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寸々語(すんすんご)とは、秋聲の随筆のタイトルで、「ちょっとした話」を意味します。
秋聲記念館でのできごとをお伝えしていきます。
第8回「秋聲とお座敷あそび」開催 |
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2023.5.29 |
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実に23日ぶりの更新、失礼いたします。そして晴れて今月27日、3年ぶりの「秋聲とお座敷あそび」を開催いたしました。ご参加・ご周知くださったみなさま、ありがとうございました。![]() 最後に主催者として少しご挨拶をさせていただく中で、「この館にほんとうに芸妓さんが来てくださる、お座敷あそびを体験できるって、なかなか信じていただけないんですけどォ~」というあたりでみなさまが深く頷かれたのが印象的でした。実はもう8回目なんですよ…! ひがし茶屋街と隣接する当館ならでは、そして、幼少期から茶屋町に出入りしていた秋聲ゆかりの催しとして、来年以降も開催するつもりにしております。季節によって演目も変わってゆきますので、どうぞお楽しみに。 ちなみに今年の演目に「月兎」というのがございまして、唐子さんによる笛のご演奏だったのですが、それにちなみお配りしたプログラムに月に兎のイラストを載っけておりましたら、お客さまより「秋聲記念館でうさぎ使っていいの?」といとほがらかにお尋ねいただきました。えっ…うさぎ、使ったら駄目でした…!? たしかに川向こうさまの専売特許的なイメージはありますが、うさぎ自体はボーダーレス!! とはいえ見るたびよぎらないと言えば嘘になりますので、とくに口に出しては言いませんでしたけれども、気持ちは川向こうさんおめでとう、某K花さん生誕150年記念イベントとしてのお座敷あそびでした(11月3日に正式な関連イベントを開催予定です)。 |
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東山・秋聲コース(案)を口で説明してみる試み |
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2023.5.6 |
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![]() 《※このあたり、茶屋街か大通り沿いにいるうちのどこかで各自昼食休憩!》 【13時半・南北分岐ルート】さらに大通りを北へ進めば秋聲次姉・きん旧宅を利用したお宿「Azuki旅音」があり、南に進み茶屋街の方にまた少し入れば『光を追うて』にもご登場の大銀杏で有名な円長寺さんがあり。浅野川大橋を渡り、金沢蓄音器館さん、某K花記念館さんで展示観覧、【16時】館前の下新町通りを、金沢駅方面へ向かう左側にある月極駐車場が、短編「町の踊り場」に描かれる水野ダンスホール跡。こちらはとくに看板も名残もなく、心のなかで(おぉ、ここが踊り場…)と思いながら陰鬱に爆笑することしかできませんが、レトロな沢田医院さんのお向かいであるということだけお伝えしておきます。 【16時半】再び大通りに出て、交差点の角っこにある金沢文芸館さんを覗き(こちらは17時までの当館はじめ他の多くの館と異なり18時まで開館)、通り沿いの、秋聲も言及する森八さん本店にて、卯辰山由来の「夢香山」(どら焼き)や犀星さんが秋聲に贈ってくれた「長生殿」(落雁)を購入。【18時~】その裏手、「町の踊り場」中、秋聲が生きた鮎を食べそこねた料亭「まつ本」の後継店である「隠れ家まつ本」でお夕飯をいただけば、東山エリアの秋聲チェックポイントにだいたい○がつく、はずです。 |
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30~40分はかかりそう |
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2023.5.5 |
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件の卯辰山の秋聲文学碑につきましてよく訊かれることには「歩いて行けますか?」――物理的には行けます。が、おすすめしません。というのが館としての模範回答かと存じます。地図アプリによれば記念館から徒歩18分(1.3km)…これを見た第一声は「ウッソォ!?」です。エッ18分で行けますか…? すみません、正直に申し上げて車でしか行ったことがなく、実際歩いてみたことはないのですが、徒歩チャレンジをされたお客さま方からは口々に「歩いていくとこじゃなかった…」とお聞きしますので、「歩いて行けますか?」と訊かれると記念館職員たちの顔が一瞬曇り、前に斃れた先人たちの教えをごく粛やかにお伝えすることになるのです。「えぇまぁ行けますが、あまりおすすめしませんね…」と。 地図だけ眺めてみても、当館前の梅ノ橋の一本上流、天神橋のほうから登り始めて、恐らく某K花さん句碑まではさくさく楽しく登ってゆけるのでしょう。アッ某K花さんだ~というテンションで次なるチェックポイントにそのうち某秋聲が出てくるかと思いきや、その先ぐにゃっとしてぐるーんとしてまたぐるーん、ってちょっと某秋聲ぜんぜん出て来ないんですけど…! となることが容易に想像できます。そしておそらく、だって秋聲、「小学生時代にも、この山は自分の庭のやうに行きつけになつてゐた」って…「飛騨境の山の色も漸く紫だつて来る頃になると〈等の家からは十分もたゝずに登つて ![]() ついでにここで言う〈等の家〉とは、館から100メートルほど浅野川沿いの「秋聲のみち」をくだった、現市営有料駐車場の場所を指し、最近「秋聲旧居跡」および「秋聲記念館こちら」の看板が新しくなってちょっと嬉しいわれわれです。 |
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秋聲文学碑ペナント |
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2023.5.4 |
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![]() と、本当はラジオでこのお話をする予定ではなかったのですが、ちょうどその前日に展示をご観覧くださったお客様からメールが届き、「卯辰山だったら金沢ヘルスセンターで売ってたかもですね」と。あぁ確かに! 温泉や遊園地、動物園などを備えた、今は無き大きな娯楽施設です(のち「サニーランド」に改称)。また、あわせてお調べくださったところ、いわゆる三角形でなく、お尻が鯉のぼりのようになったこの形状は「吹き流し型」と言い、比較的珍しいものだそう。こちらのメールに触発され、思いきってラジオの電波をお借りし、みなさまに呼びかけさせていただいたのでした。さすがにペナントとしての復刻は難しいですが、ちっちゃなキーホルダーなどにしたら可愛いのでは、ウフフ、今はお休み中のガチャガチャに入れちゃったりなんかして・・・と夢想しております。メールくださった方、ご親切にありがとうございました! 館でも調査を進めるとともに、引き続きの情報提供をお待ちしております(追ってTwitterの方でも)。 ちなみに本日は館の目の前で「浅野川・鯉流し」が開催中。川中をたくさんの鯉のぼりが泳ぎ、梅ノ橋からは無数の吹き流しが風にたゆたっています。 |
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お座敷あそびとサンタ大集合 |
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2023.4.30 |
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長らくお休みしておりました「秋聲とお座敷あそび」を3年ぶりに復活させることになりました! 5月27日(土)16時~16時半、当館内での開催で、昨日より電話申込受付開始。東料亭組合さまのご協力により、ひがし茶屋街から数名の芸妓さんにお越しいただき、舞や演奏、簡単なお座敷あそびをご披露いただく予定です。参加費を1,000円頂戴するほか、15時以降、お座敷あそびご参加の方以外はご入館いただけない形(通常の展示観覧不可)となりますので、ご迷惑をおかけいたしますが何卒お含みおきのほどよろしくお願いいたします。![]() そう、ゴールデンウィークを前に。何故かサンタが大集合。秋聲豆皿より幾分大きく、ちょうどケーキを1ピース乗せられるくらいのサイズ感で税込1,650円。いや、一気に7人ものサンタ我が家に受け入れ不可だわぁ…という方には、引き続きおひとりさまサンタ豆皿も販売中です(税込500円)。いずれも数量限定品ではございませんので、順当に12月頃にお越しいただきましても大丈夫ですし、順当に12月頃にお買い求めいただき、クリスマスプレゼントなどにもしていただけようかと存じます。気持ちは南半球な記念館で申し訳ありません。 そういえば、少し旅展にもかかわるところで、「不定期連載」にあげている談話「夏の旅・女・料理の味」に、秋聲先生による〝食事はTPO〟みたいなご主張のあることを思い出し、急に後ろ暗い感じになりました。他の随筆「涼しい飲食」(大正14年8月)にも〈食器なども見た目に涼しいものと暑苦しいものとある〉、〈雪白のテーブルクロース、さつぱりした西洋の花〉〈フオクやナイフ〉の立てる〈かちやりと涼しい音〉…GWにサンタがざわざわしているお皿はダメでしょうか。かわいいし、真夏じゃないのでセーフですね。セーフでした。 さらには女性の服装の季節感にもうるさい秋聲。かつ、初っぱなから〈私は、旅行は、真に好きじゃないのだろうと想っている。〉…「西の旅」展、開催中です! |
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「郷国の美景から」 |
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2023.4.29 |
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前回記事で、「犠牲者」の入った『犠牲』に「犠牲」は入っていない、という謎かけのような文章を書きながら、先日「西の旅」展ギャラリートーク中、「西の旅」なる短篇が『西の旅』に入るんですが、その時点で「西の旅」は「浴泉記」とくっついて「西の旅」になって、でも『和解』には「西の旅」と「浴泉記」がくっついた「西の旅」が「浴泉記」になって…とこちらもお話ししながらニシノタビ・ゲシュタルト崩壊を起こしてしまったことを思い出しました。音(おん)でお聴きになっているお客さまはなおのこと、展示室最後のコーナーにして謎が謎を呼んだこととお察しします。次回(5月13日)までに上手に処理できるようになっているでしょうか…(パネルでは図解しています。かえってそちらの方が分かりやすい説)。 さて、世間はゴールディンウィークに突入しましたね! 内容的にはニシノタビ展でもいいけれども、後半は次回「東の旅」展にかかってくるか~と思いながら結局手つかずで取りこぼしてしまった、旅にまつわる秋聲の短い談話「郷国の美景から」を「不定期連載」にアップいたしました。何故この日であったかといえば、本日4月29日が島田清次郎のご命日だから。本作には清次郎が登場してまいります。旅のこと知らんけどね、といった枕詞は相変わらず、とはいえまず郷里について話し始めるその語り口の珍しく穏やかなこと!(談話だから?) 吉野谷から、清次郎の生まれた石川県美川の浜、首洗池などの名所をご紹介してみる秋聲。おっいいぞいいぞ…! とぐっと拳を握ってしまうようないい感じの旅レポっぶりです。秋聲の口から「お国自慢」…いいと思います。微笑ましいです。そしてお国を飛び出し、伊香保、箱根、修善寺、湯河原…へと続く道すがら、ところどころいつもの辛口・苦言も挟みつつ、東京近郊だと森ヶ崎の料理旅館「大金(だいきん)」のお話も。このあたりは前々回の久米正雄展でご紹介いたしました。久米曰く、このお宿をよく使った文士たちが当時「大金派・大金組」などと呼 ![]() |
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館報「夢香山」の読みどころ |
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2023.4.27 |
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昨日の記事から微妙に続き、露風と秋聲、露風の母・碧川かたと秋聲、そして露風の義父(母かたの再婚相手)・碧川企救男と秋聲について、秋聲にまつわる新出資料「女権」のご紹介から詳しくまとめてくださったのが館報「夢香山」最新号掲載の碧川かた研究会特別顧問・内田克彦氏のご論考「徳田秋聲と山田順子の出会いと碧川企救男」です。折良く、久米正雄展のご報告記事と同号にご寄稿賜り、秋聲の短篇「白木蓮の咲く頃」に描かれる当時について、久米も交えて考える道筋をつけていただきました。 内田氏のご手配により、上記「女権」(複製)の画像をご提供くださった露風を顕彰する霞城館さまには、その昔、当館における三島霜川展で、霜川筆露風宛ハガキをお借りしたことがありました。霜川の自筆資料はあまり残っておらずとても貴重! その節も今回もありがとうございました。ご寄稿中にも少しご紹介がありますとおり、同館館長さまもコメントも寄せていらっしゃるこちらの記事は、今春、内田氏が特別顧問をおつとめになる碧川かた研究会さまより、かたの研究書『前進 決定版 碧川かたの生涯』の刊行を報じるもの。かたの生涯とご家系についても詳しく書かれています。 それから今回の館報には、ナイトミュージアム映画上映会でその作品「土手と夫婦と幽霊」を上映させていただきました渡邉高章監督にもご寄稿を賜りました。こうした、文学研究とは異なるジャンルからの秋聲考というのはたいへん有り難く、さらには具体的に作品も挙げ、ご自身の創作活動と照らし合わせたうえでの思いを語っていただけるというなんとも贅沢なアプローチ…。かつ、同作主演俳優・星能豊さんのTwitter(4月7日付)でも掲載についてご紹介をいただきました。ご執筆くださったお二方、星能さま、ありがとうございました。ちなみに渡邉監督が挙げてくださった作品のひとつは ![]() |
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深山の桜 |
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2023.4.26 |
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前回の記事で、姫路出身の有本芳水のことを気にしながらふと目に入ったのが三木露風の名。同じ兵庫のうち露風は現たつの市の出身で、ともに中学時代にそれぞれ岡山に転居、広く同郷の誼ということで仲良くなり、露風は〈芳水が上京すると、追って上京し、二人は同宿同室して詩や歌をつくった〉(吉備路文学館さまHPより)そうな。その後、明治40年前後、露風は三島霜川の下宿に転がり込み、そこで出会ったのがわれらが秋聲。霜川と秋聲とはその少し前に同居していた仲で、秋聲に〈三木露風、石井漠、水守亀之助三氏なども、一度霜川氏の家で極度の貧乏を共にした方〉(『思ひ出るまゝ』)と記されるうちの石井漠は〈徳田秋声、詩人の三木露風などは毎日のように(※霜川宅に)やつて来る〉(『私の舞踊生活』)と言い、初めて霜川宅を訪れた亀之助は〈声をかけると、姿を現はしたのは正しく露風なので(中略)霜川は昨今森川町の友人徳田秋声の家にゐて創作をしてゐるとのこと〉(『続わが文壇紀行』)と言い、厳密に調べれば時期の幅があるのでしょうが、もはやどこが誰のお家なのやら、といった当時の行き来の様子が見えてきます。仮に明治40年に設定すると、秋聲は数えの37歳、霜川は32歳、漠と亀之助は22歳、露風は19歳。しかしながら、一回り以上年上の(しかも家主)霜川に対しても〈露風は「三島君が三島君が」といつて友達同様の呼び方〉をし、そもそも〈彼は十八九歳にして新進詩人といはれてゐる上に霜川の家にゐると判つて、私はいよいよ羨ましくなつた。貧乏だらうが奇人だらうが霜川は新しい傾向の作品を書く人として文壇に知られてゐる。その人に近づくなんて、何といつても露風は才物だと私は敬意を表せざるを得なかつた〉ともあり、露風は亀之助に、ウワー霜川に近づけるアイツすげー!
みたいな尊敬のされ方をしていたようです(この後に上記のくだり。霜川宅を訪ね、あまりの家の汚さにドン引きする亀之助)。![]() |
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家出少年たち |
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2023.4.21 |
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![]() 二年前の秋聲生誕150年のときにも各地でめぐりあへた同書は16点の挿絵も含め、夢二×秋聲本の中でもとくに目を引く美しさですから、全国規模でのこの活躍は喜ばしい限りです。これを作ったのが当時版元の実業之日本社に在籍していた姫路出身の有本芳水で、著書『笛鳴りやまず』から芳水と夢二の関係性のほか『めぐりあひ』に関する例の秋聲にっこりエピソードもまたパネルでご紹介いただいているとのこと。姫路での秋聲が笑顔であるならなお言うことなしです。会いにお出かけくださいませ。 姫路と秋聲といってすぐには結びつきませんが、同じ兵庫県のうち甥っ子の暮らす芦屋から神戸あたりにまで出かけたときのことを書いたのが、秋聲の短篇「蒼白い月」。大正9年5月、「大阪時事新報」主催懸賞小説当選披露講演会に、ともに選考委員をつとめた田山花袋、佐藤紅緑らと登壇するため夜行で大阪へ、ついでに〈奈良、宇治、嵐山、東山、黄檗、箕面、宝塚、香櫨園、神戸を一見、昨今こゝに落ついてゐます〉と神戸メリケン波止場の絵はがきを使って、遠縁にあたる劇作家・岡栄一郎に報告する秋聲です(石川近代文学館蔵/「西の旅」展で画像をパネル展示中)。行ったついでの回り方がなかなかハードなのではあるまいか…! また作中、〈須磨の料理屋で兄の養子夫婦と絵ハガキを書いているところが、描かれているが、その絵ハガキも私の手元に残っているのだ〉とは秋聲長男一穂さんの記すところで(「未発表・秋声の日記より」/大木志門編『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想』収録)、残念ながらその実物は今回展示できませんでしたけれども、小説と現実とが繋がる不思議な瞬間です。 姫路文学館さまのチラシを拝見しておりましたら、夢二さんプロフィールの中に〈明治32年(1889)、神戸市の叔父宅から神戸尋常中学校(現兵庫県立神戸高校)に入学するも家の都合で中退〉との記述を発見いたしました。8ヶ月ほどの在籍期間だったそうですが、神戸にもお住まいだったのですね! なるほど、この二年後に家出して上京……当時の夢二さんより少し幼いですが、『めぐりあひ』の友吉少年もやはり家出して、東京へと向かうのです(その場面の挿絵あり)。 |
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「閾(しきい)」 |
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2023.4.15 |
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いつもお世話になっている当館恒例イベントのご出演者さまより京都のおみやげをいただきました(今年も秋にお招き予定です!)。ありがとうございます! 伏見稲荷大社近く、総本家宝玉堂さんの「きつねせんべい」でございます。先日、当館唯一のビジ![]() あ~京都~神社~・・・と言うところから思い出されましたのは現在開催中の「西の旅」展から秋聲の「閾(しきい)」です。大正14年6月に発表された短編小説で、この三年半前の大正10年12月、秋聲最大の庇護者であった兄直松の葬儀に、彼の暮らした大阪へやってきて、そこから京都にまで足を伸ばした体験が元となっています。展示では同年4月に京都の親戚宅を訪れた体験を描く短編「宇治の一日」とともに本作を収録する短編集『乾いた唇』(昭和15年、明石書房)を出品中。残念ながらお稲荷さんは出て来ませんが、たしか〝京都の神社で主人公がひどく転んだ話〟として脳内から引っ張りだされてまいりました。秋聲をモデルとする主人公・土井が京都で好物の牡蠣雑炊を食べ、それから北野の天神で電車を降りて、人混みでぎっしりしている境内を通り抜ける――北野の天神さまですから、北野天満宮を指すのでしょうか。そしてその〈いつも通りつけてゐる裏門の下をくゞつて出やうとしたとき、彼はそこに横たはつてゐる高い閾にいきなり躓(つまず)いた。そして劇(はげ)しい音をたてゝ石畳の上へ投(ほう)り出されてしまつた〉。あぁあぁ痛々しい場面です。〈彼が息が切れるかと思ふほど、石畳に体を打ちつけたが、やがて起きあがつた。道を歩いてゐる若い夫婦が立止つて、薄暗い釣燈籠の火影に透かして見てゐたが、土井が起ちあがるのを見ると、さつさと行きすぎた。〉冷たいようにも見えますが、大人の転倒に手を貸すタイミングというのはなかなか難しくもあり…。〈歩きだすと膝がひりひり痛んだ。右の掌も擦りむいてゐた。膝をまくつて手で触つてみると、黒い血がだらだら流れてゐた。〉秋聲先生、これで膝を怪我されるのは三度目では…!?(これは小説ですが) どっちのお膝ですか!! オチといいましょうか、帰宅してこの怪我を見た甥っ子とのやりとりにつきましては、是非原文で味わってみてください。有り難いことに去年の秋聲の旧暦お誕生日に青空文庫さんにて新たに公開していただいたことをわれわれくっきり記憶しております(粘着質なので)。 |
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4月7日は開館記念日 |
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2023.4.8 |
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昨日4月7日は開館記念日ということで、当館は今年で開館18周年(19年目)を迎えました。みなさま方のご支援に厚くお礼を申し上げます。とはいえセレモニー的なものは何もなく、オリジナル文庫新刊『秋聲翻案翻訳小説集 世紀末篇』発売の紅白感だけを取り入れてお祝いに代えさせていただきました。それだけ買いに来ました、展示はまた今度ゆっくり! と急ぎ駆けつけてくださったお客さまや、通販のほうでもモリモリご注文をいただきありがとうございます。担当者より順次、注文受付メールをお返ししておりますので、すこしだけお待ち願います。
南さんとも、この赤との取り合わせにおいて堂々として座りがいいのは黒ですね~、白(厳密にはアイボリー)には不思議な特別感がありますね~、とお話ししていたのでした。白帯、おかげさまで残り半分を切りました。そもそも少部数制作で恐縮ながら、気になっていらっしゃる方はどうかお早めにご注文ください。 「熱狂」は、コレラ病と戦うなかで自我が芽生え、人生の目的について考え始める靴屋の鉄造・お増夫妻を描く物語。流行り始めたコレラへの対応のくだりなどはまさに現代と重なる部分も多く、また常日頃から夫の暴力を受けているお増の目覚めを、ぐっと拳を握りつつ見守ってしまう読者も多いのではないでしょうか。文庫全体の半分ほどを占める長さはありながら、すぐに引き込まれ、あっという間に読めてしまう勢いある作品です。またマゾッホ原作「曠野の暮」は秋聲全集未収録。その他も含め、蓜島先生による詳細な巻末解説とあわせてぜひこの機にお読みいただけましたら幸いです。 |
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虎を狩る、犬を逐う |
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2023.4.6 |
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![]() 山前譲編『文豪たちの妙な旅 ミステリーアンソロジー』(河出文庫)、なんと秋聲の「夜航船」を収めて本日発売…! 版元さま(※書影お借りしました)の概要には「徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、中島敦など日本文学史に名を残す文豪が書いた『変な旅』を集めたアンソロジー。旅には不思議がつきもの、ミステリー感漂う異色の9篇を収録」とあり、なんといちばんに秋聲に触れてくださって…というか秋聲に触れてくださって…というか秋聲を選び入れてくださって…! と深く感動をしております。「夜航船」を収めた当館の文庫はしばらくこの世界から消えますが、カバーしてくださる上記2冊にてぜひお読みになってみてください。ご収録に感謝申し上げます。〝ミステリー感〟とありましたので「西の旅」展でご紹介中の別府行きを描く「紀行の一節」かしら、とひそかに3サンタほど賭けていたのですが、秋聲のよく行く房州、「東の旅」編からの選出でした。 目次に見える他の方々も、秋聲とお親しいお顔が多いですね。本郷でどうやら行き来のあったらしい石川啄木、秋聲を心の師と仰ぎ、最晩年まで寄り添ってくれた林芙美子、文壇のニコイチ・同年生まれの田山花袋、金沢の三文豪のひとりで「秋聲会」発起人の室生犀星、館報最新号巻頭に「秋聲と浩二の攻防」としてご登場の宇野浩二、昨夏お邪魔した堀辰雄記念文学館さんでアレコレ学び、これは掘り下げるべきおふたりであるよ…と反省した堀辰雄、犀星さんの親友にして秋聲を囲む「二日会」(「秋聲会」の前身)に出席した可能性のある萩原朔太郎、そして中島敦……中島敦……!? 某K花さんの館でよくお名前をお見かけする御仁ですが果たして秋聲とは…不勉強ですみません、ちょっと宿題とさせてください。中島敦作品からは「虎狩」が収録とのことです。 そして虎ならぬ犬。おととい例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんに学芸員が出演させていただき、毎年4月になると思い出す秋聲ゆかりの幻の犬についてお話ししてまいりました。そう、桜を見ると思い出すんですよねぇ…としみじみ計4回くらい言ってしまった気がいたします(「無感動」で検索!) さらにそこからの連想でご紹介したのが短編小説「犬を逐ふ」。題から透かし見える通り、愛犬家にはなかなかつらい作品ですので、再び読み返すのはきっと半年先になりましょう。そういえばさっき館のTwitterを開きましたら、一瞬犬の幻のようなものが見えました。えっ…となって何度も戻っては開くなどして茶色の犬を追いました(※秋聲の「逐ふ」は追い払うの意)。 |
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第14弾・第20号・第15号 |
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2023.4.2 |
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昨日、新刊第14弾のご案内をいたしましたが(4月7日発売)、1冊生まれると1冊消えてゆくの法則で、既刊分のうち『短編小説傑作集Ⅰ』が品切れとなりました。お買い上げありがとうございました。すでに欠品となって久しい『仮装人物』と並び、イヤ1冊生まれて2冊消えとるやないか…! 全体的にちょっと減っとるやないか…!! と、この世界における秋聲著作の占めるバランスのちぐはぐさに身悶えつつ(『黴』に関しましては講談社文芸文庫さまがカバーしてくださっておりますので、増刷の予定はございません)、今年度は代表作『仮装人物』の増刷を急ぎおこなうつもりでおります。『短編小説傑作集Ⅰ』につきましてはちょっとノーマークであったといいましょうか、いえ折々にもう在庫少ないですよ…とは遠くからうっすら聞こえていたような気もするのですが、聞かなかった振りをしていたといいましょうか、せっかく先日〝和解〟の兆しの見えた某K花さんとの和解を描く短編「和解」が収録されたこちらがない、そんな生誕150年…間の悪いことで恐縮です。次回「東の旅」でおそらくご紹介することになる名編「夜航船」も入っているというのに…本書につきましては再来年度の増刷ということになろうかと存じます。年に1冊しか生み出す力のない、よわよわ記念館なのでございます。なお「夜航船」だけであれば、ポプラ社さんの「百年文庫(74) 船」でお読みいただけます。ありがたいことです。![]() と同時に、館報「夢香山」第15号も発刊いたしました。昨年度の事業をまとめる中に、今回は特別に映画「土手と夫婦と幽霊」の渡邉高章監督や、碧川かた(三木露風の母)研究会特別顧問の内田克彦氏にご寄稿をいただいた豪華版です。こちらも間もなくHPにアップいたします! |
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年度初めに世紀末篇 |
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2023.4.1 |
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4月1日、新年度を迎え、今年は秋聲生誕150年です! 嘘です! でも没後80年です!(本当です) Twitterのほうで金沢ふるさと偉人館さんが話題にされていた今年生誕150年を迎える「MEIROKU 6」こと明治6〈1873〉年生まれの六人衆には桐生悠々、安宅弥吉、山崎延吉、野口遵、日置謙と某K花さんがいらっしゃるそうですね。当館の「西の旅」展には、このうち桐生悠々と某K花さんがご登場で、それぞれに「生誕150年です」のキャプションを添えてみました。そして実はもうおひとり、同年生まれの小林一三もこの旅のお仲間。当館的には「MEIROKU 7」あるいは「NISHINOTABI 3」といった心持ちでご紹介をさせていただいております。みなさまご存じ阪急電鉄の創業者で、秋聲が関西方面に旅に出た際、大阪で一三の手厚い歓待を受けた様子が、大阪を過ぎ、神戸から送られた秋聲筆一三宛礼状からわかります。今回、その書簡画像を阪急文化財団 池田文庫さまよりお借りしてパネル展示させていただきました。くわえて一三の業績のひとつでもある宝塚少女歌劇を秋聲と見にゆき、会場で一三と秋聲が交わした会話を書き留める吉屋信子著作『私の見た人』(徳田家寄託品)の出品をば。大阪にある逸翁美術館さまでは(逸翁は一三の雅号)、一三生誕150年を記念した特別展が続々開催されておりますので、ぜひぜひチェックしてみてください。 ![]() なおせっかくなので没後80年を記念して、初版のうち80冊だけ帯を白くしてみました。通常版は黒帯となります。決して多い数量ではないのですが、通販でもお選びいただけるようにしておりますので、白黒どうぞお好みで!(ご注文先着順) |
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小景異情 |
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2023.3.31 |
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前回記事の「森の家」こと森田一二は、大正4年5月の秋聲帰郷の際、その滞在先である実姉かをりの婚家・味噌蔵町(元兼六元町)にも会いに出かけています。というよりこれが初対面。まだ手紙のやりとりしかなかった自分にも心易く会ってくれた秋聲に対する喜びから語られるのが「北國新聞」大正4年6月16日記事、「森の家」による随筆「徳田秋聲氏を訪ふ」です。その時に話された金沢の印象には〈十一年前に帰省された時よりは、非常に飾窓(ショーワヰンド)と云つたやうな硝子(がらす)窓の殖えたことが、最も変つた現象だとお聴きしました。それから返す返すも残念がつて居られたのはあの百間堀の埋められたことでした。雄大な幾百年来の歴史の面影を偲ぶことの出来なくした文明の力、否、それよりも無智な人間の破壊力をある意味に於て非常に罵られました。今日若(も)しあれだけの石垣や濠(ほり)をこしらへるとしたら……そこに先生の悔(くい)があるやうでした。そしてあの橋が堪らなく気障に見えるそうです。〉と、こうした憤りがそのまま作品に生まれ変わったのが、短編小説「穴」(大正5年9月)。本作を収めた金沢シリーズ『感傷的の事』(能登印刷出版部刊)は当館(通販可)と金沢ふるさと偉人館さんでのみ販売中で、泉鏡花記念館・秋山稔館長によるご解説にも上記のことが資料とともに詳しく紹介されています。 ここで秋聲が特に強いこだわりを見せた「百間堀」とは、金沢城と兼六園の間のお濠のことで、明治44年に埋め立てられ、車のじゃんじゃん走る幹線道路に生まれ変わりました。久々に帰省した秋聲が目にした光景は、かつての記憶とまるでその姿を違え、45歳の秋聲に大きな衝撃を与えたのです。 続けて話されたのは秋聲の〝旅行観〟。〈私が今度の旅行によつて何か題材を得られましたでせうと云ふ言葉に対して、先生は旅行をするなら知らぬ土地へするんです、故里(ふるさと)へ帰るといふことは単に記憶を呼び起すに過ぎないものだと語られました。私は味はふべき言葉だと思つて聴きました。〉…むしろ〝故郷観〟と言い換えるべきでしょうか、秋聲なりの「小景異情」がここにあります。 ![]() |
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森の家 |
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2023.3.29 |
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花袋さんを挟んでまた話が戻りますが、「名古屋新聞」に秋聲訪問記を寄せてくれた森田一二(かつじ)につきまして、秋聲の随筆・本家「寸々語」(「文芸春秋」大正13年1月)に少し彼とのエピソードが綴られております。 「名古屋に『森の家』といふ男がゐる。以前郷里の金沢から出て来たとき、私の処にもちつと居たことがあるが、その頃の投書家では出色の才子であつた。勿論今も才人である。悪魔主義の芸術家で、作品も沢山あるけれど、別に発展しようともしないでゐる。評論も凡ではない。一度京へ引張出さうとしたけれど何故か応じなかつた。文壇人となるには、小機鋒がありすぎるかも知れないが、凡介ではない。私は森の家と『晩香』といふ家で天麩羅を食つた。その天麩羅も海老魚のうまいことと、仕立のいゝことに於て東京に遜色がなかつた。それから孝次郎の『道成寺』を御園座できいた。これも段々磨きがかゝりすぎて、身動きがならないほど調つてしまつたので、余り感心しなかつた。この頃森の家から川柳雑誌『小康』を送つて来た。『小康』は大阪の新川柳家半文銭氏の発行するところで、この人も平凡人ではない。森の家の川柳を三つ四つ紹介する。 ![]() 寝てみれば絹と木綿の肌ざはり 雑巾とオペラパツクと仲そかひ 監獄へ行くにも道が二つあり 一尾の魚に似たり手術台 トコロテン主義の文字校出たと云ひ 学問をしろと云ふのに腹が立ち 森の家といふのは、このお終ひの句のやうな男なのだ。 俳句にも新しいのもあるかも知れないが、今頃は大抵お上品に化石してしまつて、民衆的な溌溂たる意気がない。それに比べると此種の川柳の方が端的で面白い。「文芸春秋」によく下らない洒落を書く人なんかも、古人の糟ばかり嘗めてゐないで、新境地を拓くのもいゝと思ふ。」 …いろいろと言及・調査の上、広げるべきところはあるのだと思いますが、今は「秋聲の処にちょっと居たことある人全員手をあげて」という気持ちです。 (※一二およびその作品については画像の石川近代文学全集19『近代川柳』[石川近代文学館刊]に詳しいです。巻末解説に武者小路実篤との問答も一部掲載されホホウ。) |
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こちらから見た花袋 |
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2023.3.27 |
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先日ご紹介した随筆「久米君の結婚」は、式における菊池寛の名スピーチへの絶賛でもって結ばれます。その場に相応しいかどうか…とちょっと考えてしまう秋聲のと違い、あらゆる場面で秋聲が菊池寛のウィットに富む真心こもったスピーチを褒めていることは過去の菊池寛展でもご紹介したところで、逆に秋聲が〝褒めちぎらる〟場面と言えばやはり大正9年、花袋秋聲誕生五十年記念祝賀会にて。その口火を切ってくれたのが当日司会をつとめた久米正雄で、当時の新聞には「文壇の二星を頌(たた)ふ大講演会
花袋=秋聲両氏が文壇に褒めちぎらる」との見出しで〈開会前既に場内溢るゝ許(ばか)りの盛況を呈した久米正雄氏先づ割るゝ許りの喝采に迎へられて登壇し「田山花袋徳田秋聲両先生が今日迄になして来られた我が国文化に対する貢献文壇に対する功績は今更喋々申す迄もありませんが幾十年と云ふ作家生活の辛苦を嘗めて来られたと云ふ事は主義の如何(いかん)流派の如何を問はず感激なしには居られない(後略)」〉(「報知新聞」大正9年11月24日)と挨拶し、長谷川天渓、島崎藤村、正宗白鳥、吉江孤雁らのスピーチがこれに続きました。記事にもあるように、この場にいた斎藤龍太郎は〈舞台に出てくると大変な拍手でした。あの頃から久米さんは人気者だつたんですね〉と語っており(「文壇あれこれ座談会」/「文芸春秋」昭和10年6月号)、こうした場に似合う久米の華やかなオーラが想像されるようです。 これらを受け、花袋は〈「私は文壇に対して何も貢献や功労もしない 御褒辞は有難いが自分では然(そ)う思つてゐる唯一(ただひと)ツあるのは我が文壇の為めに何か本当の芽を出さう出さうとしてゐた人々に其の花を咲かせたいと力めた事である」〉と謙虚に応えたそうで、きっと投稿雑誌「文章世界」主幹をつとめたことを指すのでしょう。そして秋聲は〈簡単に友人の好意を感謝して之れで演説は切り上げ〉(「国民新聞」同年11月25日)…あっ…引用なしパターン、シンプル…! だってこんな盛大な会、勝手に決められちゃって否も応もなかったんだから! とは後に語るところです。 なかなかのノリの悪さをご披露したかと思いきや、さらに問題児だったのはこの方、正宗白鳥。同記事中、みながちょっと空腹を感じ始めた頃、「早く余興が済めばいゝナ ![]() |
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名古屋帰りの結婚式 |
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2023.3.23 |
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名古屋での悠々との再会は、短編「倒れた花瓶」として作品化されています。そのあたりをご紹介するパネルでは、当時「新愛知」主筆をつとめていた悠々の同社における肖像写真と、悠々旧蔵の名古屋城と飛行機のお写真を金沢ふるさと偉人館さんよりお借りして展示させていただきました。秋聲の二歳下の悠々さん、今年生誕150年おめでとうございます!![]() 地震とあるのは同年9月1日の関東大震災で「こちらで勉強して行くつもりです、もつともこの十七日に久米正雄君の結婚式に出る筈だから、それまでには引上げる」と、にわかに前々回の久米正雄展に繋がってくるこちらのインタビュー内容。いつかTwitterの方で話題になったとおり、この震災では、久米圧死の誤報が飛び交った模様。別の秋聲の随筆では、「久米君は――私は当日言つたとほり――鎌倉で圧死したなぞと、私の当時居た田舎の新聞が報じてゐた。場所が場所だし、何だかさうらしいやうな気もして、あの久米君にもう逢ふこともできないのかと一時は寂しい感じもしたが、それどころか、地震後急に――動機はずつと前にあるだらうが――結婚式を挙げ、久米君の作品そのものゝやうな新婦と新婚旅行なんかをされたことは返す返すおめでたい。」……最初こそ、エッそんな誤報が! とドキッとして読み進めてゆけば、次第に結婚式の話題になり、そこから翻って冒頭「当日言つたとほり」の〝当日〟について考えますと、他でもない久米の結婚披露宴の日かとお察しします。というのもこの随筆の題がずばり「久米君の結婚」だから。外野ながら、いやいやそんなおめでたい席でする話のチョイス…と思ったりもしてしまうのでした。なお秋聲は震災発生当時、金沢帰省中。それにちなんだ資料も今回少しお出ししています。 |
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半々 |
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2023.3.21 |
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![]() 上記と同じ感想が、「西の旅」展で一部パネル展示している「名古屋新聞」掲載の「近頃閑談 徳田秋聲氏来名の記」(大正12年12月15・16日)に出てまいります。〈来名〉の〈名〉とは名古屋のこと。この年の11月、秋聲はもろもろの事情で名古屋を訪れており、金沢出身の川柳作家で、名古屋鉄道に勤務した森田一二が、ここで交わした秋聲との会話を書き留めてくれたものです。 「地震(※関東大震災)以来、東京の人間は食ひしんぼうになつたよ」と柿と葡萄に手を伸ばす秋聲。まず好物の柿を評し、それから〈鶫なども名古屋よりは雪国金沢のものが旨いと云う評である。小鳥の食物が違ふ関係であらうとのこと。〉と、森田曰くやはり鶫の餌問題に言及。珍しく秋聲の郷土愛がはみ出しちゃっていて、名古屋の方には申し訳ありません…。しかしながら「魚はたしかに名古屋の方が旨いよ」、「名古屋はいゝ処だね」だそうです! この旅の目的のひとつでもある名古屋在住の桐生悠々らしき人物〈K氏〉も登場し、その縁から金沢ふるさと偉人館さんに教えていただいた記事でした。偉人館さんいつもありがとうございます! (つづく) |
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企画展「西の旅」開幕! |
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2023.3.20 |
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18日(土)、新しい企画展「西の旅」が無事開幕いたしました。本展では若かりしころ長兄直松を頼った大阪訪問に始まり、別府・京都・奈良・芦屋・名古屋・豊橋・金沢にまつわるエピソードをご紹介しております。それぞれ仕事ないし友人・親族に会うという明確な目的がありますので、観光のための旅行とはそもそも認識が違うのかもしれませんが、そうは言っても各地に赴いたことは間違いありませんので、そこでの感想や当地を描いた作品などをピックアップいたしました。東京を生活の拠点として以来、当然と言えば当然ながら訪問回数としては群を抜く郷里金沢がメインケースを占め、中でも今回、秋聲次兄・正田順太郎宅で保管されていたものものも少しお出ししてみました。正田家の婿養子となった順太郎は金沢駅近く、瓢箪町の大きな武家屋敷に住んでおり、同家は父を早くに亡くした秋聲帰省時の拠り所でもありました。現在のお宿の形に生まれ変わる以前に、順太郎ご遺族のご厚意で中に入らせていただき、その際にご寄贈いただいた正田家ゆかりの品々です。そのひとつである双眼鏡は、小松市の尾小屋鉱山の所長であった順太郎が仕事で使ったか、あるいは武士の嗜みであったという鶫(つぐみ)猟に使用したか…(徳田家は元武家。秋聲の父と二人の兄までが武士でした) 本日3月20日は、そんな順太郎が開通に尽力した尾小屋鉱山鉄道が廃線となった日だそうです。昭和52年と、順太郎が亡くなって約40年後の出来事にはなりますが、もとは大正5年、順太郎所長の個人事業として敷設を申請したもので、当時は「正田順太郎鉄道」とも呼ばれていたそう。同8年に開業し、翌年には雇用主である横山鉱業部にその権利が譲渡されました。秋聲は同11年にここを訪れていますので、順太郎から鉄道敷設のあれこれについて聞いていたかもしれません。また、山での体験を短編「籠の小鳥」に綴るなかに〈一度や二度行つて見たくらゐでは鉱山の人達の生活なぞわかる気遣ひはなささうであつた。淳二兄(※順太郎がモデル。写真は鉱山従業員とともに、後列中 ![]() |
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東西南北全員集合 |
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2023.3.17 |
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![]() 西、東とそれぞれ名のつく企画展のくせ、設営を終えぐるり見渡しますと、東京から金沢(一応西日本)への帰省旅行を東海道回りでゆけば米原以降は北上する形となり、秋聲も〈北へ北へ〉とはっきり書いていてオゥッフ…。また、小説「西の旅」の中身である大阪経由別府方面へは、特に別府を中心に描く他の小説「南国」の字面でオゥッッフ…。加えて兄弟子・小栗風葉のいた豊橋へ向かったときも秋聲は当地を〈南国めいた〉と記しており……。そして最後のコーナーには「東の旅」展の予告パネルが鎮座し、〝西〟を贔屓するふりをしながら結果的に東・西・南・北、全員集合! といった期せずして全方向に配慮した形の展示となりました。 「東の旅」展では主に東日本、伊香保や長野や鎌倉や、果ては北海道までを視野に入れているところ、秋聲長男一穂に東北・北海道ゆきを描いた小説「北の旅」あり、愛知県出身の風葉(南)と秋聲との曰くつき湯河原旅行伝説を残した風葉の弟子・宮城県出身の真山青果(北)との共著に『南北』あり(件の湯河原旅行を描く「温泉の宿」収録)。結局やっぱり全部でてきちゃう、みたいなぐだぐだ感がすでに滲みだしてきていてオゥッッッフ…。 縦に見るか横に見るか、そんなことも示唆していたのか「西の旅」展のキャッチコピーよ…(チラシ参照)と、妙な感動を覚えている展示替え最終日です。 |
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展示室のあばれんぼう |
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2023.3.15 |
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静かに「足迹」展を終幕させ、展示替え休館に突入しております秋聲記念館です。ご観覧のみなさまにはご不便をおかけしております。さて本日は「靴の記念日」だそうですね。日本に初めて西洋靴の工場が出来た日だそうで、これがふと目に留まったのは、「足迹」からの連想でもなく、「縮図」のヒロイン銀子さんちが靴屋さんだったからでもなく、秋聲訳(ゴーリキー原作)「熱狂」の鉄造が靴の修繕屋さんだったからでもなく、次回「西の旅」展に出品しようと準備していた正宗白鳥訳(ゴーリキー原作)「鞭の響」を併録した秋聲『驕慢児』(アカツキ叢書、明治35年、新声社)のキャプションテキストが「靴の響」になっていることを発見してヒッ…となったところであったため…。慌てて修正し、毎度このようなことばかりで恐縮ながら、でも開幕する前でよかったね…などいう甘えた心をデスク上の日めくりカレンダーさまに見透かされたような恐ろしさがありました。「鞭の響」は、妻の不貞を鞭で懲らしめるというたいへん痛々しい怖ろしいお話ですので、「靴の響」ではいけないのでした。それをも収めた『驕慢児』、秋聲32歳、長兄直松に会いに出かけた大阪時代の執筆作としてご紹介しております。靴、鞄、鞭、パッと見、どれがどれやらですね! 今日までで「足迹」展資料の撤去が終わり、パネルが貼り替えられ、ケース内の清掃が済み、いよいよ資料の陳列作業にさしかかっております。いつも第一章からでなく展示室最大となる全面ガラスケースから埋めてゆくのですが、秋聲の帰省旅行のくだりで、秋聲がひがし茶屋街を舞台にした「挿話」などに触れた川端康成筆 秋聲長男一穂宛書簡を展示しようとしていたところ、この巻紙がいつまで経っても終わらない…! イヤッ長…ッながい…まだ、まだある…ッ、と延々とくるくるくるくるしておりました。秋聲遺品のペン皿にも触れたもので、初公開ではございませんのでもちろん長さは承知し ![]() |
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糖度高め |
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2023.3.5 |
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昨日、「足迹」展展示解説の最終回を終えました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。とくに午前はおふたりさまのご参加でしたので、若干お客さまとの距離も近く(一方的な思いですみません)、ふだんは気まずい空気になったり要らぬ圧になることを避けあまりこうしたことは訊かないのですが、「ちなみに『足迹』って読まれてたり…?」とお伺いしてみると、おふたかたともが頷いてくださいました。 ……なんということでしょう、展示室に三人いて三人が「足迹」を読んでいる…三分の三が「足迹」を読んでいる…それすなわち100%…この部屋、秋聲100%…!! じわじわと、気持ちのわるい盛り上がり方をしてしまいましたこと、お許しください。じゃああらすじの話とか要らなかったですねぇ~ウフフ~となりました。それもこれもあたたかく受け入れてくださり、ありがとうございました。 ![]() とにかく秋聲の魅力を発信しつづけることで少しでもお返しできるでしょうか…「足迹」展は残り一週間、13日(月)~17日(金)は展示替え休館をいただき、春夏仕様の「西の旅」展にお色直しをいたします。3日、チラシも無事納品され、7日にはそれを携え、例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんにお邪魔し、その予告をさせていただく予定です(10時頃~)。今回のチラシは「西の旅」以上でも以下でもない(甘さのない)つくりとなりました。短篇集『西の旅』初版装幀をお借りしたベースに、秋聲の旅に対する所感を添えて。いかんせん、別に旅行とか好きじゃないし、実際ほとんど行ってないし、みたいな顔をすることの多い秋聲ながら、その十字にあしらわれたテキストは最晩年に語られたもの。人生の果てに辿り着いた、虚飾のない秋聲の言葉としてお受け取りいただけましたら幸いです。 |
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濃度高め |
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2023.3.4 |
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![]() (画像はたまたまチラシを留めたマグネットが中原中也のご尊顔で、さらに天才がひとり加わりややこしくなったの図↑) 展示室に入ってすぐ、まず目に飛び込む谷崎潤一郎の長襦袢が華やかですし、松子夫人は達筆ですし、芥川の便箋は赤いですし、二文豪の鏡花愛が熱烈ですし、うさぎがいっぱい…。習慣といえ、何故うっかり持って来てしまったのか、秋聲記念館オリジナルトートバッグ(左肩に菊池寛バッジ付)。慌てて裏返さねば生きて帰れぬ非常に濃密な空間でした。前後期で入れ替えられる資料も多そうですので、物理的に可能な方はぜひ二度三度足を運ばれることをおすすめします。再開館にあたり、ちょっと気合いが入りすぎではなかろうか…! これが生誕150年か…! とあらゆるコーナーでビシビシ圧を感じ、逃げ場がなく、出るころには足元がすっかりよろよろに。 とはいえさっとトートバッグを小脇に挟み、記念館ロゴをギュッと隠したおかげさまか、あるいは某K花さん一味みたいな顔をしてキャッキャ無邪気に鮟鱇博士の写真を撮ったりしていたおかげさまか、わかりやすく塩をまかれることはありませんでしたが、あれっここはもしや塩分濃度高め…!? というケースがひとつ……芥川による「鏡花全集『開口』自筆原稿」のコーナーです。 大正14年、春陽堂刊『鏡花全集』のために書かれたこのオリジナル原稿がバァーーン! と展示されており、その文言の一部がこう→「往昔自然主義新に興り、流俗の之に雷同するや、塵霧屢(しばしば)高鳥を悲しましめ、泥沙頻(しきり)に老龍を困しましむ。先生此逆境に立ちて、隻手羅曼(ロマン)主義の頽瀾を支へ、孤節紅葉山人の衣鉢を守る。轗軻(かんか)不遇の情、独往大歩の意、倶に相見するに堪へたりと言ふ可し。…」(テキストは「青空文庫」さんよりお借りしました) アッ…ここは確実に塩をまかれている…! 間接的に! 自然主義の冠をもつ一味に…! 芥川の原稿とともに、それを見返しにあしらった鏡花の『斧琴菊(よきこときく)』、ケース内で発光する青の美しさが弱った目にギュウと染み、その足で秋聲次兄・正田順太郎旧宅「町の踊場」さんに逃げ込み、ようやく息つくことができました。毎度長居をしてすみません。蔵カフェさんでは、間もなくカレーランチ(数量限定・予約不要)が始まるそうです。 |
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旅と白鳥 |
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2023.3.3 |
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本日、正宗白鳥お誕生日です! おめでとうございます! 秋聲の8歳下で、満144歳。そんなわけで再現書斎の床の間は白鳥自筆書幅「故郷」に掛け替えました(1月11日付記事の覚え書き〝3月の書斎は秋聲自筆書幅「春雨の草履ぬらしつ芝居茶屋」にすること〟は前倒しの2月に実行してしまいました。申し訳ありません。石川近代文学館さんの企画展「舞台―石川と近代演劇」は今月19日まで!)。![]() そんな白鳥は、2月23日・25日付記事でご紹介していた上司小剣も交え「読売新聞」在籍仲間。秋聲とは重なっていませんが、古巣である同社に秋聲が顔を出したことで知り合い、〝早稲田の麒麟児〟との噂だけ聞いていた秋聲にまるで古なじみであるかのようにめちゃくちゃ話しかけてきたことからすっかり仲良しになったそう。そんなことを回顧する秋聲の随筆の題は「中々快活なお喋べり 正宗白鳥氏の印象」(「新潮」大正7年6月号)。旅に絡めれば、後半の記述はこうです。「また旅行も好きである。東京をまめに方々歩いてゐるとほり、まだ見ない土地を始終旅行してゐる。今年も暮に東京を立つて、この頃になつて漸(ようや)く帰京の噂が伝つたくらゐである。生活の単調と常套とを、或る限られた範囲で、始終突破(つきやぶ)らうとしてゐるらしく思はれる氏は、人と人との交渉が嫌ひで――それも利己的見地からではなく、恐らく人を強ふるとか、自分を曲げるとか云ふことが厭(いや)なので――それをば家庭でも女中など他人を容れることを可成(なるべく)しないやうにしてゐるので、長い旅行には世帯を畳んで出かける。それは可也億劫な仕事でもあるが、氏はきちきち其(それ)をやる。そして帰つて来るとまたせつせと家(うち)を捜す。家も時々変る。どこかほんとうに落着かないといつた風であるが、これも家庭が単純であるためで、私などの煩累の多い生活から言へば、羨ましいほど自由でもあり、孤独でもある。」。 |
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おかえり、某K花館 |
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2023.2.27 |
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あさって3月1日(水)、ついに川向こうの某K花記念館さんがお戻りですね! 館内工事等の長期休館を経て、いつか当館も空調工事のため長く休館していた頃ちょこちょこと「リニューアルたのしみです!」のお声をいただきながら、(あっ…リニューアルじゃないんだ…中の機械を交換するだけなんだ…!)と再開館時の見た目の変わらなさへのリアクションにどぎまぎしたものですが(塗り込めた壁はちょっと綺麗になっている)、某K花館さんも今同じお気持ちでしょうか。そんなプレッシャーをはねのけ、堂々お戻りいただきたいとしみじみ思っていたところ、先日新しい展示のチラシが届き、![]() 最近こちらでよく話題に載せている吉屋信子もまた、憧れの某K花さんに引き合わせてくれた秋聲の図を記録してくださっています。大正15年の随筆「憧れし作家の人々」によれば、信子は女学校二年のときに某K花さんの作品に出会い、〈たいへんな勢いで鏡花宗の信徒〉となったそう。また、同じ頃に谷崎作品にも引き込まれ、〈一方で鏡花宗で又一方で潤一郎熱で、なかなかその頃の私はいそがしかった〉と。大正9年、信子の長編『地の果まで』を「大阪朝日新聞」懸賞小説の第一等に最も強く推したのはその頃まだ面識のない秋聲でしたが、そもそも応募前に選者の顔ぶれを見て、秋聲か~~~とがっかりしたほどだったといいますから、その作品の系統が少し見えてくるようです。当選後、すっかり親しくなった信子に「ふふん、貴女が鏡花を熱心に読んだ?」と意外そうな顔で言ったという秋聲。〈そして芝の紅葉館の鏡花会へお連れ下すった、大広間の灯の下で、私は(湯島詣)の作者に御丁寧な挨拶を受けて、しどろもどろになった〉とのこと。 以上、かなり脱線してしまいましたが、川向こうにおける鏡花生誕150年記念事業がいよいよ本格始動です。秋聲のしゅの字の載ったチラシを招待券のように振りかざし、我が物顔で上記特別展に乗り込まんとする秋聲記念館一味です(塩まかれる)。 |
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人生案内 |
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2023.2.26 |
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![]() 秋聲も雑誌の〝人生案内〟的なコーナーを担当したことがありましたね。「反響」大正4年2月号掲載「具体的問題の具体的解決」の題で、読者からの相談ごとに秋聲ほか伊藤野枝、与謝野晶子らが回答しています。相談ごと①「親の家に帰りたい」…18歳女性「はつ子」さんからのお便りです。両親の反対を振り切って上京しちゃったんですけど思った生活と違いました。どうやったら家に帰れますか。秋聲の回答はこう(意訳)→「本当に帰りたいなら口実なんかいらない、引き留めたくらいの両親なら喜んで迎えてくれる。でも帰ったら帰ったでまた行きたくなるんじゃない? そういうことまで慎重に考えて、目の前のこともうちょっとだけ頑張ってみなよ。」 相談ごと②「姑を迎へるについて」…年齢不詳「世慣れぬ女」さんからのお便りです。姑との同居を夫が勝手に決めてきました。どういう気持ちで受け入れればいいですか。秋聲の回答はこう(意訳)→「別居できるならその方がお互いのため。時々逢うくらいがいい。でも生活に余裕がなくて同居やむなしとなれば、姑の気質次第で対応を変えていかないとだけど、自分の力以上のことをしようとすると大変だし、深く考えすぎると裏目に出る。この問題はもっと根深いからこれ以上は言えないけれど、とにかくできれば別居推奨。」 相談ごと③「養子を迎へるについて」…「二十九歳の女」さんからのお便りです。「資産家の父、一人娘の私。父の決めた縁談は嫌なんですけど!」 秋聲の回答はこう(意訳)→「いっそ家を捨てちゃえば!?」 いろいろ端折りすぎましたし雑にまとめすぎました(最後のには、家を出てなお家が心配なら子どもだけ返して継がせる案とか29ならもう晩婚だからグズグズできないよ、などとも)。原文は八木書店版『徳田秋聲全集』第23巻P274にて! |
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おはぎ |
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2023.2.25 |
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前回のつづきです。〈その前、十八日の午後、訃を聞いて駈けつけたときは、一そう「生きてゐる」といふ感じが強く、この秋、お見舞ひに上つて、一緒におはぎを食べたときと、少しも違つてゐない。ただ東枕が西枕になほされてあるだけであつた。さうして、急に眠りから覚め『こなひだ島中君にもらつたおはぎ、うまかつたね。いまはめづらしいので……』とでも言ひ出しさうであつた。四十年前、初対面のときと、物言はぬ姿となられたときと、その風貌が、殆ど変つてゐない。ただ頭髪が、ごま塩になつたくらゐのもの。むかしは「老人のやうな若い人」であり、晩年(臨終の後も)は「若い人のやうな老人」であつた。その芸術のみかは、肉体もまた、私には永久に生きてゐる人といふ感じがする。〉 おはぎ、おはぎ…今年の11月18日にはおはぎをお供えしましょう、そしてみんなでたべましょうね…秋聲先生てば、餡子と餅気のものがお好きだから…とちょっとべそべそしてしまうお話でした。そう、そんな没後80年。秋聲が小剣と知り合ったのは読売新聞在籍時でしょうから、明治32年、「子猫」の別府行きより前で、29歳頃かと思われます。3歳下の小剣は26歳。秋聲の享年73歳ですから、確かに約40年のお付き合いとなります。とはいえ、秋聲のほうは人見知りを発動したものか、「小剣氏に対する親しみ」なる文章の中で〈私は其の生活を全部知つてゐると言へる友人はほんの二三人しかもつてゐない。しかも小剣氏は其中(そのうち)の一人ではない。私が氏を知つたのは可也古いことではあるが、接触面は極めて微かなので、真の意味では昨今の友人であると謂つても差閊(さしつかえ)のない程度でしか氏を知つてゐない。素(もと)から嫌ひといふほどでは無論無かったが、実際氏を好きになつて、親しみを感ずるやうになつたのはつい此頃のことである。私自身は不聡明なために氏を理解することができなかつたのか、それとも偏狭な私が年を取つて比較的寛厚になつたのか、その辺は判らないが、兎に角氏の人格に興味をもつことの出来たのは、つい此の一二年のことである。〉…えっ、ちょっ…後半の巻き返しがあっても…なかなかキツ……大正6年、この年秋聲47歳 ![]() |
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金属性の声音 |
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2023.2.23 |
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昨日、秋聲の意外な特技をご紹介したところで、ハハァンそうですか~「子猫」ですか~ならばそのお得意の読み聞かせを(想像で)再現していただきましょうか~と、今年もチラリと当館が頼みにしている屈指の読み人・うえだ星子さんと板倉光隆さんのほうを見やりながら「秋聲の読み聞かせを想像でやってみる『子猫』朗読会」なる企画が頭をよぎったはよぎったのですが、この作品が案外長いものですからそれはまたちょっと別の機会に…。ちなみに前々回にご報告しました尾張町老舗交流館さんでの秋聲講座のメインテーマかつその場でもご紹介いたしましたうえだ星子さんによるご朗読「生活のなかへ」はこちらからお聴きいただけます。おふたりには今年も何らかの形でご登壇いただければ…とひそかに画策しておりますのでどうぞお楽しみに。 秋聲自身、後年になってこの思い出を語りながら、まぁ若い頃はまだ声もよかったからね、と付け加えており、秋聲の声についてはこれまでにもちょこちょことご紹介してきましたように、最近読んだものの中では吉屋信子の「徳田秋聲」に〈低い渋味のある声〉と、現在「足迹」展で展示しているパネル中、遠縁にあたる映画プロデューサーの小笹正人は〈女のやうな黄(きい)ろい声〉(「秋聲先生と私1 辱知を得るまで」)、その自筆原稿は前期のみで下げてしまった川崎長太郎の「徳田秋聲の周囲」には〈持ち前の錆びついた、金属性の声音〉、追悼系から小寺菊子さんは〈例の疳高いキンキンした声〉(「思ひ出を辿りて」)、そして犀星さんは〈時々物をいひ直されるときには癇立った声になるが、平常は低い皺嗄れた声〉(「夏草愁」)と書き残してくれています。どうも平均すると、ふだんは低い渋めのしゃがれ声、テンションがあがると金属めい ![]() ←(写真は37歳くらい) その説の最たるものが、仲良しの上司小剣による追悼文「秋聲氏のこと」。〈十一月十九日夕の、納棺に、親戚の方や近しい友人たち七八人と、柩をめぐつて立つたとき、私は故人の死面に対して、どうしても「生きてゐる」といふ気もちを取り去ることができなかつた。立ち会ひの諸氏とともにドライアイスを一嚢づつ、白菊を一輪づつ、仏のまはりに納めたときも『おい、こつちの方へ、もう少し入れてくれないか』と、いつもの声で言ひさうに思はれてならなかつた。〉 (つづく) |
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「小説を読むのが上手と誉められた旅の話」 |
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2023.2.22 |
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2月22日、本日「猫の日」ということで、次回「西の旅」展で出せそうで出せなかった秋聲と猫にまつわるお話をば。明治35年、基本胃弱な秋聲32歳のとき、兄直松のいる大阪から嫂の親戚がいるという別府へ湯治旅行に出かけた際、滞在先の家の人々に求められ、秋聲が読んで聞かせたというのが村井弦斎の「子猫」なる物語。 「(前略)海は今干潮(ひしお)なり、磯も半ば膚(はだ)を晒して島に続ける白砂一帯、蟹は水を追うて孔(あな)を爬(はい)出(い)で、貝は潮を吐(はい)て砂の上に細孔(さいこう)を顕す、軈(やが)て何処より出で来(きた)りけん、一頭(ぴき)の可愛らしき子猫、襟に縮緬の細紐を巻き頸(くび)に銀(しろがね)の小さき鈴を着けたるが、チリンチリンと音して磯の上を飛び歩く、猫の眼には物珍しき磯の光景(ありさま)、平生己(おの)が食卓の珍味とせる小魚の類は、五尾(ひき)三尾群を為して波の間を泳ぎゐる、アラ物欲しの魚(うお)やと子猫は小さき手を水に入れ魚を捕へんとすれば、魚は驚ろき逃(にげ)散じて可惜(あたら)片手の濡し損、子猫は小さき手をブラブラと振ひ暫(しばら)く掌(たなぞこ)爪先を嘗め廻して、残り惜しさうに水の面を眺め居る、忽(たちまち)にして其(その)足元にガサガサと動くものあり…」このあと蟹vs子猫、章魚(たこ)vs子猫の闘争(あらそい)が繰り広げられ、それを見ていた金太郎少年が負傷した子猫を助け、送り届けた先が安房の豪族勝山さんちのお嬢さん…! といったストーリーを秋聲がまぁ上手に読んで聞かせたそうな。 ![]() |
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筆の遅さ、耳の痛さ |
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2023.2.20 |
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![]() そうして仲良くしていただいた結果として、この講座には今回で5回目の登壇となりました。コロナでお休みされていた数年を経て、お久しぶりです~などなど雑談を交わしながら、交流館さんより受講者のみなさまに寸々語のことをご紹介賜り、(ギャッ最近さぼってる…!)とたいそう冷や汗をかきましたので、慌ててこちらも再開させてみた次第です。講座の内容につきましては、交流館さんがそれこそ熱い熱いブログ「尾張町かわら版」でご紹介くださっておりますので、ぜひHPも施設さま(無料)も覗いてみてください。過分なお言葉、恐縮に存じます。 そして心を入れ替え、久々に目に留めましたデスク上の日めくりカレンダー様によりますと、本日は「旅券の日」だそうです。明治11年のこの日、法整備がなされ初めて「旅券」という言葉が使用されたことにちなむそう。これにオッとなるのは我々の頭が旅づいているからですね。本日、次回企画展「西の旅」のチラシが校了いたしました。残念ながら海外には行ったことのない秋聲ですので、旅券(パスポート)は存在しませんが、代わりに二葉亭四迷や正宗白鳥、島崎藤村の海外旅行にパネルでちらりとだけ触れております。ちなみに大正2年、藤村のパリ紀行に関する秋聲の感想はこう。 「島崎藤村氏の『巴里だより』は、実によく描けて居る、私はあの文章によつて巴里の風光を、まざまざと目(ま)のあたりに看取することが出来た。あの中には国民性の相違が、実に明瞭に描かれてある。私は其処に、彼(か)の藤村氏が、あの眼で凝乎(じっ)と睨みつけ、華やかな巴里の町々を彼処此処(あちらこちら)と、鋭い観察をいやが上にも逞しくし乍(なが)ら、歩いて居る姿を想ひ出さずには居られない。藤村氏は実に稀代の記述家である。私は氏の天才を羨ましく思ふ。而(しか)して氏はまた筆の遅い割には、実によく書く。」(「時事新報」大正2年12月14日) (…すごく褒めてはいるのでしょうけれどもどうしても一言多い感が否めない…!) |
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吉屋信子「文壇百花之譜」 |
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2023.2.9 |
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前回のつづき、下記に全員分を書き出してみます。 「ボンボンダリヤ。牧野信一。※」 「朝顔。小島政二郎。※」 「桜。久米正雄。※」 「白木蓮。芥川龍之介。※」 「梅。菊池寛。※」 「柘榴(ざくろ)の花。志賀直哉。※」 「向日葵。武者小路実篤。※」 「カンナ。谷崎潤一郎。※」 「牡丹。泉鏡花。※」 「合歓(ねむ)の花。久保田万太郎。※」 「夕顔。近松秋江。※」 「木犀。徳田秋聲。」 「蓮の花。正宗白鳥。」 「コスモス。南部修太郎。※」 「紫陽花。正岡容。※」 「女郎花(おみなえし)。山崎俊夫。※」 「沈丁花。水木京太。※」 「石楠花(しゃくなげ)。葛西善蔵。※」 「ぼけの花。水守亀之助。※」 「椿。加藤武雄。※」 「貝殻草。十一谷義三郎。※」 「白い藤。佐佐木茂索。※」 「サイネリヤ。岡田三郎。※」 「梨の花。生田春月。※」 「曼珠沙華。萩原朔太郎。※」 「あやめ。里見弴。※」 「フリージヤ。中河与一。」 「桐の花。広津和郎。」 「山吹。宇野浩二。※」 「栗の花。相馬泰三。※」 「シクラメン。横光利一。」 「南瓜の花。新居格。」 「山桜。田山花袋。※」 「つつじ。加能作次郎。」 「龍胆(りんどう)。秋田雨雀。※」「苔の花。室生犀星。」 「桔梗。犬養健。」 「夾竹桃。宇野千代。」 「月見草。鷹野つぎ。※」 (「忘れ得ぬ人たち」より) ![]() |
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鬼と花 |
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2023.2.8 |
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昨日の記事にあげました宇多須神社の節分祭は、ひがし茶屋街の芸妓さん方が豆を撒いてくれることでこの季節、東山の風物詩となっています。当館でも毎年恒例、過去7回、ひがし料亭組合さまにご協力をいただき、館内におけるお座敷あそびを開催してまいりました。が、コロナ禍において密を避けられず、ここ数年はお休みを余儀なくされた本催事、来年度から通常通り再開してゆければ…と考えております。![]() さて、この鬼ふたりを花にたとえるなら何とする…上記「宇野浩二と大阪」からの連想で、大阪と秋聲を掛け合わせると今思い出されるのは吉屋信子(前々回記事参照)。そして信子の「文壇百花之譜」に出てくるおふたりはこう→「木犀。徳田秋聲。」「山吹。宇野浩二。」…恥ずかしながらお花に疎く、木犀と書かれ、すぐにその画が浮かばなかったのですが、検索してみて、あぁキンモクセイの! となりました。単に「木犀」とだけ言うとギンモクセイ(銀木犀)を指すことが多い、ともあり、あぁ燻し銀の! ともなりました。宇野浩二の山吹には一言コメントがついており、これがやや辛口? ユーモア? といったニュアンスで、ちょっとスパイスの利いたたとえのようです。たくさん出てくる他の人々についてはまた次回。 |
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三週間ぶりにこんにちは。 |
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2023.2.7 |
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馬込なるひとさまのところのお祭りに浮かれている間に、かつてないほど寸々語をさぼってしまったようです。最近、次回企画展「西の旅」を組み立てながら、本家・秋聲の随筆「寸々語」の登場シーンにぶつかり後ろめたさにハッとしたりなどいたしました。この間ハッとする以外に何をしていたかと申しますと、雪かきをしたりラジオの収録をしたり、収蔵庫を整理したり、資料調査に出かけたり、動画の撮影をしたり、雪うさぎを作ったり、会議に出たり、原稿を書いたり、雪かきをしたりとなんやらかんやらし![]() また今朝ほど、MROラジオ「あさダッシュ!」さんにも出演させていただき、「西の旅」展の予告をさせていただきました。今回は、2月といえば…で昭和17年2月、秋聲最後の帰郷を描く「古里の雪」のお話をしてきながら、ここ数日の暖かさたるや。雪? 雪はどこに?? という気持ちは絶筆「古里の雪」の読後感とも少し重なるかもしれません。肝心の古里に雪がないため、気持ちはすっかり秋聲が「南国」と呼ぶ西方および春から夏を向いており、同時にシリーズ展となる次々回「東の旅」を視野に入れつつ展示をつくっている都合上、パネル制作の打ち合わせをしながらデザイナーさんがぽつりと「もう11月かぁ…早いなぁ…」と呟いているのに気がついてしまいました。そう、「東の旅」の会期が7月~11月を予定しているため。 そうですね…11月もすでに視界のはじっこに入れながら生きていることは間違いありませんが、さすがに「もう11月」ではないですね…だって秋聲忌はいまだノープラン…。某K花さん生誕150年の華々しさの後ろで、今年はこっそり秋聲没後80年にあたるのでした。しみじみと秋聲を想う、そんな企画を、ぼちぼち考えてゆく所存です。 |
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「馬込文士村 空想演劇祭2022」② |
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2023.1.15 |
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今日も今日とて「馬込文士村 空想演劇祭2022」を元気に、そして好き勝手にご案内申し上げます。プログラムから演目②は「花物語ごっこ」…『花物語』(大正5年~)すなわち吉屋信子の代表作! 秋聲とは、大正8年、信子の小説「地の果(はて)まで」が「大阪朝日新聞」の懸賞小説第一等に選ばれたことをきっかけにして交流が始まりました。選者のひとりで本作を高く評価したのが他ならぬ秋聲で(他の選者に幸田露伴、内田魯庵)、推薦のお礼に信子が徳田家を訪れて以来、親しくお付き合いするように。馬込×秋聲で言えば、大正11年には信子から「大森に引っ越しました~」のお手紙が届いており、平成19年開催の「秋聲と吉屋信子」展に出品履歴がありました。 大正15年、例の「二日会」が結成された際にはそのレギュラーメンバーとなり、会の記録冊子に載るお名前をざっと数えてみただけでも14回の出席が確認されます(ちなみに尾﨑士郎も14回、宇野千代さんは4回、目安として馬込文士のおひとり犀星さんも14回タイです)。この頃、はま夫人を亡くして落ち込む秋聲を誰よりも賑やかに、華や ![]() 馬込といえば宇野千代・尾﨑士郎夫妻、萩原朔太郎をはじめダンス文化も盛んであったそうですから、そうした土壌の中からこの「演劇祭」も生まれてきたのかもしれません。演目③の「馬込の文士2022」(無料)では、千代と信子を中心に、その人物像がスタンダップコメディの形で語られるとのこと。 なお、信子には次回企画展「西の旅」にちろりとご登場いただくつもりでおります。そんな気持ちも手伝って、もはや当館の目にはこの演劇祭のプログラムが「花物語ごっこ~秋聲を添えて」、「馬込の文士2022~時々、秋聲」に見えているわけですが、こんなにはしゃいでおいてそもそも馬込文士ではないので、秋聲はたぶん出ません。 |
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「馬込文士村 空想演劇祭2022」① |
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2023.1.14 |
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![]() 昭和5年には、ジヤン・コクトオ著/東郷青児訳『怖るべき子供たち』出版記念会にそっと混じっている秋聲(「東郷はもう子供のやうに喜んでゐるのでございます」@千代筆秋聲宛礼状)。翌年には、秋聲還暦祝賀会に千代、青児ともに出席。同年、青児のアトリエ開きにもそっと混じっている秋聲(曰く「東郷青児氏の新築披露のダンス会」Ⓒ秋聲)。 この頃、千代からも青児からも「いついつ迎えにいきますー」といったような手紙が残されており、ともに26歳下のこのご夫妻に世話を焼いてもらいつつ、よく一緒に遊んでいたことがわかります。そういえば、どこだか旅行の話もあった…と確認にゆけば、昭和5年11月、千代から手紙で熱海に誘われておりました。さっそく展示したいところながら、これはどちらかというと次々回企画展「東の旅」向き資料。その少し前にも会っていたか、上記の出版記念会を指すか、「先生がご機嫌よくおいで下さいましたので東郷がとても嬉しがってをりました」@千代筆書簡)。そんなわけで、もはや当館の目にはこの演劇祭のプログラムが「千代と青児と秋聲」に見えているわけですが、秋聲はたぶん出ません。 |
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企画展「舞台―石川と近代演劇」 |
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2023.1.11 |
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昨日火曜の休館日を利用して、「足迹」展出品資料の一部を入れ替えました。秋聲のはま宛て書簡の差し替えをいくつかと、川崎長太郎「徳田秋声の周囲」自筆原稿を真山青果筆秋聲宛書簡に変更。はま没後の荒れ果てた生活ぶりを綴る短編「暑さに喘ぐ」の初出誌「中央公論」大正15年9月号を新たにお出しいたしました。とくに青果の書簡ははまを喪った秋聲にどうやら再婚を勧める内容のようで、〈家事家政の煩雑事まで心を労されては貴下のお体がたまるまいと実に御心配申上居候 自分が病気して見ると余計こゝろにかゝりてお案じ申上候 くれぐれも老友の愚案をお取捨なきやう願上候 若し機会熟し申候はば小生方にも一人心当りの者あり候 急がず投げずよく々々御思慮被下度候 御一身内のことに余り差出がましく候へども自分に種々の経験あるだけに申上るのに候〉…と見え、青果もまた早くに妻と死別しておりますので、同じ境遇からこの頃の秋聲を気遣ったお手紙であると言えそうです。 さてそんな青果といえば、小説家であり劇作家。明治末、秋聲と同年生まれの国木田独歩の死を看取った人物としてよく知られていますが、その界隈のことも含めて文壇ですったもんだあり、小説を離れ劇場の世界に活路を見出してゆきます。初代喜多村緑郎の誘いにより脚本作家見習として松竹に入社。やがて現代でも上演される「元禄忠臣蔵」などの歌舞伎脚本を生み出すほか、秋聲曰く〈友人関係の因縁で〉その作品のうち「誘惑」「路傍の花」「二つの道」の三作品の舞台化を手がけました。かつ、毎度しつこくも前回記事中に宇野浩二の言う藤村と秋聲の第二回野間文芸賞賞金折半話にちなみ、同賞の第一回受賞者こそこの真山青果!(第二回は受賞者なしであったため賞金を折半することに。藤村・秋聲ともにむしろ選考委員です)。そうしたゆかりでもしやお名前 ![]() |
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企画展「まなざしと記憶―宇野浩二の文学風景」 |
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2023.1.8 |
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![]() 〈「文学の鬼」と呼ばれた作家・宇野浩二(1891-1961)が、大正時代、まだ稀少だったカメラを持ち歩き、大量の写真を残していたことをご存知でしょうか〉(展示概要より)とある通り、同館「宇野浩二文庫」に保管されているという一千枚を超える写真群のうち、宇野自身が撮影したものその他が、彼の残した文章とあわせて紹介されるとのこと。「日本古書通信」12月号では、山岸先生が「宇野浩二の写真」として展覧会の内容・意義を語るとともに、久米や直木三十五、里見弴、加能作次郎らのお写真も掲載されています。 残念ながら、上記の玉川遠足に秋聲は欠席しましたので、この時は写りようもないのですが、ふたりの交流を「足迹」展との絡みで言えば、秋聲の妻はまの死をきっかけに発足した「二日会」に会員外から宇野君を招待したよ~と秋聲自身が記録した文章がありました(「実感から」昭和2年3月)。その会で宇野君と作品をめぐって議論になり、秋聲は〈少したぢたぢの形〉になってしまったとか。また「足迹」展でご紹介している宇野の作品評は戦後の「芸林閒歩」における座談会での発言で、これが実質的な秋聲追悼号であったと同様、雑誌「新潮」の追悼号(昭和19年1月)にも「徳田秋聲氏のことども」のうちのひとつとして宇野の「道なき道」が掲載されています。そこでは主に第二回野間文芸賞の賞金が秋聲と島崎藤村に折半して贈られることになった時の授与式に触れ、そのスピーチで、藤村にはいつも助けられていること、自分がいかに怠け者であるか、「五百円とか、千円とかいふのなら、小遣ひといふこともあるが、五千円はありがたい。」と語ったという秋聲のそのあまりに素直な物言いに心打たれたことなどが綴られています。そして結びには、上記「二日会」と同じ昭和2年頃、ふと寄った銀座の喫茶店で揮毫を依頼され、渡された帳面をぱらぱらしていると一番最後のページに秋聲の筆跡を見つけ、その文句にはっとした、と。曰く、「道なき道を歩む 徳田秋聲」。 会期中はギャラリートークほか、1月21日(土)には山岸先生による講座「宇野浩二の『語り』の可能性」もおありとのことです。秋聲を置いておいてもこれはとても気になるご企画…! |
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春の雪 |
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2023.1.7 |
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![]() そういえば秋聲がはじめて東京へ旅立ったその日もちらちらと雪の舞う日であった、と『光を追うて』を読み返しましたら、3月の末〈裾端折(すそはしおり)の甲かけに草鞋(わらじ)といふ軽装〉であったそうな。それで森本、津幡を過ぎて倶利伽羅峠を越え、ちょっと人力車なんかにも乗りつつ市振を過ぎ、親不知子不知海岸をすり抜け、直江津でようやく汽車に。「ワットに感謝」。長野まで行き、そこから歩いて碓氷峠を越え高崎、そして再び汽車に乗って上野へ…というとんでもない道のりを突き進んだ草鞋履きの秋聲22歳、そして旅の道連れ・桐生悠々20歳です(悠々さん、今年生誕150年おめでとうございます!)。 この上京物語は取り上げないのですが、次回3月中旬からの企画展タイトルは「西の旅」と言い、秋聲が出かけた西日本各地のエピソードをご紹介する内容です。なお、とくに何事もなければその後の夏秋でもって東日本篇「東の旅」をお送りする予定にしております。比べてみて「西の旅」という響きの方に座りがよい、と感じてしまうのは単に五音というだけでなく秋聲作品に同名の短編(と単行本)があるためでしょうか。ご存じ、『光を追うて』のお尻にくっつき、本編のうちに吸収された一作です。逆に「東の旅」という作品はなく、「西の旅」ありきのシリーズ展…とはいえ、すこし今回の「足迹」展とも重なる長野行きも含め、西日本に比べて東日本のボリュームの大きいこと!(金沢への帰省旅行は西に入れました) と、そんなバランスも考えながら、ただいま資料を探索しつつ、パネルの数量やケースの中身を組み立て中です(アッ、折鞄ならぬ秋聲愛用の旅行鞄がありましたね!)。 |
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かきもち編み |
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2023.1.5 |
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昨日うんともすんとも言わなかったエレベーターが元気になりました。おかげさまでほっと一安心いたしました。そしてそんな騒動を発端にあれよあれよと覗きに行った金沢湯涌江戸村さまのHPで、たいへん愉快なイベントを発見! 2月4日(土)11時~12![]() 「常設展にいつもお出ししている秋聲遺稿「古里の雪」(レプリカ)も旅の一味となりまして、秋聲没後に刊行された単行本『古里の雪』もろとも当館を旅立ってゆきました。ちなみに本書には中にピロリとした名刺大の紙片が挟まっており、こんな記述がございます。 『装幀は、玉井敬泉画伯の筆になる。表紙カバーは、北陸地方色豊かなカキ餅の図。見返しは、加賀友禅、遠く卯辰山、三十塔、五本松、近く天神橋、静明寺の甍を北都の冬、降りしきる雪景色の中に表わし、配するに、秋聲先生自筆の一句を以つて飾つた。 白山書房編輯部』」 というわけで、地方によってはご覧になったことのないかもしれない「カキ餅の図」とはこのような光景を言うのでしょう。この日は「かきもち編み体験やかんじき体験など冬の暮らしを体験できます」とのことで、あわせて秋聲はかんじきを履いたことがあるかしら? と雪原を行進したっぽい随筆を漁ればこう→「自分等の少年時代のウヰンタースポーツは雪合戦と、兎狩りに止めを刺す。」(「雪のない春」) アッ…うさぎを…! 四高時代の思い出です。ヤーッと威勢よく出かけたけれど「行軍中に大熱を出して、肝心の兎よりも先に倒れて了(しま)つた」そうで、その足下がかんじきかどうかも分からなかった上に今年の主役のうさぎを追い込んでいてハラハラしました。 |
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謹賀新年 |
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2023.1.4 |
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あけましておめでとうございます。本日4日より、通常通り開館いたします。今朝いちばんで書斎の書幅を新しくいたしました。今月は万葉集から秋聲自筆
長奥麻呂(ながのおきまろ)の和歌一首。「大宮の内まで聞ゆ網引(あびき)すと網子(あこ)ととのふる海人(あま)の呼声」、「病秋聲謹書」と署名された最晩年の筆跡です。それから例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんへと向かい、こちらも新年初回にお邪魔させていただきました。以前の寸々語でもご紹介いたしましたとおり(去年の記事は過去ログに格納)、秋聲仕様のシンプルお雑煮のお話から、正月飾りを嫌う夫と出したい妻の攻防、そこから開催中の「足迹」展までご宣伝いただきたいへん有り難いことながら、大正15年以降はどうしてもお正月というと妻はまの死、という悲しい文脈になってしまう徳田家ですから、番組でも急にしめやかな空気にしてしまって恐縮でした。しかもそ![]() そんな資料各種によりいつになく厳粛な雰囲気漂う現在の書斎に似合わず、その少し手前がとてもカチャカチャしておりますのは、北陸名物〝鰤おこし〟(=冬の雷)の影響かどうか、エレベーターに不具合発生。新年早々、お客さまにはたいへんご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません。今業者さんが懸命に復旧作業にあたってくださっています。そして雷といって思い出されるのは雷嫌いの川向こうさん(某K花記念館、2月末まで休館中)とシュッと天に向かって屹立する避雷針をお持ちの金沢くらしの博物館さん(現在見られる避雷針は復元されたものだそうです)。 企画展で三文豪の防寒についてご紹介くださるなかでもくらしさまの年末のブログ、ことさら秋聲まみれですね…! ありがたいことです。秋聲作品をふんだんに用いながら、当時の雪との暮らしをご解説くださっております。また記事中、金沢湯涌江戸村さんに言及があるのも面白いところ。文字→その実物→いっそ建物、と、どんどんスケール大きくあらゆる角度から歴史に触れることの出来るのが金沢という街の強みでございます。各施設あわせて、今年も何卒よろしくお願いいたします。 |