| 令和4年12月25日(土) 午後2時30分~ 「第14回 クリスマスバロック ~バロックOp.1 再び!~」 |
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「クリスマス寒波」という急な大雪に襲われましたが、この日は雪も収まり、スタッフ一同ほっと安心しての開催となりました。雪が残るなか、クリスマスバロックを楽しみに、多くのお客様で会場が埋まりました。 このクリスマスバロックは心静かにバロック音楽を楽しんでもらおうと、大村俊介さんのヴァイオリンと加藤純子さんのチェンバロの演奏で、バロック時代の各作曲家の中から、特に作品番号1番(Op.1)をとりあ げて演奏する、という大変珍しい企画です。 昨年の、ヘンデル作曲 ヴァイオリン・ソナタ第1番~第3番に続き、今年は第4番~第6番となり、これで全曲の演奏です。 先ず1曲目のヴァイオリン・ソナタ第4番は、とても優美な雰囲気の第1楽章から始まりました。バロック時代の作曲家がそうであったように、ヘンデルも貴族のために曲を書き上げていたそうで、続く第5番、第 6番も美しく典雅な雰囲気を味わえました。しかしながら大村さんの説明によれば、最近の研究ではこの第5番、第6番はヘンデルの作ではない、のだそうです。でも、音楽の美しさは変わらずにあるので、 今日でもよく演奏されているのだそうです。意外なエピソードですね。 お二人によるヴァイオリンとチェンバロの素敵な音色を堪能した後、SP盤レコード鑑賞で締めくくりとなりました。曲は、同じくヘンデル作曲の「ラルゴ」(オンブラ・マイ・フ)です。スペインが誇る、往年の名チェリ スト、ガスパール・カサドの演奏です。テレビのコマーシャルなどで聞くことのある、ゆったりとした美しい旋律で、カサドの艶のあるチェロの音色が印象的でした。 あっという間に終演となりましたが、お客様はクリスマスの気分を高めて帰路につかれたことと思います。 |
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| 令和4年12月17日(土) 午後2時30分~ 「音盤の記憶 第93回クリスマス特集」 |
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今年最後となる12月は毎年恒例の「クリスマス特集」です。皆さんにおなじみのクリスマスソングを聴いていただきました。 1曲目はペリー・コモの「ザ・ファースト・クリスマス」です。初版は1946年。その後‘47年‘53年と発売されました。当初は4枚組で、聖書の内容をペリー・コモが優しい口調で語り歌い、大好評となりました。現在でも3枚組のCDで発売されており、特に信仰心の篤い家庭ではよく 聴かれているそうです。 次にビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」。映画『スイング・ホテル』で使用された6曲を集めたアルバムの中におさめられた曲で、1942年7月に発売されました。10月には人気ラジオ番組でチャート の首位に立ち、11週NO.1となりました。また、アメリカでの著作権収入で音楽史上最も稼いだ曲の第2位になっています。ちなみに第1位は0「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」だそうです。 最後に、これも毎年恒例となっているロイさんからのクリスマスプレゼントが、ロイさんから皆さんお一人ずつに手渡されました。外は雨模様の寒い1日でしたが、会場は温かい雰囲気に包まれ終演となりました。 |
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| 令和4年12月10日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(13)~紅白歌合せ~」 |
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今回は年末恒例「紅白歌合わせ」でした。今年一年ご紹介した曲の中から、おすすめの曲をピックアップして、もう一度お楽しみいただきました。 令和4年に起きた出来事を振り返ってみると、4月には知床半島沖で観光船が沈没。5月、大谷が米大リーグでメジャー通算100号を記録。6月、東北新幹線が全線運転再開。7月、安倍晋三元首相、選挙応援演説中に銃撃され死亡。9月、九州新幹線開業。10月、ヤクルトの村上、史上最年少で三冠王。今年もコロナの完全終息は望めませんでしたが、いつしか話題から遠ざかってしまった感がありました。 まず序曲として、霧島昇と並木路子のデュエットで「リンゴの唄」で開幕しました。日本の戦後は、この曲と共に明けたと言われます。松竹映画の戦後第1作「そよかぜ」のために作られました。この曲が並木の歌として定番になったのは、霧島が遠慮して歌わなかったからだそうです。 開幕にはファンファーレのSPレコードをかけて気分を盛り上げました。このあとは、白組と紅組に分かれて、昭和のヒット曲をご紹介しました。 まず白組のトップバッターは灰田勝彦「鈴懸の径」です。学生生活への郷愁が、さらりとした表現のうちに深い奥行きをもって歌い上げられています。激しい戦争のさなかに作られ、戦争表現のかけらさえでてこない、青春の澄み切った歌です。 紅組のトップバッターは高峰三枝子の「南国の花嫁さん」です。太平洋戦争がはじまると、物資不足を補うために南方経営が迫られました。「大東亜共栄圏」の名のもと、多くの人が南方に行くようになると、大陸メロディに代わって南方メロディや南方ムードのものが登場します。その代表的な曲が「南の花嫁さん」と「南から南から」の2曲だったそうです。 |
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| 令和4年12月3日(土) 午後2時30分~ 「おしゃれにスタンダードジャズ(50)」 |
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前日の大雨で寒い天気がガラッと変わり、当日は晴天の気持ち良い日となりました。 この日の幕開けは、テレビなどでもよく耳にする、エルビス・プレスリ-の「好きにならずにはいられない」です。堀さんの歌とピアノでしっとり とした雰囲気が会場に広がりました。 続いてSP盤レコード鑑賞では、堀さんが「歌い方が大好き」というナット・キング・コ-ルの「恋はひとすじに」。また、同じく男性ボーカル であるジェリ-・ウェィンの「浮気はおやめ」の2曲が披露されました。曲の説明に、堀さんがアメリカで仕事をされていた頃の思い出話しも入る など、和やかなムードで進行していきました。 さて、12月に入り、街にはクリスマスの飾りつけが目立つようになってきていますが、堀さんの選曲で江利チエミとフランク・シナトラの「ホワイ ト・クリスマス」の曲をSP盤レコードで聴くことができました。江利チエミのものは堀さんも初めて聴くという珍しいものです。また、フランク・シ ナトラも堀さんの大好きな男性ボーカリストだそうで、2人の歌声でちょっと早いクリスマスの雰囲気が味わえました。 「英語の曲が続いたので、最後は日本語の曲としましょう。」ということで、堀さんの歌による美空ひばりの「愛燦燦」で締めくくりとなりました。 情感たっぷりの歌声で、それまでとはまたひと味違った空間でした。 そして、最後にはサプライズが!堀さんのイベントが今回でちょうど50回目となり、それを記念し館長から花束のプレゼントがありました。 これからもずっと、素敵なジャズの音色を私たちに届けてください! |
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| 令和4年11月26日(土) 午後2時30分~ SP盤「鏡花を聴く~台詞劇『婦系図絵巻』~」 |
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今年は明治の文豪泉鏡花生誕150年の記念の年、当館収蔵の鏡花に関連するSPレコードでお祝いしようと、この企画がもちあがりました。鏡花の代表作『婦系図』は、レコードでは「台詞劇 婦系図絵巻」、長谷川一夫(主税)と山田五十鈴(お蔦)の配役、市丸が唄と三味線で支えるという4枚組の豪華盤で、泉鏡花記念館館長秋山先生に作品解説をいただきながら、鑑賞することとなりました。 まずは秋山先生から『婦系図』の作品の特徴をご紹介いただきました。原作は明治40年にやまと新聞で連載されました。名門一家の長男の嫁探しにまつわる系図調べへの反感と、同棲する芸者への未練の二つの要素が絡み合いながら物語が進みます。翌年、舞台化された時に新派からの依頼で湯島詣での場面が書き加えられました。当館所蔵のレコードは、昭和17年に東宝が映画化したときのキャスト二人で語られています。 湯島天神で芸者への別れ話をする場面は情感たっぷりで、名優二人の感極まった朗読はもちろん、市丸の低音を響かせた清元が愁いをもたせました。鏡花文学の特徴である「義理と人情」のテーマが非常によく反映されている作品だそうで、鏡花の師匠の尾崎紅葉から女性(のちの妻すず)との同棲を激怒された経験が作品に重ねてあることや、映画が封切りされた昭和17年という戦時下では、原作通りに上映できる社会情勢では なかったので、主税の役柄をドイツ語翻訳家というだけでなく、火薬研究者という設定に変え、富士の裾野で爆破実験をする場面を加えて、ようやく上映が許可されたなどの裏話もご紹介いただきました。 レコード4枚分の面を取り換え、針を交換し、蓄音器のハンドルを回すという間、その度に秋山館長が場面を説明して間をつないでくださいました。しばし、日常を忘れ、明治の湯島天神に心を彷徨わせて いただけたことでしょう。 |
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| 令和4年11月19日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(92)」 |
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枯れ葉が舞い散る小春日和の一日でした。今回のタイトルは「ブラザー、シスター、大集合!」でブラザー、またはシスターとついた歌手の特集です。 まずは、アンドリュー・シスターズの「ビヤ樽ポルカ」。アンドリュー・シスターズは1925年に結成された、ミネソタ州出身の三姉妹によるグループです。 次にミルス・ブラザーズの「スイート・スー・ジャスト・ユー」。ミルス・ブラザーズは1930年代に黒人として初めて自身のラジオ番組を持ったグループです。コンテストに出場した時に、楽器(カズ―)を 忘れ、即興で口に手を当てトランペットの音をまねて演奏。それが非常に受けて、自分たちの持ち味となりました。このレコードを、今回初めてイベントで使用する電蓄で、聴いていただきました。この電蓄は当館 に寄贈いただいたものでコロムビア製、ラジオも聴くことができ、電気で動くのでハンドルを回す必要はありません。 最後の曲は最初と同じアンドリュー・シスターズで「素敵なあなた」。この曲は「ドナドナ」を作曲したショロム・セクンダの曲です。1937年に発売されると大ヒットしました。 今回もロイさんの楽しいトークで会場は大いに盛り上がりました。ロイさんはFM-N1でラジオのパーソナリティもしておられます。ご興味のある方は是非、聴いてみてください。 |
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| 令和4年11月12日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(12)~映画音楽特集~」 |
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今回は「映画音楽特集」でした。昭和初期から中期にヒットした映画音楽を取り上げて、世相と曲の紹介をしていただきました。 昭和24年、インフレにあえぐ日本経済の立て直しが急務とされ、緊縮財政策が実施されました。とりわけ国鉄に対しては約10万人近い空前絶後の人員整理が迫られていました。下山国鉄総裁は人員整理の当事者として労組との交渉の矢面に立っていました。この最中、国鉄三大事件と称される「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」の悲惨な事件が起き、ほかにも「庭坂事件」や「予讃線事件」など未解決の事件が次々に起こったのでした。 昭和15年、渡邊はま子の初ヒット「シナの夜」の大ヒット中に、東宝が同じ題名で映画化しました。その時の主題歌として作られたのが「蘇州夜曲」。服部良一は「軍歌は絶対に書かない」といっていたそうですが、この作曲にあたっては、中国へ行って蘇州や杭州の風景を賞でながら、このメロディを書き上げたそうです。この映画がヒットしたのも、一つにはこの主題歌の美しさにあったかもしれません。 昭和24年5月に長崎医科大学の永井隆博士が自らの体験をつづった「長崎の鐘」が出版されて空前の大ベストセラーとなりました。この曲は、同書をモチーフとした格調高い社会ソングで、藤山一郎の、こちらもまた格調高い歌唱がぴったりで聴く人の心を打ちました。これらのヒットを受けて、翌昭和25年、松竹が映画化したのでした。 |
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| 令和4年11月5日(土) 午後2時30分~ まだら模様のベートーヴェン 17 |
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紅葉が美しく映える秋晴れの、爽やかな日となりました。 まず、冒頭の館長の挨拶に、「今年度の金沢市文化活動賞に、田島さん、そして私も同時に受賞となり嬉しく思っている。」と紹介があり、お祝いの温かい拍手の中でコンサートが始まりました。 開幕の曲は、この日のメインであるベートーヴェンのピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」。彼のピアノの弟子の一人であるテレーゼ・フォン・ブルンスヴィックのために作られたそうで、田島さんは「べートーヴェンらしくない、こじんまりとした控えめな曲」という印象をもっているそうです。とても優しいメロディが冒頭から表れ、美しくのびやかな曲を楽しむことができました。 次はショパンの曲が続きました。初めの2曲はノクターンの第1番と第2番です。「ネット検索で〈秋らしいピアノ曲〉にノクターン第2番が1位に出ていたことと、第1番も良い曲なので。」との解説で演奏が始まりました。どちらもショパンが20歳位の若い時の作品で有名なものであり、甘美なショパンの世界が会場に広がりました。 恒例の田島さん選曲のSP盤レコード鑑賞は、往年のチェロの名手であるパブロ・カザルスとエマヌエル・フォイアーマンです。2人とも「ノクターン第2番」をチェロ用に編曲されたものの録音を残しており、聴き比べとなりました。ピアノとはまた違う表現や弦楽器特有の演奏技法もあり、SP盤独特の音色も重なって味わい深いものでした。 最後は「エチュードop.25より 第1番、第2番、第5番」です。ショパンの繊細で華やかな音楽が田島さんの演奏から伝わり、お客様はとても癒された気持ちになり会場をあとにされました。 |
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| 令和4年10月12日(土) 午後2時30分~ 絵本と童謡のコラボレーション ~秋の物語~ |
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今回のタイトルは「秋の物語」。天候は爽やかな秋晴れとはいきませんでしたが、イベントを心待ちにしていたお客様で客席が一杯となりました。 今回は秋をテーマとして、「秋の音」、「秋の色」など、様々な角度から童謡が紹介されました。また、「どんぐりのベリョータ」の絵本朗読の際に、先生の お孫さんが、福祉施設で作られたどんぐりのマスコットを客席に見せてまわると、かわいいアシスタントの登場に会場が一気に和みました。 秋の色として「赤とんぼ」の赤がありますが、先生が東日本大震災後に訪れた小学校で、たくさんの赤とんぼに出迎えられた話をされました。まだ見つから ない子供たちを探す活動が今も続けられているということで、少しでも人の温もりが感じられるように、親御さん達が裸足で校庭を歩き回っておられるというお話が印象的でした。 また、秋の音として、「あんたがたどこさ」が流れると、会場から手拍子が、「大きな栗のきのしたで」では皆でジェスチャーを、また「村祭り」などの童謡 では所々で歌を口ずさむ声が聞こえてきました。聴くだけではなく、体を動かして楽しむ会となりました。 最後は館長が締めくくりのご挨拶をいたしましたが、「唱歌というのは心にジーンと沁みますね」との言葉に、会場のお客様も大きくうなずいておられました。 |
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| 令和4年10月15日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(91) ~秋の風 名月を聴く 尾張町~」 |
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秋晴れの気持ちの良い1日でした。今回のタイトルは「秋の風 名月を聴く 尾張町」です。曲のタイトルにMOON(月)が入っている曲を選曲しました。 まずは、ベニー・グッドマン・カルテットによる「MOONGLOW」。1933年にウィル・ハドソンが自分の楽団のテーマ曲にと作曲しましたが、あまり評価されませんでした。 これを翌年、ベニー・グッドマンがレコードにして発売すると、大ヒットになりました。その20年後、ブロードウェイで「ピクニック」がこの曲を使いロングランとなり、 その後映画化もされました。 次に「AND THE MOON GREW BRIGHTER AND BRIGHTER」。1955年に映画「マン・ウィズアウト・ア・スター」(星のない男)で使用された曲です。 映画で主役を務めたカーク・ダグラスが歌も歌いました。ロイさんが一緒に働く大学の先生から聞いた豆知識によると、日本の映画「大魔神」はカーク・ダグラスがモデルと なっていて、顎が割れているのもそのためだそうです。カーク・ダグラスはアメリカを代表する映画俳優で、2020年に103歳で亡くなりました。 最後はグレン・ミラー楽団の「MOONLIGHT SERENADE」。1939年にグレン・ミラーにより作曲され、楽団の代表曲になっています。グレン・ミラーは1944年に飛行機 に乗ったまま行方不明となってしまいましたが、楽団は現在も世界中で活躍しています。 |
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| 令和4年10月8日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(11)」 |
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今回は昭和24年を取り上げて、世相とヒット曲の紹介をしていただきました。 まずは「トンコ節」、第2回のコロムビア・ニューフェイスの一員に選ばれた久保幸江のために、楠木繁夫との掛け合いで吹き込まれましたが、発売当初はさして話題になりませんでした。活況を呈していた炭鉱関係の宴席、 特に関西方面から盛んに歌われるようになり、昭和26年に加藤雅夫とのコンビで再レコーディングされると、お座敷歌謡の王座を占めたそうです。 昭和24年は戦後の混乱を象徴する「国鉄三大事件」といわれる「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」が発生しましたが、一方で湯川秀樹博士のノーベル物理学賞受賞が決定し、国民に明るい希望を与えた年でもありました。 この年からは、母もの映画が目立って作られるようになりました。「こんな女に誰がした…」でスターダムにのし上がった菊池章子が一転して歌った母ものが、「母紅梅の唄」です。三益愛子や三條美紀らが主演した母もの映画の主題歌が続々と作られました。 「青い山脈」のB面にカップリングされた、明るい純情ムードの美しい曲が「恋のアマリリス」です。はずむようなリズムが胸いっぱいにあふれてくるような曲で、「青い山脈」とともに若い女性たちの間で愛唱されました。 |
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| 令和4年10月1日(土) 午後2時30分~ 「モーツァルト室内楽の旅(35)」 |
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10月に入りましたが、晴れて日差しの強い暑い1日となりました。いつもは夜に行われることの多い大村さんのイベントですが、今回は昼間の開催となり、たくさんのお客様で賑わいました。 『モーツァルト最期の年、舞踏会の音楽 そして、1歳違いのヴィオッティの二重奏曲』とのサブタイトルで、主にモーツァルトが亡くなる最期の年に作曲された舞曲にスポットをあてました。 最初は「ドイツ舞曲、K.605-3 そり滑り 」です。原曲はオーケストラ用の舞曲で、モーツァルトは最期の1年となる1月から3月の間、ほとんど舞曲しか作曲してないそうです。 次に「メヌエットとレントラー、K.599、601、606」。メヌエットはフランス発祥の宮廷舞曲のひとつで、レントラーは農民たちの踊りが起源となっています。また、「レントラー K.606」は 京浜急行のホームで、列車が接近する時のメロディとして使われているそうです。 今回はアンコールでSPレコードを聴いていただきました。曲は最初に演奏した「ドイツ舞曲」で、ブルーノ・ワルター指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるものです。同じ曲を生演奏とレコードで 聴き比べていただくと、また違った趣があったのではないでしょうか。 今回も大村ご夫妻による息の合った心地よい演奏に、素敵な午後のひと時となりました。 |
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| 令和4年9月17日(土) 午後6時30分~ 「おしゃれにスタンダードジャズ(49)」 |
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3年ぶりの開催となった「金沢ジャズストリート2022」。前日の16日から、金沢中心部の会場ではJAZZが響き渡っていました。金沢蓄音器館もこの期間に合わせてのイベント開催となりました。 1曲目は、ジャック・レオナルドのSP盤「セプテンバー・ソング」、2曲目は堀さんの演奏で「オータム・リーブス」と続き、これから深まりゆ く「秋」を感じることができました。その他にも、堀さんの演奏による「ム-ン・リバー」やビリー・ジョエルの「素顔のままで」などのしっとりとし たムードの曲や、「君の瞳に恋してる」、SP盤「ロック・アラウンド・ザ・クロック」などのアップテンポで軽快な曲もあり、JAZZの幅広い表現を楽し むことができました。また、堀さんの体験談や楽しい解説に加え、お客様とのやりとりもあり、アットホームな雰囲気の中であっという間に1時間が 過ぎていきました。 当日、14:30からのイベントではロイ・キヨタさんによる解説でJAZZのSPレコードを堪能し、また、18:30からの夜の部では、堀 夏奈子さんに よる演奏となり、金沢蓄音器館はJAZZ一色に盛り上がった1日となりました。 堀さんの次回のイベントは、12月3日(土)14:30からの予定となっています。 |
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| 令和4年9月17日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(90)」 |
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3連休の初日となったこの日は、多くの観光客の方々で賑わいました。また、まちのあちこちでジャズを楽しめる金沢ジャズストリートも開催 されており、その一環として今回の「音盤の記憶」はタイトルが「JAZZ流るる、金沢の初秋。」と、ジャズの回となりました。 まずは、グレン・ミラー&ヒズ・オーケストラの「ムーンライト・セレナーデ」。1939年にグレン・ミラーが作曲し、全米ヒットチャートで 15週連続で3位以内に留まりました。以降、彼のバンドのオープニングテーマ、そしてエンディングテーマとして使用されたそうです。 次に、サム・テーラー&ヒズ・スキャット・メンの「ハーレム・ノクターン」。サム・テーラーは1916年生まれのサックス奏者です。 レコード録音の際の演奏者として重宝されましたが、名前が世に出ることはありませんでした。たまたま「ハーレム・ノクターン」が日本で 紹介され日本公演を行い、歌謡曲をサックスで演奏すると、それが受け『ムードテナーの帝王』ともてはやされ日本で大人気になりました。 1974年にはNHKの紅白歌合戦にもゲスト出演したそうです。 今回はたまたま立ち寄られた観光客の方々にもイベントを楽しんでいただき、ロイさんの楽しいおしゃべりと蓄音器でかけられるレコード の数々に、皆さん笑顔で会場を後にされました。 |
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| 令和4年9月10日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(10)」 |
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6月に続いて昭和23年の第2弾、この年は当たり年で、ヒット曲、名曲が雨後の竹の子のように続々と発売されたそうです。 まずは戦後最大のヒット曲「湯の町エレジー」、当時コロムビアレコードのディレクターだった林淳が、熱海でギターを抱えた流しとすれ違ったときに「湯の町のギター流しをテーマにした歌を作ってみよう」と思いたち、「湯の町ブルース」いうタイトルで作詞家の野村俊夫と作曲家の古賀政男に依頼しました。ところが出来上がったのは、ブルースというより、甘く切ないムードの典型的な「古賀メロディ」だったので、題名を「湯の町エレジー」として発売したのでした。その流行ぶりはすさまじく、この大ヒットを受けて、新東宝が映画化、歌手の近江俊郎自身が主演し、女優の山根寿子と共演しました。 この歌のB面にカップリングされたのが「雨の夜汽車」。A面のヒットの影に隠れて目立ちませんでしたが、次第に女性の間で愛唱され、NHKのど自慢で歌う人が増え、静かなブームとなった曲です。 この頃の日本ですが、アメリカの意向に沿う政府と体制を作ることで、「日本を共産主義に対する障壁」にしようと、GHQの政策は急速に右旋回を始めたのでした。 |
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| 令和4年8月27日(土) 午後2時30分~ 「絵本と童謡のコラボレーション ~夏の物語~」 |
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増田梨花先生の今回のイベントのタイトルは「夏の物語」。お客様には増田先生とお知り合いの方もいらっしゃって、なごやかな雰囲気の中でお話が始まりました。 今回は夏にちなんだお話ということで、夏の様々な風景が思い浮ぶような懐かしい童謡が選曲されました。曲は合唱曲もありましたが、最近は学校でも童謡を聴く・学ぶ機会が減っているのはとても残念な事だとおっしゃっていました。「夏は来ぬ」「夏の思い出」などの曲が流れると、思わず童心にかえり、客席から所々で一緒に歌を口ずさむ声が聞こえてきました。 また、「星の(世)界」については様々な歌詞のものがありますが、室生犀星記念館で以前のイベントで使われた曲が流されました。増田先生はキリスト教の学校に行かれていた際に、親友を亡くされ、その際にかけられ れた讃美歌バージョンについてお話されました。「歌は自分の歴史の中にある」という言葉がとても印象的でした。 「金沢は第2のふるさと」とおっしゃる増田先生は、東日本大震災のフィールドワークなど日本の各地で精力的に活動をされており、絵本と童謡を通した臨床心理のアプローチの一環としてイベントを開催されていらっしゃ るようでした。花火、山登り、海水浴など様々なテーマの曲の数々に、子供時代の夏休みに戻り、癒されたお客様も多かったと思われます。最後には大きな拍手が贈られました。 |
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| 令和4年8月20日(土) 午後6時30分~ 【金沢ナイトミュージアム】SP盤「タンゴと日本」 |
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元ビクターエンタテインメントのディレクター脇田信彦さんをお迎えしてのナイトミュージアム。昨年、新型コロナで休館したため中止されたイベントのリベンジです。脇田さんはビクターで洋楽一筋40年の実績の中で、タンゴの仕事も大きな割合を占めていたそうです。 まずはアルゼンチンタンゴといえば「ラ・クンパルシータ」。「ラ・クンパルシータ」といえば、フアン・ダリエンソ。超ハイテンポの演奏でアルゼンチンタンゴ界を驚愕させたというダリエンソにまずは敬意を表して、この楽団の最後のコンサート・マスターを務めたカルーソ・ラサリがディレクションしたヴァージョンでお楽しみいただきました。 次は「ラ・モローチャ」。意味は小麦色のお嬢さん。この曲もまたタンゴ界にエポック・メイキングな役割を果たしたそうです。アルゼンチンタンゴは、1870年代にブエノスアイレスのボカ地区という港町の労働者たちが楽しんだ音楽に始まりますが、1905年のこの曲は良家の子女たちがこぞって楽譜を買い求めて、ピアノを弾いて楽しんだというヒット曲。脇田さんはモーツァルトの時代に楽譜が売れたことでヒットがわかったのと同じ現象が20世紀にも起こったと感慨深く思われたそうです。 脇田さんは時代背景の解説と共に、ビクターの先輩たちから聞いた話や業界での当時の評価など実体験を交えてお話いただき、とても説得力がありました。 |
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| 令和4年8月13日(土) 午後2時30分~ SP盤「リンゴ忌」~美空ひばりを偲んで~ |
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6月24日は、美空ひばりの忌日。ヒット曲「リンゴ追分」から「リンゴ忌」と命名して、毎年6月恒例のイベントとして開催してきましたが、コロナ禍のため今年は8月の開催となりました。 ひばりデビューから晩年までの生涯をエピソードを交えて解説していただきました。 昭和12年、横浜市磯子区の魚屋の娘として生まれ、9歳にして銭湯の仮設舞台でデビュー。NHKの「素人のど自慢音楽祭」に出場して「悲しき竹笛」を歌うも、あどけない顔した少女が大人の情緒を表現して、子どもらしくないと鐘一つ鳴らなかったそうです。 昭和24年、コロムビア文芸部長の伊藤正憲に認められ、コロムビアの専属になって生まれたのが「悲しき口笛」です。ひばりの燕尾服姿の写真がアメリカの雑誌「ライフ」に掲載され、これが機縁となって、50年にアメリカ本土で公演して、満員の大盛況でした。 昭和27年、歌謡曲の歌手が初めて歌舞伎座で公演したのが、あと一か月で15歳になるという少女のひばりでした。その舞台で披露されたのが「リンゴ追分」で、この歌はひばりが出演したラジオの連続放送劇「リンゴ園の少女」の挿入歌として作られたものでした。ラジオドラマも歌も評判になって、ひばり主演の映画化もされました。 平成元年6月24日、かんしつ性肺炎のため永眠。享年52歳の若さでした。毎年「リンゴ忌」にはこの葬儀のもようが語られ、会場のみなさんに感動を与えています。 |
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| 令和4年7月22日(土) 午後6時30分~ SP盤「大相撲名古屋場所をむかえて」~相撲実況のエピソードとともに~ |
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元NHKアナウンサーの水谷彰宏さんをお迎えしてのナイトミュージアム。水谷さんが今回のテーマに大相撲名古屋場所を取り上げたのは、初めて担当した相撲放送が昭和63年の名古屋・夏場所だったからだそうです。 まずは石川県ゆかりのレコードの紹介から。中島孝と山中出身の歌手浅草ゆめ子の歌で「お相撲さん節」を聴きました。このレコードについては館長から紹介しました。作詞は金沢出身の梅木勝吉ですし、歌手の浅草ゆめ子は、山中温泉の芸妓で山中節の歌い手だった柳香です。 館長は山中節保存会から当館所蔵のSPレコードの中から様々なヴァリエーションの山中節を後世に遺したいとの依頼を受けてCD「山中節アンソロジー」を作り、その中にはもちろん柳香の歌った山中節も納められたことなどを紹介しました。 水谷さんは東京の上野の草履屋の生まれで、母親の実家が両国だったため、子供のころから相撲や演芸が身近にあったそうです。相撲放送の黎明期のエピソードのご紹介のほか、水谷さんの初めての実況では、緊張して当日の気温が平均気温より4.7度高いというべきところを、勝敗が4勝7敗ですと語ってしまったという失敗のエピソード、相撲ネタの浪曲では関西の天中軒小雲月と関東の廣澤虎造では語り口に違いがあり、それを真似てくださるなど、実演を交えてのメリハリのある軽妙なトークで、会場は和やかな笑いに包まれました。 講演後はお客様から次々に質問が出て、水谷さんとの交流も進みました。 |
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| 令和4年7月16日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(89)」 |
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今年は6月末から暑い日が続き、早い夏の訪れとなりました。今回は「想いは遥か、夢のハワイへ」と夏にぴったりのタイトルです。 全曲ハワイアンソングで、最初にロイさんからハワイアン音楽についての説明がありました。本来ハワイアン音楽は男性が演奏し、女性はフラ ダンスなどの舞踊を行うという分業制だったので女性歌手は存在しなかったそうです。日本では戦後米軍が持ち込み、外来音楽の一つと解釈され、 男女関係なく歌われました。 まずはジョニー・ノーブル&ヒズ・ハワイアン・ミュージックの「ワイキキよいとこ」。ジョニー・ノーブルはハワイ生まれのドラム奏者でハワイ アン音楽を世界に広めたうちの一人です。アメリカ作曲家作家出版協会(ASCAP)に初のハワイ人音楽家として表彰されました。 次にハワイアン ・アイランダーズの「スイート・レイラニ」。1934年、ネブラスカ州出身のハリー・オーウェンスが自分の娘の誕生祝に作詞 作曲しました。この曲を親友だったビング・クロスビーがハワイで耳にして感動し、1937年の映画「ワイキキの結婚」に使用しました。「レイ ラニ」とはハワイの言葉で「美しい娘」の意味だそうです。 最後は、テディ・スタウフェル&ヒズ・オリジナル・テディーズの「アロハ・オエ」で締めとなりました。 次回の「音盤の記憶」は8月はお休みとなり、9月に開催予定です。 |
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| 令和4年7月2日(土) 午後2時30分~ 「まだら模様のベートーヴェン(16)」 |
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記録的な短さで梅雨が終わりました。この日も暑い中、田島睦子さんのピアノ演奏を堪能しようと、多くのお客様がお越しになりました。 プログラムはベートーヴェンのピアノ・ソナタから第7番と第8番「悲愴」の2曲。田島さんの選曲理由は「7月なので第7番を。そし て続く第8番も入れ、2曲の違いを楽しんでほしい。また、2曲ともベートーヴェンが28歳頃の若い時期の作品です。」ということでした。 先ず、第7番は全4楽章からなる作品で、元気な雰囲気の第1楽章、続く第2楽章は物悲しい旋律の音楽となるなど、色々な表現が楽しめ ました。 次は恒例のSP盤の鑑賞で、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第1番より第2楽章。田島さんが推すように、とても美しい旋律の曲で した。ベートーヴェンはヴァイオリンとピアノが対等に渡り合うよう意図して作曲したという解説も入り、クライスラー(ヴァイオリン)と ルップ(ピアノ)の名手によるSP盤で鑑賞しました。 最後の演奏は、ベートーヴェンの3大ピアノ・ソナタのひとつである「悲愴」。この「悲愴」というタイトルは、ベートーヴェンが初めて自 分の曲につけたものであると説明がありました。第1楽章の重々しい音楽、第2楽章のとても美しい旋律や和音など、ベートーヴェンの代表的 なピアノ作品を、田島さんの素晴らしい演奏を通してお客様に楽しんでいただきました。 次回の田島さんのイベントは、11月5日(土)を予定しております。 |
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| 令和4年6月25日(土) 午後2時30分~ 「おしゃれにスタンダードジャズ(48)」 |
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コロナ禍でイベント会場の人数制限も緩和されるようになり、30名以上の多くのお客様にお越しいただけるようになりました。堀さんも開口一番に「久しぶりに多くのお客様の前で歌うことができ、とてもうれしいで す。」と話されていました。 1曲目は「ブルー ムーン」。この曲はその昔、堀さんが演奏活動を全国に展開しようとした際の、売り込み用デモテープに入れた1曲だそうです。 美しい旋律のイントロから始まり、私たち聞き手を一気にムードある心地よい「ジャズの世界」へと導いてくれました。 ポール・アンカやフィッツジェラルドとアームストロングのSP盤、また、 「フィーリング」や「イフ ユー ラブ ミー」(邦題:愛の讃歌)など、日本語訳となって流行した曲も披露してくれました。原曲の歌詞と日本語訳との違いについても楽しい雰囲気で説明してくださり、既知の曲がなに か新しい感覚で聴くことができたのではないでしょうか。 当日は蒸し暑い日となりましたが、SP盤による往年の名曲の数々、そして何よりも堀さんによる軽妙なトークと素敵なジャズの音楽が暑さを忘れさせ、また、私達の日々の生活に彩を加えてくれるような感覚を持たせて くれました。 次回の堀さんのイベントは、9月中旬を予定しております。 |
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| 令和4年6月18日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(88)」 |
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梅雨に入り、雨は降りませんでしたが、朝から蒸し暑い一日でした。前回の女性ボーカリストを集めた特集に続き、今回は男性ボーカリストの特集です。 まずは、ペリー・コモの「パパはマンボがお好き」。1912年にイタリア系のアメリカ人の家庭に生まれました。フランク・シナトラと並ぶ大物エンターティナーで、全米No.1となった曲が14曲。理髪店の見習いをしていた時に、コンクールで優勝し『歌う床屋さん』として有名になりました。誠実で品行方正な人柄で、マフィアとの関係を嫌いカジノでの公演を拒否し続け、条件の良いレコード会社に移籍する0のが常識だった中で、40年以上レコード会社を変えませんでした。 『ペリー・コモ・ショー』は16年のロングランとなる国民的番組で、日本でも放送され人気を呼びました。享年88歳。 他には、エルビス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」。1950年代、若者をロックンロールで熱狂させ、ギネスブックに『史上最も成功したソロアーティスト』として認定されています。1977年、自宅にて42歳の若さで亡くなりました。 今回も名曲の数々と、ロイさんの楽しいトークで、お客様も大満足で帰られました。次回は7月16日となります。 |
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| 令和4年6月11日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(9)」 |
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「昭和23年」。始まりは笠置シズ子の「東京ブギウギ」、舞台を走り回り、踊りながら吠えるように歌う姿は衝撃的だったそうです。 政府は、前年に「保障金融公庫」を設立しインフレ克服を目論んだものの、昭和23年には戦時補償を打ち切り、代わりに復興融資と称して大量の資金を企業に貸し出した。中でも昭和電工には政界工作による巨額資金が流れて贈収賄が疑われた。警視庁の捜査が始まると、昭電はモミ消し工作を始め、政界有力者に多額の資金が流れた。芦田内閣は総辞職に追い込まれ、大疑獄事件として連日報道されたのでした。 第1曲目は平野愛子の低くつぶやくような歌唱が哀感をそそった「君待てども」、当時は敗戦後の暗い世相を反映して、失恋の歌が多く作られました。この歌も、恋が成就しない孤独感を歌ってたちまち人々の心をとらえ、大ヒットになりました。戦場からまだ帰らない夫や恋人、戦災で別れ別れになった肉親などに置き換えられ、広く愛唱されました。この歌の人気に乗じて、松竹が映画化し、主題歌にもなって、ヒットに拍車をかけたのでした。 昭和23年は名曲が量産された当たり年だそうで、今回1回だけでは紹介しきれないとのことで、2回にわたってこの年のヒット曲をご紹介します。 |
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| 令和4年6月5日(日) 午後2時30分~ 「モーツァルトにショパン、心地よい音楽でちょっと一息を」 |
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百万石まつり最終日、今年は晴天に恵まれ爽やかなコンサート日和となりました。3年ぶりの竹澤さんの蓄音器館でのコンサートに早くから予約も満席となり、当日も問い合わせのお電話が何件もありました。 今回のテーマは「心地よい音楽でちょっと一息を」でしたが、明るく軽快なモーツァルトに、優しい曲調のショパン、モンポウなどバラエティに富んだ演奏の数々に観客は熱心に耳を傾けていました。 今回のイベントのハイライトは、テノール歌手ベンジャミノ・ジリーの「アベ・マリア」のSPレコードと竹澤さんのピアノの共演でした。使用したのは蓄音器の王様「クレデンザ」。雑音を防ぐために上の蓋を閉める、針の太さを替える、蓄音器の位置を変えるなど館長が細心の注意を払っての演奏となりました。竹澤さんからは、「SPレコードによるCDとは違った血の通った声」と評されたジリーの力強い歌声と、竹澤さんの優雅なピアノの音という何十年もの時間を超えての夢のコラボレーションに観客から大きな拍手が贈られました。 最後はアンコールにこたえ、プログラムの中から「ジプシーの踊り」が再度演奏されました。演奏後も竹澤さんとお話されたい方、お写真を撮りたい方の列ができ、「名残おしい」、「次回も心待ちにしている」との声があがりました。 |
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| 令和4年5月28日(土) 午後2時30分~ 「蓄音器 不思議の音色」~金沢蓄音器館開館20周年記念イベント~ |
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| 当館は令和3年に開館20周年を迎えましたが、コロナの感染拡大に配慮し、年度をまたいで記念イベントを開催しました。 1Fホールでは、昨年10月に古賀政男音楽博物館にて実施した飯田久彦名誉館長と八日市屋館長の記念対談の記録映像を上映しました。 記念イベント冒頭に、飯田久彦の大ヒット曲「ルイジアナ・ママ」の懐かしいEP盤をかけ、飯田氏が当館の名誉館長であることを紹介して、この任をご承諾いただいた経緯を説明しました。そして、開館20周年を記念して、『蓄音器 不思議の音色』を上梓し、今日はその中から、いくつかの内容の紹介とそれにまつわるSPレコードをかけて楽しんでいただきたいと挨拶しました。 次は、記念誌冒頭に記された横浜のお客様のエピソードにちなんで、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」をかけました。この出来事をきっかけに館長はブログを書き始め、書き溜めたブログの一部をこの記念誌に掲載したのでした。この後もエピソードにまつわる曲をたのしんでいただき、客席からも相槌の声が飛び交って、同窓会のような和やかな雰囲気になりました。 富山のお客様から記念誌の反響が届いています。亡くなったお父様は立山連峰のようにいつもそこに在る優しい存在であったそうです。当館もこれからも変わらず在り続け、未来へつないでいきたいと閉幕の辞にかえました。 |
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| 令和4年5月21日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(87)」 |
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今回は「DIVA饗宴 百花繚乱」というタイトルで、女性ボーカリストを集めました。 まずは1907年5月1日生まれのケイト・スミスで『トゥー・ラ・ルー・ラ・ルー・ラル』。彼女は4歳まで言葉を話せない子供でした。8歳のころ教会の聖歌隊で歌うリハビリで、言葉が話せるようになったそうです。19歳でレコードデビューをし、ラジオを中心に人気となります。「ファースト・レディ・オブ・ラジオ」、「南部の歌う鳥」との愛称もあります。79歳で亡くなりました。 次にヴェラ・リンの『恋人よさようなら』。1917年3月20日生まれで103歳で死去。戦時中各地で慰問コンサートを開いており「イギリス軍の恋人」と称されました。1959年には女王陛下から大英帝国勲章を授けられ、20世紀英国で最も敬愛された女性歌手です。2009年、92歳で発売したベストアルバムのCDが全英1位になり、最高齢のアーティストの記録を樹立します。2017年に100歳の誕生日を記念して発売したニューアルバムもヒットチャート1位となりました。 今回は生年月日順に曲を紹介し、没年齢にも注目してみました。 今月からコロナによる人数制限が緩和され、より多くのお客様にイベントを楽しんでいただけるようになりました。 |
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| 令和4年5月14日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(8)」 |
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「昭和22年」。始まりは「港が見える丘」、平野愛子のアルトのふくよかな声を楽しみました。東辰三の代表作のひとつで、詩と曲が同時に浮かんで、五線譜にペンを走らせるという天才肌の作者だったそうです。 この年、日本大学の古橋広之進が400メートル自由形で世界新記録を達成。同じ日本大学の橋爪四郎と二人で、泳ぐたびに記録を更新。“フジヤマのトビウオ”といわれました。当時は食糧難の時代で、二人からは「ちゃんとしたものを食べればもっと早く泳げる」との談話も聞かれたそうです。 第1曲目はNHKのラジオ・ドラマ「音楽五人男」を東宝が映画化した時の主題歌として作られた「夢淡き東京」。曲は短調から長調へ、そしてまた短調へと転調するユニークな古賀メロディを、藤山一郎が口ずさむようにさわやかに歌い、その歌声はスクリーンから飛び出して、焼け跡の街へ、明るく元気づけるように流れたのでした。 戦争が終わって軍歌は追放され、音楽の世界にも虚脱状態が残っていた時代に、NHKが力を入れた「ラジオ歌謡」が、大衆に健康な息吹を与えました。 今月も野脇さんの名調子で語られる音楽談義で、昭和22年の歌謡曲を楽しみました。 |
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| 令和4年5月5日(木・祝) 午後2時30分~ SP盤「絵本と童謡のコラボレーション」 ~春風にのって~ |
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増田梨花先生の今回のイベントのタイトルは、「絵本と童謡のコラボレーション~春風にのって❣~」でした。増田先生が「ウクライナの国旗」をイメージした素敵なロイヤルブルーのドレスで登場されると観客から大きな拍手が挙がりました。先生の教え子の方も参加され、にぎやかに会が始まりました。 今回は、色々な方々の母や父、祖母や祖父などの家族との思い出話と童謡が織り交ざり、観客の心を打つようなイベントとなりました。また、久々に聞く有名な童謡の数々に童心に返ったような懐かしさを覚えました。 先生ご自身の思い出として、「大きなのっぽの古時計」にまつわるエピソードで、お母さまに贈られた時計が、なくなられた時刻で止まったというお話が印象的でした。また、アシスタントで本読みに参加された中野さんからは、とても可愛がって下さったおばあ様との思い出として「くつがなる」の曲がかけられました。 さらに、先生の音楽の原点として、童謡による歌遊びのお話があがりました。「ずいずいずっころばし」や「花いちもんめ」などの伝承童謡には意外な意味があるとの事でした。 イベントの最後は5月5日にふさわしい「鯉のぼり」の曲でした。先生もお仕事で深くかかわったという東日本大震災の復興。その鎮魂のための「青い鯉のぼりプロジェクト」でお話が締めくくられました。童謡と家族の思い出という過去から復興という未来まで、幅広いお話に観客は熱心に耳を傾けていました。 |
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| 令和4年5月1日(日) 午後2時30分~、午後4時30分~ 風と緑の楽都音楽祭2022 ロマンのしらべ ~金沢が浪漫に染まる~ |
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風と緑の楽都音楽祭2022・金沢蓄音器館サロンコンサートの第二弾。今回は、ピアノ・二胡・テノールの三重奏と全く新しいスタイルのコンサートとなりました。 最初は清水さんのピアノの独奏から始まりました。軽快で「踊るような」と表現されたシューベルトの曲に観客の方々は熱心に耳を傾けておられました。また、高柳さんがドイツ語で「詩人の恋」を歌うと、力強い歌声に魅了されました。さらに、前回、フルート・ピアノで演奏された「歌の翼に」。今回テノールと二胡の演奏でしたが「ロマンのしらべ~金沢が浪漫に染まる~」のテーマにふさわしいハーモニーに沸き立ちました。 また、曲間に演奏者によるご挨拶と作品解説がありました。李さんはとても流ちょうな日本語で、竹久夢二作詞の「宵待草」の解説をされ、二胡のための曲「万馬奔騰」を披露されました。「二胡の音色が蓄音器館にとても合っています。お客さまも温かくて、とてもよいコンサートでした。」とおっしゃっていたのが印象的でした。 この日は当館の館長の誕生日で、最後にサプライズでハッピーバースデ-の三重奏が演奏されると、お客さまから大きな拍手が贈られました。 |
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| 令和4年4月24日(日) 午後2時30分~、午後4時30分~ 風と緑の楽都音楽祭2022 ロマンのしらべ ~金沢が浪漫に染まる~ |
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恒例となりました風と緑の楽都音楽祭・金沢蓄音器館サロンコンサート。今年も予約開始時から電話が鳴りやまず、当日も早くからお越しになるお客様もいらっしゃって、曲が始まる前からお客様のうきうきと楽しみな感じが伝わってきました。 今年のテーマは、ロマンのしらべ~金沢が浪漫に染まる~。フルートの伸びやかな音にピアノの軽やかさが重なり、タイトルにふさわしい甘美な曲の数々に魅了されました。2曲目はピアノの山田さんによる独奏でしたが、あまりに巧みな演奏に、思わず多田さんから「一体、指が何本あるんですか‼」と感嘆の声が上がりました。 また、合間には演奏曲の紹介もされましたが、誰もが知っている有名曲、作者についての説明がされると皆様、熱心に耳を傾けておられました。フルートの曲で有名な「アルルの女」。練習曲やコンクールでよく耳にする曲で、この曲に憧れてフルートを始める方も大勢いらっしゃるそうですが、音域が広く、「実は難しい曲です」ということでした。 最後はアンコール曲で締めくくられ、大きな拍手が贈られました。多田さん、山田さん、息もぴったりの演奏とトークで、楽都音楽祭の素敵なオープニングの会となりました。 |
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| 令和4年4月16日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(86)」 |
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桜の見頃も終わりを迎えましたが、肌寒い一日となりました。今回のタイトルは「銀幕の彼方から、チャップリン生誕祭」でした。イベントのあったこの日、4月16日は英国出身の喜劇王チャップリンの誕生日で、今年で生誕133年目にあたります。これを記念して今回は映画音楽特集をお送りしました。 まず1曲目はビクター・ヤング・オーケストラの「テリーのテーマ」。この曲はチャップリンが監督・主演を務めた映画『ライムライト』のテーマ曲で、自身で作曲もしました。『ライムライト』は1952年のアメリカ映画で、チャップリンがお金に困っていた朋友、バスター・キートンを救うために彼を起用し制作しました。チャップリンが長編映画で初めて素顔を出した作品でもあります。 同じくビクター・ヤング・オーケストラの「エデンの東」。こちらは1955年公開の映画『エデンの東』の主題歌です。聖書をモチーフにした物語で、監督は名匠エリア・カザン。悩める主人公の役をジェームズ・ディーンが演じました。ジェームズ・ディーンは当時24歳でこの映画がデビュー作品です。その後『理由なき反抗』、『ジャイアンツ』に出演し爆発的な人気を得ましたが、自動車事故によって24歳の若さでこの世を去りました。 ロイさんの映画解説と共にかけられる懐かしい映画音楽の数々に、時間はあっという間に過ぎてしまいました。 |
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| 令和4年4月9日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(7)」 |
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始まりは、昭和19年の「特幹の歌」。藤原義江の声量豊かな声で始まりました。「特幹」とは陸軍特別幹部候補生のことで、昭和18年に旧陸軍が作った制度のもと、短期に下士官として養成された若い特幹の意気込みのこもった歌だそうです。 「昭和19年」。未婚女性は軍需工場へ動員され、大学や高等専門学校の軍事教練が強化されます。国民学校生徒は集団疎開、国技館は風船爆弾工場に接収され、夏場所は後楽園球場で開催されました。神風特攻隊が初めて出撃し、東京もB29に初めて空襲を受けるという時世でした。 第1曲目は日本放送協会の依頼で作られた明るいマーチ・テンポの曲で「勝利の歌」。このB面の「今ぞ召されて」ですが、これを歌った霧島昇に召集令状が来た直後にレコーディングされたもので、霧島は赤紙を片手に「晴れのお召しを 受けたる夜は 月もまん丸 気もほがら……」と歌ったそうです。 少国民文化協会が学童疎開中の子供たちを元気づけるためとして「小国民歌歌詞」の懸賞募集を行い、サトウハチローが補作して第一席となった曲が「お山の杉の子」。戦意高揚の歌のため終戦後は封印されましたが、サトウハチローが歌詞を改訂して復活させ、復興の歌として全国各地の植樹祭の曲となりました。 今月も野脇さん幼少期の実体験を交えての音楽談義で、大戦末期から終戦直後までの昭和歌謡を楽しみました。 |
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| 令和4年4月2日(土) 午後2時30分~、午後4時30分~ まだら模様のベートーヴェン(15) |
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桜が咲き初め、春のやわらかい日差しを受けて、「まだら模様のベートーヴェン(15)」の開催となりました。コロナ対策として定員が18名に制限されているため、これまでたくさんの申し込みをいただきながらもやむをえずお断りすることがありました。今回、何とかお客様のご要望に応えたいと、田島さんにお願いし2回公演を実現できました。 まずはグリーグの抒情小曲集の中から、「アリエッタ」と「余韻」。これは、グリーグ、20~50歳の間に作られた66曲の小曲集の中から演奏してくださったものです。 メインのベートーヴェンはピアノソナタ第5番。ベートーヴェン、25歳の時の作品。当時のウィーンではソナタは4楽章形式が主流だったそうですが、ベートーヴェンはこの第5番で初めて3楽章形式にチャレンジし、有名な第8番「悲愴」のミニ版のように凝縮されているそうです。またハ短調の調性は交響曲第5番の「運命」と同じで、この調性にはベートーヴェンの思いが込められているのではないか、とのことです。 インターバルには田島さん選曲のSPレコードを楽しんでいただきました。館長からもSPレコードの吹込み方について解説がありました。当初はラッパ吹込みでしたが、後にマイク録音となり音質が劇的に改善されたそうです。 田島さんらしい訥々とした口調で作曲家や作品の解説が伝えられ、今日も和やかな会となりました。 |
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| 令和4年3月19日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(85)」 |
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今回のタイトルは「春はやさしや、歌までも」と春の歌を集めました。 1曲目はアル・グッドマン楽団の「春の声」。この曲は1882年にヨハン・シュトラウス2世が作曲したものです。当時3度目の結婚で、味わっていた幸福感や喜びが、曲想に反映されたという説があります。 次に、ジャン・ソルビエの「スミレの花咲く頃」。原曲は、作曲家のフランツ・デーレが1928年に発表しました。パリに滞在中の宝塚歌劇の演出家が、この歌を大いに気に入って日本に持ち帰り、自ら日本語の詞をつけて劇団で使用しました。原曲のタイトルは「白いリラの花がまた花咲くとき」となっていますが、この頃はまだリラ(英語ではライラック)の花が、日本人にはあまりなじみがなかったため、スミレにしたそうです。宝塚歌劇団を象徴する歌として知られています。 最後はマレク・ウエーバー管弦楽団による「春の歌」。メンデルスゾーンが1842年に作曲しました。冬は鉛色の空が広がるドイツやオーストリアの人々にとって、春の訪れは心の底から待ち遠しいものです。「春の歌」には春の訪れを喜び、春らしさを感じさせる演出が散りばめられています。 外は雨の降る肌寒い一日でしたが、ロイさんの楽しいトークと春の歌の数々に、会場はあたたかい雰囲気に包まれました。 |
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| 令和4年3月18日(金) 午後6時30分~ 「モーツァルト室内楽の旅(34)」 |
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今回のモーツァルト室内楽の旅は、2年4ヶ月ぶりに開催されました。 ほころび始めた梅の花が、また蕾んでしまうほど、雨模様の肌寒い夜のイベントとなりましたが、大村さんの熱心なファンの方々が参加されました。 コロナウィルスの感染拡大も終息しそうな気配ですが、今尚参加人数も制限されているにもかかわらず、大村夫妻のバイオリンデュオの演奏をお客様は、静かにモーツァルトの楽曲を堪能されたと思います。 ウィーン・ソナチネときくと、ピアノの楽曲を思い浮かべる方も多いと思います。この曲はTV番組の「いきなり黄金伝説」のBGMに使われていて、馴染みのある明るい曲でした。今回は、バイオリン用にアレンジしてあり、またピアノとは違う雰囲気がありました。 次の12曲のバイオリンデュオは、4曲づつ演奏され、とてもリラックスして聴ける曲で大村夫妻の演奏もぴったりと合っていました。 メインディッシュとなる最後の曲は、誰もが一度は耳にしたことがある「トルコ行進曲」でした。この曲もバイオリン用にでアレンジされ、蓄音器館ならでの貴重な演奏となりました。 アンコールは、蓄音器館恒例である、天才作曲家ディヌ・リパッティのピアノソナタをクレテンザーで鑑賞しました。 2台のバイオリンで演奏するモーツァルトの楽曲は、とても聴きごたえがあり、大村夫妻だからこそ安心して聴けたことに、お客様は大変満足された様子で蓄音器館を後にされました。 |
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| 令和4年3月12日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(6)」 |
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始まりは、昭和18年の「銀座尾張町」。東海林太郎のはりのある声で始まりました。京橋から新橋までの銀座通りは当時4丁目までしかなく、銀座にあった旧尾張藩藩邸にちなみ、このように呼ばれたそうです。 「昭和18年」。最前線ガダルカナル島は飢餓の島と化し、北太平洋ではアッツ島が玉砕して果てたにも拘わらず、大本営はその圧倒的敗北を隠蔽したのでした。他方で、国民もまた非国民といわれないように竹槍で藁人形を刺す訓練をし、10万人とも推定される学徒たちが過酷な戦地に送り出されました。上野動物園では猛獣たちが毒殺され、銀座の街路灯は鉄材に、成田山新勝寺の巨木は船材に供出されました。 第1曲目は「南国の夜」。「戦時歌謡」と称される曲の中でも、戦線が南下したことで南方を題材にする曲が増えていきました。兄の灰田晴彦がビクター専属となった縁で、歌手灰田勝彦が誕生しました。灰田勝彦はハワイ・ホノルルの生まれで、ハワイアンやヨーデル、流行歌で一世を風靡し、映画俳優としても華々しく活躍しました。 軍の検閲が厳しく国威高揚調の曲ばかりが提供される中でも、国民はワルツ調の「故郷の白百合」や映画音楽の挿入歌「青い牧場」などに心の安息を求めていました。 なお、新型コロナ対策として今月も歌詞の紹介を自粛しました。 |
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| 令和4年2月26日(土) 午後2時30分~ 「おしゃれにスタンダードジャズ(47)」 |
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今年度、3回目となりましたスタンダードジャズ。ようやく春の兆しがみられる暖かい日となりました。今回のメインテーマは「アカデミー賞を受賞した映画音楽」で、誰もが聴いたことのある有名曲が年を追って紹介されました。 イベントの1曲目は1939年受賞の「Over the Rainbow」、続いて「星に願いを」がピアノ・歌で演奏されました。堀さんいわく、時代が変わっても色あせないのが、ディズニーの音楽の素晴らしさとのことでした。 また、ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」は、「金沢弁でいうと、『なんとかなるわいね!』という意味です。」と説明されると、会場は笑いの渦に包まれました。 さらに時代を追って60年代の映画から、堀さんが大好きだという「ティファニーで朝食を」の「ムーンリバー」、「カサブランカ」から「As time goes by」が演奏されました。曲が流れ始めると、昔のハリウッド映画の世界にタイムスリップしたような感覚になりました。 今回は懐かしい曲もたくさん演奏され、ユーモアを交えた映画の解説や思い出話にも花が咲き、満員の観客を魅了しました。 次回は6月下旬を予定しております。 |
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| 令和4年2月19日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(84)」 |
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今回は「コロナ明けたら旅した~い」というタイトルでした。コロナ禍でなかなか旅行にも行けない中で、レコードを聴いて皆さんと世界旅行の旅に出たいという内容です。 まずはロンドンからと、ジョー・スタッフォードの「霧のロンドンブリッジ」。以前、このロンドンブリッジはタワーブリッジのことです、と解説しましたが、実はタワーブリッジの上流、西側1km地点にある何の変哲もない橋のことだったそうです。当時、ロンドンの霧(スモッグ)は有名でした。石炭暖房による明らかな公害で年間12,000人が亡くなったと言われています。 他には、パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」。当時駆けだしだったパティ・ペイジはバックコーラスを雇う予算がなく、仕方なく自分の声でコーラスをつけました。これが目新しく、大ヒットします。あまりの人気にテネシー州は1956年、この曲を公式に第4の州歌と決定しました。 音楽で世界を巡り、最後はビクター・サロン・オーケストラの「ア・ジャパニーズ・サンセット」で日本に戻って来ました。「旅行に出かけて家に帰ってくると、あぁ、やっぱり家が一番いいなぁと言ってしまいますね。」とのオチがつき、締めとなりました。 |
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| 令和4年2月12日(土) 午後2時30分~ SP盤「時代を飾った歌物語(5)」 |
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会の始まりの序曲は、昭和16年にラジオ放送で発表された国民歌謡「朝だ元気だ」で、柴田睦陸と藤原亮子のはつらつとした声で始まりました。レコード発売は昭和17年2月で、今回は戦局押し迫った昭和17年にヒットした曲の紹介です。 当時、戦線は拡大するばかりで、ラジオのマイクロフォンの前に立つ東条英樹首相は「皇軍各地に転戦、連戦連勝まことにご同慶のいたりであります」と報告して国民を酔わせたのも束の間、3月には東京は空襲に遭い、6月太平洋ではミッドウェー海戦で大敗を喫するのでした。衣料はすべて切符制となり、庶民の生活はいよいよ逼迫したことが、野脇さんの実体験を交え、名調子にのせて語られました。 第1曲目は「空の神兵」。太平洋戦争蘭印作戦中、奇襲落下傘降下作戦を敢行し戦果を挙げたことで、この落下傘部隊に対して「空の神兵」の愛称がつけられたそうです。 世相を反映して軍国調の強い曲が多くヒットしたこの年でも、さわやかなタッチの「高原の月」は大変喜ばれました。霧島のぼると二葉あき子が水を得た魚のように、のびのびと歌っています。 新型コロナ対策として、金沢市でも蔓延防止対策がとられていますので、今月は歌詞のご紹介を自粛しました。 |
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| 令和4年1月22日(土) 午後2時30分~ 「まだら模様のベートーヴェン(14)」 |
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大都市では新型コロナ、オミクロン株が猛威を振るう中、「まだら模様のベートーヴェン(14)」を無事開催することができました。ファンの方から大きなアレンジメントの花が届き、ホールは春めいた色に華やぎました。 田島さんは着席するとすぐに今日のメイン曲、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番を弾き始めました。ベートーヴェン中期、「熱情」や「ワルトシュタイン」などの名曲よりも前に書かれた作品です。作曲家は王侯貴族に音楽を献呈するのが常であった当時、ベートーヴェンはこのころ自分の世界を描くために音楽を創ろうと決意して、その気持ちがこの曲には表れているそうです。音大受験の課題曲としてよく取り上げられるので、受験対策として練習していたころは、この曲のよさがわからなくて、どこがいいんだろうと思っていたけれど、年を重ねてきたら、楽しく弾けるようになってきたとのことです。 次は20世紀に活躍したプーランクの作品。プーランクの曲は何かのパロディなのかなと思わせる部分があったり、きれいな音だなと感じるところがあったりで、その行ったり来たりの移り変わりが弾いていておもしろいそうです。 田島さんらしい訥々とした口調で作曲家や作品の解説が伝えられ、今日も和やかな会となりました。 館長の挨拶にもあったように、第14回を迎えたこの会をこれからも継続していきますので、今後もおたのしみいただきたいと思います。 |
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| 令和4年1月15日(土) 午後2時30分~ SP盤「音盤の記憶(83)」~SP盤・レコードと呼ばれた音盤の物語~ |
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2022年、最初のイベントでした。「みんなでハッピー&ラッキー」と、年明けにふさわしい、おめでたいタイトルです。 1曲目はオープニングにふさわしく、レス・ポール楽団&メアリー・フォードの「世界は日の出を待っている」。多くのアーティストがカバーしていますが最も売れたのが1951年に発売された、このレス・ポールとメアリー・フォードの盤でした。 他にも、「マイ・ナンバー・ワン・ドリーム・ケイム・トゥルー」、「ハウ・ラッキー・ユー・アー」、「オー・ハッピー・デイ」、「ハピネス・ストリート」とタイトルを聞いただけでも楽しく元気がでるような曲が続きます。 「ハピネス・ストリート」は、パーシー・フェイス楽団&トニー・ベネットの盤でした。トニー・ベネットは1926年生まれで、長年に渡り、自身の喉を酷使しないよう、発声や生活習慣に配慮しているそうです。2011年にレディ・ガガと共演した曲が全米1位となり、初登場1位の新記録を打ち立てました。現在95歳です。 あっという間に1時間が過ぎ、最後にロイさんは「今年もハッピーでラッキーな年になるといいですね。今年もよろしくお願いします。」と挨拶されました。 |
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