当館は、金箔製造道具、工程見本及び美術工芸作品を所蔵しています。
美術工芸作品は、金屏風をはじめとする絵画や加賀蒔絵などの漆工、加賀象嵌に代表される金工、金糸を用いた染織、陶磁、七宝ガラス、彫刻、書、その他の金箔工芸など多岐にわたっています。
※企画展では約300点の所蔵品の中から20~30点を展示しています。こちらで紹介している所蔵品は作品保護のため展示されないことがあります。現在展示中の作品は展覧会情報ページでご確認ください。
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画面下方に、卯建(建物の両側に張り出した小屋根付きの袖壁)を備えた町家と鴨川を配し、左隻には二条城を中心に、金閣寺、保津川などが描かれ、右隻には祇園祭の長刀鉾や八坂神社、清水寺などが描かれている。左隻右端と右隻左端に筆者の落款が認められる。
岩佐勝重は、福井藩の絵師であった父岩佐勝以に絵を学び、浮世絵、狩野派風の作品をよくし、主に古典人物などを描き風俗画にも巧みであった。自身も福井藩に仕え、寛文年間(1661~72)の福井城再建時には鶴の間の金襖に群鶴の図を描いた。
(写真上:右隻 / 下:左隻)
赤・青・緑・紫・黒の五彩と金泥で菊と籬を描いた花生は、金彩の多用により豪華な外観を呈している。薩摩焼は文禄・慶長の役の折に薩摩藩の島津義弘が朝鮮から連れてきた陶工により始まった。
慶応年間(1648~52)に京都から色絵の手法が伝えられ、寛政年間(1789~1801)に金襴手の技法をさらに京都から学び色絵薩摩焼が完成した。乳白色の陶胎に細かい貫乳(ひび)が入った、透明釉・金彩の上絵付の作は白薩摩と呼ばれる。
被せ蓋造りで面を取った硯箱。蓋表には大きな松樹の下に牡丹と二羽の鶴が描かれる。松の幹は高蒔絵で表現され、松葉は金と銀の蒔絵を使い分けている。蓋裏と見込にはさまざまな秋草が描かれており、菊と桔梗の花には貝を加工した螺鈿が施されている。
五十嵐随甫は金沢で生まれ、幼少より父である五十嵐祐甫に蒔絵を学ぶ。五十嵐派最後の蒔絵師である。
勢いよく跳ね上がる鯉の躍動感に溢れた作品。
「沈金」は漆面に刃物で文様を彫り、彫った部分に金箔、金粉あるいは顔料を押し込むようにして制作する漆芸技法。日本には中国から伝来し独自に発達を遂げた。
前史雄は石川県輪島市生まれ。前大峰に師事。平成11(1999)年には「沈金」で重要無形文化財保持者に認定される。
唐織は能装束の中でもっとも絢爛豪華な衣装。主として女役の表着に用い、他に平家の公達や童子役の着付にも用いる。また赤い色の入った「紅入」は若い女役に、「無紅」は中・老年の役に用いる。
本作は庵に草花の文様を色違いに繰り返して織り込んでいる三段の段替りで、片身で文様が反転している。和紙に金箔を貼り裁断した平金糸で地文様を出し、上文様に多色の絵緯(紋織物の色模様を表わすために緯糸として用いる色糸)を浮かせ、主に四季草花文様をあらわす。
三千年に一度実る仙桃には不老の効能があるという中国の故事に因んだ吉祥の置物。桃の枝・葉・実は銅製で、実には金箔を貼ってある。花と蕾と露玉は金製。葉の葉脈部分には赤銅の細線が象嵌されている。
二代山川孝次は初代に師事し技術を習得する。銅器会社の職人として制作していたが明治25年(1892)頃に銅器会社が解散したので工房を構え、多くの弟子を育成した。
竹取物語を題材とした飾筥。
藤田喬平は東京都生まれ。昭和43(1973)年の飾筥「菖蒲」をスタートとする飾筥シリーズは、作者の代表的な形態に対し、立方形、円柱形、多角形などの蓋付箱形の形式をとり、色ガラス、金箔、プラチナ箔の装飾が施された色彩豊かな表現が多くの支持を集めた。初期のオブジェ作品から、「飾筥シリーズ」、ベネチアでの「ヴェニス花瓶シリーズ」と時代ごとに作品の形は変化するが一貫して金箔を使用している。
十一面観音は、仏教の観音菩薩が変化した姿の一つ。名が表すとおり十一の面を持つ。あらゆる方角の衆生を救済する慈悲深い菩薩として、奈良時代より各地で信仰された。
「截金」は仏像や仏画において発達した技法で、細線や菱形に切った金箔を貼り模様を表す。本像では着衣部分に主にみとめられる。