不定期連載

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(※作品の区切りは当館の任意によります。)


「菊池寛賞を受けて」


(随筆/全1回)
 2020.12.26

 茲(ここ)で日本文学振興会から出る菊池寛賞の意義なぞについて、その第一回の受賞者たる私が、彼此言うべき筋合いのものではない。私はただ常に特別の友情を文壇人にもち、文学仲間を公私共に愛護することを忘れない菊池君を意志から出た菊池寛賞を受けることに心からの悦びを感じるものである。銓衡委員が若い人達から成り立っていることも心持が好いし、その態度にも感謝しないではいられない。他にも人があるのに私の詰まらない仕事を取りあげられたことについては、多少忸怩(じくじ)の思いもするが貰ったことは正直やっぱり嬉しいのである。

 元来私は文学生活が長いというだけで、これと言って傑れた仕事をしたという訳ではない。何か一つ世間をあっといわせる傑作を書こうと思って、計画的に仕事をしたということもないし、しても駄目だと自分に見切りをつけている。ただ愚鈍な私は、六十を越えてから、やっといくらか文学が解りかけて来るのじゃないかという気がする。人が三十代で仕上げる仕事を、その倍以上の年月をかけて、やっと多少目鼻がつくと言った形で、花形になりえなかっただけに割合怠けても来られたし、怠けて来ただけに、精力も済し崩しで、長持ちがしたようなものである。

 これは又私の体質と能(よ)く照応しているもので、決して体がいいから長生きしたという訳ではなく、何時(いつ)ほんとうに生き効(がい)があると思ったこともないほど、生活力には恵まれていないのである。自然の美などについても、私の目はいつも曇っており、人生の幸福についても、それを享楽するには、感覚が清鮮ではなかったのである。今私がもっている三つか四つの病気も、病気というよりも、素質の弱点が年と共に表面化されたのに過ぎない。しかし今七十に垂(なんな)んとして来て見ると、反って老衰の朗らかさと言うようなものが出て来て本質的にまだそうは成り切れないながらに、大分好々爺(こうこうや)に成りかけて来たことは争われない。世に死慾というものがあるが或いはそれも手伝っているかも知れない。それが今度の菊池賞を殊に嬉しがらせるのではないかと思う。

 本賞に花瓶がいいか置時計がいいかといわれた時、私は成るべくなら、懐中時計にしていただきたいと言ったのである。時計は私も四五度買っているが、碌なものを買った例がないので、買った当座は翫(もてあそ)んでいるが、元来時間の観念のない生活なので、左程必要でもないし、螺旋(ねじ)を捲くのに無精なので、つい投(ほう)り出してしまうのである。しかし質のいい時計ならやはり必要だし、兼々不便も感じていたのであるが、いつか砂子屋で尾崎一雄君のもっている芥川賞の時計が、聊(いささ)か羨ましく、つい懐中時計を所望した訳で、斎藤君が副賞をもって来てくれた時も嬉しかったが若い小山内君が、鉄皮のオメガをもって来てくれられた時は、殊に心臓が少し踊ったくらいである。

 副賞の金に一番初め手をつけたのは、親友鶴田君の長女の結婚のお祝いの品を買った時で、それから三日ほどして昔し私の子供の面倒を見てくれた婦人で、今は東京堂の鈴木君の夫人である人の、これも長女が結婚するので、そのお祝いも調えた。子供の希望では、この金でまだ手がとどかずにいた亡妻の墓をたてたいというので、それも考えている。

 この三日に銓衡委員たちも集って、小宴が催されたが、私の気持を軽くするために、今度は授与式はなかったけれど、その席上で菊池君も言われたように、やはり何等かの形式があった方が、よくはないかとは、私も思わないことではなかった。




 (完)




初出誌掲載の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
 初出:昭和14年4月1日(「文芸春秋」第17巻第7号)




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