寸々語

寸々語(すんすんご)とは、秋聲の随筆のタイトルで、「ちょっとした話」を意味します。
秋聲記念館でのできごとをお伝えしていきます。





くらしにお呼ばれ
 2022.9.23

 朝晩めっきり寒くなってまいりました、本日「秋分の日」でございます。毎年この日は「秋聲の日」と言って憚らない当館です。何のいわれもございません。ただ字面が似ている、それだけです。そしてそんな秋聲の日だけれども今夕に控えておりますのは久米正雄作品朗読会。秋聲作品は入らず、秋聲がとくに言及している久米の3つの短編を、板倉光隆さん、うえだ星子さんによりお届けいたします。昨日リハーサルをおこないまして、音響もセットも照明も何もないなかかえってお二人の張りのあるお声と呼吸が場に満ち、その背景でもって1階展示室の青屏風パネルがそっといい仕事をしておる…と思いながら拝見いたしました。現在残り2席。直前までお受け付けいたしますのでぜひお電話くださいませ。
 また、今朝ほど同じ財団仲間の金沢くらしの博物館さんよりブログに秋聲さんのこと書かせてもらったよ~とお知らせいただき、ビュンッと飛んでゆきましたこちら。島清ゆかりの旧制第二中学校の建物を利用した同館では現在、特別展「明治大正のファッションと竹久夢二」を開催中で、当時のヘアスタイルや着物の種類などが紹介されるなか、たとえば秋聲の作中に出てきてますね~と当館の「不定期連載」をご紹介くださっているのでした。こうして読んで使っていただけると嬉しい限りです。ただ事前にお電話いただいた際には、えっかたびら?? ち、ちなみにどの作品ですか・・・と自ら打ち込んでいながらお尋ねしてしまうという始末。今回は関東大震災時の金沢を舞台にした「不安のなかに」で、こうした人物の描写や背景について、ついフンフンハァハァと分かった気になって読み流してしまうのですが、ピックアップされてみると秋聲の筆が細部にまで及んでいることがわかります。そしてじゃあ帷子ってどんなの? と改めて訊かれると、恥ずかしながらお着物に関する知識なくまともにお答えできないということに気がつくこれぞ無知の知…。くらしさまの展示を見れば、夢二さんと同時代の作家・秋聲の作品世界もより彩りを増すことでしょう。また、前回記事の浅野川と犀川流域の女性(芸妓)の髪型の流行り方の違いもとても面白かったです。明治期には、最先端は浅野川(ひがし)→犀川(にし)だったものが、大正期になると西の廓の勢いに押されがちな東の廓…(短編「挿話」参照)。
 「町の文化が東から西へ移つて行く自然の成行きから、西の方のすばらしい発展を見せてゐるのも、是非がなかつた。」…フンフンハァハァと読んでいてはいけない大きな時代のうねりと深さがここにありました。





秋は金沢三文豪
  2022.9.16

 「秋は金沢三文豪」の季節がやってまいりました! 今年は開館20周年を迎えられた犀星記念館さんがメイン担当館で(三館持ち回りでやっております)、去年の縮図モチーフの山吹色からうってかわってこっくりとした秋色、犀星さん著『愛の詩集』装幀を模したチラシビジュアルとなりました(クリックでPDF開きます→)。10月1日(土)~11月6日(日)までの期間中、恒例の三館スタンプラリー、三文豪映画祭などがございます。中でもメインイベントは犀星記念館さん主催スペシャルトークイベント「言葉の素顔を見てみたい~朔太郎、犀星の詩語について~」。現在開催中の企画展にあわせ、萩原朔太郎ご令孫・萩原朔美氏のご登壇です。これは豪華! すでに受付は始まっておりますので、同館まで急いでお申し込みください。こちらが10月1日(土)の開催で、その翌日には当館にて企画展記念講演「煙管の音―久米正雄と秋聲」を開催。久米研究者の山岸郁子先生をお招きして、久米と秋聲のあれやこれやをご解説いただきますので、この週末は大忙しです。
 また、14日(金)・15日(土)には新内流しもございます。犀星さん原作「あじゃり」の初披露。ご親切に犀星記念館さんより原作これだよ~とコピーをお送りいただき、そのあらすじはこう→「山奥に住み、深い信仰を持ち、村人からも尊敬されているあじゃりが、ある日、若く美しい少年僧に出会います。共に暮らしていくうちに、あじゃりは…」。コピペで失礼いたします。すっと背筋の寒くなるその物語を夜の記念館あるいは夜のお寺の雰囲気のなかでお楽しみいただけましたら幸いです。14日夜が秋聲記念館(満席・受付終了)、15日の夕方は当館ご近所の円長寺さんご本堂で、その後ぴょんと犀川沿いへ会場を移して同日夜、犀星記念館&雨宝院での上演、計3回ご覧いただけるチャンスがございます。
 さらにここには載せておりませんが、今年もおそらく10月中旬頃に、秋聲由来の石川県産ブランドりんご「秋星」をお配りできるかと存じます。そう思って見れば、チラシの臙脂色に深い色味を特徴とする「秋星」色が重なるような気もいたします。県外にはなかなか出回らない品種につき、もし石川県にお越しになって「秋星」を選ぶことがあれば、より紅みの濃いものがおすすめだそうです。





眉・頤・眼
  2022.9.11

 先日受付まわりのポップを作成していて、愛想らしくニコちゃんマークを使ったレイアウトでプリントアウトしてみましたら、そこに知らない子がいました。まゆげ…。
 確かにWordにおいて「環境依存文字」とは表示されましたが、画面上ではニコ…くらいの慎ましやかな微笑みだったものがニッカニカのホッコホコになって出て来て笑いました。これが飾る文字がご来館くださったみなさまへのお礼だったものですから、心のうちが洩れてしまったのでしょうか…こんなささやかなニコじゃないやろ~、ほんとはニッカニカのホッコホコやろ~、とクールを装い若干猫を被っていたことをプリンターに見透かされてしまったようです、恥ずかしや…。
 他にもいろいろなお顔のニコちゃんマークがあり、どれを入れたらどれになって出てくるのか全部やってみたい気も起こりながら、さすがにそこまで時間を持て余しているわけではないので、今後ニコちゃんマークを入れたい機会が出て来たときにひとつ、またひとつと対照表を更新してゆきたいと思います。あるいは当館で出力するものは全部ニッカニカのホッコホコになってしまうのか。まゆげか。
 予期せず出て来てしまったこの子に関しましては、お隣の職員さんが「表情があっていい。人間味がでている」と気に入ってくれましたので、そのまま採用となりました。ぜひ当館の隠しきれない喜びとしてお受け取りください。
 この流れから展示室でみなさまに「どれもいい顔してますね~」と言われる久米の笑顔、もしくは眉毛について秋聲が触れている文章がないかな、と思ったのですがそんな都合のよいものはすぐに出てこず、代わりに久米の目に言及したという文章をご紹介。「私の頥(おとがい)」という随筆の中で、久米は自分の顔の悪いところを「頥」すなわちアゴであると語り、芥川にも角頤角頤と作品に描かれたり漫画家・岡本一平の似顔絵にやっぱりこの頤とイヤな形の後頭部がつかまったり、ということを述べています。とはいえ「其の他の造作は、さう、悪いと云うほどではない。稍々(やや)常人よりは大きめで、遠目にでも見たら、立派だらう。」として里見弴らに褒められた経験をひとつふたつみっつ…記すうち「三十代を過ぎるとそれでも少しは認めて呉れる人が出て来た。森ヶ崎の宿屋で、私の眼を慈光があると云つて呉れたのは、徳田さんだ。」ということです。





三汀の顔
  2022.9.8

 不定期連載に「『梅』を買ふ」後編をアップいたしました。あぁ梅ってその! となるお話でした。本作の載った「我観」の編集者・稲垣伸太郎は秋聲の四高の同級生で、自伝小説『光を追うて』に〈市長の子息の板垣〉と出てくるのがこの方であろうかと存じます。当時金沢市長であった稲垣義方子息。号は木葊(もくあん)。四高に始まり、秋聲とは晩年まで親交のあった様子が随筆や日記などから伝わり、そんなご縁から同誌を過去の四高展で展示したことがありました。また稲垣氏は同誌主宰である金沢出身の哲学者・三宅雪嶺(詳しくは金沢ふるさと偉人館さんHPにて)の愛弟子であり、「我観」もそもそも雪嶺が主筆をつとめた雑誌「日本及日本人」が関東大震災を機に分裂したあとに創刊された後継誌なのでありました。
 さて「日本及日本人」。書斎前の久米展出張ケースに明治40年2月号と同42年1月号の2冊を展示いたしております。8月27日記事でお知らせいたしましたとおり、こちらには小林修先生ご所蔵の久米正雄自筆俳句資料2点を展示中で、そのお隣に20歳前後の久米が愛読のうえ俳句を投稿したという同誌をお出ししてみました。残念ながら久米の投句のある号ではないのですが、久米が大きな影響を受けた俳人・河東碧梧桐が同誌の俳句欄を担当しており、その選のあるもの、また碧梧桐の日々のつれづれ「一日一信」掲載号です。曰く、「譬(たと)へば人間は玉である。鍛錬は玉を磨くのである。生れた時は山から掘り出して来たたゞの石の儘であつた。槌で割つたり、臼で搗いたり、砥で磨たりする。玉人の上手な程よい光りが出る。よい艶が出る。師を選び、友を選び、書を選ぶ必要は其為めである」。明治43年、久米は碧梧桐を師に選んだといいます。実は同誌には秋聲の小説「最期」「自滅」の掲載もあり(終末感がすごい)、俳句の界隈とともに若き久米はこれらも読んだかしら…と想像される2冊です。
 と、俳人・三汀の横顔に思いを馳せておりましたら、折良く福島県のこおりやま文学の森資料館さんよりチラシが届き、今度の特別展は俳句がテーマ! 「近代俳句の祖『正岡子規の弟子』 碧梧桐・虚子・鳴雪 郡山の俳人たち」のタイトルで、あわせて久米正雄記念館さん(敷地内、鎌倉から移築された久米旧宅)のほうでも特別展示「俳句の館」が開催されるそう。詳しくは公式HPよりご確認ください。今月17日からです!
(遅ればせながら、HPにて当館の企画展のご紹介、ありがとうございます!!)






大正13年1月の作品
 2022.9.7

 帰京の許可を得るための証明書発行に手間取り、災害発生から約二週間後にようやく現場に現れた秋聲よろしく、一週間遅れの話題で恐縮です。(前回記事の)関東大震災時、秋聲は姪の結婚問題の解決のため東京に家族を置いて単身金沢に帰省していたとはよくご紹介されるところで、もちろん生活に大きな支障はあったものの、自分ひとり直接の被災者でない立場から当時のことをいくつかの作品に著しました。それらをテーマに、「新潮」大正13年2月号、第9回「新潮合評会」では次のような展開に。

 久米 徳田さんの「不安のなかに」と「余震の一夜」は両方とも震災的心境小説とし
    て面白く読んだ。
 田中 僕は、「不安の中」を、いろいろの人の震災小説の中で一番面白く読んだ。
 徳田 短くしたものだから、題が重いわりに思つたほど現はせなかつた。
 田中 震災を遠くから見てゐる気持と周囲に起つてる事件とがもつれ合つてゐる形が
    面白い。
 水守 周囲だけでも一つのいい小説ですね。面白かつた。尺八を吹く男なんかもよく
    描けてゐる。
 加能 僕は「余震の一夜」の方が面白いと思つた。
 久米 面白さから云えば、「我観」のものも面白いと思つた。心境小説でない、普通
    の、小説らしい小説ですな。いづれにしても、あゝ老境渾然と出られては云ふ
    ところがない。批評するには面白くありませんな。

 田中は純、水守は亀之助、加能は作次郎。また気になるくだり〈尺八を吹く男〉とは金沢で主人公を困らす甥っ子のこと。彼が登場する「不安のなかに」は、不定期連載ほかオリジナル文庫『新世帯』に収録されていますし、「余震の一夜」は有り難いことに青空文庫さんでお読みいただけます。そして久米が褒めている〈「我観」のもの〉とは、雑誌「我観」大正13年1月号に載った短編「『梅』を買ふ」。そんな勢いで本日「不定期連載」に前編をアップしてみました。いずれも同年同月の発表作です。

                                  (つづく)




大正12年の出来事
 2022.9.1

 「震災後の文壇人の執筆高を一寸(ちょっと)書いて見る。その執筆の何れもが『遭難記』に終始して居るため普通の場合の創作一二篇の原稿料にも当らないかも知れないが兎も角筆頭第一は久米正雄氏の『遭難記』八篇である。然(しか)しその原稿料五六百円の大部分は氏の家に来た避難者の為めに支払はれたといふ形。次ぎは里見弴、芥川龍之介、宇野浩二、小川未明等の各4篇、室生犀星、菊池寛、佐藤春夫、吉江喬松氏等の三篇、吉田絃二郎、広津和郎、秋田雨雀、山本有三、藤森成吉、細田民樹、長田幹彦、加能作次郎氏等各二篇と云つた順序」…「読売新聞」大正12年10月13日掲載「よみうり文芸欄」にある記述です。見出しには大きく「震災号での稼ぎ高は久米正雄氏が第一」とあり、久米自ら「頼まれるに任せ、吾を忘れるやうな積りで」取り組んだと言う、当時の精力的な執筆ぶりが報じられています。
 今から99年前の今日、大正12〈1923〉年9月1日、関東大震災発生。鎌倉の借家に起居していた久米の状況は、岩波文庫『久米正雄作品集』所収の「震災火の只中に」などで詳しく知ることができます。家屋もその身も無事であったことを顧み、末尾に添えられた「『免れて恥なきもの』の図々しさを、人々よ、咎むること勿れ。」という文言に、昨今の災害のニュースを重ねて何かもの思わせられたりもいたします。
 この二ヶ月後の11月に久米は、家を焼かれ着の身着のままの艶子夫人(←)と結婚するわけですが、混乱の最中にある時世に華々しい挙式は憚られたようで、身内だけでちんまりと執りおこなうべく選んだ招待客がこちら。〈式に立会つて貰つたのは、親族以外には、徳田さんと、芥川、菊池、里見、田中の五人〉…芥川龍之介(一高同級生)→わかる。菊池寛(左に同じ)→わかる。里見弴(ともに「人間」創刊同人)→わかる。田中純(左に同じ)→わかる。と、翻って徳田さん!(20歳上) その人選の基準は、〈必ずしも良友悪友の代表と云ふ訳ではないが、(中略)自分の臨終の際に、何を置いても来て頂きたい人、来て頂く事を要求して失礼でない人、そして恐らくは向こうからも、是非にも来て呉れるであらう人〉…以上、久米正雄「私達の結婚について」より――。改めまして、徳田さん…!!(みんな明治20年代生まれだよ、徳田さん!!)
 →まったくわからないこともないけれどもちょっとわかりにくいかもしれない、気づけばどこにでもいる徳田さん感、ここに極まれりです。



 

2館で学芸員募集中、その他
 2022.8.29

 当HPのグッズページでご紹介しております「研究紀要」のバックナンバーがまとめてご覧・ご注文いただける専用ページができました! グッズページからも飛べるようにいたしまして、公益財団法人 金沢文化振興財団のHPに繋がる形です。
 ご来館のみなさまにはちょっと分かりにくい情報として、当館を含む市内のナントカ館というわりと小粒の16施設は上記の金沢文化振興財団に所属しており、「研究紀要」は財団の発行物になりますので所属各館の論文が横断的に掲載されています。あわせて学芸員資格取得のための博物館実習も財団単位でお受け入れしているため、期間中、毎日担当館が変わるというシステム(今年今月の実習には当館参加せず…最終日の発表ほかをご担当くださった金沢ふるさと偉人館さんにその成果品が展示されています)。
 一方かの金沢21世紀美術館さんは似て非なる公益財団法人 金沢芸術創造財団にご所属(能楽美術館さんも)。そして両財団所属施設は金沢市に連なりますが、同じ三文豪を顕彰してはいても石川近代文学館さんは石川県の管轄施設…と、特に何のテストにも出ない情報ながら、その管轄の違いによって共通パスポートが使えたり使えなかったり、というややこしさが生じております。と思えば開催中のナイトミュージアムが両財団の共催事業であったり、毎秋の三文豪月間が市と県の連携事業であったりと、時々にその枠を超えることもあるためさらにややこしや、ややこしや…
 なお現在、学芸員を募集しているのはわれわれ金沢文化振興財団。対象は谷口吉郎・吉生記念金沢建築館と金沢市立安江金箔工芸館の2館で、詳しくは財団HPをご確認ください。各館学芸員一人体制につき、月に一回学芸会議を開催し、全館学芸員が寄り集まって困りごとを相談したり、情報交換をしたりもしています。
 また、以下は紀要の話題から当館のショップ通販の方のお話になりますが、グッズページに載せていなくても、大木志門先生の秋聲研究書など、館内ショップに取り扱いがあり寸々語や館のTwitterの話題に上るような書籍に関しましては通販対応可の場合がございます。書店さんや発行元から購入可能かつ当館経由ではかえって送料を頂戴することになるため敢えて掲載はしていないのですが、もし他のルートからのご購入が難しい場合はお手数ですが当館までお問合せください(結果、無理なものもあったらゴメンナサイ…)。





びくこ
  2022.8.28

 前回記事のりんご風呂と前々回の「マギー」が組み合わさって、ふと思い出されたのは秋星りんごサイダーのこと…秋星とは言わずもがな秋聲にちなんで名付けられた石川県産のりんごで、その果汁を用いたサイダーが市販されているのです。それってつまり現代の徳田水? 
 秋聲が久米の短編「マギー」を評するなかに「平野水」という言葉が出て来ます。明治17年、兵庫県の平野鉱泉からつくられた炭酸飲料のことで、これが三ツ矢サイダーのおおもとなのだそう。たしかに今みる三ツ矢サイダーのラベルには「SINCE1884」とあり、なるほど明治17年生まれというわけです。この評以前に久米は平野水をもじった形で、秋聲の短編「籠の小鳥」をまるで「徳田水」を飲んだようなすーっとした味わい、と表現しており、意図したものかはわかりませんが秋聲の「マギー」評と響き合うかも、とパネルでご紹介しています。「平野水」をちょちょいとインターネットで検索すると、かの夏目漱石や宮沢賢治ゆかりという記事にぶつかりますが、秋聲も普通に作品の中でこの語句を使っており、以前にもご紹介いたしました映画の撮影所を舞台にした『蘇生』ではこう→「秋葉はウヰスキーを平野水にたらしては飲んでゐたが、葉子も葡萄酒に酔つて、ほんのり顔を染めてゐた」。  
 なお、この「徳田水」発言のなされた「新潮」誌掲載「創作合評会」後半では永井荷風作「寝顔」に話題が移り、出席者のひとりである菊池寛が「この小説はソーダの味だけれど少し水が入つてゐる」と、これまた飲料に例えて批評をしています。これにかぶせて佐藤春夫は「味のふるいクリームソーダか知らないが、僕は飲みたかつたからグツと飲んだんだな」と言い、久米も「そんなに味の悪いものではない」とフォロー。この頃、飲料にたとえるのが流行っていたのでしょうか。ちなみに「徳田水」は久米曰く「味のない味」がするそうですので、秋星りんごサイダーの香りと甘みは令和の世に初めて秋聲作品を読まれる方への優しさ成分とご理解ください。
 流行つながりで、以前ご寄贈いただいた東京は竹久夢二美術館・石川桂子学芸員さんのご編著『大正ガールズコレクション 女学生・令嬢・モダンガールの生態』(河出書房新社)を読んでおりましたらば「大正女学生が使う隠語」リストの中に「微苦子」というのがありました。びくこ、「苦笑の交った笑い方をする人。文壇の流行語、微苦笑より来る」。他でもない久米正雄による造語「微苦笑」がこんな展開を見せていたとは…! 
 久米正雄、大正のインフルエンサー。
 





小諸めく
 2022.8.27

 先日再び触れそびれましたことに、馬込の藤村記念堂だけでなく、小諸の藤村記念館さんの建物もまた谷口吉郎建築とのこと。かえすがえすもその偉業、おそるべしです。前者の藤村記念堂のほうは戦後すぐ秋聲文学碑と並行して建てられておりますので(秋聲文学碑が横から入れてもらった形)勝手ながらここ二つにセット感を強く感じてしまったりもいたします。  
 さて7月から展示してまいりました書斎前の島崎藤村生誕150年コーナーも、8月末で終了となります。 9月からは、いつかの予告のとおり、小林修先生ご所蔵の久米正雄自筆俳句資料を展示いたします。2階の久米展では戯曲から始まった久米の文学的キャリア…といった文脈でご紹介しておりますが、より正確には俳句から始まったその歴史。秋聲の俳句もあわせて並べてみますので、ぜひ比較してお楽しみください。また奇しくもお借りした久米作品はいずれも藤村にかかわるもので、「小諸なる古城に摘みて濃きすみれ」(岩波文庫『久米正雄作品集』所収)、「藤村も牧水も碑や草紅葉」の二句。よって当館所蔵の藤村資料を下げてなお小諸小諸しいケースとなり、気持ちのうえでは引き続き藤村生誕150年・久米正雄没後70年の双方を記念したブースです。
 久米が藤村に言及した最も手っ取り早いものでは、前掲の岩波文庫に収録された代表的な評論「私小説と心境小説」が挙げられます。「そういう眼で見ると、現在日本のほとんどあらゆる作家は、各々『私小説』を書いている。島崎さんの『岸本物』など、殊に『新生』などはその好適例である。田山さんの『残雪』なども、確かにそうに違いない。純客観的作家と長く見られて来た、徳田さんの『黴』や『爛れ』も『私小説』と見られない事はない。この人の近作でも『棺桶』などは明かに私小説である。」――「棺桶」でなく「風呂桶」……なぜそうなってしまったかは当の作品からお察しのほど。そういえば先日上映した映画「土手と夫婦と幽霊」を見て、似た世界観かと真っ先に思い浮かんだのは秋聲作「新世帯」、その次が「風呂桶」でした。食事が美味しく、お風呂に気持ちよく浸かれることにこそ生の実感は宿ろうというもの…。
 脱線が過ぎ、申し訳ございません。小諸では、藤村ゆかりのお宿にて「初恋りんご風呂」に入れるそうですよ。





短編3つ
 2022.8.25

 ナイトミュージアム企画第二弾は9月23日(金・祝)に開催予定の朗読会「マギー」。かねてより「秋分の日」それすなわち「秋聲の日」! と言い張って憚らない当館ながら、今回テーマは秋聲でなく久米正雄です。秋聲(12月)も久米(11月)も同じ23日生まれですからなんとなく23日しばりでよいということにいたします。この日は声優・ナレーターである板倉光隆さん、うえだ星子さんをお招きして、いずれも久米の短編「マギー」「黒蠅」「天花」の3編をご披露いただく構成で、作品間においていちいちこれら作品を秋聲がどう評したのか、当館学芸員がちゃべちゃべと補足に伺います(※ちゃべちゃべ=金沢弁。でしゃばるさま、お節介なさま)。
 「マギー」につきましては開催中の久米展におきまして、秋聲による久米作品評紹介の短編部門に選ばせていただきました(長編部門が昨日記事の『沈丁花』)。そのあらすじを簡単にご説明するなかで、どこまで書くか、やはり結末まで書いてはまずいか、しかし今本作を読もうと思えば全集か初出・初版かレベルでなかなか大変……消化不良でお帰りになることに……? ……しからば一応書いておく……書いておくけれども見る見ないはお任せしますね……! といった苦渋の決断の上の手作り目隠し仕様です。パネルの上から細い布を垂らしてぴらりとめくれるようになっており、見たくはないのにめくりたい衝動を煽るつくりかもしれません。申し訳ありません。どうかぐっと堪えていただき、ぜひ9月23日、おふたりの素敵なご朗読でもってその結末お確かめくださいますよう、参加お申込み受付中です。
 「黒蠅」は今回展示しきれませんでしたが、「マギー」同様、久米自身の新婚時期に材をとった作品。「マギー」の軽やかさに比べ、ややアダルティな雰囲気を纏ったナイトミュージアムならではの演目と言えるでしょう。「天花」は、よくテレビなどでもお見かけするイリュージョニスト・プリンセス天功さんに連なる久米と同時代の奇術師・松旭斎天勝をモデルにした作品で、こちらは大正15年作と少し時代は異なるのですが『沈丁花』(昭和8年)コーナーにその初出誌「女性」をねじ込みました。なお、「天花」と「マギー」は今回展チラシに見返し図案を拝借いたしました単行本『木靴』所収。肝心の見返しが見られない展示方法となっており申し訳ない限りですが、この人がマギー? と言いたくなる女性があしらわれた『木靴』初版も展示しております。 
 




白鳥展、会期延長決定!
 2022.8.24

  開催中の軽井沢町歴史民俗資料館さんの特別企画展「正宗白鳥展~拝啓 正宗様~白鳥に宛てた書簡を中心に」の会期延長が決まったそうです! 当初今月末までだったものが、なんと11月15日(火)まで。これは有り難い会期です。さっそく館内掲示のポスターにもそのご案内をピチャリ(テプラですみません)。チラシは早々になくなってしまい、さすがかの土門拳撮影による白鳥さんのとても画になる横顔だこと…とほくほくしております。ご親切にご案内いただきありがとうございました。
 白鳥さんには当館の久米正雄展にもお出ましいただき、秋聲が大絶賛する久米の長編小説『沈丁花』(昭和8年)のコーナーで、正宗白鳥「久米正雄論」を掲載した「中央公論」昭和9年4月号を展示中。『沈丁花』の長所短所を述べるなかで、白鳥は久米の代表作『破船』(大正11~12年)の話をもってきます。「『破船』はこの作者の前期の代表作で、今『沈丁花』と比較したら、一人の作者の芸術的技巧の発展、思想の推移、生活振りの変遷などが明かにされて、人間研究の資料ともなりさうに思はれたが、新たに読返す根気が出て来ない。朧げな記憶を辿ると、私は、『破船』には多くの魅力が感ぜられない。久米氏が文壇に出はじめた時には、その『失恋小説』或は失恋事件そのものが、人気の原因をなしてゐたが、ゴシツプ興味で作品が評判されるのを、当時の私は不愉快に思つてゐた。」と…。『破船』とはいわゆる久米と漱石長女・筆子、松岡譲の三角関係を描いた作品で、秋聲もやはり『沈丁花』における一人の女性と二人の芸術家の対立という構図に大正7年作『螢草』(と、その奥に『破船』)を見、「ん? アレと同じ感じ??」と当初思いながらも読み進める中でこの作家の確かな進化を認め、言葉を尽くした賞賛にいたったことをパネルでご紹介しています。
 それと以前の記事で触れそびれましたことに、今回の特別展開催のきっかけである白鳥別荘敷地内に移設されることになった正宗白鳥文学碑もまた、金沢の秋聲文学碑と同じ谷口吉郎作品のひとつであるという重要な共通項。そんなゆかりを思いながら、金沢から向かった場合、上田(久米正雄生誕地)→小諸(藤村記念館)→軽井沢と来て、なんとなく当館にとって旬な人々のお顔が次々と浮かんでくる道のりです。





ナイトミュージアム「土手と映画と幽霊」終了
 2022.8.22

 20日、当館初の試みとなる映画上映会・ナイトミュージアム「土手と映画と幽霊」が終了いたしました。あたたかい雰囲気で迎え入れてくださったみなさま、まことにありがとうございました。ただそのご恩を仇で返すかのように当日は朝からの土砂降り! 上映のロケーションに最適として選ばれた浅野川も濁流となったうえ高温多湿で自慢の大窓が曇るという、あの、すみません、この子いつもはこんなじゃないんです…! いつもはちゃんとできるんです、今日だけちょっとご機嫌斜めで…!!! みたいな嫌な汗が吹き出しこちらの眼鏡も曇りました。そんな二重三重の悪条件の中でも、企画・設営・運営・進行のすべてを担ってくださった田畑友子さんのご尽力はじめ音響スタッフさんの心強いサポート、そしてわざわざ東京からお越しくださった渡邉高章監督、主演の星能豊さんのお人柄とお心遣い、何より作品「土手と夫婦と幽霊」のもつ力でもって、見慣れたサロンが一夜限りの不思議なシアターに変貌を遂げましたこと、なんだかいまだ夢心地です。
 上映中は後方の階段からお客様の後ろ姿と一緒に拝見していたのですが、斜め前に星能さんが終始立ったまま客席とスクリーンを見守られており、映画のなかの「小説家」、とそれを眺める主演俳優、をふたり重ねて見ている状況、とそこもまた少し不思議な空間に。とても贅沢な時間には違いないのですが、一瞬こちらが彼岸に感じられるような、そんなフワフワした心身でアフタートークにも混ぜていただき、渡邉監督の語られる河川観、星能さんご持参の少し表紙のよれた『新世帯』、スチールを担当された田畑さんを交え作品づくりの裏側のお話ひとつひとつに感激しながら、その感激を言葉にしきれぬままイベントは終了いたしました。改めまして、素敵な作品とそれを制作されたみなさまにお引き合わせいただきましたこと、心よりお礼を申し上げます。たいへんなご準備の過程を見ておりますので軽々しくは言えませんが、再びみなさまとこの館でご一緒できれば、これほど嬉しいことはありません。 
 映画はこのあと長岡に行かれるそうです。そして金沢ご在住の星能さんは今後年に4回展示を観にご来館くださるそうですので、スクリーンでのご活躍以外にも運がよければ当館で春の星能さん、夏の星能さん(以下略)にお会いできるかもしれません。最後に、渡邉監督が強力な晴れ男であったおかげさまで、奇跡的にお客様のご入退館時には晴れていたように思います。本当に助かりました。このたびは館の新たな可能性を見つけていただきありがとうございました!



 


『冷火』の予約は明日から
 2022.8.20

 先日、朗報としてご紹介した久米正雄の新刊『冷火』、予約受付日の変更をすっかり見落としておりました! 明日8月21日(日)17時~と一週早まりましたので、前回記事をお信じにならぬよう…情報の更新が遅くなり申し訳ございません。出版元の書肆盛林堂さんHPに詳細があがっております。こちらにてご確認くださいますようお願い申し上げます。明日、明日17時ですよ…!
 本作もそれこそ昨日話題にしていた日活から映画化されていたようで、同社データベース掲載の「アルセーヌ・ルパン=三枡豊」の文字に少しフフフとなってしまいます(三枡豊さん、とても美しいお顔立ちの方でした)。大正13年5月公開、製作は京都第二部とあり、この前年向島の撮影所が関東大震災に遭い、京都の撮影所に合流する形で拠点を移したその頃ということになるのでしょうか。ちなみに大正6年、向島で撮影され、秋聲が見学に誘われたり、〝自分のものが映画になつたのをお義理に見た〟と語るのが長編小説『誘惑』で、生母・沢子、養母・お粂(くめ)、継母・智慧子(実父の後妻)の三人の母をもつヒロイン美都子の物語。当時、真山青果の脚色で、映画と先を争うように舞台化もされました。その後映画化された秋聲作品としては『断崖』(大正10年、松竹)、『二つの道』(大正12年、松竹)と続き、後者の監督が、松竹蒲田撮影所における久米と秋聲のスリーショットでお馴染みの池田義信(義臣)です。
 また話が飛び飛びになって恐縮ながら、同じ頃この『二つの道』の方も舞台化されており、脚色はやはり真山青果。そして映画にはならなかったものの『誘惑』『二つの道』の間で青果により舞台化されたのが『路傍の花』(大正8年)。それとセットで上演されたのが久米の戯曲『地蔵教由来』。主演はいずれも井上正夫(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館さんよりその番付画像をお借りしてパネル展示中)。井上曰く「その頃、新派劇はかなり不況な時代だつたのです。(中略)色々考げた揚句、思ひ切つて通俗劇から離れて、文芸作品の上演を決心したのです。そして色々と読み漁つた結果、一つは徳田秋聲氏の小説『路傍の花』をとり上げて真山青果先生に脚色して貰ふこととし、もう一つは久米正雄氏の創作劇『地蔵教由来』を選んだのです。」(井上正夫『化け損ねた狸』より)と、舞台方面においては新境地開拓としてのこの二作チョイスであったようです。


 


続「撮影所めぐり」
 2022.8.19

 「私もトーキーになつてから映画に興味が出て来て、最近は特によく映画館に足を入れる。しかもそれが全部西洋のものだつたのが、この頃日本の映画をも偶(たま)には覗いて見ることになつた。といふのはさすがに大きい資本と労力とをかけて造るものだけに、日本は日本なりに相当好いものを作つてゐることがわかつたからで、西洋ものに比ぶれば底の見えすいたやうな寂しさはある。それも文学や美術や音楽の場合だつて御多分には洩れないことで、総(すべ)てはわれわれの生活の規模と環境から来てゐるのだから仕方がない。外国物も面白いがわれわれ仲間のものも読んで見るとなかなか面白い。映画も西洋物には及ばないだらうが、日本のものを見てゐると、偶には西洋ものに見透しのつくやうな場合もある。総てが外国の模倣から出発してゐるものだけに、外国物の影を見るやうに手薄だが、さういふことをいつてゐた日には際限がない。歌舞伎の伝統があるだけに、時代劇の方はアラが見えないけれど、現代ものになつて来るとひどく見劣りがして来る。これはおもに俳優の演技に関する問題で――或ひは監督の素養と技術にもよることだらうが――出たとこ勝負で芸の鍛錬が積まれてゐないからであらう。兎角役者は監督の傀儡のやうで、動作に少しも流動性が見られない。しかし最近星玲子を見ようと思つて覗いてみた『男のまごゝろ』や『のぞかれた花嫁』などはストリイがちよつと踏めるものだつたゞけに、チヤチはチヤチなりに面白く見られた。」(徳田秋聲「文化村『日活』」)…と、長くなるので後半は端折りますが、ここから撮影所や俳優陣の様子がレポートされてゆきます。
 相変わらず褒めたと思えば貶し、かと思えば褒めてる? 少なくとも期待はしてる? といった秋聲節で興味深い内容ながら、さらに面白いのはこの記事のリード文。「文壇の大家徳田秋聲氏を多摩河畔の日活撮影所におびき出して印象記の執筆を願ふことにした。撮影所では折から撮影中の入江たか子、星玲子や酒井米子等々総出で歓迎の宴を開いてくれた。だがたか子のつぐお銚子からは水も出なかつたし、膳のお椀は蓋をとれば空つぽだつた。これにはさすがの徳田さんも令息の一穂君と一緒に、『一杯くはされた』と残念がつてゐた」との舞台裏でした。

  (再掲、おびきだされ、空っぽのお酌を受ける秋聲→)





「撮影所めぐり」
   2022.8.18

 今朝ほど「北國新聞」さんに、あさって館内で上映予定の映画「土手と夫婦と幽霊」主演・星能豊さんの記事が掲載されておりました。イベントの告知、ありがとうございます! まだ間に合いますので参加を迷われている方、どうかお早めにお電話くださいませ。
 本作に秋聲は出て来ませんが、秋聲自身、映画を観に出かけたり、撮影所を見学してみたりと、映画業界にはそれなりに(すみません)関心を寄せていたかと存じます。大正13年末頃、そんな秋聲と弟子の山田順子を松竹の蒲田撮影所に連れていってくれたのが当時撮影所顧問をつとめていた久米正雄。そのときのことが秋聲の短編「白木蓮の咲く頃」や秋聲の世話で出版された順子の『流るるまゝに』に久米が寄せた序文の中にも描き込まれています。なお前回記事のテーマ、久米正雄『冷火』にも撮影所のエキストラ上がりの男が登場したりしていますね。この訪問に刺激を受けたものか、同じ頃に秋聲が連載を開始した『蘇生』なる長編小説は、映画の撮影所が舞台になりました。
 また、そもそも久米と秋聲を引き合わせたのであろう劇作家・岡栄一郎も、映画まわりのお仕事に就いたことのある人物。いつかの岡栄一郎展で、大正14年、栄一郎を自らの設立した「聯合映画芸術家協会」に誘う直木三十五の書簡を石川近代文学館さんからお借りして展示させていただきました。結果、栄一郎が参加した同協会文芸部には、久米や菊池寛も名前をつらねていたようです。さらに同じ栄一郎展でご紹介したことには、昭和10年「東京日日新聞」の企画で秋聲が「日本活動写真株式会社多摩撮影所」を見学に出かけたという記録。このときプロデューサー根岸寛一の誘いで、栄一郎は同社企画脚本部に在籍していたはずですが、記事にその名は見つからず、星玲子、入江たか子ら女優さんたちに囲まれる秋聲の写真が掲載されています(9月5日記事)。
 「日活の撮影所がまだ向島にあつた時代だから、随分古いことだが私はよく撮影所見学を勧められた。その頃から新聞の連載物が映画化されてゐたので、私も自分のものが映画になつたのをお義理に見たこともあるし、後に吉屋信子女史の『地の果』の映画をも見たものだが、撮影所を見るほどの興味はもたなかつた。後に機会があつて、蒲田を見たが、日活のスタヂオを見るのは今度が初めである。」――後、機会、蒲田と書いて、おそらく久米正雄と読みます。                  (つづく)





祝・『冷火』刊行!
  2022.8.12

 昨日、久米正雄の『冷火』が盛林堂ミステリアス文庫さんから新たに刊行されることを知りました。これは驚き! の次に来る喜び! 先日開催したギャラリートークでもお話しいたしましたとおり、実は今回の久米展でいちばん展示したかったのがこの『冷火』という作品でした。とはいえ館に所蔵なく、久米研究者の山岸郁子先生にお縋りして初版を借用のうえ最後のコーナーに展示させていただいております(9月半ばには一旦下げて、10月まで公開を一時お休みします)。山岸先生には10月2日(日)の記念講演にご登壇いただく予定にしておりますので、この朗報を受け、きっと本作にも触れてくださることでしょう。新刊『冷火』(4,000円)は9月3日(土)刊行予定(次回ギャラリートークの日ですね、お申し込み受付中です。さらに記念講演の受付もこの日からです)、8月28日(日)17時より予約受付開始だそうです。
 『冷火』初版は大正13年10月、新潮社刊。「ガンヂの涙」なるダイヤモンド盗難事件の真相に迫る探偵小説で、かのアルセーヌ・ルパンも登場するという斬新なつくりの中に階級社会の悲哀が織り込まれ、とても読み応えのある作品です。序文において久米は〈私が一つ興味中心の探偵小説を試み〉るとして、作者自らが楽しんで書き、読者もまたその興を共にすることに成功すれば、畏友芥川龍之介からも探偵小説界の名作になるだろうとのお世辞を貰っている位、といった旨を記しています。この序文も含めて、国立国会図書館デジタルコレクションでとりいそぎ全文を読むことが出来るわけですが(長いのでやはり紙媒体が有り難し… )、そこでデータ化されている本の巻末には過去の所有者によるこんな書き込みが。「とても面白い/以後どんどん探偵小説を書くべし」――オヤこの持主は秋聲だったかな?? と思われるほどの感想の一致っぷり!
 秋聲も第22回「新潮合評会」(「新潮」大正14年3月号)において「最近の作なんかどうですか。あれなんか興味のものぢやないですかね……。」と久米に問いかけ、「探偵小説ですか。」と応じる久米、さらに「あゝいふ物を、モツと書いて貰ひたいと思ふ。新智識を盛んに振廻はしてね。」と、こうした方面に向けて久米の背中を押しています。はっきりと『冷火』とは書かれませんが、時期的に同作を指すものと思われ、秋聲がとくに気に入っていた久米作品のひとつと言えるのです。
(画像は記事と無関係ですが新潮合評会に突如現れる「中米」のミステリー。中村と久米がまざってしまったらしいと推理しました。久保田!中村!久米!中米!)





本日のさえずり
 2022.8.11

 先日Twitterの表示を確認していて、英語で表記されたメニューを日本語に直すボタンを押してみましたら欄の上方に「さえずる」と表示され、あれっTwitterってそんなポエティックな感じでしたっけ? となりました。呟くのでなく、囀る由。一方、この方気が合いそうよ! と向こうから提案してくださる種々のアカウントのみなさまのお名前の横には「フォローする」の代わりに黒い「従う」ボタンがついており、そうかそこは主従関係か~…とにわかに封建的な気持ちになったところで、リツイートしてくれた人を表す「リツイート者」なる字面を見れば、「リツイートしゃ」より「リツートもの」と読めてしまってなんとなくものものしい雰囲気がありますね。
 「さえずる」で思い出されましたのは、『仮装人物』に登場するカナリアのこと(アッ!二つ前の記事で紹介いたしました映画「螢草」主題歌の作詞は西條八十です!)。これも五つ前の記事の続きで、久米正雄らしき「人気作家のK-氏」の出てくる場面のすぐあと、山田順子をモデルとする「葉子」の逗子のお家の描写としてこんなことが書かれています。「その頃まだ博士の贈りものだとも気づかなかつたので、捲毛のカナリヤの籠の側で庸三には善く籐椅子に腰かけながら、余り好きでないこの小禽(ことり)の動作を見守つてゐたものだが、いくらかの潜在的な予感もあつたので、葉子のこの小禽に対する感情をそれとなく探るやうな気持もあつた。彼は少年の頃小鳥を飼つた経験があるが、枝にゐる時ほど、籠の小鳥は好きではなかつた。この繊細なカナリヤも、飼ひ馴れない葉子の手で、やがて死ぬだらうと思ふと、好い気持がしなかつた。」……結局、動物のことを書かせると往々にして悲しい感じになるのがシュウセイトクダ。籠の小鳥でなく、自由に飛び回る小鳥を愛でるのが好きとは何度となく記されるところです。
 ちなみに久米が「徳田水」の比喩を使ったのは秋聲の短編「籠の小鳥」の感想にて。「新潮」大正12年7月号の第5回創作合評会における発言です。「籠の小鳥」は小松市の尾小屋鉱山訪問時の体験を描いたものであり、本日8月11日は「山の日」です。





「土手と映画と幽霊」告知映像
 2022.8.10

 今朝ほど、MROラジオ「あさダッシュ!」さんでもご紹介をさせていただきました今月20日の映画上映会「土手と映画と幽霊」開催にあたり、なんと渡邉高章監督が告知映像を制作してくださいました…!! 梅ノ橋を舞台に秋聲記念館の名もクレジットしていただいております。このような経験は初めてかもしれません。拝見するのもドキドキしますし、結果何度観ても、いま「秋聲記念館」て書いてましたね!? ましたね!!? とお隣の職員に確認したくなる無上の嬉しさ、同時に現実感のなさ…素晴らしい機会をいただきましたことに、改めまして心よりお礼申し上げます。たいへん感激しております。映画公式サイト公式Twitterにてご覧いただけるほか、サイトの方には渡邉監督のイベントに寄せたコメント(ブログ)も…! 当館イベントページにもリンクを貼らせていただきました。
 こちらの映像からも、本体の映画「土手と夫婦と幽霊」が独特の空気感をもった美しい作品であるということがおわかりいただけるかと存じます。また事前に視聴させていただいた際、「幽霊」が冠されてはいるものの、随所に秋聲に通じる要素をも感じたものです。「夫婦」、「食卓」、〝イベントのない人生を送る男〟の「小説」……秋聲記念館だからといって無理に秋聲に寄せて考える必要はないのですが、「茶の間文学」(Ⓒ正宗白鳥)とも言われる秋聲作品ですから、ところどころそんな秋聲アンテナが勝手に働いてしまったのです。当日は渡邉監督と主人公の「小説家」を演じられた星能豊さんによる楽屋話がうかがえる貴重な一夜となりますし、作品ファンの方だけでなく映画制作を学ばれている方々にもおすすめしたいほか、欲を張って映画の世界に生きるお二方の秋聲観もすこし、ほんのすこしだけでもうかがえたら…と、館職員が何より楽しみに待ち暮らしている20日です(お打ち合わせですでにキャッキャしてしまいましたので、いずれにせよ非常に楽しいお時間になることはお約束いたします)。
 当館の力だけで出来る範囲を超え、スチールの田畑さんを中心に、いつものサロンに大きなスクリーンを設置していただいたり、音響機材を設置していただいたり、情熱溢れるスタッフのみなさまが集って上映環境を整えてくださっております。渡邉監督のコメントを噛みしめ、星能さんのつぶやきを味わい、そして映像をご覧になりつつ、この日に向けてご気分を高めながらご来館をいただけましたら幸いです。





「通人」代表
 2022.8.9

 前回、前々回と引用した文章、漱石を語りながら秋聲を出してくる久米と、秋聲を語りながら漱石を出してくる秋江の感じが興味深く、全文をご紹介申し上げました。漱石・秋聲に共通して言えるのは「落ち着き」「静かさ」そして顔色の「浅黒さ」、(あと「坊ちやん」)…これら両者の文章の共通項をあげ、ほらコレ面白いよ~とこの資料をご教示くださったのは、いつもお世話になっております、秋聲研究で知られる小林修先生です。小林先生からは久米関係の実資料もいくつかお借りしており、映画「螢草」主題歌楽譜など現在すでに公開しているものもございますし(→)、俳句関係の自筆資料は9月から書斎前にお出しする予定です。ご支援に感謝申し上げます! 
 久米と漱石の師弟関係につきましては展示でさらりとご紹介しておりますし、秋江と秋聲の関係につきましても上手い具合に展示に滲みでてきておりますので、その親交のほどをお感じいただけましたら幸いです。秋江の言う「駄々ら遊び」ではありませんが、似た文脈で秋聲はこのように述べています。「勿論私は金があれば、芝居を見たり、カフヱへ入つたり、花を引いたり、その他色々の享楽を積極的にあさらないまでも、ふらふら遊んでゐた方かも知れない。文学の研究なんかも悪くはないが、遊んでゐることは、より以上に楽しいのである。私が若(も)し金持の坊つちやんに産れて、都会に育つてゐたら、きつとさういふ方面へも発展してゐたかも知れない。さうした場合に、私はもつと砕けた都会人であつて、唄の一つくらゐ謳へる人間であつたかも知れないが、残念なことには、酒席へ出ても、私はどゝいつ一つうたへない野夫なのである。さうして又一方西洋の正当音楽は勿論、ヂヤヅさへもわからない人間なのである。音楽は好きでも、それが解らないと云ふことは、色々の意味で、随分私に不便を感じさせる。」――かつてのレコオド展でも一部ご紹介申し上げましたが、この文章のタイトルこそ久米展第三章の題にとりました「通人」。このあと自分とは異なる「通人」代表として、遊びのプロ・久米の名に着地するのです。





近松秋江「苦労人で我儘な―徳田秋聲氏―」
  2022.8.8

 「徳田秋聲氏の容貌や体附(からだつき)は、何処となく夏目漱石さんを思ひ起させる。どこか落着いて、体のもちあつかひに静かなところがある。二人とも色が浅黒い、而して二人共、笑ふからといつて、大声をあげてハハハハと笑ふやうなところがない。物をいふからといつて、急言激語するところがない。如何にも静かだ。
 秋聲氏は小作りではあるが、どこか恰好よく出来てゐる。写真で見る顔などの表現には威容がある。実際で見ると、体がいかにも小さいから、そんなにもないが、目鼻立にどこか百姓の子でない威厳がある。頭の恰好なども不恰好でない。どうしても百姓の子ではない。体の恰好も悪くはない。背が低いから実際では見栄えがしないが、写真で見ると、どこか落着いて貫目(かんめ)がある。而して氏の作を思ひ起させる錆(さび)と静かさと重さがある。
 ところがあの人はなかなかある意味に於いてのお坊ちやんだ。こゝでお坊つちやんといふのは、世間知らずといふ意味ではない。その小説を読んで見ると、いかにも辛酸をなめつくしたやうな、苦労人のやうなところが見えてゐるけれども、よく其(その)人に接して見るとその実金満家の子供にでもあるやうなわが儘(まま)さをしつゝある。だから通例の苦労人といふやつにある、いやに下手から出る如才のない下等の人物といふやうなところがない。なかなか暇をつぶして遊ぶことも好(すき)さうで、よき意味でいふ貴族的な我儘者だ。ところが又控へ目な人だから、自分から調子にのつて出るといふやうなところはない。が金でも沢山(たくさん)あつたら、駄々ら遊び(※)はしなくても、なかなかきれいに使つて我儘をとほす人だらうと思ふ。」
                          (出典:前回記事に同じ)

 写真で見るより○○ダヨーという言い方に距離の近さを感じます。仲良しならではのこの率直さ! 

 ※駄駄羅遊び…遊里で金銭を湯水のように浪費する遊興。転じて、無意味なあそび。
  (『広辞苑』より)





久米正雄「永久の青年―夏目漱石氏―」
  2022.8.6

 「漱石先生に初めて会うた時、壮年時代の、書棚を前にして、髭(ひげ)をぴんと刎(は)ねかした写真に、強い印象を作つてゐた自分の眼は、先生も齢(とし)を取られたなと思つた。実際先生の顔は、五十にしては老け過ぎてゐる。併し話を窺つてゐる中に、吾々は直ぐこの割合に老けた先生の顔の中に、「永久の青年」の輝きを見出す。それが燦々(きらきら)と閃(ひらめ)き出る時、先生と自分たちとの間には、不思議に年齢の溝渠(こうきょ)がなくなる。――自分は屢々(しばしば)この事を経験した。
 先生の顔は、先生も何かの中に書かれた通り、頤鬚(あごひげ)を生やすと釣合の取れるやうに、額の広い顔である。而して其上を、少しの白髪はあつてもまだ黒い艶々した一二寸程の髪が、撫でつけたか撫でつけない程度で、落着よく分けられてある。鼻の下のぢよきと剪(はさ)んだ口髯は、頭髪よりもずつと白を交へて、既に半白と云ふ位ゐになつてゐる。其短い口髭の蔽うた下で、先生は脣の開閉が余り激しくない、口籠つたやうな物言ひをされる。それから小鼻に表情があつて、笑つたりなぞする時、それは窘(いじ)められるやうに鳥渡(ちょっと)動く。併し乍(なが)ら就中(なかんずく)先生の顔の特色をなすものはあの眼である。此間ある骨相をやる人が来て、先生の白眼が黒眼へ流れ込むやうな相のあるのを大変吉相だと見て云つたさうであるが、先生は何か物を考へて云ふ時は、その眼を先づ斜(ななめ)に中空へ向ける。而してそれをぢつと真つ直(すぐ)に相手へ落して、徐(おもむ)ろに話し出される。此時は実にいゝ眼附をされる。自分は幾度か此時の先生の眼の理智と温情を交(かた)みに湛へた輝きを経験した。
 先生の全体の顔色は、浅黒いと云つた方の、沈んだ光沢を持つてゐる。徳田秋聲氏もこの顔色の所有者である。見てゐる中に落着いて、静かに大作をしたくなるやうな顔色である。
 先生は多くの場合、懐ろ手をし乍ら、端坐して居られる。而してあらゆる人に平等な態度を取られる。自分は先生の処へ行き初めた頃、それがとりわけて嬉しかつた。」

  (「文章倶楽部」大正6年1月号/「或時の印象(文士の見た文士)」より全文)





久米正雄展セット
 2022.8.5

 久米正雄が社交ダンスに触れたのは、ジンバリスト(ヴァイオリニスト)の帝劇公演後のことであったとその随筆「私の社交ダンス」に記されています。カフェー・プランタンの経営者、松山省三につれられ初めてダンスホールを訪れたのだとか。 
 その一年後の「読売新聞」(大正12年12月25日)には「復活し始めた社交ダンス」なる記事があり、関東大震災により主要なダンスホールを失ったことで社交ダンスがすっかり寂れてしまったと…しかしそんな社交ダンス復興の兆しとして、ぼちぼち各所からダンス会開催の企てが持ち上がりそうよ? と報じる中で「文士の久米正雄氏田中純氏等のダンス好きな人々の間にもさうした話もあり明春辺り行はれさうである、まづその皮切りは来る廿五日夜のクリスマスに催される帝国ホテルの仮装舞踊会、久しぶりでダンス党も心ゆくばかり一夜を踊り狂ふのであらう」とも記されています。秋聲がダンスを習いはじめるのは昭和5年頃と言われていますので、もしこの会が実現していたとしてもまだ参加にはいたっていないかもしれません。ただ「仮装舞踊会」と聞いては大人しくしていられないのが『仮装人物』。秋聲の代表作にしてクリスマスの仮装舞踏会の場面から始まる本作には、舞踏会とは関係のない場面ではありますが久米らしき人物も登場します。曰く「ホテルへ来て物を書いている人気作家のK-氏」。そのくだりで「撮影所」や「人の羨む新婚生活」云々といったキーワードも出て来るうえ、ちょうど久米が監督した「現代日本文学巡礼」(明日6日、第一回上映日です)撮影のころと思われ、展示をご覧になったあとだとその像がやや具体的に結ばれるところもあろうかと存じます。チラシにも使わせていただいた件の「撮影所」で撮影された久米と秋聲と池田義信監督のスリーショット(郡山市こおりやま文学の森資料館蔵)が掲載された『アンティーク着物万華鏡』と当館オリジナル文庫『仮装人物』、前掲の随筆を収録し、さらに秋聲のしゅの字も出てくる岩波文庫『久米正雄作品集』を3つ揃えてショップに並べましたので、久米展セットとしてこの機にお買い求めいただけましたら幸いです。

 追伸、新発売の「徳田シール」は明日より通販開始いたします。





没後70年記念企画展「久米正雄の出現」開幕!
 2022.7.31

 本日、没後70年記念企画展「久米正雄の出現」開幕いたしました! 本当はおととしの秋から生誕130年に食い込む形で開催予定であったものがコロナにより延期となり、二年越しでようやく実現させることができました。資料提供にご協力くださいましたこおりやま文学の森資料館さまはじめ、関係各位に深くお礼を申し上げます。
 準備段階で十分気をつけているつもりですが、今朝ほど館長よりそっと囁かれました衝撃の一言…「赤い鳥のとこ…赤い花になってるよ…」。秋聲や久米の作品の載った童話童謡雑誌「赤い鳥」実物およびそれにまつわる鈴木三重吉筆秋聲宛ハガキに付したキャプションは正しく「鳥」になっているのに、通路に設置した長い比較年譜パネルにおける秋聲サイドの記述がまさかの「赤い花」に…! なんということでしょう、このやらかしは二度目です。こりゃいかん! とすぐに上から貼る訂正用の紙(通称・ばんそうこう)を作成し、貼りにゆかんとして改めて手元を見れば、ばんそうこうすらも何故だかすべて「赤い花」に…。しかも微妙にサイズ違いの3枚とも…。怖……。昨年の生誕150年記念朗読劇「赤い花」の後遺症により、赤い、とくれば手も脳も自然に「花」を呼んでしまう生誕150年病、いまだ完治しておらぬばかりかむしろ末期でした。これをちまちま作成していたあの10分、この世で最も無意味な時間。
 おかげさまでその後仕切り直して初日のうちに無事修正することができました。今回展に秋聲作「赤い花」は出て来ませんが、同年に開催された秋聲還暦祝賀会の話題と、ダンサーつながりで秋聲が会長をつとめた社交ダンス同好会「昭和倶楽部」の設立趣意書(徳田家旧蔵)を久々に展示させていただいております。この会に、ともに社交ダンスを趣味とした久米正雄を引きずりこむ秋聲会長。いつかのダンス展の際の寸々語(「師弟関係②」2017.12.10)でご紹介いたしましたとおり、同会では折々にダンス大会を開催したこともあったとか。それを報じる「読売新聞」昭和7年11月26日記事には「帝都に会員四百を算する(この中に久米正雄、村松梢風、楢崎勤、徳田戯二等もゐる)一流ダンス社交団『昭和倶楽部』」と紹介され、さすがに400は言い過ぎでは? と思いつつ、とりあえず創設当初の賛助員には久米を含む36名が確認されました。 
 




没後70年記念 久米正雄展記念 徳田シール新発売
 2022.7.30

 昨日せっかく幾分か水気を抜いたのに、一晩のうちにまたシャバシャバになってしまう寸々語。大人しく大家の言葉を引用するだけにしておけば粘度はぐっと上がると知りつつ、しかしいかんせんその大家の文章ですらも久米正雄をして「徳田水」と言わしめるスッとした喉ごし、そして「淡々と只その『力』は滴々の水が岩に穴を開けるやうな工合に深く、ものの有りやうへまつすぐ浸透する」(「『爛』を挿画するについて」)と一流画家・木村荘八に言わしめる抜群の浸透力をもった水性作家を顕彰する館だものですから気がつけばすぐに秋聲の「水」に浸食されてしまうのです。
 さて秋聲の水と書いて「徳田水」。明日開幕の久米正雄展のひとつのキーワードとして、展示の中でご紹介をしております。それにちなみ、本当は久米展会期中に「徳田水」と印字した炭酸飲料をグッズとして発売したかったのですが、われわれ弱小記念館にそのような予算も知恵もツテもなく…ならば中身はなしで「徳田水」と印字したボトルをつくっては?? とやや目先を変え手を尽くしてはみたものの、そこにたちはだかる大人の事情、無理くり実現させると驚きの超高額グッズとなり結果6本しか売れない(館職員は6名)であろう恐怖を最終的に乗り越えられず再び断念…いやしかし諦めきれない記念館、ならば自分で貼ったらいいじゃない! マイボトルとかマイコップとかに自分で貼ってなんでもかんでも徳田水にしたらいいじゃない! ゥワアアアアァーーンッ! ともはや半泣きで製作いたしました「徳田水」シール、久米正雄展開幕にあわせて明日31日(日)より新発売です!!
 厳密に申し上げると要解説の「徳田水」だけでおつくりしてはロット的にとても久米展会期中に完売させられる自信がなく、せっかくですからその他秋聲のいろいろなモチーフを織り交ぜ、オリジナルの「徳田シール」としてレイアウトしていただきました。デザイナーはなんと石川県公式観光PRキャラクター、あの「ひゃくまんさん」を手がけられた田中聡美さん! ちょっと徳田水つくりたいんですけどもォ…というよくわからない館のビジョンを面白がり、その夢に乗っかってくださった愉快な人々の手により繫いでいただいたご縁です。
 徳田シール、税込250円也。この夏、ご自分なりの「徳田水」のお味を追究されてみてはいかがでしょうか(通販準備中です)。 





軽井沢町さんに感謝
  2022.7.29

 本欄14日付記事・軽井沢町歴史民俗資料館さんの白鳥展の回を、なんと軽井沢町さま公式HPの「追記」にてご紹介いただきました…! そんな…まさか…大丈夫なのでしょうか、こんな水分多めなシャバシャバ語にリンクなぞ…こんな…いかにも足下のわるそうな場所にみなさま方を誘導して…(白鳥さんはわりと長靴を履いていらっしゃるイメージがございます。よく見ると同館白鳥展チラシ裏のお写真、すごい雪ですね!)……なんとも恐縮の至りです。お心遣いに感謝申し上げます。かくなる上は、軽井沢町さまのお顔に泥を塗ることのないようがんばって濃度をあげるべく、水分を少しずつ抜いてゆきましたら徐々に粘度があがって、そこにぷかりと「泥人形」が浮かんでまいりました。明治44年、白鳥数えで33歳のときに「早稲田文学」に発表した作品です。
 自らの結婚に材をとり、その意味で白鳥版『黴』とも言える本作について秋聲はこう述べています。「私は此頃誰のものを読んでも、さほど心を惹かれたことがない。自分の作にも無論飽きてゐる。作をしやうと云ふ気分になることも滅多にない。それでも正宗君のものなどは、必ず読みたいと思ふものゝ一つである。最近に読んだものでは『モルヒネ』『泥人形』などが興味を惹いた。『泥人形』などは作者は余り得意の作とも思つてゐないやうだし、さう努力して書かれたものゝやうにも思へないが、氏の作風の愈(いよい)よ円熟の境に進んだことを考へさせるに十分な作だと思ふ。此作では氏のトゲトゲした一種の鋭角的な処が巧みに削り落されて、人物なり事件なり、作者の気分なりが、如何にも活々とした鮮かな色彩で描き出されてゐる。それで作の深みが愈よ添つてゐる。チクチク人を刺すやうな鋭さはなくとも、さくさくと手練れた鑿(のみ)の使ひ方をしたやうな書方だ。」…と、「泥人形」を褒める傍らで本当に語りたいのは題にもなった「正宗白鳥の『微光』」のこと。「泥人形」に比べたら今ひとつじゃない? としてここから長所短所を述べてゆくのです。 
 「つなぐ展」で展示していて今は収蔵庫に収めてしまいましたが、「泥人形」も「微光」もひとまとめにお読みになりたい方には河出書房新社刊日本文学全集18『正宗白鳥 徳田秋聲集』(昭和37年)をお勧めします。半分秋聲もついてきますし、付録の「月報」において〈白鳥、秋聲と並べたこの集の価値は大したものなのだが今日の読者にはそれが果たしてどれだけわかっているものやら。〉と、かの佐藤春夫のお墨付きです。





中原中也の出現
  2022.7.28

  現在、展示替えの真っ最中です。「つなぐ人々」展の撤去を終え、展示室には半分くらい久米正雄が出現してまいりました。今回の見どころは以前にもお知らせいたしました久米による秋聲宛ての長いお手紙2通。それだけで部屋を横断するメインケースのワイドぴっちり埋まるほどとなりました。そしてそのお手紙①にかかわり、秋聲旧蔵の麻雀牌セットを初公開いたします! そのお隣には秋聲愛用の花札も散らしますし、もしかすると執筆そっちのけで遊んでばかりいた(かもしれない)久米と秋聲の在りし日をご想像いただけましたら幸いです。
 さらにお手紙②はいつかの「めぐる人々」展でも展示いたしました文芸懇話会賞を素直にお受けなさいよ~と久米が秋聲の背中を押す内容のもの。この言葉を受け、当初受賞を渋っていた秋聲がこれを受け入れたようですが、それにかかわり文芸懇話会賞を受賞した「時の人」としてご家族と一緒に巻頭グラビアを飾った昭和11年の雑誌「婦人公論」253号はスペースの都合上、お出しすることができませんでした…。また何か別の形でお披露目したいと思いながらパラパラ中身を見ていると、中原中也の詩「残暑」が掲載された号でした。「畳の上に、寝ころばう、/蠅はブンブン 唸つてる/畳ももはや 黄色くなつたと/今朝がた 誰かも云つてゐたつけ」…このうだる暑さのなか、つい1階再現書斎の畳に呼ばれてしまうような誘惑のあるフレーズです。中也と秋聲、生きた時代は重なりますが、とくに接点は見つかりません。とはいえこうして同じ雑誌に載っているのを目撃すると、アァ同じ時代を生きている…と(当然のことを)改めて感じたりなどいたします。今日ふと中也さんに目を留めたのは、朝の連続ドラマでその作品が読まれ話題になっているということだけでなく、8月20日の映画上映会開催にあたり、上映予定の映画「土手と夫婦と幽霊」を撮られた渡邉高章監督と主演の星能豊さん、企画者の田畑友子さんと先日リモートで打ち合わせをおこなった際、何故か中也さんのお話でやけに盛り上がってしまったため。秋聲同様、映画には出て来ませんが、当日のアフタートークではそんなお話も飛び出てくるかもしれません。ただいまお申込受付中です。





企画展「久米正雄の出現」
   2022.7.17

 次回、久米展のチラシが完成いたしました。正式タイトルは没後70年記念企画展「久米正雄の出現」。前回記事で引用いたしました秋聲の言葉より〝出現〟の二文字をお借りいたしました。もちろん当時文壇に出現したのは久米だけでなく、「三人男」たる芥川や菊池も一緒なわけですが、文壇において彼らとも異なる立場を占め、そして彼らとも異なる方法で秋聲と付き合い、何より彼らとは異なる影響を秋聲に与えた、そんな久米正雄という人物の再出現をこそ、今回の企画展で目論みましてございます。チラシのしゃれた男女は9月の朗読会で披露していただく短編「マギー」等を収録する久米の短篇集『木靴』(昭和2年、改造社)の見返しから使用させていただきました。ただ出来上がってみると想定よりかなり色味が沈んでしまい、裏面のカーニバル感をもってしてなおどこか陽気になり切れぬ、鈍い青痣のような痛みもともに感じさせる生々しい空気感となってしまって、こりゃあいわゆる〝微苦笑〟に象徴される笑みの影に潜む苦味が早々ににじみ出てきちゃったな……といったアダルティな雰囲気に……。今回久米の自筆のものはそれほど多くお出しできず恐縮ながら、徳田家で保管されていたいずれも長い(物理的に)秋聲宛書簡を二通、目玉資料として展示予定です。
 現在の「つなぐ展」は今月24日(日)まで。25日(月)より展示替え休館をいただき、7月31日(日)に開幕いたします。会期中にはこおりやま文学の森資料館さんよりお借りした久米正雄監督作品「現代日本文学巡礼」DVDも計6回上映予定。運営の都合上、展示解説と同じ日程にぶつけておりますが、時間・定員・申込方法が異なりますので別個のイベントとしてお考えください。また久米との映画撮影つながり――というわけでもないのですが、映画「土手と夫婦と幽霊」上映会のお申し込み受付も始まりました。こちら、朗読会「マギー」同様、金沢ナイトミュージアム企画として両日とも17時の閉館後に開催いたします。そして演出の都合上(というより狭い館内につき)、いずれも17時以降はイベント参加者以外の入館不可とさせていただいておりますので、どうかご理解のほどよろしくお願い申し上げます。



   


「文芸もず」第23号
  2022.7.15

 菊池寛記念館さんご発行「文芸もず」第23号をご恵贈たまわりました! 「菊池寛と文学研究」と副題のあるこちらの雑誌、ありがたいことに今号には同館・久保清子学芸員さんによる論究「生誕150年記念 徳田秋聲と菊池寛」のご掲載があり、秋聲と寛の関係性が同館ご所蔵の資料写真とともに美しく簡潔にまとめられています。今後、ふたりの関係は?? とお客さまに訊かれた際には、こちらをスッとお見せすることといたします。昨年は秋聲生誕150年記念協力展示等々でたいへんお世話になり、続く今年は寛主宰雑誌「文芸春秋」創刊から100周年という記念すべき年であるということが本誌巻頭において寛ご令孫・菊池寛記念館の菊池夏樹名誉館長さまより紹介されています。中を拝読してゆきますと、寛と漱石について触れられている箇所がありました。同じ一高仲間である久米・芥川・菊池のうち久米と芥川は牛込(現新宿区)の漱石山房の一員となった一方、寛はそうでなかった理由に、東京帝大に進学したふたりと異なり京都帝大にゆき「京都からは、所詮無理なこと」、さらに「どうも漱石さんと馬が合わなかったよう」とも語られており、そのあともまた興味深いお話の連続でした。昨日校了いたしました次回久米正雄展のパネルにもその時代のことをすこしご紹介したくだりがありますが、秋聲も彼らをひとまとめに「三人男」と呼び(「私の言つたこと」)、「漱石氏の門下生、もしくはその雰囲気のなゝから生れたと見られる、赤門出の作家、久米正雄、芥川龍之介、菊池寛三氏の出現が…」(「大正文壇の回顧」)と述べているうち、寛だけやや注釈付き、といったところでしょうか。なお、「文芸もず」は、在庫のあるバックナンバーも含めて菊池寛記念館HPより通販でもご購入いただけるようです。
 また同誌を通じ、菊池寛研究家・大西良生先生が昨年11月に逝去されたことを知りました。当館の「菊池寛賞と秋聲」展の際にも開催をとても喜んでくださり、講師として記念講演に来てくださるばかりか、展示準備の段階から秋聲関連の資料をまとめてお送りくださるなど、本当にあたたかくお優しかったそのお人柄が思い出されます。謹んでお悔やみを申し上げます。





「正宗白鳥展」
  2022.7.14

 長野県の軽井沢町歴史民俗資料館さんより「正宗白鳥展~拝啓 正宗様~白鳥に宛てた書簡を中心に」のご案内を頂戴いたしました! ありがとうございます! うかうかしてすっかりご紹介が遅くなり申し訳ございません。こちら7月9日(土)からすでに始まっており、8月31日(水)までの会期です。裏面の展示概要を拝見すると、旧軽井沢にある白鳥詩碑がこのたび正宗家別荘敷地内へ移設されることとなり、それを記念して企画された特別展なのだそう。主な展示資料には白鳥に宛てられた小林秀雄筆書簡や、円地文子筆書簡などのお写真があがっています。秋聲の実資料の展示があるかはわかりませんが、当館のつなぐ展同様、きっとパネルなどで彼等の交流についてご紹介くださっていることと存じます。この夏ぜひお出かけくださいませ。
 「自分もあげた手紙を公開されたくないからもらった手紙はすぐ棄てる派だという白鳥さん。上司小剣君はとっておくタイプだから困る、と書いておいででしたが、すみません、秋聲先生もとっておくタイプだったようです。」と、このブログに記したのは2012年8月24日のこと…きれいに10年前の夏、当館における白鳥展の頃でした。そう思うと今展示されているのはそんな白鳥の信条から漏れて生き残った本当に貴重な書簡類なのだとお察しします。逆に当時当館で公開した秋聲宛白鳥筆書簡は35通。今回の展示資料には「夫人と世界漫遊旅行をした際の紀行文」の自筆原稿もおありとのことで、その世界漫遊中、海外から秋聲に送られた現地リポート(エアメール)も35通のうちにいくつか確認できます。昭和4年7月21日にはこんな書簡も。「小生ロンドンに一ヶ月半を過し候、最近十日ほど炎天つゞき 日本同様にて、暑さに弱き洋人は苦悶いたし居候 水キキンにて使用制限あり、これも日本と同じく候」……これも現代と同じく候。
 直近のご案内となり恐縮ながら、来る17日(日)には愛知淑徳大学の吉田竜也准教授による文化講座「正宗白鳥―その足跡と軽井沢―」が開催されるそうです。すでに満席かもしれませんが、ご興味おありでしたら同館にお問合せ願います。





映画上映会&アフタートーク「土手と映画と幽霊」
 2022.7.13

 先日ご案内いたしました朗読会のほか、今年の金沢ナイトミュージアムの当館主催イベントには初の映画企画もございます。しかも当館内での上映というこれまでにない試みです。上映されるのは、渡邉高章監督「土手と夫婦と幽霊」――とりたてて秋聲が出てくるわけでも、秋聲作品を用いてというわけでもございませんが、同映画スタッフとしてスチール撮影を担当された金沢ご出身の田畑友子さんよりお話をいただき、いろいろとお打ち合わせを重ねるなかで、機材も環境も整わぬままかえって恐縮ながら上映場所として当館をお使いいただくことといたしました。ナイトのパンフにも記載のとおり、主演の星能豊さんがやはり金沢のご出身で、しかも秋聲と同じ小中学校を卒業されたと! これは深いご縁と言うほかなし、当館一味は、その身からすこしでも秋聲のしゅの匂いをさせようものならすぐさまがっちり捕獲にゆくという習性を持っておりますので、ほほう! それは後輩、秋聲の後輩というわけですな! と縄を片手にサッと出口の前に立ちはだかった次第です。
 また、今回の上映コンセプトには〝建物〟も重要なポイントのひとつとなっております。映画タイトルに「土手」とあるように、川や境界を主要なモチーフとしたこの作品を、浅野川のほとり、すなわち土手際に建つ当館においてご覧いただくという特別な趣向…きっと映画ご鑑賞後、ふと夜景に沈む川の対岸へと目を遣ってしまうことでしょう。館までの行きか帰りか、できれば敢えて橋を渡るルートでお越し・お帰りいただけましたら幸いです。と、キャスト・スタッフさんとの人の縁、土手という共通の地縁はそれとして、ふたつ重ねてなお見逃しがたいのはタイトル最後方に鎮座する〝幽霊〟の存在……自然主義作家・秋聲の館で幽霊映画? とご不審に思われる方も多かろうと存じます。われわれ記念館一味とてそのタイトルをお聞きした瞬間、いえ今もまだ「尤もこれは泉鏡花の畠で…」(Ⓒ徳田秋聲「屋上の怪音」)と頭の片隅で呟いておりますけれども、何故開催を決めたのか、8月20日(土)夜、映画上映後、贅沢にも渡邉監督、主演の星能さんとのアフタートークがございますので、その時間に明らかにさせていただければと思います。





「螢のゆくへ」
  2022.7.10

 「姉さん、螢は何故甘い水が好きなんでせう。甘い水が好(すき)ツて真(ほ)ンとでせうか?」

 前回話題にのせた「ほたる」に呼ばれて飛び込んでまいりました朗報です。昨年生誕150年記念朗読劇「赤い花」にご出演くださり、さらに来たる9月23日に開催予定の久米正雄没後70年記念朗読会「マギー」にもご出演いただく声優・うえだ星子さんのYouTubeチャンネル「ほしこの押入れ」が本日更新されました! 今度のテーマは「螢のゆくへ」。秋聲の子ども向け作品で、当館オリジナル文庫『秋聲少年少女小説集』に収録されている短編です。6歳の少年「新ちゃん」と17~18歳の「姉さん」との掛け合いがなんとも可愛らしく微笑ましいこの作品。連日の猛暑の夜、螢か星空かといった無数のきらめきでもって、束の間の清涼剤となってくれることでしょう。とても短い作品ですのでみなさまぜひお聴きになって、そうするとさらに耳寂しい心地がしようかと存じますので、同チャンネルの他の作品もお聴きになってみてください。そして9月には「マギー」。この日は板倉光隆さんとともに「マギー」ほか計3篇の久米作品を当館内でご朗読いただく予定で、秋聲作品とはまた違った味わいをお楽しみいただけるかと存じます。いやはや久米正雄のストーリーテリングの巧さったら…。
 またこの「螢のゆくへ」は、ご近所の朗読小屋 浅野川倶楽部さんも公演「朗読で綴る文学の世界」内でとりあげてくださっています。本作を含む秋聲作品はじめ、某K花・犀星・夢二・未明・南吉・乱歩・独歩などなどラインナップゆたかな朗読会が、今月22日~24日まで全9公演、市内の料亭金城樓さんで開催予定。ご遠方の方にはうえださん同様、浅野川倶楽部さんのYouTubeチャンネル「Reading cafe ほたる」もございますので、こちらをお訪ねくださいませ。大作「あらくれ」その他長短編が実によりどりみどりの手厚さです。






『竹久夢二 100枚綴りの便せん』入荷
  2022.7.8

 昨日、七夕。現在開催中の「つなぐ展」におきまして、金沢湯涌夢二館さんからお借りした夢二さんによる七夕図の画像をパネル展示させていただいております。秋聲の弟子であり恋人であった山田順子を絡め、秋聲が見ていちゃもんをつけたというソレ(2021年7月4日記事「生誕150年記念協力展示⑧」参照)。早いもので「つなぐ展」も残り2週間ほどとなりました。最後まで何卒よろしくお願いいたします。
 さて秋聲とは微妙な恋のライバルであるにもかかわらず、金沢湯涌夢二館さんとならび親切の権化でお馴染み、秋聲第二のホーム・文京区にある竹久夢二美術館さんより教えていただきました新発売『竹久夢二 100枚綴りの便せん』(PHP研究所、2,200円税込)をこのたび当館でも販売開始いたしました! 夢二さんがデザインされた100の図案を表に、裏はその主要モチーフが罫線としてあしらわれた便箋が100枚入って、一冊の本のようになっているアイディア商品です。素敵は素敵だけれどもそれだけでは秋聲記念館に置きにくいよね…というところ、なんと夢二さんが装幀・挿絵を手がけてくださった秋聲作『めぐりあひ』表紙デザインも100分の1に選ばれているという有り難さでもって入荷決定! こちらは夢二の生まれた岡山県の夢二郷土美術館さんのご所蔵品から画像がとられているとのこと、中に細かく記載がございます。ただいかんせん1枚ずつの100枚綴りですから、各人にとってのお気に入りの1枚の使いどころが悩みどころ。秋聲一味にとりましては、『めぐりあひ』の1枚をちぎるときの尋常でない手の震えが今から想像されるようです。
 ワ~展示で『めぐりあひ』を紹介している今のうちに~! と超特急で販売手続きをしてもらったわけですが、中には久米正雄『螢草』の外箱デザインもラインナップに入っており(竹久夢二美術館蔵)、これは次回久米正雄展会期中にも続けて意義のあるおみやげとなってくれそうです。また今の季節には、前述とはまた別の「七夕や」「ほたる狩り」などの図案もいいですね。ついでの宣伝となり恐縮ながら、金沢湯涌夢二館さんでは現在「『七夕図屏風』『ほたる』の時代」なる企画展を開催中。当館と同じ今月24日(日)までの会期ですのでお見逃しなく!





お詫びふたたび
  2022.7.7

 えっ…映画「破戒」、石川県で上映がないってほんとうですか…!? ここ数日さも藤村一味みたいな顔をして生誕150年を迎える島崎藤村界隈のPRに勤しんできたわけですが、明日公開予定の新作映画「破戒」をさていつ観にゆこうかい、とのそのそ公式HPに調べにゆきましたら劇場情報に北陸三県の映画館が入っていないだって…?? そんなことって…?? 令和のこのご時世に…??? 地域別に記載されているうち一瞬「中部」という言葉の意味を見失いました。さんざん館外講座やラジオなどでもお知らせしてまいりましたのに、お聴きくださった方に重ねてお詫びせねばならぬことになりました。確認不足で申し訳ございません…いや、そんなまさか、という気持ちでいっぱいです…もしかしたら遅れてやってくるのかも…なんだかほんとうにすみません…。
 北陸地方はまだすべて山の中だったですね。夜明けまでにはもうすこし時間がかかるのかもしれません。そんな衝撃を受けるこの頭にふと思い出されたのは、現在、藤村コーナーで展示中の「新潮」昭和7年5月号に掲載された藤村と秋聲の対談のこと。中で秋聲が指摘することには「あなたの創作は二通りある」として、「家」「新生」などは初期作「水彩画家」系統、そして近作「夜明け前」が「破戒」系統に連なると。藤村はそうかなァ? と微妙なリアクションを返しつつ、この頃ちょうど長編「夜明け前」の第一部を刊行したところで、対談後半において「あれは第二部を書き終つて夜が明けるかどうか分らぬのですよ(笑)」と読者全員がエッ…!? となる発言をしています。「事に依ると夜が明けないかも知れない」とまで…筋違いながら、そんな作者の言葉がぐるぐると脳内を駆け巡っている今このときです。
 ちなみに「夜明け前」を映画化(昭和28年)したのは、吉村公三郎監督・新藤兼人脚本による近代映画協会組だそうですね。同じコンビで制作されたのが、現在その試写会パンフレット(徳田家蔵)を展示中の島田清次郎原作「地上」(昭和32年)および秋聲の『仮装人物』を原作とした映画「甘い秘密」(昭和46年)です。本日はまたお詫びとともに、すこし現実逃避気味の寸々語で恐縮です。



 

本日のラジオについてのお詫び
  2022.7.5

 前回記事の「健康状態」で思い出したことに、今月の再現書斎の掛け軸を「生きのびて又夏草の目に沁みる」にするのをすっかり忘れておりました。秋聲最大の危機といっていい昭和11年7月の大病からの復帰の感慨を詠んだもので、それにちなみ毎年7月にはこの句幅をお出しすることにしていたのでした。が、今年は藤村生誕150年コーナーに一生懸命になり、床の間にもしっかり藤村自筆「藤村詩集序」の書幅が展示されています。またあわせて秋聲のお机にそっと愛用のパナマ帽も置いてみました。すこし季節はずれるかもしれませんが、先日ご紹介した藤村からのお出かけの誘いに応じようと、いそいそ外出準備をする秋聲設定です。現世ではもう夏に入って三ヶ月だね~間もなく秋だね~くらいの雰囲気で連日猛暑が続いておりますが、実はまだ7月に入ったばかり。夏はまだまだこれからですので、みなさまも外出のおりにはお帽子をお召しになって頭を守ってお過ごしください。
 と、今朝ほど例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんにて、そんな藤村のもろもろについてお話をさせていただきました。今月は間もなく映画「破戒」公開も文庫の新刊もあるよ! とまるで藤村一味のような顔をしていながら、藤村の詩の話になると突然「あの千曲川の有名なやつ…」「初恋の、あのりんごのやつ…」と、とても文学館職員とは思われない発言、そして言葉遣いを連発し、ギャーーーッとなってラジオ後、脊髄反射で出演告知のツイートを削除してしまった次第です。これはほんとうに面目のないことでした。藤村ファンのみなさま、またお聴きくださったみなさまに、伏してお詫びを申し上げます。まことに申し訳ございませんでした。うろ覚えならば詩のお話はすべきではありませんでしたし、帰館し、かの書幅を見るだに痛い…と同時に、昭和18年にふたりが相次いで亡くなったことや、藤村の訃報に接した際の秋聲の反応(秋聲長男一穂さんの作品集に書かれています)、映画「夜明け前」にまつわる秋聲とのやりとりなど、かえって脳内にご用意していったお話をついにお出しできず、アーーーーーとなって羞恥・後悔・懺悔とこの身が一体となりあんなにも時を駆けたかった今朝、日々そんなことばかり…
 来月は10日10時過ぎより、久米正雄展のお話をさせていただくことと存じます。猛省のうえ、きちんと準備をして臨みます。





「生れ変らせると云つたら」
 2022.7.2

 昨日とてもタイムリーなことに、この9月に当館主催の朗読会にお越しくださる板倉光隆さんが主要キャストとしてご出演のアニメーション映画「時をかける少女」(細田守監督)がテレビで放映されました。えっもう16年前の作品…!? と、そこにも地味に衝撃を受けつつ、眩しき夏あり、甘酸っぱき青春あり、そしてもし時間を戻せたら、という誰しもが一度は夢想したことがあるであろう普遍的な問いかけあり…。主人公同様、あれこれやらかしてしまった痛い過去に思いを馳せつつ、アァやらかしの前に戻りたい…と強く願ったその時々の悔恨を苦く噛みしめつつ、いろいろな意味で心を締めつけられながら、(もうこの腕に刻まれる残り回数はゼロなんだから!)と自らに強く言い聞かせて次回企画展チラシの校正作業にあたっております。あの瞬間に立ち戻ってやり直したいと思うことランキングのかなり上位に食い込む誤植との熾烈な戦いの真っ最中です。
 タイムリープとは少しずれますが、人生をやり直すという意味で、こんなアンケートを思い出しました。雑誌「趣味」明治41年9月号掲載の「生れ変らせると云つたら」。その問いに対し、秋聲は次のように回答しています。
 
「別に大して生れ変り度(た)いとも思はないが、若(も)し生れ変ることが出来たら、無論男性(おとこ)に生れたい。時代(とき)も場所(ところ)も別に望みは無い、現在(いま)の通りで沢山(たくさん)だ。只、今よりも身体を健康(じょうぶ)に頭脳(あたま)を善く生れて、文学に尽し度い。文学に対する志向は、先天的のもので牢乎(ろうこ)として抜くことが出来ないから、問題が僕を中心として居る以上、矢張文学者になり度いのだ。つまり一口に云つて了(しま)へば、無理に生れ変つて来なくつても、此(この)まゝ何時(いつ)までも長生(ながいき)して、僕自身の生活を味(あじわ)つて往(ゆ)けばそれで満足だ。」
 
 生涯を通じたしかに健康状態には折々に苦しめられた節はありながら、意外に自分自身に肯定的な秋聲でした。 





藤村生誕150年
  2022.6.30

 月末月初にかけて市内の講座三昧で、小学校さんから生涯学習講座のみなさままで年代幅広く秋聲のお話をさせていただいております。小学校さんではとくに、6月といえこの酷暑において「外で遊んではなりませぬ」放送をお聞きして、アァこれがニュースなどで聞く噂の…! となりました。お暑いなか、ご清聴いただきありがとうございました。今後もご体調にくれぐれもお気を付けてお過ごしください。
 さて、7月に入りますので、以前にこちらでお約束しておりました島崎藤村資料を書斎前にすこしお出しいたしました。生誕150年記念展示です。とはいえ結局書簡が2通と雑誌が4冊…大盤振る舞いの田山花袋記念文学館さんと規模は比ぶべくもありませんが、藤村のあの美しい几帳面な筆でもって、花袋と秋聲と久しぶりにお酒でも飲みましょうよ…と書かれた貴重なほのぼの書簡などですからご来館の際にはぜひ書斎前ケースにも忘れずにお立ち寄り願います。7月15日には大木志門先生ご編集による『島崎藤村短篇集』が刊行予定ですし(当館ショップでも入荷手続きをいたしました)、8日にはなんと60年ぶりとなる代表作『破戒』の新作映画も公開とのこと。それに符節を合わせる形で、藤村が亡くなった8月いっぱいまで展示予定です。そして先日とても驚きましたことに、この『破戒』映画化にあたり、予告編のナレーションをわれらが秋聲生誕150年記念朗読劇「赤い花」総合演出をつとめてくださった板倉光隆さんが担当されているという…! 映画『破戒』公式HPなどからご覧いただけます。「赤い花」では友情出演のようなスパイス的ご出演でしたので、アラもっとそのお声をききたかったのに…という方々がたくさんいらしたことと存じます。そんなみなみなさま、こちらの予告篇をお聞きいただきつつ、ご出演の舞台『追想・地獄変』をチェックしつつ、どうか9月23日(金・祝)の夜を、秋聲記念館のために空けてやってくださいませ。先日情報解禁となりました今年の金沢ナイトミュージアム全企画、中の一夜において板倉光隆さん、そして秋聲作品の朗読配信でもお馴染み、同じく「赤い花」にご出演くださったうえだ星子さんにふたたびご集結いただきます! 今度のテーマは企画展にあわせて久米正雄作品「マギー」。マギー…マギー…この夏とても…気になる響き…!





木が好きな人
 2022.6.26

 例によって金沢ふるさと偉人館さんご作成によるこの日なんの日偉人カレンダーを確認すると、おととい24日は谷口吉郎先生のお誕生日でございました。二日遅れで失礼します。現在の「つなぐ人々」展でも、谷口先生および谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館さんコーナーをもうけさせていただいております。秋聲文学碑の設計者として、また秋聲と山田順子カップルのある日のデートの目撃者として、あ~こことこう繋がってくるのか~というあたりが今回展の見どころのひとつです。
 さて、昨日より金沢建築館さんでは新しい企画展「木で創るその蓄積と展開がご開幕です! おめでとうございます! まだ観覧にも伺わぬまま恐縮ながら、ツイッターのほうで発信されていた借用から設営の様子を見守っているだけでも、力のこもった大変なご企画であることがわかります。最近、石川県にも地震が相次ぎ、少し建物について考える機会ともなりました。地震と秋聲で言えば、すぐに思いつくのはやはり大正1291日の関東大震災で、わずか二ヶ月後の11月、「新潮」誌に掲載された「第8回創作合評会」において「東京の復興問題」が話し合われました。そこで久米正雄が人から聞いた話として紹介するのが「世界の他の都市と異なる東京だけの特色=待合といふものの建築(茶屋小屋の建築)」説。久米はさらに「茶室」をここに足してゆきます。でも耐火的にはアウトでしょ~? と言う近松秋江、耐火的にはアウトだけど趣味の問題だよね、と応える芥川龍之介。焼けたら焼けたとき、という精神こそが茶室らしさで、それを防ごうとする丸ビルとは心掛けが違うのさ、と分析する佐藤春夫に、仕事場は丸ビルでも何づくりでもいいけれども、日常生活には木なんじゃない? と前置きしながら「日本人は何うしても品とか木の香とか木目とか木の肌とか云ふものを多く見ないと、家のやうな気がしない」と中村武羅夫。そして秋聲の発言です、「日本の木は特殊の面白味を持つて居るからでもありませう。米松なんかは面白味がないですよ。」
 きっと用途に応じ米松には米松の好さがありましょうから、(個人の感想です。)と右下にそっと表示しつつ、ざっとご紹介いたしました。
 この発言の前半部分、企画展のキャッチコピーにいかがでしょうか?



 

気楽な人
   2022.6.24

 「私が鎌倉に引ッ越して行く時、横光さんが、『久米さんと一時間差しでゐられたら偉いですよ』と云つたことがあるが、なるほど旅の宿屋などで二人切りでゐると、気ぶッせ(※気ぶっせい、気づまりなこと)なむづかしい人で、久米さんといふと気楽な人のやうに世間では思はれてゐるが全くその正反対の人で、自分でも持て余すから麻雀とか酒とかで紛らしてゐたのだらうと思ふ。そして近代人の性格から人前では陽気に発散させて、呑気な人、気楽な人の印象を与へてゐたのだが、一種のミスティフィカシオンの類ひとも私には受け取れるのである。」先日の今日出海による追悼文の続きです(画像は「演劇新潮」大正13年9月号より、やや厳粛な面持ちの久米氏)。mystification=人を煙にまくこと、誤魔化すこと。同号には広津和郎の追悼文「彼に漂ふ悲しさ」の掲載もあり、「自由を望んだ彼には、何事によらず常にそれと反対の『不如意』の感覚がつきまとつてゐた。それが聡明な彼の手や足を始終がんじがらめに、彼を身動き出来なくさせた。それだから久米君の身辺には何か悲しげなものが漂つてゐた。もつと先の見えない魯鈍さがあれば、彼はもつと手足を伸ばせ、もつと仕事が出来たであらうと思ふ。而も彼は賑かな事が好き、淋しい事が嫌ひなので、それだけ彼の身辺の悲しさが、一層色濃く遠くから見てゐる私には望見されたのである。」と…。追悼文ですから、こうした誰しもが知るところでない陰の部分にこそ言及されがちなところはあるかもしれません。
 逆に気難しそうに見えて、陽気とまでは言いませんが〝楽〟なのが秋聲で、久米も20歳上の秋聲にそんな気安さを感じていたようです。芥川龍之介の仲介で秋聲宅を初訪問した犀星さんも「もつと早くお目にかかればよかつたと思ふほど楽に話ができた」と言い(「私の郷土の先輩」)、榊山潤によって急に秋聲と引き合わせられることになった尾崎士郎も「作品の上では、厳正な態度をつらぬいてリアリストとしての作家的精神に徹していられる先生も、非常に気さくに、うちとけた態度で二時間あまり雑談」をしていったと言い(『小説四十六年』)、そしておそらく岡栄一郎との縁から秋聲と初対面を果たしたのであろう久米もまた、これらと似た感慨を洩らしています。
 次回企画展では、そのあたりの交流について詳しくご紹介をする予定です。





卯年の孤独
  2022.6.23

 昨日の記事の結びが無意識のうちに久米正雄の戯曲「牧場の兄弟」(旧題「牛乳屋の兄弟」)を思わせる感じになっていて、いよいよ久米展準備の大詰めを感じています。そして生まれ年のお話から思い出したことに、現在秋聲と久米正雄の比較年譜を作成しながら、彼らがちょうど20歳差ということにとても助けられているのでした。秋聲が40歳であれば久米は20歳。42歳であれば22歳…なんてシンプル! 秋聲同様、数字観念が小学生以下(6月16日記事参照)の記念館一味にとってこれほど有り難いことはありません。しかも原則数え年でカウントする秋聲に合わせて久米さんも数え年に統一させていただいているため、たとえば大正10年-1921年-秋聲51歳-久米正雄31歳…西暦と年齢の一桁代が揃っているーー! シンプル--! シンプルイズベストーー! と、心の中で快哉を叫びました。
 ちなみに久米さんは卯年。昔昔この寸々語で、秋聲の未年でもって適当な干支占いをしてみたことがあり、今再び(卯年の人とは?)とチャカチャカ見てみましたらこう→長所①愛嬌たっぷりの愛されキャラ ②多才で器用な芸達者 ③平和を大切にする…この後にもいろいろ書いてあるうち、①②あたりでハイ久米正雄~となりました(話半分でお読みください)。ついでに、相性のいい干支は? と見てゆくと初っぱなに「未年」。ハイ来た秋聲~となって、満足してページを閉じました。曰く、ともに平和主義で誰とでも良い環境を築こうとするためお互いに居心地がいいとのこと。ただし紅葉先生はじめ露伴・漱石などの慶応3〈1867〉年組も同じ卯年であることを思えばなんとも言いがたいものがあり、どうかすべて話半分でお読みください。
 久米の人柄について、その追悼文「久米さんの死」(「文学界」昭和27年4月号)の中で今日出海はこう述べています。
「満遍なく愛想はいゝし、陽気な性質で、派手好みに見えるが、実は一人でいる時は気むづかしく、妥協性のない、何ものも突ッ放して酷烈に批評する人だつた。(中略)あんなに突ッ放せるのは余程孤独な人でなければ出来ることではない、久米さんは誰からも親しまれてゐたが、本当に自ら親しんで行つた人かどうか私は疑問に思つてゐる。」…次回企画展ではこちらに言及するスペースがなさそうなため、先んじてご紹介申し上げます。 
                                  (つづく)





「羊歳の文士の噺」
  2022.6.22

 先日ご紹介した「籠の小鳥」の主人公〈羊三〉の名の由来が、秋聲が未年の三男坊であったから、というのはすでに指摘のあるところで、それに関連して先日古い雑誌のコラムに秋聲のしゅの字を発見いたしましたので本日はそのお話です。
 「新潮」大正8〈1919〉年1月号、未年のこの年に掲載された小噺生「羊歳の文士の噺」。その筆頭に名が挙がるのはやはり坪内逍遙で、羊グッズのコレクターとしても有名ですからご存じの方も多いかもしれません。筆者は実際の人物をよく知らないと断りつつ「博士は衆の和楽を以て人生第一の幸福となし、自分を中心にして皆の者が大いに和楽一致せんことを望んでゐられた」にもかかわらず「博士の門下生等はどんなに博士に心服してゐようとも、先生の前に出ては窮屈の感を禁じ得ない」としてその孤独に触れ、未年の奇妙な頑固さについて述べています。
 次に登場するのがわれらが花袋・秋聲(明治4〈1871〉年生)。「花袋氏の方は羊歳といふ感じはしないが、秋聲氏の方はいかにもそれらしい。この二大家は老ひてますます作風の円熟を来してゐるが、殊に秋聲氏の高級の通俗小説は、通俗小説を純文学上の作品にまで引上げる功尠少(せんしょう)ならざるものがある」…ちょっと久米展に繋がるにおいがしてきましたね…。その次は「いかにも羊歳」だという馬場孤蝶。明治2〈1869〉生まれで(??)「覇気といふものを欠いてゐる点、また野心家でない点で氏に匹敵する人は甚だ僅か」、「あれだけの学問があり、あれだけの閲歴があつて樋口一葉の伝者として満足してゐる氏の如きは蓋し聖人」…賞讃を交えながらひどく辛口なことも気になりつつ、孤蝶は生年に諸説ある方なのでしょうか? 続く河東碧梧桐(明治6〈1873〉年生)、土井晩翠(明治4〈1871〉年生)の二家も同年…いや、碧梧桐は某K花さんと同じ酉年…? その一回り下になると水野葉舟、相馬御風、秋田雨雀(ともに明治16〈1883〉年生)…と来て、ここできちんと未年に戻りました(コラムに言及はありませんが、そのさらに下に明治40〈1907〉年生の中原中也がいます)。
 と、ふと翻って、逍遙が生まれた安政6〈1859〉年は秋聲の次兄・順太郎の生まれた年でもありました。どうやら兄羊と弟羊による牧場のプロレスであったようです。



 


3が2に
 2022.6.20

 うっすら先日記事の続きです。とにかく優しく穏やかで、末弟・秋聲の言うことをウンウンと聴いてくれる見た目もすらりとした長男・直松に対し、そんな甘ったれ秋聲に厳しく、時に「死ぬまで闘ったろ!」と幼き秋聲に決意させるほど激しい喧嘩をしたというのが見た目もがっちりしたイカツイ次男の順太郎(→)(と、見た目は不健康そうでちんまりした三男・末雄(秋聲))。〈柔和な長兄とはまるで異(ちが)つた性格の持主〉、〈どこか疳性で底意地が強かつた〉、〈憲一が継母やその子供の立場に理解と哀憐を惜しまないのと反対に、彼(※順太郎、作中「千二」)は何時(いつ)爆発するか知れない火薬を懐に抱いてゐるやうに見えた〉などと『光を追うて』に表現される対照的な兄二人です。なお、いかに対照的であれ上二人は同じお母さんの子ども、秋聲はその後妻に来たタケさんの子ども。大阪で警察官になった直松と小松の尾小屋鉱山に勤めた順太郎、そして東京暮らしの作家秋聲、三兄弟は主に親族の冠婚葬祭のおり順太郎宅に集いました。
 イガイガした関係性であった順太郎と秋聲が少し歩み寄るようになったのは、長兄直松を亡くしてから。鉱山への順太郎訪問を描く短編「籠の小鳥」には〈男三人のうち長兄が昨年亡くなつてから、二人の気持が何となく以前より融け合つて来た〉と記されています。
 すこしこれと似た感じかな…と思われるのが島崎藤村と秋聲の関係性。以前にもご紹介いたしましたとおり、現在、田山花袋記念文学館さんで一挙公開されている藤村筆花袋宛書簡 全93通というその数から見ても、秋聲・藤村間に対花袋さんほどの親密な交流があったとは思われません。しかしながら昭和5年、還暦を前にして早くに花袋さんを喪って以来、藤村と秋聲の距離も少し近づいたような気がするのです。もちろん順太郎とのように啀み合っていたわけではなく、会えば親しくしていた二人ですが、ともに自然主義の先駆として並び称されてきた戦友・花袋の不在により、藤村・秋聲の互いに労り合う気持ちがより強くなったのでは…と想像するのです。
 7月には岩波文庫から当館前学芸員・大木志門先生編『島崎藤村短篇集』が刊行されるとのこと。それに合わせ、また生誕150年を記念して、書斎コーナーにほんの少しばかりですが藤村資料をお出しする予定です。





リアル巡査
 2022.6.18

 昨日「不定期連載」に短編小説「発奮」(明治40年)をアップいたしました。明治7年6月17日、日本ではじめて「巡査制度」が始まったことにちなみ、この日が「おまわりさんの日」と定められていることから、巡査が主人公の小説です。
 秋聲回りで巡査といえば、母親違いの長兄・直松が大阪で警察官になっておりました(なお、次兄・順太郎が例の「町の踊場」さんの旧家主。)。元は弁護士を志し、法律の勉強をしながら周囲の人達のツテで法廷へ出たり、事件を引き受けたりもしていたそうですが、秋聲(等)曰く「等達の家はまた移つた。その事情は能くわからなかつたけれど、長兄の憲一が健気にも独学でやらうとした弁護士の試験に失敗した結果だらうと思はれ、いつも赤毛布(あかげっと)をかぶつて、夜遅くまで法律書に没頭してゐた彼の奮励も、その一挙で水泡に帰したことは、何といつても少年等の胸に深い悲哀を打ちこまないではおかなかつた」と……自伝小説『光を追うて』にある記述です。
 「等」が秋聲、「憲一」が直松で、時期的には直松が家族みな寝静まったあと、夜が明けるまで勉強に励んでいたお家が、記念館前「秋聲のみち」沿いの旧宅ということになりましょうか(現在は市営駐車場)。秋聲が13~14歳くらい、直松は30歳くらい。このあと一家は現在の兼六元町のほうへ転居します。
 その一年後、直松は大阪へと出奔します。出奔、と言ってはなかなか手厳しいかもしれませんが、『光を追うて』には「負ひ切れぬ重荷を投げ出して」とあり、この健気で優しい兄を見送った朝の描写の美しさが印象的です。
「車に揺られて行く兄の美しい頸脚(えりあし)と白々した首筋が、まだ薄ら寒い四月の朝の陽光を受けて、何時(いつ)までも哀しく等の目に焼きついてゐた。」…直松について秋聲は、その優しさと美しさにしばしば言及します。突然学校を辞めて作家になると言い出した秋聲を励ましたのも、紅葉への弟子入りに失敗した傷心の秋聲を大阪で温かく迎え入れてくれたのも、巡回中、屋外で寝てしまっている書生さんの姿に秋聲を重ね、その生活を常に案じなどしてくれたのもこの兄でした。

           (大久保利通に…すこし似て…?→)





「たいか」かつ「おおや」
 2022.6.16

 昨日言及した秋聲経営によるアパート「フジハウス」は、現在もご令孫によって経営されているわけですが、以前フジハウスに入居されていた方とお話しする機会があり、「大家さんが…」と仰るのにハッといたしました。我々にとっては名誉館長、しかし入居者さんにとっては大家さん…なんだかとっても新鮮な響き!
 秋聲もまた、当時の新聞に「モダン大家さん」と書かれておりました。昭和8年3月14日の読売新聞掲載のコラム「春のヴァリエテ」第六景、「アパートの主人秋聲老」としてその見出しは「数学を知らぬモダン大家さん」。秋聲の数学が不得手なことは5月15日記事にもご紹介したとおりで、ここではアパート建設のためのお金を借りようとする秋聲に、千円につき天引き三百円ってのは高利すぎやしませんか、と忠告する人に対し「今の不景気、一割くらいはしょうがない」と応じ、「先生、それは一割じゃない、三割です」「そうかね、三百円だと一割じゃないのかね」…最終的に秋聲老の数字観念は小学生以下、と結ばれています。ウワァ、辛辣…! 
 これはたいへんにご苦労をされたこととお察しします。ただ場所がいいので建設中から申込殺到とも報じられており、そんな中、秋聲を慕った尾崎士郎が仕事部屋に借りたいと申し込むと(代表作「人生劇場」連載開始の年ですね)「彼、部屋代ちゃんと払ってくれるタイプゥ?」と心配していたとも。そこは気にするんだ~との記者談です。
 「ダンスなどをやつていかにも暢気(のんき)さうに見られる秋聲老であるが、激しい生活の嵐は遠慮なく吹き捲くつてくる、老大家といはれても文学の本道を真直ぐに歩いて来た秋聲老が物質的に恵まれやう筈がない。それに子供さんは沢山ある。それだから生活的に憂ひをなくさなければ文学にも落ち着いてゐられないわけである。」「兎も角、いろいろな忠告者があつて資金融通にも、普通人の思ひ及ばない危険から救はれたのは秋聲老のために幸せであつた。これで秋聲老が安心して文学に精進出来れば、大いに祝福すべきことだ。」――揶揄されながらもなんだかんだ人に助けられ、愛されていた秋聲です。
 




康成の秋聲観
  2022.6.15

 昨日6月14日は川端康成123歳のお誕生日とのこと、遅ればせながらおめでとうございました! つい先日、「つなぐ展」でもご紹介させていただいております茨木市立川端康成文学館さんより生誕月記念企画展「川端康成の書」(開催中~7月18日(月・祝))のご案内もいただきました。例の達筆で堂々「時」と全面にあしらわれたとても格好いいチラシです。さっそく当館内にもポスターを掲示いたしましたので、同館企画展のご観覧はもちろんのこと、当館ご来館の際には、展示室に出品する繊細で流麗なペン書き秋聲宛書簡とあわせてご鑑賞ください。
 揮毫つながりで、康成の語る次のような所感があります。〈(前略)「徳田秋聲後援会」といふ企てがあった。この企ては勿論徳田氏の意志ではなく、再三辞退されたのであらうが、とにかく結局は受けられたのである。当代の大家の誰よりも徳田氏の芸術を尊敬してゐる私は、焼石に水に過ぎない、千円や二千円の金のために、たとへ色紙にしろ、私共のやうな末輩にまで、後援のしるしを求められるといふことを甚だ心外に思つたものだつた。もつともそのために徳田氏をかれこれ思ふことの微塵もないだけの美徳は、文人の悉くが持つてゐるにしろ、徳田氏がこのやうな美談の種になることを、私の若気は好まなかつた。しかし考へ直してみると、このやうな企てを余りこだはりなく受けられるところに、徳田氏の俗にこだはらぬ美しさがあるのであらう。〉(「三月文壇の一印象」昭和8年4月)…この頃、創作不振の秋聲を励ますため、新潮社が中心になって各界に賛同者を募り、彼らの揮毫による色紙を販売してその収益が秋聲に贈られたことに関するお話です。康成はこの企画をずいぶん不満に感じたようですが、これによりあぶりだされる秋聲の〈俗にこだはらぬ美しさ〉が、この後に続く「町の踊り場」評に反映されてゆくのです。
 実はこの評の書き出しには〈新聞の文芸欄の噂によると、徳田秋聲氏はアパアトを建てて、生計の助けとされるさうである。結構なことだと思ふが、その前には〉とあり、ここから前掲の引用部分へと繋がります。この年、秋聲が自宅の裏に建てた「フジハウス」のこと。これもちょっと…アレでしたか…康成の抱く秋聲像にはそぐわぬ…俗っぽすぎる出来事であったでしょうか…ヒシヒシと感じられる世界の文豪の皮肉に耐えつつ、つなぐ展では「フジハウス」の入居申込書なども展示中です。





動画でした
 2022.6.10

 今朝ほど秋聲の出身校であります現金沢市立馬場小学校の生徒さん方がお越しになり、他校との交流事業の一環で秋聲にまつわるインタビューと館内風景の撮影をしてゆかれました。事前に〝撮影〟をされる旨はきちんと伺っていたのですが、まさか動画だとは思わず、かざされたタブレットの前でピースをしながら一時停止して、「…え? それ写真じゃないのかい? 動くのかい?」みたいな滑稽な一幕を演じてしまった昭和世代です(ピースは文章上の誇張です)。明治大正昭和を第一線で活躍しつづけた秋聲よろしく、いかんせんこちとら昭和平成令和の三代を生きておりますので、アラ今時の小学生さんは動画編集とかされるんですねぇ…! となかなかのカルチャーショックでございました。「あ、ごめん、今の前から撮り直す」「展示室入るところからもう一回」などなど、実に堂に入ったご様子のプロデューサー、ディレクター、アシスタントディレクター、レポーターの所属するキビキビとした撮影クルーのみなさまでした。ご取材、ありがとうございました。
 動画撮影といえば久米、久米といえば動画撮影。次回の久米展でも、久米正雄が監督し、動く秋聲の姿を収めた唯一の映像作品「現代日本文学巡礼」の一件はご紹介させていただく予定です。といって秋聲自身はとくに何も語っておりませんので、当時カメラを向けられてどうだったのか、果たして久米のディレクションによりどれだけの(さりげない)演技をさせられたのか、カメラをどれほど意識したのか…など、残念ながら展示で発表できるほどの新たな情報は持ち合わせておらず、フィルムのご所蔵者であるこおりやま文学の森資料館さんご発行の2019年特別企画展「甦る文豪たち」展示図録がビジュアル的にも最も詳細な資料かと存じます。ありがたいことにHPにて全頁公開してくださっておりますので、ご興味おありの方は覗いてみてください。
 また同館では現在、カメラを含め多彩な趣味人であった側面を紹介する「久米正雄 多様な生き方」展を開催中…というかあさって12日(日)までです、すみません…!





緑内障を考えた日
 2022.6.9

 去る7日は「緑内障を考える日」と、デスク上の日めくりカレンダーより啓示があり、あぁでは秋江さんのことを考えねばなるまいよ…と思いながら寸々語を書き始めたのに、つい「白鳥君」の引用が楽しくなって秋江にまで微塵も話が及ばなかったさまがまるで同日のラジオで白鳥のお話をしつつ、MCさんより「もうお一方は?」とわざわざ振っていただいたにもかかわらず白鳥で頭がいっぱいになり焦ってしまった結果「今日は紹介しないです」とやけにキッパリ拒否してしまった態度と重なり、今とても申し訳ない気持ちでこれを書いています。もうお一方すなわち白鳥と同じ岡山県出身、「つなぐ展」の吉備路文学館さんのスペースでご紹介している近松秋江のことでした。
 白鳥とともに秋聲と親交を結んだ秋江は、昭和13年に緑内障で左目を失明しています。そのことについて全集別巻収録の秋聲日記から記述を拾うとこう→「近松秋江氏緑内障で片眼が見えなくなつたことは彼自身の書いたものや噂でも耳にしてゐたが、僕も気になり二三の人に話しかけて見たこともあるが、反応がないので、差控えてゐた。正宗氏など顔を極度にしかめて、あれこそ小人だといひ、悪人だといふのである。偶々藤森氏から手紙が見て、御胒近(※昵懇)のことと思ふから、何とかしたらといふことで、僕も直に返事を出し、相談したい旨申し入れたが、其の機会もなかつたが、偶々久米(※正雄)氏の日々学芸部長就任の宴会が晩翠軒に催されたので、席上正宗氏に其のことを話すと、やつた方がいゝと賛成してくれたので、ちやうど色々の人が集つてゐたので発企人の承諾を得、翌日中央公論社に集つて相談し、醸金募集の方法を決定したのだが、秋江氏から拒否の手紙が来たので、一時見合せになつてゐたところ、この頃になつて、秋江氏が嶋中(※雄作、中央公論社社長)氏に会ひ、やつぱりやつてほしいといふので、二十七日会の席上で嶋中氏から依頼があり、二十八日再び社に集まる。秋江氏も来てもらふ。」
 前半部分に、どうした白鳥!? と思われる気になるくだりもありながら、「つなぐ展」では秋江と秋聲の葉書のやりとりのほか、秋聲・白鳥・小剣・宇野浩二監修『近松秋江傑作選集』全3巻(昭和14年、中央公論社)もご覧いただけます。



 

「白鳥君」
 2022.6.7

 例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんにお邪魔して、現在開催中の「つなぐ展」から正宗白鳥のお話をさせていただきました。8歳年下の白鳥さんと秋聲との気の置けない関係性についてご紹介するなかで、(今日は、これを、言うんだーーい!)と付箋にまで書いて手元に控えておいた秋聲の白鳥評を放送中ついにお出しできず(左図:驚きの役立たず)、ふ…不甲斐なし…!! とポカポカ自分の頭を殴りながら帰館いたしました今朝です。あそこ…MCのお二方が華麗なパスを出してくださったあのくだりでぜったい言えたはずなのに…!
 というわけで、こちらにてご紹介いたします。時間制限もございませんので、予定より少し長めに引用をば。明治42年1月、「中央公論」の白鳥特集における秋聲の人物評で、曰く「或人は又、白鳥君を非常に悧巧な人だと言ふが、悧巧には相違ない。おだてには乗らず、劣者の哀求の声には耳を仮さず、と云つたやうな処はある。しかし、悧巧でなければ、自分の存在を保つて行けない世の中である。白鳥君の悧巧は、唯(ただ)自から守るだけの悧巧である。人を害し、人を傷つけると云ふやうな処は少しもない。言はゞ純白な悧巧だ。白鳥君は、強者の前に屈しないと同時に、弱者に対しても、同情がましいことはしない。然し為(す)るだけのことは為る。贔屓のひいき倒しに陥ることを不安がつてゐるだけの事だ。」……痺れますね~。この前もとても良いです。「人に弱点を見せるなどゝ云ふことは、絶対に嫌ひらしいが、人が言ふほど強者だとは僕は信じない。世のなかには、弱者だとかデカダンだとか云ふことを売物にして、人の同情を買はうとする連中があるが、白鳥君は絶対に然(そう)云ふことは嫌らしい。」……この後も良かったです。「酒を強ひると、肯(あえ)て辞しもしない。美(うま)くもないが、飲めるだけはグイグイ飲んで、真赤になつて、横に倒れて、マシマシ人の顔をみてゐるのが癖だ。」……こんなのもありました。「時とすると、途中などで逢ふと、非常に苦悶の目色をしてゐる事などを見受ける。」……それからチェーホフ好き、江戸趣味持ちで清元、富本好き(ここは秋聲と合わない)……締めはこうです。「要するに至つて善良な人だ。」。





企画展「夢二好みの君が行く! 夢二式美人のひみつ」
 2022.6.5

 おととい昨日と久しぶりの燈ろう流し、百万石行列が無事開催され何よりでした! 前田利家公以下、街中を練り歩く行列には金沢市と交流協定を結ぶ目黒区と文京区の方々がご参加くださっていたとか。四代藩主・光高公、五代藩主・綱紀公に扮していらしたそうです。
 秋聲とのゆかりからとくに文京区さんにはずーっとお世話になっている当館でして、現在の「つなぐ人々」展のトップを飾る竹久夢二美術館さんも徳田家と比較的ご近所の文京区弥生2丁目におありです。そんな夢二美術館さんで昨日ご開幕の新企画展「夢二好みの君が行く! 夢二式美人のひみつ」(~9月25日(日))に、またも秋聲のしゅの字がお邪魔しているとのご案内をいただきました。「モデルと恋」のコーナーで、例によって弟子であり恋人であった山田順子とともにご登場。ふたりの縁側でのツーショットや、当館ではご紹介しきれなかった夢二さんも絡むその恋の背景について、当時の新聞雑誌などから詳しく知ることができます。
 このコーナーに限らず、「ひみつ」と言われると俄然知りたくなってしまうのが人の性(さが)…同館では、今月からコロナによる開館時間の短縮および事前予約制がなくなったそうで、より気軽に立ち寄ることができるようになりました。「あなたは背丈もあるし美しいから、一つ女優になって、世間をあっと驚かしてやるのも面白いなあ」と交際前の秋聲に言われたという順子さん(山田順子『女弟子』より)や、夢二の目と手を通したその他の〝夢二式美人〟たちに会いにぜひお出かけください。
 ちなみに順子が女優になる足がかりとして、映画会社を紹介してくれたのが他でもない久米正雄。当館の次回久米正雄展ではそのあたりも少しご紹介することになろうかと存じます。秋聲と夢二さんは作家×デザイナーであると同時に括弧付きの恋のライバルとして少し微妙な関係でしたが、久米正雄と夢二さんは仲良しで、なんでも文士野球団のチームメイトであったそう!? このおふたりの関係性につきましては、竹久夢二美術館学芸員・石川桂子氏のこちらの記事に詳しいです。ご学恩に感謝です。 





芥川龍之介生誕130年
 2022.6.3

 きのうTwitterのほうに載せた雑誌「波」と浅野川のお写真は、それを撮るためだけに玄関から黙って出てゆき、デッキの上で何度も風に煽られながら撮影して帰ってきたのですけれども、受付から見てなかなか珍妙な光景であったろうな、と思ったりしています。そしていつか雑誌に載せていただいた「さわやかな青天のもと梅ノ橋の上で当館オリジナル文庫『黴』を笑顔で読む人」の写真もこれまたなかなかシュールであったよな、と10年ほど経った今更ながらに思い出します。ウウン、橋の上で黴を読んだっていいじゃない、作品の一舞台なんだもの、すえを(厳密には梅ノ橋ではないです)。
 さて今年は何やら大きな舞台で秋聲作品が読まれそうな雰囲気ですね。昨年の生誕150年記念朗読劇「赤い花」にもご出演くださった、ご存じ、ゲーム「文豪とアルケミスト」の秋声役・渡辺拓海さんが、島田清次郎役の白井悠介さんとともに文アルさん10月の催し「文士劇」にご出演とのこと。昼の部の芥川・菊池ペアの安定したバディ感に比べて、秋声と島清だなんて、ぶ、舞台が殺伐としやしないかしら…と少し心配になってしまいますが、どうにか仲良く最後までやりおおせてくださればと思います。
 そして同じく「赤い花」にご出演くださった板倉光隆さんもまた、芥川龍之介の「地獄変」を原作とした舞台『追想・地獄変』にご出演とのこと。こちらはもう来月ですね! チケット内訳をよく見ると、特典にレインコートがついてくるお席あり…? えっ「歯車」…? そして水にぬれる可能性…?? 一体どのような演出になっているのか、気になってしまった方はぜひ公式サイトからご確認ください。
 あわせて田端文士村記念館さんからも生誕130年記念展「作家・芥川龍之介と共に歩んだ家族の物語」のチラシが届きました。いつもありがとうございます。ご案内が遅くなり申し訳ございません。こちらはすでに開催中~9月19日まで。裏面には「~妻・文(ふみ)が紡ぐ物語~」と副題があり、展示資料として掲載されている文夫人述『追想 芥川龍之介』が前掲の舞台とも少し響き合うようです。また、その装幀に使用された、新発見だという文夫人お手製のネクタイ…「龍之介が晩年まで愛用していた」…何より必見かと存じます。
  




浅野川の水
 2022.6.2

 一度やめたらなかなか戻って来られないもの、寸々語。遅れてきた五月病やら何やらでまた少しおさぼりをいたしまして恐縮です。今朝ほど7月2日分のギャラリートークの申込受付が始まり、6月11日分ギャラリートークの午後の部にまだ空きがあるものですから、受付簿どれ~!?これ~!? とあたふたいたしまして失礼をいたしました。だいたい毎月第1土曜に開催しているギャラリートークですが、6月だけ第2週なのは第1週に百万石まつりが開催されるため。本祭の4日(土)午後は百万石行列のため市内中心部に交通規制が敷かれますのでご注意ください。また、その前夜祭となる明日3日(金)夜には館の目の前の浅野川にて4年ぶりとなる「燈ろう流し」が開催されます。こちらも19時~20時まで、川沿いの「秋聲のみち」「鏡花のみち」ともに一部車両通行止めとなりますので、どうかご協力のほどよろしくお願いいたします(なお川のあっちとこっちの両館とも、通常通り17時に閉館いたします)。
 そんな川つながり、水つながりで、新潮社さん「波」に連載中の北村薫先生による本の小説「水」の章のご紹介! 昨秋の秋聲生誕150年記念トークイベントから、市内古書店をめぐり、そして6月号では犀星さんゆかりの雨宝院に立ち寄る主人公たち。そこで一行とつながる不思議なご縁を発見したり、犀星館の室生名誉館長(犀星令孫)が登場されたり、今号もまた盛りだくさんです。思考はさらにトークでも言及のあった庄野潤三の記す「水」のうえをつるつるとすべり、流れながれて再び犀星へと。最終的に、犀星の中に沁みわたる秋聲の「水」に到達するのです。その「水」の内実につきましては、ぜひ本誌でご確認ください。ちなみにひがし茶屋街を舞台とした秋聲の名編「挿話」に描かれる「水」なわけですが、同作には茶屋街からまさに浅野川沿いを秋聲をモデルとする「道太」がそぞろ歩く場面もございます。「殆んど毎晩の癖になつてゐる、夜ふけてからの涼みに出て、月光が蛇のやうに水面を這つてゐる川端をぶらぶらあるいてゐると、ふとその劇場の前へ出た。」……明日の晩は蛇のような静かな細い月光でなく、たくさんの燈ろうが川面に浮かびます。

 



『抵抗の新聞人 桐生悠々』
 2022.5.21

 今日も今日とて、金沢ふるさと偉人館さんの「92人の偉人たち」生没日カレンダーを参照すれば、昨日5月20日が秋聲の竹馬の友・桐生悠々のお誕生日であったそう。秋聲のふたつ年下になりますので、来年がその生誕150年という節目となります。
 年下ながらいつも背中を押されるのは秋聲のほうで、彼の人柄については秋聲の自伝小説『光を追うて』、回顧録『思ひ出るまゝ』ほか、名古屋における悠々との交流のさまを描いた短篇小説「倒れた花瓶」などからも読み取られます。「頭のてかてかしたK-は、相変らず溌剌としてゐた。彼は芸者を相手に、愉快さうに謳つたりふざけたりした。彼はこの町における唯一の読書人であると同時に、評論の最高権威であつた。K-はからりとした明るいその顔のやうに、恬淡(てんたん)とか卒直とか形容されべき性情の持主であつた。そして聡明な頭脳と、豊富な才情とに恵まれてゐた。」…これだけでも、秋聲が彼に最高級の讃辞を送っていることがわかります。
 悠々の生涯や業績につきましては、当館もたいへんお世話になりました作家・井出孫六先生の『抵抗の新聞人 桐生悠々』(昭和55年、岩波新書)に詳しく、ありがたいことに同書が昨年9月、岩波現代文庫から装いも新たに刊行されました。その冒頭に書かれているのが、井出先生が悠々を知ったきっかけ、すなわち正宗白鳥の随筆「人生如何に生くべきか」(昭和26年、東京新聞)のこと。昭和16年、秋聲が「縮図」の筆を折ったと同じ年の9月、亡くなる直前の悠々が残した言葉「この超畜生道に堕落しつゝある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候(いたしおりそうろう)」(「他山の石 廃刊の辞」)を引きつつ、白鳥はここで「彼はいかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した世に稀れな人のやうに、私には感銘された。これに比べると、今日のさまざまな知識人の賢明なる所論も、たゞの遊戯文字のやうに思はれないでもない」と述べています。
 今回の「つなぐ展」では、四高教師・吉村政行先生に宛てた悠々の献呈署名本『婦人国』(寄託品)を展示させていただきました。秋聲とともに四高を中退しようとしたときに、焦るな、といってふたりを引きとめてくれた恩師です。結果的にこの制止を振り切って上京してしまったふたりですが、悠々の義理堅い一面もまた垣間見える資料です。





隆興と順太郎
  2022.5.16

 金沢ふるさと偉人館さんがおつくりになっている「92人の偉人たち」生没日カレンダーによりますと、昨日5月15日は〝北陸の鉱山王〟横山隆興のお誕生日であったそう。隆興といえば百万石の前田家にお仕えする「加賀八家」のうちのひとつ、横山家の分家筋にあたり、版籍奉還後、本家第13代当主・隆平とともに小松の尾小屋鉱山経営に乗り出した中心的な人物です。偉人館さんもTwitterでご紹介くださいましたとおり、秋聲の次兄・正田順太郎(※正田家に養子入)がこの横山家につき従い、長く尾小屋鉱山所長をつとめていたことが名編「籠の小鳥」ほか秋聲の一連の〝順太郎もの〟にあらわれています。作品には順太郎の献身的なはたらきの一方、経営陣の順太郎に対する処遇の悪さに憤る秋聲の様子がしばしば描かれますが、順太郎自身は横山家の人々を決して悪く言うことはありませんでした。
 隆興の没後にまとめられた渡邊霞亭による伝記『横山隆興翁』(大正9)には、鉱山経営に着手して10年後くらいの明治28年頃、当時の所長と反りが合わずに鉱山を去った順太郎(当時技師)と思われる人物を隆興が呼び戻す一幕も描き込まれており、あら大事にされている…と、その関係性が想像されます。しかしながら、この伝記に対してもやはり辛口な弟・秋聲。回顧録『思ひ出るまゝ』に曰く「故渡辺霞亭氏は、横山家から頼まれて、先代の功績讃美の伝記を、書いたが無論、書かせる目的がわかつてゐるから、昔し封建時代の浪人が、人々のために系図を偽造してやつたと同じく、好い加減なことを書いたに違ひない」…言わんとすることはわかりますが、これはなかなか…続けて「この鉱山の創始者であつた先代は、私の父を訪問したこともあつて、私もちよつと其の風貌は覚えてゐるけれど、運がよかつた割には、子供には甘く、晩年既に栄華に傲つて、悪い傾向を子供たちに示した観があつた」…と、いったんここまでにしておきますが、この〝子供〟の代と秋聲とに交流があったようで、隆興ご子孫のお宅に秋聲揮毫による立派な書幅が伝わっています。
 そのようなご縁から、来月開催される百万石まつりのメインイベント・百万石行列に加わる八家に扮した方々のうち、つい横山家パートにおいて一段と大きく手を振りたくなる秋聲記念館一味なのです。





苦手科目
  2022.5.15

 11日より来月6月11日(土)のギャラリートークの申込受付が始まりました(原則、開催日の一ヶ月前より)。ありがたいことにその日朝一番でお電話をたまわり、急な中止や変更時のご連絡のためおうかがいしたお電話番号を復唱しながら、お向かいでもちょうど他の方のお申し込みを受けていた職員とその復唱のタイミングが重なり、数字のカウント途中に横から別の数字の茶々入れられてわけわかんなくなる、といった思わぬ罠と闘いながらの応対となりました。もとより数字にきわめて弱いものですから、これはとんでもない苦闘でございました。互いに手元にメモした数字と違う数字をお向かいで読み上げられる、そんな試練を与え合うストイックな職員たち…大混乱のまま、あたふたとたいへん失礼をいたしました。おかげさまで午前の部は満席、14時の回は引き続き受付中です。
 秋聲も数学が苦手だったとは何度もご紹介するところで、四高時代、幾何での落第経験あり。その落第もきっかけのひとつとなって、翌春、桐生悠々とともに中退して上京します。が、紅葉先生への弟子入りを断られ、結局帰郷したのち四高に復学しようと受験準備を進める中で、数学が得意であった「中川」なる同級生(友次郎?詮吉?)に幾何を、数学教師「田中」先生に代数を見てもらったということが自伝小説『光を追うて』に記されています。田中鈇吉(おのきち)は郷土数学の第一人者・関口開のお弟子さんで著名な数学者。その蔵書が現在、石川県立図書館に「田中鈇吉文庫」として収蔵されています。そんな好待遇を受けていながら、実は坪内逍遙が教鞭をとる早稲田学校(後の早稲田大学)に憧れていた秋聲は、英語の試験を受けただけで途中で放棄してしまいます。間もなく新潟の新聞社を経て再上京。早稲田にも行かず、その最終学歴は四高中退ということになりました。
 飛んで晩年近く、算盤(そろばん)をはじくレアな秋聲の姿が、林芙美子の秋聲追悼文「秋聲先生」に現れてまいります。長編小説『縮図』のモデルで、この頃秋聲が入り浸っていた小林政子宅を芙美子が訪問すると、秋聲が「ゆかたの袖を肩へたくしあげて、熱心にそろばんをはじいて」いたとのこと。何の勘定ですか?と訊くと、「うちの妓の病院代」との返答で、政子が営む置屋の帳場を預かっていた秋聲です。





「病中日記」
 2022.5.12

 開催中の「つなぐ展」、昨年の生誕150年記念事業にご協力くださった全国21施設さまをご紹介するうちトリを飾っていただいたのは秋聲第二の故郷・文京区本郷にある真砂中央図書館さんです。なにせ亡くなるまでの約40年間を暮らした本郷ですからエピソードは山盛りあるなか、展示室では何故ここだったのか? という同地の一側面をほんの少しだけご紹介しています。曰く、〈二大病院(※帝大医科付属病院・順天堂医院)がある〉ところと〈名医がゐる〉ところ。ご存じ幼少期より虚弱でとかく病院や薬に頼りがちな秋聲ですし、作品を読めば気に入るところを探して病院をいくつもハシゴしたり、お医者さんの言うことをすぐに疑ってはセカンドオピニオンをとりたがる様子もしばしば見受けられますので、信頼できるお医者さんの充実というのは住むに欠かせない条件だったのかもしれません。
 大正3年、実際に順天堂病院に入院したときには「動物が檻のなかへ入れられるやうに病室に収容され」、「窓の外を覗いてみたり、ベッドに腰かけて見たり」、子供のように(※当時44歳)不安な気持ちに苛まれたうえ、手術前に貧血を起こして廊下で倒れ、看護師さんたちにベッドまで運んでもらったこと、老看護婦さんと交わした世間話のあれこれが「病中日記」として記されています。
 なんとも痛々しい記録ですが、実は後半がとても微笑ましく、術後すこし食欲の出て来た秋聲はベッドで連日お料理の本を読んでいたそう。スープの章から肉料理、日本料理と来て、ソースの章ではドミグラスソースの作り方を熟読…退院したらお料理道具そろえよ~、元気になったら沢庵(たくあん)で炊きたてのご飯たべよ~、更科蕎麦、風月の豆スープ、いつか上野で食べたタンスチユ(タンシチュー)…でもまずはお刺身食べよかな~……「私は何だかコックになって、西洋料理を研究したいやうな心持になつて来た」。「今日も食べものゝことを色々考へて暮す」。ご本人はきっと切実なのでしょうが、想像するとつい頰が緩んでしまう今日の患者さんのご様子です。

 本日5月11日はナイチンゲールの誕生日にちなんで「看護の日」ということで、看護師さんのお世話になった秋聲のお話でした。

(※画像は思いついた限りの看護師さん図。
  明治40年『熱狂』より、小峰大羽の口絵)






「来訪者」
 
 2022.5.11

 次回、久米正雄展ではそこまで触れられないかも、と思われましたエピソードを清次郎のいる「つなぐ展」のうちにご紹介。久米の随筆「大辻君のお祝ひ」に、その留守中ちょっと不審な感じの人物が家にやってきた…と女中さんから伝え聞き、「えっそれ島田清次郎じゃない?」と思う、といったくだりがございます。というのも、その訪問の翌日の新聞に、清次郎が例の「舟木事件」の被害者宅に現れた、という記事が載っていたため。じゃあ昨日うちに来たのも島田君じゃない?? と思ったというお話でした(実際には違いました)。これが書かれたのが大正13年3月、清次郎は25歳。
 正宗白鳥が清次郎の来訪を受けたのはこの少し後ということになりましょうか。同年9月、雑誌「新潮」に発表された白鳥の短編小説「来訪者」には、夏前に一度、その一年前にも一度、白鳥のいる大磯への清次郎らしき人物「安達」の来訪について描かれています。小説の体をとっているのですべてが事実ではないにせよ、来るなり挨拶もせず無断でお宅に上がり込もうとするスタートからしてなかなかのシマセイズム。「オイ無断で人の家に上つちゃいけないぜ。」こんな真っ当な注意を受ける大人はなかなかないかもしれません。
 その後も「此処には空いた部屋がありますなあ。」という「安達」の圧を「いや泊められないよ」とストレートに躱す「私」、一緒に海へ出かけてそのへんの適当なご飯屋で食事を済ませたかった「私」にかまわず、入り口の立派な料亭にずんずん入っていく「安達」(※画像は白鳥筆秋聲宛絵葉書より大磯近くの海水浴場)、シャツと猿股を買ってきて欲しいとねだる「安達」を「東京に帰って買え」とはねつける「私」、車を呼んでと命じる「安達」、近いんだから歩いていけとイラッとする「私」、西瓜を饗され、砂糖だの匙だのと贅沢を言う「安達」…一度二度の来訪で強烈な印象を残していく「安達」です。作中においてこのとき彼は26歳だと言い、それを聞いた「私」は「若いなあ。」と感動したように洩らします。〝若さ〟とは「無作法と生意気」の代名詞…その彼の〝若さ〟に対し、「何といつても年が若いのに焦燥(あせ)りすぎてゐた」と記したのは秋聲です(小説「解嘲」より)。





燕台生誕150年
 2022.5.10

 昨日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」に、鎌倉の細野燕台のお宅とご令孫がご出演でした。燕台といえば金沢ふるさと偉人館さんにコーナーをもつ金沢出身の文人。番組では北大路魯山人を世に出した人、として紹介されていました。
 いつかの寸々語にも書きましたように燕台と秋聲は交流があり、昭和13年4月、犀星さんと一緒にこの鎌倉の燕台邸と小杉天外邸を訪ねたことがありました(2019.9.13記事「コケの話」参照)。同年10月、燕台と天外からまた会を催したいと犀星に提案があり、その日程どうしましょか~と犀星から秋聲に都合を尋ねるお手紙を今まさに展示中です。中には「同日、泉先生にて生前一会のうたげいたしたき由、細野先生の話、あなたにさし支へなきか、おうかがひします」とも書き添えられており、アッ微妙に気を遣われている…! とすぐに思ってしまうのは悪い癖。このお手紙に対する秋聲のお返事が「つなぐ展」チラシにも引用いたしました「泉には君から言っといて」(意訳)のソレ。石川近代文学館さんのご所蔵で、お写真をお借りしてパネル展示しています。
 また、秋聲は燕台に連れられ、当館が建つ以前にこの敷地にあった料亭「清風荘」を訪れたことがあったようで、そのことも過去のブログでご紹介いたしました(2018.6.4記事「清風荘にて」) 燕台のその証言の載った「北國文化」第67号(昭和26年7月30日発行)を、この春、某K花館さんご休館中に書斎前の特設コーナーで展示していたのですが、燕台がテレビに取りあげられるならば今もお出ししておけばよかった! となんともその間の悪さが悔やまれます。燕台と深田久弥による「対談 鏡花の思い出」中にある記述で、秋聲・某K花さんと同じ養成小学校(現金沢市立馬場小学校)出身者である燕台によれば、当時は「陰うつな方」で、夜になると浅野川沿いにある静明寺さんの墓地を歩き回っていたという某K花さんの一方、「腕白でけんか好き」な秋聲は、他人のけんかも引き受けるほどの癇癪持ちであったなど…ふたりが「ものもいわぬほど仲違い」してしまったときは、燕台も再三その仲裁に入ったなど…遠い昔語りにつき、どこまでが本当かはわかりませんが、どれほど大人になっても偉くなっても、ずっと弱いところを握られているのが幼馴染みというものです。





母の日
 2022.5.8

「笹村は多勢の少(わか)い甥や姪と、一人の義兄とに見送られて、その土地を離れようとする間際に、同じ血と血の流れあつた母親の心臓の弱い鼓動や、低い歔欷(すすりなき)の声を始めて聞くやうな気がした。するすると停車場(ステーション)の構内から、初夏(はつなつ)の日影の行渡った広い野中に辷(すべり)出た汽車の窓際へ寄せてゐる笹村の曇つた顔にはすがすがしい朝の涼風が当つて、目から涙が入染(にじ)み出た。
 笹村は半日と顔を突合して、しみじみ話したことも無(なか)つた母親の今朝のおどおどした様子や、此間中からの気苦労な顔色が、野面を走る汽車を、後へ引戻さうとしてゐるやうにすら思へてならなかつた。孤独な母親の身の周(まわり)を取捲(とりまい)てゐる寂寞、貧苦、妹が母親の手元に遺して行つた不幸な孤児(みなしご)に対する祖母の愛着、それが深々と笹村の胸に感ぜられて来た。

  …まことに本意ないお別れにて、この後またいつ逢はれることやら……門の外まで
 お見送りして内へ入つては見たれど、坐る気にもなれず、おいて行かれし着物を抱し
 めていると、鼻血がたらたら流れて、気がとほくなり申候……

 東京へつくと、直(じき)に、こんな手紙を受取った笹村の目には、昨日までわが子の坐つてゐた部屋へ入つて行つた時の、母親のおろおろした姿が、ありあり浮ぶやうであった。
「これだから困る。この位なら何故ゐるうちに、もつと母子(おやこ)らしく打解けないだらう。」笹村は手紙をそこへ投(ほう)り出して、淋しく笑った。そして「もう自分の子供(もの)ぢやない。」と然(そ)う思つてゐる母親を憫(あわ)れまずにはゐられなかつた。」

                         ――『黴』第四十八回より




まつりに次ぐまつり
 
  2022.5.7

 本日、約一年ぶりに企画展のギャラリートークを実施いたしました。コロナと150年のあれこれを理由に、昨年7月「秋聲の家」展を最後にお休みしていたのを再開させた形です。例によって狭い展示室ですから5名様までという人数制限はそのままに(コロナ前は人数無制限でした)、二重マスクとフェイスガードをして臨みましたらまぁ息切れのひどいこと…! これは単に体の衰えによるものかもしれません。お聞き苦しい点多く恐縮ながら、ご参加くださったみなさま、ほんとうにお久しぶりでございました。ありがとうございました。もうしばらくはリハビリのような解説となろうかと存じますが、次回は百万石まつりを避け、6月11日(土)の開催となります。一ヶ月前の今月11日(水)よりお申し込み受付を開始いたしますので、ご興味ございましたら館までお電話くださいませ。
 来る6月4日(土)には、金沢市祭「金沢百万石まつり」が開催予定(交通規制にご注意ください)。前日3日(金)19時からは、その前夜祭として浅野川における「加賀友禅燈ろう流し」も4年ぶりに復活するそうで、目の前を流れてゆく燈ろうを毎年特等席から眺めていた当館にとっては非常に嬉しいお知らせでした。合わせての夜間開館はいたしませんが、先日の鯉流し同様、梅ノ橋あたりが主要スポットとなります。また同じく浅野川を舞台にした地元有志による「女川祭」が、今月14日(土)にも開催予定です。16時~ひがし茶屋街にある宇多須神社で踊り奉納、16時半~神社から流し踊り、18時~開会式、女川踊り・あかり祭…といったスケジュールで、5月6月、浅野川界隈がなんだかとっても賑やかです。
 ちなみに本日夜はひがし茶屋街で浅の川園遊会「越中八尾おわら流し」がありますよ! 19時~21時まで、茶屋街メインストリートを踊り手さんたちが流してゆかれます。今日はお天気もよさそうで、おまつりには最適の季節となってまいりました。そんななか当館のイベント的には7月まで何のご用意もしておらず(中で新しい文庫本をつくったりしています)、代わりに実は公民館さんなどからの講演依頼をすでに6件いただいており、いろいろな場がいよいよ活動を再開している気配です。





朗読劇「あらくれ」再演(YouTube)
 2022.5.5

 先日「あらくれ」の一節をこちらに引用いたしました。ふと気になって、朗読小屋 浅野川倶楽部さんの朗読劇「あらくれ」にこの部分はあったかしら、と脚本(当館制作)を確認しにゆくと、残念こちらはカットしてしまったのでした。本当は先日のラジオでも時節柄、躑躅(つつじ)の印象の強烈な場面があったな、と思いそこをご紹介したかったのですが、待ち時間にページを繰ってみるとこう→「赤い山躑躅などの咲いた、その崖の下には、迅(はや)い水の瀬がごろごろ転がつてゐる石や岩に砕けて、水沫(しぶき)を散しながら流れてゐた。(中略)お島はどこか自分の死を想像させるやうな場所を覗いてみたいやうな、悪戯な誘惑に唆られて、そこへ降りて行つたのであつたが、流れの音や四下(あたり)の静けさが、次第に牾(もどか)しいやうな彼女(かのおんな)の心をなだめて行つた。」…いい場面、すごくいい場面だけれどもGW中朝10時の番組にはちょっとそぐわないかもしれない…! そう思って、若葉に雨の場面にしてみたのでした。
 平成27年、当館の開館10周年記念で開催した朗読劇「あらくれ」にはこの場面、すこし掻い摘まみつつ落とし込まれております。当時、同倶楽部代表・髙輪眞知子さん演じる出ずっぱりのヒロインお島と張るくらいにナレーションの役割は大きく、基本「朗読」ベースですからわかりやすい舞台セットもセットチェンジもないなか、「語り」役によって語られる言葉だけで季節や時間と空間を表現していただきました。
 今年3月から秋聲生誕150年記念企画として浅野川倶楽部さんのYouTubeチャンネル「Reading cafeほたる」で順次公開されている朗読劇「あらくれ」におきましては、キャスト各30名の全4バージョンで本作が再演されています。当時ご出演くださった懐かしいお声もあれば、今回はじめてご参加くださった方もあり、元が長編ですから2時間20分にも及ぶ大作です。コロナ禍において全員でのお稽古がままならず、初演時にも演出をご担当くださった表川なおきさんが、おひとりずつ録音したものをつなぎあわせて一作にまとめあげたと聞きました。これは想像を絶するたいへんなお仕事。その他いくつかの短編もあわせて公開されていますので、GWの残りは語られる風景を思い浮かべながら、おうちでじっくり秋聲の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。  





新潮社「波」5月号
 2022.5.4

 作家・北村薫先生をお招きした昨秋のトークイベント内容が掲載された「波」4月・5月号が販売中です。5月号ではトーク後半からイベント後の金沢紀行パートに突入! 
とはいえ、こちらは「本の小説―水その2」と題され、あくまでも〝小説〟。どこまでが実際にあった出来事なのか…当館も登場させていただき、ありがたく拝読しながらなんだかふわふわ夢心地です。また今回は川向こうの某K花さん、そして川違いの犀星さんにもしっかりと言及があり、金沢という土地全体が浮島のように持ち上げられたような感覚に陥りました。この不思議な金沢紀行、次号にまで続きそうです。  
 そして5月号の表紙がまた魅力的ですね! 川端康成の新発見資料掲載にちなんで、笑顔の康成肖像写真です。以前の当館の漱石展関連講演でお招きした中島国彦先生が、新潮社に保管されていた康成筆書簡について翻刻とご解説を寄せられています。本誌は100円と安価なこともあり、すぐに売り切れてしまうようですので、ご興味おありの方は急いで入手されることをおすすめします。
 川端康成は今回の企画展「秋聲をつなぐ人々」にも一区画を占め、大阪の茨木市立川端康成文学館さんのご紹介とともに秋聲に関連する康成資料を展示させていただきました。中でも、秋聲の書「古き伝統 新しき生命」はこれまでにあまりお出ししたことがなかったかもしれません。こちらは徳田家にあったもので康成所蔵品ではないのですが、同じ文言の〈(※秋聲には)めづらしい大字の〉ものを昭和46年頃、康成が鎌倉の店で自ら購入したということが随筆「書」(新潮社『竹の声桃の花』所収)に記されています(随筆には「古き伝統と新しき生命」とあり)。その書のことでしょうか、聞き及んだ秋聲長男一穂さんが、なんだか買ってもらっちゃって申し訳ない、とご家族に洩らされていたとか。
 さて明日5月5日はこどもの日、GWも終盤です。次の休館日は「通常火曜定休→祝日の場合は翌平日」の法則により、翌平日がどんどん繰り下がってあさって6日(金)となります。かなり変則的なお休みとなりますので、どうかお気をつけ願います。

 
 


若葉の季節
 2022.5.3

 昨日、例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんにお邪魔いたしまして、今回は秋聲豆皿を枕に、なんとなく今の季節に似合う秋聲とお庭造りのお話をさせていただきました。ちなみに秋聲豆皿、昨年度に発売した「生誕150年記念」を裏面に刻印したバージョンはすでに品切れとなり、現在は秋聲の落款のみのデザインのものを販売しております。こちら数量限定品ではございませんので、いつでも記念館ショップでお買い求めいただけます(通販なし)。
 秋聲が庭造りが好きだったというのは過去にもいろいろな場面でご紹介してまいりました。草花を愛し、小鳥を愛し、執筆の合間に庭におりては土をいじる…それが脳内をリフレッシュさせる方法のひとつであったのでしょう。そんな秋聲の一面は本人の作品とともに、長男一穂さんの思い出語りのなかに、また貴重な徳田家の現在のお庭の様子(小幡英典撮影)も、大木志門編『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随筆』(龜鳴屋)に収められています(記念館で販売中。もしくは出版元より通販にて)。
 ちなみに秋聲、人物だけじゃなく実は風景描写もうまいんですよ~とラジオで読ませていただいた「あらくれ」の一節がこちら。「夏らしい暑い日の光が、山間の貧しい町のうへにも照つて来た。夏の柿の幹に青蛙の啼声がきこえて、銀(しろがね)のやうな大粒の雨が遽(にわか)に青々した若葉に降りそゝいだりした。午後三時頃の懶(だる)い眠(ねむり)に襲はれて、日影の薄い部屋に、うつらうつらしてゐた頭脳(あたま)が急にせいせいして来て、お島は手摺ぎわへ出て、美しい雨脚を眺めてゐた。」(第56回より) 緊張して噛みたおしてしまいましたので、ぜひ原文のリズムでお楽しみください。季節の移ろいを敏感に肌で感じ、それを鋭く小説に描きとる秋聲です。
  明日4日(水)は二年ぶりに浅野川で5月の風物詩「浅野川・鯉流し」が実施されるもよう。今では職人さんがいなくなってしまった友禅流しの代わりに、200本の鯉のぼりが川の中を泳ぎます。今朝からすでに準備が始まっており、その舞台は当館目の前、梅ノ橋の周辺です。



 

「文化ドリルで文化の道草」
 2022.5.2

 いつもよりお客さまの多いGW真っ最中の昼下がり、館内巡回中に和紙人形シアターの照明がひとつ切れていることを発見し、「銀子さんのスポット切れてるの、閉館後にもし忘れてたら教えてください」と職員全員に周知しながら、なんだかその言い方がとても銀子さんのマネージャーっぽかったなと思いました。ということでなく、照明切れのままシアターをご覧になった方、申し訳ありませんでした、ということをお伝えしたかったのでした。すこし厄介な場所で球を替えるのに時間がかかるものですから開館中には対応できず…本日2日は和紙人形シアターの5名の女性全員に平等にスポットがあたっています。
 さて本日は金沢市役所内「文化施設活性化推進委員会」より発行されました冊子「文化ドリルで文化の道草」をご紹介申し上げます。こちら、以前に市内各館の魅力を紹介していただいた「文化の道草」の第二弾で、今回は小学校時代を思い出す〝ドリル〟方式にパワーアップして帰ってまいりました。たとえば夢二館さんであれば、線画にした夢二作品にぬりえが出来たり、数多いらっしゃる金沢ふるさと偉人館さんの偉人と業績をそれぞれ線で結んだり、自分の好みに合った江戸時代式住宅をフローチャートで探ったり、そんな大人もたのしい参加型のドリルです。
 当館のページは、秋聲の「聲」の字にはじまり「黴(かび)」「爛(ただれ)」など、秋聲ゆかりの難読漢字の書き取りドリル! みなおそらく経験したことのある、薄い字で印刷されたお手本を5回ずつなぞって漢字をおぼえようというアレです。これをつくられた方のなんと発想ゆたかなことでしょうか。ただしよく見ると、「爛」のマスの書き取り見本(薄い字)がすべて「聲」の字になっていて、「聲」本来のマスとあわせてこれだけ全10回書かせる仕組みになっておりますことはどうか笑ってお許しください…「聲」を練習して、「黴」を練習して、さ、次は「爛」だ~と思ったらまた「聲」! 
どれだけ「聲」の字書かせたいんか! 秋聲の聲の字やからか! 「爛」をも凌駕する「聲」! ――作家と作品、果たして強いのはどちらか…作品を生み出す作家こそ…いや作家を超えたところで作品が長く生き続けることこそ…どうか「聲」のうえから「爛」を…「爛」と力強くぐりぐり書いてやってくださいまし…(校正時、館職員も見逃しましたこと、心よりお詫び申し上げます)。各施設でテイクフリーです。





「本日の本欄」
 2022.4.30

 昨日4月29日は島田清次郎の命日でした。現在のつなぐ展には雑誌「東京」大正13年12月号を展示中。「徳田秋聲氏も島清君には余程困らせられた一人である。(中略)秋聲氏は島清君とは良く親しんでゐただけに彼の醜さは最も良く知ってゐる人であり、例の芳江嬢事件の際には仲裁の労を取ろうとした位であるから島清君が困つた時には何より先に同氏を訪ねるのが当り前である。が、毎度のことであるから同氏も殆ど寄せつけない。此夏頃も島清君は秋聲氏を訪ねたが、相手にしないので、彼は勝手口から入り込んで女中部屋に座つたまま動かずに、コーヒーを持つて来いとか、昼頃になると、鰻丼を取つて来いとか云って大威張りで女中を使つたといふことである」(丘綠「自称天才の末路 精神病院に泣く島清君」)といった清次郎伝が掲載された雑誌です。
 また、そのケースのちょうど向かい側の田山花袋コーナーにも、実は清次郎関係資料あり。展示が始まる直前にいつもお世話になっている方からご寄贈いただいた「時事新報」原紙で、清次郎による「いと若きものより 花袋秋聲五十年祝賀会に際し」という短文が掲載されています。
 冒頭から「両氏が、与えられた天分を完全に生長し切らずにたをれた(倒れた・斃れた)明治の文芸、思想界の先人のあとに、とにかく生きながらへ、自然主義運動を有効にしたことは、秋水等の挫折にもかゝはらず、堺氏が社会主義運動を徹底させようとしてゐるのに、勿論全然同じではないが、よく似てゐる。しかし明治神宮祭、日曜学校大会、あるひは政友会創立祝賀会など、お祭りさはぎの多い現在の日本、心あるものをして、あくまで沈着に、自己の心(しん)を失はず、ものゝ表裏を見とほす覚悟の必要を感じさせる…(以下略)」などとなかなかものものしく、当時21歳、『地上』第二部を刊行した年の、題の通り若くギラギラとした清次郎の心境が伝わります。掲載日は大正9年11月23日、まさに花袋秋聲誕生五十年祝賀会当日の出来事です。
 と、話が少し飛びまして、先日ご応募いただきました秋聲生誕150年記念事業誌プレゼント企画の件、すでに4割近くの方に発送は済んでいるのですが、GWで生憎配達お休みのためお手元に届くのは連休明けになるかもしれません。すぐに封筒をお送りくださった皆様にはタイミング悪く申し訳ございません。どうか少し気長にお待ちくださいますようお願い申し上げます。





「顔」
 2022.4.28

 今日は何の日、今から85年前の昭和12年4月28日に第一回文化勲章授与式がおこなわれた日! 秋聲界隈ではこのときの受章者に幸田露伴がおり、二ヶ月後の6月28日、東京会館で開催された受章祝賀会に秋聲も出席しています。その話題からはじまる随筆「露伴翁」(「読売新聞」昭和12年7月9日・11日)によれば、「あの晩卓上演舌(えんぜつ)を勧められたけれど体の都合でおしやべりをお断りした」そうで(その年、秋聲67歳、露伴71歳)、その無礼が気になって、このたび露伴についてまとめて語ってみたとのこと。内容は〝紅露二家〟と並び称された同年生まれの紅葉先生と露伴との比較論が主軸で、その書き出しには、30代で亡くなった紅葉先生がもし生きていれば露伴と同列に勲章を授けられたろう、とも、露伴の長い文学生活を純粋に讃美することに加え、紅葉に連なる自分としてこの会に出席することが二重の礼儀、とも。
 続きを読みながら、いつかお客様に「秋聲が露伴の顔が怖いから弟子入りしなかったというのはほんとうですか?」と訊かれたことを思い出しました。反射的に「イヤッ顔じゃなかったと思いますけども…!」とお答えしましたが、露伴が怖かったのは本当で、この文章にも「紅葉以上にも尊敬し羨望したが(中略)露伴のやうな人には近づきにくいし、模倣をしやうとしたら大変なことになりさうな気がしたので、上京した時に原稿をもつて行つたのは、却つてその実田舎の青年には少し歯の浮くやうな感じのした紅葉さんであつた」、「紅葉さんの方が同じ肌が合はないにしても、普通世間の小説道を歩いてゐる作家であり、露伴さんの方は、渾然すぎるほど渾然とした、生れながらの天才のやうに思はれた」と記しています。露伴おっかなかった説はこのほか色々な回顧録にも、谷崎潤一郎にそう語ったという記録もあったかと思いますが、もしどこかに一言「顔が」とありましたら申し訳ございません。
 ちなみに「改造」昭和15年1月号には「顔」特集として露伴、志賀直哉、島崎藤村、高浜虚子、高村光太郎、秋聲、横山大観の顔写真と本人による小文の掲載があり、秋聲らが自分の顔や体の部分について語るなか、豆を例に十二進法について滔々と語る露伴はなるほど少しおっかないかもしれません。
 また今日も今日とて金沢ふるさと偉人館さんにおもねりまして、この第一回文化勲章受章者にはZ項の木村栄(ひさし)博士もいらしたことを申し添えます。



 


郵政創業150年(去年)
  2022.4.27

 ご紹介がすっかり遅くなりましたが、昨年は郵政創業150年だったそうです。写真は当館の生誕150年記念グッズの発送に郵便局を訪れた際に、職員さんが撮ってきてくれたもの。秋聲さんと同い年だったよ~と帰館して報告してくれました。郵政と秋聲…なんとなくたのしく韻を踏んではおりますが、パッと面白いエピソードは出て来ませんで、真っ先に思いついたのは川向こうの某K花さんの有名なポストぐるぐるのお話でした。
 「彼はその性癖として、書く前に思構を人に聞いてもらはないと安心できず、書いてからも弟の斜汀に読んで聞かせるのが習慣となつてゐたが、小几(こづくえ)のうへに何時も小さい神酒(みき)徳利のようなものが、水が入つてゐたが、書く時には原稿紙に其(そ)の水を振りかけるといふことも、妙な癖だつたが、せせつこましく屢々(しばしば)灰のなかへ指頭(ゆびさき)を突つこむといふのも、さう云ふ時の一つの癖であつた。その他にも色々の癖があり、先生の手紙を投函する時には、それが紛失してしまひはしないかと怖れ、入れたあとでお呪(まじない)のやうに三度も函の周囲をまはるといふ風であつた。(以下略)」…彼すなわち某K花さん、先生すなわち尾崎紅葉です。このポストぐるぐるのお話、他にも同じようなことを伝えている方々がいるようですが、もれなく秋聲も語っておりました。ちなみに出典は「亡鏡花君を語る」。昭和14年9月7日、某K花さんの逝去を受け発表された追悼文です。この初出誌「改造」同年10月号を「つなぐ人々」展の某K花さんパートで展示中。このあとは、夜更かしが過ぎて偽札づくりを疑われたこともあったということも語られており、こうした故人を偲ぶには〝微笑ましい〟を若干通り過ぎているかも? と少し心配になるギリギリエピソードを真顔で追悼文にもってくるあたりが秋聲らしいといえばそう…ちなみにこの文章は桐生悠々との思い出から始まりまして、明治6〈1873〉年生まれの悠々も某K花さんも、来年が生誕150年にあたります。
 「つなぐ人々」展準備の際、悠々生誕150年ということをパネルに刷り込みますね!! と金沢ふるさと偉人館さんにお約束しておいてすっかり忘れてしまったことに気がつき青ざめながら慌ててこちらで補足させていただくほか、先日メディアに取材していただいた際にもやたらと強く主張しておきました(悠々と手紙にまつわるぐっとくるエピソードは「偉人館雑報」のこちらから)。





鉄道開業150年
 2022.4.25

 今年が日本における鉄道開業150年の記念の年なのだとテレビで言っておりました。とすると鉄道は花袋秋聲より一つ年下…1872(明治5)年10月14日に新橋・横浜間で開業したのだそうで、それすなわち島崎藤村と同い年ということになりましょうか。花袋記念文学館さんにおける大々的な藤村生誕150年記念企画展「藤村からの手紙」の開催を聞き、コロナの影響で先送りにしていた久米正雄展リベンジに気をとられるあまり、アッ当館ぼんやりしちゃった…! ととても反省しているところです。藤村から花袋に宛てられた書簡93通(!)をご所蔵の花袋館さんと規模は比ぶべくもありませんが、現在当館で所蔵(徳田家寄託品)する貴重な藤村筆秋聲宛て書簡5通のうちいずれかを今年中に何かしらの形で公開できればと思います。
 さて鉄道。秋聲が汽車を利用するとき、より等級の低い安価な三等車を好んだことはよく知られています。その理由について「私は汽車は等級を撤廃して全部この式(※「さくら」のような簡易なつくり)にした方が便利だと思ふ。私のやうな老年でも、別に苦痛を感じないのだから、若い紳士たちには無論十分好いはずである。人間は自分自身の特殊感といつたやうなものから脱けないと、周囲を、理解することは、困難である。(中略)(※三等に乗ることに決めたのは)詰りは金が半額で済む気安さからなのであるが、生活上の変な差別感から自由になりたい気持もある。人間の上等下等は何も生活の等級から来ているのではない。好い生活をしている人で、しかも所謂教養をもつてゐるにも拘(かかわ)らず、物のわからない人間もある。社会生活の制約を無視してゐるやうなゆき方をしてゐる鈍感者は大抵その種類である。汽車の一等に納まつてゐる人は、大抵特権階級の人らしいが、二等は金のある俗衆と少数のインテリである。若(も)し等級を附するなら、徹底的差別を鮮明にしておくという手もあつていゝ。金持はうんと高く、一般階級を平均に三等並みにしておくやうな仕方である。そうすると金持といふものは、又ひどく吝(けち)なもので、金をつかはない算段ばかりしてゐるものだから、三等へ紛れこまないとも限らないのである。」……うっかり中略してしまった部分が文学的にとても重要なような気がしてまいりました。こちら、回顧録『思ひ出るまゝ』にある記述です。長男一穂さんの証言(作品集)とあわせてお読みください。





大正7年
 2022.4.21

 きのう話題にいたしました大正7年という年、さらには7月頃、秋聲が何をしていたかといいましたら「赤い鳥」7月号に童話「手づま使」を発表しておりました。同年4月に同誌主宰・鈴木三重吉から来ている葉書「坊ちゃんとお馬ごっこをなさるような軽ひお心持ちでノンキに御書き下さいまし」に対し、ノンキなお心持ちでは書けなかったものか、結局、編集担当の小島政二郎による代作が掲載されたことが知られています。そしてそれを芥川龍之介と久米正雄が絶賛したと・・・そんなエピソードから、この三重吉葉書は次回「久米正雄展(仮題)」で展示予定です。
 また、菊池寛との初対面もこの年7月。当時「時事新報」にいた寛からの依頼で、9月より秋聲は長編小説「路傍の花」を連載します。この「路傍の花」の前に同紙に連載されていたのが久米の「螢草」。翌年、「路傍の花」は真山青果の脚色で舞台化され(舞台写真ポストカード→)、その際セットで上演されたのがこれまた久米の「地蔵教由来」。はからずも秋聲と久米が入り組んでまいりました。企画展までにすこしそのあたりを整理する必要がありそうです。
 話を戻しまして、大正7年の6月には「中々快活なお喋べり」として正宗白鳥の印象を、「俳句と自然」(「俳諧雑誌」)として紅葉先生の思い出を、そして「一日一信」として、上司小剣・近松秋江の二人に宛てた近況報告を「読売新聞」(22日付)に寄せています。どれも濃い内容で重要ななかでも、最後の「一日一信」の雰囲気がとても穏やかで今日の気分に合っているので、「不定期連載」にアップしてみました。言葉を尽くした時候の挨拶にはじまり、この頃の体調など、いつになくほんわりほんわり書いていますが、そこに登場するのは豪華な面々。さらに秋聲の本郷に対する思いや当時のお芝居に関する所感も盛り込まれているうえ、何より結びが最高です。
 
 



中公文庫『開化の殺人 大正文豪ミステリ事始』
  2022.4.20

 ツイッターのほうで先に宣伝をさせていただきましたとおり、昨秋開催の北村薫先生のトークイベントの内容が、現在発行されている新潮社「波」4月号の小説「水」の中にまるっと掲載されています。そして今号の「水」は「その1」、作品内でのトークイベントは次号にも続きそうです。先日お知らせいたしました「秋聲生誕150年記念事業誌」には、開催したという事実と「波」に載ります、という予告程度の情報しか載せられませんでしたので、貴重なトークの内容につきましてはぜひ「波」のほうをご確認ください。こうした一般に広く流通する雑誌に記録として残していただけたことを何より有り難く思います。北村先生、新潮社さまに心よりお礼申し上げます。
 そして記念誌にトークイベントのお写真などを掲載させていただくやりとりのなかで、先月刊行されました中公文庫『開化の殺人 大正文豪ミステリ事始』の北村先生のご解説のなかに秋聲のしゅの字がでてくるよ、と教えていただき早速入手いたしました!
 本書は江戸川乱歩の解説を巻頭に、「中央公論」大正7年7月臨時増刊号に掲載された作品の中から、佐藤春夫、芥川龍之介、里見弴、中村吉蔵、久米正雄、田山花袋、正宗白鳥による〝芸術的新探偵小説(戯曲)〟を収録したアンソロジーです。この臨時増刊号自体「秘密と解放号」と銘打たれており、ご存じ中央公論社の当時の名編集長・滝田樗陰渾身の企画であったとか。残念ながら本号に秋聲の作品は載っていないため、当然こちらの文庫にも収録されてはいないのですが、いないにもかかわらず解説に秋聲のしゅの字が出てくるとはこれいかに……そのあたりを、つい「秋聲らしいかも…」と思ってしまうエピソードでもってご紹介くださっており、恥ずかしながら当館も把握していなかった出来事でありましたので、本編はもちろんのこと詳しくはぜひこちらの文庫をご購読いただけましたら幸いです。今のところ秋聲自身がこのことに言及した文章というのは思い当たらず、今後「大正7年」、「貴婦人」をキーワードとして常に頭の片隅におきつつ、その界隈と作品にあたってゆきたく存じます。





「秋聲生誕150年記念事業誌」発行!
 2022.4.17

 生誕150年をお祝いした昨年度、一年限りで結成された「秋聲生誕150年記念事業実行委員会」より、このたび事業の報告をまとめた記念冊子が発行されました! 150年の特設サイトもアーカイブとして館HPトップに残しておりますが、より記録性が高く企画の中身の見えるものとして強きはやはり紙媒体。企画展、協力展示、各種イベント、記念グッズの紹介のほか、広く海外に目を向け秋聲文学にご注目くださっているお三方、ドイツからハラルド・マイヤー氏(ボン大学教授)、スウェーデンからハンス・ヨラン・アンカルクローナ氏、(翻訳者)、韓国から崔在喆氏(韓日比較文化研究所所長・韓国外大前日本語大学学長)より特別にご寄稿をいただきました。な、なんとグローバル…! おかげさまで単なる記録としてだけでなく、読み物としてもたいへん充実した内容となりました。みなさま、その節はご協力ありがとうございました。
 先日、各種事業にご協力くださった関係各位に発送をいたしまして、館内にも閲覧用を設置いたしました。そしてほんのわずかながら100冊分をご希望の方にプレゼントすべく、このようなページを設けてみました。もともとの発行部数が少なく、広くお配りできず申し訳ございません(そして送料をせしめてすみません…)。HP等での内容の公開もいたしませんので、館内でご覧いただくほか、もしご興味ございましたらお手数ですが22日(金)0時以降、メールにてお申し込み願います。
 専用ページとあわせて繰り返しのご案内となり恐縮ですが、記念館内での販売および配布はいたしません。今後の増刷の予定もございません。いかんせん発行元の実行委員会は長く続いてゆく組織ではございませんので、何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。次に結成されるのは50年後。きっと「秋聲生誕200年記念事業実行委員会」として帰ってくるのでしょう。そのときの参考のため、150年時を超えさらにパワーアップした記念事業を展開するための記録でもあるのです。



 


新生秋聲記念館
  2022.4.10

 ぬるっと新年度が始まり、さくっと4月7日が過ぎてゆきました。当館17周年の開館記念日です。毎年この時期になるとご紹介しておりますとおり、三文豪館は3歳ずつ違いますので、当館が17周年なら犀星館さんは20周年、某K花館さんは23周年。犀星館さん、開館20周年という大きな節目ですねーおめでとうございます! 昨年もたいへんお世話になりましたので、今年何か当館がお手伝いできることあらば、全力で駆けつけたいと思います。
 さて先日、年度末発行の館報「夢香山」最新号を当HPにアップいたしました。現物は館内に設置するほか、現在、関係各所への発送作業中です。今号は巻頭に上田正行前館長の退任挨拶を掲載いたしました。当館三代目館長として足かけ10年、館の顔として守護神として長くおつとめいただきました。なにせ人の好さにかけては天下一の上田館長でしたので、退任後もお忙しくされるご様子。そんな新生活の中からも、これからもきっと記念館をお見守りくださることと存じます。4月からは蔀 際子新館長が就任! 館の職員にも異動があり、新館長以下新体制で、またすこし館のカラーが変わってくるかもしれません。つなぐ展ビジュアルよろしく、もっともっといろいろな面をお見せしてゆきたい新生秋聲記念館をこれからもよろしくお願いいたします。
 さらに館報には、昨年の秋聲忌における松本徹先生のご講演録を載せました。そしてそれを上田前館長の寄稿でサンドイッチ! 秋聲らしき人物による漢詩についての考察です。つなぐ人々展では、その掲載誌「北辰会雑誌」の画像を金沢大学附属図書館さんよりお借りしてパネル展示しておりますので、あわせてご覧ください。
 館報の編集もさることながら、この冬から春にかけて生誕150年記念事業のまとめ冊子を編集しており、なんだかんだと慌ただしく過ごしておりました。そちらにつきましても追って情報解禁してまいりますので、ご興味おありの方、今後ともこちらのブログやツイッターをご確認いただけましたら幸いです。
 外は満開の桜、しかしながら本来ならば昨日か今日開催するはずだった呈茶会はなし…これで3年目の中止です。まだしばらくそれが本職でない記念館にとって、飲食のイベントは難しそうです。当館内での提供はかないませんが、いつもご協力くださっている吉はし菓子店さん(のわらび餅/左図)や米澤茶店さんはこの東山エリアで営業されていらっしゃいますので、お花見がてらお立ち寄りください。



 


企画展「秋聲をつなぐ人々」開幕
 2022.3.31

 27日、新企画展「秋聲をつなぐ人々」が開幕いたしました。お世話になりました全国21施設のみなさま、ご協力本当にありがとうございました。7月末までの長い開催となりますので、ゆるりとよろしくお願いいたします。
 今回は数年前の企画展「秋聲をめぐる人々」の姉妹展となりますので、チラシも同じデザイナーさんにお願いをいたしました。ピンクから青、緑へのグラデージョンが春・梅雨・夏までの三季節に対応! また、この虹色が作家と作家を〝つなぐ〟架け橋のイメージを表現します。さらに秋聲とつながる各作家の名の下に連なるのは、それぞれとの間のエピソード。雨粒がガラスを滴るように、それらが静かに地に落ち染みこみ、そして次世代へと彼らの関係性・人間性を伝えてゆく……といったコンセプトでございます。ただ、某K花さんブースに関しましては、つないでくれているのは明らかにお隣の犀星さんですけれども! 
 雨だれで思い出されるのは島田清次郎。以前にもご紹介いたしましたとおり、一次資料の所蔵がございませんので雑誌や書籍を中心に、島清と菊池寛コーナーにまたがる形で、菊池寛主宰「文芸春秋」大正13年7月号を展示いたしました。ここには、清次郎の随筆「雨滴(あまだれ)の音を聴きつゝ。」が掲載されています。唐突に自宅に押しかけてくる清次郎を断固拒否しながら、この作品の掲載については便宜をはかったという寛。本展は各作家と秋聲展であると同時に各作家同士も横にゆるっとつながってゆく、そんなあたりをお楽しみいただけましたら幸いです。展示自体この春から金沢で暮らし始めることになった方々、秋聲にはじめて触れるという方々を対象にした節がございますので、基礎的な情報が多く、ディープな内容を求めていらっしゃる方々にはたいへん申し訳ないのですが、どうか当館の〝初心〟にお付き合い願います。
 3月31日、金沢は雨。島清の「雨滴の音を聴きつゝ。」の題から連想された秋聲の随筆「雨を聴きつゝ」を「不定期連載」にアップいたしました。「芸術は主観といつても客観といつても、所詮自己表現である。自分の声で自分を歌ふことである」。ぜひお読みください。



 

「五木寛之の新金沢百景」放送
 2022.3.26

 21日、テレビ金沢さんご制作の表題の番組の「作家が愛した金沢の味」特集が放送となりました。2月頭に某K花、犀星の両館学芸員とともに収録いたしまして、ものすごくソーシャルディスタンスを確保できるホテルの立派な会場において立派な秋聲パネルをバックに、戸丸彰子アナウンサーのご進行のもと三文豪の食の好みについてあれこれお話しさせていただきました。
 よくクイズ番組などでお見かけするフリップなるものも初めて書く機会もあり(記念に持って帰りました)、その内容は「治部煮」。秋聲が愛した金沢の味といえばこれ一択でございましょう。秋聲は「鶫(つぐみ)の羹(あつもの)」として自身の大好物かつ、おふくろの味として小説その他に何度となく書き記しています。某K花さんは「クルミのあめ煮」(テレビのお約束として植物(クルミ)はカタカナ表記、「あめ」は平仮名表記と決まっているそうです)、犀星さんは「川魚」。それぞれ調理されたものを作家の五木寛之先生が試食なさって、モニターを通じてコメントされるのも番組の見どころのひとつです。
 それから放送で流れたかどうでしたか、秋聲が語る某K花さんの○○嫌いエピソードについてゆるくお話ししてきた記憶があるのですが、舞台上ではどうしてもその出典と正確な文言を思い出せず、「秋聲が“あの子○○嫌い”って言ってましたー」みたいな隣のクラスの子の給食のお残しを先生に言いつけるみたいな拙い言い方になってしまったことをひどく反省いたしまして、次回「秋聲をつなぐ人々」展の某K花さんコーナーにそのくだりを引用してみました。ちなみに秋聲の回顧録『思ひ出るまゝ』にある記述です。また、秋聲が犀星さんから金沢の銘菓「長生殿」を贈られたという記録も実物資料でご紹介予定です。噂の「蟹」色紙は展示いたしませんが、妹フデさんから送ってもらった蟹に対する礼状は出品! 番組をご覧いただければ少し展示と繋がるところもあり、より面白いかもしれません。YouTube版は今月末まで配信があるそうですので、見逃された方、あるいは県外にお住まいのみなさまもぜひこちらからご覧ください。
 放送で、秋聲はなかなかものを手放しで褒めない、といった基本姿勢について述べました。そこで最後に、金沢という街に対する秋聲の所感からその一例をご紹介。「このほど金沢より帰京。金沢は金屏風と、骨董屋と料理屋の町に有之候(これありそうろう)。どこの家へ行つても本式の御饗応にあづかり候。しかし其の料理は料理屋のものと雖(いえど)も、所詮素人料理に過ぎず候。田舎としては開発致しをり候。(後略)」(「一日一信」大正4年6月19日)。繰り返しになりますが、番組テーマは「作家の愛した金沢の味」です。




 

HP更新再開のお知らせ
  2022.3.25

 HPのメンテナンスが終了いたしました。この間に連続講座最終回、木谷喜美枝先生による尾崎紅葉回も無事終了。3月になってもまん延防止下でありましたのでリモートでのご出演となりましたが、ここで改めて師弟の関係性をお話しいただくことで秋聲の出発点に帰る形となって全4回の講座が途切れることなく開催できました。木谷先生、サポートスタッフさま、ご参加のみなさま、本当にありがとうございました。
 そして21日をもちまして、記念企画展「祝賀会のこと」もついに閉幕。これにて生誕150年記念事業、完遂でございます。一年をかけ、一緒に盛り上げてくださったみなさまに心よりお礼を申し上げます。そうしてようやく、これら事業にかかわる書類整理に着手いたしまして、デスク横に山のように積み上がった企画書、予算書、進行表、その改訂、さらに改訂…などなどを見返しながら、あぁこの頃はあれもしたいこれもしたい、とたくさんの希望に燃えていたなァ…これはこのあと思わぬ出会いによってこう転がっていったのだった…こっちはコロナで結局断念せざるを得なかったね…と、さまざまなもの思いに耽りました。すべてザッとファイリングしてサッと切り替え!という訳にはなかなかゆかず、未練がましくその名残を具現化したひとつが次回企画展「秋聲をつなぐ人々」。27日(日)より開幕いたします。ここにいたる記念事業の数々は、アーカイブとしてトップページに残しましたので専用バナーよりご覧ください。
 以前にもご紹介いたしましたとおり、次回企画展は生誕150年記念協力展示にご参加くださった全国21の施設さまとそこで顕彰されている作家さん方と秋聲とのつながりをご紹介するという内容です。ご恩返しのつもりが、やれ資料画像を貸してくれいだの外観画像を送ってくれいだの、各施設さまにはかえってたいへんなお手数をおかけしてしまいましたこと、この場を借りてお詫びを申し上げます。どちらさまも心のあたたかな素敵な施設ばかりですので、自由に行き来ができるようになればぜひぜひご訪問ください。昨日をもちまして金沢建築館さんの展示が終了し、残すところ福島県のこおりやま文学の森資料館さんの協力展示が今月いっぱいとなります。なお、同館で顕彰される作家のひとり・久米正雄につきましては、7月からの次次回企画展で中心に扱ってご紹介する予定ですので、今回のつなぐ展では予告程度のご登場となりますことをお含みおきいただけましたら幸いです。



 

HP更新停止のお知らせ
  2022.3.4

  昨日3月3日は正宗白鳥のお誕生日でした! 当館だけ知らず2月31日を生き、まだギリギリ2月だもんね感を醸しながら清次郎お誕生日を語っている間に周回遅れになってしまった感! 次回「つなぐ人々」展で言いましたらば、白鳥さんは吉備路文学館さんのテリトリーにいらっしゃいます。秋聲と仲良しの近松秋江とともに吉備路すなわち岡山県のご出身であるため。もちろん次回企画展にもご登場で、それこそ「つなぐ人々」と兄弟姉妹展となる過去の「秋聲をめぐる人々」展以来、4年ぶりにその自筆原稿「秋聲氏について」を展示予定です。とはいえ、昨日もご案内いたしましたとおり全 21施設さま分の内容を当館の狭い展示室に盛り込んだ結果、それぞれの持ち場が非常に狭く…パネルにして各人横70~80センチ分くらいしかスペースの確保ができませんでしたので(そして当館のパネルの文字はわりと大きめ)、その内容がとても初歩的なものになってしまうことをお許しください。言ってみれば、秋聲検定初級編予想問題集のようなテイストです。犀星記念館さんが今年開館20周年ということは、3つ年下の当館は今度の4月7日で開館17周年(18年目)。17年のうちに計54回を開催してきたさまざまな企画展の総復習のような雰囲気で、これまでに各展をご観覧くださった方はその時々を懐かしみつつ、初めてご来館くださる方は、これを観れば秋聲検定初級編合格確実!といったお気持ちでご覧いただけましたら幸いです。
 ついでに3月3日は「耳の日」でもありました。ついこれに反応してしまうのは、現在、年度末に発行予定の館報「夢香山」第14号の編集中だから…今号には昨年11月開催の秋聲忌における記念講演録を収録予定で、秋聲研究の大家・松本徹先生が秋聲を〝非常に耳の良い作家〟としていくつかの事例をご紹介くださっています。長引くコロナ禍において、イベントの募集人数もどんどん縮小せざるを得なくなり、たくさんの方にご参加いただけない分こうしたアーカイブでぜひ内容をご確認くださいませ。4月以降、当館内をはじめ近隣施設に設置していただくほか、準備ができ次第、PDFでHPにも掲載予定です。
 そして最後にお知らせです。昨年、生誕150年記念の特設サイトをつくったりあれやこれやとページをいじりまわしている間にまたも当HPが「オナカイタイ!」と言い出しましたので、これから10日間ほどメンテナンスのため更新を停止いたします。何か動きあらばTwitterのほうでご案内いたしますので、こちらしばらく動きませんがよろしくお願いいたします。



 
 

秋聲をつなぐ人々
 2022.3.3

 去る2月26日は島田清次郎の誕生日でもありました。それと前回記事のテーマ・作中における変名の話題を掛け合わせれば、佐藤春夫の『更生記』が導きだされてまいります。大正12年、清次郎の起こした婦女誘拐事件が盛り込まれた本作において、清次郎は「浜地栄三郎」として登場、その「浜地が同郷の先輩時岡鶏鳴に縋つて善後策に奔走した」とある「時岡鶏鳴」こそ我らが徳田秋聲。「と」始まりに「けーめー」の長音が秋聲と響き合うお名前ですね。『更生記』、次回企画展で初版本を展示する予定にしております。
 3月27日(日)から開催予定の新企画展は「秋聲をつなぐ人々」。昨年の生誕150年記念に開催するはずがコロナの影響により資料借用の目途立たず、一度見合わせたテーマです。しかしながら年が明けてもさほど状況は変わらず、外部からの借用は諦めたまま少し目先を変えた形で開催することといたしました。今も金沢建築館さま、こおりやま文学の森資料館さまが秋聲コーナーを設けてくださっておりますとおり、昨春より全国21施設のみなさまに秋聲生誕150年記念展示へのご協力をいただきました。その記録を何かわかりやすい形で残したい、との思いから今度の企画展にぶつけてみまして、各施設さまそれぞれが自館所蔵資料でもって秋聲とつながる人・物をご紹介くださったそれをそのまま、当館所蔵資料でもって総まとめ的にご紹介しようという試みです。
 清次郎はといえば金沢くらしの博物館さまからの繋がりで、同館の建物は明治32年創設「石川県第二中学校」、清次郎の母校です。といって清次郎の自筆資料は所蔵がございませんので(石川近代文学館さんが多くお持ちですが、今回は当館の収蔵資料展といった性質もあり)、関連の秋聲著作や雑誌の展示が中心になります。そうして全21施設の内容をぶちこみましたら中身は脈絡のないぶつ切れ展になるかしら…とも心配しましたが、みな同時代を生きていますから案外つるつると次のテーマを引き出してくれるような構成となりました。秋聲と繋がる人々展であるとともに、こうしたご協力によって秋聲の名を後世に繋ぐ役割を果たしてくださった人々(各施設)展でもあるのです。
 なお、協力展のお声がけはまったくの当館の任意によるもので、アァッこちらにもお願いしてみればよかった! と今になって思われる施設さまもございますし、ご検討くださったけれども、難しかったよゴメン!!という施設さまもございます。通常こうした施設はバッチリ予定が組まれており、かつ過密スケジュールで運営しておりますので、生誕150年にかこつけ、もともとかなり無茶なお願いを(急に)させていただいたのだという裏事情です。
  
 

 


変名のパターン
 2022.2.27

 つい日めくりカレンダーをチェックする癖がついてしまいました。昨日2月26日は「脱出の日」とのこと。すごくざっくりしている! 何からの!? ともうこれを調べずしてほかのお仕事は手につきません。曰く、かのナポレオンが1815年、流刑先のエルバ島を脱出してパリに向かった日だそうです! 
 正解がわかったところで、秋聲記念館的に2月26日と来て「脱出」と来れば、先に脳内から走り去ってゆくのはナポレオンより菊池寛。昭和11年2月26日、いわゆる二・二六事件のまさにその日に秋聲の次女喜代子と作家寺崎浩は結婚式を挙げました。その媒酌人であったのが菊池寛で、しかし朝から不穏な空気漂う中、延期すべきかという話し合いが持たれます。延期でいーんじゃないの、と炬燵の中から言う秋聲。念のため披露宴会場に問い合わせると、今のところ変わったこともなし、かつ今日やらなければ披露宴代は支払わなければならないとのこと。結局、中村武羅夫の、悪いことをするんじゃなし、心配ないさ、の一押しで、式は予定通り執りおこなわれることになりました。とはいえ狙われているかもしれない寛の身の安全を考慮し、媒酌は別の人にやってもらって文芸春秋社の面々さえ社長(菊池寛)のゆくえは誰も知らない…ということが書かれているのが新郎・寺崎浩の『ある回帰』(蝸牛社、昭和53年)。本作は自伝的短編集と銘打たれており、この縁談を仲介した改造社の水島治男は「生島」、寺崎本人は「園」、新婦・喜代子は「伊予子」、そして徳田秋聲は「奥間悠星」として登場します(なお、寺崎の師・横光利一や菊池寛は実名にて)。
 奥間悠星、うまいことできていますね! 口いっぱいに何かを頬張りつつ「徳田秋聲」と言ってみれば「おくまゆうせい」に聞こえそうです。未読のまま恐縮ながら、同じ日の出来事を書いた尾崎士郎の「菎蒻」には「秋山無弦」として出てくるとうかがいました。そうですかそうですか、秋を残して匂わすパターン…と思えば、広津和郎の『薄暮の都会』に出てくる秋聲らしき老大家は「宮田春潮」、橘外男の『酒場ルーレット擾乱記』では「簔田冬巌」…なるほどなるほど他の季節に移すパターン! いまパッと思いつきませんが、夏バージョンの秋聲もどこかにいるのかもしれません。なお、某K花さんが「薄紅梅」に書く秋聲は「久須利苦生(くすりくせい)」。あぁそうですよね、胃弱の秋聲ってば薬くせ…あれっただの悪口パターン…??





火鉢案件はさらに後
 2022.2.24

 昨日のつづきで某K花さん資料の件、自筆のものでは秋聲宛書簡が1通と年賀状が存在している旨が伝えられていますが、実物を見たことはありません。前者は雑誌「文芸通信」昭和9年10月号「特輯・文壇人私信集」に封筒の写真と本文が活字で掲載されており、何か別の調べ物をしている時にたまたまこれにあたってギャッとなったものですが、同誌からの孫引きの形で普通に『鏡花全集』に収録されているのでした。
 明治41年3月6日付(全集では明治40年と訂正)、逗子からのお手紙で「たびたびお邪魔いたし候、あひかはらずおいそがしいのお節句にはさぞみいちやんがお喜びの事と存じ候/さて此のあひだ趣味の西本氏おみえにて四月の号へ短篇寄稿せよとの事その心がけいたしをり候が冴え返つた四五日の寒さにからだ少々ぐあひわるく間にあはせかね勝につき次の号へ御猶予とあしからずお序に御伝言下され度、最もたしかにお約束はせざりしかど小生よりぢかにてはにべもなき事にあひなり候まゝ貴兄御親交これあり候だん承り候につきお手数恐縮ながらお願ひ申上げ候/炬燵から見る梅雨情なり御来遊いかにいかに/六日/鏡/秋聲大兄」とのこと。
 明治36年に紅葉が死去し、明治44年に秋聲が『黴』を発表するまでの間の出来事です。これを読む限り、少なくともこの頃には頻繁に往来があり(書簡の?)、さらにはみいちゃん=秋聲長女・瑞子(みずこ、当時3歳)の存在を把握し、そして体調すぐれぬなか秋聲を頼りにしている…そんな某K花さんの姿が見えてまいります。しかしながら前述のとおり実物の所在は不明。当時きっと秋聲本人から提供されたものと思われますが、雑誌社への貸借の過程でその所在があやふやになってしまったのでしょうか。
 後者の年賀状についても秋聲長男一穂が記録しているのみで、実物は未確認です。平たく「不仲」とはいえ、さすがにこれだけということはあるまいよ…と思いつつ、残されたこの手紙に出てくる「みいちゃん」がこののち大正5年にわずか12歳で亡くなったとき、あの彼はお悔やみひとつ寄越しやしない! と珍しく恨み言を綴る秋聲の姿と繋がってきて、いろいろいろいろあったんですねぇ…とまったくの出歯亀根性で恐縮ながら、その一端を見せていただいている思いがいたします。
 二人の不仲のそのまた一端をひもといてくださった北村薫先生の『中野のお父さんは謎を解くか』、文春文庫さんより文庫化されまして、その解説を不肖当館学芸員が担当させていただきました。解説…というより「秋聲記念館の人が読むとこうなりました」という一例としてご笑覧ください。館内ショップでもお取り扱いを開始いたしました。





いづみの日
 2022.2.23

 おとといの日めくりカレンダーに「漱石の日」とあり、オヤお誕生日でしたっけ?? と調べにゆきましたらそうでなく(旧暦なら1月5日、新暦なら2月9日)、ま、まさかニャーニャーニャーで〝吾輩は猫〟にちなんで…!? とハッとしたのですがその日はまだ2月21日。ニャーニャーニャーにはちょっと早く、結論的には「1911年(明治44年)のこの日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学務局長の福原鐐二郎に送った。この逸話に由来して2月21日は「漱石の日」と呼ばれる。」とのことでした(検索して最初に出て来たネット記事より)。称号をもらった日でなく、断った日が記念されるあたり、さすが漱石…。
 翌日の2022年2月22日、「スーパー猫の日」は火曜につき、あいにくの休館日。といって「私も動物は犬も猫も嫌ひですが、小鳥は好きです。」(秋聲『籠の小鳥』より)、アッ、ハイはしゃいですみません。例によって秋聲と猫では何も広がらないのでした。実は娘さんの希望で徳田家には猫がいたことがあり、代々「マリ子」、「ルネ」、名の明かされないペルシャ猫の3匹が、その題も「猫」(昭和9年)なる随筆に登場しています。が、全体的にちょっと可哀想な感じで、「スーパー猫の日」に乗っかるべき作品の雰囲気ではございませんので、こちらはまた別の機会にご紹介させていただくことといたします。
 そして本日23日は天皇誕生日であると同時に「風呂敷の日」であると聞きました。2(つ)・2(つ)・3(み)で風呂敷なのだそうです(秋聲「縮図」モチーフ風呂敷販売中です。よろしくどうぞ!) これがいけるなら1(い)・2(づ)・3(み)もいけるんじゃないかしら、としょうもないことをフと思ってしまったのは、本日より当館再現書斎前に某泉のK花さんの資料をお出ししたため。犀星館さんの施設改修工事が終わり、今度は川向こうのK花館さんが工事休館に入られたため、当館のほうで少しだけ関連資料をご覧いただけるようにしてみました。しかしながら自筆資料をはじめ初版本などほとんど関連資料を所蔵しておりませんので、書籍が2点、自筆短冊が1点、雑誌が2点と本当に気持ちばかりの展示でかえって恐縮です。しかもいずれも当館独自の収集品。だって徳田家にないゆえに…驚くほど…ないゆえに…
                               (たぶんつづく)





「所感」
  2022.2.21

  「岸田(※國士)氏編輯の本誌二月号にはフランスの文芸賞の一覧表があつたが、あの数の多いのに驚いたのは一人私のみではあるまい。作家の生活を潤すといふ意味で、文芸賞のあるのは勿論結構である。しかし、我国には文芸賞といつたものは最近まではなかつた。稍々類似のものとして、勿論性質は違ふが、雑誌や新聞の懸賞募集があるばかりであつた。だから、将来文芸院でも出来るやうなことがあれば、その仕事の一つとして、文芸賞の設定といふやうなこともなければなるまいと、私は予てからこんなことを考へてゐた。尤、雑誌や新聞の懸賞募集の選にしてもそうだが、さうした賞を出す場合その作品の銓衡といふのは随分困難のことである。加之、これは一つ間違ふと、対世間的にではあるが、その価値判断が誤らしむるやうな傾向を生じ、芸術の真の価値が没却される怖れがないこともない。だからこんなことも考へると、文芸賞の設定は軽卒には振舞へないと私は思ひ返した。併、我国にも最近幾つかの文芸賞の設定を見、文芸懇話会も仕事の一つとして昨年度から賞金を出し始めた。私は懇話会のメムバーの一人だが前述の意味から、作家が物質的の保護を受けるのはどうかと考へてゐた。処が本年度の受賞者の一人として私が選ばれた。私は最近病床にあつて懇話会の毎月の例会にも出ない。原稿の書けないのは勿論である。さうした私の状態に会員諸氏が同情された結果私が受賞者の一人として選ばれたといふやうに聴いたので、それに近親の人の勧めもあつたので意見は意見として遠慮せずに頂くことにした。だから他にもつと適当の人があつたのぢやないかと賞は頂いたものゝ内心忸怩としてゐる。今聴けば決して私の病床にある状態に同情した結果ではなく飽く迄作品本位の銓衡だといふがそれならばそれ程の力作でない丈に一層恐縮に耐へない。」   (徳田秋聲「所感」/「文芸懇話会」昭和11年7月号)
 
 秋聲が短篇集『勲章』で第二回文芸懇話会賞を受賞した際の所感です。そもそもの賞の性質や時代性ももちろんもありますが、文芸賞=名誉であるより先に〈作家の生活を潤す〉と来るあたりが実に秋聲らしい部分でもあり、そして〈対世間的〉な〈価値判断〉と、〈芸術の真の価値〉の〈没却〉を怖れるあたりにもの思わせられるところあり、ここに全文を引用いたしました。「この神は殿堂を構へず、この名人は高塔に住はず」(非凡閣版『秋聲全集』内容見本より)とは川端康成の言で、その作家性の評としてなかなか荘厳に過ぎるにせよ、実際に賞をもらってさえ懐疑的というか内省的というか着実というか地に足がついているといいましょうか…外側だと思っていたら急に内側に入れられてしまった戸惑いも感じつつ、傍から見れば、やはりどこか捻くれ者の影の重なる秋聲です。

 舞台「文豪とアルケミスト 捻クレ者ノ独唱」ご終幕、おめでとうございます。





「ほくりく散歩道」
 2022.2.20

 本日の「北國新聞」朝刊の「ほくりく散歩道」におきまして当館を大きくご紹介いただきました! 加賀市ご出身の作家・子母澤類先生が各地をめぐるシリーズで、今回は当館にお立ち寄りいただいた次第です。頻度をあげるとかなんとか言っていながらこうしたことがなければなかなかブログ更新にいたらずで申し訳ございません…! 雪に降り込められ(というほども降ってはいないです)その下の蟹のようにジリジリと次の企画展の準備をしたり、館報の編集をしたり、その他もろもろの活動をしております。起きています、生きています。
 子母澤先生はとても気さくで素敵なお方でいらっしゃいました。記事では主に『仮装人物』と『町の踊り場』についてご考察くださっていて、とくに『町の踊り場』では、以前Twitterのほうでご紹介いたしましたとおり、作品の舞台のひとつともなっている旧正田邸が現在「町の踊場」という名でお宿となって活用されておりますので、そちらにもお寄りになったとのこと。最近、土蔵の中が新しくカフェに生まれ変わり、宿泊客でなくとも利用できるようになったと聞きつけ、昨年11月、記念館一味も名誉館長とともにお邪魔してきたのでした。母屋の宿泊棟のほうも「雲のゆくへ」と「蒼白い月」の二部屋仕様となり、いずれも秋聲の作品から名付けられています。子母澤先生の記事にも「黴とか爛とか暗い題名が多いから…」というくだり(名誉館長談)があるように、さすがに「黴の間」「爛の間」というわけにはまいりませんでしたね…。黴の間とか、ちょっとくさそうですものね…。雲のゆくへ、蒼白い月、秋聲にもそんな美しい作品タイトルがございました。ナイスチョイスでございます。見つけてくださりありがとうございます。
 我々が蔵カフェにお邪魔した際には、ちょうど秋聲が作品に登場させているドヴォルザークの「ユーモレスク」が蓄音器の音色で流れておりました。100年前の秋聲の時代に通じる空気にひたりながら、こだわりの水出しコーヒーとケーキセットがいただけます。「ユーモレスク」が登場するのは長篇小説『蘇生』(大正13年)中。登場人物たちが演奏会に出かける場面があり、そこで披露されるのが「ベートヴエンの三重奏や、クライスラのリイベスフロイドにシウベルトのモメントミウジカル、それにドブオルジヤクのユモレスク」ほかと書かれています。ちなみに本作ヒロインは「山野葉子」と申します。奇しくも『仮装人物』(昭和13年)ヒロイン「梢 葉子」と同じ名をもっておりました。



 


手記探訪
  2022.1.30

 先日、秋聲の筆跡のお話をいたしました。そこからの「教育書道 日本習字ペン部」ドン! こちらもすっかりご紹介が遅くなり申し訳ございません。昨年末、ひょんなご縁により日本習字教育財団さまの上記機関誌に秋聲資料をご掲載いただいておりました。しかも昨年11月号・12月号と連続です。
 11月号のほうには、古今の名文を書いて楽しむ自由課題「名作を書く」コーナーに正宗白鳥『入江のほとり』の本文が採用されたことから、その先の「手記探訪」コーナーに参考資料として白鳥筆 秋聲宛葉書の写真をご掲載いただきました。当館のいつかの白鳥展で初公開したものです。
 「春は関東の方がよいやうです 旅行しても大して面白いこともありません」…オォほとばしる白鳥節…。白鳥の辞書にリップサービスの文字はなし。尾道の名所絵葉書に、毛筆の豪快かつ独特の筆致でもってそう記されています。つい旅行先をくさしがちなところは秋聲とも少し似ているかもしれません。これを受け取った秋聲はきっと小さく微笑んだことでしょう。
 つづけて12月号には、白鳥さんからバトンを受け取った秋聲が「名作を書く」コーナーに登場! 自伝小説『光を追うて』から、少年期、新しい書籍に触れたときの喜びが綴られた一節が引用され、書くことで末雄少年の高揚する気分を追体験できるようになっています。そして「手記探訪」に、代表作『縮図』の自筆原稿写真。秋聲が作品中絶の道を選んだことのわかる、まさにその最後の一枚です。白鳥さん書簡の画像提供手続きをさせていただきながら、あの…秋聲もネ…味のある…いい字を書きまっせ…(ソッ)と、ご先方をチラチラ見つつ押し売りをした記憶はすでに山のあなたの空遠く…。本誌は内容的に会員さん向け通信教育用テキストのようにお見受けします。日本習字教育財団さま、ご紹介ありがとうございました。文字の方面からも白鳥、秋聲の作品に触れていただくきっかけがひとつできました。
 秋聲が自分の字に自信のないことは前回ご紹介したとおりで、でも偉ぶっていると思われるのが嫌で揮毫の依頼には渋々応じていたところ、それが転売されたり雑誌の景品になっているのを発見してヤダ、ヤメテヨーーーと言っているのが昭和3年の随筆「近事片々」(白鳥の洋行の話から始まります)。書くのは苦手だけれど字を見るのはお好きだったそうで、このあと中国の書家・〝書道の神〟たる王羲之(おうぎし)についてけっこう熱く語っています。
 
 
 


「自筆原稿から透けて見える作家の物語」
 2022.1.27

 昨日の記事のつづきです。秋聲の藤村評「風格を崩さぬ作家」(談話)より、「去年の夏、或る処で田山君だの泉だのと一緒に酒の席で逢ったことがある。少し酒が廻つた頃興が湧いたかして何か書かうと一同が云出した。が藤村氏自身は何にも書かない。花袋君は興に乗つて沢山の筆を走らせた。こんな折には氏の心には実際感興が湧いたのか、湧かないのか、判断に苦しまされる事がある。然しそれは必ずしも故意からではない。氏の作品を通して見出される氏の個性の反映と見れば、見られるであらう。」――完。そんな文章でございました。えっ藤村君たのしんでる? たのしんでない? どうなの?? と藤村の顔色を秘かに観察している秋聲と、無邪気にたくさん揮毫する花袋さんの様子が微笑ましく想像され……ると同時にそこに「泉」もご一緒と言っていますね! 果たして何の会だったのでしょうか。そして寄せ書きか何か? それは今どこに? 大正9年の夏――今後ちょっと意識してまいります。
 ちなみに結局この時書いたか書かなかったか、藤村の筆跡について秋聲は「藤村氏の毛筆を揮(ふる)つた字は現文壇では珍らしい典雅なものだが、或るものは見てゐると底凄く襟を正さしめる。しかも必ずしも剛ではなく、温柔親しむべきである。」と語っています(現在、館内再現書斎コーナーで藤村自筆書幅を展示中!)。その他、「紅葉や漱石や花袋や有島、里見の諸氏は、その書も亦(また)文学とともに珍重すべきもの」、しかしながら自分自身については、そんな風に「いくらか目が利くだけに、自分の拙いのがまざまざ目に見えて、書くのが辛い」(「灰皿」昭和13年7月)そうで、「高ぶつてゐるやうで悪いから、(依頼された)色紙や短冊は力(つと)めて書くことにしてゐるが、この方もふつつり諦めてゐる」とのこと…。
 そ、そんなことないよォ~いい字をお書きになりますよォ~~…! そんな秋聲の筆跡につきましては、明日28日(金)午後6時半頃~テレビ金沢「五木寛之の新金沢小景」第889景、「自筆原稿から透けて見える作家の物語」でぜひご覧くださいませ。3分ほどの短い番組ですが、「金沢の三文豪」と称される某泉のK花さん、犀星さん、秋聲三者の自筆原稿を特集していただきました。展示室ではレプリカをお出ししている秋聲の絶筆「古里の雪」のオリジナル原稿が紹介されようかと存じます。昭和17年2月、秋聲最後の帰郷に基づいて書かれた未完・未発表の作品、最晩年の筆跡です。





藤村生誕150年
 2022.1.26

 石川県にも明日27日(木)より2月20日(日)まで「まん延防止等重点措置」が適用されることになりました。現状では当館を含む県内博物館系施設の臨時休館はしない方針です。これまで通り、当館では同時入館20名様までで一時的に入館制限をかける(各施設規模により上限人数は異なります)等の措置をとりつつ開館してまいります。
 なお、そんな中で恐縮ながら昨年開講いたしました秋聲生誕150年記念連続講座の最終回、延期延期となっていた尾崎紅葉回の日程が決まりました。開催は3月19日(土)、お申し込みは2月19日(土)からお電話にて。受付開始日がまんぼう期間に含まれてしまいましたが、今のところこのままの予定で進行いたします。状況によっては昨年9月、第2回の川端康成回同様、講師の木谷喜美枝先生がリモートでのご出演になるかもしれません。その旨、お含みおきいただけましたら幸いです。
 さて、花袋秋聲生誕150年の年が過ぎれば今年は島崎藤村の生誕150年記念イヤーですね! 花袋秋聲には生年の旧暦(1871年)・新暦(1872年)問題があり、どこを150年とするかはなかなか難しいのですが、一応本人たちの認識でゆけば彼らの一つ年下になる藤村さん。現在開催中の「祝賀会のこと」展で、大正9〈1920〉年、花袋秋聲誕生五十年祝賀会(数え年)の翌10年2月17日に藤村誕生五十年祝賀会(数え年)が開催されたことをご紹介しています。席上挨拶する藤村の口絵のある「新潮」大正10年3月号を展示のほか、あわせて展示しようと思いながらスペースの都合上断念してしまった「信州」なる雑誌の大正10年3月号でも藤村誕生五十年記念特集が組まれており、秋聲は藤村評「風格を崩さぬ作家」(談話・全集未収録)を寄せています。
 その書き出しは「この乱作の多い今の文壇で、藤村氏だけは如何にも風格を崩さずに会心の作のみを、つまり書かねばならぬといふものばかりを発表して居られるといふ状態は、一寸(ちょっと)羨ましい」、これには田山君も同意だって~と書き添えながら、続けて藤村のパーソナルな部分について「藤村氏の言葉とか行為とかは、一寸浅い附合いではどの辺に氏の真意があるか、解り兼ねるやうな場合が私には多い。是(これ)は氏の小説などにも見える通り、氏は自分の表現がどうしたら含蓄を最も多くする事が出来るかといふ様な事を非常に工風(くふう)されるやうで、その為めに或る時には堅苦しくなる事があるやうだ。日常の談話などにもさうした点があつて何となく重々しい気持がする。すつかり言つて仕舞はない。すつかり書いて仕舞わない処がある。然しそれでいて話は仲々好きな方である」…               (つづく)





新刊『ファイヤ・ガン』(秋聲著・赤池佳江子絵)
 2022.1.19

  気持ちを新たに~と言ったそばから昨日火曜は休館でして、さらに昨年こちらで取りこぼしてしまった大事なものものの振り返りから始めまして恐縮です。生誕150年という節目のおかげさまで、昨年は出版物にも恵まれ館内ショップが一気に賑やかになりました。
 そのうちのひとつが昨夏、北陸中日新聞さんに連載(再掲)されました秋聲の短篇小説「ファイヤ・ガン」。もとは大正12年9月の関東大震災直後に発表された作品で、その本文は当館オリジナル文庫のうち短編小説傑作集II『車掌夫婦の死・戦時風景』にも収録されておりますが、そちらにあってこちらにないもの、そう挿絵です。今回新聞への再掲に際し、金沢でご活躍のイラストレーター・赤池佳江子さんが毎回とても味のある力のこもった挿絵をご制作くださり、それもすべて収録した形で去る12月23日、秋聲150歳のお誕生日に本作が冊子化されました!
 ちょっとこれまでにないタイプの秋聲関連の刷り物です。発行元は市内の石引パブリックさん。その立地を当財団所属施設的に申し上げると、秋聲記念館を出発して金沢くらしの博物館さんのもうちょい先の右っかわ…同店舗ではこれら書籍の販売とあわせてカフェ営業もされていて、HPのトップページに秋聲、漱石と並んでのっかるあんこクリームチーズサンド、ホットチョコ、アップルシナモントーストクリームチーズ…な、なにその秋聲の好きそうなメニュー…! あんことチーズとトーストだなんてぜんぶ秋聲が好きなやつー! りんごといえば秋聲由来のりんごの「秋星」ー! 見ているだけで途端に楽しくなってまいりました。すっかりあんこの口のまま本題に戻りまして、本書巻末解説を当館学芸員が担当させていただいたほか、何よりつくりがとてもおしゃれで、赤池さんの挿画の映える版画めいた特殊なプリント技法は「リソグラフ印刷」というそうです。おまけに帯が四色展開! 当館ではご購入の際、お好きな色の帯をお選びいただけますので、プレゼントにはお相手のイメージで選ばれてみても素敵ですね。
 しかしながらショップが賑やかになった一方、雪やら何やらのおかげさまで館内はひっそり閑…また明日にかけ日本海側で大雪のおそれ、と今ほどネットニュースに上がっておりました。そんな明日は「大寒」とのこと。ご遠方の方は石引パブリックさんのオンラインショップをご利用ください。長期休館中の犀星館さんに代わりまして、龜鳴屋さんの『犀星映画日記』のお取り扱いもおありですよ!
 




2022年、〝151年〟の開幕
 2022.1.17

 あけましておめでとうございます。と、遅ればせながらご挨拶させていただきます。おかげさまで生誕150年=2021年が終わりまして、あっという間に年が明けてしまいました。新暦のお誕生日(1872年2月1日)でいうとまだ生誕150年かな? どうかな? といまだ下半身を150年の名残にどっぷりと浸しながら、かろうじて上半身だけで秋聲生誕151年を始めようとしております。戦友・花袋記念文学館さんとメールでアレコレ業務連絡を交わしつつ、アァ花袋記念文学館さんはもう気持ちを切り替えて走りだしていらっしゃる…年明け早々1月8日から新しい展示(「料理は味よりも香を」後期展)を公開されるだなんて実に驚くべきエネルギー……と、それに当てられるフリをしながらまた上半身をへちゃ…とさせているところです。150年のもろもろにかまけてサボりがちであった寸々語を、リハビリのようにぽちりぽちりと再び書き始めるところからスタートさせてゆきたく存じます。本年も何卒よろしくお願いいたします。
 とは言いながら年度で動いておりますので3月末までが一応生誕150年事業期間。ぬるぬる動く当館のいっぽうで、全国各地各館のみなさまが「協力展示」の形で秋聲を盛り上げてくださっております(青森県近代文学館さま、11日の会期終了ありがとうございました! たいへんお世話になりました!)。開催中の菊池寛記念館さんにおけるコレクション展「徳田秋聲と菊池寛」につきましては、今月10日(月・祝)までの会期予定であったものがなんと23日(日)まで延長決定。田端文士村記念館さんの秋聲資料も同日までご覧いただけますし、大阪の川端康成文学館さん、福島のこおりやま文学の森資料館さん、金沢建築館さん、某K花記念館さんはも少し会期ございます(金沢大学附属図書館さんは20日まで!)。ひとさまにばかりやらせて怠けているわけにはまいりません。そういえば先日、たまたま野口雨情作詞の童謡「赤い靴」のお話をしていて、どうしても「赤い花」と言ってしまう発作が起こって困りました。思えば雑誌「赤い鳥」のときも同じ症状が出ていました。いたしかたなし、年度末発行の館報や事業報告もろもろを手がけている間は、元気な半魚人かケンタウロスのように生きてゆくことといたします。




 

 

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