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2017年11月

国重要文化財指定
2017年11月28日

 先月20日に文化財指定の答申がありましたが、本日発行の官報(臨時)により、国重要文化財に指定されました。
 お天気もよくすばらしい一日となりそうです。お祝いの幟旗を掲示しましたが、月末まで展示替え休館中のためご覧いただけるのは外観だけとなります。

 次回展示「昔の道具~暖房~」は12月1日(金)より開催しますので、是非お越し下さい。

祝・300枚達成
2017年11月23日

 金沢くらしの大百科の料理・ことばのアンケートが、合計300枚となりましたので、ランキングを更新しました。
 前回は5月にランキングを作成しましたので、半年ぶりとなります。

 料理ランキングでは「ナスソーメン」が3位から2位へ、「べろべろ・えびす」が6位から5位へと変わりました。そして「頭脳パン(頭によいレーズン入り)」がアンケートに初登場しました。
 前回の報告では夏に入ることから、7位の「どじょうの蒲焼」の上昇を予想しましたが、季節を味方につけたのは「ナスソーメン」でした。ということは、次回は冬の料理「治部煮」「かぶら寿し」がランキングアップするかもしれません。

 ことばのランキングは大きな変動はありませんが、「どいね(どうなの?)」「一題目、二題目(歌詞の一番、二番)」「かたがる(絵などが傾いている)」などが初めてアンケートに加わりました。

◆お知らせ◆
 先週まで毎週紹介してきました14回にわたる「写真で見る戦後の金沢」シリーズを見やすいように、専用ページを作りました。下記のリンクを利用してご覧下さい。

       「写真で見る戦後の金沢」まとめへ

 特別展「写真で見る戦後の金沢」は26日(日)で最終日です。まだの方は是非ご来館ください。

 展示替え休館は11月27日(月)~30日(金)で、次回は企画展「昔の道具~暖房~」(12月1日(土)~来年2月18日(日))を開催します。

「写真で見る戦後の金沢」14.湯涌温泉編
2017年11月18日

 湯涌温泉は金沢の奥座敷と言われ、かつて竹久夢二が訪れたことで知られています。

 1枚目(左)は昭和7年(1932)に開業し、東洋一の殿堂温泉として知られた「白雲楼ホテル」です。2枚目(右)の大広間「医王の間」には相川松瑞が四季を描いた豪華絢爛な襖絵があり、この他にも様々な美術工芸品が館内に飾られていました。いずれも昭和30年代に撮影されたものと思われます。


 3枚目は昭和42年(1967)に開村した「百万石文化園江戸村」の入口です。門柱の様子などから開村間もない頃に撮影されたと思われます。白雲楼から山の方へ徒歩5分歩いた所にあり、広大な敷地内に複数の江戸時代の建物を移築して、職人道具などを展示していました。
 白雲楼ホテルは経営難により平成11年に倒産したため、老朽化したホテルの建物は取り壊されました。旧江戸村の建物は現在の場所に移築され、平成22年金沢湯涌江戸村として開村しました。

 4枚目(左)は昭和30年代の湯涌温泉街で、手前左の空地は現在郵便局となっています。町家が並ぶ中にレトロな街灯があり、ひなびた湯治場の雰囲気を感じることができます。
 5枚目(右)はもう少し奥に進んだ場所で、道路の上に「あたらしや」とあります。平成に入るとあたらしやは新築移転し、跡地は平成11年に総湯「白鷺温泉」となって現在に至ります。

着物で記念撮影~秋編・第3弾~
2017年11月12日


 9月から3ヵ月連続で開催してきました着物体験の秋編、最終回です。
 初日はあいにくの雨でしたが、二日目は天候に恵まれ、多数のお子さんにご参加いただきました。
 そんなあわただしい中、初出し品の着物を選ばれたお嬢さんに階段での記念撮影をお願いしました。左の紫の着物なのですが、色がすばらしいとボランティアの間でも評判がよく、人気の着物になりそうです。
 この3ヵ月でたくさんの着物をいただきましたので、少しずつ追加しています。たくさんの子供たちに素敵な思い出を作っていただけるよう、今後も充実させていく予定です。

 左の写真にずらっと並んだ着物から今回の盛況ぶりが伝わるでしょうか。中には年賀状用にされるという方もおられましたので、すてきな年賀状になれば幸いです。
 なお、今回は床の間に嫁入りの時にトラックの上に載せたというワラの鶴亀を飾りました。

 次回は12月9日(土)・10日(日)に冬編を開催します。11月21日(火)より受付を開始します。

「写真で見る戦後の金沢」13.犀川・浅野川編
2017年11月9日

 金沢の中心地は犀川と浅野川にはさまれており、川にかかる橋はくらしに欠かせないものでした。

 1枚目は犀川にかかる桜橋を撮影したものです。橋桁の形状から、昭和36年(1961)7月の豪雨で流失する前の写真と考えられます。河原にはたくさんの雪が積もり、奥には片町の大和などの街並みが見えます。
 桜橋は昭和38年(1963)にコンクリート製の永久橋に架け替えられました。


 2枚目は犀川大橋から上流方向を撮影したものです。奥に小さく写る桜橋が架け替え前なので、昭和30年代の前半と考えられます。
 この時代はまだ河川敷が整備されていないため、川幅が広く感じられます。




 3枚目は卯辰山のふもとの常磐町付近から中心地方向に撮影したものです。右奥に写る橋は天神橋で、昭和28年(1953)の豪雨で流失する前のものです。
 浅野川の左側には街並みが連なりますが、まだ高層建築があまりないため、奥にある金沢城の森が見えます。



 4枚目は浅野川大橋と天神橋の間の川原で撮影したものです。左奥に写る天神橋は昭和30年(1955)に架け替えたものに変わっており、それ以後の写真と思われます。
 中央にある大きな木のふもとあたりに梅の橋がありましたが、昭和28年(1953)の豪雨で流失しました。昭和53年(1978)に橋が復元されるまで、このような風景でした。
 右の建物には「北国第一」とあります。当時は川べりに映画館があり、多くの人々が映画を見に訪れましたが、昭和50年(1975)に閉館しました。

「写真で見る戦後の金沢」12.卯辰山編
2017年11月3日

 卯辰山は古くは「向山(むかいやま)」・「夢香山(むこうやま)」などと呼ばれ、地元の人々に親しまれてきました。

 車社会になると山頂へ登る道路が整備され、1枚目のような写真が残されています。道路が未舗装のため、昭和30年代と思われます。
 天神橋~山頂の舗装工事は昭和39年(1964)、山の上町~山頂は昭和48年(1973)に完成しました。

 2枚目(左)は昭和32年頃(1957)に卯辰山の公園にいた鹿を写したものです。3枚目(右)は昭和33年(1958)の6月に撮影されたもので、いずれも山頂の「玉兎ヶ丘(ぎょくとがおか)」周辺にあったと思われます。展望台などもあり、人々が散策できるように整備されていました。

 4枚目(左)は昭和33年(1958)の11月に完成した「金沢ヘルスセンター」です。当初は大広間や大浴場を中心とした娯楽施設が作られ、後に動物園なども作られました。昭和58年(1983)には「金沢サニーランド」と名称変更しています。
 5枚目(右)も昭和38年(1963)の8月に開館した「金沢水族館」で、ヘルスセンターの隣にありました。後にヘルスセンターと水族館はロープウェーで結ばれ、多くの客が訪れました。
 サニーランドは平成5年に閉鎖され、動物たちは能美市のいしかわ動物園に引き継がれました。

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