寸々語

寸々語(すんすんご)とは、秋聲の随筆のタイトルで、「ちょっとした話」を意味します。
秋聲記念館でのできごとをお伝えしていきます。





『抵抗の新聞人 桐生悠々』
 2022.5.21

 今日も今日とて、金沢ふるさと偉人館さんの「92人の偉人たち」生没日カレンダーを参照すれば、昨日5月20日が秋聲の竹馬の友・桐生悠々のお誕生日であったそう。秋聲のふたつ年下になりますので、来年がその生誕150年という節目となります。
 年下ながらいつも背中を押されるのは秋聲のほうで、彼の人柄については秋聲の自伝小説『光を追うて』、回顧録『思ひ出るまゝ』ほか、名古屋における悠々との交流のさまを描いた短篇小説「倒れた花瓶」などからも読み取られます。「頭のてかてかしたK-は、相変らず溌剌としてゐた。彼は芸者を相手に、愉快さうに謳つたりふざけたりした。彼はこの町における唯一の読書人であると同時に、評論の最高権威であつた。K-はからりとした明るいその顔のやうに、恬淡(てんたん)とか卒直とか形容されべき性情の持主であつた。そして聡明な頭脳と、豊富な才情とに恵まれてゐた。」…これだけでも、秋聲が彼に最高級の讃辞を送っていることがわかります。
 悠々の生涯や業績につきましては、当館もたいへんお世話になりました作家・井出孫六先生の『抵抗の新聞人 桐生悠々』(昭和55年、岩波新書)に詳しく、ありがたいことに同書が昨年9月、岩波現代文庫から装いも新たに刊行されました。その冒頭に書かれているのが、井出先生が悠々を知ったきっかけ、すなわち正宗白鳥の随筆「人生如何に生くべきか」(昭和26年、東京新聞)のこと。昭和16年、秋聲が「縮図」の筆を折ったと同じ年の9月、亡くなる直前の悠々が残した言葉「この超畜生道に堕落しつゝある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候(いたしおりそうろう)」(「他山の石 廃刊の辞」)を引きつつ、白鳥はここで「彼はいかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した世に稀れな人のやうに、私には感銘された。これに比べると、今日のさまざまな知識人の賢明なる所論も、たゞの遊戯文字のやうに思はれないでもない」と述べています。
 今回の「つなぐ展」では、四高教師・吉村政行先生に宛てた悠々の献呈署名本『婦人国』(寄託品)を展示させていただきました。秋聲とともに四高を中退しようとしたときに、焦るな、といってふたりを引きとめてくれた恩師です。結果的にこの制止を振り切って上京してしまったふたりですが、悠々の義理堅い一面もまた垣間見える資料かと存じます。





隆興と順太郎
  2022.5.16

 金沢ふるさと偉人館さんがおつくりになっている「92人の偉人たち」生没日カレンダーによりますと、昨日5月15日は〝北陸の鉱山王〟横山隆興のお誕生日であったそう。隆興といえば百万石の前田家にお仕えする「加賀八家」のうちのひとつ、横山家の分家筋にあたり、版籍奉還後、本家第13代当主・隆平とともに小松の尾小屋鉱山経営に乗り出した中心的な人物です。偉人館さんもTwitterでご紹介くださいましたとおり、秋聲の次兄・正田順太郎(※正田家に養子入)がこの横山家につき従い、長く尾小屋鉱山所長をつとめていたことが名編「籠の小鳥」ほか秋聲の一連の〝順太郎もの〟にあらわれています。作品には順太郎の献身的なはたらきの一方、経営陣の順太郎に対する処遇の悪さに憤る秋聲の様子がしばしば描かれますが、順太郎自身は横山家の人々を決して悪く言うことはありませんでした。
 隆興の没後にまとめられた渡邊霞亭による伝記『横山隆興翁』(大正9)には、鉱山経営に着手して10年後くらいの明治28年頃、当時の所長と反りが合わずに鉱山を去った順太郎(当時技師)と思われる人物を隆興が呼び戻す一幕も描き込まれており、あら大事にされている…と、その関係性が想像されます。しかしながら、この伝記に対してもやはり辛口な弟・秋聲。回顧録『思ひ出るまゝ』に曰く「故渡辺霞亭氏は、横山家から頼まれて、先代の功績讃美の伝記を、書いたが無論、書かせる目的がわかつてゐるから、昔し封建時代の浪人が、人々のために系図を偽造してやつたと同じく、好い加減なことを書いたに違ひない」…言わんとすることはわかりますが、これはなかなか…続けて「この鉱山の創始者であつた先代は、私の父を訪問したこともあつて、私もちよつと其の風貌は覚えてゐるけれど、運がよかつた割には、子供には甘く、晩年既に栄華に傲つて、悪い傾向を子供たちに示した観があつた」…と、いったんここまでにしておきますが、この〝子供〟の代と秋聲とに交流があったようで、隆興ご子孫のお宅に秋聲揮毫による立派な書幅が伝わっています。
 そのようなご縁から、来月開催される百万石まつりのメインイベント・百万石行列に加わる八家に扮した方々のうち、つい横山家パートにおいて一段と大きく手を振りたくなる秋聲記念館一味なのです。





苦手科目
  2022.5.15

 11日より来月6月11日(土)のギャラリートークの申込受付が始まりました(原則、開催日の一ヶ月前より)。ありがたいことにその日朝一番でお電話をたまわり、急な中止や変更時のご連絡のためおうかがいしたお電話番号を復唱しながら、お向かいでもちょうど他の方のお申し込みを受けていた職員とその復唱のタイミングが重なり、数字のカウント途中に横から別の数字の茶々入れられてわけわかんなくなる、といった思わぬ罠と闘いながらの応対となりました。もとより数字にきわめて弱いものですから、これはとんでもない苦闘でございました。互いに手元にメモした数字と違う数字をお向かいで読み上げられる、そんな試練を与え合うストイックな職員たち…大混乱のまま、あたふたとたいへん失礼をいたしました。おかげさまで午前の部は満席、14時の回は引き続き受付中です。
 秋聲も数学が苦手だったとは何度もご紹介するところで、四高時代、幾何での落第経験あり。その落第もきっかけのひとつとなって、翌春、桐生悠々とともに中退して上京します。が、紅葉先生への弟子入りを断られ、結局帰郷したのち四高に復学しようと受験準備を進める中で、数学が得意であった「中川」なる同級生(友次郎?詮吉?)に幾何を、数学教師「田中」先生に代数を見てもらったということが自伝小説『光を追うて』に記されています。田中鈇吉(おのきち)は郷土数学の第一人者・関口開のお弟子さんで著名な数学者。その蔵書が現在、石川県立図書館に「田中鈇吉文庫」として収蔵されています。そんな好待遇を受けていながら、実は坪内逍遙が教鞭をとる早稲田学校(後の早稲田大学)に憧れていた秋聲は、英語の試験を受けただけで途中で放棄してしまいます。間もなく新潟の新聞社を経て再上京。早稲田にも行かず、その最終学歴は四高中退ということになりました。
 飛んで晩年近く、算盤(そろばん)をはじくレアな秋聲の姿が、林芙美子の秋聲追悼文「秋聲先生」に現れてまいります。長編小説『縮図』のモデルで、この頃秋聲が入り浸っていた小林政子宅を芙美子が訪問すると、秋聲が「ゆかたの袖を肩へたくしあげて、熱心にそろばんをはじいて」いたとのこと。何の勘定ですか?と訊くと、「うちの妓の病院代」との返答で、政子が営む置屋の帳場を預かっていた秋聲です。





「病中日記」
 2022.5.12

 開催中の「つなぐ展」、昨年の生誕150年記念事業にご協力くださった全国21施設さまをご紹介するうちトリを飾っていただいたのは秋聲第二の故郷・文京区本郷にある真砂中央図書館さんです。なにせ亡くなるまでの約40年間を暮らした本郷ですからエピソードは山盛りあるなか、展示室では何故ここだったのか? という同地の一側面をほんの少しだけご紹介しています。曰く、〈二大病院(※帝大医科付属病院・順天堂医院)がある〉ところと〈名医がゐる〉ところ。ご存じ幼少期より虚弱でとかく病院や薬に頼りがちな秋聲ですし、作品を読めば気に入るところを探して病院をいくつもハシゴしたり、お医者さんの言うことをすぐに疑ってはセカンドオピニオンをとりたがる様子もしばしば見受けられますので、信頼できるお医者さんの充実というのは住むに欠かせない条件だったのかもしれません。
 大正3年、実際に順天堂病院に入院したときには「動物が檻のなかへ入れられるやうに病室に収容され」、「窓の外を覗いてみたり、ベッドに腰かけて見たり」、子供のように(※当時44歳)不安な気持ちに苛まれたうえ、手術前に貧血を起こして廊下で倒れ、看護師さんたちにベッドまで運んでもらったこと、老看護婦さんと交わした世間話のあれこれが「病中日記」として記されています。
 なんとも痛々しい記録ですが、実は後半がとても微笑ましく、術後すこし食欲の出て来た秋聲はベッドで連日お料理の本を読んでいたそう。スープの章から肉料理、日本料理と来て、ソースの章ではドミグラスソースの作り方を熟読…退院したらお料理道具そろえよ~、元気になったら沢庵(たくあん)で炊きたてのご飯たべよ~、更科蕎麦、風月の豆スープ、いつか上野で食べたタンスチユ(タンシチュー)…でもまずはお刺身食べよかな~……「私は何だかコックになって、西洋料理を研究したいやうな心持になつて来た」。「今日も食べものゝことを色々考へて暮す」。ご本人はきっと切実なのでしょうが、想像するとつい頰が緩んでしまう今日の患者さんのご様子です。

 本日5月11日はナイチンゲールの誕生日にちなんで「看護の日」ということで、看護師さんのお世話になった秋聲のお話でした。

(※画像は思いついた限りの看護師さん図。
  明治40年『熱狂』より、小峰大羽の口絵)






「来訪者」
 
 2022.5.11

 次回、久米正雄展ではそこまで触れられないかも、と思われましたエピソードを清次郎のいる「つなぐ展」のうちにご紹介。久米の随筆「大辻君のお祝ひ」に、その留守中ちょっと不審な感じの人物が家にやってきた…と女中さんから伝え聞き、「えっそれ島田清次郎じゃない?」と思う、といったくだりがございます。というのも、その訪問の翌日の新聞に、清次郎が例の「舟木事件」の被害者宅に現れた、という記事が載っていたため。じゃあ昨日うちに来たのも島田君じゃない?? と思ったというお話でした(実際には違いました)。これが書かれたのが大正13年3月、清次郎は25歳。
 正宗白鳥が清次郎の来訪を受けたのはこの少し後ということになりましょうか。同年9月、雑誌「新潮」に発表された白鳥の短編小説「来訪者」には、夏前に一度、その一年前にも一度、白鳥のいる大磯への清次郎らしき人物「安達」の来訪について描かれています。小説の体をとっているのですべてが事実ではないにせよ、来るなり挨拶もせず無断でお宅に上がり込もうとするスタートからしてなかなかのシマセイズム。「オイ無断で人の家に上つちゃいけないぜ。」こんな真っ当な注意を受ける大人はなかなかないかもしれません。
 その後も「此処には空いた部屋がありますなあ。」という「安達」の圧を「いや泊められないよ」とストレートに躱す「私」、一緒に海へ出かけてそのへんの適当なご飯屋で食事を済ませたかった「私」にかまわず、入り口の立派な料亭にずんずん入っていく「安達」(※画像は白鳥筆秋聲宛絵葉書より大磯近くの海水浴場)、シャツと猿股を買ってきて欲しいとねだる「安達」を「東京に帰って買え」とはねつける「私」、車を呼んでと命じる「安達」、近いんだから歩いていけとイラッとする「私」、西瓜を饗され、砂糖だの匙だのと贅沢を言う「安達」…一度二度の来訪で強烈な印象を残していく「安達」です。作中においてこのとき彼は26歳だと言い、それを聞いた「私」は「若いなあ。」と感動したように洩らします。〝若さ〟とは「無作法と生意気」の代名詞…その彼の〝若さ〟に対し、「何といつても年が若いのに焦燥(あせ)りすぎてゐた」と記したのは秋聲です(小説「解嘲」より)。





燕台生誕150年
 2022.5.10

 昨日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」に、鎌倉の細野燕台のお宅とご令孫がご出演でした。燕台といえば金沢ふるさと偉人館さんにコーナーをもつ金沢出身の文人。番組では北大路魯山人を世に出した人、として紹介されていました。
 いつかの寸々語にも書きましたように燕台と秋聲は交流があり、昭和13年4月、犀星さんと一緒にこの鎌倉の燕台邸と小杉天外邸を訪ねたことがありました(2019.9.13記事「コケの話」参照)。同年10月、燕台と天外からまた会を催したいと犀星に提案があり、その日程どうしましょか~と犀星から秋聲に都合を尋ねるお手紙を今まさに展示中です。中には「同日、泉先生にて生前一会のうたげいたしたき由、細野先生の話、あなたにさし支へなきか、おうかがひします」とも書き添えられており、アッ微妙に気を遣われている…! とすぐに思ってしまうのは悪い癖。このお手紙に対する秋聲のお返事が「つなぐ展」チラシにも引用いたしました「泉には君から言っといて」(意訳)のソレ。石川近代文学館さんのご所蔵で、お写真をお借りしてパネル展示しています。
 また、秋聲は燕台に連れられ、当館が建つ以前にこの敷地にあった料亭「清風荘」を訪れたことがあったようで、そのことも過去のブログでご紹介いたしました(2018.6.4記事「清風荘にて」) 燕台のその証言の載った「北國文化」第67号(昭和26年7月30日発行)を、この春、某K花館さんご休館中に書斎前の特設コーナーで展示していたのですが、燕台がテレビに取りあげられるならば今もお出ししておけばよかった! となんともその間の悪さが悔やまれます。燕台と深田久弥による「対談 鏡花の思い出」中にある記述で、秋聲・某K花さんと同じ養成小学校(現金沢市立馬場小学校)出身者である燕台によれば、当時は「陰うつな方」で、夜になると浅野川沿いにある静明寺さんの墓地を歩き回っていたという某K花さんの一方、「腕白でけんか好き」な秋聲は、他人のけんかも引き受けるほどの癇癪持ちであったなど…ふたりが「ものもいわぬほど仲違い」してしまったときは、燕台も再三その仲裁に入ったなど…遠い昔語りにつき、どこまでが本当かはわかりませんが、どれほど大人になっても偉くなっても、ずっと弱いところを握られているのが幼馴染みというものです。





母の日
 2022.5.8

「笹村は多勢の少(わか)い甥や姪と、一人の義兄とに見送られて、その土地を離れようとする間際に、同じ血と血の流れあつた母親の心臓の弱い鼓動や、低い歔欷(すすりなき)の声を始めて聞くやうな気がした。するすると停車場(ステーション)の構内から、初夏(はつなつ)の日影の行渡った広い野中に辷(すべり)出た汽車の窓際へ寄せてゐる笹村の曇つた顔にはすがすがしい朝の涼風が当つて、目から涙が入染(にじ)み出た。
 笹村は半日と顔を突合して、しみじみ話したことも無(なか)つた母親の今朝のおどおどした様子や、此間中からの気苦労な顔色が、野面を走る汽車を、後へ引戻さうとしてゐるやうにすら思へてならなかつた。孤独な母親の身の周(まわり)を取捲(とりまい)てゐる寂寞、貧苦、妹が母親の手元に遺して行つた不幸な孤児(みなしご)に対する祖母の愛着、それが深々と笹村の胸に感ぜられて来た。

  …まことに本意ないお別れにて、この後またいつ逢はれることやら……門の外まで
 お見送りして内へ入つては見たれど、坐る気にもなれず、おいて行かれし着物を抱し
 めていると、鼻血がたらたら流れて、気がとほくなり申候……

 東京へつくと、直(じき)に、こんな手紙を受取った笹村の目には、昨日までわが子の坐つてゐた部屋へ入つて行つた時の、母親のおろおろした姿が、ありあり浮ぶやうであった。
「これだから困る。この位なら何故ゐるうちに、もつと母子(おやこ)らしく打解けないだらう。」笹村は手紙をそこへ投(ほう)り出して、淋しく笑った。そして「もう自分の子供(もの)ぢやない。」と然(そ)う思つてゐる母親を憫(あわ)れまずにはゐられなかつた。」

                         ――『黴』第四十八回より




まつりに次ぐまつり
 
  2022.5.7

 本日、約一年ぶりに企画展のギャラリートークを実施いたしました。コロナと150年のあれこれを理由に、昨年7月「秋聲の家」展を最後にお休みしていたのを再開させた形です。例によって狭い展示室ですから5名様までという人数制限はそのままに(コロナ前は人数無制限でした)、二重マスクとフェイスガードをして臨みましたらまぁ息切れのひどいこと…! これは単に体の衰えによるものかもしれません。お聞き苦しい点多く恐縮ながら、ご参加くださったみなさま、ほんとうにお久しぶりでございました。ありがとうございました。もうしばらくはリハビリのような解説となろうかと存じますが、次回は百万石まつりを避け、6月11日(土)の開催となります。一ヶ月前の今月11日(水)よりお申し込み受付を開始いたしますので、ご興味ございましたら館までお電話くださいませ。
 来る6月4日(土)には、金沢市祭「金沢百万石まつり」が開催予定(交通規制にご注意ください)。前日3日(金)19時からは、その前夜祭として浅野川における「加賀友禅燈ろう流し」も4年ぶりに復活するそうで、目の前を流れてゆく燈ろうを毎年特等席から眺めていた当館にとっては非常に嬉しいお知らせでした。合わせての夜間開館はいたしませんが、先日の鯉流し同様、梅ノ橋あたりが主要スポットとなります。また同じく浅野川を舞台にした地元有志による「女川祭」が、今月14日(土)にも開催予定です。16時~ひがし茶屋街にある宇多須神社で踊り奉納、16時半~神社から流し踊り、18時~開会式、女川踊り・あかり祭…といったスケジュールで、5月6月、浅野川界隈がなんだかとっても賑やかです。
 ちなみに本日夜はひがし茶屋街で浅の川園遊会「越中八尾おわら流し」がありますよ! 19時~21時まで、茶屋街メインストリートを踊り手さんたちが流してゆかれます。今日はお天気もよさそうで、おまつりには最適の季節となってまいりました。そんななか当館のイベント的には7月まで何のご用意もしておらず(中で新しい文庫本をつくったりしています)、代わりに実は公民館さんなどからの講演依頼をすでに6件いただいており、いろいろな場がいよいよ活動を再開している気配です。





朗読劇「あらくれ」再演(YouTube)
 2022.5.5

 先日「あらくれ」の一節をこちらに引用いたしました。ふと気になって、朗読小屋 浅野川倶楽部さんの朗読劇「あらくれ」にこの部分はあったかしら、と脚本(当館制作)を確認しにゆくと、残念こちらはカットしてしまったのでした。本当は先日のラジオでも時節柄、躑躅(つつじ)の印象の強烈な場面があったな、と思いそこをご紹介したかったのですが、待ち時間にページを繰ってみるとこう→「赤い山躑躅などの咲いた、その崖の下には、迅(はや)い水の瀬がごろごろ転がつてゐる石や岩に砕けて、水沫(しぶき)を散しながら流れてゐた。(中略)お島はどこか自分の死を想像させるやうな場所を覗いてみたいやうな、悪戯な誘惑に唆られて、そこへ降りて行つたのであつたが、流れの音や四下(あたり)の静けさが、次第に牾(もどか)しいやうな彼女(かのおんな)の心をなだめて行つた。」…いい場面、すごくいい場面だけれどもGW中朝10時の番組にはちょっとそぐわないかもしれない…! そう思って、若葉に雨の場面にしてみたのでした。
 平成27年、当館の開館10周年記念で開催した朗読劇「あらくれ」にはこの場面、すこし掻い摘まみつつ落とし込まれております。当時、同倶楽部代表・髙輪眞知子さん演じる出ずっぱりのヒロインお島と張るくらいにナレーションの役割は大きく、基本「朗読」ベースですからわかりやすい舞台セットもセットチェンジもないなか、「語り」役によって語られる言葉だけで季節や時間と空間を表現していただきました。
 今年3月から秋聲生誕150年記念企画として浅野川倶楽部さんのYouTubeチャンネル「Reading cafeほたる」で順次公開されている朗読劇「あらくれ」におきましては、キャスト各30名の全4バージョンで本作が再演されています。当時ご出演くださった懐かしいお声もあれば、今回はじめてご参加くださった方もあり、元が長編ですから2時間20分にも及ぶ大作です。コロナ禍において全員でのお稽古がままならず、初演時にも演出をご担当くださった表川なおきさんが、おひとりずつ録音したものをつなぎあわせて一作にまとめあげたと聞きました。これは想像を絶するたいへんなお仕事。その他いくつかの短編もあわせて公開されていますので、GWの残りは語られる風景を思い浮かべながら、おうちでじっくり秋聲の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。  





新潮社「波」5月号
 2022.5.4

 作家・北村薫先生をお招きした昨秋のトークイベント内容が掲載された「波」4月・5月号が販売中です。5月号ではトーク後半からイベント後の金沢紀行パートに突入! 
とはいえ、こちらは「本の小説―水その2」と題され、あくまでも〝小説〟。どこまでが実際にあった出来事なのか…当館も登場させていただき、ありがたく拝読しながらなんだかふわふわ夢心地です。また今回は川向こうの某K花さん、そして川違いの犀星さんにもしっかりと言及があり、金沢という土地全体が浮島のように持ち上げられたような感覚に陥りました。この不思議な金沢紀行、次号にまで続きそうです。  
 そして5月号の表紙がまた魅力的ですね! 川端康成の新発見資料掲載にちなんで、笑顔の康成肖像写真です。以前の当館の漱石展関連講演でお招きした中島国彦先生が、新潮社に保管されていた康成筆書簡について翻刻とご解説を寄せられています。本誌は100円と安価なこともあり、すぐに売り切れてしまうようですので、ご興味おありの方は急いで入手されることをおすすめします。
 川端康成は今回の企画展「秋聲をつなぐ人々」にも一区画を占め、大阪の茨木市立川端康成文学館さんのご紹介とともに秋聲に関連する康成資料を展示させていただきました。中でも、秋聲の書「古き伝統 新しき生命」はこれまでにあまりお出ししたことがなかったかもしれません。こちらは徳田家にあったもので康成所蔵品ではないのですが、同じ文言の〈(※秋聲には)めづらしい大字の〉ものを昭和46年頃、康成が鎌倉の店で自ら購入したということが随筆「書」(新潮社『竹の声桃の花』所収)に記されています(随筆には「古き伝統と新しき生命」とあり)。その書のことでしょうか、聞き及んだ秋聲長男一穂さんが、なんだか買ってもらっちゃって申し訳ない、とご家族に洩らされていたとか。
 さて明日5月5日はこどもの日、GWも終盤です。次の休館日は「通常火曜定休→祝日の場合は翌平日」の法則により、翌平日がどんどん繰り下がってあさって6日(金)となります。かなり変則的なお休みとなりますので、どうかお気をつけ願います。

 
 


若葉の季節
 2022.5.3

 昨日、例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんにお邪魔いたしまして、今回は秋聲豆皿を枕に、なんとなく今の季節に似合う秋聲とお庭造りのお話をさせていただきました。ちなみに秋聲豆皿、昨年度に発売した「生誕150年記念」を裏面に刻印したバージョンはすでに品切れとなり、現在は秋聲の落款のみのデザインのものを販売しております。こちら数量限定品ではございませんので、いつでも記念館ショップでお買い求めいただけます(通販なし)。
 秋聲が庭造りが好きだったというのは過去にもいろいろな場面でご紹介してまいりました。草花を愛し、小鳥を愛し、執筆の合間に庭におりては土をいじる…それが脳内をリフレッシュさせる方法のひとつであったのでしょう。そんな秋聲の一面は本人の作品とともに、長男一穂さんの思い出語りのなかに、また貴重な徳田家の現在のお庭の様子(小幡英典撮影)も、大木志門編『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随筆』(龜鳴屋)に収められています(記念館で販売中。もしくは出版元より通販にて)。
 ちなみに秋聲、人物だけじゃなく実は風景描写もうまいんですよ~とラジオで読ませていただいた「あらくれ」の一節がこちら。「夏らしい暑い日の光が、山間の貧しい町のうへにも照つて来た。夏の柿の幹に青蛙の啼声がきこえて、銀(しろがね)のやうな大粒の雨が遽(にわか)に青々した若葉に降りそゝいだりした。午後三時頃の懶(だる)い眠(ねむり)に襲はれて、日影の薄い部屋に、うつらうつらしてゐた頭脳(あたま)が急にせいせいして来て、お島は手摺ぎわへ出て、美しい雨脚を眺めてゐた。」(第56回より) 緊張して噛みたおしてしまいましたので、ぜひ原文のリズムでお楽しみください。季節の移ろいを敏感に肌で感じ、それを鋭く小説に描きとる秋聲です。
  明日4日(水)は二年ぶりに浅野川で5月の風物詩「浅野川・鯉流し」が実施されるもよう。今では職人さんがいなくなってしまった友禅流しの代わりに、200本の鯉のぼりが川の中を泳ぎます。今朝からすでに準備が始まっており、その舞台は当館目の前、梅ノ橋の周辺です。



 

「文化ドリルで文化の道草」
 2022.5.2

 いつもよりお客さまの多いGW真っ最中の昼下がり、館内巡回中に和紙人形シアターの照明がひとつ切れていることを発見し、「銀子さんのスポット切れてるの、閉館後にもし忘れてたら教えてください」と職員全員に周知しながら、なんだかその言い方がとても銀子さんのマネージャーっぽかったなと思いました。ということでなく、照明切れのままシアターをご覧になった方、申し訳ありませんでした、ということをお伝えしたかったのでした。すこし厄介な場所で球を替えるのに時間がかかるものですから開館中には対応できず…本日2日は和紙人形シアターの5名の女性全員に平等にスポットがあたっています。
 さて本日は金沢市役所内「文化施設活性化推進委員会」より発行されました冊子「文化ドリルで文化の道草」をご紹介申し上げます。こちら、以前に市内各館の魅力を紹介していただいた「文化の道草」の第二弾で、今回は小学校時代を思い出す〝ドリル〟方式にパワーアップして帰ってまいりました。たとえば夢二館さんであれば、線画にした夢二作品にぬりえが出来たり、数多いらっしゃる金沢ふるさと偉人館さんの偉人と業績をそれぞれ線で結んだり、自分の好みに合った江戸時代式住宅をフローチャートで探ったり、そんな大人もたのしい参加型のドリルです。
 当館のページは、秋聲の「聲」の字にはじまり「黴(かび)」「爛(ただれ)」など、秋聲ゆかりの難読漢字の書き取りドリル! みなおそらく経験したことのある、薄い字で印刷されたお手本を5回ずつなぞって漢字をおぼえようというアレです。これをつくられた方のなんと発想ゆたかなことでしょうか。ただしよく見ると、「爛」のマスの書き取り見本(薄い字)がすべて「聲」の字になっていて、「聲」本来のマスとあわせてこれだけ全10回書かせる仕組みになっておりますことはどうか笑ってお許しください…「聲」を練習して、「黴」を練習して、さ、次は「爛」だ~と思ったらまた「聲」! 
どれだけ「聲」の字書かせたいんか! 秋聲の聲の字やからか! 「爛」をも凌駕する「聲」! ――作家と作品、果たして強いのはどちらか…作品を生み出す作家こそ…いや作家を超えたところで作品が長く生き続けることこそ…どうか「聲」のうえから「爛」を…「爛」と力強くぐりぐり書いてやってくださいまし…(校正時、館職員も見逃しましたこと、心よりお詫び申し上げます)。各施設でテイクフリーです。





「本日の本欄」
 2022.4.30

 昨日4月29日は島田清次郎の命日でした。現在のつなぐ展には雑誌「東京」大正13年12月号を展示中。「徳田秋聲氏も島清君には余程困らせられた一人である。(中略)秋聲氏は島清君とは良く親しんでゐただけに彼の醜さは最も良く知ってゐる人であり、例の芳江嬢事件の際には仲裁の労を取ろうとした位であるから島清君が困つた時には何より先に同氏を訪ねるのが当り前である。が、毎度のことであるから同氏も殆ど寄せつけない。此夏頃も島清君は秋聲氏を訪ねたが、相手にしないので、彼は勝手口から入り込んで女中部屋に座つたまま動かずに、コーヒーを持つて来いとか、昼頃になると、鰻丼を取つて来いとか云って大威張りで女中を使つたといふことである」(丘綠「自称天才の末路 精神病院に泣く島清君」)といった清次郎伝が掲載された雑誌です。
 また、そのケースのちょうど向かい側の田山花袋コーナーにも、実は清次郎関係資料あり。展示が始まる直前にいつもお世話になっている方からご寄贈いただいた「時事新報」原紙で、清次郎による「いと若きものより 花袋秋聲五十年祝賀会に際し」という短文が掲載されています。
 冒頭から「両氏が、与えられた天分を完全に生長し切らずにたをれた(倒れた・斃れた)明治の文芸、思想界の先人のあとに、とにかく生きながらへ、自然主義運動を有効にしたことは、秋水等の挫折にもかゝはらず、堺氏が社会主義運動を徹底させようとしてゐるのに、勿論全然同じではないが、よく似てゐる。しかし明治神宮祭、日曜学校大会、あるひは政友会創立祝賀会など、お祭りさはぎの多い現在の日本、心あるものをして、あくまで沈着に、自己の心(しん)を失はず、ものゝ表裏を見とほす覚悟の必要を感じさせる…(以下略)」などとなかなかものものしく、当時21歳、『地上』第二部を刊行した年の、題の通り若くギラギラとした清次郎の心境が伝わります。掲載日は大正9年11月23日、まさに花袋秋聲誕生五十年祝賀会当日の出来事です。
 と、話が少し飛びまして、先日ご応募いただきました秋聲生誕150年記念事業誌プレゼント企画の件、すでに4割近くの方に発送は済んでいるのですが、GWで生憎配達お休みのためお手元に届くのは連休明けになるかもしれません。すぐに封筒をお送りくださった皆様にはタイミング悪く申し訳ございません。どうか少し気長にお待ちくださいますようお願い申し上げます。





「顔」
 2022.4.28

 今日は何の日、今から85年前の昭和12年4月28日に第一回文化勲章授与式がおこなわれた日! 秋聲界隈ではこのときの受章者に幸田露伴がおり、二ヶ月後の6月28日、東京会館で開催された受章祝賀会に秋聲も出席しています。その話題からはじまる随筆「露伴翁」(「読売新聞」昭和12年7月9日・11日)によれば、「あの晩卓上演舌(えんぜつ)を勧められたけれど体の都合でおしやべりをお断りした」そうで(その年、秋聲67歳、露伴71歳)、その無礼が気になって、このたび露伴についてまとめて語ってみたとのこと。内容は〝紅露二家〟と並び称された同年生まれの紅葉先生と露伴との比較論が主軸で、その書き出しには、30代で亡くなった紅葉先生がもし生きていれば露伴と同列に勲章を授けられたろう、とも、露伴の長い文学生活を純粋に讃美することに加え、紅葉に連なる自分としてこの会に出席することが二重の礼儀、とも。
 続きを読みながら、いつかお客様に「秋聲が露伴の顔が怖いから弟子入りしなかったというのはほんとうですか?」と訊かれたことを思い出しました。反射的に「イヤッ顔じゃなかったと思いますけども…!」とお答えしましたが、露伴が怖かったのは本当で、この文章にも「紅葉以上にも尊敬し羨望したが(中略)露伴のやうな人には近づきにくいし、模倣をしやうとしたら大変なことになりさうな気がしたので、上京した時に原稿をもつて行つたのは、却つてその実田舎の青年には少し歯の浮くやうな感じのした紅葉さんであつた」、「紅葉さんの方が同じ肌が合はないにしても、普通世間の小説道を歩いてゐる作家であり、露伴さんの方は、渾然すぎるほど渾然とした、生れながらの天才のやうに思はれた」と記しています。露伴おっかなかった説はこのほか色々な回顧録にも、谷崎潤一郎にそう語ったという記録もあったかと思いますが、もしどこかに一言「顔が」とありましたら申し訳ございません。
 ちなみに「改造」昭和15年1月号には「顔」特集として露伴、志賀直哉、島崎藤村、高浜虚子、高村光太郎、秋聲、横山大観の顔写真と本人による小文の掲載があり、秋聲らが自分の顔や体の部分について語るなか、豆を例に十二進法について滔々と語る露伴はなるほど少しおっかないかもしれません。
 また今日も今日とて金沢ふるさと偉人館さんにおもねりまして、この第一回文化勲章受章者にはZ項の木村栄(ひさし)博士もいらしたことを申し添えます。



 


郵政創業150年(去年)
  2022.4.27

 ご紹介がすっかり遅くなりましたが、昨年は郵政創業150年だったそうです。写真は当館の生誕150年記念グッズの発送に郵便局を訪れた際に、職員さんが撮ってきてくれたもの。秋聲さんと同い年だったよ~と帰館して報告してくれました。郵政と秋聲…なんとなくたのしく韻を踏んではおりますが、パッと面白いエピソードは出て来ませんで、真っ先に思いついたのは川向こうの某K花さんの有名なポストぐるぐるのお話でした。
 「彼はその性癖として、書く前に思構を人に聞いてもらはないと安心できず、書いてからも弟の斜汀に読んで聞かせるのが習慣となつてゐたが、小几(こづくえ)のうへに何時も小さい神酒(みき)徳利のようなものが、水が入つてゐたが、書く時には原稿紙に其(そ)の水を振りかけるといふことも、妙な癖だつたが、せせつこましく屢々(しばしば)灰のなかへ指頭(ゆびさき)を突つこむといふのも、さう云ふ時の一つの癖であつた。その他にも色々の癖があり、先生の手紙を投函する時には、それが紛失してしまひはしないかと怖れ、入れたあとでお呪(まじない)のやうに三度も函の周囲をまはるといふ風であつた。(以下略)」…彼すなわち某K花さん、先生すなわち尾崎紅葉です。このポストぐるぐるのお話、他にも同じようなことを伝えている方々がいるようですが、もれなく秋聲も語っておりました。ちなみに出典は「亡鏡花君を語る」。昭和14年9月7日、某K花さんの逝去を受け発表された追悼文です。この初出誌「改造」同年10月号を「つなぐ人々」展の某K花さんパートで展示中。このあとは、夜更かしが過ぎて偽札づくりを疑われたこともあったということも語られており、こうした故人を偲ぶには〝微笑ましい〟を若干通り過ぎているかも? と少し心配になるギリギリエピソードを真顔で追悼文にもってくるあたりが秋聲らしいといえばそう…ちなみにこの文章は桐生悠々との思い出から始まりまして、明治6〈1873〉年生まれの悠々も某K花さんも、来年が生誕150年にあたります。
 「つなぐ人々」展準備の際、悠々生誕150年ということをパネルに刷り込みますね!! と金沢ふるさと偉人館さんにお約束しておいてすっかり忘れてしまったことに気がつき青ざめながら慌ててこちらで補足させていただくほか、先日メディアに取材していただいた際にもやたらと強く主張しておきました(悠々と手紙にまつわるぐっとくるエピソードは「偉人館雑報」のこちらから)。





鉄道開業150年
 2022.4.25

 今年が日本における鉄道開業150年の記念の年なのだとテレビで言っておりました。とすると鉄道は花袋秋聲より一つ年下…1872(明治5)年10月14日に新橋・横浜間で開業したのだそうで、それすなわち島崎藤村と同い年ということになりましょうか。花袋記念文学館さんにおける大々的な藤村生誕150年記念企画展「藤村からの手紙」の開催を聞き、コロナの影響で先送りにしていた久米正雄展リベンジに気をとられるあまり、アッ当館ぼんやりしちゃった…! ととても反省しているところです。藤村から花袋に宛てられた書簡93通(!)をご所蔵の花袋館さんと規模は比ぶべくもありませんが、現在当館で所蔵(徳田家寄託品)する貴重な藤村筆秋聲宛て書簡5通のうちいずれかを今年中に何かしらの形で公開できればと思います。
 さて鉄道。秋聲が汽車を利用するとき、より等級の低い安価な三等車を好んだことはよく知られています。その理由について「私は汽車は等級を撤廃して全部この式(※「さくら」のような簡易なつくり)にした方が便利だと思ふ。私のやうな老年でも、別に苦痛を感じないのだから、若い紳士たちには無論十分好いはずである。人間は自分自身の特殊感といつたやうなものから脱けないと、周囲を、理解することは、困難である。(中略)(※三等に乗ることに決めたのは)詰りは金が半額で済む気安さからなのであるが、生活上の変な差別感から自由になりたい気持もある。人間の上等下等は何も生活の等級から来ているのではない。好い生活をしている人で、しかも所謂教養をもつてゐるにも拘(かかわ)らず、物のわからない人間もある。社会生活の制約を無視してゐるやうなゆき方をしてゐる鈍感者は大抵その種類である。汽車の一等に納まつてゐる人は、大抵特権階級の人らしいが、二等は金のある俗衆と少数のインテリである。若(も)し等級を附するなら、徹底的差別を鮮明にしておくという手もあつていゝ。金持はうんと高く、一般階級を平均に三等並みにしておくやうな仕方である。そうすると金持といふものは、又ひどく吝(けち)なもので、金をつかはない算段ばかりしてゐるものだから、三等へ紛れこまないとも限らないのである。」……うっかり中略してしまった部分が文学的にとても重要なような気がしてまいりました。こちら、回顧録『思ひ出るまゝ』にある記述です。長男一穂さんの証言(作品集)とあわせてお読みください。





大正7年
 2022.4.21

 きのう話題にいたしました大正7年という年、さらには7月頃、秋聲が何をしていたかといいましたら「赤い鳥」7月号に童話「手づま使」を発表しておりました。同年4月に同誌主宰・鈴木三重吉から来ている葉書「坊ちゃんとお馬ごっこをなさるような軽ひお心持ちでノンキに御書き下さいまし」に対し、ノンキなお心持ちでは書けなかったものか、結局、編集担当の小島政二郎による代作が掲載されたことが知られています。そしてそれを芥川龍之介と久米正雄が絶賛したと・・・そんなエピソードから、この三重吉葉書は次回「久米正雄展(仮題)」で展示予定です。
 また、菊池寛との初対面もこの年7月。当時「時事新報」にいた寛からの依頼で、9月より秋聲は長編小説「路傍の花」を連載します。この「路傍の花」の前に同紙に連載されていたのが久米の「螢草」。翌年、「路傍の花」は真山青果の脚色で舞台化され(舞台写真ポストカード→)、その際セットで上演されたのがこれまた久米の「地蔵教由来」。はからずも秋聲と久米が入り組んでまいりました。企画展までにすこしそのあたりを整理する必要がありそうです。
 話を戻しまして、大正7年の6月には「中々快活なお喋べり」として正宗白鳥の印象を、「俳句と自然」(「俳諧雑誌」)として紅葉先生の思い出を、そして「一日一信」として、上司小剣・近松秋江の二人に宛てた近況報告を「読売新聞」(22日付)に寄せています。どれも濃い内容で重要ななかでも、最後の「一日一信」の雰囲気がとても穏やかで今日の気分に合っているので、「不定期連載」にアップしてみました。言葉を尽くした時候の挨拶にはじまり、この頃の体調など、いつになくほんわりほんわり書いていますが、そこに登場するのは豪華な面々。さらに秋聲の本郷に対する思いや当時のお芝居に関する所感も盛り込まれているうえ、何より結びが最高です。
 
 



中公文庫『開化の殺人 大正文豪ミステリ事始』
  2022.4.20

 ツイッターのほうで先に宣伝をさせていただきましたとおり、昨秋開催の北村薫先生のトークイベントの内容が、現在発行されている新潮社「波」4月号の小説「水」の中にまるっと掲載されています。そして今号の「水」は「その1」、作品内でのトークイベントは次号にも続きそうです。先日お知らせいたしました「秋聲生誕150年記念事業誌」には、開催したという事実と「波」に載ります、という予告程度の情報しか載せられませんでしたので、貴重なトークの内容につきましてはぜひ「波」のほうをご確認ください。こうした一般に広く流通する雑誌に記録として残していただけたことを何より有り難く思います。北村先生、新潮社さまに心よりお礼申し上げます。
 そして記念誌にトークイベントのお写真などを掲載させていただくやりとりのなかで、先月刊行されました中公文庫『開化の殺人 大正文豪ミステリ事始』の北村先生のご解説のなかに秋聲のしゅの字がでてくるよ、と教えていただき早速入手いたしました!
 本書は江戸川乱歩の解説を巻頭に、「中央公論」大正7年7月臨時増刊号に掲載された作品の中から、佐藤春夫、芥川龍之介、里見弴、中村吉蔵、久米正雄、田山花袋、正宗白鳥による〝芸術的新探偵小説(戯曲)〟を収録したアンソロジーです。この臨時増刊号自体「秘密と解放号」と銘打たれており、ご存じ中央公論社の当時の名編集長・滝田樗陰渾身の企画であったとか。残念ながら本号に秋聲の作品は載っていないため、当然こちらの文庫にも収録されてはいないのですが、いないにもかかわらず解説に秋聲のしゅの字が出てくるとはこれいかに……そのあたりを、つい「秋聲らしいかも…」と思ってしまうエピソードでもってご紹介くださっており、恥ずかしながら当館も把握していなかった出来事でありましたので、本編はもちろんのこと詳しくはぜひこちらの文庫をご購読いただけましたら幸いです。今のところ秋聲自身がこのことに言及した文章というのは思い当たらず、今後「大正7年」、「貴婦人」をキーワードとして常に頭の片隅におきつつ、その界隈と作品にあたってゆきたく存じます。





「秋聲生誕150年記念事業誌」発行!
 2022.4.17

 生誕150年をお祝いした昨年度、一年限りで結成された「秋聲生誕150年記念事業実行委員会」より、このたび事業の報告をまとめた記念冊子が発行されました! 150年の特設サイトもアーカイブとして館HPトップに残しておりますが、より記録性が高く企画の中身の見えるものとして強きはやはり紙媒体。企画展、協力展示、各種イベント、記念グッズの紹介のほか、広く海外に目を向け秋聲文学にご注目くださっているお三方、ドイツからハラルド・マイヤー氏(ボン大学教授)、スウェーデンからハンス・ヨラン・アンカルクローナ氏、(翻訳者)、韓国から崔在喆氏(韓日比較文化研究所所長・韓国外大前日本語大学学長)より特別にご寄稿をいただきました。な、なんとグローバル…! おかげさまで単なる記録としてだけでなく、読み物としてもたいへん充実した内容となりました。みなさま、その節はご協力ありがとうございました。
 先日、各種事業にご協力くださった関係各位に発送をいたしまして、館内にも閲覧用を設置いたしました。そしてほんのわずかながら100冊分をご希望の方にプレゼントすべく、このようなページを設けてみました。もともとの発行部数が少なく、広くお配りできず申し訳ございません(そして送料をせしめてすみません…)。HP等での内容の公開もいたしませんので、館内でご覧いただくほか、もしご興味ございましたらお手数ですが22日(金)0時以降、メールにてお申し込み願います。
 専用ページとあわせて繰り返しのご案内となり恐縮ですが、記念館内での販売および配布はいたしません。今後の増刷の予定もございません。いかんせん発行元の実行委員会は長く続いてゆく組織ではございませんので、何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。次に結成されるのは50年後。きっと「秋聲生誕200年記念事業実行委員会」として帰ってくるのでしょう。そのときの参考のため、150年時を超えさらにパワーアップした記念事業を展開するための記録でもあるのです。



 


新生秋聲記念館
  2022.4.10

 ぬるっと新年度が始まり、さくっと4月7日が過ぎてゆきました。当館17周年の開館記念日です。毎年この時期になるとご紹介しておりますとおり、三文豪館は3歳ずつ違いますので、当館が17周年なら犀星館さんは20周年、某K花館さんは23周年。犀星館さん、開館20周年という大きな節目ですねーおめでとうございます! 昨年もたいへんお世話になりましたので、今年何か当館がお手伝いできることあらば、全力で駆けつけたいと思います。
 さて先日、年度末発行の館報「夢香山」最新号を当HPにアップいたしました。現物は館内に設置するほか、現在、関係各所への発送作業中です。今号は巻頭に上田正行前館長の退任挨拶を掲載いたしました。当館三代目館長として足かけ10年、館の顔として守護神として長くおつとめいただきました。なにせ人の好さにかけては天下一の上田館長でしたので、退任後もお忙しくされるご様子。そんな新生活の中からも、これからもきっと記念館をお見守りくださることと存じます。4月からは蔀 際子新館長が就任! 館の職員にも異動があり、新館長以下新体制で、またすこし館のカラーが変わってくるかもしれません。つなぐ展ビジュアルよろしく、もっともっといろいろな面をお見せしてゆきたい新生秋聲記念館をこれからもよろしくお願いいたします。
 さらに館報には、昨年の秋聲忌における松本徹先生のご講演録を載せました。そしてそれを上田前館長の寄稿でサンドイッチ! 秋聲らしき人物による漢詩についての考察です。つなぐ人々展では、その掲載誌「北辰会雑誌」の画像を金沢大学附属図書館さんよりお借りしてパネル展示しておりますので、あわせてご覧ください。
 館報の編集もさることながら、この冬から春にかけて生誕150年記念事業のまとめ冊子を編集しており、なんだかんだと慌ただしく過ごしておりました。そちらにつきましても追って情報解禁してまいりますので、ご興味おありの方、今後ともこちらのブログやツイッターをご確認いただけましたら幸いです。
 外は満開の桜、しかしながら本来ならば昨日か今日開催するはずだった呈茶会はなし…これで3年目の中止です。まだしばらくそれが本職でない記念館にとって、飲食のイベントは難しそうです。当館内での提供はかないませんが、いつもご協力くださっている吉はし菓子店さん(のわらび餅/左図)や米澤茶店さんはこの東山エリアで営業されていらっしゃいますので、お花見がてらお立ち寄りください。



 


企画展「秋聲をつなぐ人々」開幕
 2022.3.31

 27日、新企画展「秋聲をつなぐ人々」が開幕いたしました。お世話になりました全国21施設のみなさま、ご協力本当にありがとうございました。7月末までの長い開催となりますので、ゆるりとよろしくお願いいたします。
 今回は数年前の企画展「秋聲をめぐる人々」の姉妹展となりますので、チラシも同じデザイナーさんにお願いをいたしました。ピンクから青、緑へのグラデージョンが春・梅雨・夏までの三季節に対応! また、この虹色が作家と作家を〝つなぐ〟架け橋のイメージを表現します。さらに秋聲とつながる各作家の名の下に連なるのは、それぞれとの間のエピソード。雨粒がガラスを滴るように、それらが静かに地に落ち染みこみ、そして次世代へと彼らの関係性・人間性を伝えてゆく……といったコンセプトでございます。ただ、某K花さんブースに関しましては、つないでくれているのは明らかにお隣の犀星さんですけれども! 
 雨だれで思い出されるのは島田清次郎。以前にもご紹介いたしましたとおり、一次資料の所蔵がございませんので雑誌や書籍を中心に、島清と菊池寛コーナーにまたがる形で、菊池寛主宰「文芸春秋」大正13年7月号を展示いたしました。ここには、清次郎の随筆「雨滴(あまだれ)の音を聴きつゝ。」が掲載されています。唐突に自宅に押しかけてくる清次郎を断固拒否しながら、この作品の掲載については便宜をはかったという寛。本展は各作家と秋聲展であると同時に各作家同士も横にゆるっとつながってゆく、そんなあたりをお楽しみいただけましたら幸いです。展示自体この春から金沢で暮らし始めることになった方々、秋聲にはじめて触れるという方々を対象にした節がございますので、基礎的な情報が多く、ディープな内容を求めていらっしゃる方々にはたいへん申し訳ないのですが、どうか当館の〝初心〟にお付き合い願います。
 3月31日、金沢は雨。島清の「雨滴の音を聴きつゝ。」の題から連想された秋聲の随筆「雨を聴きつゝ」を「不定期連載」にアップいたしました。「芸術は主観といつても客観といつても、所詮自己表現である。自分の声で自分を歌ふことである」。ぜひお読みください。



 

「五木寛之の新金沢百景」放送
 2022.3.26

 21日、テレビ金沢さんご制作の表題の番組の「作家が愛した金沢の味」特集が放送となりました。2月頭に某K花、犀星の両館学芸員とともに収録いたしまして、ものすごくソーシャルディスタンスを確保できるホテルの立派な会場において立派な秋聲パネルをバックに、戸丸彰子アナウンサーのご進行のもと三文豪の食の好みについてあれこれお話しさせていただきました。
 よくクイズ番組などでお見かけするフリップなるものも初めて書く機会もあり(記念に持って帰りました)、その内容は「治部煮」。秋聲が愛した金沢の味といえばこれ一択でございましょう。秋聲は「鶫(つぐみ)の羹(あつもの)」として自身の大好物かつ、おふくろの味として小説その他に何度となく書き記しています。某K花さんは「クルミのあめ煮」(テレビのお約束として植物(クルミ)はカタカナ表記、「あめ」は平仮名表記と決まっているそうです)、犀星さんは「川魚」。それぞれ調理されたものを作家の五木寛之先生が試食なさって、モニターを通じてコメントされるのも番組の見どころのひとつです。
 それから放送で流れたかどうでしたか、秋聲が語る某K花さんの○○嫌いエピソードについてゆるくお話ししてきた記憶があるのですが、舞台上ではどうしてもその出典と正確な文言を思い出せず、「秋聲が“あの子○○嫌い”って言ってましたー」みたいな隣のクラスの子の給食のお残しを先生に言いつけるみたいな拙い言い方になってしまったことをひどく反省いたしまして、次回「秋聲をつなぐ人々」展の某K花さんコーナーにそのくだりを引用してみました。ちなみに秋聲の回顧録『思ひ出るまゝ』にある記述です。また、秋聲が犀星さんから金沢の銘菓「長生殿」を贈られたという記録も実物資料でご紹介予定です。噂の「蟹」色紙は展示いたしませんが、妹フデさんから送ってもらった蟹に対する礼状は出品! 番組をご覧いただければ少し展示と繋がるところもあり、より面白いかもしれません。YouTube版は今月末まで配信があるそうですので、見逃された方、あるいは県外にお住まいのみなさまもぜひこちらからご覧ください。
 放送で、秋聲はなかなかものを手放しで褒めない、といった基本姿勢について述べました。そこで最後に、金沢という街に対する秋聲の所感からその一例をご紹介。「このほど金沢より帰京。金沢は金屏風と、骨董屋と料理屋の町に有之候(これありそうろう)。どこの家へ行つても本式の御饗応にあづかり候。しかし其の料理は料理屋のものと雖(いえど)も、所詮素人料理に過ぎず候。田舎としては開発致しをり候。(後略)(「一日一信」大正4年6月19日)。繰り返しになりますが、番組テーマは「作家の愛した金沢の味」です。




 

HP更新再開のお知らせ
  2022.3.25

 HPのメンテナンスが終了いたしました。この間に連続講座最終回、木谷喜美枝先生による尾崎紅葉回も無事終了。3月になってもまん延防止下でありましたのでリモートでのご出演となりましたが、ここで改めて師弟の関係性をお話しいただくことで秋聲の出発点に帰る形となって全4回の講座が途切れることなく開催できました。木谷先生、サポートスタッフさま、ご参加のみなさま、本当にありがとうございました。
 そして21日をもちまして、記念企画展「祝賀会のこと」もついに閉幕。これにて生誕150年記念事業、完遂でございます。一年をかけ、一緒に盛り上げてくださったみなさまに心よりお礼を申し上げます。そうしてようやく、これら事業にかかわる書類整理に着手いたしまして、デスク横に山のように積み上がった企画書、予算書、進行表、その改訂、さらに改訂…などなどを見返しながら、あぁこの頃はあれもしたいこれもしたい、とたくさんの希望に燃えていたなァ…これはこのあと思わぬ出会いによってこう転がっていったのだった…こっちはコロナで結局断念せざるを得なかったね…と、さまざまなもの思いに耽りました。すべてザッとファイリングしてサッと切り替え!という訳にはなかなかゆかず、未練がましくその名残を具現化したひとつが次回企画展「秋聲をつなぐ人々」。27日(日)より開幕いたします。ここにいたる記念事業の数々は、アーカイブとしてトップページに残しましたので専用バナーよりご覧ください。
 以前にもご紹介いたしましたとおり、次回企画展は生誕150年記念協力展示にご参加くださった全国21の施設さまとそこで顕彰されている作家さん方と秋聲とのつながりをご紹介するという内容です。ご恩返しのつもりが、やれ資料画像を貸してくれいだの外観画像を送ってくれいだの、各施設さまにはかえってたいへんなお手数をおかけしてしまいましたこと、この場を借りてお詫びを申し上げます。どちらさまも心のあたたかな素敵な施設ばかりですので、自由に行き来ができるようになればぜひぜひご訪問ください。昨日をもちまして金沢建築館さんの展示が終了し、残すところ福島県のこおりやま文学の森資料館さんの協力展示が今月いっぱいとなります。なお、同館で顕彰される作家のひとり・久米正雄につきましては、7月からの次次回企画展で中心に扱ってご紹介する予定ですので、今回のつなぐ展では予告程度のご登場となりますことをお含みおきいただけましたら幸いです。



 

HP更新停止のお知らせ
  2022.3.4

  昨日3月3日は正宗白鳥のお誕生日でした! 当館だけ知らず2月31日を生き、まだギリギリ2月だもんね感を醸しながら清次郎お誕生日を語っている間に周回遅れになってしまった感! 次回「つなぐ人々」展で言いましたらば、白鳥さんは吉備路文学館さんのテリトリーにいらっしゃいます。秋聲と仲良しの近松秋江とともに吉備路すなわち岡山県のご出身であるため。もちろん次回企画展にもご登場で、それこそ「つなぐ人々」と兄弟姉妹展となる過去の「秋聲をめぐる人々」展以来、4年ぶりにその自筆原稿「秋聲氏について」を展示予定です。とはいえ、昨日もご案内いたしましたとおり全 21施設さま分の内容を当館の狭い展示室に盛り込んだ結果、それぞれの持ち場が非常に狭く…パネルにして各人横70~80センチ分くらいしかスペースの確保ができませんでしたので(そして当館のパネルの文字はわりと大きめ)、その内容がとても初歩的なものになってしまうことをお許しください。言ってみれば、秋聲検定初級編予想問題集のようなテイストです。犀星記念館さんが今年開館20周年ということは、3つ年下の当館は今度の4月7日で開館17周年(18年目)。17年のうちに計54回を開催してきたさまざまな企画展の総復習のような雰囲気で、これまでに各展をご観覧くださった方はその時々を懐かしみつつ、初めてご来館くださる方は、これを観れば秋聲検定初級編合格確実!といったお気持ちでご覧いただけましたら幸いです。
 ついでに3月3日は「耳の日」でもありました。ついこれに反応してしまうのは、現在、年度末に発行予定の館報「夢香山」第14号の編集中だから…今号には昨年11月開催の秋聲忌における記念講演録を収録予定で、秋聲研究の大家・松本徹先生が秋聲を〝非常に耳の良い作家〟としていくつかの事例をご紹介くださっています。長引くコロナ禍において、イベントの募集人数もどんどん縮小せざるを得なくなり、たくさんの方にご参加いただけない分こうしたアーカイブでぜひ内容をご確認くださいませ。4月以降、当館内をはじめ近隣施設に設置していただくほか、準備ができ次第、PDFでHPにも掲載予定です。
 そして最後にお知らせです。昨年、生誕150年記念の特設サイトをつくったりあれやこれやとページをいじりまわしている間にまたも当HPが「オナカイタイ!」と言い出しましたので、これから10日間ほどメンテナンスのため更新を停止いたします。何か動きあらばTwitterのほうでご案内いたしますので、こちらしばらく動きませんがよろしくお願いいたします。



 
 

秋聲をつなぐ人々
 2022.3.3

 去る2月26日は島田清次郎の誕生日でもありました。それと前回記事のテーマ・作中における変名の話題を掛け合わせれば、佐藤春夫の『更生記』が導きだされてまいります。大正12年、清次郎の起こした婦女誘拐事件が盛り込まれた本作において、清次郎は「浜地栄三郎」として登場、その「浜地が同郷の先輩時岡鶏鳴に縋つて善後策に奔走した」とある「時岡鶏鳴」こそ我らが徳田秋聲。「と」始まりに「けーめー」の長音が秋聲と響き合うお名前ですね。『更生記』、次回企画展で初版本を展示する予定にしております。
 3月27日(日)から開催予定の新企画展は「秋聲をつなぐ人々」。昨年の生誕150年記念に開催するはずがコロナの影響により資料借用の目途立たず、一度見合わせたテーマです。しかしながら年が明けてもさほど状況は変わらず、外部からの借用は諦めたまま少し目先を変えた形で開催することといたしました。今も金沢建築館さま、こおりやま文学の森資料館さまが秋聲コーナーを設けてくださっておりますとおり、昨春より全国21施設のみなさまに秋聲生誕150年記念展示へのご協力をいただきました。その記録を何かわかりやすい形で残したい、との思いから今度の企画展にぶつけてみまして、各施設さまそれぞれが自館所蔵資料でもって秋聲とつながる人・物をご紹介くださったそれをそのまま、当館所蔵資料でもって総まとめ的にご紹介しようという試みです。
 清次郎はといえば金沢くらしの博物館さまからの繋がりで、同館の建物は明治32年創設「石川県第二中学校」、清次郎の母校です。といって清次郎の自筆資料は所蔵がございませんので(石川近代文学館さんが多くお持ちですが、今回は当館の収蔵資料展といった性質もあり)、関連の秋聲著作や雑誌の展示が中心になります。そうして全21施設の内容をぶちこみましたら中身は脈絡のないぶつ切れ展になるかしら…とも心配しましたが、みな同時代を生きていますから案外つるつると次のテーマを引き出してくれるような構成となりました。秋聲と繋がる人々展であるとともに、こうしたご協力によって秋聲の名を後世に繋ぐ役割を果たしてくださった人々(各施設)展でもあるのです。
 なお、協力展のお声がけはまったくの当館の任意によるもので、アァッこちらにもお願いしてみればよかった! と今になって思われる施設さまもございますし、ご検討くださったけれども、難しかったよゴメン!!という施設さまもございます。通常こうした施設はバッチリ予定が組まれており、かつ過密スケジュールで運営しておりますので、生誕150年にかこつけ、もともとかなり無茶なお願いを(急に)させていただいたのだという裏事情です。
  
 

 


変名のパターン
 2022.2.27

 つい日めくりカレンダーをチェックする癖がついてしまいました。昨日2月26日は「脱出の日」とのこと。すごくざっくりしている! 何からの!? ともうこれを調べずしてほかのお仕事は手につきません。曰く、かのナポレオンが1815年、流刑先のエルバ島を脱出してパリに向かった日だそうです! 
 正解がわかったところで、秋聲記念館的に2月26日と来て「脱出」と来れば、先に脳内から走り去ってゆくのはナポレオンより菊池寛。昭和11年2月26日、いわゆる二・二六事件のまさにその日に秋聲の次女喜代子と作家寺崎浩は結婚式を挙げました。その媒酌人であったのが菊池寛で、しかし朝から不穏な空気漂う中、延期すべきかという話し合いが持たれます。延期でいーんじゃないの、と炬燵の中から言う秋聲。念のため披露宴会場に問い合わせると、今のところ変わったこともなし、かつ今日やらなければ披露宴代は支払わなければならないとのこと。結局、中村武羅夫の、悪いことをするんじゃなし、心配ないさ、の一押しで、式は予定通り執りおこなわれることになりました。とはいえ狙われているかもしれない寛の身の安全を考慮し、媒酌は別の人にやってもらって文芸春秋社の面々さえ社長(菊池寛)のゆくえは誰も知らない…ということが書かれているのが新郎・寺崎浩の『ある回帰』(蝸牛社、昭和53年)。本作は自伝的短編集と銘打たれており、この縁談を仲介した改造社の水島治男は「生島」、寺崎本人は「園」、新婦・喜代子は「伊予子」、そして徳田秋聲は「奥間悠星」として登場します(なお、寺崎の師・横光利一や菊池寛は実名にて)。
 奥間悠星、うまいことできていますね! 口いっぱいに何かを頬張りつつ「徳田秋聲」と言ってみれば「おくまゆうせい」に聞こえそうです。未読のまま恐縮ながら、同じ日の出来事を書いた尾崎士郎の「菎蒻」には「秋山無弦」として出てくるとうかがいました。そうですかそうですか、秋を残して匂わすパターン…と思えば、広津和郎の『薄暮の都会』に出てくる秋聲らしき老大家は「宮田春潮」、橘外男の『酒場ルーレット擾乱記』では「簔田冬巌」…なるほどなるほど他の季節に移すパターン! いまパッと思いつきませんが、夏バージョンの秋聲もどこかにいるのかもしれません。なお、某K花さんが「薄紅梅」に書く秋聲は「久須利苦生(くすりくせい)」。あぁそうですよね、胃弱の秋聲ってば薬くせ…あれっただの悪口パターン…??





火鉢案件はさらに後
 2022.2.24

 昨日のつづきで某K花さん資料の件、自筆のものでは秋聲宛書簡が1通と年賀状が存在している旨が伝えられていますが、実物を見たことはありません。前者は雑誌「文芸通信」昭和9年10月号「特輯・文壇人私信集」に封筒の写真と本文が活字で掲載されており、何か別の調べ物をしている時にたまたまこれにあたってギャッとなったものですが、同誌からの孫引きの形で普通に『鏡花全集』に収録されているのでした。
 明治41年3月6日付(全集では明治40年と訂正)、逗子からのお手紙で「たびたびお邪魔いたし候、あひかはらずおいそがしいのお節句にはさぞみいちやんがお喜びの事と存じ候/さて此のあひだ趣味の西本氏おみえにて四月の号へ短篇寄稿せよとの事その心がけいたしをり候が冴え返つた四五日の寒さにからだ少々ぐあひわるく間にあはせかね勝につき次の号へ御猶予とあしからずお序に御伝言下され度、最もたしかにお約束はせざりしかど小生よりぢかにてはにべもなき事にあひなり候まゝ貴兄御親交これあり候だん承り候につきお手数恐縮ながらお願ひ申上げ候/炬燵から見る梅雨情なり御来遊いかにいかに/六日/鏡/秋聲大兄」とのこと。
 明治36年に紅葉が死去し、明治44年に秋聲が『黴』を発表するまでの間の出来事です。これを読む限り、少なくともこの頃には頻繁に往来があり(書簡の?)、さらにはみいちゃん=秋聲長女・瑞子(みずこ、当時3歳)の存在を把握し、そして体調すぐれぬなか秋聲を頼りにしている…そんな某K花さんの姿が見えてまいります。しかしながら前述のとおり実物の所在は不明。当時きっと秋聲本人から提供されたものと思われますが、雑誌社への貸借の過程でその所在があやふやになってしまったのでしょうか。
 後者の年賀状についても秋聲長男一穂が記録しているのみで、実物は未確認です。平たく「不仲」とはいえ、さすがにこれだけということはあるまいよ…と思いつつ、残されたこの手紙に出てくる「みいちゃん」がこののち大正5年にわずか12歳で亡くなったとき、あの彼はお悔やみひとつ寄越しやしない! と珍しく恨み言を綴る秋聲の姿と繋がってきて、いろいろいろいろあったんですねぇ…とまったくの出歯亀根性で恐縮ながら、その一端を見せていただいている思いがいたします。
 二人の不仲のそのまた一端をひもといてくださった北村薫先生の『中野のお父さんは謎を解くか』、文春文庫さんより文庫化されまして、その解説を不肖当館学芸員が担当させていただきました。解説…というより「秋聲記念館の人が読むとこうなりました」という一例としてご笑覧ください。館内ショップでもお取り扱いを開始いたしました。





いづみの日
 2022.2.23

 おとといの日めくりカレンダーに「漱石の日」とあり、オヤお誕生日でしたっけ?? と調べにゆきましたらそうでなく(旧暦なら1月5日、新暦なら2月9日)、ま、まさかニャーニャーニャーで〝吾輩は猫〟にちなんで…!? とハッとしたのですがその日はまだ2月21日。ニャーニャーニャーにはちょっと早く、結論的には「1911年(明治44年)のこの日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として辞退する旨を書いた手紙を文部省専門学務局長の福原鐐二郎に送った。この逸話に由来して2月21日は「漱石の日」と呼ばれる。」とのことでした(検索して最初に出て来たネット記事より)。称号をもらった日でなく、断った日が記念されるあたり、さすが漱石…。
 翌日の2022年2月22日、「スーパー猫の日」は火曜につき、あいにくの休館日。といって「私も動物は犬も猫も嫌ひですが、小鳥は好きです。」(秋聲『籠の小鳥』より)、アッ、ハイはしゃいですみません。例によって秋聲と猫では何も広がらないのでした。実は娘さんの希望で徳田家には猫がいたことがあり、代々「マリ子」、「ルネ」、名の明かされないペルシャ猫の3匹が、その題も「猫」(昭和9年)なる随筆に登場しています。が、全体的にちょっと可哀想な感じで、「スーパー猫の日」に乗っかるべき作品の雰囲気ではございませんので、こちらはまた別の機会にご紹介させていただくことといたします。
 そして本日23日は天皇誕生日であると同時に「風呂敷の日」であると聞きました。2(つ)・2(つ)・3(み)で風呂敷なのだそうです(秋聲「縮図」モチーフ風呂敷販売中です。よろしくどうぞ!) これがいけるなら1(い)・2(づ)・3(み)もいけるんじゃないかしら、としょうもないことをフと思ってしまったのは、本日より当館再現書斎前に某泉のK花さんの資料をお出ししたため。犀星館さんの施設改修工事が終わり、今度は川向こうのK花館さんが工事休館に入られたため、当館のほうで少しだけ関連資料をご覧いただけるようにしてみました。しかしながら自筆資料をはじめ初版本などほとんど関連資料を所蔵しておりませんので、書籍が2点、自筆短冊が1点、雑誌が2点と本当に気持ちばかりの展示でかえって恐縮です。しかもいずれも当館独自の収集品。だって徳田家にないゆえに…驚くほど…ないゆえに…
                               (たぶんつづく)





「所感」
  2022.2.21

  「岸田(※國士)氏編輯の本誌二月号にはフランスの文芸賞の一覧表があつたが、あの数の多いのに驚いたのは一人私のみではあるまい。作家の生活を潤すといふ意味で、文芸賞のあるのは勿論結構である。しかし、我国には文芸賞といつたものは最近まではなかつた。稍々類似のものとして、勿論性質は違ふが、雑誌や新聞の懸賞募集があるばかりであつた。だから、将来文芸院でも出来るやうなことがあれば、その仕事の一つとして、文芸賞の設定といふやうなこともなければなるまいと、私は予てからこんなことを考へてゐた。尤、雑誌や新聞の懸賞募集の選にしてもそうだが、さうした賞を出す場合その作品の銓衡といふのは随分困難のことである。加之、これは一つ間違ふと、対世間的にではあるが、その価値判断が誤らしむるやうな傾向を生じ、芸術の真の価値が没却される怖れがないこともない。だからこんなことも考へると、文芸賞の設定は軽卒には振舞へないと私は思ひ返した。併、我国にも最近幾つかの文芸賞の設定を見、文芸懇話会も仕事の一つとして昨年度から賞金を出し始めた。私は懇話会のメムバーの一人だが前述の意味から、作家が物質的の保護を受けるのはどうかと考へてゐた。処が本年度の受賞者の一人として私が選ばれた。私は最近病床にあつて懇話会の毎月の例会にも出ない。原稿の書けないのは勿論である。さうした私の状態に会員諸氏が同情された結果私が受賞者の一人として選ばれたといふやうに聴いたので、それに近親の人の勧めもあつたので意見は意見として遠慮せずに頂くことにした。だから他にもつと適当の人があつたのぢやないかと賞は頂いたものゝ内心忸怩としてゐる。今聴けば決して私の病床にある状態に同情した結果ではなく飽く迄作品本位の銓衡だといふがそれならばそれ程の力作でない丈に一層恐縮に耐へない。」   (徳田秋聲「所感」/「文芸懇話会」昭和11年7月号)
 
 秋聲が短篇集『勲章』で第二回文芸懇話会賞を受賞した際の所感です。そもそもの賞の性質や時代性ももちろんもありますが、文芸賞=名誉であるより先に〈作家の生活を潤す〉と来るあたりが実に秋聲らしい部分でもあり、そして〈対世間的〉な〈価値判断〉と、〈芸術の真の価値〉の〈没却〉を怖れるあたりにもの思わせられるところあり、ここに全文を引用いたしました。「この神は殿堂を構へず、この名人は高塔に住はず」(非凡閣版『秋聲全集』内容見本より)とは川端康成の言で、その作家性の評としてなかなか荘厳に過ぎるにせよ、実際に賞をもらってさえ懐疑的というか内省的というか着実というか地に足がついているといいましょうか…外側だと思っていたら急に内側に入れられてしまった戸惑いも感じつつ、傍から見れば、やはりどこか捻くれ者の影の重なる秋聲です。

 舞台「文豪とアルケミスト 捻クレ者ノ独唱」ご終幕、おめでとうございます。





「ほくりく散歩道」
 2022.2.20

 本日の「北國新聞」朝刊の「ほくりく散歩道」におきまして当館を大きくご紹介いただきました! 加賀市ご出身の作家・子母澤類先生が各地をめぐるシリーズで、今回は当館にお立ち寄りいただいた次第です。頻度をあげるとかなんとか言っていながらこうしたことがなければなかなかブログ更新にいたらずで申し訳ございません…! 雪に降り込められ(というほども降ってはいないです)その下の蟹のようにジリジリと次の企画展の準備をしたり、館報の編集をしたり、その他もろもろの活動をしております。起きています、生きています。
 子母澤先生はとても気さくで素敵なお方でいらっしゃいました。記事では主に『仮装人物』と『町の踊り場』についてご考察くださっていて、とくに『町の踊り場』では、以前Twitterのほうでご紹介いたしましたとおり、作品の舞台のひとつともなっている旧正田邸が現在「町の踊場」という名でお宿となって活用されておりますので、そちらにもお寄りになったとのこと。最近、土蔵の中が新しくカフェに生まれ変わり、宿泊客でなくとも利用できるようになったと聞きつけ、昨年11月、記念館一味も名誉館長とともにお邪魔してきたのでした。母屋の宿泊棟のほうも「雲のゆくへ」と「蒼白い月」の二部屋仕様となり、いずれも秋聲の作品から名付けられています。子母澤先生の記事にも「黴とか爛とか暗い題名が多いから…」というくだり(名誉館長談)があるように、さすがに「黴の間」「爛の間」というわけにはまいりませんでしたね…。黴の間とか、ちょっとくさそうですものね…。雲のゆくへ、蒼白い月、秋聲にもそんな美しい作品タイトルがございました。ナイスチョイスでございます。見つけてくださりありがとうございます。
 我々が蔵カフェにお邪魔した際には、ちょうど秋聲が作品に登場させているドヴォルザークの「ユーモレスク」が蓄音器の音色で流れておりました。100年前の秋聲の時代に通じる空気にひたりながら、こだわりの水出しコーヒーとケーキセットがいただけます。「ユーモレスク」が登場するのは長篇小説『蘇生』(大正13年)中。登場人物たちが演奏会に出かける場面があり、そこで披露されるのが「ベートヴエンの三重奏や、クライスラのリイベスフロイドにシウベルトのモメントミウジカル、それにドブオルジヤクのユモレスク」ほかと書かれています。ちなみに本作ヒロインは「山野葉子」と申します。奇しくも『仮装人物』(昭和13年)ヒロイン「梢 葉子」と同じ名をもっておりました。



 


手記探訪
  2022.1.30

 先日、秋聲の筆跡のお話をいたしました。そこからの「教育書道 日本習字ペン部」ドン! こちらもすっかりご紹介が遅くなり申し訳ございません。昨年末、ひょんなご縁により日本習字教育財団さまの上記機関誌に秋聲資料をご掲載いただいておりました。しかも昨年11月号・12月号と連続です。
 11月号のほうには、古今の名文を書いて楽しむ自由課題「名作を書く」コーナーに正宗白鳥『入江のほとり』の本文が採用されたことから、その先の「手記探訪」コーナーに参考資料として白鳥筆 秋聲宛葉書の写真をご掲載いただきました。当館のいつかの白鳥展で初公開したものです。
 「春は関東の方がよいやうです 旅行しても大して面白いこともありません」…オォほとばしる白鳥節…。白鳥の辞書にリップサービスの文字はなし。尾道の名所絵葉書に、毛筆の豪快かつ独特の筆致でもってそう記されています。つい旅行先をくさしがちなところは秋聲とも少し似ているかもしれません。これを受け取った秋聲はきっと小さく微笑んだことでしょう。
 つづけて12月号には、白鳥さんからバトンを受け取った秋聲が「名作を書く」コーナーに登場! 自伝小説『光を追うて』から、少年期、新しい書籍に触れたときの喜びが綴られた一節が引用され、書くことで末雄少年の高揚する気分を追体験できるようになっています。そして「手記探訪」に、代表作『縮図』の自筆原稿写真。秋聲が作品中絶の道を選んだことのわかる、まさにその最後の一枚です。白鳥さん書簡の画像提供手続きをさせていただきながら、あの…秋聲もネ…味のある…いい字を書きまっせ…(ソッ)と、ご先方をチラチラ見つつ押し売りをした記憶はすでに山のあなたの空遠く…。本誌は内容的に会員さん向け通信教育用テキストのようにお見受けします。日本習字教育財団さま、ご紹介ありがとうございました。文字の方面からも白鳥、秋聲の作品に触れていただくきっかけがひとつできました。
 秋聲が自分の字に自信のないことは前回ご紹介したとおりで、でも偉ぶっていると思われるのが嫌で揮毫の依頼には渋々応じていたところ、それが転売されたり雑誌の景品になっているのを発見してヤダ、ヤメテヨーーーと言っているのが昭和3年の随筆「近事片々」(白鳥の洋行の話から始まります)。書くのは苦手だけれど字を見るのはお好きだったそうで、このあと中国の書家・〝書道の神〟たる王羲之(おうぎし)についてけっこう熱く語っています。
 
 
 


「自筆原稿から透けて見える作家の物語」
 2022.1.27

 昨日の記事のつづきです。秋聲の藤村評「風格を崩さぬ作家」(談話)より、「去年の夏、或る処で田山君だの泉だのと一緒に酒の席で逢ったことがある。少し酒が廻つた頃興が湧いたかして何か書かうと一同が云出した。が藤村氏自身は何にも書かない。花袋君は興に乗つて沢山の筆を走らせた。こんな折には氏の心には実際感興が湧いたのか、湧かないのか、判断に苦しまされる事がある。然しそれは必ずしも故意からではない。氏の作品を通して見出される氏の個性の反映と見れば、見られるであらう。」――完。そんな文章でございました。えっ藤村君たのしんでる? たのしんでない? どうなの?? と藤村の顔色を秘かに観察している秋聲と、無邪気にたくさん揮毫する花袋さんの様子が微笑ましく想像され……ると同時にそこに「泉」もご一緒と言っていますね! 果たして何の会だったのでしょうか。そして寄せ書きか何か? それは今どこに? 大正9年の夏――今後ちょっと意識してまいります。
 ちなみに結局この時書いたか書かなかったか、藤村の筆跡について秋聲は「藤村氏の毛筆を揮(ふる)つた字は現文壇では珍らしい典雅なものだが、或るものは見てゐると底凄く襟を正さしめる。しかも必ずしも剛ではなく、温柔親しむべきである。」と語っています(現在、館内再現書斎コーナーで藤村自筆書幅を展示中!)。その他、「紅葉や漱石や花袋や有島、里見の諸氏は、その書も亦(また)文学とともに珍重すべきもの」、しかしながら自分自身については、そんな風に「いくらか目が利くだけに、自分の拙いのがまざまざ目に見えて、書くのが辛い」(「灰皿」昭和13年7月)そうで、「高ぶつてゐるやうで悪いから、(依頼された)色紙や短冊は力(つと)めて書くことにしてゐるが、この方もふつつり諦めてゐる」とのこと…。
 そ、そんなことないよォ~いい字をお書きになりますよォ~~…! そんな秋聲の筆跡につきましては、明日28日(金)午後6時半頃~テレビ金沢「五木寛之の新金沢小景」第889景、「自筆原稿から透けて見える作家の物語」でぜひご覧くださいませ。3分ほどの短い番組ですが、「金沢の三文豪」と称される某泉のK花さん、犀星さん、秋聲三者の自筆原稿を特集していただきました。展示室ではレプリカをお出ししている秋聲の絶筆「古里の雪」のオリジナル原稿が紹介されようかと存じます。昭和17年2月、秋聲最後の帰郷に基づいて書かれた未完・未発表の作品、最晩年の筆跡です。





藤村生誕150年
 2022.1.26

 石川県にも明日27日(木)より2月20日(日)まで「まん延防止等重点措置」が適用されることになりました。現状では当館を含む県内博物館系施設の臨時休館はしない方針です。これまで通り、当館では同時入館20名様までで一時的に入館制限をかける(各施設規模により上限人数は異なります)等の措置をとりつつ開館してまいります。
 なお、そんな中で恐縮ながら昨年開講いたしました秋聲生誕150年記念連続講座の最終回、延期延期となっていた尾崎紅葉回の日程が決まりました。開催は3月19日(土)、お申し込みは2月19日(土)からお電話にて。受付開始日がまんぼう期間に含まれてしまいましたが、今のところこのままの予定で進行いたします。状況によっては昨年9月、第2回の川端康成回同様、講師の木谷喜美枝先生がリモートでのご出演になるかもしれません。その旨、お含みおきいただけましたら幸いです。
 さて、花袋秋聲生誕150年の年が過ぎれば今年は島崎藤村の生誕150年記念イヤーですね! 花袋秋聲には生年の旧暦(1871年)・新暦(1872年)問題があり、どこを150年とするかはなかなか難しいのですが、一応本人たちの認識でゆけば彼らの一つ年下になる藤村さん。現在開催中の「祝賀会のこと」展で、大正9〈1920〉年、花袋秋聲誕生五十年祝賀会(数え年)の翌10年2月17日に藤村誕生五十年祝賀会(数え年)が開催されたことをご紹介しています。席上挨拶する藤村の口絵のある「新潮」大正10年3月号を展示のほか、あわせて展示しようと思いながらスペースの都合上断念してしまった「信州」なる雑誌の大正10年3月号でも藤村誕生五十年記念特集が組まれており、秋聲は藤村評「風格を崩さぬ作家」(談話・全集未収録)を寄せています。
 その書き出しは「この乱作の多い今の文壇で、藤村氏だけは如何にも風格を崩さずに会心の作のみを、つまり書かねばならぬといふものばかりを発表して居られるといふ状態は、一寸(ちょっと)羨ましい」、これには田山君も同意だって~と書き添えながら、続けて藤村のパーソナルな部分について「藤村氏の言葉とか行為とかは、一寸浅い附合いではどの辺に氏の真意があるか、解り兼ねるやうな場合が私には多い。是(これ)は氏の小説などにも見える通り、氏は自分の表現がどうしたら含蓄を最も多くする事が出来るかといふ様な事を非常に工風(くふう)されるやうで、その為めに或る時には堅苦しくなる事があるやうだ。日常の談話などにもさうした点があつて何となく重々しい気持がする。すつかり言つて仕舞はない。すつかり書いて仕舞わない処がある。然しそれでいて話は仲々好きな方である」…               (つづく)





新刊『ファイヤ・ガン』(秋聲著・赤池佳江子絵)
 2022.1.19

  気持ちを新たに~と言ったそばから昨日火曜は休館でして、さらに昨年こちらで取りこぼしてしまった大事なものものの振り返りから始めまして恐縮です。生誕150年という節目のおかげさまで、昨年は出版物にも恵まれ館内ショップが一気に賑やかになりました。
 そのうちのひとつが昨夏、北陸中日新聞さんに連載(再掲)されました秋聲の短篇小説「ファイヤ・ガン」。もとは大正12年9月の関東大震災直後に発表された作品で、その本文は当館オリジナル文庫のうち短編小説傑作集II『車掌夫婦の死・戦時風景』にも収録されておりますが、そちらにあってこちらにないもの、そう挿絵です。今回新聞への再掲に際し、金沢でご活躍のイラストレーター・赤池佳江子さんが毎回とても味のある力のこもった挿絵をご制作くださり、それもすべて収録した形で去る12月23日、秋聲150歳のお誕生日に本作が冊子化されました!
 ちょっとこれまでにないタイプの秋聲関連の刷り物です。発行元は市内の石引パブリックさん。その立地を当財団所属施設的に申し上げると、秋聲記念館を出発して金沢くらしの博物館さんのもうちょい先の右っかわ…同店舗ではこれら書籍の販売とあわせてカフェ営業もされていて、HPのトップページに秋聲、漱石と並んでのっかるあんこクリームチーズサンド、ホットチョコ、アップルシナモントーストクリームチーズ…な、なにその秋聲の好きそうなメニュー…! あんことチーズとトーストだなんてぜんぶ秋聲が好きなやつー! りんごといえば秋聲由来のりんごの「秋星」ー! 見ているだけで途端に楽しくなってまいりました。すっかりあんこの口のまま本題に戻りまして、本書巻末解説を当館学芸員が担当させていただいたほか、何よりつくりがとてもおしゃれで、赤池さんの挿画の映える版画めいた特殊なプリント技法は「リソグラフ印刷」というそうです。おまけに帯が四色展開! 当館ではご購入の際、お好きな色の帯をお選びいただけますので、プレゼントにはお相手のイメージで選ばれてみても素敵ですね。
 しかしながらショップが賑やかになった一方、雪やら何やらのおかげさまで館内はひっそり閑…また明日にかけ日本海側で大雪のおそれ、と今ほどネットニュースに上がっておりました。そんな明日は「大寒」とのこと。ご遠方の方は石引パブリックさんのオンラインショップをご利用ください。長期休館中の犀星館さんに代わりまして、龜鳴屋さんの『犀星映画日記』のお取り扱いもおありですよ!
 




2022年、〝151年〟の開幕
 2022.1.17

 あけましておめでとうございます。と、遅ればせながらご挨拶させていただきます。おかげさまで生誕150年=2021年が終わりまして、あっという間に年が明けてしまいました。新暦のお誕生日(1872年2月1日)でいうとまだ生誕150年かな? どうかな? といまだ下半身を150年の名残にどっぷりと浸しながら、かろうじて上半身だけで秋聲生誕151年を始めようとしております。戦友・花袋記念文学館さんとメールでアレコレ業務連絡を交わしつつ、アァ花袋記念文学館さんはもう気持ちを切り替えて走りだしていらっしゃる…年明け早々1月8日から新しい展示(「料理は味よりも香を」後期展)を公開されるだなんて実に驚くべきエネルギー……と、それに当てられるフリをしながらまた上半身をへちゃ…とさせているところです。150年のもろもろにかまけてサボりがちであった寸々語を、リハビリのようにぽちりぽちりと再び書き始めるところからスタートさせてゆきたく存じます。本年も何卒よろしくお願いいたします。
 とは言いながら年度で動いておりますので3月末までが一応生誕150年事業期間。ぬるぬる動く当館のいっぽうで、全国各地各館のみなさまが「協力展示」の形で秋聲を盛り上げてくださっております(青森県近代文学館さま、11日の会期終了ありがとうございました! たいへんお世話になりました!)。開催中の菊池寛記念館さんにおけるコレクション展「徳田秋聲と菊池寛」につきましては、今月10日(月・祝)までの会期予定であったものがなんと23日(日)まで延長決定。田端文士村記念館さんの秋聲資料も同日までご覧いただけますし、大阪の川端康成文学館さん、福島のこおりやま文学の森資料館さん、金沢建築館さん、某K花記念館さんはも少し会期ございます(金沢大学附属図書館さんは20日まで!)。ひとさまにばかりやらせて怠けているわけにはまいりません。そういえば先日、たまたま野口雨情作詞の童謡「赤い靴」のお話をしていて、どうしても「赤い花」と言ってしまう発作が起こって困りました。思えば雑誌「赤い鳥」のときも同じ症状が出ていました。いたしかたなし、年度末発行の館報や事業報告もろもろを手がけている間は、元気な半魚人かケンタウロスのように生きてゆくことといたします。




 

 

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