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前田土佐守家について

前田土佐守家とは

系図

※歴代の当主をクリックすると詳細をご覧いただけます。

系図

前田土佐守家すなわち直之系前田家は、藩政期においては利政から直信までの10代を数え、初め1万50石、4代直堅以降は1万1000石の禄を世襲した。当家の家祖となる前田利政は、加賀藩祖前田利家・その夫人まつの次男である。したがって当家は加賀藩主前田家の分家筋にあたる(→系図参照)。

家祖利政は七尾城にあって能登国22万石余りを領有していたが、関ヶ原の戦いで徳川家康の出兵要請に応じなかったことにより領知を没収された。その後京都に隠棲し、かの地では多くの文化人や豪商たちと交流を重ね、寛永10年(1633)京都で没した。

利政の嫡男である2代当主直之は、幼少時に祖母芳春院(前田利家夫人まつ)にひきとられて養育された。祖母芳春院の尽力があって、元和元年(1615)12歳の時、3代藩主前田利常に召し抱えられた。これ以後、前田土佐守家は藩政期を通じ1万余石の禄高をもって代々「八家」の一つとして藩の要職を歴任し、10代当主直信の時に明治維新を迎えた。

「八家」とは、加賀藩行政組織の最高職である年寄役の職に就く門閥のことである。いずれも万石以上の禄高を有する大身の家臣で全部で8家あったことからこう呼ばれた。他藩でいうところの家老にあたる。八家の制度は元禄期(17世紀末)に5代加賀藩主前田綱紀によって定められ、本多家(5万石)・長家(3万3000石)・横山家(3万石)・前田家(直之系1万1000石)・前田家(長種系1万8000石)・奥村家(宗家1万7000石)・奥村家(支家1万2000石)・村井家(1万6569石)であった(禄高は幕末時の石高)。

藩政期の当主10人のうち利政を除く6人が従五位下土佐守または近江守に叙爵されている。 このうち5代直躬・6代直方・7代直時・10代直信が土佐守を通称としたことから、当家は一般に「前田土佐守家」と称されたのである。4代直堅・8代直良は近江守を通称とした。ちなみに、家祖利政は従四位下侍従に叙任されている。

なお、明治以降も当家は継続し、現在の当主は利政から数えて14代目にあたる。

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