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2021年4月

企画展「ひな飾り展」、明日で終了です
2021年4月10日

 企画展「ひな飾り展~平飾りから段飾りへ~」は、明日4月11日で終了です。かつては内裏びなを床の間などに飾りましたが、人形や道具が増えるにつれ、段飾りへと変わっていった様子などを紹介しました。
 毎年テーマを変えて開催しておりますが、数年に一度しか展示しないひな飾りもありますので、一人でも多くの方々に見ていただければ幸いです。

 次回の展示は五月人形の主役であるヨロイカブトをテーマに、こいのぼりなども飾る予定です。


 展示替え休館 4月12日(月)~4月16日(金)

 企画展「端午の節句展~ヨロイカブト~」
  令和3年4月17日(土)~6月6日(日)

2021年3月

「ひな飾り展」2.段飾り編
2021年3月27日

 昭和初期のひな飾りにはメーカー製のひな段が付属しており、解体して木箱に収納できるようになっています。こうした木製のひな段は昭和中期までみられましたが、金属製に変わっていきました。
 1枚目は昭和9年(1934)のひな飾りで、御殿を最上段に飾る五段飾りです。三人官女を御殿の中に入れて、二段目からは五人囃子などを飾り、最後に高砂人形などを飾りました


 2枚目はひな道具の三方と高杯ですが、セット品として同じ箱の中に入れられており、豪華な花模様が入れられています。三人官女以下の人形13体も同じ箱に入れられ、同じ模様が入った台座に飾ります。
 3枚目は大臣と仕丁の間に御膳が並んでいますが、御膳の左側の御櫃や湯桶は現代ではほとんど見られなくなりました。

 こうした道具などに揃いの模様を入れる形式は七段飾りに受け継がれ、4枚目のように嫁入り道具にも入れられています。
 5枚目は「戦前のくらし」の床の間ですが、五段飾りの本来の姿を見るだけでなく一緒に記念撮影ができます。ぜひ来館の記念に撮影していただければ幸いです。

「ひな飾り展」1.平飾り編
2021年3月18日

 今回のひな飾り展のサブタイトルは「平飾りから段飾りへ」ですが、かつては内裏びなを床の間などに飾っていました。
 特に明治から大正にかけては、三人官女などのひな人形も個別の箱に入れて売られたため、毎年少しずつ買い足していく家庭もあったようです。
 1枚目は明治3年(1870)のひな飾りですが、五人囃子に比べて三人官女が大きく台座の模様も異なるため、別々に買い求めたことが分かります。

 三人官女だけを撮影した2枚目を見ると、衣に刺繍が入っていることが分かります。表情も豊かであり、日本人形のようにポーズをとっています。
 3枚目は同じく明治の三人官女ですが、台座が一体化して小さく作られています。当時は値段に応じて様々な大きさが作られていました。

 この時代の三人仕丁は、4枚目のように透けるような衣をまとっています。現在は老人を向かって右に置き、中央で沓を持つのは若者が多いので、飾り方も変わっていることが分かります。
 5枚目は「狆引(ちんひき)」で、江戸時代に座敷犬として飼われた狆を官女が連れています。大正頃までひな人形と一緒に飾られましたが、現在では狆そのものが珍しくなりました。

2021年2月

企画展「昔の小学校」、明日で終了です
2021年2月6日

 企画展「昔の小学校~寺子屋から昭和まで~」は、明日2月7日で終了です。江戸時代の寺子屋から明治の学校制度への移行、そして昭和中期にかけての学用品などを紹介しています。
 なつかしい学校用品や学用品ですが、博物館に残されているのは教科書を除くと1点ものが大半を占めます。そんな貴重な資料を一人でも多くの方々に見ていただければ幸いです。

 次回の展示はひな飾りの移り変わりをテーマに、200点近いひな人形を館内に飾る予定です。


 展示替え休館 2月8日(月)~2月12日(金)

 企画展「ひな飾り展~平飾りから段飾りへ~」
  令和3年2月13日(土)~4月11日(日)

「昔の小学校」6.戦後の学用品編
2021年2月2日

 現在も市内の多くの小学校が制服を採用していますが、黄色い帽子になる前は、男児は1枚目のような帽子を被りました。中央の金具は梅をかたどり、金沢市の「金」が入っています。
 昭和30年代は黒ですが、昭和40年代半ばの写真では白いカバーをつけたものが確認できます。同じ写真に黄色い帽子を被った女児も写っており、一足早く導入したようです。


 ランドセルは戦前に引き続いて茶色が作られ、昭和32年の新聞には男児用の一番人気で、続いて黒としています。女児用は赤、オレンジ、黄、紺、グリーン、ワサビ色もあったようですが、赤が喜ばれたようです。昭和37年の新聞では、黒、エンジ(赤)が全体の95%を占めるとしています。
 2枚目は昭和25年(1950)のものですが、3枚目の昭和40年代と比べると厚みが違うのが分かります。

 戦後の音楽教育に器楽が導入され、家庭で購入した音楽用品も残されています。
 4枚目の横笛は昭和40年代のものですが、現在と比べると吹口が小さくて息を入れるのが難しいため、音を出すのも一苦労だったと思われます。
 5枚目は「メロディオン」で、縦に持って吹きました。鍵盤ハーモニカともいいますが、鍵盤が見やすいホース状の吹口が登場すると、大きく形状が変わりました。

2021年1月

「昔の小学校」5.戦後の教育と学校用品編
2021年1月20日



 昭和22年(1947)の「教育基本法」で戦後の教育制度が定められ、大きな改革が行われました。教科書の内容やデザインも変わり、複数の会社が1枚目の「新しい国語」などを作りました。音楽も歌うだけではなく、器楽・鑑賞(かんしょう)などが加わりました。
 この「新しい〇〇」という教科書のタイトルは、令和になった現在もなお一部の教科書で使われています。



 学校ではプリントなどの大量の印刷物が配られますが、昭和40年代ごろまで2枚目の「謄写版」が使われました。ロウ紙をヤスリの上に置いて、鉄筆でガリガリと文字を書くことから「ガリ版」とも言われました。
 ロウ紙を印刷する紙の上にのせ、さらに網の上でインクを塗ったローラーを転がして1枚1枚刷りましたが、後にコピー機が登場すると使われなくなりました。


 教科書の中身がカラー印刷になるまで、スライド上映機で画像を投影して授業を行いました。3枚目は昭和26年(1951)のもので、フィルムタイプにも対応していましたが、スライドは2枚しか入れられませんでした。後に4枚目のような多くのスライドを差し込んで見せることができるようになりました。

 5枚目の「実物投影機」は昭和37年(1962)のもので、木の台に載せた物を映し出しました。
 6枚目は「OHP」で、文字や絵などが入った透明なシートを台に載せて映し出しました。
 これらの機材は、パソコンやプロジェクターの技術が進歩すると使われなくなりました。

「昔の小学校」4.戦前の学用品と戦争編
2021年1月9日

 歴代の卒業写真を調べると、大正13年(1924)から制服姿の男児が登場します。最初は数名でしたが、昭和に入ると着物と制服が半々になり、昭和8年(1933)にはほぼ制服になります。女児は黒紋付に袴ですが、昭和4年(1929)に洋服が登場し、後にセーラー服も現れます。
 1枚目は昭和初期の小学校1年生用の制服です。戦後に現在も使われている標準服が導入されるまで、このような形のものが使われました。
 2枚目は大正6年(1917)に女児が使用した防寒用のマントですが、当時は袖無しで全身をすっぽりと覆うようなものが主流でした。

 制服とともにランドセルも導入されたと思われますが、はっきりとした年代は分かりません。3枚目は館蔵品で最も古い大正13年(1924)頃のものです。
 4枚目は昭和初期の女児用ランドセルで、赤・オレンジ・青の花が入っています。貴重品であったため、従姉が使用していたものを譲り受けて使用したそうです。

 中国との戦争が激しくなった昭和16年(1941)に尋常小学校から「国民学校初等科」に名前が変わり、しだいに学校教育の内容も変わっていきました。
 5枚目は「投てき棒」で、手りゅう弾の代わりに投げる訓練をしたそうです。
 6枚目は「携帯用国旗」で、戦争に行く人を見送る際に使いました。
 戦争が激しくなると、授業どころではなくなり、運動場にさつまいもなどの畑を作ったり、避難訓練をしました。

2020年12月

「昔の小学校」3.大正~昭和初期の学校編
2020年12月28日

 大正時代に入ると、創造性や自発性を重んじるとともに、実験や体験的な学習が取り入れられるようになりました。
 1枚目は大正8年(1919)の教科書「尋常小学算術書 第四学年」です。写真は文字が読みにくいですが、下に「文部省」とあり、国定教科書であることが分かります。
 2枚目は大正7年(1918)の4年生の通知表ですが、国語が読方・綴方(つづりかた=作文)・書方の3つに分かれ、平均で評価されたようです。綴方だけ国定教科書がなく、教師の裁量で行われました。また、社会ではなく日本歴史と地理に分けて学んでいました。

 大正時代に導入されたスウェーデン体操。現在も体育館の片隅などにある「肋木(ろくぼく)」は代表的な補助器具でした。3枚目は昭和6年(1931)に旧・長土塀小学校で撮影されたものですが、体育館の中に10個以上並んでいます。
 4枚目は旧・芳斎町小学校で保存されていた木製のアレイですが、両腕に持ってスウェーデン体操をしたそうです。他の小学校のアルバムにも体育設備を紹介しているものがあり、体育に力を入れていたことが分かります。


 5枚目は石引町小学校(現・小立野小学校)の理科室の写真絵葉書で、昭和6年(1931)頃のものです。奥が高いので階段教室として作られていることが分かります。
 理科が必修になったのは明治40年(1907)のことで、4年生から学びました。このため理科室の多くは大正以降に作られたので、記念絵葉書として残ったと思われます。



 当館は明日29日より年末年始の休館となりますので、ご注意ください。

◆年末年始休館のお知らせ◆
12月29日(火)~1月3日(水)

「昔の小学校」2.旧校名と卒業編
2020年12月14日

 現在の校名の多くは所在地に由来しますが、明治初期には古語・漢語の校名が多くありました。
 1枚目には「格致小学校」の文字が入っています。横安江町にあった女児校で、儒学の「格物致知(かくぶつちち)=事物の理を探求する行為」の略語を採用したと思われます。後に旧・松ヶ枝町小学校に合併されました。
 2枚目は「勤成小学校」(後の旧・長町小学校)の印ですが、こちらは造語と思われます。この他に「養成」「精錬」「観成」「淳正」「清貞」など多くの校名がありましたが、明治18年(1885)に地名に変更されました。


 当初4年間だった小学校ですが、通学が難しい児童もいたため、3年間でも卒業することが認められた時代がありました。3枚目はその時代の明治28年(1895)の卒業写真で、幼い顔つきの子供たちが並んでいます。
 明治33年(1900)に4年間必修になり、同40年(1907)に6年間に延長されました。この頃にはほとんどの子供たちが小学校に通うようになりましたが、義務教育は6年間だけで卒業後は進学せずに働く方が多いようでした。

「昔の小学校」1.寺子屋と学校制度編
2020年12月2日

 企画展「昔の小学校~寺子屋から昭和まで~」(~2月7日)の展示品を、テーマに分けてご紹介します。

 江戸時代に子供たちに読み書きなどを教えた「寺子屋」は寺や個人宅で行われ、11~12歳から15~16歳まで学びました。寺子屋によって教える内容が異なり、習字を教えることが多かったようです。
 1枚目の机は自宅で指導に当たった女性が使用したものです。当時の生徒は自分達で机や文房具などを用意し、授業が終わると隅に積んだそうです。
 2枚目は寺子屋で使われた読本です。百人一首などが紹介されており、いろんな知識を得ることもできました。

 明治3年(1870)に、全国に先駆けて金沢藩が「小学所」を設立しました。金沢町は6ヶ所でしたが、翌年には11ヶ所に増えました。7~8歳から14~15歳の男児が毎月2日に入学し、上等・下等に分かれて学びました。毎月の試験に合格すると等級が上がる、授業料を納めるなど、現在とは異なる仕組でしたが、多くの人が学びました。

 明治5年(1872)の学制で小学校教育が始まり、6歳から13歳までの上等・下等8年で読書・習字・算術・縫針を学びました。市内各地で多くの小学校が設立されましたが、当初は個人の家や寺などを学校代わりにし、後に校舎が建てられました。
 今回の展示では市内の小学校にご協力いただき、明治の貴重な教科書を展示しています。初期の教科書はアメリカの教科書を翻訳したりしましたが、明治19年(1886)から検定制となり、明治36年(1903)に国定にかわるまで民間で教科書が作られました。3枚目はその時代の教科書です。
 4枚目は明治40年(1907)の3年生の通知書で、修身・国語・算術・体操・図画・唱歌・手工(工作)・操行(ふだんの行い)で評価されていたことが分かります。

2020年11月

企画展「市電が走った時代」、あと3日
2020年11月13日

 大正から昭和中期にかけて市街地を走った市電を紹介する企画展「市電が走った時代」は、ついに11月15日で終了です。
 沿線などの風景写真も多数展示していますので、じっくりと見ていかれる方が多いです。気温も高めの日が続きそうですので、お時間がありましたらぜひご来館ください。

 次回の展示は、小学校をテーマに寺子屋から昭和にかけての教科書や学用品などを紹介する予定です。


 展示替え休館 11月16日(月)~11月20日(金)

 企画展「昔の小学校~寺子屋から昭和まで~」
  令和2年11月21日(土)~令和3年2月7日(日)

2020年10月

「市電が走った時代」2.切符編
2020年10月30日

 大好評の企画展「市電が走った時代」(~11月15日)、あと2週間となりました。今回は乗客が使った切符編です。

 1枚目は昭和初期の切符ですが、当時は松金線(松任~金沢)が香林坊まで直通運転していたため、右下に「泉」「有松」とあります。
 下の切符はバスの乗り継ぎも対応しているため、複雑な路線図になっていますが、当時の交通事情を知ることができます。

 2枚目のカラフルな切符は年末年始の初詣に使われた切符で、毎年デザインが変わりました。特に注目していただきたいのは、当時の社名です。
左上ー金沢電気軌道(市電開業~昭和16年)
右上ー北陸合同電気(昭和16~17年)
下(2枚とも)―北陸鉄道(昭和17年~)
 日中戦争の影響でこのような社名の変遷があったことを知ることができます。

 3枚目の回数券は戦前から発行されてきましたが、戦後は物価の上昇などで料金が変わり、デザインも変更されました。
 4枚目は市電の廃止記念に発行されたもので、多くの人が記念に残しています。

博物館の紹介動画のお知らせ(金沢ナイトミュージアム)
2020年10月13日

 「金沢ナイトミュージアム2020」にて撮影された当館の紹介動画が公開されましたので、お知らせします。
 館内の様子や、現在開催中の企画展「市電が走った時代」などをご覧いただけます。

You Tube「vol 13 金沢くらしの博物館を訪れる」へのリンク
https://www.youtube.com/watch?v=yUPtSjLVqzI

金沢ナイトミュージアム2020へのリンク
https://www.nightkanazawa.com

120年前の貴重な写真
2020年10月10日

 このたび当館の建物である「石川県第二中学校」(国重文)が明治32年(1899)に完成した当時の貴重な写真が寄贈されましたので、10月10日より25日まで玄関ホールにて公開します。

 この写真は、建物の建築工事を請け負った福井の土岡名右衛門(なうえもん)が所蔵していたもので、孫の秀一氏が発見しました。尖塔の小窓、左手の生徒控所、校門の守衛所など今は失われた細部意匠や学校施設を見ることができます。

 なお、公開期間終了後はパネルにて紹介します。

2020年9月

「市電が走った時代」1.路線風景
2020年9月30日

 現在開催中の企画展「市電が走った時代」(~11月15日)の展示品を、テーマに分けてご紹介します。

 市電(路面電車)が金沢で開業したのは大正8年(1919)で、金沢駅~兼六園下を結びました。以後路線を増やしていきますが、工事に伴い道路も拡張され、大きく風景が変わりました。
 1枚目は「第二中学校前」(現・くらしの博物館)ですが、開業を祝う花電車が写っています。

 戦後も市民の足として広く利用され、2枚目の「石浦町」に写る大型の車両が導入され、既存の青電車に対して赤電車として親しまれました。
 3枚目は「片町」の電停ですが、当時は道路にホームがある場所は限られ、写真のように車の間を通って市電に乗りました。


 4枚目は「香林坊交差点」ですが、中央に円形の構造物があり、中にいる職員が市電の行先に合わせてポイントを切り替えていました。地元の人は「でべそ」と呼んで親しみました。

2020年8月

特別展「ハレ着の美と職人道具」、明日が最終日です
2020年8月29日

 子供から大人までの美しい紋付着物や、人間国宝・木村雨山が使用した道具や下絵などを紹介する特別展「ハレ着の美と職人道具」は、明日8月30日で終了です。
 厳しい残暑で気温が高い日が続きますが、お時間がありましたらぜひご来館ください。

 次回の展示は、昭和42年まで市内を走っていた「市電」や当時の街並み・観光地などを紹介する予定です。


 展示替え休館 8月31日(月)~9月4日(金)

 企画展「市電が走った時代」
  令和2年9月5日(土)~11月15日(日)

夏の風物詩「虫干し」
2020年8月22日

 今年も2階廊下で、館蔵品の着物を「虫干し」風に展示しています。見上げる形になりますが、様々な年代の子供用の着物がたくさん天井からぶら下がっていますので、見た目にも楽しめると思います。
 なお、奥に進むと大人用の着物も数枚あります。9月下旬まで展示する予定ですので、ご来館の際に見ていただければ幸いです。

2020年7月

「ハレ着の美と職人道具」3.女性用
2020年7月19日

 現在結婚式や茶道などに使われる「訪問着」は大正初期に生まれたもので、昭和初期頃まではこのような紋付着物が主流でした。
 1枚目は色留袖に見えますが、袖が少し長く裏地に赤が使われていることから振袖と考えられます。2枚目は着付けする前の様子ですが、裾模様が左右対称に染められていることが分かります。



 3枚目も振袖ですが、麻で作られた貴重な夏の紋付着物です。「戦前のくらし」で展示していますが、近くでご覧いただくと生地の透け具合を見ることができます。袖には老夫婦の生活を表す絵柄が染められています。


 4枚目は留袖ですが、かつては襦袢の上に2枚重ねて着ました。5枚目のように表は白を基調とした裾模様ですが、下襲(したがさね)は色鮮やかに同じ模様を染めています。歩く時などにわずかに見える程度のおしゃれですが、このような時代もありました。

夏の建具、入りました
2020年7月8日

 毎年夏には「蚊帳(かや)」を展示していますが、今年は新型コロナウィルス対策のため、襖(ふすま)を「簾戸(すど)」に変えて夏らしさを演出しています。
 ふだんは1枚目のように開けていますが、2枚目のように閉めても風を通してくれるので、家の中を涼しくしてくれます。

 縁側には「簾屏風(すだれびょうぶ)」を置いています。庭からの日差しを遮りながら、風を通してくれます。今ではあまり使われなくなった昔の夏用品に親しんでいただければ幸いです。

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金沢くらしの博物館〒920-0938  石川県金沢市飛梅町3-31(紫錦台中学校敷地内) TEL / FAX:076-222-5740
MAIL:kurashi@kanazawa-museum.jp

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