金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2019年9月

その302文化施設に必要な3つのこと ➁

 

レコード、蓄音器、オルゴール、楽器など音楽に関する博物館、資料館は全国に点在している。その中で全国紙にも掲載されたある施設を2度ばかり見学をした。

 

初めてその館を訪れた時、その入口に貼ってある看板に目が止まった。

その手作りの紙には第1回からのレコード大賞のジャケットが描かれていた。

温かみがありレコードへの“想い”を感じた。このポスターを作ったのは嘱託の女性Sさんだった。

音楽好きが高じて開館以来その館に勤めているという。「予算の関係でこんな形でしか、、」とその出来栄えを恥ずかしそうに話した。

館の責任者である町からの出向者も熱い方で、日経新聞朝刊の文化欄に町おこしにどう館を使っていくかその想いを語っていた。

数社のレコードメーカーからもその想いに期待していると聞いたことがある。

 

しかし、次に訪問した際、施設の責任者も役所の人事異動で交代し、そのSさんも期間満了で退館していた。

音楽への“想い”と体験に裏付けされた“知識”が消えていた。この人事は何だろう?これで“想い”を綴っていくことが出来るのだろうか。

前述の山出保さんの言葉が胸に刺さる。

3つの要素で「人」が一番重要だと思うのだが。

 

*蓄音器を集めたわけは館長ブログ4、蓄音器館誕生のいきさつはブログ122に詳しい
https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/kancho/2010_04.html 

https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/kancho/2012_11.html



蓄音器館隣りに500台余の収蔵倉庫

蓄音器館裏の工房

工房内のSP盤収蔵庫

PCに納められたSP盤リスト
原盤番号も記載されている
その301文化施設に必要な3つのこと ①

 

金沢蓄音器館に来館される方々から「どうして金沢に『蓄音器館』があるの?」と質問されることがある。

 元金沢市長山出保(やまで・たもつ)さんは、文化施設がそこにあるためには3つの要素が必要だと指摘している。

 ひとつは土地だ。例えば泉鏡花、徳田秋声、室生犀星等の記念館は本人たちが生まれ育ったという場所にある。生活していた周囲の雰囲気、空気、環境といった事柄は成長していく過程、育ちに大きな影響を与える。

2つ目はそこに様々な資料が存在することだ。

3つ目はその施設を運営していく人がいること。誰でもいいわけでない。知識、技能ばかりでなく「想い」を持った人がいなければならない。

 

当館は金沢市尾張町にある。尾張町は当館の母体となった「山田屋蓄音器専門店」(尾張町42番地)があった町だ。現在の金沢文芸館右隣の緑地が店舗跡。「石川県里程元標」が目印になっている。当館の真向かいだ。

その店は、国産の蓄音器が誕生して間もない大正3年に創業した。金沢の新しい音楽文化の“里程元標”ともいえる。

 平成137月、蓄音器540SPレコード2万枚でスタートし、今では600台を超し、その多くは整備され往時の音を奏でる。SP盤も全国からの寄贈で4万枚以上になった。

エジソンのろう管式から蓄音器の王様“クレデンザ”まで10台あまりを直に聞ける「蓄音器の聴き比べ」の人気が高い。
若い人たちも最近のアナログブームのせいか随分と増えている。当時の人たちが聞いたナマの音を体験できるからだ。

貴重な音源について新聞、TVなどのマスコミ、他の博物館、図書館などの行政関連施設、レコードやオーディオ各社からの照会、問い合わせも多い。
歌詞、ポスター、宣伝物など周辺周りの品もあることがその理由だろう。
                               (
続く)



尾張町にある「石川県里程元標」
「加賀国金沢尾張町 南森本へ壱里二拾五町」と記載。奥の建物は「金沢文芸館」

山田屋蓄音器専門店(昭和30年代前半)
左手奥は、現在の金沢文芸館

店内を飾った看板 電話1617 と記載

金沢蓄音器館内のレコード収蔵庫
2F:1万枚,3F:1万枚

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