金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2025年1月

その429「長田暁二さんのこと


音楽文化研究家の長田(おさだ)(ぎょう)()さんが令和62024)年114日亡くなられたことを知ったのは今年に入ってからだった(享年94歳)。

一昨年(令和516日)、東京での日本レコード協会新年会の折、ご自宅へ伺ったのがお会いした最後だった。当館が発刊した20周年誌「蓄音器 不思議の音色」を、直接お渡ししたかったからだ。

 平成222010)年8月以来キングレコードの鏡味(かがみ)(きょう)()さんの紹介で長田さんの講演会が始まった。
初の出会いは、小松空港へ迎えにあがった時だった。熱烈なファンで、ドラゴンズの帽子をかぶってます。すぐにわかりますよ」と言われた。
確かに背広に野球帽だった。

芸能音楽にまつわる書籍を500冊近く残され、その博学ぶりは凄かった。偉ぶることがない方だった。

金沢の地元テレビ局からジャンルを問わないいろんな曲目について尋ねられたが、返事は丁寧な細かい字でFAXに書かれていた。

 ご自身でSP,LPなども収集されており、SP2千枚ほどは当館へ、LP 盤は熊本県菊池市の長田暁二記念館へ寄贈されている。
当館にいただいた盤はハワイの日本人向けが多く、「KZOO」とレーベルに印が押されている貴重なものが多い。
金沢市長から感謝状が長田さんに渡されている。


当館へ何度か来館いただき、曲目、時代背景など解説をいただいた。(館長ブログその2558に詳しい)

なかでも「伝えたい日本の歌」は、日本子守唄協会西舘(にしだて)好子(よしこ)理事長にも加わってもらった。(館長ブログその196197に詳しい)
歌謡曲ばかりでなく唱歌、讃美歌、軍楽隊も解説され、集まった来館者の方々からは大きな拍手の渦が起こった。

長田さんは、ビールが好きで、テーブルの上にはいつも空になった大瓶が何本もあった。きっと今でもビールを楽しんでいるのだろうか。お世話になりました。ありがとうございました。


2015,9  長田暁二さんと

2015,7
感謝状贈呈
古賀政男音楽博物館にて 左より嶋浦金沢市東京所長、飯田久彦名誉館長、長田暁二さん、森淑日本コロムビア部長、小生


地元TV局よりの問い合わせに
長田さんは、丁寧な返事をされた
その428人生の「さんさろ」」


当館の前に金沢文芸館がある。

文芸館館長より、毎年発行しているPRESS「さんさろ」に巻頭文を書いてほしいといわれた。
毎年331日に発行しており、2025(令和7)年はVol.25になる。金沢の文化施設の館長が順番に執筆しているので、今回是非にお願いしたいとのことだった。


「さんさろ」と題されたエッセイは、金沢市橋場町の三叉(さんさ)()金沢文芸館が面しているところから生まれたネーミングだ。

小生はこの文芸館の真横にある緑地に中学生の時まで住んでいた。
かつて金沢蓄音器館のもととなった「山田屋蓄音器専門店」があった場所である。今は「石川県里程元標」が立ち、明治41年に市内で最初についたガス燈と並んでいるところだ。
そんな訳で、もの心がついた昭和30年代の「さんさろ」に面した町の雰囲気や店舗の模様なら書けるのではとお引き受けした。

 こうして1100字あまりで記憶をたどらせた。
間違った箇所、定かでない箇所があるかもしれないが、ご指摘いただければありがたい。


道が「十字路」ならばまっすぐ行くことが出来るし、左右へ曲がっていくことも出来る。
「三叉路」ならまっすぐ行けず、右へ行くか左へいくかどちらかに別れることになる。思えば、人生自分の意志のまままっすぐ行けることはあまりない。
ほとんどが右か左か迷いながら、決断しなければならないことが多い。

人は、人生の「さんさろ」にいつも立っているのではないだろうか。


 
*金沢文芸館PRESS「さんさろ」は、 〒920-0902 金沢市尾張町1-7-10 TEL076-263-2444 へお問い合わせください。


橋場町三叉路に面した金沢文芸館

金沢文芸館横の石川県里程元標

記憶をたどって書いた三叉路に面した
昭和30年代の店舗等

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