不定期連載

おすすめの秋聲作品を不定期に連載していきます。
(※作品の区切りは当館の任意によります。)


「丸薬」


 2024.3.4

 一両年前に買入れられた東北の方の或る新鉱山(あらやま)への帰りがけ、機械の買入れかたがた東京へ降りた序(ついで)に、浩二は弟の友雄の家へも一寸立ち寄ることにした。

 その新しい鉱区の監督にやられるまで、長いあいだ浩二は国の方の同じ持主の鉱山に従事していた。それで兄弟顔を合わすのも、五年に一度か、七年に一度であった。それほど二人の間は疎々(うとうと)しくなっていた。手紙の遣り取りをするようなことも滅多になかった。

 それが東北の鉱山(やま)へ来るようになってから、東京へ降りると、必ず一寸(ちょっと)でも弟の家へ顔出しをすることにした。そして年々弟の子供の育って行(ゆ)くさまや、体の弱い弟の健康を見ることにした。浩二自身には、まだ子と云うものがなかった。

 一年弱(たらず)で、浩二はまた弟の狭苦しい借家住居(ずまい)を訪ねた。何時(いつ)来ても、ゆッくりしていたことがないので、弟娵(おとうとよめ)は如何(どう)かすると義兄(あに)の顔を見そらすことがあった。

「ああ、義兄(にい)さんでございますか、私何て云うぼんやりでしょう。」

 お磯は恁(こ)う言って口へ袖を当てて笑いながら座敷へ通した。

 友雄は莨(たばこ)の袋を持って、直(じき)に奥の方から出て来た。兄はむくむくした大きな体に切立ての黒の勝った紺メルトンの背広を着て、何時(いつ)もはポケットの底に押し込んである金鎖(きんぐさり)を異(かわ)りチョッキに絡ませなどしていた。それだけ兄は弟の家(うち)に親しんで来たように思えた。浩二はどんな場合にも、親や兄弟にも自分の実質を見せまいとするような心持があつた。顔は去年の春来た時と変わったところもなかった。少し地肌のすきかかって来た頭脳(あたま)、若い時分の光のなくなった目、皮膚も大分硬(こわ)く厚みを加えたやうで、友雄の目には段々五六十時代の父の印象に肖(に)通って来るように思われた。つい近頃まで、諸方の溢れものの集まりのような鉱夫どものなかに交って、危険な鉱穴(あな)を見廻ったり、山から山を測量して飛び歩いたり、此の頃の新しい学校出の若い技師連(れん)のうえに立って、色々の設計もしなければならぬ、兄の荒い苦しい生活も思い遣られた。

 浩二は相変らず莨(たばこ)ばかり喫(ふか)している弟の顔を眺めて、

「それでも此の頃は血色が好(い)い。体も肥って来たようだ。ちっとは運動をするかね。」
「営養機関の方は、滅切(めっきり)好くなりました。其(そ)の代りここが始終茫然(ぼんやり)しているので…………。」

 友雄は後脳(こうのう)のところを抑えて、苦笑した。

 そこへ「伯父さん入らっしゃい」と、上の男の子と次の女の子とが、交る交る傍へ来てお辞儀をした。
 浩二は口元と目元ににっこりと笑って、一々頭をさげた。そして可懐(なつか)しそうに子供の顔を見比べた。

「さあ、貴方も来てお辞儀なさいよ」と、母親は三つになる末の子の肩を抑えて、「伯父さん此処にも一人居ります。」

 末の子は丸く肥った体を、伯父の直ぐ膝の前に坐ってお辞儀をした。

「オ、大きくなったな」と、浩二は手を出して、堅いその頭を撫でると、「どれどれ」と言って、重そうに膝へ抱きあげた。
「おや、伯父さんに抱っこして好(い)いことね」と、お磯はその顔を眺めて嫣然(にっこり)した。
「これだけでしたかね」と、浩二は周りに並んだ子供を見廻しながら言った。むッくり肥った膝の子が、一番面白そうに見えた。

 友雄は今から二十年前には此の兄にも一人の子のあったことが憶い出された。今ではもう立派な女になっている筈である。年も二十三か四であろう。娘が母親に肖(に)て、美しかったことを、今も覚えている。母親は浩二等の父方の従妹(いとこ)であった。

 兄が養子先のその家(うち)を出て来たのは、娘のまだ二つか三つの時であった。それから暫(しばら)く双方の間に揉めがあった。妻の父親の叔父も来たし、叔母も二三度来ては、養子を元へ戻そうとした。冬の寒い晩に、若い妻は、赤子に乳を含ませながら、良人(おっと)の傍に坐り込んで、何時(いつ)までも泣いていたことすらあったが、浩二の心を飜すことが出来なかった。年とった父親や、気のやさしい上の兄に宥められても、矢張(やっぱり)動かなかった。

 それまでに、養家の叔父は鮑(あわび)の採集事業に失敗して、家(うち)が左前になっていた。養子と姑(しゅうと)の折合いも好(い)い方ではなかった。

「おのぶさんが何か仕出来(しでか)したに違いない」友雄は年取ってから、其の時の事が始終そんな風に考えられてならなかった。

 直(じき)におのぶさんが、遊廓へ出たと云う風評(うわさ)が拡まった。おのぶさんは、少しは遊芸も仕込(こま)れてあったが、器用な方ではなかった。商売に出てからのおのぶさんの姿を見て来た人は、誰も彼もその美しいことを語った。

 遊廓の附近にある毘沙門の祭のとき、友雄も一度、ある家(うち)の二階の手擦から、夜の町に押寄せる嫖客(ぞめき)の群を眺めているおのぶさんの姿を見たこともあった。その座敷には燭台が幾箇(いくつ)も点れて、酔ったような男の顔も奥の方に見えた。外(ほか)に芸妓(げいこ)も舞妓もいた。島田に結ったおのぶさんの、すらりとした姿が淋しそうに見えた。

 母親が死んでから、おのぶさんは直(じき)に東京へ買われて行った。暇乞(いとまごい)に来たおのぶさんの洗髪姿は、見違える程崩れてもいたし、垢脱けもしていた。鼻の細そりした、口の小さい瓜核顔(うりざねがお)にも、皮膚の荒れが見えた。おのぶさんが、送って出た母親にお辞儀して行(ゆ)く目のうちには、涙が閃(きらめ)いていた。

 おのぶさんが東京へ出てから間もなく、父親も家(うち)を畳んで、孫をつれて国を立って行った。

 二度ばかり葉書が来たが、それ以来消息が絶えてしまった。
 始終東京にいる友雄は、時々この人々の身のうえを考えて見た。

「捜せば知れんこともなかろうと思うが………」と、此の前逢ったときも、友雄は兄の顔色を探ったが、兄は厭(いや)な顔していた。娘が如何(どん)なところへ落ちているか解らなかった。




二 
  2024.3.14

 三時過ぎの日影が、拭き込んだ縁の板敷に冷々(ひやひや)と流れていた。そこを末の子が、がらがらと木造の電車を引っ張って、往ったり来たりしていた。二人はビールを飲みながら、国にいる母親のことや、大阪にいる兄の風評(うわさ)など為(し)合った。前からの鉱山(やま)の開(ひら)けたこと、新しい鉱区の周囲のことなども語られた。

「一度来てごらん、それは面白いぞ。」兄は何時(いつ)になく寛いでお愛相を言った。
「来るなら秋のうちだ。少し遅くなると、もう雪だから、今行けば先(ま)ず来年の四月まで雪のなかに冬籠りだ。」
「随分大変でございますね。」弟娵(おとうとよめ)は魂鎖(たまげ)げたように言い出した。

「私達は夏頃信州へ行ってさえ懲々(こりごり)しました。汽車の窓から見ますと、こんな処に人が住んでいるのかと思うような処に、矢っ張り機(はた)を織っていたり何かしますんですよ。」
「彼方(あちら)の方は、またお話にならん。彼処(あそこ)いらの生活の程度の低いにも呆れるし、また地面が広いと云うことも熟々(つくづく)思えるよ。どだい働く必要がないものだから、人を僦(やと)うに骨が折れる。為方(しかた)がないから、先ず女の体に附く装飾品、リボンだとか、赤い手絡(てがら)だとか、友禅切(ぎれ)繻子の帯、そんな物の売店から拵(こしら)えてかかった。そして女の方から啓発した。それから少しずつ白粉(おしろい)を塗ることを覚えたり妙な帯を締めたりする女が出来て、漸(ようや)く金の難有味(ありがたみ)が解って来た。」

「穴へなぞお入りになるんでございますか。」
「偶(たま)には入る。」
「然(しか)しあの鉱山(やま)はストライキがないだけ可(い)い。」
「その点は誠に平和なものさ。奴等が大抵匕首(あいくち)を呑んでいるくらいのことは為方がない。随分荒い喧嘩もする。」兄は長いあいだ其等(それら)の荒くれものを統率して来た、自分の腕を矜(ほこ)った。学窓から飛び出したばかりの、若い学士達の使えないことなども言い出された。

「それでどしどし遣(や)つけてくれと言うんだけれど、深く洋書の読めないだけが、此方(こっち)の弱点で………尤も一寸(ちょっと)ヒントを与えられさえすれば、大抵解らんことはない。」

 そんな専門的の話が少時(しばらく)続いた。

「それでも始終(しょっちゅう)然(そ)うして出ておいでになるんですから、お宅では随分お淋しいでしょうね。」お磯は喙(くち)を容(い)れた。
「それにお子供衆がございませんから。」
「格別そうも思わん様子です。それに多勢(おおぜい)弟子も取っておりますから………。」
「老人(としより)はお変わりないですか。」

 友雄は兄が養子に行ってからも、まだ銀行の方へ勤めていたコクメイなお爺さんのことを憶い出した。お爺さんの家(うち)は両貰いであった。一人あった実子が、ずッと以前に内乱の討伐に加わって戦死したことも聞いて知っていた。

 その家は、市の静かな方にあった。父娘(おやこ)二人ひっそりした暮らしで、家のなかは何(ど)の部屋も塵ッ葉一つ落ちていなかつた。お爺さんは桑の莨盆を拭き込んだり、遊んでいるのもムダだと云って、時々元結を捻っていた。小金があって、蔵には可也な骨董品も仕舞ってあった。老人も、稚(ちい)さい時分から老人に躾けられた嫁も、子供の客を悦ばなかった。

 兄は一年に二度ばかり、山から降りて、淋しいこの家族に加わった。晩餐には酒を好まぬ老人も一つ二つは婿のお相(あい)をして、それから一緒に謡など謳った。

 兄はその頃から、碁や謠を謳い覚えた。

「もう余っ程の年でしょう。」

「そう、七十二三になるかね。」と、兄は首を傾げた。
「何分養生が好いから、まだ疾病気(やまいけ)はない。それでも此の頃は謡を短いもの一番謳うにも、なかなか大儀そうで………私が出る度に、これで逢えんか知らん、などと能(よ)くそんなことを言うとる。」と、兄は目皺を寄せて笑った。

「お爺さんが亡くなって了(しま)えば、家の方も如何(どう)かしなけァなりませんね。」
「いずれ家内は山へでも引っ張って行くより外(ほか)はない。それでなければ、一層東京へでも出て来るか………。」

 或る会社の重役をしてゐる細君の兄の邸(やしき)が、神奈川にあった。東京に家を構えている、細君の弟の学士とは友雄も同窓会の席で話も交わして、知っていた。

「私(わし)も年取れば、いつまでも鉱山(やま)で暮らしてもいられない。然うなれば国に家を持っておる必要もない訳だ。」
「義兄(にい)さんは、お幾歳(いくつ)におなんなさいます。」
「五十……もう四です。」
「……宅との間が、随分すいておるんでございますね。」

 二人は顔を眺め合った。

「お前さんは……。」
「もう四十ですよ。」
「四十? もうそんなに成るか。」

 兄は尫弱(かよわ)くて、発育の遅かった小さい弟の少年時代が憶い出された。三つの時に、産まれた屋敷を引き払って、それから色々に変わって行った一家の様も顧られた。二人は母親を異(こと)にしていたし、時代も懸け隔たっていたので、お互いに叔父甥のような心持で育って来た。友雄は能く此の兄の小附(こづけ)になって其処らを連れられて歩いた。

「何しろ六人目の子だから」と、友雄は苦笑した。

 三番目の母から産まれた老人児(としよりこ)の友雄には、父親が始終祖父のような気がしていた。母親は一番上の姉と、そんなに年が違っていなかった。

「父が五十幾歳(いくつ)と云う時の子だ」と、兄も目皺を寄せて笑った。
「一番の姉の孫が、二人も東京へ来ているくらいだもの。」
「へえ」といって、お磯も笑い出した。

 末の子が、耳を抑えなから、妙な顔をして母の前へ来て、鼻を鳴らした。

「如何(どう)したんですの。」
「阿母(おっか)さん阿母さん、庄次がね、清心丹を弄(いじ)っていて、耳へ押し込んだんだよ。」

 上の子が、縁の日向で、盆に明けた清心丹と、小さい缶に詰めていながら言った。 
 皆は目をぱちぱちしている其の子の顔を眺めて笑い出した。

「おや、中に一粒光っていますよ。」母親は子供の顔を引き寄せながら、耳のなかを覗いた。

「何ともないもんでしょうか。」
「今に出るさ。」友雄はにやにやしていた。
「でも此の間、大変な耳の病気で大学へ診てもらいに来た子があったんですって。すると、その子の耳から、三年ほど前から入っていた小豆(あずき)が一粒出て来たんだそうですよ。」

「いや、然う云うこともある。」

 兄は気にかかり出した。

「どれどれ、私(わし)ンとこへ来てお見せ。」兄は子供を引き寄せて、膝のうえに載せると、一寸耳のなかを覗いてみた。
 子供は二人とも、また其の傍へ寄って来た。

 兄はポケットから、サック入りの老眼鏡を取り出して懸けると、首を傾げて耳のなかを窺った。子供は順柔(おとな)しく伯父の胸へ顔を押し当てていた。
 浩二は小指で、些(ちょっ)と引っかけようとしたが、取れそうにもなかった。二度三度やって見たが駄目であった。子供はその度に、首を捻った。

「待てよ、伯父さんが取ってやる。」浩二は子供を膝のうえに横に寝して、頭を両手で抑えて振って見たが、矢っ張り出なかった。

「何か……耳搔きのようなものはないか」と、捂(もど)かしそうに手をもぞもぞさせた。

 母親は茶の間へ駆けて行って、長火鉢の抽斗を捜したり、奥の間の手簞笥をがたがたさせたりしていたが、何処にも見えなかった。友雄も机の抽斗を捜したが、矢っ張り見当たらなかった。

「買いにやりましょう。」母親はそこに突っ立ちながら言った。
「そうだね。簪(かんざし)でも可(い)いかも知れん。」

 浩二は弟娵から、簪を受け取って、ほじり出そうとしたが、耳脚が短くて、届きそうにもなかった。

「どうせ要るんですから、買わせましょう」と母親は書生部屋にいる、友雄の甥を呼んだ。

 耳搔きが来るあいだ、子供は伯父の胸に顔を押しつけて、もんぞりともしなかった。浩二は時々耳のなかを覗いて見た。

 やがて近所の荒物屋で買って来た耳掻きは、二つとも出来が不器用で、役に立たなかった。

「こいつ下手にやると、鼓膜を破るから、余程工合(ぐあい)ものだ。」と、浩二は二三度その耳掻きを入れようとしたが、耳が大きいので、その度子供は痛そうに首を竦めた。目にも涙が浮かんで来た。

 通りの化粧品屋を教わって、甥はまた駆け出して行ったが、直(じき)に帰って来た。

 耳掻きでほじくり出そうとした丸薬は、直に奥の方へ転げ込んでしまった。

「こいつは可かん。」浩二は耳搔きを下において、暫く考え込んでいた。
「今に出るでしょう。」と友雄は言ったが、兄は矢っ張り耳を覗いていた。

 やがて膝の上に頭を横にして、左の方から軽く叩くと、丸薬はまた口の方まで出て来た。

「は、出た出た。」と、兄はにっこり笑って、今度は小指先で、気軽に引っかけた。少し黝(くろ)くなった丸薬は、直にその爪に喰っ着いて出た。
「どうも有難うございます。伯父さんにお辞儀なさい。」

 子供はお辞儀をして、伯父の膝から離れて行った。

「さあ兄さん、もうお一つ如何(いかが)です。何にも召し食(あが)るものがございませんで。」と、お磯は瓶を取りあげたが、摂生家の浩二は手をコップに伏せて、首を掉(ふ)った。

「私は何にもやらん方です。」
「明日お暇なら、一日何処かへお伴したいのですが………。」と、友雄も言い出した。
「いつもお急ぎのようですから、今度は一ト晩お泊まんなすって……ね、御ゆっくりなすって………。」
「いや、また其のうち………宿の方へ、器械を持って来る都合になっているから………。」と、浩二はビールを飲み干して、出ていた眼鏡などを仕舞い込んだ。

 子供が妙な顔をして、まだ耳を気にしていた。そして母親の側を離れなかった。

「まだ有るな。」友雄は笑い出した。
 皆(みんな)は子供の顔を眺めた。お磯は左の耳を透かしてみると、そこにも銀玉が奥の方から半分ばかり見えた。

「おや、如何したんでしょう。」と、お磯は子供の顔を見て笑った。

 浩二はにやにやしながら、また眼鏡を取り出した。今度は縁端へ乗り出して、そこでまた前(ぜん)と同じように、右の方から軽く叩いた。

「今度は少し難しいぞ。」浩二は耳を覗きながら呟いた。
「先刻(さっき)叩いたものだから、奥へ引っ込ましてしまった。」

 耳掻きが幾度(いくたび)となく取りあげられたが、玉は奥へ隠れるばかりであった。

「もう可(よ)うございますよ。」と、お磯は傍から言った。
「お医者へ連れて行きますから…………。」
「そう、其の方が可い。子供の耳は敏感だから、機械がないと、どうも遣りにくい。」と、浩二は子供を立たして、自分も部屋へ引き取った。

 それから、茶を吞みながら、話がまた少時(しばらく)続いた。
 庭にはもう日が蔭って、垣根際にに三輪咲いた淡色(うすいろ)のコスモスが、静かに風に揺らいでいた。
 浩二はその間も、時々末の子の顔を眺めて、にやにやしていた。

 四五日たってから、耳の丸薬の熔けかかった頃、或る朝、友雄の寝所(ねどこ)へ鉱山(やま)から葉書が届いた。
 その葉書には、「………全山悉(ことごと)く紅葉で埋(うず)まり候(そうろう)。………子供の耳の丸薬はどうなったか……。」と云うような文句も見えた。

 友雄は葉書をそこへ投(ほ)り出して、独りで微笑んだ。



 (完)



初出雑誌の本文を底本に、現代的仮名遣いに改め適宜補訂を行なった。
 初出:明治4411日(「文章世界」第6第1号)








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