その131「蘇る諏訪根自子」 | |
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1920(大正9)年生まれで平成24年3月、92歳で亡くなった。 昭和5年来日していた世界的なバイオリニスト、ジンバリストの前で演奏し「天才少女」として新聞、雑誌に紹介されたのは10歳のときだった。 昭和20年12月に帰国し、翌年から全国各地でリサイタルが開かれ、昭和21年10月25日(金)金沢でも開催され,食料だけでなく音楽文化にも飢えていた人々の喝さいを浴びたという。 作家城山三郎は「日本女性としては初の知的美人の登場だった」と回顧している。 その諏訪根自子の戦前のSPレコード13枚26曲をCDに収録したコンプリート盤「諏訪根自子の芸術」(税込2415円)を平成25年3月20日、コロムビアから発売することになった。 |
![]() ドボルザーク「ユーモレスク」 昭和8年8月録音 ピアノ伴奏:上田 仁 ![]() 録音に使用したクレデンザ、 ブランズウイック(写真、左) 他にもHMV NO.194、E.M.Gも使用した マイクは3種類、B&K4011、 ゼンハイザー40P, ショップスMTS ![]() 学生服の諏訪根自子嬢 |
その130「蓄音器から見える持ち主の人柄」 | |
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昭和8、9年にコロムビアから発売された卓上型蓄音器2台が寄贈された。 このころは、戦前では蓄音器、レコードの普及が急速に伸びた時である。 大きさは幅45、奥行35、高さ31cmあまりで、NO.452はそれぞれ1cmちょっとでかかった。 だが、NO.452には「NO.9」と呼ばれる直径が7mm程度大きいサウンドボックスが装着されているところが異なっている。 実際にクラシック、歌謡曲などのレコード盤をかけて聴いてみた。 ともに音が割れることもなく、小さな音色も綺麗ないい音を奏でるがNO.452の方が音は大きく、明るく伸びやかな感じがする。 そんな訳かわからないが、カタログにNO.452 は昭和10年50円、11年55円、12年には60円と書かれているのに、NO.450は昭和10年には既に記載されていない。 ラッパのフロントに貼ったサランネットは破れているものの、内部の歯車部分にはオイル、グリースが綺麗に塗られ、このNO.452の持ち主、石川県のさる経済人はさぞいい音を楽しまれ、大事にしていたのではなかろうか。 |
![]() コロムビアNO,452 ![]() コロムビアNO,450 ![]() NO,452のサウンドボックNO,9(左) 右はNO,450についているもの |