「きずく×きづく 鈴木大拙館⇆金沢建築館」
時をめぐる/時はめぐる
当館と同じ建築家が手掛けた
「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」との
年に一度のコラボイベント「きずく×きづく」を実施しました。
金沢の旧き歴史に気付くこと、そして新しい文化を築くことを目指し、参加者の皆さんと一緒に、実際に街中を歩いてめぐるイベントです。
今年は、従来より提案してきた両館を同日にめぐるコースではなく、別々のコースをつなげると両館をめぐることになる新たな試みを実施しました。
○10月13日(日)時をめぐるコース
香林坊アトリオ1階アトリオステージを集合場所として、
いしかわ四高記念公園・カスケードからスタートしました。
カスケード(設計・谷口吉郎)は、昨年度コース(9月30日)のゴール地点でもありました。
いわば昨年度のコースをさかのぼるように、
鈴木大拙・谷口吉郎が通った学校・第四高等中学校(学校)から、香林坊地下通路・香林坊パセオを通り、
柿木畠、下柿木畠橋、宮内橋、辰巳用水分流沿い、本多公園、そして松風閣庭園をめぐり、大拙館まで散策しました。
また、参加者のみなさんには「のトニック塩サイダー」をおたのしみいただきました。(事業協力:のとジン)
○10月14日(月)時はめぐるコース
金沢建築館を集合場所とし、特別展『谷口吉郎の「金沢診断」―伝統と創造のまちづくり―』を観覧(学芸員による解説付)後、館横の坂(階段)、犀川左岸沿い、犀川大橋の下をめぐってから、大橋(上流側)を渡り、谷口金陽堂跡地、片町商店街から鞍月用水沿いのせせらぎ通りを通って、いしかわ四高記念公園・カスケードまで散策しました。
金沢建築館館内・館横の坂をはじめ、地下へ潜るとき、水路を越えるとき、多くの階段と出会いました。
また、旧跡をふくめ様々な橋をめぐり、ときに橋上で立ち止まり、橋の下をのぞき歴史の名残やあたりまえにある風景を参加者と共にみることができました。
ふだんは気にも留めず通り過ぎてしまう、階段や橋に改めて目を向けることで、まるで時を遡るように歩きながら、街の面白さに気づくことになったのならうれしい限りです。
両日ともに天候にめぐまれ、おかげさまで無事に開催できました。
3時間という長時間にお付き合いくださったみなさま
(2コースともめぐった方!)、ご参加ありがとうございます。
「きずく×きづく」は来年も継続して実施する予定です。
いしかわ四高記念公園・カスケード | 香林坊パセオ(1986年) |
柿木畠を流れる鞍月用水 | 松風閣庭園 |
犀川大橋(1924年)左岸・橋下 | せせらぎ通り 鞍月用水 |
――建築における階段の存在は、時代の変遷につれ、大きく変化してきた。その主たる機能は単なる直線的移動装置にすぎないエスカレーターやエレベーターにとって代わられ、 より身体的な階段自身は隅に追われ、消失していった。このことは建築の中で階段が本質的に備えていた意味、たとえれば動き回る人間の身体と物理的構造物の織りなす生きた空間の創出、 その喜び、また機能と装飾の過不足ない調和といったものを多く失ってきたことと同義である。
都市における橋の存在は、この建築における階段に共通する意味を持つのではないだろうか。 近代都市は車や電車を中心に設計され、人間はそれら速くて便利な移動装置に依存し、〈歩く〉という人間本来のアイデンティティを放棄してきた。その結果、橋は車道の延長線、自動車のベルトコンベアに過ぎなくなり、 もはや誰も顧みるものはいない。歩く者を疎外し続けてきた車中心の街は、建築におけるアルコーブ的な歪み、蛇行性、ゆとり、ふところの深さをも喪失していったのである。
しかしながら元来橋は、人々が往き来い、すれ違い、ものを想って立ち止まり、あるいは引き返し、立ち話をし、花火に見とれ、くつろぐ……人間のいる場所ではなかろうか。 隔絶した2つの土地を結び、未知なる風物・文化への憧れを繋ぐ場所ではなかったか。一足ごとの歩みで移りゆく景観を全感覚で体験し、その風土を愛で味わう場所ではなかったか。――
倉俣史朗 ――「大甲橋景観整備 熊本市水道橋」『SD』第316号、1991年