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2022年9月

「明治大正のファッションと竹久夢二」3.アンティーク着物
2022年9月22日

 当館では様々な着物を収集していますが、昭和のものが多く、明治・大正の着物は貴重なものとなっています。今回紹介するにあたり、明治大正の着物の流れを受けているとみられる昭和初期の着物も含めています。

 最初に紹介するのは、明治大正を通してお出かけに用いられた「縞御召(おめし)」です。独特のシボでさらりとした風合いの着物で、夢二もよくこの縞御召の女性を描いています。
 今回は「宵待草」のイメージで着付けて展示しています。まず背中に帯の表を描くので、太鼓結びではないことから今回は文庫結びにしました。
 そして帯の下に小さなちょうちょ結びのようなものが描かれているので、腰ひもの結び目をわざと見せています。現代は腰ひもを見せないように着付けしますが、江戸時代はおはしょりをせずに裾を引きずり、必要な時にたくし上げていました。明治時代はこの流れを受けて、簡単に結んだのではないかと思われます。

 二つ目はおしゃれ着物として有名な「銘仙(めいせん)」です。色が鮮やかで大胆なデザインが多い印象がありますが、大正4年(1915)頃から普段着として人気が出てきます。そして関東大震災の後に実用向きとして推奨され、多くの女性が着ました。

 三つ目は今回チラシに掲載した大ぶりの芥子花の着物です。生地は現在も見られる「縮緬(ちりめん)」ですが、洋花を着物に入れるのは大正時代から始まりました。

 マネキンの後ろにも着物を展示していますが、紺色は明治初期の麻の「帷子(かたびら)」です。明治36年(1903)には東京で帷子が廃れ、女性は中形の浴衣を着るようになったようですが、地方ではまだ着ているとあります。
 徳田秋聲が関東大震災について記している「不安のなかに」(徳田秋聲記念館HP・不定期連載に全文掲載)で、金沢から汽車で「K-町」に向かい、姪の結婚相手に会いに行く場面がありますが、そこで「帷子」を着た青年が出てきます。先述の明治36年からだいぶ時間が経ちますが、まだ帷子が現役である様子が見て取れます。
 薄い茶色は大正時代の「モスリン友禅」です。子供の着物のイメージがありますが、明治35年(1902)には人気を博し、廉価であるためとされています。大正時代に入ると子供の着物として広く使われるようになります。また、大正5年(1916)には夏用の縞モスリンが流行し、以後様々なデザインが出されました。

 この時代に単衣として着られたのが、「セル」と「ネル(フランネル)」です。フランネルは現在も洋服などに使われるのでイメージしやすいのですが、同じ毛織物の「セル」はなかなか残っていません。
 当館では写真の毛織物の着物を所蔵しており、単衣仕立てとなっていますが、非常に薄手の着物なので透けてみえます。セルではないかと思われますが、今回は検証が間に合わず展示できませんでした。参考までに画像で紹介します。

 次回は束髪を紹介する予定です。

「明治大正のファッションと竹久夢二」2.日本髪その2(丸髷・日本髪用品)
2022年9月14日

 今回紹介する「丸髷(まるまげ)」は既婚者の髪形として知られます。島田系が折り返した髷を元結などで結ぶのに対し、丸髷はやや平たく形作ります。年を取ると、この髷を小さくします。
 このように大きく髷の形が異なるので、日本髪を見るだけで既婚かどうかが分かってしまうのです。しかしながら、前回紹介した「銀杏返し」は30歳以上の人も結ったそうで、明治32年1月に発行された「加賀金澤婦人の髪風」(『風俗画報第180号』)には以下のようにあります。
 「銀杏返は本年に入りて最も多く流行す。是れは島田髷の頓に廃れる結果、皆な銀杏返を結ふて茲に其の勢力を作りたると、一は丸髷に飽きたる細君が、年を若く見せんと、競うて銀杏返を結ふ様になりたるが為めなり」
 なお、この報告では金沢の髪風を犀川と浅野川のニ風に大別し、さらに家中風(官吏等の細君)、町方風(商人の内儀)のニ風に細別しています。新流行を取り入れるのは浅野川風で、犀川風はそれを模倣するとし、最初芸妓等で行われたものが、しだいに全市の流行となることを報告しています。

 このように様々な日本髪がありますが、その形を保つためには「びんつけ油(すき油)」をつけるだけでなく、髪の中に土台などを入れたりしました。今回紹介するのは、丸髷の「髷形」で、髷の中に入れて形を保ちます。また、前髪や左右の鬢(びん)などの盛り上げた髪の中につめた「赤熊(しゃぐま)」もあります。こちらは縮れ毛をまとめたもので、様々な大きさにして詰めました。
 この他にも展示室では、髪を足すための「髢(かもじ)」や元結(もとゆい)、手絡(てがら)などの日本髪用品を展示しています。

 日本髪で特徴的なのが、盛り上げた「前髪」と左右に張り出した「鬢(びん)」で、顔周りを包むような髪形による小顔効果を実感します。
 しかしながら、市内で明治時代に撮られた写真を見ると、前髪を高く盛り上げているのに対し、左右の鬢はあまり張り出さないようにしているようです。
 最初に紹介するのは明治10年代の写真で、右側の少女が持つ洋傘から「蝠傘(こうもりがさ)」が流行した明治16年以降と考えられます。左側の女性は日本髪ですが、あまり鬢を張っていないように見えます。
 もう一つは明治32年の小学校の卒業写真の先生方の晴れ姿です。現在と比べて半襟を広く出し、裾模様のない黒紋付の三枚襲を着ています。左側は丸髷で、他の二人は銀杏返しですが、前髪や髷の髪の豊かさが目立つ割には左右の鬢がしゅっとしています。
 このように写真を見比べてみると様々な発見がありますが、明治時代は写真館や改まった場で撮られた写真が多いので、実際にはもう少し簡単に結っていたかもしれません。

 次回は当時の着物事情などを紹介する予定です。

「明治大正のファッションと竹久夢二」1.日本髪その1(島田系・銀杏返し)
2022年9月8日

 現在開催中の特別展「明治大正のファッションと竹久夢二」(~11月20日(日))をより深く知っていただくために、ブログで紹介します。
 複雑な形に結い上げる日本髪は江戸時代に完成し、身分や年齢によって異なる髪形を結いました。明治以降も多くの女性が日本髪を結い、昭和初期まで見られました。
 夢二も多くの日本髪の女性を描いており、妻・たまき、恋人・彦乃、モデル・お葉も日本髪を結うことがありました。ここでは明治以降、主に結われた髪形を中心に紹介します。
 1枚目の画像は明治後期の「引札」(主に正月に配られた店名入りの広告)ですが、日本髪の女性が二人並んでおり、異なる髪形をしています。
 現在では結婚式などでしか見られない日本髪ですが、かつては様々な髪形がありました。最も種類が多いのが「島田」で、今回は「結綿島田」(若い女性)「芸妓島田」(芸妓)「文金高島田」(武家の女性→花嫁)を紹介しています。順番に画像を並べてみましたが、大きな特徴として後頭部の「髷(まげ)」を折り返して飾りや元結などをつけていることが言えます。
 「結綿島田」は髷に手絡(てがら)などの飾り布をつけること、髷全体を潰しているのが特徴です。「引札」の女性の一人はこの「結綿島田」または飾りをつけない「つぶし島田」と考えられます。横から撮影した画像では分かりづらいのですが、「結綿島田」は全体的にふんわりと結っており、「芸妓島田」のシュッとしたシャープな輪郭と大きく異なります。

 「島田」では髷を折り返して結っていますが、根元から二つに分ける髪形もあります。その一つが「銀杏返し」です。二つに分けた髷の形が「銀杏」に見える所からその名前があります。なお、根元に手絡をかけますので、髷の結い方によっては、前からも手絡が見えます。
 同じような結い方をするのが「唐人髷(とうじんまげ)」です。二つに割った髷の根元の元結を髪の毛で隠すのですが、髷の形は少女の髪形「桃割れ」に近いイメージです。しかしながら「桃割れ」より少し年上の女性が結いました。
 という訳で「引札」のもう一人の女性は髷を二つに割っているため、「銀杏返し」または「唐人髷」と考えられます。
 今回金沢湯涌夢二館からお借りした「宵待草」も髷を二つに割っているので、「銀杏返し」または「唐人髷」と考えられます。なお、こちらの1点のみ10月10日(月・祝)までの展示とし、後期は別の作品を展示しますので、ご注意ください。

 次回は丸髷などを紹介する予定です。

2022年8月

「金沢の郷土玩具」8.勝兜・花はじき
2022年8月24日

 今回は昭和に新たに登場した郷土玩具を紹介します。藩祖・前田利家公の兜として知られる「大鯰尾(なまずお)」「小鯰尾」のミニチュアである「勝兜(かちかぶと)」は、昭和14,5年頃に作られ始めたそうです。百万石まつりなどで模型の兜を見ることもあり、地元の人にとっては親しみのあるものです。
 当館では「小鯰尾」を複数所蔵していますが、その内一つは「体育大会」の文字があり、記念品として贈られたことが分かります。

 「花はじき」は金沢の発明家・藤本吉二氏が昭和8年頃に発明したもので、こどもが誤って飲み込んでも大丈夫なようにでんぷんを彩色して作られています。現在は作られていませんが、かつては多くの子供達が遊びました。
 今回は花はじき、菊はじき、梅はじきを並べて展示していますので、大きさの違いも分かりやすいと思います。

 企画展「金沢の郷土玩具」は8月28日(日)で終了となりますので、ご注意ください。
 8月29日(月)~9月2日(金)は休館で、9月3日(土)より特別展「明治大正のファッションと竹久夢二」を開催します。

当館が『Tabist Magazine』で紹介されました
2022年8月19日

 金沢のレトロ建築めぐりをテーマにTabistでご紹介いただきました。外観だけではなく内部も鑑賞できるということで、当館を含めた複数の建物が紹介されています。

 詳細は「100年の歴史を間近に感じる。金沢のレトロ建築めぐり」でご覧ください。

「金沢の郷土玩具」7.お面・福徳
2022年7月28日

 金沢の郷土玩具といえば、「中島めんや」です。江戸時代からの老舗で、初代は村芝居の小道具を作っており、特に踊り面の職人として知られたそうです。屋号の「めんや」もここから来ているのだとか。という訳で、今回はお面を紹介します。
 現在でもお面はお祭りの屋台などで売られていますが、ポリ塩化ビニルなどで作られています。昔は紙の「張り子」だったため、お面を長時間つけていると口の周辺が湿ってやわらかくなったそうです。狐や天狗、お多福、ひょっとこ、猿、般若(「やひこばば」(弥彦婆、「金石の悪魔祓い」などの民俗芸能)とも)が作られました。これらの面の一部は「中島めんや」で見ることができます。

 当館は職人道具として制作用具を収集しており、貴重な木型とともに制作工程見本も保存しています。まず木型に紙を貼って乾かして外し、胡粉で白く塗ります。その後職人が一つ一つ手描きします。写真は般若の制作工程ですが、青い般若はなかなか見られないと思います。

 金沢では正月に「福徳」というお菓子が売られます。「フットコ」ともいい、福俵・打ち出の小槌・福袋をかたどった煎餅皮の中に小さな練り物の人形や金花糖のお菓子が入っています。中から何が出てくるかという楽しみがありますが、正月らしいおめでたい姿形が主です。
 福徳の中身はささやかなおもちゃであるためなかなか残らないのですが、当館でも古い物を1点所蔵しています。

 次回は勝兜・花はじきを紹介する予定です。

2022年7月

「金沢の郷土玩具」6.張り子
2022年7月28日

 これまで有名なものや加賀藩に由来を持つものなどを紹介してきましたが、ここからは子供達が遊んだりしたささやかなおもちゃを紹介します。
 「張り子」とは、木型に紙を重ねてはり、乾いたら取り外して成形し、色を塗ったりします。第1回で紹介した「加賀八幡起上り」もこの技法で作られているため、中が空になっています。このため軽くて丈夫なのが特長です。
 今年は寅年ですので、「加賀魔除け虎」を最初に紹介します。虎は猛獣で恐ろしい顔のイメージがありますが、金沢ではやさしく愛らしい顔付です。節句に飾って悪魔を追い払い、勇武を念じる縁起物とされています。

 首を振ることから「うなずきもの」とも呼ばれますが、犬や牛も作られています。犬は安産の象徴で丈夫な子供が育つように願いをかけるため全国的に作られますが、首を振るのは珍しいです。牛は千両箱と俵を担いだものがあり、前者は商家で後者は農家で喜ばれました。

 「猿の三番叟」は能楽の祝狂言で舞う老人(悪魔を払う)の姿をしています。江戸時代は背中に穴をあけて駄菓子を入れたそうです。
 「春駒」は長い棒を馬の胴体に見立てて子供がまたがって遊ぶおもちゃが元になっています。手に持って振ると音がして、ガラガラの役割を果たします。

 次回はお面などを紹介する予定です。

「金沢の郷土玩具」5.獅子頭とからくり玩具
2022年7月23日

 獅子舞は全国にありますが、金沢の獅子頭は眼光が鋭くて角があり、白木なのが特長です。胴体にあたる蚊帳も緑ではなく、青地に牡丹などを染めています。現在は写真のように飾り物として刀をくわえさせるイメージが定着しています。男の子が誕生した時に魔除けや厄除けとして飾ることもあったようです。
 このような獅子頭なのは、武器を持った棒振りと戦うためです。加賀藩がお祭りという形で民に武術を伝えるために、獅子舞を奨励したと言われています。木製とはいえ棒や刀、薙刀などを扱う所作を覚える必要があり、かつてはお祭りの直前に道場に弟子入りして学ぶことも行われました。

 本物の獅子頭と同じように桐で作られ、複数のパーツに分かれていますので、口が大きく開くようになっています。かつては子供が獅子舞の真似をして遊ぶために作られましたが、大正15年の北國新聞によればすでに遊ぶ子供はなく、東京大阪の玩具愛好家に人気で、要望に応じて黒く塗ったりすることもありました。

 からくり玩具の「米食いねずみ」は天保初め(1830年頃)に、当時流行したからくり人形の影響を受けて足軽の内職として作られました。大切にするとお金が増えるとされ、めでたい縁起物です。竹のバネを押すと頭と尾が下がり、お米を食べます。

 


「もちつきうさぎ」も「米食いねずみ」と同時期に作られたもので、糸を引くと杵を振り上げる姿が愛らしいです。昭和初期まではお祭りや正月の縁起物として売られました。

 次回は張り子を紹介する予定です。

「金沢の郷土玩具」4.旗源平
2022年7月16日

 郷土玩具の大半は江戸時代に作られた物ですが、中には加賀藩ならではの由来を持つものがあります。今回紹介する「旗源平」は平和な世の中でも遊びを通じて争う心を養うために、武術の達人・土方常輔が考案したとされています。
 名前の通り源氏と平氏に分かれてサイコロを2つを交互に振り、その目でもらえる旗の本数が変わりますが、1と1で「チンチンカモカモ」、1と5で「ウメガイチ」などの唱え方も独特です。もらえない目もあり、4と2の「シノニ」が中旗(小旗10本分)を返す唯一のマイナスの目になっています。
 館蔵品で最も古いのは大正時代の紙製ですが、マトイが立体的で木箱が残っています。

 布製の旗源平も作られ、高級品とされました。写真は昭和初期のものですが、マトイも立体的に作られています。丸い竹ひごを使っていることからマトイや大旗を立てる台等があったと思われますが、残っていません。

 鳥取童謡・おもちゃ館「わらべ館」でも古い旗源平が保存されており、大型の布製で組立式の台座があります。平氏の家紋も上から見た「浮線蝶」ではなく、横から見た「揚羽蝶」で大きく異なる貴重なものです。
 今回の展示にあたり画像を提供していただきました。詳細はわらべ館HP「旗源平」でご覧ください。

 旗源平は戦後も盛んに遊ばれたようで館蔵品には昭和30~40年代のものが多数残されています。写真のものは定番のものですが、平べったい竹ひごを使っています。これは畳の縁にさしこめるように作られており、台の代わりにしていたのです。けれどもしだいに丸い竹ひごが主流になりました。

 当館では体験用に大型の旗源平を所蔵していますが、市内の旧家にあった明治初期のものがモデルとなっており、源氏は瓢箪、平家は軍配が中旗・大旗についた立派なものになっています。

 しかしながら、昭和40年代以降にボードゲームなどが流行すると、旗源平で遊ぶ人は少なくなり、現在は手に入れることが難しくなっています。
 なお、現在も小学校や公民館などで旗源平を体験する機会が設けられています。当館でも2階の体験ルームでいつでも遊べるようにしておりますので、ご来館の際に楽しんでいただければ幸いです。

 次回は獅子頭やからくり玩具を紹介する予定です。

「金沢の郷土玩具」3.天神堂
2022年7月6日

 天神様は天満宮のことであり、全国各地で様々な「天神さん」が作られてきました。金沢では藩祖・前田利家公が菅原道真の子孫としたことから、代々の藩主が天満宮を造営するなど盛んに信仰されてきました。庶民も天満宮を巡ったりしましたが、男児が生まれると「天神さん」を贈ることも行われました。
 中でも主に加賀に分布する「天神堂」は豪華なものとして、商家など裕福な家で飾られました。12月25日から1月25日まで1か月飾るのが正式ですが、正月のみとする家庭もありました。
 古くは社殿部分だけだったと考えられますが、様々な土人形を一緒に飾るようになり、鳥居なども加わっていきます。

 明治時代になると大きな変化が起こります。この頃は板の上に神門や鳥居などを固定したものが作られていましたが、土台の形が大きく変わります。明治36年12月の北國新聞には「今年は至極改良して組立箱入と為し進物要用には極軽便に作れるものあり」とあり、固定式から組立式に変わったことが分かります。また、この記事には14種類の大きさが紹介されており、値段も8円から30銭位まで記されています。ちなみに大正15年の新聞記事では一般の商品は20円以下とあり、特注で500円のものを作ったことがあると職人が語っています。

 組立箱入になったことから、土人形も一緒に保管されるようになり、割れることなく残されています。
 土人形は天神、随身、白狐、狛犬、神主(太鼓打ち)、太鼓、灯籠が主ですが、さらに門松なども一緒に飾ったりしました。

 当館の天神堂は戦後のものも所蔵していますが、明治後期から昭和初期にかけてが最も盛んで収蔵品の大半を占めます。天神堂の基本的な作り方は大きく変わっていませんが、時代によって土人形の姿が変わっているので、見比べてみてください。
 なお、随身だけは木練人形が多く、写真のように頭が少し削れたりしています。

 次回は旗源平を紹介する予定です。

2022年6月

「金沢の郷土玩具」2.木練人形・加賀人形
2022年6月25日

 「加賀人形」と言えば、獅子舞をしたり加賀鳶のまといを持つ姿をイメージする方は多いと思います。しかしながら、古くは「木練人形」と呼ばれていました。
 そのルーツは古く、江戸時代初期に京都の職人が金沢に招かれた折に伝えたとされ、御所人形の流れを組んでいます。桐のおがくずに正麩糊を加えて練り固める所から「木練人形」の名が生まれました。前掛け一枚の姿から「はだか人形」とも呼ばれ、烏帽子を被るなど現在とは異なる姿が作られました。


 大正15年の北國新聞の記事によれば、唯一の人形師が前年に亡くなったが、後日その技を受け継いだ人の存在が判明したとしています。この記事でも「加賀の木練人形」とし、「加賀人形」ではないことが明らかになります。
 写真の春駒を持つ人形は木箱に「加賀人形」(寿楽園作)とあり、昭和初期のものと考えられます。現在の加賀人形は虫食いされないように材料を工夫していますが、こちらは顔などに虫食い穴があるので、その技法が確定する前のものと思われるためです。

 そのような「木練人形」を新たな姿にし、技法を改良したのが現代の「加賀人形」です。当初は昔のままの姿だった可能性もありますが、しだいに獅子舞や加賀鳶などの姿が主流になっていきました。

 次回は天神堂を紹介する予定です。

「金沢の郷土玩具」1.加賀八幡起上り・便所の神様・疱瘡除けの人形
2022年6月17日

 現在開催中の企画展「金沢の郷土玩具」(~8月28日(日))をより深く知っていただくために、ブログで紹介します。
 「加賀八幡起上り」は金沢を代表する郷土玩具で、絵付け体験なども人気です。「起上り」は「だるま」と同じく、何度も起き上がる所から来ています。では、なぜこのような姿なのかを御存じでしょうか。
 その由来は、加賀の八幡さん(現・安江八幡宮)のそばに住む老人が、祭神である「応神天皇」が生まれた時の姿を再現したものと伝えられています。深紅の錦で包んだ姿におめでたい松竹梅を描きますが、高貴な身分の方をモデルにしているので、風雅で上品な顔立ちをしています。
 古い物は直線的な眉を描いていますが、現在はよりカーブを描く形になっています。
 かつては箪笥にしまうと女・子供の着物が増えるとされ、嫁入り道具として持たせることもありました。また、「起き上がる」ことから病気見舞いにも使われたそうです。

 ちなみにこの「起上り」の中は空になっており、音が鳴るように鈴や小石が入れられているそうです。
 そこで、実際にどんな音が鳴るのかを聞いていただくために動画を撮影してみました。
 詳細は令和4年度夏季企画展「金沢の郷土玩具」紹介映像(YouTube版)でご覧ください。他にも複数の郷土玩具を紹介しています。
 会期中は展示室内で上映していますので、本物を見ながら参考にしていただければ幸いです。


 金沢の便所の神様は、かつて家を新築したり新しく便所を作る時に底に埋めました。写真は江戸時代のものですが、男性は裃をつけ、女性は正装して座っています。
 宮城県仙台にも便所の神様がいますが、こちらは部屋の中に飾るそうです。
 しかしながら、その生産が途絶えてしまい、次に紹介する疱瘡除けの人形を兼用していることを、大正15年の北國新聞の記事で知ることができます。

 かつて「疱瘡」(天然痘)は恐ろしい病気でした。疱瘡にかかった子供の枕元に祀った後、その回復を祈って桟俵にのせ、赤旗・赤ごはんを添えて川に流しました。全国的には赤いものが多いのですが、このような人形は珍しいと思われます。便所の神様と同じく男女一対であることから、しだいに代用から新たな「便所の神様」になり、現在も売られています。左の写真は古いもので、右の写真は現代のものに近い形です。

 次回は木練人形・加賀人形を紹介する予定です。

当館が「ホクリクイズ」で紹介されました
2022年6月15日

 HAB北陸朝日放送では、夕方の情報番組「ギュッ!と石川ゆうどきLive」の中で北陸の様々な情報をクイズ形式にして紹介するコーナーがあり、6月14日に当館の展示品が紹介されました。今では使ったことのある方も少なくなりましたが、昭和を代表する品物です。

 詳細はホクリクイズ(YouTube版)でご覧ください。

2022年5月

和の飾り縫い体験
2022年5月29日

 昔、子供の着物には「背守り」として、悪霊から身を守るためのおまじないの縫い目をつけました。それがいつからか、美しいデザインの飾り縫いに変わっていきました。しかしながら、背守りは迷信となり、今はほとんど行われてはいません。
 館蔵品の着物を参考に縫い方を復活させた「飾り縫い」から2つを選び、実際に縫っていただきました。
 写真は今回新たに用意したものですが、好評につき後日ミュージアムショップで購入できるようにしたいと思います。

五月人形と着物で記念撮影
2022年5月5日

 5月5日に合わせて開催する着物イベントでは、豪華な五月人形やこいのぼりと一緒に記念撮影しました。
 新型コロナウィルス感染症対策で定員の半分としましたが、約2年ぶりに着物姿のこどもたちが館内を散策しましたので、ステキな写真を紹介します。
 詳細は着物体験アルバムでご覧ください。

 次回は秋の開催を計画しています。詳細が決まりましたら、改めてご案内いたします。

2022年4月

「ひな飾り展~ひな道具~」3.昭和のひな道具
2022年4月8日

 昭和20年代までは五段のひな飾りが見られ、七段にする場合は好みのひな道具やおもちゃなどを一緒に飾りました。
 一組目の御殿飾りは五段目に男女の人形を複数並べており、特に禿(かむろ)二人を連れた「花魁道中」が目につきます。花魁は美人で教養のある女性が多いため、美しく育つようにと願いをこめたのでしょう。
 同様に「道成寺人形」も歌舞伎や能楽で演じられる演目で、美人の象徴です。こちらは後にガラスケースに入れた物が一緒に飾られるようになりました。

 二組目の御殿飾りも最下段に「汐汲(しおくみ)人形」や「藤娘」を飾りますが、おもちゃの鏡・草履・小箱もあり、昭和初期の貴重なおもちゃが残されています。

 三組目の屏風飾りでは御所車や駕籠が飾られており、定番化してきたようです。
 六・七段目の嫁(よめ)入り道具の組合せが完成した「七段飾り」は、昭和30年代後半から広く飾られ、しだいに大型化していきました。

 企画展「ひな飾り展~ひな道具~」は4月10日(日)で終了となりますので、ご注意ください。
 4月11日(月)~15日(金)は休館で、4月16日(土)より企画展「端午の節句展~時代を表す武将たち~」を開催します。

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金沢くらしの博物館〒920-0938  石川県金沢市飛梅町3-31(紫錦台中学校敷地内) TEL / FAX:076-222-5740
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