き、斉広のもとで自らも尽力したがその甲斐なく流刑にいたるがやむを得ない、家族とゆっくり話ができず残念と結んでいます。

蔵人の遺愛品

蔵人が用いていた武具や日用品、画材などや、金沢の文化人たちとの交流のなかで作られた製品などが寺島蔵人邸に遺されています。それらの品々をとおして江戸後期の金沢での蔵人の生活ぶりがうかがえます。

画櫃とその内容品

幅33.7 奥行21.7 高35.2 江戸時代(18~19世紀)

 蔵人が愛用した画材入れです。桧の網代に竹で縁取りを施し、持ち手をつけています。蓋に山水図と画号「王梁元」を浮き彫りで表し、内部には顔料や金銀泥の入った紙包や紙箱、絵皿、筆洗、筆架、虫眼鏡、匙、膠(にかわ)などが収められています。

乾泉亭蓋付碗ほか 五客 春日山窯製

蓋口径12.5~13.3 高2.4~3.1
碗口径11.6~12.3 高4.3~4.8
江戸時代 文化4年(1807)

 軟質の白磁胎に鉄秞で銘文が記されており、銘文から制作年がはっきりとわかる貴重な作です。「乾泉亭」は蔵人の書斎の名で、号の一つです。「花巣加山之麓陶場」「帝慶山下陶場」は、加賀藩の産業振興策によって京都から青木木米を招いて文化4年に開かれた春日山窯を指します。本作は文化4年(1807)から文政元年(1818)まで開窯した春日山の最初期の製品となります。「青蒻道人」「蓑」は銘文の筆者である浅野屋秋台のことです。浅野屋秋台は金沢の町人で畳製造を本職とし、書画、詩文、篆刻に長じ、蔵人と親しい交流がありました。図の蓋付碗のほか小形の蓋付碗、猪口が揃っています。

采幣

柄全長33.8 径1.7 房全長38.0 江戸時代 文政7年(1824)

 蔵人は文政2年1月に罷免され同年3月に自宅謹慎を申し付けられました。以来5年ぶりとなる文政7年2月に蔵人が馬廻組頭を拝任した際、この采幣を作らせました。箱の蓋裏に蔵人の丁寧な楷書でその旨が綴られ、復職した意気込みが伝わってきます。

象嵌牡丹に扇鐙 助角作

全長28.3 幅13.0 高24.7 江戸時代(18~19世紀)

 鉄素地に銀象嵌で、胴部に牡丹、扇、波、二重蔓唐草を、底裏に紗綾形文様を表しています。蔵人は牡丹を好んだといわれ、自ら絵も描いています。「加刕住助角作」の象嵌銘がありますが、作者については不詳です。

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