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金沢の風習(人生儀礼)

加賀水引


加賀水引(男性側)平成18年

 金沢では結納の時には豪華で立体的な「加賀水引」が使われます。鶴や亀、松竹梅に海老や鯛など、美しい水引たちがおめでたい席を彩ります。
 ・家内喜多留(やなぎだる)―お酒、家庭円満
 ・寿留女(するめ)―末長い幸せ
 ・松魚(かつお)―かつおぶし、男性の力強さ
 ・優美和(ゆびわ)―婚約指輪
 ・結納金―帯地料や小袖料とも、お好みの着物や帯を
 ・長熨斗(ながのし)―のしアワビ、長寿
 ・末広(すえひろ)―扇、末広がりの繁栄
 ・子生婦(こんぶ)―子孫繁栄
 ・友白髪(ともしらが)―白髪になるまで仲良く
 これらの品物を記した「茂久録(もくろく)」とともに、結納の際に男性側から女性側に贈られます。さらに「御神前」「御仏前」、そして両親や兄弟姉妹、親戚などへのお土産品にも水引がかけられます。

結納返し

加賀水引(女性側)平成18年

 女性側は道具運びの日に結納返しとして結納水引を持参します。男性側から贈られた品物の半分が目安となりますが、同品目を用意する場合もあります。ホテルなどで行う場合は、両方が同時に水引を用意して渡す場合もあります。





たもと酒

たもと酒

 結納の前段階で、結婚の承諾をした際に、たもと酒でお祝いする風習があります。するめ10枚と一升酒を用意し、するめをあぶって肴にして酒を酌み交わして、結納の日取りを決めます。
 かつては着物の袂(たもと)に入れて用意し、承諾を得た時の取り出したのでこの名前があります。

ワラの鶴亀

 金沢などの加賀地方の平野部では、嫁入りの際にわら細工の鶴亀を持参する風習があります。昔は鶴を赤飯の上に、亀を米俵の上に載せて、嫁入り道具の先頭にして運びました。米俵には本物の米を入れる場合もあったそうです。嫁入りトラックを使うようになると、トラックの運転席の上に載せて運びました。
 嫁ぎ先に着くと、唄をうたって最初に運び込み、床の間などに水引と一緒に飾ったりしました。
 わら細工職人などが作った昭和40~50年代のものが博物館に残されています。この頃の特徴として、鶴の首や翼、亀の甲羅などにビニールひもが使用されています。近年はあまり持参されなくなりましたが、結納品店などで飾られているのを見ることができます。


昭和55年(未使用)

昭和47年(市内西部)

昭和54年(市内南部)

花嫁のれん

 花嫁のれんは「ヨメノレン」と呼ばれ、花嫁が結婚式当日の朝などに嫁ぎ先の仏壇参りを行う際にくぐる加賀友禅の美しいのれんです。旧加賀藩(石川県と富山県西部)で行うとされています。
こののれんは家紋入りで、花嫁の実家の家紋が染め抜かれています。高価な物であり、一生に一度しか使用しないため、近年はあまり持参されなくなりました。

展示について

 常設展示室および廊下で花嫁のれんを展示していますので、いつでもご覧いただけます。展示品の保護のため、年に数回入れ替えを行います。


「戦前のくらし」壁面

「廊下」壁面
様式の移り変わり

 明治時代ののれんは、木綿に藍染めでおめでたい模様が描かれましたが、次第に絹に友禅で染めるようになり、現在のような形になりました。
 明治後期から昭和初期にかけての嫁のれんは青や紫が主でした。戦前に作られたと思われる女児用の紋付着物も青や紫が多く、時代の流行を反映しているかのようです。
 しかし、昭和初期から次第に赤いのれんがつくられるようになり、昭和30年代頃になると、赤くて幅の広い物が主流になりました。とはいうものの、幅の広いのれんをかけられる座敷がない場合もあるため、三幅と五幅の両方を持参する花嫁もいました。
 のれんの絵柄は、古くは鶴亀などが好まれましたが、鳳凰や唐獅子を描いたりするなど、様々な絵柄がありました。現在は夫婦仲を象徴する鴛鴦(オシドリ)がよく見られます。


明治時代

大正時代

昭和初期(推定)

昭和50年代
花婿のれんと夏のれん

夏のれん

 花嫁に婿養子を迎える場合は、花婿がのれんを持参しました。男性らしい絵柄や、家紋が入っただけの無地の物などいろいろな物がありますが、点数が少ないので、なかなか見ることができません。
 また、夏用ののれんというものもあります。これは絽の生地でできていて、涼しげな水色ののれんです。夏の法事の時に仏間の入り口に掛けたりしました。嫁のれんと夏のれんを一緒に持参するのが花嫁の心得とされた時代があり、両方残されている場合があります。

合わせ水

合わせ水

 嫁ぎ先の仏壇参りをする際に、玄関先で嫁の実家から持参した水と、嫁ぎ先の水を一つのカワラケに合わせて注ぎ、花嫁が飲む儀式があります。これは両家の水になじむようにという願いがこめられています。花嫁が飲んだらカワラケを割りますが、これは花嫁が出ていくことがないようにというおまじないです。
 そして花嫁はオマッチョロ(お待ち女郎、またはお手引きさん)役の女の子(花婿の親戚、男の子がする場合あり))に手を引かれて案内され、白無垢姿で仏壇参りをします。

五色生菓子


五色生菓子

 五色生菓子は日・月・山・海・里をあらわしたもので、一部を赤く染めた太陽、白い麦まんじゅうの月、くちなしで染めた米粒をつけた山(栗)、波形の大福の海、蒸し羊羹の里(水田)の5種類があります。加賀藩二代藩主利長公の時代に藩の御用菓子司樫田吉蔵が考案したと言われています。
 結婚する時に、挨拶代わりに赤飯と五色生菓子(饅頭)を親戚や近所に配ります。この時に輪島塗の重箱に入れて美しい袱紗をかけましたが、今は紙箱入りの赤飯や生菓子があるため、袱紗や重箱は次第に使われなくなっていきました。
 もう一つ、金沢の婚礼の祝い菓子に「寿せんべい」があります。これは丸い円形の紅白のせんべいで、中央に蜜で「寿」の文字を入れ、一対の松葉をそえたものです。

加賀袱紗

 五色生菓子を配る時には輪島塗の重箱に入れます。さらに座布団を入れた重台の上にのせて、美しい袱紗をかけて、縮緬の中包みで包みます。このことから、袱紗のことを「ジュウカケ」ともいいます。そして汚れないようにさらに風呂敷(紬。古くは木綿)で包んで持って行きました。これは花嫁自身が持っていくのではなく、親戚がお使いにたちます。受け取った家では、袱紗の美しさなどを鑑賞し、中の赤飯と生菓子だけを取り、重箱や袱紗はお使いの人に返しました。今は紙箱入りの赤飯や生菓子があるため、袱紗や重箱は次第に使われなくなっていきました。


袱紗(ジュウカケ)

重箱・重台

中包み(縮緬)

風呂敷(紬)
袱紗の移り変わり

 昔の袱紗は風呂敷のように大きなものが使われ、古い物は内側に刺繍したり平織りの絹に友禅で描いたもので、外側は縮緬や地紋の入った赤絹を使い、家紋が入っていないものありました。家紋が入ってるものでも、古くは周りを花などで美しく装飾した「加賀紋」が使われました。しだいにつづれ織りのものが中心になり、小さなものも使われるようになっていきました。


袱紗(ジュウカケ)

袱紗(ジュウカケ)

加賀紋

使用イメージ

 なお、実際に大きな袱紗を使う場合は、四つ折りにして重箱の上に載せることが多いですが、縦3つ横3つと小さく折りたたむと、四方に房が下がり、重箱の大きさに合います。このため、袱紗の中央に家紋が入ったものもあります。小さな袱紗は折らずにそのまま重箱の上に載せます。

ころころ団子


ころころ団子

 赤ちゃんが生まれる月かその前の月の戌の日に、安産であることを願って親戚や親しい人に配られる楕円形の白い団子(餅)です。ころころと生まれるように奇数を配りますが、ころころ=9696との語呂合わせから、15個15か所に配る家もありました。
 このだんごは赤ちゃんに見立てられるので、赤ちゃんがやけどしないように焼いて食べてはいけないとされました。そのまま食べるか、雑煮などにして食べました。

初産と里帰り

初産帰り帽子

 昔は初めての赤ちゃんの産む時は、実家に帰りました。ころころ団子を配ると、実家に帰り出産の用意をします。
 無事に生まれると、1,2カ月ぐらいで嫁ぎ先に戻りますが、その時に「初産帰り」といって、赤ちゃんに特別な帽子をかぶらせ、紋付の着物を羽織らせて、実家の母親が抱いて行きました。この帽子を「初産帰り帽子」「ハル帽子」「チョウハイ帽子」などと呼びます。金沢では里帰りすることを「チョウハイ」とか「チョウハイガエリ」などと言うので、この名前がついたと思われます。着物はこの帽子と揃いの家紋入りの四つ身を仕立てます。
 今はお宮参りの時に着物を羽織らせるのが主で、初産帰り帽子はあまり見られなくなりました。

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金沢くらしの博物館〒920-0938  石川県金沢市飛梅町3-31(紫錦台中学校敷地内) TEL / FAX:076-222-5740
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