ブログ

HOME > ブログ

最新のブログ

2021年7月

「風呂敷の魅力」5.風呂敷で包む
2021年7月22日

 風呂敷の使い方を知っていただくために、色々なものを包んでみました。上手に包むコツはただ一つ。ものの大きさに合わせた風呂敷を使うことです。とはいえ家庭に複数あるとは限りませんので、基本的には巾90センチの「二四巾」があればたいていは包むことができます。
 1枚目は「すいか包み」。隣り合う端同士を結んで、どちらかの結び目をくぐらせて持ち手とします。
 2枚目は手前と右奥が「瓶包み」。上で端を結び、残った端を胴に巻いて結びます。左奥は「瓶二本包み」で、ワインを2本横倒しにして巻くように包んだ後、立てて端を結んでいます。

 3枚目は掛軸の木箱ですが、少し大きめの巾100センチの「三巾」を使い、中央でクロスさせた後、両端でそれぞれ結ぶ「二つ結び」をしています。
 4枚目は弁当箱ですが、絵柄を見ていただくために通常とは違う包み方をしています。結び目を作らない「平包み」は、家紋入りの風呂敷などでよく使われます。

 金沢市環境政策課では、風呂敷の包み方を紹介する動画をYou Tubeで公開しています。
 基本の結び方「真結び」と、現代でも使いやすそうなカバンとリュックがあります。
 動画は下記のリンクでご覧いただけます。
 https://www.youtube.com/watch?v=XmF0MUFoxl4


 番外編として「吾妻袋(あづまぶくろ)」を紹介します。風呂敷や手ぬぐいを縫い合わせてカバン状にしますので、簡単に使うことができます。
 今はあまり見かけないものになってしまいましたが、これもまた一つの知恵だと思います。
 次回は特別な風呂敷を紹介する予定です。

「風呂敷の魅力」4.風呂敷を贈る
2021年7月13日

 風呂敷は買うものというのが現代の感覚だと思いますが、少し前までは記念に配ったりするものでした。このため、お店の名前が入った風呂敷がたくさん残されています。
 中でも当時の熨斗がついているものは珍しいのですが、「御風呂敷」と店名のみのため、どんな時に配られたかは分かりません。けれども、今は消えてしまったお店の名前を見ることができます。また、呉服屋も複数見られますが、着物を包んで持参したものをそのまま渡したのかもしれません。

 変わったものでは「整備達成記念」や船の「進水」記念、そして高校の「卒業祝」があります。
 これらの風呂敷は文字だけの無地が多いのですが、中には絵柄が入ったものもあります。さらに時代が進むと紙箱に入っているだけで、特に店の名前がないものも多く残されています。

 ここで風呂敷のミニ知識を一つ紹介します。持ち主が名前を書きやすいように白い丸を一角に入れるのですが、花や分銅などおしゃれなデザインになっていることがあります。
 内側に白布をつける場合もあり、新しいものにも見られることからこちらの方が主流になっていると思われます。
 次回は包み方を紹介する予定です。

「風呂敷の魅力」3.唐草風呂敷
2021年7月4日

 過去に小学校で大風呂敷を広げると「どろぼうだ」と言われ、来館者に話を聞くと「やはり緑でしょ」の回答があるほど一般的なはずの緑の唐草模様。これまで大きな風呂敷といえば緑の唐草模様と思っていましたが、意外にも今回提供していただけたのは1点だけでした。
 ちなみに唐草はつるや葉が四方八方に伸びてからみ合う姿が、生命力や繁栄・長寿などを表すおめでたい文様です。一般的だからこそ、どろぼうがその家にあった風呂敷を使って盗み出すという図式で、緑の唐草=どろぼうだとか。
 という訳で、貴重な緑の唐草模様の大風呂敷は来館されたら最初に目に入る所に展示しています。記念撮影スポットにしておりますので、ご自由にお撮りください。

 展示室内の記念撮影スポットには大きな紺の唐草風呂敷を広げていますが、桐が入ったデザインを複数提供していただきましたので、これが定番のようです。1枚だけさらに菊の紋章が入っているものがありましたので、風呂敷を包んで展示してみました。

 さらに橘が入っていたり、ペイズリーで洋風にしてしまうなど、なんでもありとは申しませんが、自由なデザインを見ることができます。この他にも展示室には様々な唐草がありますので、お気に入りの唐草を見つけてください。
 次回は昭和の風呂敷事情を紹介する予定です。

 なお、7月より月曜日(祝日の場合は翌平日)が定休日となります。このため明日7月5日(月)は定休日ですので、ご注意ください。

2021年6月

「風呂敷の魅力」2.風呂敷の大きさ(後編)
2021年6月27日

 前回使い方を紹介しました四巾(約128センチ)の風呂敷。明治頃のものが残されていますので、紹介します。四枚の布を縫い合わせ、四隅に刺子が入っています。由緒は分からないのですが、おそらく手作り品で刺子も模様代わりに入れたのでしょう。
 ちなみに四巾は座布団を包むのにちょうどいい大きさです。

 中央に浮線桐(ふせんきり)を配置し、その周囲に唐草を伸ばすデザインの五巾(約180センチ)は明治のものです。布の合わせ目に注目すると、模様が少しずれていますので、あらかじめ染めてから縫い合わせたことが分かります。
 こちらは座布団やこたつ布団などを包むのによいとされます。

 規格上は七巾まであるそうですが、今回は六巾(約205センチ)が最大となります。機械織で幅広の布二枚を縫い合わせて作られています。
 ここまで大きいと布団一組を包むことができます。
 次回は定番の唐草模様を紹介する予定です。

「風呂敷の魅力」1.風呂敷の大きさ(前編)
2021年6月21日

 今回の企画展では多くの方々に風呂敷を提供していただいたおかげで、様々な大きさや模様が集まりました。厚く御礼申し上げます。
 展示にあたり、風呂敷の大きさをキャプションに入れたりしましたが、ブログでも改めてご紹介したいと思います。
 1枚目は5枚の風呂敷を重ねてみたものです。1番小さいのが「一尺三寸巾」(約50センチ)で、お弁当箱などを包むのによい大きさです。さらに一回り小さい「中巾」(約45センチ)があり、のし(金封)などを包むのによいとされます。

 2枚目は「二巾」(約68センチ)で菓子折を包んでみたものです。いかにも風呂敷の結び方といった所でしょうか。
 さらに「二尺巾」(約75センチ)と、小刻みで大きさが変わっていきます。
 ここでワンポイント解説。「尺」や「寸」は昔の長さの単位です。「巾」は何かというと、昔は反物の巾が狭かったので、「二巾」は二枚を縫い合わせたという意味です。
 後に機械織になると、幅の広い反物が作られるようになり、一枚布または二枚布で風呂敷が作られるようになったのです。
 なお、風呂敷は正方形ではなくやや縦長に作られることが多いので、当館では横幅を測って区分しています。ただ、実際には数センチ広めに作ってあったりしますので、あくまで目安となります。

 3枚目はエコバッグ風に包んでみました。4枚目はウエストポーチ風です。昔は「二四巾」(約90センチ)が一般的だったので試してみたのですが、大柄な学芸員には厳しいので、もう一回り大きい「三巾」(約100センチ)で撮影しました。
 今回集まった風呂敷でも、二四巾と三巾が多くを占めています。

 風呂敷で大きな荷物を背負う姿も再現してみましたが、こちらは四巾(約128センチ)を使用しています。中央に模様が入った風呂敷を選びましたが、こういう模様の配置は珍しいようです。行李に入った着物が重たいので、手で引っ張らねばなりません。
 次回は大風呂敷を紹介する予定です。

2021年5月

臨時休館のお知らせ
2021年5月11日

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
  令和3年5月12日(水)から5月31日(月)まで休館といたします。
  何卒ご理解ご協力のほどお願い申し上げます。

 追記:臨時休館延長のお知らせ(5月13日)
  6月13日(日)まで臨時休館を延長させていただきます。

期間限定展示のお知らせ
2021年5月3日

 企画展「端午の節句展~ヨロイカブト~」では、昭和の五月人形を紹介していますが、5月3日~5日の3日間限定で江戸末期の貴重な資料を展示します。
 当時の鎧師が制作した物で、兜の吹返に梅鉢紋が入れられています。祝日で多くの方が来館される時期を選びましたので、できるだけ多くの方にご覧いただければ幸いです

2021年4月

こいのぼり揚がりました
2021年4月29日

 ゴールデンウイークの初日はあいにくの雨となりましたが、当館では高い天井を活用して廊下などにこいのぼりを飾っていますので、いつでもご覧いただけます。
 企画展「端午の節句展~ヨロイカブト~」(~6月6日)に合わせた展示ですが、毎年少しずつ展示方法を変えていますので、館内を回りながら楽しんでいただければ幸いです。
 一番大きい物は6mありますので、近くで見ると迫力があります。

 なお、ゴールデンウイークのみ巨大な幟旗を揚げますが、天気の悪い日や強風の時は中止しますので、ご了承ください。

企画展「ひな飾り展」、明日で終了です
2021年4月10日

 企画展「ひな飾り展~平飾りから段飾りへ~」は、明日4月11日で終了です。かつては内裏びなを床の間などに飾りましたが、人形や道具が増えるにつれ、段飾りへと変わっていった様子などを紹介しました。
 毎年テーマを変えて開催しておりますが、数年に一度しか展示しないひな飾りもありますので、一人でも多くの方々に見ていただければ幸いです。

 次回の展示は五月人形の主役であるヨロイカブトをテーマに、こいのぼりなども飾る予定です。


 展示替え休館 4月12日(月)~4月16日(金)

 企画展「端午の節句展~ヨロイカブト~」
  令和3年4月17日(土)~6月6日(日)

2021年3月

「ひな飾り展」2.段飾り編
2021年3月27日

 昭和初期のひな飾りにはメーカー製のひな段が付属しており、解体して木箱に収納できるようになっています。こうした木製のひな段は昭和中期までみられましたが、金属製に変わっていきました。
 1枚目は昭和9年(1934)のひな飾りで、御殿を最上段に飾る五段飾りです。三人官女を御殿の中に入れて、二段目からは五人囃子などを飾り、最後に高砂人形などを飾りました


 2枚目はひな道具の三方と高杯ですが、セット品として同じ箱の中に入れられており、豪華な花模様が入れられています。三人官女以下の人形13体も同じ箱に入れられ、同じ模様が入った台座に飾ります。
 3枚目は大臣と仕丁の間に御膳が並んでいますが、御膳の左側の御櫃や湯桶は現代ではほとんど見られなくなりました。

 こうした道具などに揃いの模様を入れる形式は七段飾りに受け継がれ、4枚目のように嫁入り道具にも入れられています。
 5枚目は「戦前のくらし」の床の間ですが、五段飾りの本来の姿を見るだけでなく一緒に記念撮影ができます。ぜひ来館の記念に撮影していただければ幸いです。

「ひな飾り展」1.平飾り編
2021年3月18日

 今回のひな飾り展のサブタイトルは「平飾りから段飾りへ」ですが、かつては内裏びなを床の間などに飾っていました。
 特に明治から大正にかけては、三人官女などのひな人形も個別の箱に入れて売られたため、毎年少しずつ買い足していく家庭もあったようです。
 1枚目は明治3年(1870)のひな飾りですが、五人囃子に比べて三人官女が大きく台座の模様も異なるため、別々に買い求めたことが分かります。

 三人官女だけを撮影した2枚目を見ると、衣に刺繍が入っていることが分かります。表情も豊かであり、日本人形のようにポーズをとっています。
 3枚目は同じく明治の三人官女ですが、台座が一体化して小さく作られています。当時は値段に応じて様々な大きさが作られていました。

 この時代の三人仕丁は、4枚目のように透けるような衣をまとっています。現在は老人を向かって右に置き、中央で沓を持つのは若者が多いので、飾り方も変わっていることが分かります。
 5枚目は「狆引(ちんひき)」で、江戸時代に座敷犬として飼われた狆を官女が連れています。大正頃までひな人形と一緒に飾られましたが、現在では狆そのものが珍しくなりました。

2021年2月

企画展「昔の小学校」、明日で終了です
2021年2月6日

 企画展「昔の小学校~寺子屋から昭和まで~」は、明日2月7日で終了です。江戸時代の寺子屋から明治の学校制度への移行、そして昭和中期にかけての学用品などを紹介しています。
 なつかしい学校用品や学用品ですが、博物館に残されているのは教科書を除くと1点ものが大半を占めます。そんな貴重な資料を一人でも多くの方々に見ていただければ幸いです。

 次回の展示はひな飾りの移り変わりをテーマに、200点近いひな人形を館内に飾る予定です。


 展示替え休館 2月8日(月)~2月12日(金)

 企画展「ひな飾り展~平飾りから段飾りへ~」
  令和3年2月13日(土)~4月11日(日)

「昔の小学校」6.戦後の学用品編
2021年2月2日

 現在も市内の多くの小学校が制服を採用していますが、黄色い帽子になる前は、男児は1枚目のような帽子を被りました。中央の金具は梅をかたどり、金沢市の「金」が入っています。
 昭和30年代は黒ですが、昭和40年代半ばの写真では白いカバーをつけたものが確認できます。同じ写真に黄色い帽子を被った女児も写っており、一足早く導入したようです。


 ランドセルは戦前に引き続いて茶色が作られ、昭和32年の新聞には男児用の一番人気で、続いて黒としています。女児用は赤、オレンジ、黄、紺、グリーン、ワサビ色もあったようですが、赤が喜ばれたようです。昭和37年の新聞では、黒、エンジ(赤)が全体の95%を占めるとしています。
 2枚目は昭和25年(1950)のものですが、3枚目の昭和40年代と比べると厚みが違うのが分かります。

 戦後の音楽教育に器楽が導入され、家庭で購入した音楽用品も残されています。
 4枚目の横笛は昭和40年代のものですが、現在と比べると吹口が小さくて息を入れるのが難しいため、音を出すのも一苦労だったと思われます。
 5枚目は「メロディオン」で、縦に持って吹きました。鍵盤ハーモニカともいいますが、鍵盤が見やすいホース状の吹口が登場すると、大きく形状が変わりました。

2021年1月

「昔の小学校」5.戦後の教育と学校用品編
2021年1月20日



 昭和22年(1947)の「教育基本法」で戦後の教育制度が定められ、大きな改革が行われました。教科書の内容やデザインも変わり、複数の会社が1枚目の「新しい国語」などを作りました。音楽も歌うだけではなく、器楽・鑑賞(かんしょう)などが加わりました。
 この「新しい〇〇」という教科書のタイトルは、令和になった現在もなお一部の教科書で使われています。



 学校ではプリントなどの大量の印刷物が配られますが、昭和40年代ごろまで2枚目の「謄写版」が使われました。ロウ紙をヤスリの上に置いて、鉄筆でガリガリと文字を書くことから「ガリ版」とも言われました。
 ロウ紙を印刷する紙の上にのせ、さらに網の上でインクを塗ったローラーを転がして1枚1枚刷りましたが、後にコピー機が登場すると使われなくなりました。


 教科書の中身がカラー印刷になるまで、スライド上映機で画像を投影して授業を行いました。3枚目は昭和26年(1951)のもので、フィルムタイプにも対応していましたが、スライドは2枚しか入れられませんでした。後に4枚目のような多くのスライドを差し込んで見せることができるようになりました。

 5枚目の「実物投影機」は昭和37年(1962)のもので、木の台に載せた物を映し出しました。
 6枚目は「OHP」で、文字や絵などが入った透明なシートを台に載せて映し出しました。
 これらの機材は、パソコンやプロジェクターの技術が進歩すると使われなくなりました。

「昔の小学校」4.戦前の学用品と戦争編
2021年1月9日

 歴代の卒業写真を調べると、大正13年(1924)から制服姿の男児が登場します。最初は数名でしたが、昭和に入ると着物と制服が半々になり、昭和8年(1933)にはほぼ制服になります。女児は黒紋付に袴ですが、昭和4年(1929)に洋服が登場し、後にセーラー服も現れます。
 1枚目は昭和初期の小学校1年生用の制服です。戦後に現在も使われている標準服が導入されるまで、このような形のものが使われました。
 2枚目は大正6年(1917)に女児が使用した防寒用のマントですが、当時は袖無しで全身をすっぽりと覆うようなものが主流でした。

 制服とともにランドセルも導入されたと思われますが、はっきりとした年代は分かりません。3枚目は館蔵品で最も古い大正13年(1924)頃のものです。
 4枚目は昭和初期の女児用ランドセルで、赤・オレンジ・青の花が入っています。貴重品であったため、従姉が使用していたものを譲り受けて使用したそうです。

 中国との戦争が激しくなった昭和16年(1941)に尋常小学校から「国民学校初等科」に名前が変わり、しだいに学校教育の内容も変わっていきました。
 5枚目は「投てき棒」で、手りゅう弾の代わりに投げる訓練をしたそうです。
 6枚目は「携帯用国旗」で、戦争に行く人を見送る際に使いました。
 戦争が激しくなると、授業どころではなくなり、運動場にさつまいもなどの畑を作ったり、避難訓練をしました。

ページトップへ

金沢くらしの博物館〒920-0938  石川県金沢市飛梅町3-31(紫錦台中学校敷地内) TEL / FAX:076-222-5740
MAIL:kurashi@kanazawa-museum.jp

展示日程の一覧

金沢文化振興財団