年表

和暦(西暦) 数え年 事跡
1884(明治17)年 1歳 9月16日、岡山県邑久郡本庄村に誕生。本名茂次郎(もじろう)。
1902(明治35)年 19歳 9月、早稲田実業学校入学。
1905(明治38)年 22歳 6月、『中学世界』に投稿したコマ絵が第一賞に入選。画号「夢二」の初出。
1907(明治40)年 24歳 1月、金沢出身の岸他万喜(きしたまき)と結婚し、息子3人を授かる。彼女をモデルに「夢二式美人画」誕生。翌々年5月に協議離婚。
1909(明治42)年 26歳 12月、処女作『夢二画集 春の巻』刊行。以後、生涯に著作本57冊を刊行。それらのほとんどを自ら装幀。
1910(明治43)年 27歳 4月-5月、京都の堀内清宅に滞在後、金沢初訪問。5月5日~18日新川除町(現中央通町)「基督教青年会館」に滞在。
1912(大正元)年 29歳 11月23日~12月2日、京都府立図書館で「第一回夢二作品展覧会」。
1914(大正3)年 31歳 10月1日、たまきを女主人として東京日本橋に「港屋絵草紙店」開店。
夢二デザインの小間物類を扱った。間もなく永遠の恋人・笠井彦乃と親しくなる。
1916(大正5)年 33歳 11月、京都に転居し、12月次男・不二彦も合流。
1917(大正6)年 34歳 6月、上洛した彦乃と同棲開始。8月、この3人で66日間の北陸・加賀の旅へ。金沢の金谷館(西町)では西出朝風の協力で「夢二抒情小品展覧会」開催。西尾源二郎、木戸芳二、殿田良作らとも親交を結ぶ。
9月24日~10月16日、郊外の湯涌温泉に滞在。彦乃をモデルに≪湯の街≫制作。
1918(大正7)年 35歳 9月、「宵待草」がセノオ楽譜として発売され、大流行。セノオ楽譜には大正5年より表紙絵約280点を手がけ、作詞24曲も提供。
11月、東京に戻り、本郷の菊富士ホテルに大正10年まで止宿。
1919(大正8)年 36歳 2月、彦乃へと捧げた歌集『山へよする』刊行。春頃、佐々木カ子ヨ(お葉)がモデルとなる。
1920(大正9)年 37歳 1月16日、彦乃、東京順天堂医院で永眠(25歳)。
2月、京都の「清文堂」主人・大槻笹舟と木版画《宝船》完成・販売。
9月、西出朝風らの口語短歌集『第一群』刊行に参加。
1923(大正12)年 40歳 9月1日、関東大震災により「どんたく図案社」計画の頓挫。『都新聞』に「東京災難画信」を連載。
1924(大正13)年 41歳 12月29日、東京荏原郡松沢村にアトリエ付住宅「少年山荘」(別名「山帰来荘」)を新築し、お葉や息子たちと同居。
1925(大正14)年 42歳 4月、お葉は、金沢郊外の深谷温泉に逗留。6月~7月再度金沢に滞在、夢二との別れを決意。大正末~昭和初期、画号「夢生」を使用しはじめる。
1929(昭和4)年 46歳 2月、吉井勇らと山中温泉経由で三度目の金沢訪問。
1930(昭和5)年 47歳 5月、「榛名山美術研究所」設立宣言。
1931(昭和6)年 48歳 5月7日、翁久允とともに船でアメリカ西海岸へ出発。
1932(昭和7)年 49歳 10月10日、ヨーロッパに到着、各地でスケッチ・画信等制作。
1933(昭和8)年 50歳 2月~6月、ドイツのイッテン・シューレ(一天画塾)で日本画教育担当。
9月18日、イタリアから帰国。11月、台湾から帰国後、病臥。
1934(昭和9)年 51歳 1月、長野県富士見高原療養所に緊急入院。9月1日早朝、「ありがとう」を最後に永眠。雑司ヶ谷墓地に埋葬。墓碑銘を有島生馬が書く。

もどる

HOME