企画展

これまでの企画展

第60回 犀星愛鳥記
 スズメのおしゃべり、カケスのモノマネ、ウグイスの美声…。
 鳥たちの声に耳をすまし、その姿に魅了され、時には慈しみ育てた犀星。
 生きとし生けるものを愛した文学者犀星ならではの、細やかな愛鳥の記録を、小林重三(しげかず)の野鳥画とともに紹介します。
令和5年3月11日(土) ~ 令和5年7月9日(日)

第59回 室生犀星記念館やわやわと20年~マニアック犀星への招待~
 2002年(平成14年)の開館以来、やわやわと(ゆっくりのんびり)歩んできた当館も20歳をむかえ、成人となりました。
 展示、イベント、資料収集、オリジナル商品開発、レファレンスなど様々な活動を通し、いつの間にかいろいろな”犀星”を蓄えてきました。
 これまでどんな犀星を探し、集め、触れ、作り、見つめてきたのかを振り返り、マニアック犀星への道をナビゲートいたします。
令和4年11月12日(土) ~ 令和5年3月5日(日)
※12月29日(木)~1月3日(火)休館

第58回 朔太郎没後80年・犀星没後60年記念 詩の双生児 ~君は土、彼は硝子~
 前橋と金沢。それぞれの故郷で全くちがう境遇にありながら、「詩」の上で出会った萩原朔太郎と室生犀星。
 若き苦しみを抱いた二人の魂は、共鳴しながら新しい詩の世界を、手を取り合って切り拓いて行きました。時には恋人のように、時には兄弟のように、時には敵同士となりながら、生涯無二の親友であり続けた二人の友情のヒストリーを、数々のエピソードとともに、振り返っていきます。
令和4年7月16日(土) ~ 令和4年11月6日(日) 

第57回 旅する犀星 ~大陸編~
 昭和12年春、47歳の犀星は中国大陸への旅行を決行します。
 大連港より上陸、旅順、奉天(瀋陽)、哈爾濱と満洲を廻り、朝鮮半島を経由して帰国するまで約二週間という、決して長くはない旅でしたが、犀星にとっては生涯の大旅行でした。
 この旅から生まれた作品には『哈爾濱詩集』、紀行随筆集『駱駝行』、長編小説『大陸の琴』があります。犀星がこの旅で何を経験したのか、それは犀星に何をもたらしたのか、作品や資料からひもといていきました。
 「旅する犀星」第5弾。
令和4年3月12日(土) ~ 令和4年7月10日(日) 

第56回 偉い友達 芥川龍之介
 作家デビュー前の犀星にとって、雑誌の新聞広告に、大きく見出しのつくそのきらびやかな名前を脅威を持って眺めていました。実際に会ってみれば、際だった容姿に澄んだ瞳、聡明さと豊富な知識を持ち、のみならず、字がうまく、態度は謙虚、人懐こい都会人であった龍之介に、コンプレックスの強い犀星は気後れを感じずにはいられませんでした。
 それでも二人は同じ田端に住んでいたことから交友が始まり、俳句を語り合う“俳友”として、骨董品を愛する“壺友”として、次第に親密になります。付き合いを深めるほど犀星は「あんな偉い奴を友人に持つてゐる喜び」(「安らかならざるもの」『文学』)をもち、同時に「あの男に負けてはならん気合ひ」(「同」)に奮い立ちました。
 一方、自らを本質的には詩人と考えていた龍之介は、詩人犀星を深く尊敬し、自身にない純粋性や感受性、精神力の強さをひとつの完成された人格とみて羨んでもいました。
 出会いから9年半後の昭和2年7月24日、龍之介が自殺、犀星は大きな衝撃を受けます。しかし龍之介の存在と彼の残したものは、犀星のその後の作家人生を支える柱となりました。生涯をかけてそこへ到達すべき目標であり続けたのです。

令和3年7月10日(土) ~ 令和3年11月7日(日)
※7月31日(土)~9月30日(木)臨時休館 

第55回 美しい本 山口蓬春
 自著の装幀を出版社任せにすることなく、表紙・箱の図柄やデザイン、大きさ、題字、用紙の選択、目次や本文の文字の組み方など、書籍を形作るすべてを自ら考え、それを楽しみとしていた犀星。
 長く「堅牢」「渋み」を重視していましたが、晩年、画家を起用した華やかな装幀の著書を次々と刊行します。中でも昭和31年の『随筆 続女ひと』に始まり、昭和37年の没年までに8冊の単行本、12巻の作品集と、最も多くの著書を飾ったのが、山口蓬春による装画です。
 それは細部までリアリティがありながら鮮烈な色彩で人目をひく、新しい日本画でした。自然への愛と濃やかな観察を大切にし、同時代人の美意識と感性を敏感にとらえた蓬春の作品を犀星は愛し、その文学と共鳴して美しい本の数々が生まれました。

令和3年3月19日(金)~令和3年7月2日(金)
※5月12日(水)~6月13日(日)臨時休館 


第54回 犀星の肖像

 顔といふものは一旦これを親から貰つたからには、 一生持つて廻らなければならないし、 これを修正補足するといふことは出来ない、 毎日これは他人から見られるし、 見せないで隠匿することも不可能である。・・・
          「顔といふもの」(『硝子の女』昭和35年)

 骨董、庭、美術、音楽、女ひと、ファッション、生活、食、自然・・・あらゆる方面に独特の美学と審美眼を持つ犀星にとって、自分の顔は暗い悩みの種でした。長年にわたり顔についての自虐的な描写を繰り返し、このコンプレックスが、幼少期からの人格形成にいかに影響したかを自己分析しています。 そんな犀星の「顔」への深刻な自虐ぶりをひもときながら、様々に描かれ、写された「顔」を紹介しました。
令和2年11月14日(土)~令和3年3月7日(日)
※12月29日(火)~1月3日(日)休館  


第53回 旅する犀星~伊豆編~

 【旅する犀星・第4弾】として、犀星の伊豆の旅をご紹介。詩人仲間と出かけた愉快な伊豆旅行や萩原朔太郎との湯河原温泉の旅、北原白秋を訪ねての小田原行などを、多彩な資料で展示しました。
令和2年3月16日(月)~令和2年11月8日(日)
※7月13日(月)~17日(金)休館  


第52回 犀星スタイル -武藤良子原画展-

 犀星のライフスタイルを描いた「犀星スタイル」と、室生家のレシピ本「をみなごのための室生家の料理集」のイラストを描いた、武藤良子さんの原画全43枚と、イラストや本にちなんだ犀星の愛用品を展示しました。
 犀星のこだわりのライフスタイルを、武藤さんの優しいタッチのイラストと共にご紹介しました。

 企画展に合わせて作ったオリジナルグッズも販売しました。
令和元年11月16日(土)~令和2年2月28日(日)


第51回 生誕130周年記念展
犀星発句道

  自分が俳句に志したのは十五の時である。

     
「発句道の生ひ立ち」(「若草」昭和4年3月)


 十代で俳句と出会い、熱中した犀星は詩人・小説家となってからも句作を続け、『魚眠洞発句集』(昭和4年)をはじめ4冊の句集を発行しています。犀星にとって俳句とは、文学への導きを与え、鍛え上げてくれた、大切な「文学的ふるさと」(「発句道の人々」)でした。一方で古俳句研究にものめりこみ、俳句・芭蕉論をまとめて『芭蕉襍記』(昭和3年)を出版しています。芭蕉の「絶世の新しさ」(「芭蕉手記」)を賛美し、俳句の進むべき道を追い求める姿勢は生涯続きます。
 生誕130周年を記念し、文学の出発点でもあった犀星の俳句の魅力と俳句への熱い思いを紹介しました。
令和元年7月6日(土)~令和元年11月10日(日)


第50回 旅する犀星~京都・鎌倉編~
  旅のかなたに

わが旅はつくることなく
わが哀しみの消ゆるときなし。
旅にいづればこころよみがへり
あたらしく心勇みいづ。
われみづからの心をしたはしみ
けふも貧しき旅のかなたを指さす。
なまめかしき枯木を裂くごとき
われに山河のうつりくるときの
わがよろこびは脣をあかるくす。

  (初出題「京都へ」)


 大正2年(1913年)、23歳の冬、京都への初めての旅は、東京からうちひしがれて戻っていた故郷金沢を、追われるようにして始まりました。紫野、西陣、加茂川(鴨川)、祇園・・・凍てつく古き都にひと月もぶらつきながら、感傷に満ちた哀切の詩を次々と生み出して行きます。それらの抒情詩は、犀星の名を一気に世に知らしめるきっかけともなりました。
 それから20年の時を経て昭和9年(1934年)と11年(1936年)、40代となった犀星は、京都の庭園を廻り、趣味の庭づくりへの造詣を深めました。
 鎌倉へは、大正時代末期に萩原朔太郎を訪ねたのが初めてでした。昭和13年(1938年)には、徳田秋聲とともに、小杉天外と細野燕臺を訪ねています。
 第50回目の企画展は、「旅する犀星」の第三弾として、京都と鎌倉への旅をご紹介し、未発表詩稿も展示しました。
平成31年3月7日(木)~令和元年6月30日(日)


第49回 犀星の詩集
 生涯詩人であり続けた犀星
 自分はこの詩集の編輯を毎日午前中にすこしづつやつてゐる。今殆んど書けないやうな流暢な美しさと少年らしさと初々しいその時代の心に接してゐる。
(中略)自分のためにも人のためにもこの本を早く街に出したいし友にもおくりたいと思つてゐる。

  「感情」21号(大正7年7月)より『抒情小曲集』の広告文

 詩人を夢見て20歳で上京してから約8年、独自の詩の世界を打ち立て、29歳のときにようやく初めての詩集『愛の詩集』を自費出版した犀星。9ヶ月後、第二の詩集として24歳頃の詩篇を集めた『抒情小曲集』を出版しました。その後も詩を書き続け、最後に自ら編んだ『室生犀星全詩集』が死の床に届くまでの半世紀のあいだに、24冊の詩集を出しました。小説家としても膨大な作品数を発表していくなか、詩との別れを決意したこともありましたが、詩作を止めることはなく、その発表数は2000編以上にもおよびます。時とともに独自の新しい道を切り拓き、生涯をかけて打ち込んだ詩作とは、犀星にとって、大切に守るべき魂のようなもので、生きるとは何かを問い続けることでもあったのです。
 本展示では、犀星が生前に出版した詩集のすべてをご紹介しました。
平成30年11月10日(土)~平成31年2月24日(日)


第48回 旅する犀星 ~ 関東編 ~
 山間の旅舎
その水はきれいな玉をなしてゐる
水は寂しいものだ
清浄なものだ
一日しづかに入浴してゐて
自分がここの山間にあることを
人間の生活が蟻のやうに巧みに
荒い山河を囲繞してゐることを
目に浮べて考えてゐた
そとは落葉に近い音がしてゐる
あるかないかの音だ
ああ きれいな水だ
        『第二愛の詩集』より

 一束の原稿用紙を持って旅に出る――――――
そのことだけで昂奮をおぼえ、新鮮な気持ちで旅舎の机に向かった若き日の旅。文士として、父として、疲れた頭と体を癒しながら執筆に臨んだ創作の旅。
 生涯にわたってあまり多くの旅をしなかった犀星ですが、それぞれ旅において犀星が体験し、感じたことを作品や書簡などからひもといていきます。
「旅する犀星」第二弾として、北関東地方と会津を合わせた関東編をご紹介しました。
平成30年7月7日(土)~平成30年11月4日(日)


第47回 旅する犀星 ~ 北信越編 ~
 旅上
旅にいづらば
はろばろと心うれしきもの
旅にいづらば
都のつかれ、めざめ行かむと
緑を見つむるごとく唯信ず
よしや趁はれて旅すこころなりとも
知らぬ地上に印す
あらたなる草木とゆめと唯信ず
神とけものと
人間の道かぎりなければ
ただ深く信じていそぐなりけり
        『抒情小曲集』より

 晩年は旅行嫌いで通した犀星でしたが、若き日の犀星にとって旅とは、今ある自分の立場から脱却し、明るく新しい未来を切り開くためにどうしても必要なものでした。
 そしてまた、新しい”詩”をもたらしてくれるものでもありました。
 家庭を持ち、小説家となってのちの犀星は心身の疲れを温泉で癒し、創作にはげみました。
 そんな犀星の「旅」について、北信越編をご紹介しました。
平成30年3月3日(土)~平成30年7月1日(日)


第46回 山海詩抄~犀星を支えた金沢の詩人・小畠貞一~
 小畠貞一君は僕の甥である。しかも一つ上の甥である。  小畠貞一君は鳥刺がうまい、鮎網を打つことが上手である。そのほか植木にも詳しい知識を持っている。それよりもっと小鳥のことでは驚く程細かい智恵を持っている。鉄砲も打つ。『初餐四十四』跋文(室生犀星)より

 小畠貞一は、室生犀星の実兄の長男として生まれ、10歳から犀星の生家に暮らしました。犀星より一つ年上の甥にあたります。中学時代から俳句や詩に親しみ、逓信技師として働きながらも作品を書き続けました。
 海や山河を愛し、自然や生きものへの深い知識を持つ貞一の作品は、自然への畏敬と哀れ、そして寂しさを漂わせています。大正時代末期には「日本詩人」(新潮社)に多くの詩を発表するなど、地方詩人として尊敬を集めていた貞一でしたが、自己の世界に沈潜し、決して前に出ることはありませんでした。
 詩作においては犀星からの影響を大きく受ける一方で、犀星にとっても貞一は、自分と故郷を結びつける、なくてはならない存在でした。養家で育った犀星が唯一心を許した血縁であり、昭和17年、54歳で病死するまで、兄弟のように支え合って生きた二人についてご紹介しました。
平成29年11月11日(土)~平成30年2月25日(日)


第45回 女流評伝―おうごんの針をもて文をつくる人々の傳記
 女流作家は着物を縫ひ上げる手技の細かさを持つてゐるから、小説を書くのにも一針も余さずに書く、男の作家はぷつりぷつりと畳屋さんの三寸針の心得で突つ徹して行く。女流作家の原稿紙は裏側から見ると縫目の列が揃ひ、男はがたがたである。

 19人の女性作家を独自の視点で読み解いた評伝『黄金の針』はこんな書き出しで始まります。話題作『我が愛する詩人の伝記』に続く企画として、 昭和35年、「婦人公論」誌上に1年間連載されました。自身を赤裸々に語りがながら鋭く詩人の本質をついた前作とはうって変わって、 本作では彼女たちに向ける著者犀星の目はどこまでも甘く優しい。 執筆のために初めてのお宅訪問にいそいそと出かけていく自称「三流記者」は、彼女たちをどのように料理したのでしょうか。

 からだにうさぎを放し飼いにして書く円地文子、暗色感をたくみに漂わせる森茉莉、酒癖の悪い小山いと子、七十五歳の童女野上弥生子、たまにやり損なった方がよい曽野綾子、まずさの美しい大原富枝・・・。
 「女流」であることが異才であった時代の彼女たちと犀星が互いをどう評し、どんな交流があったのかを紹介しました。
平成29年7月1日(土)~平成29年11月5日(日)


第44回 犀星歳時記~春夏編~
 雪あたたかくとけにけり
 しとしとしとと融けゆけり
   詩「ふるさと」より

 あたたかな雪、それはもう、春。犀星が最も敏感に反応し、数多くの詩や小説に書いた季節は早春ではないでしょうか。雪国の永い冬を越え、たくさんの生きものたちが命のいとなみを始めるこの季節の輝かしさを、犀星は生涯忘れることはありませんでした。

 一月遅れの涅槃会(ねはんえ)、雛祭り、一時にひらく杏、梅、李(すもも)。
 海からの春の便りは鰯・・・。
 初夏から夏にかけてはあやめ、蛙、果実、鮎、蛍、蝉、盂蘭(うら)盆・・・。
 どんな季節にどんなことを思うのか、犀星ならではの歳時記を作品や日記のなかからすくいとり、紹介する展示の秋冬編につづき、春夏編を開催しました。
平成29年3月11日(土)~平成29年6月25日(日)


第43回 犀星歳時記~秋冬編~
 石垣に冬すみれ咲き別れけり

 金沢のあちこちに残る石垣は、小さな生き物の宝庫。日当たりのよい場所には冬でも草が生えていることがあると犀星は言います。そんな石垣で、凍えながらも花をつけるすみれに目をとめ、深い感動と愛しさを覚えました。一年暮らした犀川べりの家を畳んで上京する折に詠んだ句です。

 自然や季節に人一倍敏感で、風流を好んだ犀星。四季折々の心に触れた行事や風物を、作品や日記、手紙にあふれるほど記しています。
 虫の声、獅子舞、茸狩り、しぐれ、かぼちゃ、冬すみれ、門松、お買初、七草粥、節分・・・。

 郷里金沢での想い出や毎日の暮らしのなかからこぼれ出す、犀星ならではの歳時記を紹介しました。
平成28年11月12日(土)~平成29年3月5日(日)
第42回 「感情」時代-僕らが一番熱かった頃-
 室生犀星と萩原朔太郎、”二魂一体”と称された二人が自分達のアイデンティティを確立し、発信するべく創刊した詩誌「感情」は今から100年前、大正5年の6月に誕生しました。詩人として歩み始めた二人の若者が絶対的に大切にしてきたもの、そして当時の文壇・詩壇への反逆・挑戦の精神が、この「感情」という詩名にはこめられています。「感情」は大正8年11月まで3年半続き、32号を数えました。この間に多田不二、竹村俊郎、恩地孝四郎、山村暮鳥らの仲間を加え、それぞれが熱い思いをかかえ、ここをよりどころにして詩作を発展させ飛躍していきました。その大きな一歩として、朔太郎の『月に吠える』、犀星の『愛の詩集』など、かれらの第一詩集が感情詩社から出されています。本展示では、「感情」に集った若き詩人達の苦悩と情熱を紹介しました。
平成28年7月2日(土)~平成28年11月6日(日)
第41回 蜜のあはれ
 犀星晩年の幻想小説「蜜のあはれ」。老境にある作家上山が、少女に化身した一匹の金魚とおしゃべりを楽しんだり、銀座を並んで歩いたり、お腹の上にのせたりするという、奇想天外なお話。赤井赤子と名づけられたこの金魚は、自由に世の中を動き回りながら、「おじさま」の過去と出会っていく・・・。
 全編が会話のみで構成され、妖しくもみずみずしいこの幻想小説は、発表から半世紀を経た現代においても少しも色あせず、濃厚な色彩を放っています。これまで何度も朗読劇やラジオドラマなどで演じられてきました。そして今春、犀星も望んだ映画化が初めて実現しました。
 本展示では小説「蜜のあはれ」の世界、映画「蜜のあわれ」の世界、そして初期抒情詩において、すでに「魚」を人間や我が身と同化させる視点を身につけていた犀星の、「魚」とのかかわりを明らかにしました。
平成28年3月12日(土)~平成28年6月26日(日)
第40回 金沢の料亭・食と犀星~金沢の味わいかた~
 紅波甲や凪ぎしみやこも北の海

 金沢に住む義兄に日本海の冬の味覚「紅波甲蟹」をねだる一連の葉書が残されています。蟹が届いてよほど嬉しかったのでしょう、これは犀星がお礼に添えた一句です。

 人生のほとんどを東京に暮らした犀星ですが、故郷金沢の味を生涯愛していました。
 金沢に行けば大好きな川魚料理に舌鼓を打ち、東京でも季節ごとに金沢から届く様々な食材を使い、金沢生まれのとみ子夫人が腕をふるいました。鰤、鱈、鰯、鰈、鯛、河豚などの生魚や干物、ぬか漬け、蟹、コノワタ、くち子、鶫などなんとも贅沢な品々。料亭大友楼の主人大友奎堂氏からは毎年のように蕪鮨が送られて来ました。さらには紅白の鏡餅、はんぺん、梨、南瓜、杏、落雁、羊羹などなど・・・数え上げたらきりがありません。
 その忘れがたい至福の味わいを、文学作品や書簡などを通して紹介しました。
平成27年11月14日(土)~平成28年3月6日(日)
第39回 北陸新幹線開業記念
犀星と田端文士村
 東京都北区田端はかつて、文士や芸術家が多く暮らしていた郊外のまちでした。彼らは互いに行き来して生活を謳歌し、さながら一つのコミュニティを形成しているようであったことから、後に「田端文士村(もしくは文士芸術家村)」と呼ばれるようになりました。おもに明治末期から昭和前期のころのことです。
 ここには多くの若い放浪の詩人や芸術家たちが集まり、研鑽を積み、やがて一家を成していきました。田端には若者を育て、巣立ちを助ける、独特の懐の深い雰囲気があったと言われています。
 犀星は大正5年にこの田端で青春の放浪生活に終止符を打ちます。詩人・小説家として歩み出し、芥川龍之介とともに「文士村」の中核をなす存在となっていきました。犀星にとって、田端での12年間は文士として、家庭人として、活力に満ちた、輝かしき一時代だったといえます。
 本展示では、田端時代における犀星の人生模様と、それを彩った交友関係を紹介しました。
平成27年7月4日(土)~平成27年11月8日(日)
第38回 北陸新幹線開通記念
堀辰雄 展
 高原を舞台に清らかで美しい小説を書いたことで知られる堀辰雄。「風立ちぬ」は軽井沢で出会った恋人と富士見の療養所で過ごした日々を描いた物語です。自らも結核を病み、療養をくり返しながらも文学への静かな情熱を持ち続けた辰雄の、終の住処は軽井沢町の追分でした。本展示では辰雄の生涯とその作品、そして室生犀星との間にあった温かな絆を紹介しました。

 北陸新幹線開通により、犀星の生まれ故郷金沢と、第二の故郷とも称した軽井沢が短時間で結ばれるようになりました。これを記念し、軽井沢町の堀辰雄文学記念館の「堀辰雄と室生家の人々」展と同時開催しました。
平成27年3月14日(土)~平成27年6月28日(日)
第37回 犀星山脈~石川の近代詩人たち~
 大正時代はじめ、室生犀星が新進抒情詩人として、詩壇に颯爽と登場します。刺戟を受けた若者たちの文芸熱は高まり、石川の詩壇は大いに盛り上がります。北陸の情感をまとった犀星の詩はやがて石川の地に根付き、詩人達に大きな影響を与えました。
 犀星という詩人の存在、その詩の存在が、ここ石川において多くの詩人達を刺戟し、励ましてきたことは言うまでもありません。
 本展示では、ときに犀星山脈とも表現される、犀星の登場から隆々と続いてきた石川の詩人たちの活躍を、紹介しました。
平成26年月11月15日(土)~平成27年3月8日(日)
第36回 犀星と映画
 活動写真とよばれた時代から映画好きで知られた犀星。
 映画に何を見、何を感じていたのか。
 犀星が書いた数々の映画評をエッセイなどから、映画への愛を読み解きました。
 本展示では、映画になった犀星作品も紹介しました。
平成26年月7月5日(土)~平成26年11月9日(日)
第35回 リニューアル特別企画展
犀星遊泳-本多浩コレクション・書庫を飛び出す文学世界-
 2013年春、室生犀星研究者、故本多浩氏が研究のために集められた書籍など、約2000点の資料が、ご遺族により当館へ寄贈されました。犀星著書の初版本や初出雑誌、直筆の原稿や書簡などの貴重な品々です。とくに雑誌は、当館の所蔵品を飛躍的に充実させるものとなりました。これらの資料からは、犀星が活躍した大正・昭和の華やかなる文壇、それぞれの時代の空気を存分に感じることができます。
 書庫の中に咲きほこっていた文学世界を、一堂に集めて紹介しました。
平成26年月3月8日(土)~平成26年6月29日(日)
第34回 犀星の本づくり
 自著の装幀に強いこだわりを持っていた犀星。生涯に刊行した著書約160冊のうち圧倒的に多いが自装本であり、それ以外にもほとんどの装幀に自らの思いを反映させているといっても過言ではありません。
 なぜ犀星は自著の装幀にそれほどまで執着したのか。犀星にとって装幀とは、「書物の晴着」であり、「作者の精神的なものが一本鋭利に輝き貫いて」いなければならないものであるといいます。そのためには著者こそがその本にもっともふさわしい装幀家であると考えていました。だから作品が本という形になるとき、箱、表紙、見返し、扉、本文それぞれに使用する紙、題の文字、目次や本文の組み方などに心を砕き、苦心と試行錯誤を重ねたのでした。その長い挑戦は同時に、悲しい失敗の重なりでもあったと自省しています。
 本展示は、犀星の本づくりのこだわりを、自装本を中心とした著書と関連資料で紹介しました。
平成25年月7月13日(土)~平成25年12月1日(日)
第33回 犀星文学碑物語
 室生犀星の最初の文学碑は、昭和36年夏、軽井沢の地に犀星自身によって建てられました。場所選びから碑文、石材選び、空間作りまでを、文学者が自らの思い通りに作った希有の文学碑です。
 それから半世紀が過ぎ、全国に約30基もの犀星の文学碑が建てられました。生まれ故郷の金沢、終の住家となった大田区馬込、旅先の伊東や那須塩原などに、犀星文学を愛する人々がたくさんの碑を建てました。それぞれに犀星とのゆかりや深い思いが込められています。
 本展示ではそれらを一堂に紹介しました。
平成25年月3月16日(土)~平成25年7月7日(日)
第32回  家族への手紙
 大変な筆まめだったと言われる犀星の、家族や親戚にあてた手紙を紹介しました。
 残された手紙の数々にはその時の喜びや悲しみ、心配や思いやりがにじんでいます。ときにユーモアたっぷりに、ときに緊迫感あふれる筆致で書かれたその文面からは、犀星の好みや当時の生活をうかがい知ることもできます。
 本展示では、これまでに当館へご寄贈いただいた多数の手紙の中から、犀星をより身近に感じることができる資料を紹介しました。
平成24年月11月23日(金)~平成25年3月10日(日)
第31回 開館10周年・犀星没後50周年記念
小説家犀星の誕生-瀧田樗陰コレクションから-
 「愛の詩集」と「抒情小曲集」、二つの詩集を世に出し、詩人としての名声を得た犀星は、次に小説の世界に向かいました。
 心のおもむくままに「幼年時代」を書き上げ、雑誌「中央公論」に送った原稿が名物編集長瀧田樗陰の目にとまり、犀星はみごとに小説家デビューを果たしました。「中央公論」は当時「作家の登竜門」とされた総合雑誌で、樗陰は犀星にとって、自分を認め、励ましてくれた文壇の恩人となりました。
 本展示では「瀧田樗陰コレクション」から犀星の初期小説原稿を展示し、雑誌「中央公論」を舞台とした、犀星の小説家デビュー秘話、その後の活躍ぶりを、関連書簡を交えて紹介しました。
平成24年月10月19日(金)~平成24年11月18日(日)
第30回 開館10周年・室生朝子没後10周年記念
杏っ子 その生涯
 室生犀星の小説「杏っ子」のモデルとしても知られる犀星の長女朝子。作家の娘として成長し、常に犀星の傍らでその生活を見守り、見守られて暮らしました。昭和37年の犀星没後、本格的に文筆活動に入り、『父室生犀星』など娘の視点で描いた犀星ものの他、身辺の事柄を綴った『猫のうた』、趣味を生かした『釣りのうたげ』、食べ物への愛着を綴った『鯛の鯛』など、エッセイを多数執筆しました。一方で、地道な調査の末に犀星研究の土台となる『室生犀星文学年譜』(昭和57年 明治書院)を刊行するなど、犀星研究家としても活躍しました。
 開館10周年と、その開館を心待ちにしながら直前に亡くなった室生朝子の没後10周年を記念し、朝子の生涯と活躍を紹介しました。
平成24年月6月23日(土)~平成24年10月14日(日)
第29回 室生犀星没後50年記念企画展
終の輝き~われはうたへども~
 終戦後、しばらく本の出版から遠のいていた犀星ですが、昭和30年に書いた「随筆女ひと」がベストセラーとなったことをきっかけに、66歳にして文壇に華やかな復活を果たしました。とどまることを知らない旺盛な執筆欲は、代表的な作品だけでも「舌を噛み切つた女」、「杏つ子」(読売文学賞受賞)、「我が愛する詩人の伝記」(毎日出版文化賞受賞)、「(詩集)昨日いらしつて下さい」、「密のあはれ」、「かげろふの日記遺文」(野間文芸賞受賞)、「火の魚」、「黄金の針」、「私の履歴書」、「われはうたへどもやぶれかぶれ」と、次々に新しい文学世界を開き、独自のスタイルを生み出しました。
 犀星没後50年目にあたりその記念の企画展として、晩年の輝くばかりの活躍と、その終焉を紹介しました。
平成24年月3月10日(土)~平成24年6月17日(日)
第28回 自筆原稿の魅力
 文字、原稿用紙、タイトルの変化、人物の名前、表現の推敲…加筆や訂正など、試行錯誤のプロセスが生々しく伝わってくる原稿からは、選ばれた言葉の一つ一つが生きて、力をもっていることが感じられます。
 本展では、作品が生まれたその瞬間が封じ込められた原稿を当館所蔵品の中からポイント解説を加えて紹介しました。
平成23年月11月19日(土)~平成24年3月4日(日)
第27回 犀星のぞきめがね-ブンガクシャのおもしろ博物誌
 室生犀星は生きものを愛する文学者でした。そしてこまやかな観察者でした。自分は「ファブルのような昆虫研学の徒ではない」と言っていますが、どんな小さな生きものでも鋭くその姿をとらえ、根気よく観察し、とうとうその生きものの気持ちまで感じてしまうふしぎな感性の持ち主でした。
 そして生きものを題材にたくさんの童話、詩、小説、随筆を書きました。
 本展では、音と映像と標本のコーナーで昆虫や鳥の声と姿を体験し、犀星の見た動物たちの驚きの世界を紹介しました。
平成23年月7月2日(土)~平成23年11月13日(日)
第26回 犀星の青春放浪-抒情小曲はこうして生まれた
 詩人になることを夢見て裁判所を辞職、明治43年5月に20歳で故郷金沢から初めて上京を果たした犀星の、7年間にわたる放浪生活をたどりました。
 青年犀星は生活の貧しさにあえぎながら都会を彷徨し、友と出会い、恋に苦しみ、故郷を思い、感傷に身を委ねました。この時代に書かれた詩から犀星の最もセンシティブな詩集「抒情小曲集」が誕生しました。
 本展では「詩人犀星」誕生にいたる軌跡を紹介しました。
平成23年月3月19日(土)~平成23年6月26日(日)
第25回 水芦光子-なほそして雪かとおもふ。
 金沢の金箔商の家に生まれた女流作家、水芦光子を紹介しました。
 20代の頃、犀星にあこがれ、師事して詩を書き、詩集『雪かとおもふ』を出しました。のち、犀星の薦めで作家に転じ、代表作「雪の喪章」は昭和40年代にドラマや映画にもなり、金沢・浅野川界隈を舞台にしたその美しい小説は話題を呼びました。
昭和50年、「奪われるもの」で第3回泉鏡花記念金沢市民文学賞を受賞しています。
 展示では、水芦光子の生涯と作品を、師犀星からの手紙、直筆原稿、日記などとともに紹介しました。
平成22年月11月20日(土)~平成23年3月13日(日)
第24回 軽井沢の日々-木もれ日のなかの犀星-
 大正9年、初めて軽井沢を訪れた犀星は、以来、亡くなるまで毎年、軽井沢で夏を過ごすことになりました。はじめはつるや旅館に宿泊していましたが、大正15年より別荘を借りて暮らし、昭和6年には自分の別荘を新築し、夏の仕事場としてこの地に根を下ろしたのです。
 自然だけでなく、さまざまな文人との交流も、東京とは違った親しさがありました。戦争中の昭和19年から24年までは、体の不自由な妻を伴って、ここで疎開生活を送っています。
 本展では、犀星が軽井沢で過ごした日々を、多くの写真や手紙、遺品、文学作品によって紹介しました。
平成22年7月3日(土)~平成22年11月14日(日)
第23回 犀星と加賀の昔話~城下町に伝わる怪談・奇談~
 犀星は「幼年時代」(大正8年)、「性に眼覚める頃」(大正8年)など、はじめは自伝的な要素の強い小説を書いていましたが、やがて、題材を古典に求めるようになっていきます。とくに大正10年頃からの数年間、自ら「史実小説」と呼ぶ小説群を書き残しました。
 その中の、故郷金沢を中心とした怪談・奇談を取り入れた作品(「芋掘藤五郎」「大槻伝蔵」「浅尾」「天狗」「山彦」「蛾」
「一茎二花の話」など20余話)を紹介しました。
平成22年3月13日(土)~平成22年6月27日(日)
第22回 犀星写真館
 当館に所蔵する写真約1,000点の中から室生家寄贈の写真を中心に100点あまりの写真を公開しました。
 大の写真嫌いで通した犀星ですが、さすがは文豪、集めてみれば、すてきな写真がたくさんありました。
 笑顔の犀星、素顔の犀星、愛する家族へのまなざし…
様々な表情の犀星とかわいい家族や動物の写真を展示しました。
平成21年11月21日(土)~平成22年3月7日(日)
第21回 室生犀星生誕120周年記念企画展
装幀の美 恩地孝四郎と犀星の響宴
 装幀に強いこだわりを持っていた犀星は、交友のあった版画家・装幀家である恩地孝四郎に、数多くの著書の装幀を依頼しました。
 著書の装幀の他、犀星が新聞や雑誌に掲載した作品の挿画も手掛け、その友情は生涯続きました。
 本展示では恩地孝四郎が装幀した犀星本のすべて、恩地孝四郎の遺した日記、版画、挿絵原稿等を紹介しました。
平成21年7月1日(水)~平成21年11月15日(日)
第20回 最愛の妻~とみ子ものがたり~
 とみ子は金沢に生まれて育ち、文学を愛する賢い女性でした。二人は一年間の文通を経て互いを深く知り、犀川のほとりで結婚を決めました。
 二人で温かい家庭を築き、それを支えに文豪犀星は活躍を続けました。病に倒れた後も大切にされ、とみ子の結婚生活は最後まで幸せでした。
 本展示では、とみ子の文学作品、手紙、日記、遺稿、遺品や犀星の作品などを紹介しました。
平成21年3月14日(土)~平成21年6月24日(水)
第19回 未翁先生-犀星と老俳友の交友録-
 明治・大正・昭和の長きにわたり、石川県の俳壇に大きな存在感を示した桂井未翁。常に周囲の世話役に徹する年長の未翁を、犀星は尊敬を込めて‘先生’と呼び、またあるときは親しみをこめて‘老俳友’と呼びました。
 本展示では、犀星から未翁に宛てた数々の手紙を中心に二人の軌跡をたどるとともに、未翁の事跡を紹介しました。
平成20年11月15日(土)~平成21年3月8日(日)
第18回 犀星金沢で庭をつくる
 犀星は大正15年、金沢の天徳院寺領を借りて庭づくりをはじめ、昭和3年には東京田端の自宅より離れを移築し、草庵を建てました。年に何度かそこを訪れ、静かに執筆活動を行いたいと望んだ犀星でしたが、昭和7年には完全に手放してしまうことになります。
 この企画展では、庭づくりを生涯の趣味としていた犀星が、東京に住みながら金沢に土地を借りてつくった庭について、展示しました。
平成20年7月6日(日)~平成20年11月9日(日)
第17回 犀星が描いた金沢-ふるさとを思う-
犀星は、生涯を通して、俳句をはじめ、詩、小説、随筆等、数多くの優れた文学作品を残しました。それらの作品の中には、犀星がいつも忘れることのなかった郷土金沢が描かれているものがたくさんあります。
 本企画展では、犀星ゆかりの地である千日町をはじめ雨宝院、犀川、野町小学校、金沢地方裁判所、金石、兼六園、川岸町(幸町)、天徳院、医王山、野田山を舞台にした作品を紹介しました。
平成19年12月8日(土)~平成20年6月29日(日)
第16回 秋聲と犀星-金沢三文豪のふたり-
 「金沢の三文豪」として親しまれている泉鏡花、徳田秋聲室生犀星。三文豪のうち徳田秋聲と室生犀星の二人の文豪にスポットを当て両記念館にて特別展「秋聲と犀星」を開催しました。浅野川沿いの町に没落士族の子として生を受け、苦難ののち自然主義文学の代表作家となっていった秋聲。犀川沿いの町で私生児という業を背負って育ち、詩人としてまた小説家として活躍した犀星。年齢差十八歳のふたりの文豪は、もちろん文壇の先輩・後輩にあたりますが、それだけにとどまらない多彩な接点がありました。この意外に知られていない両文豪の関わりを、かなりの数がやり取りされた手紙をはじめ、さまざまな資料から紹介しました。
平成19年7月29日(日)~平成19年12月2日(日)
第15回 金石の犀星-海と砂丘と尼寺と-
 12歳から金沢地方裁判所に6年半勤め、19歳になった犀星は明治41年12月、自ら願い出て海の町、金石に転任しました。金沢市街からわずか数キロしか離れていないこの町で、それまでに味わったことのない情景と自由を満喫し、心を解き放ち、詩作に熱中しました。約10ヶ月という短い期間でしたが、計り知れない詩情とエネルギーを得、詩人への一歩を踏み出しました。
 上京後も犀星は、帰郷のたびに金石を訪ねています。のちに生み出された作品からも、金石という存在の大きさをうかがい知る事ができます。
平成19年3月17日(土)~平成19年7月22日(日)
第14回 犀星の文字-短冊・原稿・手紙から-
 犀星は、どのような文字を書いたのでしょうか。
犀星自身は、自らの字を「拙劣」と受け止め、「書といふものは心の呼吸づかひであつて、殆どその人となりの全部であらう。」と語っています。
 本企画展では、収蔵品のなかから、これまで展示したことのない資料を中心に、犀星の肉筆をまとめて展示しました。短冊・色紙への揮毫、プライベートな日記、作品の原稿、手紙など、様々な場面で書かれた文字から、「心の呼吸づかい」や「人となり」を感じることができます。まとめて見ることでその特徴や、年齢による違いも見えてきます。
平成18年11月18日(土)~平成19年3月11日(日)
第13回 我が愛する詩人の傳記
 昭和33年、雑誌「「婦人公論」に風変わりな「伝記」が連載されました。「我が愛する詩人の伝記」と題され、著者室生犀星が選んだ詩人の評伝が毎月書き綴られたのです。師あり、友あり、ライバルあり、十二人の詩人たちとともに犀星自身の内面をも鋭くとらえ、独得の文体で赤裸々に描いたので、話題作となりました。
 昭和34年、毎日出版文化賞を受賞した本作品と、そこに描かれた詩人について紹介しました。
平成18年7月3日(月)~平成18年11月12日(日)
第12回 犀星校歌集-ぬれし瓦をかぞえしが
 学校嫌いといわれた犀星ですが、その校歌には、優しさ、楽しさ、美しさがあふれています。校歌づくりは、作詞の専門家ではない犀星にはきつい仕事だったようですが、しぶしぶ引き受けた校歌にも、自らの学校生活にたいする理想を詠みこんでいたのかもしれません。その創作態度は、決して軽々しいものではありませんでした。
 今回、多くの学校や関係者のご協力を得て、犀星直筆の校歌原稿や作曲者による楽譜の原譜、作詞・作曲にかかわる手紙など、大切に保存されてきた資料を一堂に集め、展示しました。それらの貴重な資料から、さらには犀星の日記や、学校に伝わるエピソードなどからは、犀星や関係者の、校歌にかけた思いが伝わってくるようです。
 本展示では、あらためて「校歌」というもののすばらしさ、奥深さ、おもしろさを味わっていただけたと思います。
平成18年3月18日(土)~平成18年6月25日(日)
第11回 犀星遺品展 馬込の家
 当記念館には、犀星の遺族や関係者のご協力を得て、多数の遺品が収蔵されています。住まいを飾ったもの、日常の生活に用いたもの、身につけたもの、執筆に使用したものなど、それは約250点におよびます。また、室生家からは多数の写真もご寄贈いただきました。今回は、それらの遺品や写真のなかから、犀星が30年間暮らした馬込の家の様子や生活をかいまみることができる資料を選び、展示しました。
 馬込の家は昭和7年、現東京都大田区に新築、ここが犀星にとって終の棲家となりました。自分で設計したお気に入りの家に住む、文豪犀星の暮らしぶりを想像してみてください。
平成17年11月12日(土)~平成18年3月12日(日)
第10回 犀星 児童文学の世界
 犀星の童話を読んだことがあるでしょうか。俳句にはじまり、詩、小説、随筆など多彩な文学を書いた犀星の、児童向けの作品とは、どんなものなのでしょうか。
 それは、昔話の形であったり、子供たちのささやかな日常風景であったり、動物たちの生き様をうつしたものであったりします。いずれの作品にも、犀星の、生き物に対する優しさ、慈しみ、人生や宇宙に対する真摯な探求心があふれています。そこには、世の中の皆が幸せな子供時代をおくってほしい、という切なる願いが込められているようにも感じます。
 この展示では、100以上にものぼる犀星の童話や児童詩のなかから、できるだけたくさんの作品を紹介しました。小さな人たちにも犀星の世界に親しんでいただけました。
平成17年7月4日(月)~平成17年11月6日(日)
第9回 幼年時代-その頃の犀星と金沢-
 犀星は「幼年時代」をはじめとする自伝的小説や随筆で、自らの生い立ちや体験を数多く書き残しています。家庭生活や学校生活、遊びや仕事のこと、文学への目覚めと渇望などを、当時の心の機微とともに、あざやかに描いています。また、子供の頃に見て感じた、町の情景を叙述したものは私たちを明治の金沢へいざなってくれます。
 この展示会では、そんな犀星の著述に沿って、犀星が育った雨宝院や千日町、犀星が見た金沢、体験した事柄などを、写真や当時の資料によって探ってみました。
平成17年3月14日(月)~平成17年6月26日(日)
第8回 犀星と詩人伊藤信吉
 群馬県で生まれ、少年時代に犀星の抒情詩を夢中で読んだ詩人伊藤信吉。昭和4年、22歳の夏、同郷の詩人萩原朔太郎に紹介されて、避暑に出掛ける犀星宅の留守を預かることになる。
 以来、室生家と親しくつきあった信吉は、生涯犀星を師と仰ぎ、95歳で亡くなる直前まで、犀星文学の研究、解説、普及に尽力した。
 この展示では、信吉と犀星の温かい交流と、犀星文学を身近から鋭く眺め、精力的に研究してきた信吉の業績を紹介した。
平成16年11月15日(月)~平成17年3月6日(日)
第7回 犀星と『感情』の詩人たち
 詩人として出発した二十代の犀星が編集発行人として実務にあたった詩誌「感情」は、朔太郎とともに、大正五年六月創刊し、同八年十一月まで計三十二号の長きにわたった。
 この間、犀星、朔太郎に加えて、集う仲間たちの刊行した詩集は高い評価を得、それぞれ詩人として自立、「感情」が大正詩壇に残した業績は大きい。
 本展では、残された書簡、原稿、初版本、雑誌等を通して、犀星とその仲間たちの活動の軌跡をたどった。
平成16年7月5日(月)~平成16年11月7日(日)
第6回 犀星の妻と娘
 不遇な生い立ちの中で成長した室生犀星にとって温かい家庭こそ、かけがえのないものだった。遺品や日記、書簡等を通して犀星の裏方として文豪の存在を支えた妻と娘との家族愛を振り返った。
平成16年3月13日(土)~平成16年6月27日(日)
第5回 犀星と金沢の文人たち
 犀星は、若き日はもとより文壇に登場して以降も、金沢在住の文人たちと親しく交流した。残された日記・書簡・色紙・雑誌・初版本等の展示を通じて、その交流の跡をたどる(展示書簡の多くは、新潮社『室生犀星全集』未収録で、初公開)。
平成15年11月17日(月)~平成16年3月5日(金)
第4回 挿絵で読む「杏っ子」の世界
 犀星の作品の中で最も長編の小説「杏つ子」は、昭和31年~翌年まで271回にわたり東京新聞夕刊に連載された自伝的物語。挿絵は日本画家、安西啓明氏により描かれ、その原画のうち、今回50点あまりを展示、公開。当時の新聞紙面、挿絵のスケッチ、「杏っ子」の映画化資料についても取り上げた。
平成15年7月1日(火)~平成15年11月9日(日)
第3回 犀星と萩原朔太郎 -『二魂一体』の詩友-
 我が国近代詩の新しい展開に寄与した萩原朔太郎と室生犀星。若き二人は北原白秋の雑誌を通して運命的にめぐりあい、互いに啓発しあって新しい詩境を開き、そして希有の友情を築いた。当時交わした書簡や後年の回想を交えながら、二人の交友と詩壇での活躍の軌跡をたどった。
平成15年3月16日(日)~平成15年6月23日(月)
第2回 文学へのめざめ -俳句との出会い-
 犀星の文学の出発点である俳句に焦点をあて、どのようにして句作を始め、 活動を展開していったのかを示す。 とくに、『魚眠洞発句集』の序文で犀星が、初めて句の添削を受けたと語った、 旧派俳句の宗匠である青葉庵十逸をとりあげ、埋もれていた資料を展示した。
平成14年12月8日(日)~平成15年3月8日(土)
第1回 犀星と故郷
 犀星に影響を与えた、また深い交流のあった金沢ゆかりの詩人を紹介。
 小畠貞一、藤井紫影、桂井末翁、大田南圃、水芦光子、芥川龍之介など。
平成14年8月1日(木)~平成14年11月30日(土)

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室生犀星記念館

〒921-8023 石川県金沢市千日町3-22 TEL:(076)245-1108 FAX:(076)245-1205
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