不定期連載

おすすめの秋聲作品を不定期に連載していきます。
(※作品の区切りは当館の任意によります。)


「文芸を志す若き人々へ」


(談話/全1回)
 2025.1.13

 例えば学生の頃、割合に先生は監視をして、小説などを読ませないという不平を聞きますが、私はそれは無理もない事だと思います。純芸術的の立場から作られた創作は、若い人達にはあまり強すぎはしないですか、それよりもあまり深刻に人生にふれない、それで居て情趣豊かな文章などを読む事はいい事だと思います。しかしそのうちにも自ら文学的傾向の多い婦人も多い事ですから、読みたがる人には教師も理解を用いなくてはいけないでしょう。

 情操教育の方面から、勿論文学を味わわせる事は必要ですが、普通の教育者では駄目じゃないですか。現代の教育家は、言わば知識の切り売りが多いのですから、しっかりと人の心に根ざす教育は難しいでしょう。近頃はまたかなりに創作などを好み、種々生徒に話して聞かせる教師もあるようですが、何処までわかってるか怪しいものです。よくもわからないで居て、極端にきめられてしまっては困りますね。芸術家など、そうした方面を受け持ったらいいと思いますね。しかし袴をはいて、しかつめらしく教壇に立ったって教育が出来る訳のものでもないのですから、つまり芸術家と交わる機会を多くする事ですね。私等にしても、さて講演してくれと改まられると何も話がないという事になるのですが、膝を交えて雑談して居ると、自ら芸術的心境も湧いて来、思想の接触も出来るというようになるようです。

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 私の師事していた尾崎紅葉先生は本を読む事を、あまりすすめられなかった方でした。手より頭が進んで書けなくなるというのです。が、私は読みました。殊にロシヤの物などが好きで、チェホフとかゴリキーとか、トルストイのものなどもよかったですが、若い人達には、トルストイのものはなかなか読みこなせないでしょうね。あんなに筋が入りくんでいて、息もつかれない程の深刻な気持ちは、若い人の心にはあまりにいたましい気がします。

 婦人の方には、フランスの物などはどうですかな。明るくて芸術的で洗練されてる様ですね。

 日本の女流作家は割合に早く行き詰まるようですね。女流作家といえば宇野千代、中條百合子、野上弥生、三宅やす子氏等でしょうが、宇野千代さんのは初期の作品「脂粉の顔」などがよいと思いましたが、此の頃は変になりましたね。ちょいちょいいいものは見えますが。併しああした才気のある人ですから今にいいものを出しましょう。中條さんのも「崖の上」や「苦」の最初などはいいと思いましたが、続けて読んで行くうちに倦きてしまいますね。あまり単調です。野上氏のはもう古いし、三宅氏のはおとなしやかな奥さんのおとなしやかな人間を描くといったようなものですね。尤も朝日新聞の「奔流」は少し発展したとかで評判はいいようですが……あの人は作品よりも人間として好感をもたれるようです。

 それは女の経験の世界が狭いにもよるでしょうが、結婚生活も禍するのではないかと思います。宇野さんはでも、生活の為にああした別な芽がとび出て居るのではないでしょうか。中條さんは、割合に家庭の仕事に煩わされない境遇にあって、創作に没頭する事が出来るので、比較的長い間いいものを発表する事が出来ると言えば言えるでしょう。世界でも、女流にはあまりいい作家は居ないようです。

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 私達の起った時代は、自然主義の時代で、自然主義の見方は、先ず物を肯定する前に一度否定するのです。そして飽くまでも事実に直面して行くのですから、割合に陰惨な人生を描くようです。次に起ったのは、菊池寛氏などの作品などですが、あれだって自然主義を抜けきって居るものではないでしょう。理想と光明は持って居ても、やはり否定する気持ちは充分にあります。人間はどうしたって生きる慾望があるのですから、否定だけの否定になる事はできないのです。肯定したい気があればこそ否定するのだと思います。

 それから人道派だとか、新感覚派だとかいろいろ起っております。また本格小説とか心境小説とか随分入り乱れて議論を闘わして居ります。この心境小説というのは、自分の心境を書くのであって、本格小説は客観を描くのです。それでまずあまり小説家は心境小説のみ書きたがるから、人の事も書けという議論なのですが、私に言わせれば、例え一つのモデルがあって書くにしても、全然其の人の心境になって描けるものでなく、どうしても一度自分のものに還元されてしまうものだと思うのです。ですから心境小説と言い、本格小説と言いますが、決して二つの系統をなすものではないと思うのです。

 こうしたいろいろの表現の種類や傾向が沢山あるのですから、文芸に志す人はうかうかと乗ってしまってはいけない事だと思います。

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 だんだん考えて来ますと、婦人は種々の生活の障害のために、作家となる事はむずかしいようにも思われますが、あながちそうでもないでしょう。同じ経験を描くにも女の感じる事はまた男とは別なのですから、その障害が除かれさえすれば、そして認識の世界が広く且つ深くなれば、作家として立って行けると思います。

 以上の事から考えて、私は文芸に志す若い人々におすすめし度(た)い事は広く読む事と深く味わう事ですね。それからぐんぐん書く事です。同じ内容でも、表現の方法で随分異なるのですから、慣れる事は大切です。次には書いたものを自分の信ずる作家などに見てもらう事ですね。芸術は個人的のものですから、そうした必要はないようなものの、やはり発表したり、批評されたりして居るうちに各自の本当のものが芽ばえて来るようです。



 (完)



初出誌の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
 初出:大正15718日(「週刊婦女新聞」








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