金沢蓄音器館

館長ブログ ほっと物語

2024年9月

その421(リトル).(ブラック).(ドレス).RYO(リョウ)、能登への想いコンサート


歌手:Little Black DressのRYOさんのライブを2024(令和6)年971830分から金沢ナイトミュージックの1つとして当館で開いた。

RYOさんは本年221日の16時、来館者の1人として「蓄音器の聴き比べ」に参加。そこでの出会いがことの始まりだった。


その日、能登、輪島への災害ボランティアの一員として歌手ミーシャさんと一緒に参加したあと彼女は当館へ立ち寄ったのだ。
「歌を仕事としているのに蓄音器の音は聴いたことがない。是非一度聞いてみたかったから」という。

小生も213日に能登3か所に蓄音器持参でボランティアに出向いたので(館長ブログ409参照)何か一緒にできませんかね、と話は盛り上がった。
そこで彼女がナビゲートしている1時間のFM番組「トウキョウ・ミュージック・ショウ」に小生が生で出演すること、又、彼女のライブを当館でやりましょうということになった。


そしてRYOさんは2月に3回,4月に2回の計5回、県の災害ボランティアとして参加。(7月には応援コンサートでさらに1回)

輪島では、ある飲食店に泥が溜まり、ご主人が倒れてしまい、その奥さんが後片付けの応援を頼んできていた。
スコッパも使えず厨房にあるお(たま)を使って手で少しずつかき出すしかないそれでも男1名、女4名の5人が5時間で1トンの泥をかき出したという。重労働だった。

その店の主人が「お玉でも進むものだね。綺麗になるものだね」と話し、「缶コーヒーを買ってきてくれ、冷たいクーラーボックスで冷やしてくれました。
人の優しさがあふれている、みんな寄り添って生きていることを日常の中で感じたんです。
助けを必要とする人がいる、そんな現状を知りました。

ゴメンナサイ。何で、私、ここで泣いちゃうんだろう。

さあ、私の好きな昭和歌謡が詰まっているこの蓄音器館でこれからライブです!」と語り、スタート。


会場満杯の全国からの観客はひとかたまりで歌や拍手の渦になった。当館では狭すぎる!

RYOさんは「今日は皆さんの笑顔を見れてよかった!!」

暖かい能登への想いが溢れたライブだった。


ライブのひとこま



「野良ニンゲン」、「双六」のサイン入りレコード

2人揃って記念写真を
その420二流品『ギア&イーグル蓄音器の修理」



「自分で修理してみたが、うまくいきません。廃棄、部品取りに使ってもらっても構いません」と書かれた手紙がついた蓄音器が送られてきた。

蓄音器の木製本体は、ばらけていたのか接着ボンドでかろうじて引っ付いていた。ボンドははみ出た箇所が多く、その状態で固まっていた。

蓋をとると、その裏面に「ギア&イーグル」と商品名のシールが貼ってあった。初めてみる名前だった。(「イーグル」ならコロムビアの前身である日蓄が昭和23年に使用した蓄音器のブランド名だが、それをまねたのだろうか)

アームの根元の形状はビクターに似ていた。長いプラスネジを使い、本来穴のない金属の部分に無理やり穴をあけてアームは取付られていた。こんな箇所に穴を開ければ音漏れするのに。

蓄音器は、通常マイナスネジが使われるのだが,この蓄音器は各所にプラスネジだ。修理の際の苦労の跡がうかがわれる

針を取り付けるサウンドボックスは「COLOMBIA」ではなく「COLOMBIC」と書かれていた。ニセモノだ。
針先をチョコンと鳴らしてみたが音はでない。これでは分解して振動板を取り換えねばダメだ。

ラッパも金属部と木製部の接続をガムテープで巻いた修理した跡があるが、これでは音漏れするだけ。

たいへんな修理になる。廃物にしようか?幸いゼンマイは切れていなかったのが救いだ。二流品の一つとして修理してみよう。

 こうしてこの「ギア&イーグル」は甦った。

決してきれいな音色とは言えないが、ひとつの時代の音だった。


蓋裏にあるロゴマーク

ターンテーブルを外した全形

ガムテープで取り付けられたラッパ

サウンド・ボックスには「COLOMBIC」

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