三人の女性と金沢の縁

竹久夢二の人生は女性たちとの出会いと別れによって彩られている。とりわけ、岸たまき、笠井彦乃、お葉は夢二の人生だけでなく、創作にも大きな影響を与えた。しかし、この三人がいずれも金沢と縁をもっていることを知る人は少ないであろう。彼女たちは、金沢の地といかなる関係にあったのだろうか。

岸 たまき

明治15(1882)-昭和20(1945)年

戸籍名は他万喜。石川県金沢市味噌蔵町(現大手町)に生まれる。夢二の生涯のうちで唯一戸籍に入り、三人の息子の母となった。〈夢二式美人画〉は「大いなる眼の殊に美しき人」といわれた「たまき」をモデルにして生まれた。
明治39(1906)年、兄を頼って上京し、夢二と出会い翌年に結婚。明治42(1909)年には性格の不一致から協議離婚するも、その後数年間にわたって同居と別居をくり返す。大正3(1914)年、夢二デザインの小間物をあつかう「港屋絵草紙店」の女店主となる。
明治43(1910)年、夢二はたまきの故郷を見るために初めて金沢を訪れ、たまきへの思いを募らせて何通もの手紙を書き、その思いを日記、紀行文にも記している。

笠井 彦乃

明治29(1896)-大正9(1920)年

戸籍名はヒコノ。山梨県南巨摩郡西島村に生まれる。夢二にとって「最愛のひと」であり「永遠のひと」。
明治36(1903)年、一家を挙げて上京。父親は日本橋で紙商を営み、のちに宮内省御用達となる。大正3(1914)年に「港屋絵草紙店」で夢二と出会い、やがて相思相愛の仲となる。父親の反対を押し切って大正6(1917)年から京都で同棲をはじめ、この夏の北陸旅行では金沢で開催された「夢二抒情小品展覧会」において、「山路しの」の名で作品を出品。湯涌温泉滞在後、結核に倒れ、わずか25歳でその生涯を閉じる。
大正13(1924)年、新聞の連載小説として夢二が発表した『秘薬紫雪』は夢二と彦乃がモデルであり、二人が愛を誓うラストシーンは湯涌温泉が舞台となっている。

お葉

明治37(1904)-昭和55(1980)年

戸籍名は佐々木カ子ヨ(かねよ)。秋田県河辺町赤平境田に生まれる。「お葉」は夢二による愛称。
大正8(1919)年、彦乃と引き離され、絵筆をとれないほどに落胆した夢二を気遣う友人たちの紹介によって、春頃にモデルとなる。夢二好みの立居振舞を身につけた彼女は、夢二の絵から抜け出したような美人といわれた。
大正14(1925)年、お葉は彦乃の面影を追い求める夢二との恋に悩んだ末に自殺未遂をはかり、夢二は彼女の養生先として、金沢郊外の深谷温泉を選んだ。一度は夢二のもとへと帰ったお葉であったが、悩みは去らず、再度訪れた金沢の地で夢二との別れを決意する。

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