金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2020年9月

その330オーストラリアからの来館者

 
あれからやがて1年の月日が流れた。

まだコロナ、コロナと騒がれる以前の2019(令和元)年825日、当館にオーストラリア、ビクトリア州ヤラムからのPeter Stoneさんが奥様と一緒に来館された。
日本の方々ばかりでなく海外からも連日たくさんの来館者でにぎわっていたころだった。

蓄音器の聴き比べにも参加され、いろんな質問をそのご夫婦から受けた。

つたない小生の英語力では十分な意思疎通ができなかったが、自称蓄音器ファンだというStoneさんの熱心さは充分伝わってきた。
日本に行ったら当館を訪問したいとかねてから思っていたという。

当館の見学は丸一日かけ、帰り際には固い握手を交わして別れた。

 その後、11月初旬に彼から1冊のカラー刷りの立派な本が航空便で届いた。

そのタイトルは「The Fabulous Phonograph」と書かれていた。「驚きの蓄音器」とでも訳すのだろうか。
その表紙を開くとStoneさんと一緒に撮った写真があり、彼の蓄音器のコレクションや初期のエジソン、ビクター、コロムビア蓄音器についての解説が写真、表や図説、当時の資料などで丁寧に掲載されていた。


同封されていた手紙には、自分は熱心なコレクターではなく初期の音楽マシーンに興味をもっていると控えめに書かれていた。

蓄音器の歴史をより理解するために上梓したという。

当館にとってこの本の内容は、新たな知識を増やすことにはならないと思うが、贈り物として受けとってほしいと結ばれていた。

蓄音器に対する愛情と想いに感動した。

コロナ禍はしばらく続くだろうが、早く収まって国内ばかりでなく海外からの方々にもあの優しく、ホットする蓄音器の音色に浸っていただきたいと思っている。 

 


送られてきた書籍

Stone夫妻と小生

英EMIのピアノ録音風景

エジソンダイヤモンドディスクC250縦振動蓄音器
その329敵に塩を送ったレコード会社

 
雑誌「キング」が好評を博していた講談社は、活字文化に加えて1930(昭和5)年レコード事業に進出するため、社内に「キングレコード部」を設置した。

1月、新譜として10インチ(25㎝)盤7タイトルを発売した。
その記念すべき第1回発売盤のうち、当館には2枚(曲は「天皇鑚仰」、「君が代」、「明るい日本」、「ゆけよゆけゆけ」の4曲)ある。

 この時キングは日本ポリドール蓄音器商会と提携し、吹き込み、製造、販売を委託し、自らは編集、宣伝を受け持った。

開業早々ですべてを自社で行なわず得意分野に特化させた。

それを受けたポリドールは競争相手になる新興の会社にいわば塩を送った形で協力した。

キングは、発売に際し全国の新聞に半ページ広告を出した。
低俗な歌を一掃し、健全な歌を普及させ愛国心鼓舞を旗印にしたいと新聞で語っている。

 戦中、空襲で日本ビクターは工場を焼失(昭和203月築地スタジオ、4月横浜工場、8月前橋工場を全焼)、日本コロムビアは昭和204月川崎工場倉庫、寄宿舎、5月銀座コロムビア、川崎材料倉庫、目黒研究所などを焼失した。
幸い工場、スタジオはかろうじて被害を
免れた。

しかし、戦後コロムビアは自らも大変なのにビクターのレコード盤製造に協力した。
「ビクター60年史」に書かれている。昭和21年9月、ビクターはコロムビアにレコードプレスを依頼、さらに昭和221月には吹き込みにコロムビアスタジオも使用した。


ビクターマークのレコードは、コロムビアで作られていたのだ。


皆、苦しさを分かち合い、協力して復興に全力を注いだ。

 


キングレコード発売時のスリーブ
大きな社名の下に「吹込制作販売日本ポリドール蓄音器商会」と記載

1931(昭和6)年第1回新譜

1947(昭和22)年3月
「港が見える丘」平野愛子

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