寸々語

寸々語(すんすんご)とは、秋聲の随筆のタイトルで、「ちょっとした話」を意味します。
秋聲記念館でのできごとをお伝えしていきます。





レコードにつまった歴史
   2023.12.8

 昨日もすこしご登場いただきましたが、その館にうかがったのは早やひと月前…といったわけで、東京は文京区の弥生美術館さまで開催中の「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展および隣接する竹久夢二美術館さまの「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~」展を観覧させていただきました。ふだんからたいへんお世話になっているご両館であることは言うまでもなく、今なぜこの展示を、と言いましたら先月の秋聲忌ご参加のみなさまには先行発表させていただきましたとおり、今年秋聲没後80年を記念して「レコオドと私―秋聲の聴いた音楽」と言う名のCDを制作しているため! どこが? 当館が、です! 日本コロムビアさまにご協力をいただき、秋聲作品に登場する楽曲を中心に、主には金沢蓄音器館さまご所蔵のSPレコードを蓄音器で再生した音源を収録した全10曲入りCDが間もなく発売となります。そうした背景もあり、当時の文化・風俗を学ぶため両館にお邪魔し(弥生美術館さまでは銘仙があまりお気に召さない夢二さんのくだりが意外で面白かったです)、中でも特にレコードについて学ばせていただいたというわけです。当館ではつい秋聲が秋聲が、と鳴き声のようにそればかり繰り返してしまうところ、夢二美術館さまの展示では、日本におけるレコード・蓄音器の受容そのものから語り起こされ、それら流行と夢二さんの生涯が重ねて見られるような構成となっており、さすがだなァとそのパネルのつくりに見惚れました。レコードコレクターでいらっしゃる「ぐらもくらぶ」代表・保利透氏ご提供・ご監修による当時の貴重なレコードと、夢二さんと言えば楽譜のデザイン分野でもご活躍ですので、夢二のショパンってばオシャレ~…と鮮やかなグラフィックが巧みに組み合わされ目にも楽しい展示です。人気のレコードにあやかって横行するニセモノ(?)や、戦争が近づくにつれその色を帯びてゆくレコードラベル、与謝野晶子など著名人の肉声の中に居並ぶ渋谷のハチ公の肉声(!)などなど、レコードには想像していた以上の歴史とおもしろさが詰まっており、かつ現在NHKで放送中の朝の連続ドラマで再注目を浴びている笠置シヅ子に関連するコーナーも備えて、ドラマ視聴勢にはハゥッとなること必至。ケースの中の歌詞カードをたどり、そして脳内でうたうのです、……チェリオッ!(Ⓒ「恋のステップ」) 
 有り難いことにお忙しい学芸員さまにご案内をたまわり、おかげさまでより理解が深まりました。今月でしたら16日(土)午後2時より展示解説、また同日5時15分からは保利氏によるSPレコード講座も開催予定とのこと。エッ…同氏のご著書『SPレコード博物館』発売記念…!? 今月13日のご発売だそうです。買って拝読してからつくるべきであった当館のCDは23日発売予定。詳細は追って発表いたします。





クリスマスなので
  2023.12.7

 本日は「クリスマスツリーの日」だそうです。明治19年のこの日、横浜で日本初のツリーが飾られたことにちなむとか。どうりでじわじわと力が湧いてくると思いました。当館のマスコットサンタが最も力を蓄え、そして思い切り放つ今月でございます。
 現在の自筆原稿展前期では、秋聲の長編小説から二枚だけ原稿が現存している「土に癒ゆる」を展示中です。昭和3年、「婦人公論」に連載された作品で、残る原稿はその第29回、絵の勉強のため上京してきたヒロイン涼江が、友人らと銀座をぶらぶらしている場面。〈それはもう其の歳も暮に近いことで、どこでも売出しの装飾に景気をつけてゐたが、わけても、今は東京の年中行事の一つとなつたクリマスが一両日のうちに迫つてゐるので、銀座は一層人が出盛つてゐた。パイントリイの緑が到るところの店に、暮らしい慌ただしさと楽しさを浮立たせてゐた。〉――と、まさにこの時期に近い町の賑わいが描かれています。あらクリスマス~と原稿を見ながらこの文章を打ち、気づいたことにはアレッ秋聲「クリマス」って書いてる?? と二度見三度見。こちらの打ち間違いでなく、原稿にはたしかに「クリマス」と記してあります。さらに引用した後の場面にもやはり「クリマス」。念のため初出誌、初版本を確認すると、いずれも「クリスマス」になっていました。クリマス…クリマス…と思いながら国会図書館データベースでなにげなく検索してみると、竹久夢二の童話集『春』(大正15年)がヒットしまして、その目次に「クリマスの贈物」、しかし本文はやはり「クリスマス」。「あのね、かあさん。もうぢきにクリスマスでしよ」とみっちゃんが……恥ずかしながらにわか調べではよく分かりませんでしたので、日本におけるクリスマス受容にお詳しい方、呼称についてぜひご教授くださいませ。そんな秋聲による頑なな「クリマス」原稿は年内までの展示です。ついでに、こちらの初版装幀は棟方志功によるもので、先日ご案内いただきました石川県立図書館さまの2月1日からの企画展「本の装丁 棟方志功と同時代の芸術家たち」のチラシビジュアルに本書を発見! 6月2日までの会期です。
 もうひとつお届けいただいた市内の映画館シネモンドさんの今月の上映情報を見ておりましたら、シネモンド25周年記念企画として「青山真治特集+1」の開催があり、中に秋聲の短篇群を原作とした青山監督作品「秋聲旅日記」の上映が…! おまけに故青山監督とゆかり深い甫木元空監督のトーク付…! その日程は12月24日(日)12時50分~~~! さすが秋聲の季節、当館のコンサートとかぶってしまったクリスマスイブ~~~! こちら是非どなたか…行かれましたならどうかレポートを当館に…!!

 
 


続・芙美子生誕120年
 2023.12.2

 前回ご紹介した『牡蠣』出版記念会の次のページに掲載されている図版は、鈴木三重吉による芙美子へのお手紙。昭和11年3月25日付で、自身の主宰する童話童謡雑誌「赤い鳥」への寄稿承諾に対するお礼状だそう(北九州市立文学館蔵)。「子供のものだとおぼしめし、調子をお落しになりませんやうに。むつかしい表現でも何でもかまいません。絶対の作品のおつもりでおかき下さいまし。」……厳しくも芙美子を思うあたたかな手でその背を強く叩き、そして前へと押し出してくれるような良き内容だなァと思うと同時に、この言葉のリズムには聞き覚えが…と思い出されるのがやはり「赤い鳥」への寄稿絡みで三重吉が秋聲にくれた葉書です。
 「坊ちゃんとお馬ごつこをなさるような軽ひお心持ちでノンキに御書き下さいまし」(大正7年4月14日付)……アラッ三重吉が秋聲に見せる手のひらはとっても柔らかいですね! 単純に年齢やポジションの差なのか、やれば出来る芙美子さんの一方、子ども向けに書くのがとことん苦手な秋聲に対するアプローチの違いなのか…ちなみに芙美子は秋聲の長男一穂とほぼ同い年(三重吉は秋聲の11歳下)。その次のページには、芙美子が残した童話の数々が紹介されています。
 さらに進んで、芙美子の絶筆となった『めし』のページでは、こんな言葉が思い出されます。未完のまま刊行された本作のあとがきにある、芙美子と仲の良かった川端康成によるこの言葉。自分は誰にも影響されなかった、と言う芙美子の言葉を引用しながら、〈日本の作家のうちで、芙美子さんが最も影響を受けているのは、徳田秋声です〉(『めし』朝日新聞社、昭和26年10月)。
 そして図録の巻末のほうには、〝宿命的な放浪者〟であった芙美子が新宿に定めた終の棲家についての詳しいご紹介があり、あぁ昭和16年に完成したばかりのこの家に芙美子は病床の秋聲(当時71歳)をともに暮らすよう誘ってくれたのだ…芙美子は秋聲を一体どの部屋に置くつもりだったのだろう、などとその間取りを眺めながら想像したりもするのです。
 終始、秋聲に引きつけてしまい恐縮ながら、とても気合いの入った充実の図録でついつい読み耽ってしまいます。こちら会期終了後も、新宿歴史博物館さまでお買い求めいただけますので(追って通販も!)ぜひご購読ください。





芙美子生誕120年
  2023.12.1

 12月になりましたので書斎の書幅をかけかえました。12月はどれにしようかと考えて、ふと頭に浮かびましたのは林芙美子のこと。今年生誕120年を迎え、さらには12月31日が戸籍上のお誕生日ということで、何のお祝いも出来ませんでしたのでせめてこのひとつきを芙美子に捧げることにいたしました。ちなみに先月の秋聲忌から秋聲お誕生日の12月23日(旧暦)までは、書斎が秋聲在宅バージョンとなっております。芙美子の書跡を背に、執筆にはげむ(たばこ休憩をしている)姿をぜひご覧くださいませ。
 と、この節目を記念して、生誕120年記念「林芙美子展―旅人で 詩人で 傑作書きで―」をほんの一週間前まで開催されており、しかしついに観覧に伺うことのできませんでした新宿歴史博物館さまより、とても有り難いことにこのたび展示図録をご恵贈たまわりました。ウッ…ウッ…なんとお優しいこと…どうか不義理をお許しください…たいへん立派な図録で、こちらの展覧会の副題となっております「旅人で、詩人で、傑作書きで」との美しい文言の出典、井伏鱒二筆芙美子宛書簡の大きなお写真から始まります。鱒二といえば秋聲会の発起人もつとめてくださったお方。芙美子は多忙のためか、ほとんど二日会(秋聲会前身)ないし秋聲会に顔を出していないようですが、秋聲を生涯心の師として慕ったことはよく知られており、鱒二から芙美子に秋聲会機関誌「あらくれ」への寄稿を依頼する手紙などの存在することを、かつて開催した芙美子展の際、ご所蔵者である北九州市立文学館さまより教えていただきました。また、〝宿命的な放浪者〟たる芙美子の軌跡を丁寧にたどるこちらの図録を拝見してゆきますと、昭和10年に刊行された小説『牡蠣』を冠する芙美子の「牡蠣時代」において秋聲のしゅの字を発見! この作品に、秋聲からの影響を指摘する内容です。同じページに掲載された『牡蠣』出版記念会のお写真に、残念ながら秋聲の姿はありませんが、徳田家所蔵として同じ日の別のお写真があり、秋聲も発起人のひとりとして出席していたことが分かります(左から 宇野浩二、佐藤春夫、秋聲、広津和郎、長谷川時雨、芙美子、保高徳蔵)。
 写真ではみなとり澄ました顔をしていますが、このときの秋聲の記録によれば、会は〈在来の形式を破つたもので、卓上演説ぬきといふ約束で、(中略)ピアノや独唱があり芙美子氏のどぜう掬ひ(どじょう掬い)といふ珍芸も出たりした、ちよつと浮かれ気分になつた〉とな…。滅多なことでは笑顔を見せない秋聲が浮かれ気分になるとは余程の芸かと思われます。     
                               (つづく)



 


鏡花生誕150年イベント振り返り
  2023.11.30

 さて、お菓子をとっても〝和洋〟と対極な兄弟弟子ではございますが(昨日記事参照)、そんな川向こうの兄弟子館が去る26日、生誕150年記念特別展「再現!番町の家」の閉幕とともに館内設備工事のため長期休館に入ることとなりました。次の開館は明けて1月中旬とのことで、この1年、全国を股に掛けほんとうに忙しくご活躍でしたからすこし館を休め、戦い抜いた体内のメンテナンスにご注力いただければと思います。ほらまた月末がやってきましたよ…晦日そばでもともにいただきますまいか…
 だいぶん寝かしてしまいましたが、硬い蕎麦が苦手で(要は不粋)梨に酔う(要は不粋な下戸)秋聲らしき「丁」の登場する「麻を刈る」ほか〝鏡花が見た秋聲〟、そして〝秋聲の見た鏡花〟について語り合う生誕150年記念対談が、某K花さんのお誕生日前日の11月3日、幸いなことに大きな怪我人もなく無事に終了いたしました。ご参加くださったみなさま、まことにありがとうございました。
 鏡花サイドからは宇都宮大学教授・鈴木啓子先生にご登壇いただき、秋聲サイドからは当館蔀館長が、実はこちらも同門であったというふたりによる対談です。鏡花「湯島詣」(明32)から秋聲「黴」(明44)、鏡花「麻を刈る」(大15)、秋聲「和解」(昭8)、そして鏡花の「薄紅梅」(昭12)へ……この「和解」から「薄紅梅」への流れのお話がとてもドラマチックで、後世どれだけ面白おかしく語られようとも(自戒をこめて)、やはり同じ時間・空間を共有したふたりでしか書けない作品をそれぞれ残してくださったんだなァと、ぜひ双方連続して読まれてみることをお勧めします。
 そして対談でも触れられました例の火鉢案件につきましては、11日の三文豪メインイベント「三文豪の『家』を語る」で、秋聲サイド・大木志門先生より新しい見地が示され、会場が一瞬、(は、犯人はおまえだったのか…!)みたいな空気に包まれましたことをご報告申し上げます。とはいえ当人たちが何も書き残しておりませんので(あるいは発見されていない)、やはり真相は薮の中…現場が鏡花の家であったのか改造社であったのか、火鉢があったのかなかったのか、鏡花が殴ったのか蹴ったのかあるいは両方か、そのきっかけが秋聲の〝紅葉先生の甘いもの好き〟発言であったのかそうでないのか…ほんとうのことはわかりません。けれども、鏡花サイド・穴倉学芸員による、同館特別展でもお披露目されたあの「桐の胴丸火鉢」の存在感が、鏡花または鏡花宅を一種象徴するものであった、という解説がとてもしっくり来たものです。そのようなわけで、こちらも怪我人なく涙なく、いとほがらかに終了したその裏に、室生名誉館長(犀星ご令孫)から繰り出される室生家のほっこりエピソードの数々の存在がとても大きかったことを申し添えます。金魚にアジノモト…



 
 

「硯友社文庫」開館式
  2023.11.29

  秋聲没後80年、某K花さん生誕150年、そして紅葉先生没後120年の今年、紅葉率いる文学結社「硯友社」の名を冠した施設が世に誕生いたしました。東京は九段下、かつて硯友社のあったまさにその場所に建つ和洋九段女子中学校高等学校内にこのたび「硯友社文庫」のニューオープンです! こちらこそ同学園創立125周年記念企画とのことで、2年前の秋聲生誕150年の年に連続講座「紅葉と秋聲」講師としてお招きした紅葉研究者・木谷喜美枝同大学名誉教授が中心となって設立されたもの。26日、有り難いことに上記のご縁からお招きにあずかり、館長・学芸員でもってその内覧会・開館式に出席をさせていただきました。中・高等学校内の一室ながら、思いのほか広い展示スペースに大きなケースが並び、ところ狭しと同学ご所蔵の資料が陳列されています。木谷先生のご解説によれば、それらは大きく三つに分けられ、地縁によって同学歴代の先生方が地道に収集されてきた関係資料と、紅葉曾孫・小野立子氏からの寄贈資料、そして紅葉門下の石倉翠葉に師事した花笠庵翠邦資料から成るそうです。学校前の硯友社跡の看板には紅葉のお顔がバンと載り、展示資料にも紅葉のものはもちろん多いのですが、そういった成り立ちや文士たちが集い文学に遊んだ場そのものを後世に伝えることに重きを置き、紅葉の名だけを冠するのでなく「硯友社文庫」と命名されたそう。たしかに、展示室には同人たちが硯友社に遊んだころの若きお写真が並びます。そして、こうして公開する最も大きな目的は、死蔵して埋もれさせることなく、広く活用を促すこと――というわけですので、おそらく年明けになろうかとは思われますが、もちろん関係者や研究者のみならず、みなさまにご観覧いただける施設と伺っております。一般公開の詳しい情報につきましては、硯友社文庫さまからの公式発表をお待ちいただけましたら幸いです。
 また図録も立派! 硯友社機関誌「我楽多文庫」の表紙を模した印譜の並ぶ表紙、そしてその見返しもまた木谷先生のこだわりによるつくりだそう。こちらもおそらく通常販売されるのではないでしょうか。秋聲のしゅのページもありますよ! なお当日は川向こうの某K花記念館さんも(当然)ご出席と聞いたため、おみやげがかぶってはまずかろうと「カステラを手配したので、もしまだだったら避けてよろしく」と連絡すると、「紅葉先生が褒めてくださった胡桃の最中を手配済み」と返ってきて、あんまり〝らしく〟て笑いました。





語り継ぐべき秋聲忌②
 2023.11.24

 先日ご案内いたしました浅野川倶楽部さんの朗読公演にお邪魔してまいりました。会場は徳田家菩提寺・静明寺さん。昨日はぽかぽかとほんとうに好いお天気で、境内の秋聲墓碑にもさらにお花が増えたようにお見受けしました。あの日はたいへんでしたねぇとご住職さまとお話をさせていただき、やがてご公演が始まると幼い少年少女が登場、秋聲の俳句を元気に詠み上げてくれました。「秋の蝶月夜の野辺を飛びにけり」――と、ご本堂内に蝶を幻視したあたりで秋聲作「胡蝶」へと。そして、近頃の寒さが作品の雰囲気にぴったりなのでは~などと前回のブログで書いていながら、一穂作「粉雪」にはあたたかすぎるほどの好天の日でしたが、そこはご朗読者さまのお声で気持ちよく作品世界に連れていっていただきました。木下順二の「夕鶴」も、さながらお芝居を1本拝見したような密度で、ご公演中にうたわれていたわらべ歌をほろほろと口ずさみながら帰るみちみち、青空に鶴のうしろ姿を探し、浅野川の土手に見つけたすすき。「鐘の音の芒の風となりにけり」――さきほど同じく少年により披露された一句に凝縮される、そんな一日となりました。浅野川倶楽部さんのご公演はあさってまで続きます。また、ご遠方の方にはYouTubeチャンネルもございますので、ぜひそちらからお楽しみください。
 さて、ご朗読でもって秋聲を偲ぶと同時に、先日の秋聲忌第二部では記念講演からも秋聲を偲びました。小林修先生のご講演「徳田秋聲と日露戦争―司馬遼太郎『坂の上の雲』に触れて」では、今年没後80年の秋聲と生誕100年の司馬遼太郎の邂逅です。ふだんあまり言及されることのない、いずれも明治37年発表、まさに日露戦争下における秋聲の小説「春の月」「通訳官」、全集未収録の秀作「将軍出づ」、そして「おち栗」をご紹介いただきながら、作品の素材となったであろう当時の戦局レポートや、『坂の上の雲』における表現と比較することであぶり出される秋聲の創作性、また、いまだ終戦を迎えていない渦中においてこう書いてしまうのか! といった点を抽出して詳しくご解説をたまわりました。過去に開催した「秋聲の戦争」展で少しだけ触れたことはありましたが、確かに本講演でご興味をもたれても、全集のほか気軽に読むことのできない作品群です。今後の当館オリジナル文庫制作に反映させてゆければ…とも思いながらお聴きいたしました。小林先生、ありがとうございました。
 以上の作ではありませんが、秋聲作品をお茶の間に、をテーマに(嘘です)新たに秋聲作品集を編んでくださった田畑書店さまのポケットアンソロジーにつきましては現在入荷手続き中です。版元さまのほうで通販が開始されたそうですので、一刻も早く手に入れたい!という方はこちらからご注文ください。





朗読小屋 浅野川倶楽部 第35回朗読公演
 2023.11.20

 秋聲忌レポートに挟む形で、静明寺つながりのイベント・朗読小屋 浅野川倶楽部さんのご公演「朗読で彩る郷土文学の世界」をご紹介いたします。日頃より三文豪をはじめ秋聲作品をとても大事にしてくださる浅野川倶楽部さんよりご案内が届きまして、11月11日~26日に開催される「朗読で彩る郷土文学の世界」公演のうち、しあさっての23日(木・祝)に徳田家菩提寺・静明寺さんにて秋聲の「胡蝶」と長男一穂の「粉雪」、木下順二「夕鶴」が披露されるとのこと。「胡蝶」は当館のオリジナル文庫『秋聲少年少女小説集』に収録があり、明治29年、秋聲26歳のころ雑誌「少年世界」に発表した子ども向けの作品です。なんとなく学校に行くのが嫌になってしまった花太郎少年の一炊のナントカ……のような内容で、同年同月、同じ博文館発行による「文芸倶楽部」に発表された「藪かうじ」が秋聲の文壇デビュー作と言われていることを思えばなんだか感慨深いものがあり。博文館に在籍しながら、自分の書きたいものより需要のあった子ども向け作品をせっせと書いては糊口をしのぐ…そんな若き日の一連の作のうちのひとつと言ってもいいかもしれません。
 一穂の小説「粉雪」は、大木志門編『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想』(龜鳴屋)に収録されたことで初めて読むことができるようになった貴重な一作。同書によれば、初出は昭和21年7月、初出誌は「北の女性」…恥ずかしながらまったく耳にしたことのない誌名です。終戦後、長野に疎開させていた荷物を取り戻しにゆく道行きのなかで引き出される家族、親族の事情――粉雪ならぬ霰、雹に見舞われた今月でしたが、ちょうど肌に染み入る今の寒さが、この物語の世界へとつれて行ってくれそうです。そして「夕鶴」は戯曲だけあり、6名のメンバーのみなさまのお名前がクレジットされていますので、ちょっとお芝居のような感覚で楽しむことができそうな。
 また、冒頭には「徳田秋聲・俳句 小中学生のみなさん」とも記されており、やはり大木先生ご編纂による『徳田秋聲俳句集』からいくつか読み上げていただけるのでしょうか!? それもこれも本にして手に取ることのできるようにしていただいたおかげさま、それをこうしてさっそく使ってくださる有り難さ。「夕鶴」以外は館のショップで取り扱っておりますので、ご公演を堪能され、ぜひ活字でも読みたい!! とのお気持ちが高まりましたならお帰りにぜひお立ち寄りください。23日に関しましては入場無料とのことです(日程により変動あり)。





語り継ぐべき秋聲忌①
  2023.11.19

 昨日11月18日、没後80年にあたる秋聲忌を終えました。週間予報からしてこれはただごとでは済まないかも…という気はしておりましたが、いざ迎えた当日の天候たるや! 最高気温11度、最低気温5度、朝からの大雨が霰に変わり稲妻は光り雷は轟き、あまつさえ雹まで降り出すというてんこもりでした。徳田家菩提寺・静明寺さんご本堂でご住職がご挨拶くださった直後に鳴り響く雷鳴…秋聲先生、お返事が大きいですね…! 去年はイチョウの木が風にザァッッと鳴る程度の慎ましやかなご反応であったものが、今年は没後80年だからか元気いっぱいの存在感を放ち、さらには徳田名誉館長をはじめとする参列者さまの献花後、では秋聲記念館に移動…というタイミングで、大粒の雹がバッチバチ打ちつけてくる、イタッ!イタタッ! ともう秋聲の気持ちが痛いです。ハイみんなようこそーー!これが金沢ーーーー!! と言わんばかりのめまぐるしい表情を見せつけてくださり、車からの水跳ねやご移動中のみなさまのお足元や安全のことなどを考えに考えすぎて動揺しすぎた結果、館まで誘導するはずの道を間違えました。地元民しか使わぬような生活道路をぐいぐいと…そうしてようやく館にたどりつき、さてここからは室内、では気を取りなおして第二部を…とパワーポイント用のパソコンを起ち上げた瞬間の沈黙…いやいやいやいや、さっきまであれやこれやとお賑やかにしてくださっていたでしょうが! ここへ来てのチーンは困ります…!! と大量の冷や汗をかきながら、他の職員さんのパソコンに差し替えすこし遅れての開会となりました(のち事務室では知らん顔をして起ち上がるパソコンの小憎らしさ)。あれもこれもみなさまをはじめご登壇くださった小林修先生にもたいへん申し訳なく…すべての不手際につきまして深くお詫びを申し上げます。
 今日に限って、今に限って、というのは秋聲も好きそうな日常あるあるではございますが、なかなかたいへんな日となってしまった今年の秋聲忌でした。去年は暑いくらいの好天にめぐまれたような…幻でしょうか?
 さらに一夜を経て、あぁ、献花の際いつもは全員が石川近代文学館さんご手配による白菊を手向けるところ、今年は特別に名誉館長がご自身で持参された秋聲の好きな真っ赤な薔薇を手向けられていたのに、献花台の撮影を忘れてしまった…と不手際が上塗りされました(こちらは外の墓碑→)。けれども当日「雨天中止とかありますか?」とお問合せくださったお客様に「基本、ないです。悪天候ですみません」と思わず謝罪すると「いいえ、お天気ばかりは誰のせいでもありませんから」とお返しくださったお客さまの優しさを何度も思い返しながら救われもしております。



 


秋聲没後80年記念コンサート「レコオドと私」開催決定!
  2023.11.15

 先日、いつもお世話になっている方より、衝撃の事実をうかがいました。
「別にのろけとかじゃないんですけど、妻との初デート、秋聲さんの『赤い花』朗読劇だったんですよ」、と……。えっ、えっ!?…ウワッ、うわぁああああ~!!!
 秋聲さんの「赤い花」朗読劇とは、令和3〈2021〉年12月23日の秋聲満150歳のお誕生日に開催いたしました一夜限りの記念朗読劇のこと。市内文化ホールをお借りし、450人の方にご観覧をいただきました伝説の(と自ら言っていくスタイル)祝賀会を指します。へえ、それが初デートで…今めでたくご結婚されて…新婚さん……いまだ経験したことのない新しいタイプのご報告に、「おめでとう」なのか「ありがとう」なのか発すべきふさわしい言葉が見付からず、結果うわぁあああになりました。
 「赤い花」――去る12日、百万石文化祭でもその手腕を発揮された演出の板倉光隆さんをはじめ、出演者さまやスタッフさまこそかなりの贅沢仕様でしたが、ストーリーといたしましては基本悲恋なんですけれども大丈夫だったでしょうか…!? 恋に燃えるふたりの結婚にたちはだかる彼氏の母、みたいな内容でしたが……いいえ、大丈夫だったみたいです! 
 わぁ~ありがとうございます~観終わったあと、おふたりの間に変な空気が漂っていなくてよかったです~! (後の)奥様とは「わたしはむしろお母さんに共感したけど」とか「まぁ若い二人の気持ちもさ」とかいろいろ感想を話し合ってくださったそうで、え~今後おふたりが思い出話をされる際、「そうそう、初デートは秋聲の舞台だったよね」って会話になるんですねえええ、と多大なるときめきをいただきました。
 結果そんなおめでたいおふたりがいらっしゃるならいまだその余韻を引きずっていてもいいじゃない、の精神で、来る12月24日(日)、「赤い花」を下敷きにした秋聲没後80年記念コンサートを開催いたします! かつての舞台では朗読のBGMとしてオーケストラ・アンサンブル金沢から9名の演奏者さまにご演奏いただきましたクラシックや映画音楽などを今度はコンサート形式で、演奏をメインにお聴きいただく趣向です。当時は演出の都合上、フェードアウト、カットアウトしていただいたあの曲その曲を今度はフルで! くわえて秋聲といえばやはりレコードですから金沢蓄音器館・八日市屋館長にもご出演いただき、トークを交えつつ蓄音器でSPレコード(初公開・秋聲旧蔵品を含む)も聴かせていただくという欲張りセット。今朝ほど、申込受付を開始いたしました。





秋聲没後80年記念企画展「自筆原稿一挙公開」開幕!
 2023.11.11

 前回の更新が10月27日…!? え、えぇ~……ハテこの間なにをしていたやら、主には展示替え(とそれに到る助走)ですね! おかげさまで11月5日をもちまして企画展「東の旅」が閉幕し、本日より秋聲没後80年記念企画展「自筆原稿一挙公開」が開幕いたしました(その間におこなわれました火鉢対談につきましては本日開催の三文豪トークイベントとあわせて後日改めてレポートをば!すみません!)。某K花さんの生誕150年という華々しさの裏で実は今年秋聲没後80年というひっそりとした節目を迎えております。何か特別感を…と考えた結果、ご所蔵者である徳田名誉館長(秋聲令孫)からの後押しもあり、当館で保管している秋聲の自筆原稿をババーン!ダダーン!とお出ししてみることにいたしました。昨日設営を終え、ほぼすべてのケースに原稿を収めた結果、ほんとうに薄茶色い展示室になりましたけれども(最後の俳句のコーナーは少しカラフル)、その地味な見た目に反し、原稿をここまで贅沢使いすることは滅多にありません。資料保存ということを大前提に、ふだんは旅なら旅と、毎回その時のテーマに添うものをピックアップしますので、とにかく「原稿」というしばりで横並びに陳列するのはあまりないこと。それとともに今回は何せ作品それ自体にご注目いただきたく、原稿を通してこんな作品のバリエーションがありますよ~といった展示内容としてみました。と、そんな折に昨日Xでお見掛けした、話題の田畑書店さまのポケットアンソロジーに秋聲オリジナル短篇集登場のお知らせ…! そろそろ金沢にお着きになろう大木志門先生! 俳句集に続き、没後80年記念企画第二弾ということでよろしいですか!! 現状イベントでの先行販売ということのようですが、今後館でのお取り扱いにつきましてご相談させていただきたく存じます。田畑書店さま本当に本当にありがとうございます今後ともよろしくお願いいたします。しかもさすがの大木先生、ラインナップが最高です。「私」、今読むべき知られざる名編!「痛み」、当館の不定期連載にもわりと初期に載っけた名編! 「余震の一夜」「風呂桶」、今まさに自筆原稿展示中! 「風呂桶」「和解」、それを収録した当館オリジナル文庫が品切れ中! 「勲章」「喰はれた芸術」、アァッ短編集3に入れたかったやつ! ヤラレタァァッ!!――と、お写真を食い入るように見ながらいちいちボッコボコに打たれまして現在膝がガックガクです。ちなみに紅葉先生没後の尾崎家を慮ってのアレコレを描く、秋聲生前に発表された最後の短編小説「喰はれた芸術」に関しましては、タイトルのみを書き付けた原稿1枚だけが現存します。今回展のメインビジュアルにも用いましたそちら、今朝まさに初公開です。



 


泉家訪問
 2023.10.27

 先日こっそり川を越え、敷居を越えて、某K花記念館さんの生誕150年特別展「再現! 番町の家」を観覧させていただきました。軽く予想はしておりましたが、展示室に入った瞬間…おぉこれは…ごめんください感がすごい…! となり、いつぞやの谷崎と芥川展のときに薄々と感じていたアウェイ味を今度は薄々どころがひっしひしと感じまして、しゅのつく記念館一味が踏み入ったことによる盛り塩の乱れ具合をつい横目に確認してしまうほどの鏡花さんち…いえ泉家と申し上げるほうがふさわしい神聖空間にうっかりお邪魔してしまいました(国貞もいました)。四方の壁に記された間取りとともに、お写真における某K花さんの背後に写るあれがそれ、それがこれ! ケース内と見比べながらそんな楽しみ方ができるというのは、まず写真が残っていること、現物が残っていること、このふたつが揃わなければ絶対に実現しないという有り難さ。そしてモノはもちろんのこと、当時このおうちの写真を撮っておきましょう~と言い出した人優勝。そのあたりのお話は11月11日の火鉢鼎談もといトークイベント「三文豪の『家』を語る」で詳しく語られましょうから、いまこんな川の向こう側からヤイヤイ申し上げるのは差し控えますが、ほんの一言だけ、“撮らせた人”でなく、実際に某K花さんのおうちのお写真を撮ったカメラマンとしてチラシにもクレジットのある渡邉義雄氏は秋聲のかの決め顔を撮った人!優勝! ご清聴ありがとうございました。
 かの決め顔とは長男一穂とお揃いの熊のパイプを握ったアレですね(どれよ!? と気になる方は当館HPの「徳田秋聲」をクリック!)。また徳田家のおかげさまで熊のパイプ自体も保管されていたことから、当館におきましてもホラ秋聲が握っているあれがこれ! という見方ができるようになっております。
 家がのこっていてご家族がそのままお住まいでいらっしゃる徳田家、もう家はないけれどもその空間を知るご家族が登壇される室生家、そして周囲の人達の尽力により後世に伝えられた資料からその再現が試みられ、生誕150年という節目に企画展また書籍という形で現代に甦った泉家。
 三者三様の在り方でいろいろな角度から「家」にまつわるトークが展開されようかと存じます。実は三文豪の関係者が揃って語り合うイベントというのは意外にレア。犀星&秋聲や某K花&秋聲などのペアではたまに開催しているような気がしますが(犀星&某K花がないのは、当館が「仲間はずれにされたァア!!」と拗ねて暴れるから)、三文豪月間のメイン事業にふさわしい今度のイベントを、当館としてもとても楽しみにしています(お申し込みは某K花記念館さんまで!)。





秋聲忌 予告
  2023.10.25

 14日より「秋聲忌」のお申し込み受付が開始いたしました。例年、ご命日である11月18日直近前倒しの土日のどちらかに開催しておりますところ、今年はきれいに土曜に重なりましたのでまさに秋聲忌当日の開催となります。第一部は石川近代文学館さんの仕切りにより徳田家菩提寺・静明寺さんで読経と献花がおこなわれ(そういえば先日テレビ金沢さんの「新金沢小景」が三文豪のお墓をテーマに放送され、秋聲は東京の小平霊園とこちらの静明寺さん境内の墓碑をご紹介いただきました。秋聲忌では遺影に白菊を手向けますが、放送ではお供えされたお花に赤い薔薇が混じっていましたね…秋聲の好きなお花です。ありがとうございます…そして放送日のご案内ができず申し訳ありません…)、第二部では秋聲館に歩いて帰って、当館の仕切りにより小林修先生による記念講演「徳田秋聲と日露戦争―司馬遼太郎『坂の上の雲』に触れて」をおこないます。小林先生、そのダンディなたたずまいと柔らかなご口調でファンの多いお方です。今年は秋聲没後80年という節目の年になりますので、秋聲研究の第一線にいらっしゃる小林先生にお声がけをさせていただきました。また秋聲忌の時には始まっております次回企画展も、没後80年を冠した形で「自筆原稿一挙公開」とそれ以上でも以下でもない、非常にわかりやすいタイトルのものにいたしました。そう、タイトルこそそれ以上でも以下でもない感じになっていますが、実際に展示室にお入りになればいやそれ以上だわ…となること間違いなし。徳田家から提供されたものを多く含む形で、ほとんどのケースを秋聲の自筆原稿で埋める予定です。こんなにお出ししてはなにか感覚が麻痺してしまうのでは…? というほどの密度。とにかく原稿尽くしですので、パッと見た感じ薄茶色い展示室になろうかと存じます。が、茶色いお弁当こそ美味しいのです。
 また石川近代文学館さんのほうでも、没後80年を機に秋聲著作をまとめて収集されたという記事が今夏発行の館報「石川近代文学館ニュース」第59号に載っていました。去る14日に開幕した企画展「大和し思ほゆ―文学に探す雅の姿」では、秋聲の死去に際した賜った「御下賜白絹二匹他一式」(徳田家寄託品)が特別公開されているとのことですのでどうかお見逃しなく。





前回記事のつづき
 2023.10.19

 三人は黙つて英二の為(す)るやうを打眺めて居たが、高橋は捂(もど)かしさうに、「歯科医にや、其(それ)だけの綿密が必要かも知らんが、君は熟々(よくよく)嫻(しとや)かに出来てますな。」
「ですが、此の菓(くだもの)の皮を剥くと云ふ事其事(そのこと)が、僕にや一種の楽(たのし)みなんだから。」と言ひつゝ一片(きれ)口へ運ぶ。

 と、ここで患者から電話がかかって来て、深野は離席。そこへ入れ違いに深野の恋人・市井高子がやってきます。深野を待つ高子に勧められるのはさっきのりんご。

「然(しか)しお待遠さまですな。何(どう)です此(ここ)に林檎がありますが……剥いたのも有る。深野君の喰剰(たべさし)なんですから。」

 実はこの場面の前に、深野が電話で呼ばれた先での出来事が挟まれます。その場所は患者のひとりで、妙見(よしみ)浅子という芸者上がりの女性宅。いつか医院長・井出の代理で診療を担当した深野を気に入り、急患を装い呼びつけたのでした。その目的として、自分が出資をするから独立・開業をしては、と深野に囁きます。「私はね深野さん、自分に懐くものは、何でも可愛い性なんですよ。貴方も私にお懐きなさい、其(それ)は随分親切よ。」――この話しぶりからも浅子がどのような女性かは想像していただけようかと存じます。現在は代議士・森本の世話になりながら、これという相手が見つかれば森本が相応の金銭とともにその家から出して一緒にさせてくれるという…思いもかけない申し出に、ぐらんぐらんに揺れる深野。ぐらんぐらんに揺れた結果、高子を裏切り浅子に身をまかせる深野。浅子の指示でみるみる建設される医院にだんだん腰が引けてくる深野。高子に言い寄る近藤の存在を知り、さらにぐらんぐらんに揺れる深野。あぁ、あんなにりんごの扱いは丁寧だったのに、深野……熟々(つくづく)嫻(しとや)かに出来ていたはずだったのに、深野……! 
 念のため結末は伏せますが、いかんせん当時刊行された『秋聲叢書』(←)か、現在全集でしか読めない作品です、すみません…八木書店版なら第5巻所収です。そんな本作のタイトルは「愚物」(明治38年)。よくよく「秋星」の宣伝には不向きな作品を選んできてしまいました。来年までに何かハッピーなりんごの出番ある小説を。





りんご「秋星」贈呈式
  2023.10.18

 さて秋になって林檎も色づきました。昨日、JA金沢市りんご部会さんにお越しいただき、秋聲にちなんで命名された石川県産りんご「秋星(しゅうせい)」の贈呈式を執りおこないました。JA広報さまのご手配によりメディア各社も多数ご参集くださり、高木部会長さまの手から「秋星」50玉が当館に贈呈されました。その場でもお話しくださいましたとおり、秋に星のように美しく大きく輝く「秋星」――と、それだけでも非常に良いお名前なのですが、その底に郷土の生んだ文豪・秋聲とのゆかりが湛えられていることで〝石川県産〟の誇りがもう一段深まろうかと存じます。また、これも毎年PRさせていただくことながら「秋星」の魅力は適度な甘味と酸味、単に甘いだけでない大人の味わい…といったところも秋聲文学に通じます。21日(土)、有料入館者先着50名さまにプレゼントさせていただきますので、ぜひぜひご来館ください。プレゼント企画自体は平成27年、「秋星」デビューと当館の開館10周年が重なったことから始まりました。これから20年、30年と同じ年を重ねてゆくことになりましょうから、JA金沢市りんご部会さまとは是非今後とも仲良くそして末長く、「秋星」PRの場のひとつに記念館を数えていただければと思っております。と同時に秋聲作品も味わっていただくために、りんごの登場する短編をひとつ収穫してまいりました。
 ある歯科医院の書生部屋で雑談に耽る四人の男たち…酒を勧められた主人公・深野英二が体質上それを断ると「ぢや強(し)ひますまい。林檎でもお遣(や)んなさい。」としてそこにりんごの盆が登場します(ちなみにこの男は高梨。りんごを探している目に梨が飛び込んできて字面にちょっとややこしい)。みなお酒が入っているので、看護婦をしている深野の恋人について品なく詮索を始めます。彼女はどうも苦労人で、その相談に乗ったりしているうちに深野との仲が深まった様子。

「(前略)異性が相助(あいたすけ)合ふと言ふにや、何(どう)したつて何等かの意味が附加しなくちやならん訳ですからね。」
「然(さう)ですか。」と深野は机の上のジヤクナイフを取挙げて、片隅にあつた壜のなかから、綿撒糸(めんざんし)の片(きれ)を取出して拭きながら、林檎を一つ択(え)り出した。而(そう)して、丹念に皮を剥いて、心(しん)を取つて、黒田が明けた西洋皿の糸底を几帳面に拭うて、一つ一つ其上(そのうえ)に積んだ。

                                 (つづく)
       



声で色づく
 
   2023.10.16

 13・14日で今年の新内流しが終了いたしました。鏡花原作、浄瑠璃版「国貞ゑがく」、いかがだったでしょうか? デロレン、デロレン、デンデロデロレン…と唱えながらみなで2階サロンの片付けをいたしましたら、なんだかいつもより映像鑑賞用の椅子が多くなりました。どこから掻き集めてきたのやら…しばらく通常より椅子多めのサロンでやってゆこうと思います。
 今回は東京から秋聲令孫・徳田名誉館長にもご参加いただき、開始前に演者である岡本紋弥さん、杉浦千弥さんと挨拶を交わされるうち、いつも三文豪をメインに脚色してくださっているという話の流れで「秋聲(作品)は色気がなくて大変でしょう?」と……ウワァとなる職員の一方、紋弥さんの返しに痺れました。「色気はこっちが出しゃあいいんですよ」……かっこいい! 紋弥さんかっこいい!! 仰るとおり、いつも紋弥さんの艶のあるお声と千弥さんの三味線の音色に酔わせていただけるのがこの催しでございます。本番では「意味を知らなくちゃならないと思うのが現代人の悪い癖、ご先祖さまも聴いた〝音〟として聴いてやってください」とも仰っていました。そして板倉光隆さん、うえだ星子さんにご出演いただいた先月の朗読会「稲妻」終演後に、館長の洩らした「色気がすごい」というその一言が思い出されもしたのです。もちろん黙読しても文字や文章から醸される色気というのはありますが、そこに肉声がつき、目の前で〝人〟により展開されるとまた違った味わいが生まれようというもの。演者のおふたり、そしてご参加くださったお客様、いつもご本堂を快く会場として提供してくださる円長寺さんに、心よりお礼を申し上げます。なお円長寺さんのイチョウはまだ青かったです!
 そして、作品に肉体を与えるといえば映画「あらくれ」が明日17日(火)と18日(水)の両日、町の中心部にあります映画館シネモンドさんで上映されます。デコちゃんこと、高峰秀子演じるお島さんが体いっぱいで生き抜くその姿はまさに〝あらくれ〟。昭和32年、東宝から成瀬巳喜男監督、水木洋子脚本、そして木村荘八の時代考証により映画化されました。当時のパンフレットには、文士たちが感想を寄せ、中でも志賀直哉はこう述べています。「高峰秀子はうまい。お島という女を芯を通して演じきり、高峰がお島でないかと思ったくらいだ。お島の性格は現代女性に通じるものがありそうだ」。有り難いことにDVDにもなっていますが、できるだけ大きなスクリーンでそのあらくれっぷりをご堪能くださることをおすすめします。



 


企画展「島田清次郎とその時代」
  2023.10.14

 金沢建築館さんご主催によります10月23日開催予定の「建築家谷口吉郎・吉生親子の作品を巡るプレミアムツアー」、すでに受付を終了されたとのことで何よりでした! 所用により、あいにく当館からウキウキの職員を送り込むことはかないませんでしたが、イベント終了後、建築館さまに文学碑の写真を持参し、当日なされたご解説の一字一句を再現していただこうと思います。
 そうして文学碑のことを考えているなかで、野田宇太郎が昭和35年初冬、ここを訪れたときのことを記した次のような文章にぶつかりました(「徳田秋聲文学碑」)。
「雪のふる季節になると、金沢の卯辰山公園の上にはじめて徳田秋聲文学碑を尋ねて行った朝を思い出す。」「金沢は前田百万石の歴史と共に、古い面影をもつ北陸のもっとも美しい都市として知られている。明治以来多くのすぐれた人物が出ているが、文学者としては徳田秋聲、泉鏡花、室生犀星、尾山篤二郎、少し毛色の変わったところで『地上』の作者島田清次郎などがすぐに思い出される。」「(前略)まず金沢では鏡花の顕彰事業がはじまり、生家跡や卯辰山の帰厚坂に顕彰碑が立ち、浅野川の岸には昭和二十二年七月に『滝の白糸』の碑までつくられた。卯辰山の秋聲文学碑が、同じ金沢出身の建築家谷口吉郎氏の設計でつくられたのも、同年十一月である。わたくしは秋聲文学碑の世話人の一人だったが、都合がつかずに除幕式にも加わっていなかったから、はじめて金沢を訪れたとき、まず秋聲文学碑を尋ねたのである。その後金沢には室生犀星詩碑と尾山篤二郎歌碑も出来たので、島田清次郎を除いて、文学碑も出揃った感じである。」…と、ここでちょこちょこ、みなにやや遅れる形でお名前の出てくる島田清次郎ですが、これが発表されたのが昭和46年(「郵政」第23巻第1号)のこと。この16年後の昭和62年に、清次郎の眠る美川墓地内に有志の手により初の文学碑が建てられたようで、今では同じ美川に生誕地碑や、金沢のにし茶屋街入口に「地上」碑があり、島清恋愛文学賞の制定も。少なくとも上記に名の挙がる文士たちに関しては、文学碑がすべて出揃った形となりました。
 昨日13日、呉竹文庫さんで企画展「島田清次郎とその時代」(~12月17日)がご開幕です。島清で検索するとゆかりの地をまとめてくださっている愛読者の方もいらっしゃいますので、ご参照のうえこの機にぜひお運びください。





身が足りない
 2023.10.13

 あらあら今年も秋聲にちなんで命名された石川県産ブランドりんごの「秋星(しゅうせい)」が出荷されましたね…とその日以来、日がな一日りんごのことを考えて過ごしておりました秋星記念館です、こんにちは。そうして恒例のりんご配りの準備を進めておりましたところ、なんと有り難いことに今年はJA金沢市りんご部会さまのご厚意により50玉をご寄贈いただけることになりました! 16日(月)11時~、館内で贈呈セレモニーをおこないます。その間、1階「光を追うて」コーナーが一時的にご観覧いただけないことになりたいへん申し訳ないのですが、りんご部会長さまからのご挨拶等々、セレモニーの様子はご見学いただけますので今改めて秋星と秋聲のゆかりに思いを馳せていただけましたら幸いです。そうしてご寄贈いただきました「秋星」を、10月21日(土)9時半~当館入館先着50名様にプレゼントさせていただきます。県外にはほとんど出回らないという秋の味覚をお楽しみください。と、りんごりんごしている頭に今度は治部煮が横から参戦! 新刊『文豪たちが書いた 食の名作短編集』(彩図社)に、秋聲の随筆「鶫・鰒・鴨など」が収録されているとのこと、とても嬉しいお知らせでした。なお左から、つぐみ・ふぐ・かも などです。シンプルに言えば、好き!・嫌い!・条件つきで好き! というお話です。秋聲のいちばんの好物である鶫といえば秋、毎年この頃になると母が送ってきてくれたっけ…と書かれているのが小説「鶫の羹(あつもの)」で、それすなわち金沢の郷土料理「治部煮(じぶに)」のこと。禁鳥となったため現在は鶫でなく鴨を用いますが、そんな治部煮をいただきながら、「鶫の羹」の朗読を聴けるイベントがあるというではありませんか…いつぞやテレビ金沢さんの三文豪食談義特番の際に司会をつとめてくださった戸丸彰子アナウンサーの案内とご朗読による日帰りツアー「アナ旅」第4弾テーマが「文学と茶屋街」。某K花記念館さんや当館をもコースに入れていただき、終着地となる主計町の料理屋「いち凛」さんで治部煮と「鶫の羹」を…!(予定) すでにお申し込み受付が始まっております、こちらはいつ? 11月11日(土)? アッ、三文豪月間メイントークイベント「三文豪の『家』を語る」の真裏で……えっ一昨年の当館主催トークイベントの内容を収めた北村薫先生のご著書『水 本の小説』(新潮社)が第51回泉鏡花文学賞を受賞…!? 授賞式が11月11日…って、アッ、アッーーーー! これが秋です。
 北村先生、ご受賞おめでとうございます!!





隣り合えない
  2023.10.9

 さて、みなさまの脳内で第1回火鉢飛び越え選手権が開催されたりされなかったりしている本日祝日「スポーツの日」でございます。現在、某K花記念館さんに降臨しているという伝説の火鉢、11月26日までの会期中にぜひぜひご覧くださいませ。ちなみにこの会期は開催中の「秋は金沢三文豪」の会期と同じ。しかしながらご注意いただきたいのは、中の企画のひとつである三館をめぐるスタンプラリーは、ちょっと早めの11月5日(日)で終わってしまうということ…これはひとえに当館の展示替えのせいです…当館の展示替えが11月6日(月)から始まってしまうため…ややこしいことにして申し訳ございません。前後を考えるとどうしてもここに展示替え休館を挟まざるを得ず、すなわち11月11日(土)のトークイベント「三文豪の『家』を語る」のときにはもうスタンプラリーにご参加いただけませんので、遅くとも当館主催の3日の対談イベント、あるいは4日の某K花さんお誕生日に開催されます某K花館主催シンポジウムの時までにお済ませくださいますようお願い申し上げます。ちなみに三館コンプリートの際の今年の記念品は毎年人気の豆メモ帖3冊セット2023年バージョンです。犀星館さんは『兄いもうと』、某K花館さんは『日本橋』、そして当館は『和解』。もう返ってきてはしまいましたが、某K花さん生誕150年という大きな節目に同館において秋聲の『和解』を展示していただいたという歴史的な出来事もあり、振り返ったときに、あぁそうそうこの年は某K花さんの生誕150年だったから~と記憶の引っかかりになればとこちらをチョイスしてみました。厳密に言うとこの茶色いのは外箱のデザインでして本体ではないのですが(本体は白いのです、厳密な再現性を擲ちまして申し訳ありません)、本体には秋聲のしゅの字が表に出てきませんので、わかりやすさの方を重視いたしました。そして、生誕150年だからきっと某K花さんが真ん中に鎮座ましますのでしょう、と想定してこの色味を選んだりもしたのですが、出来上がってみれば犀星さんのスタイリッシュなのが真ん中に入ってきていましたね! もちろん事前の確認はさせていただいておりますし、これでOKを出したには出したわけですが、ナチュラルに某K花さんと距離をとられていてちょっと面白かったです。袋詰めをしてくださった方のご配慮でしょうか。よく見ればチラシの犀星さん、火鉢と一緒に写っていらっしゃるなど……毎度ご苦労をおかけいたします。





最短記録
  2023.10.7

 本日、来月に開催予定の泉鏡花生誕150年記念対談「鏡花が見た秋聲、秋聲の見た鏡花」の申込受付が始まり、そして終わりました。驚異のスピードでした。
 9時半、開館と同時に電話が鳴り響き(事務室は2回線)、受話器を置けば鳴り、置けばまた鳴りを繰り返し、30分後には残り数席…電話がデスクより少し高く遠い位置にあるため座る間もなく、というより怒濤の一陣が去った後にも、きっとまた鳴るんじゃないか、とすでに片手を出しかけながら仁王立ちして待ち構える、そんな光景が繰り広げられた今朝でした。な、なんだこれは…いまだ経験したことのない……こ、これが某K花さんのちからか……! しばし放心状態に陥る記念館一味。鈴木先生のお力、そして火鉢の力かと存じます。お早い時間からのお申し込み、ありがとうございました。おかげさまで昼過ぎには満席を賜り、早々に受付を終了いたしました。この後、もし複数キャンセルが出るようでしたら再受付などを検討いたします。その折にはHP、Twitterなどで周知してまいりますので、よろしくお願いいたします。
 そういえば現在制作中の次回企画展チラシ、原稿に「Facebook、Twitterマークを入れる」と書いて出したものが、初校ではきちんとFacebookマークとXマークになって返ってきてオッとなりました。迂闊な当館、さすがの印刷屋さん。早いもので「東の旅」展も残すところ1ヶ月となり、本日が展示解説の最終回だったのでした。11月は3日(金・祝)に上記対談、翌4日(土)には某K花館さん主催シンポジウムがあり、展示替えへ突入――ととても慌ただしいので、解説はお休みさせていだいた次第です。そして新企画展初日の11日(土)は三文豪メイントークイベント、18日(土)は秋聲忌…とその後も毎週何かしらのイベントが相次ぎますのでやはり新企画展の解説もなしに、12月から開催する予定です。
 朝からの止まぬお電話と午前午後の展示解説で燃え尽き灰になった結果(舌がもつれて「くげぬま」がどうしても言えませんでした)、お三時にはキーボードのKの一点を無心に見つめながら、某K花館さんからいただいたおいしいお菓子をたべるだけの生き物になりました。お貸ししていた『和解』のご返却時にくださったもの。あぁそうでしたか、この日のために…
(↑ほんとはKもOももういない)





建築家谷口吉郎・吉生親子の作品を巡るプレミアムツアー
 2023.10.4

 微妙に前回の続きです。昭和13年4月、そんな犀星さんとの鎌倉旅行を「東の旅」展で少しご紹介しております。鎌倉在住の細野燕台と小杉天外を訪ねるふたり旅で、その時のことを互いに書き残すうち、犀星さんの「四君子」には東京駅に〈普通の人の顔のなかから見ても、何か手応えのあるしやんとした顔附で〉現れる秋聲の姿(ただし徹夜明けの起き抜け)が登場します。〈「僕は汽車はいつも三等に決めてゐるんだが、三等で宜(よ)かつたね。」〉――ご存じ、秋聲の三等車習慣。より低級を選ぶのが晩年のシュウセイズム、先日の朗読「稲妻」にもそんなくだりがございました。
 〈「このあいだ潮来に行つて来たが宜かつたね、牛を乗せた船が漕いで行くんだからね。」(中略)「そのとき俳句を作つたが忘れてしまつた。」〉…と、ここで秋聲が忘れてしまったという俳句こそ「潮来途上吟」と前書きされた「牛のせて舟泛(うか)びけり春の水」かと思われます。その他二句とあわせて「ホトトギス」同年5月号掲載の随筆評論「花・水郷」中に引用する形で残されており、これに関する秋聲と長男一穂との会話のさまが、先般刊行されました大木志門編『徳田秋聲俳句集』の巻末解説に紹介されています。
 また、秋聲と犀星をつなぐもののひとつに俳句があったということは、卯辰山の秋聲文学碑からも醸されます。真ん中にスックと建つ石碑に刻まれた「秋聲文学碑」の文字は、いやどっちかというと某K花系統だから…と大谷崎に渋られ、広津和郎にも渋られ、結局一穂さんが書いたもの、後ろの白壁に嵌められた陶板は、改造社の『現代日本文学全集』秋聲巻口絵に掲載された秋聲自筆の転用、そして反対側に三枚嵌められた陶板は正宗白鳥に渋られ、犀星さんの字で刻まれた秋聲略歴、という構成――その中に、犀星さんの選ぶ〝絶句〟(すばらしい句の意)として、秋聲の「生きのびて又夏草の目に沁みる」が引かれているのです。
 と、そんなこともふわふわ思っていただきながらぜひご参加いただきたい有り難きイベントの申込受付が、昨日開始されました。10月23日(月)12時45分~、かの谷口吉郎・吉生記念金沢建築館さんご主催による「建築家谷口吉郎・吉生親子の作品を巡るプレミアムツアー」! 建築館学芸員さんのご案内で、市内谷口建築をめぐるコースの一箇所目に秋聲文学碑の文字が輝くこちらのチラシでございます…誰よりもウッキウキな顔で当日、秋聲記念館一味らしき人物がちゃっかり参加しておりましたならどうかお見逃しください。





秋は金沢三文豪
  2023.10.2

 月末、「不定期連載」に「晩飯」の後編をアップいたしました。今回は主役のお蕎麦が大活躍です(なぜお蕎麦かは8月31日付記事をご参照ください)。読後の感想といたしましては、叔父はまず箸と猪口とをお置きなさい、塚田は一回お口を閉じましょうか、お静はもはや放つ言葉の棘を隠す気なし…! とどこをとっても蟻地獄のような丼地獄でございました。遠慮とは、大事な文化ですね…天麩羅の下に渦巻く黒々としたおつゆが目に浮かぶような一編です。
 そう、晦日蕎麦にちなんで、ではまた来月末~などと予告してはいながら、そうは言ってももう少し早くに更新できるだろう、と思っておりましたら、9月の足の速いこと! あれよあれよで10月に突入し、今年も三文豪月間が始まりました。今年はいつになく三文豪の決め姿ババーンで、一周回ってとても新鮮な感じのチラシビジュアルに(画像クリックでPDF開きます)。こんな感じの秋聲が知らん顔してもちゃもちゃお蕎麦を食べ、某K花さんに厭な顔をされて、犀星さんがそれをオヤオヤと見守っているんでしょうね。各写真の年代を考えても、なかなかファンタジーな想像ですが、会期中にはきっとそんな空気になるであろう三文豪メインイベントなどもございます。11月11日(土)14時~16時、金沢ふるさと偉人館さんをお借りしてのトークイベント「三文豪の『家』を語る」では、『徳田秋聲俳句集』でお馴染み、当館初代学芸員・大木志門先生(現東海大学教授)、犀星記念館の室生洲々子名誉館長(犀星令孫)、某K花記念館・穴倉玉日学芸員がご登壇! いつも犀星記念館さんに挟まっていただく形となり恐縮ですが、某K花記念館さんによるK花さん宅再現プロジェクトでも話題の「火鉢」役として、どうか飛び越えられないよう間でがんばっていただきたいところです。お申し込みは某K花記念館さんまで。
 K花さんとの仲はともかく、秋聲と犀星さんとは良好な関係を築いていたとは何度となくご紹介してきたとおりで、そのあたりは何に対しても特に気を遣わない秋聲に対する犀星さんの理解度によるところも大きいように思われます。犀星さんの書き残してくれたものには「徳田さん、今日はご機嫌」とか「今日は不機嫌」といった表現がちらほら見られ、かつご機嫌でも不機嫌でもそれをにこにこと受け留めてくださっているような印象も。当の徳田さんは気を遣われ過ぎることが大の苦手ですので、それはそれとして受けとめ動じない犀星さん(18歳下)といるのが楽だったのかもしれません。

                              (微妙につづく)




ひがしやま三寺祭り
 2023.9.29

  さて今夜は満月、十五夜ですね! 秋はどんどこイベントが押し寄せてまいります。先日のナイトミュージアムに引き続き、10月13日(金)・14日(土)は毎年恒例、新内流しでございます。
 今年は某K花さん生誕150年を記念して、某K花さん原作による「国貞ゑがく」を初上演していただきます。開催日に向け、いつも演者の岡本紋弥さんより床本(上演台本)を事前にお送りいただくのですが、今年に限ってはそれがこの夏頃から二度、三度…いつになく、何度も改訂を繰り返していらっしゃるご様子…それもそのはず、もともと近代文学を浄瑠璃にしたてていただく、という特別なお仕事にくわえて、何せお相手が某K花さんですから、あの完全にして独特の世界観をどう浄瑠璃の味わいに乗っけてゆくか…もしかすると今もなお格闘中でいらっしゃるかもしれません。と、そんな裏側を暴露いたしまして申し訳ございません。その成果は、13日・14日の両日、ご自身のお耳でお楽しみください。
 13日の記念館のほうは残席僅か、14日の円長寺さんのほうは少しまだ余裕がございます(そのあと犀星記念館さんでも)。準備のため先ほど円長寺さんにお電話をいたしましたところ、明日から「ひがしやま三寺祭り」なるイベントが開催されることを教えていただきました。まぁお忙しいときに恐縮です! と、そのイベントチラシを拝見いたしましたら、ものすっごくもりだくさん…! 円長寺さん・龍國寺さん・真成寺さん共同で、10月3日(火)までクイズスタンプラリーあり、音楽ライブや体験イベントあり、期間限定の御朱印あり、友禅小物などの展示販売あり…とてもこちらでは伝えきれないほどの密度でさまざまな内容が盛り込まれておりました。プログラムはこちらのサイトに詳しいです。
 周辺地図の上のほうから龍國寺さんは宮崎友禅斎ゆかりの、そして真成寺は某K花さんゆかり(秋聲の「旅日記」にも言及あり。秋聲も幼少期によく行っていたと)、そして円長寺さんはご存じ秋聲ゆかりのお寺さん。以前にもこちらでご紹介した人力車の浪漫屋さんによるお得な三寺コース設定もおありのようですよ!(秋聲号・某K花号がそれぞれ指名できるかどうかは要お問合せのうえ…) 
 明日9時半、お太鼓の音色が聞こえてきたら、それが開会の合図です。





稲妻や利根の川筋幾うねり
   2023.9.27

 もしかすると最少更新記録を叩きだしてしまうかもしれない9月です…アワワ、アワワ…なんだか急に秋の声がざわざわと高まりだし、あれやこれやと慌ただしく、寸々語をずいぶんとほったらかしにいたしまして恐縮です。とはいえ、さすがにあれだけ声高に「秋分の日」それすなわち「秋聲の日」! と何の根拠もなくあちこちに叫び散らかしてきたその声はきれいに回収しなければなりません。おかげさまで、去る23日(土・祝)、金沢ナイトミュージアム2023 朗読会「稲妻」、無事に終了いたしました。遅くまでお付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。
 昨年は久米正雄しばりであった朗読会を、今年は秋聲記念館らしく秋聲しばりに徹し、旅にまつわる短編から「紀行の一節」「夫(つま)恋し」「稲妻」の3編を昨年同様、板倉光隆さん、うえだ星子さんのおふたりにご披露いただきました。館では作品をすこーしだけ朗読ナイズした脚本だけご用意いたしまして、そののち幾度かのディスカッションを経て、演出は板倉さんに完全にお任せしてしまうのですが、蓋を開ければまた今年も実験的といいましょうか、挑戦的なつくりとなっておりました…! 別府での秋聲らしからぬやや猟奇的な、ミステリー仕立ての作品を板倉さんの重厚なお声で、夫を早くに亡くした秀子のその後を描く「夫恋し」を、うえださんのしっとりと哀感漂うお声で(板倉さんもちょこっとご出演)、そしてとある男女の夏の奥利根旅行を追った「稲妻」に関しましては、おふたりが代わる代わる読み合うことで、ごくスピーディーに峡谷の景色が開けてゆく…そんなライブ感ある演出で展開されてゆきました。
 明治40年頃の前の二作から、「稲妻」は急に昭和9年の作。若き日、ガチガチに肩肘の張っていた秋聲の筆の力が一気に抜け、60代の色気あるゆるみの中に、次々と鮮やかな景色が広がります。ちょっとおしゃれなロードムービーのようにも見える、そんな風景に心を癒されたり、次第に飽きたり、考えごとをしてみたり…会の終了後、館長が「いや、奈々子がね~」とまるで友達のように語り出したことにちょっと笑ってしまいもしながら、ご参加のお客さまもそうして彼らの旅の道連れとして一緒に楽しんでいただけたならばこの朗読会は大成功です。
 この先もぜひ長く、と仰ってくださるおふたりに甘え、これからも新たな秋聲作品とみなさまとの出会いのお手伝いをさせていただけましたら幸いです。
 なお板倉さんは、今秋、石川県で大々的に開催される「いしかわ百万石文化祭2023」中、「石川ゆかりの文学朗読劇」の総合演出もおつとめでいらっしゃいます。こちらは某K花さんや金沢ともゆかりある米澤穂信先生の原作で、演者さん、内容ともに豪華ですので、お申し込みは抽選にて。すでに受付開始しております!





「鬼才 三島霜川展」
   2023.9.13

  福島県の小泉屋文庫主宰・緑川健氏より、「鬼才 三島霜川展」のご案内をいただきました! 緑川氏には一昨年に霜川の件でお問合せをいただいて以来、福島ゆかりの久米正雄のことも含め、さまざまにご教示をいただいております。富山出身で、秋聲と親しかった霜川が14歳のころ一年ばかり福島県の四倉に住んでいたことを地元の方々に広く知ってもらいたいと、ご自身でも霜川の著作や作品の初出誌を収集し、それを元にご調査のうえ「いわき民報」に連載を持たれたりと精力的に霜川の紹介につとめてくださっているお方。それがこのたび、緑川氏のはたらきで地元のひまわり信用金庫四倉支店ロビー内でパネル展示の開催にいたり、開幕した展示風景のお写真をお送りくださったのです。当館からは秋聲の写真提供と学芸員が開催にあたり一言を寄せさせていただいたところ、霜川とゆかり深い施設として当館のことを写真付きでご紹介たまわりました。
 展示では、若き霜川が四倉を舞台にして執筆した小説「ひとつ岩」やその執筆の背景、四倉の思い出を記した「渦と白い死骸」を中心に、作品そのものが引用されて読むことのできるほか、関連する資料写真とともにご覧いただけるようになっています。また、有り難いことに中でもけっこうな割合でもって秋聲のご紹介も・・・。ご存じ、尾崎紅葉門下生時代の霜川との同居生活を描いた『黴』から、霜川との合著として刊行された『自由結婚』のこと、そして昭和9年の霜川の死去を受け、友人らが霜川の劇評・役者評をまとめ、さらには秋聲が序文を寄せた『役者芸風記』のことなどがあわせて紹介されています。
〈素と素と(もともと)名人気質でもあつたのだが、今人に話しても想像がつかないくらゐ無精であり物臭であつて、貧乏は病膏肓に入つてゐた〉・・・と、彼の小説の才、舞台評の才とともに、色々な人が霜川独特の私生活や人物像について書き残すなかでも、〝人の想像のつかない〟そのリアルな実態を語ることのできた中心的人物のひとりが秋聲です。緑川さま、秋聲および当館をご紹介くださりまことにありがとうございます。
 なお、霜川の「ひとつ岩」は『福島県文学全集』第1巻(第1期小説編・明治編)に収録されているそうで、今はここで読めます!と教えてくださることのなんと行き届いたお心遣いか・・・! 来年は没後90年。富山の郷土作家として、秋聲と親交深い作家として、さらには福島県ゆかりの作家として、この展示を機に広く知られることを願っております。会期は10月末日まで、ご関心おありの方はぜひぜひお運びください。 



 


秋の訪れ
  2023.9.11

 「東の旅」展第2回ギャラリートークが終わりました。寸々語を留守にしていたこの間、秋口だからでしょうか、団体予約をいただいたり、市内講座に複数回出かけたりと有り難いことにとても慌ただしく過ごしておりました。そうして夏の終わりを肌で感じながら、もう「東の旅」展も終わりがけだからあんまりお集まりでないかな・・・と蓋を開けてみればたくさんの方が集ってくださり、エェッ!? アラまだ2回目だった・・・! とどこか感覚がおかしくなっていることに気がつきました。残暑厳しいなか、ご参加いただき有難うございました。中でお話ししながら(あの犀星さんの可愛いハガキ・・・)と目で探して、(アッ!ない!)(そうだ、つい先日後期展の資料に差し替えたんだった!)と思った午前午後。いつかこちらにも書きました「秋聲会」での遠足の計画について秋聲長男一穂さんに相談するもので〈料理のうまい少々野原の見える近郊をえらびませんか。温せんのあるところがいいです。会計はやすくして。〉とあの丸みを帯びた犀星フォントで記されています。こちらは下げてしまいましたが、代わりにお子さんの一部をつれて、先に伊香保に出かけていた秋聲から、自宅にいるはま夫人を呼び寄せる可愛いお手紙(初公開)をお出ししました。〈ふだんばきの下駄がないといけないよ。来るならいそいでおいで。でんしや(電車)でじようじ(襄二/秋聲次男)がはいたから、きよ子(喜代子/秋聲次女)などもはくかもしれない。汽車のなかではあまり物をたべさせないように。うちでたべて来るのはいゝ。〉・・・なんと細やかな父・秋聲! そんなこともご紹介させていただいたラジオ金沢さん「ちょっときいてたいま」のインタビューが9月16日(土)・23日(土)の両日10時頃~放送予定です(定例のMROは明後日です)。
 展示では、伊香保での思い出を詠んだ俳句などもパネル展示しており、おかげさまでこの日は新発売の大木志門編『徳田秋聲俳句集』がよく売れました。お買い上げ、ありがとうございました。当館では全6種ある装幀のうち5種類を取り扱っており(市内の老舗書店「うつのみや」さんにも少量置かれているようですね)、解説を聞いてくださったお客さまが選ばれた布装の一冊を見て、うれしくなって「あっ同じの買いました!」と横から要らぬことを言ってしまったことを今更ながらに反省いたしております。それはおオシャレなアパレル店員さんしか言ってはいけないやつ・・・たいへん失礼をいたしました。個人的には二冊購入いたしまして、和紙装の方のもう一冊が館長とかぶったことで版元の龜鳴屋さんに「記念館の人はコレ」と認識されたのがあるのですが、今後ショップでそれを手にとるお客さまがいらしても、わ~一緒一緒~!とはしゃがないようにいたします。ちょっとニヤッとするに留めます。





「そばの日」
 2023.8.31

 本日、「そばの日」でございます。秋聲の蕎麦好き、けれども硬いお蕎麦が苦手で(歯も胃も弱いから?)、そのぐちゃぐちゃ噛んで食べるのやめなさいよー! と某K花さんに苦々しく思われていたとかいう噂もありますが、蕎麦といって思い出される短編「晩飯」前編を「不定期連載」にアップいたしました。と言いつつ原文の区切りに従いましたら、今回お蕎麦にまで辿り着かず・・・その反動で、来月末にアップされる後編には、二杯三杯と惜しげもなくお蕎麦が登場してくることでしょう。乞うご期待。
 なぜ来月末かと言えば「そばの日」は毎月末にやってくるからで、年末の大晦日だけでなく、かつては毎月末にもお蕎麦を食べる習慣があったことにちなむそう。いつかこちらでもご紹介した、近親者が文士の食の好みを語る書籍『味の味』(ドリーム出版)(2022年10月4日・9日記事参照)の漱石の項にはご子息・夏目伸六による「漱石と蕎麦とすき焼」が収録され、有名な漱石の蕎麦好きエピソードに関して(なお、うどんは嫌い)こんな風に書かれています。
 「果して父がそれ程蕎麦好きであったかどうかは一寸疑問に思われる。というのも、父の死後、月末には必ず一家全員晦日蕎麦を食べる様にした母が、生前の父に、一度たりとも蕎麦を註文した事がなかったからである」――いつか「新潮」合評会に秋聲が出席したおり、漱石門下生たちが漱石の蕎麦好きを語る場面もありましたが、息子さんの目にはそんなご家庭の一幕もあったようです。そして、夏目家の習慣「晦日蕎麦」。
 なお「晩飯」のお蕎麦に晦日の文字はなく、ただの晩飯かつ昼飯? 今回そんな主役の出番前において引っかかったのは、〈お静〉の来歴が語られるなかに出てくる〈昼間もジャカジャカ三味線の音がしたり、湿った太鼓が聞えたりした〉というくだりでした。というのは、先日閉館後に館内の和紙人形シアターの電源がうまく落ちないという小事件があり(幻想的な空間になりました)、試しに付けたり消したりを繰り返すうち、アッ消えましたね・・・えっでもなんかうっすら太鼓の音してません・・・? と、よく考えればその日はご近所観音院さんの「四万六千日」の日で、外から聞こえるリアル太鼓の音であったというオチ。お三味線やお太鼓の音が効果音として使われている映像につき、一瞬どちらの音かわからなくなってしまったという話なのですが、自然にそうした音が洩れ聞えるあたりにあぁさすが東山・・・と茶屋街や寺院群に隣接するこの館の立地を改めて思いました。





11月3日(金・祝)・4日(土)
  2023.8.30

 あれよあれよと色々なものが解禁された数日でした。まずは昨日、川向こうの某K花記念館プレゼンツ生誕150年記念特別展「再現! 番町の家」(10月1日~11月26日)のビジュアル解禁、それにともなう同題のシンポジウムの概要発表。某K花さん150歳のお誕生日を迎える11月4日(土)に金沢市アートホールで開催されます。ご出演は鏡花研究第一線の先生から、遺品を多く管理する慶応義塾大学の先生方、そして建物の専門家まで、まぁ相変わらず大胆かつ群を抜く企画力! 合い言葉は「気分はみんないずみきょうか!!」とのことで、川向こうのわれわれもそう唱えることは許されるのでしょうか、こそっと「みんな」に入ってもいいかなダメかな・・・? とそんな控えめな気持ちで前日にさりげなくお祝いイベントを捻じ込んでみました。とはいえお迎えするのは某K花記念館さん公式図録にもご寄稿のある宇都宮大学教授・鈴木啓子先生ですから、会場と定員がとても見合っていない有り難さです。某K花サイドから鈴木先生が、秋聲サイドから当館・蔀館長が出陣し、記念対談「鏡花が見た秋聲、秋聲の見た鏡花」を開催いたします。上記シンポジウムは9月6日(水)からさっそく同館にて電話受付開始、当館の対談は10月7日(土)より当館にて受付開始となりますので、双方カレンダーにチェックをお願いいたします。
 そういえば先日、石川近代文学館さんの鏡花生誕150年記念特別展「泉鏡花と、」を観覧させていただきました。ちょうど秋聲俳句集刊行記念イベントの翌日、編者の大木先生と徳田名誉館長とともにお邪魔いたしまして、その時間やたらと秋聲濃度の高い「泉鏡花と、徳田秋聲一味」空間をつくりあげてしまいました。ご担当学芸員さま、お忙しいなかご案内ありがとうございました。それでなくとも資料があまりに濃密で豪華で、さすが全国で2番目に歴史ある文学館であることよ・・・と、その収集力に圧倒されます。こちら9月10日(日)までですのでお急ぎください。そして9月9日(土)には同館にて朗読会「二人の作家―鏡花と秋聲―」がおありですよ!(画像クリックでPDF開きます) ご存じ、里見弴が書き留めた例の〝火鉢案件〟またの名を〝ちゃぼの蹴り合い〟(Ⓒ佐藤春夫)事件、こちらを中心に、谷崎潤一郎による「文壇昔ばなし」(抄)もあわせて披露されるそう。ご朗読は当館の朗読会にもご出演いただいたことのある劇団110SHOW主宰の高田伸一さんです。
 朗読つながりで当館9月23日(土・祝)18時~開催予定の朗読会「稲妻」も申込受付を開始いたしました! こちらに某K花さんは出てきませんが、完全なる秋聲しばりの朗読会というのも久しぶりかもしれません。「秋分の日」=「秋聲の日」に、夜ならではの大人向けの演目をご用意してお待ちしております。





祝・大木志門編『徳田秋聲俳句集』発売!
 2023.8.24

 8月19日=「はいく」の日、無事に大木志門編『徳田秋聲俳句集』刊行記念トークイベント「俳人・秋聲を考える」を開催することができました。当日は満席を賜り、お暑いなかご参加くださったみなさま、まことにありがとうございました。
 今朝ほど、版元である龜鳴屋さんHPに俳句集の情報が載りましたね!(←画像お借りしました) ということは、過日のイベントにあわせた当館での販売が、世界最先行であったということになります。龜鳴屋さんには当日の販売にも駆けつけていただき、もろもろご便宜をおはかりくださいましたことに深くお礼申し上げます。おかげさまでみなさまできたてほやほやの俳句集を手元に置きながら、大木先生のお話をうかがうことができました。トークの中では秋聲と発句の出会いから、師・尾崎紅葉との関係(ひいては兄弟子・K花さんとの)、そして句作のうえでは紅葉と相対する正岡子規ら「日本派」への接近・・・などなど順を追ってご解説いただき、大木先生のご調査で新たに発見された「日本」誌掲載の秋聲俳句4句についてのご紹介も! 残念ながら誌面の活字抜けで空白となってしまった文字が何であるのか、お客さまを交えて考える場面もあり、秋聲最初期の俳句に参加者全員で思いをめぐらせました。紅葉没後、次第に俳句から遠ざかった秋聲ですが、大正後期になってじわじわと句作を再開する背景に犀星さんの存在を指摘されたことにはハッとさせられもし・・・共通の趣味である庭造りの合間には、犀星から贈られた句集を読んでいた秋聲です。
 改めまして、今回初めて刊行された秋聲の俳句集。現在確認される310句を網羅し、手にとることのできる形にしていただいたことで、トークのタイトルのとおり、初めて〝俳人〟としての秋聲の輪廓を捉えることができるようになりました。今後、同書をより深くご鑑賞いただき、〝俳人・秋聲を考える〟方の輪がさらに大きく広がることを館としても願うばかりです。そのような気持ちも込めつつ、同書の館内ショップでの通常販売を開始いたしております。生憎、もともと制作部数少なめの布装のうち、赤白のストライプ柄のものはイベントにおける先行販売で館での取り扱い分は完売につき、その他5種類よりお選びください。通販ご希望の場合は、版元である龜鳴屋さんHPからご注文いただけましたら幸いです。なお、こちらのHPを覗かれたら最後、大木先生ご編集による徳田一穂作品集や山田順子作品集をはじめとする数々のレアな書籍にとっつかまりますのでご覚悟のほど・・・。  



 


祝賀会メニュー
  2023.8.19

 前回の話題を受けて、そんなにお魚がお好きなら・・・とふと思い立って大正9年11月23日、花袋秋聲誕生五十年記念祝賀会に饗されたメニューを確かめにゆきました。ら、魚の文字が見えるお料理がこう→「鮮魚蝦蠣乾酪焼」・・・イカツイ! 見た目にとてもイカツイけれども落ち着いて分解してみると、新鮮なお魚とエビとカキのチーズ焼!? なんだかこじゃれたものを召し上がっていました。さすが歴史に残るお誕生会。
 改めまして、当時のお品書きに記されたコース料理を順にご紹介いたします。
 
 一 鶏羹蔬菜濃汁       
 一 鮮魚蝦蠣乾酪焼
 一 犢背肉熬煮松茸注汁 
 一 野鴨燔焼 生菜   
 一 龍鬚菜酢油汁    
 一 乳酪氷菓      
 一 小菓子 果物    
 
 チキンとお野菜の濃厚スープ?
 魚介のチーズ焼?
 牛ロース肉の煮込み、松茸風味?
 焼き鴨肉のサラダ添え? 
 アスパラガスのドレッシング仕立て?
 アイスクリーム?
 とちょっとした甘い物・・・

 間違っていたらすみません。ざっと独自に解釈するとこうなりまして、もしご専門の方、お料理にお詳しい方がいらっしゃいましたらご教示いただけましたら幸いです。今はっきり分かるのはとても凝っていて美味しそう、ということだけ・・・これが築地精養軒の本気、か・・・。
 100年前の祝賀会料理、再現してくださるレストラン様を募集いたします。





終戦の日
  2023.8.15

 8月15日、終戦記念日です。と同時に「刺身の日」だとのパスを勝手に受け取りまして、とすると反射的に思い出されるのは、戦時下、川端康成が秋聲に魚を持ってきてくれたお話。こちらでも何度かご紹介したかもしれません。秋聲没後に刊行された『爛』の後書きで、康成は下記のように語っています。

 島崎先生のなくなられた日に、私は徳田先生のお宅へうかがつた。その日のことは忘れられない。
 島崎先生の死は昭和十八年八月二十二日である。急死であつたが、徳田先生は前年からわづらひ、肋膜癌といふ不治の病ひで、七月に「病床にて」を口述されたのが、絶筆となつたほどであつた。その徳田先生を、島崎先生の死の日に、訪ねるのは悪く、私はただ生魚をとどけに行つたのである。戦争中の十八年八月はすでに食糧難で、その日たまたま鎌倉で生魚が手にはいつたのだつたらう。勿論、私は玄関で帰るときめてゐて、先生に取りついでもらはぬつもりだつた。
 ところが、一穂さんがすつと取りついでくれたらしく、父がお会ひすると言ふから上れとのことだつた。島崎先生の死の日といふのにこだはつて、私がなほためらつてゐると、島崎さんのことを、おやぢは知つてゐますよ、と一穂さんが言つた。    (昭和39年、東峰出版『爛』あとがき)


 この後、床(とこ)に座った秋聲と康成との間で交わされた貴重な会話について書き留められます。6月5日記事でもご紹介した、カツオの刺身を所望する晩年の秋聲・・・そして一穂さんの奥様・政子夫人の言葉「お父さまはお魚がお好きなんですけれどなかなか思ふやうに手に入りませんのでね。」(小寺菊子「思ひ出を辿りて」)などを思い合わせれば、康成のこのお土産を秋聲がどんなに喜んだことかと想像が膨らみます。一穂さんによれば、病床にあり、藤村の訃報を受けての電話取材を煩がったという秋聲ですが、たびたび足を運んでくれた康成には会うことにしたのでしょうか。これ以前の康成のお見舞および大磯への疎開の勧めについて秋聲が記録したのが、引用文に言及のある「病床にて」で、現在の「東の旅」展ではこの初出誌「新創作」昭和18年7月号(秋聲旧蔵品/誌面では「病床より」の題で掲載)を展示中です。
 この年11月18日、「とてもこの戦争の結末をみることは出来ないだろう」との自らの予言の通り、終戦を見届けることなく秋聲は亡くなりました。



 

大木志門編『徳田秋聲俳句集』(龜鳴屋)刊行間もなく!
  2023.8.13

 ようやくその姿を確認することができました! 令和5年8月、大木志門編『徳田秋聲俳句集』の書影がついにアップされました。出る出ると信じて生きてはいながら、形になるまでは安心できない、なにかがどうかしてやっぱり出ないことになりましたァ~みたいな不遇に飼い慣らされている記念館につき、こうして、見たもん! ちゃんと本の形になってるのを見たもん! と大きな声で主張できる段階にお運びいただいたことを何より嬉しく思います。大木先生、龜鳴屋さん、本当にありがとうございます。編集、おつかれさまでございました。何によりお披露目が遅れたといって、こちらの書籍、装幀が全6種類! 狂気の沙汰!(褒めている!) 先日、当館のほうへも版元さんが全6種類の見本をわざわざ見せに来てくださり、ロビーのテーブルに広げながら、キャッキャウフフと記念撮影をしたりしておりました。クロス装のものが3種類(こちらがちょっとレアだそう)、和紙装のものが3種類。よりどりみどりで一冊一律2,750円(税込)。しかも布も和紙も使うところが違うので、世界に一冊として同じものがないという、まさに一期一会の出会いを演出するつくりとなっております。これは迷いますね~ひとり何冊買ったらいいんでしょうかね~などと言いながら、なんとはなしに6冊キュッと揃えて背を見たら、6冊ブロックになっているさまもまたとても素敵で、なんだいおまえたち群れなのかい・・・仲良く群れで生きているってのかい・・・! とお財布さんとの相談が始まりました(逆光ご容赦)。
 そんなこだわりのデザインもさることながら、中身もあまりに充実しすぎており震えます。いかんせんこれまで全集に収録されていた197句を大きく上回る全310句を収録・・・これはたいへんな研究成果ですし、とんでもない発見かと存じます。なのに鹿爪らしい顔をせず、巻頭には美しい自筆短冊の写真も複数収められているうえ、口絵に掲載された秋聲の肖像も館では管理していない初めましてのお写真。さらには近年話題になった秋聲最初期の新体詩・漢詩も収録され、極めつきに秋聲と俳句について論じる編者によるすべてに行き届いたご解説・・・。文字通りかわいい顔をして抜群の資料価値を誇るという怖ろしい本が秋聲没後80年というこの年に生まれてしまいました。龜鳴屋さんのHPにて間もなく発売となるほか、当館では8月19日(土)、大木先生による刊行記念トークイベントの開始30分前、当日13時半より販売開始いたします。
 何度も申し上げますとおり、秋聲にとって生前没後含めて初めての句集です。これがどれだけ大変なことか伝えんとつい力が入ったものか、通常イベント前には報道向けに資料を一枚作るのですが「いつになく熱弁ですね」と広報担当職員から感想をもらいました。





「山の日」
  2023.8.11

 本日、「山の日」祝日です。65歳以上・障害者手帳をお持ちの方およびその介護人は観覧無料になる日ですが、猛暑につき(県内で昨日、気温39度を記録!)、当館につきましてはご無理なきよう、涼しくなってからお出かけいただけましたら幸いです。
 現在の「東の旅」展では、秋聲の山登りについてご紹介をしております。昭和9年10月、「東京日日新聞」の企画「文壇人とカメラマンの旅」で、長野県の霧ヶ峰登山に挑戦した秋聲(当時64歳)と長男一穂。ちょうどその時の貴重なお写真を徳田家からお借りし、今回パネルで初公開させていただきました。同紙26日・27日に掲載された秋聲の登山記「霧ヶ峰から鷲ヶ峰へ」(上下)には〈不断の銀座散歩と少しもかはらぬ軽装で出かけたので、三里弱の山坂を登つて霧ヶ峰のヒユツテへ著(つ)いた時分には、靴も帽子もびしよびしよ〉になったとあり、その文章自体は全集で確認していたのですが(青空文庫さんでもお読みいただけます)、徳田家に残るお写真を見た瞬間に、け、軽装・・・というかスーツ・・・! と大きな衝撃を受けたものでした。いっそ、こちらをチラシにバーンとあしらってもよかったかもしれないほどのスクープ写真。今回展の目玉のひとつです(上掲画像は周囲を大きくカットしています)。
 お写真をよくよく見れば、スーツの足下だけは確かに登山仕様になっているもよう。が、上は明らかにおかしい、現代にも問題になっているどうしたって山を舐めているとしか言いようのない格好です。しかも当日は雨。ただこれは秋聲が悪いのか、新聞社の連絡・手配が悪いのか・・・秋聲の後ろはやはりスーツ姿の長男一穂、同行してくれているのは登山家の長尾宏也氏でしょうか。秋聲は基本、海より山派、とは折々に語るところですが、こういう「山」は想定していなかったかもしれません。
 徳田家に残るお写真には、登山中に見た風景なども数枚ございました。カメラ趣味の一穂が撮ったか、新聞社が撮ったのをもらったものか。これらとあわせて上記の登山記を読めば、風景描写のとても美しいことにうっとりもするのですが、いかんせんそこは秋聲なので書き出しはこうです。
 〈今年は何の意味にもハイキングに不適当である〉。





碓氷越え
  2023.8.7

 2日放送のNHK「歴史探偵」を視聴いたしました。ご近所の人力車屋さん「浪漫屋」のお三方が、将軍に献上するための氷を乗せ金沢から東京まで480㎞の道のりを自転車で運ぶ、という時代を超えた実験ドキュメント。ご存じ「鏡花号」や「秋声号」を抱え、当館の新内流しでもお世話になっている円長寺さんを詰所にされているというご縁があり、その浪漫屋さんのほうのTwitterに、ゴール地点である東大赤門前のお写真があがっておりましたので、オッ秋聲第二の故郷! とつい反応してしまったのでした。赤門前からものの数分歩けば秋聲が終の棲家とした徳田家に到着します(写真は赤門前の秋聲)。
 番組での道中は、ほんとうにもう手に汗握るといいましょうか、こちとらテレビ前に座っているだけのくせ太腿が痛くなってくるような険しいもの。おぉここが親不知(おやしらず)・・・おぉここが秋聲・悠々も苦労して越えた碓氷峠・・・! と勝手に秋聲上京の道のりを重ねながら拝見いたしました。4日かけ到着して残った氷の大きさは・・・配信などでも見られそうですので、その感動の結末はぜひ番組でご確認ください。浪漫屋さん、ほんとうにおつかれさまでした!
 氷といえば、現在開催中の「東の旅」展でご紹介している「夜航船」。房州へ向かう船を待つ霊岸島の発着所で、奇妙な老婆とその娘たちが氷水を買う場面が印象的です。

 「氷水一杯幾らだかね。」袂で顔の汗を拭き拭き、一人の老婆が立寄つた。
 「一銭五厘。」と目の廻る程の急(いそが)しさ、亭主は無愛想に声丈で答える。
 「一銭五厘。」と老婆は繰り返して、「では二杯で三銭だの、其(それ)を三つに分
 けて下(く)らせいよ、三人居るだから。」
 「二杯を三杯にしろ? 那様(そんな)事が出来るもんか、恁麽(こんな)に急しい
 んだ。」
 「何(あ)んでさ?、何(あん)も六ケ敷(むつかし)い事あるめえに、コツプは減
 りもしなかつぺえ。」
 亭主は返事もしない。せつせと氷を削つて居る。

 ううん・・・いつも唸ってしまう好(よ)き場面。亭主の言い分も客の言い分もどっちもわかる・・・現代においても、たまたま同じ店内に居合わせ、互いに棘のあるそのやりとりを目撃する羽目になると、あぁ~となってキュッとする心が容易に想像できるほどにリアルな好き場面。後半の小事件にいたる前に、こんなところにムムムとなってつかまります。
 そして今日は今日とて「鼻の日」だそうですね。潮の匂い、倉庫から洩れる魚の臭い、薄荷(ハッカ)? いやウィスキーだ、とデッキに漂うつんとした香り・・・読者の嗅覚を刺激する描写もまた秀逸な名編「夜航船」です。





天城越え
 2023.8.5

 本日は、日本におけるタクシー誕生(大正元年8月5日)を記念した「タクシーの日」だそうです。連日なにかしらの日があるものですね。「東の旅」展示解説の日でもありましたが、さすがにこの暑さにより午前中はご参加なく、そりゃあそう・・・と思っておりましたら午後の部にいつも来てくださるお客さま方が集結! こんなにお暑い中を・・・本当にありがとうございます。どうかタクシーでお帰りくださいませ・・・!
 と言って想像するタクシーとは違うのかもしれませんが、開催中の「東の旅」展で秋聲が旅先における乗合自動車の乗り心地についてアレコレ書いている文章がございます。昭和4年10月、雑誌「文学時代」の特集企画「伊豆の秋を探る」にて、静岡県の天城から下田を旅した秋聲。同誌に発表した旅行記「天城から下田へ」にこんなくだりが出て来ます。
(↑秋聲の文の途中で鈴木文史朗『空の旅・地の旅』広告が挟まりとっちらかるの巻)
〈大仁から乗つた乗合自動車は、稍々(やや)窮屈であつた。私は翁(久允)君の好意で、運転手の直ぐ後ろに腰かける。中川(紀元)君が、私と膝を並べる。運転手は十九や二十そこいらの年頃である。私は窃(ひそ)かに危ぶんだが、中途から老練らしい四十ばかりの人が代つたので、漸(ようや)く吻(ほっ)とする。〉
 若手に信頼を置かないタイプの秋聲・・・このあと車はどんどん険しい天城峠を登ってゆきます。〈車は絶えず危なかしい崖ぎはをうねりうねりして、雨に仄暗い杉林や雑木林を宛然(さながら)フヰルムのやうに、迎え且つ送る。車輪のゴム輪の、砂土を押しつぶして行く音が、映写機の歯車の音のやうに聞かれる。私はこの山路に馴れ切つた運転手の舵の使ひぶりが、余りにも慣れてゐるので、わざと際どい縁を通るのではないかと思つたほど、車輪が屢々(しばしば)崖を踏はづしさうにするのに恟々(びくびく)したものだが、十二分の柔軟性をもつた彼の手の動きの微妙なのを見るのに馴れて、次第に安心するやうになつて来た。〉 
 怖すぎてふとベテランさんをも疑い出す秋聲・・・真後ろからめちゃめちゃ運転手の手元を見ている秋聲・・・そののち見どころの多い奥天城はピュッと通り過ぎてしまい、やがて無事下田の街に降りたち旅館に着いてもまだ少し頭がふらついているところ、
〈「疲れたね」比較的揺れのはげしい後ろの方に陣取つてゐた小川(未明)君が言ふと、「疲れたね」と誰かも言ふ。〉・・・秋聲の書き留めたこの一言に、多くが集約された初の天城越え体験でした。





それでも老大家
 2023.8.4

 語呂合わせから本日は「箸の日」だそうです。あいにく秋聲愛用お箸の所蔵がなく、ご紹介できる遺品は…と思っておりましたところ、何の脈絡もなく新装版『仮装人物』が無事納品されましたので話題を移してまいります。今回あらたに表紙になりましたのは、ふたつある遺品のうちから、石川近代文学館蔵のほうのサンタクロース面でした。なんでサンタ? と思われた方は冒頭だけでもぜひお読みください。すぐにその謎が解けますし、そしてハッとして表紙に立ち戻ってみてください。あくまでも小説ですから完全なイコールで安易に結びつけるわけにもいかないのですが、現実と物語の間にふよふよと浮かぶ仮装人物、それがサンタ。首は浮いているけれども当館オリジナル文庫の中でいちばんの厚さを誇り、物理的には重たい本、それが『仮装人物』。
 せっかくですから作中「箸」が出てくる場面はないかしら、と見てゆきますと、いくつか食事の場面がありました。が、たいていあまり箸が進んでいないようです。秋聲の作品にとって食事のシーンというのはかなり重要な位置を占めると思うのですが、ジ○リのようにウワァおいしそーう! となる光景はあまりないような・・・たいていの場合、美味しくもない食事を、あるいは美味しいと感じられないような空気のなかで、苦虫を噛みつぶすようにモソモソとただ口に運んでいるような気がいたします。
 たとえばヒロイン〈葉子〉が病褥に伏し、その傍らで食事をする〈庸三〉のシーン。
 
 「何にも食べない。」
  彼女は微かに目で食べないと答えたらしかったが、庸三が心持不味(まず)そうに
 食事をしていると、葉子はひりひりした痛みを感ずるらしく、細い呻吟声(うめきご
 え)を立てて顔をしかめた。彼は硬い表情をして別のことを考えていたので、振り向
 きもしなかった。
 「人がこんなに苦しんでいるのに、平気で御飯たべられるなんて、何とそれが老大家
 なの。」

 …傍で聞いているだけで葉子の傷口以上に心がヒリヒリいたしますね。ちなみに舞台は湯河原、現在「東の旅」でご紹介している、真山青果とのヒリヒリ湯河原旅行の約20年後の再訪です。そんな苦い食事風景も楽しめる『仮装人物』、明日、館内ショップ・通販ともに販売開始です!





花が咲かない
   2023.7.28

 当館を含む東山エリア6館で「まちめぐりクイズラリー2023」を開催中です。今年の参加特典は扇子。うさぎと朝顔の2種類からひとつお選びいただく形となっており、うさぎのほうに秋聲の入る余地はないので(某K花さん生誕150年、何度でもおめでとうございます)朝顔のほうでお話を広げようかと、横着をして「秋聲 朝顔」でネット検索をしてみましたら、一番にヒットするのが過去の寸々語でありました。自給自足感がすごいのと、ネタの使い回し感がすごいです(がんばろう記念館!!)。
 
 
 そんな過去記事のタイトルは「朝顔のこと」(2014年9月15日)。秋聲が朝顔に夏感じる~と記した小品「朝顔の花」から徳田家の旧主・横山家のことなどをご紹介する内容で、冒頭に少しだけ旅の風が吹いておりますので今会期中に「不定期連載」にあげてみました。あまり遠出をしない代わりに近場でちょっとした風情を見つけるのが上手な秋聲です(あとソーダ水がこんなに重たい文明批評を孕んでいるだなんて)。
 秋聲著作にも朝顔柄のものがございます。没後に出版された東方社版『妹思ひ』(昭和21年)、義理の妹・美代子と婚約者が思い合っている…? と察した姉・藤野が身を引く話…先日触れた『月光曲』とも少し似た感じでしょうか。こちらに装丁者のクレジットはないのですが、裏表紙に木村荘八のくるんっとしたサイン(ちょっと朝顔っぽい)が確認され、描かれるのは朝顔のつぼみとお見受けします。また同じく秋聲没後、長男一穂さんの編集により発行された雑誌「縮図」第一輯(青玄社)の表紙もやはり朝…顔…? いや、でも葉っぱの形が…朝顔らしきお花はなく、とはいえ同じ荘八による装幀ですし、ツルの感じが朝…顔…? まるっとしているあれは咲き終わった種…? いずれにせよ、そう簡単には花を咲かせてくれない荘八でした。ちなみに後者の出版社は北海道に在り。私が東京で編集して印刷は北海道で~…と一穂の後書きに記され、かなり「東を旅」した刊行物と言えるでしょう(広津、川端、犀星、長太郎らが寄稿)。
 さてなんの話であったか、景品の扇子です。それにちなみ、最後に、各所から叱られそうな秋聲のアンケート回答をご紹介して終わりにいたします。

 Q.扇子と団扇(うちわ)とは何(いず)れを好まるゝか。
 A.扇子を好み候。団扇は何となく少しバカげてゐるやうに思はれ候。
                         (「新小説」明治41年9月号)



 


内灘砂丘フェスティバル
  2023.7.26

 8月27日(日)13時~、県内の内灘町文化会館大ホールにて、金沢ご出身の作家・唯川恵先生のトークショーが開催されます(内灘砂丘フェスティバル実行委員会主催)。そのお話のお相手がなんと当館・蔀館長! 
 唯川先生といえば記念館のご近所でお育ちになり、それが作品に反映されたものとしてこのような記事もありました。ひがし茶屋街といえば秋聲のゆかりでもあり。その立地からもお察しのとおり、「ひがし」と秋聲の縁が深いのだということは、毎年館内で開催している「お座敷あそび」なる催しなどからも平素よりじりじり主張させていただいているところです。当館の企画展ではありませんが、「ひがし」があれば「にし」もあり、秋聲の短編「挿話」には、大正期に「にし」の勢力におされがちな「ひがし」の図が描かれます。「にし」とは「にし茶屋街」で、犀星記念館さんのそばにある茶屋町。どちらかと言えば格式を重視する「ひがし」の一方、モダンで学生さんなどでも行きやすかったのが「にし」。そんな「にし茶屋街」は「挿話」以外にも実は一昨日話題にしました「仮装人物」に少し出て来ています。
 山田順子をモデルとする〈葉子〉の娘〈瑠美子〉を預けた踊りの先生〈雪枝〉(モデルは藤間静枝)、その家で開催された年末の納会で〈瑠美子〉が踊りが披露することになり、それを見に出かけた秋聲をモデルとする〈庸三〉に、〈雪枝〉が言います。

 「あの人達、先生のお国の西新地の芸者衆ですよ。」
 師匠が言ふので其方を見ると、仕切りをはづした次ぎの部屋に、呆(とぼ)けた面相の年増が二人ゐた。
 「あれでなかなか芸人ですのよ。お座敷が迚(とて)も面白いんですの。」
 
 これだけの描写ではありますが、秋聲=ひがし、と思い込んでいたところにふと現れる「にし」との繋がりでした(なお、「にし」=島田清次郎ですね)。
 唯川先生のトークショーからまたも話題泥棒をいたしまして恐縮です。当日おふたりの間でどのようなお話が聞けるでしょうか。贅沢にもオーケストラ・アンサンブル金沢によるコンサートとの二部構成となっております。詳細につきましては公式サイトよりご確認ください。





『仮装人物』増刷決定
 2023.7.24

 昨日、話題に載せました『仮装人物』。長く売り切れとなっていたオリジナル文庫増刷の手続きが整いまして、このまま何事もなければ8月5日(土)より販売予定です。本文の修正がすこしと、このたび二度目の増刷にしてカバーを新しくしてみました。左右で異なる表情を見せていたこれまでの仮装人物感もなかなかよかったのですが、このたびは思いきってサンタクロースのお顔を前面に。デザインは当館の文庫やグッズデザインでおなじみ、安心と信頼の南知子さんです。そしてこのご時世、紙代・印刷費の高騰にともないちょっと値上げも…その点、深くお詫びを申し上げます。通信販売のほうもあわせて手配を進めております。サンタ小皿の新発売に関して、5月にサンタだなんて~などとハチャハチャ言っていたのも記憶に新しいところながら、今度は8月のサンタです。本領を発揮した感ありです。あのサンタかな? このサンタかな? 発売をどうぞお楽しみに(石川近代文学館さま、ご協力ありがとうございました!)。
 現在の「東の旅」展でも、『仮装人物』に少し触れておりますので、文庫増刷が会期中に間に合い、よみたい → よめない! を脱することができ一安心です。中で秋聲をモデルとする庸三が、山田順子をモデルとする葉子の生まれ故郷である秋田に行ったり、彼女が一時居を構えていた逗子に行ったり(去年の久米正雄展会期中に放映させていただいた久米監督による映像作品「現代日本文学巡礼」に映っている場面ですね。逗子における順子・秋聲・秋聲長男一穂・末っ子百子です/こおりやま文学の森資料館蔵)、彼女とともに湯河原から熱海に行ったりしており、そんな各地への旅もさることながら、今回はとくに秋聲を中心とする会合「二日会」での遠足のコーナーに初出誌「経済往来」をお出ししてみました。物語中、「二日会」のみんなで遠足に行きましょうよォ~と提案する葉子のくだり。実際に彼らは玉川や高尾山など近場の遠足に出かけるほか、「秋聲会」に改組ののち熱海や伊豆への宿泊旅行にも出かけています。もちろん、同作は実際にあった彼女との恋愛事件を素材にしておりますので事実と重なる部分は多いのですが、実際にある団体などが実名で登場すると、改めてドキッとしますね。同じケースには、遠足について記録した秋聲自筆部分が見られる「二日会」記録冊子や、犀星さんが秋聲長男一穂さんに宛てて遠足の行き先について相談する葉書(内容・筆跡ひっくるめてとても可愛い)などを詰め込みました。
 この前後も読んでみたいわ、となられましたら是非、新装版『仮装人物』をよろしくお願いいたします。 
 




あやされる
  2023.7.23

 もしか福井に行かれて(福井じゃなくてもよいです)、あるいは〝東の旅〟に出られて(東じゃなくてもよいです)、金沢駅をご利用になることがございましたら構内の観光案内所展示コーナーにお立ち寄りください。9月末まで大きな展示ケースを「金沢の三文豪」仕様にしていただいております。三人の肖像写真および各館をご案内いただくパネルとともに、秋聲の『あらくれ』(復刻版)の展示も。金沢の玄関口でこうして出迎えてくれる三文豪…ときめくほかありません。ご紹介に感謝申し上げます。
 こちらは内部事情で恐縮ですが、秋聲作品で〝復刻版〟が存在するのは『あらくれ』『黴』『めぐりあひ』『縮図』くらい?? よって博物館外でご紹介いただく場合によく見られるのは、自然この4作のうちのいずれかである確率が高い…とは言えるかもしれません。中でも、ご存じ在田稠による野苺の装幀および外箱の格子柄がかわいい『あらくれ』はその最先鋒。昨今では、秋聲といえば黴かサンタかダンスが苺か~…くらいのセット感が醸されているであろうことを信じ、このたび入館記念スタンプをリニューアルいたしました。
 題して「苺にあやされる秋聲」です。出典は『仮装人物』。ヒロイン葉子が残していった苺に〈あやされ〉、母が子を待つように彼女の帰りを待つ庸三…といったくだりで出てくる表現です。秋聲自身、苺はお好きのようですから、こうして囲まれて嫌な気はしない、ということにしておきます。館の外観をあしらった以前のスタンプはだいぶん疲れ、端々がかすれ、お客さまが押すのに難儀されている…と受付さんより幾度か報告を受けておりました。と同時に、うまく押せた! かすれた! とそれはそれで盛り上がっていて楽しそうです、との報告もあり、じゃあいいか、となってはいけなかったのですが、ついここまでお疲れスタンプに頑張らせてしまいました。交換が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。ご来館の際にはぜひスタンプもチェックしてみてください。そんなスタンプの設置場所も変わりまして、2階のエレベーター横になりました。
 博物館でも感染防止対策の条件がいろいろと変わり、共用のものもお出しできるようになりましたので、みなさまに自由に書き込んでいただける交流ノートを復活させ、それとともに、書きやすいよう机を設置、スタンプもそこに合流。過去の企画展のチラシやナイトミュージアムのパンフレットや、アンケート回収箱などなどがところ狭しと置かれ、ガッチャガチャなのに何故か不思議と落ち着きの良い一角となっています。





〝ふたりのおじょうさん〟
  2023.7.21

 現在、福井県立ふるさと文学館さんにて夏季企画展「堀内誠一 子どもの世界」が開催されています。常々〈子供は書きにくい〉とも、〈どうしても大人には小児(こども)の心持ちになれぬと見える。〉(「他の心理己の心理」明治44年6月)ともこぼす秋聲の記念館において何故この展示をご紹介するかと言えば、堀内誠一先生の義理のお父さまが「縮図」の挿絵を手がけたあの内田巌であるため(さらにその父は内田魯庵)。逆に言うと内田巌のご息女・路子さんと結婚されたのが堀内先生で、今回ありがたいことにそのご長女・堀内花子氏より本展のご案内をいただきました。
 「ぐるんぱのようちえん」などがしばしば代表作に挙げられますが、それでなくともその作品を見渡せば、アッ懐かしい! エッこの作品の!! と多くの方が反応されるに違いありません。そんな展示とともに、会期中の今月28日(金)には堀内先生ご次女・紅子氏ご指導によるモビール作りのワークショップや、翌29日(土)には花子氏によるトークイベント「父と絵のこと 子どもたちへのまなざし」が開催されるそうです。ご関心おありの方はぜひぜひお運びくださいませ(上記の〝ふたりのおじょうさん〟につきましては、このような記事も)。
 秋聲自身は自分の作品は子どもたちには読ませたくない、と折々に語っています。たしかに子どもに読ませて教育上問題のなさそうな作品というのはなかなか……なかでも比較的若い頃に発表した少年少女向けの作品を集めたのが記念館オリジナル文庫『秋聲少年少女小説集』ですが、出てくるのはタイとかタコとかちょい渋め……とはいえ先日から何度となくお話ししておりますように、こう見えて子煩悩な秋聲ですから、子どもたち、とくに二人の娘に対してのまなざしはとても優しく感じられます。厳密には三人いた秋聲の娘たち…が、長女の瑞子が12歳で病死し、さらには母はまも若くして亡くなったのち、家庭の中で〈二人きりの女の同胞(きょうだい)〉になってしまった喜代子と百子。彼女たちを見守りながら、〈姉の帰りがおそいと御飯もたべないで、電車通りまでそつと見に行つたりすることもあるし、姉もよく妹を劬(いたわ)つてくれてゐる〉、〈生涯切り離すことの出来ない愛情を持ち合つて各々(めいめい)の人生を辿つて行くことと思ひます〉(「父ごゝろ」)と…(なお「東の旅」展にお出ししている内田巌装幀『月光曲』は、ある二姉妹の物語)。 
 ほろほろと脱線のうえ話題泥棒で申し訳ありません! 堀内誠一展がは9月18日まで。夏休みにぜひご観覧ください。





俳句の日
 2023.7.20

  昨日の分の記事を書きながら、あぁ来月のこの日は俳句トークイベントだ…と思った瞬間、はッッと気づいてしまいました。8月19日…8(は)19(いく)の日…!! なんてこったい、まったく意識しておりませんでした。館の都合と大木先生のご予定を摺り合わせてたまたまこの日になったに過ぎず、なんだか真夏のお暑い時にすみませんねぇ…という気持ちひとつをしかこの日に持ち合わせておりませんでしたけれども、まさかの俳句の日…俳句の神様のおぼしめし…(しかも毎月19日は「トークの日」…)そんなわけで、8月19日(土)、大木志門編『徳田秋聲俳句集』刊行記念トークイベント「俳人・秋聲を考える」のお申し込み受付を開始いたしました。この日に、これを聴かずして、どうしましょう…!
 同書は今まさにご制作の真っ最中。昨日、完成が8月上旬~中旬にずれ込みそう…とご連絡をいただきましたが、その理由が造本に凝った結果、とのことですからよりいっそう期待の心が膨らみます。イベント当日までにはご納品いただける予定ですので、どうかわれわれとともに、楽しみにお待ちいただけましたら幸いです。 
 そしてせっかく初の句集が出るのですから、少しでもご関心をもっていただこうと、企画展「東の旅」でも展示室にいたる通路を俳句コーナーにしてみました。ちょうど伊香保や箱根、奥利根など、明らかにその地が読みこまれたもの、という句がございましたので、秋聲の思い出と長男一穂さんが書き残してくださった解説を交えながら数枚パネルを設けております。とはいえ、現在の書斎の床の間もあわせて、館で展示する秋聲句というのは限られた数句に偏りがち…ひとさまに揮毫を依頼されたときに秋聲がよく記したといういわゆるレギュラーメンバー、どうしても一番手前に控えている一軍からピックアップすることが多く、実際に収蔵している色紙や短冊もそうした数句に寄っているため、ここ数日、大木先生がツイッターでご紹介くださっている見慣れぬ秋聲句のバリエーションに新鮮な驚きを受けています(川向こうの某K記念館との俳句バトル、それはとても高度な遊び)。
 今回刊行される『徳田秋聲俳句集』では、そうした非常にマニアックな作品もほぼ網羅してご収録くださっているとのことですから、イベントタイトルにもございますとおり「俳人・秋聲」としての全貌が初めて見えてくるのではないでしょうか。しかも手に取ることのできる形で!
 ついでに22日より当館・川向こうの某館・安江金箔工芸館・寺島蔵人邸・金沢文芸館の東山界隈6館を対象におこなわれる毎年恒例の「まちめぐりクイズラリー2023」の上級者向けクイズは、秋聲の俳句にちなむものにしてみました。正解でも不正解でも、ご参加いただいた方全員に記念品(扇子)が贈呈されます(~8月31日)。



  


派遣される秋聲
  2023.7.19

 昨日、例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんに学芸員が出演させていただきました。今回は、開幕したばかりの「東の旅」展のPRをば。前回記事にも繋がるところで、夏には房州の海へゆくことを習慣とした仲良し徳田ファミリーのお話をさせていただき(そんななかでも次男坊の反抗期や三男坊の足の病気など、家族の悩みは尽きないのですが)、秋聲の意外な子煩悩ぶりをお伝えしてまいりました。
 そして緊張してご紹介するのをすっかり忘れてしまったのですが、この房州通いのそもそものきっかけは、同じ尾崎紅葉門下にいた田中涼葉の療養生活をお見舞したこと。明治30年、肺を病み、紅葉の世話でここに滞在していた涼葉の顔を見に出かけたのが同地初訪問かと思われます。展示資料のキャプションにも記しましたとおり、この訪問は紅葉の指示で、秋聲が派遣されたのは、どうも宿の主人と宿泊費の交渉をさせるためであったとか…そんな紅葉先生のひそかな意図(指令)にも気づかず、ちょっと励まして泊まりもせずにすぐに帰って来ちゃった自分のことを、秋聲はのちに〈実に世間知らずで、さうしてぼんやり者で、非常に迂闊でもあつた〉と記しています(「わが文壇生活の30年」/記念館オリジナル文庫『思ひ出るまゝ』収録)。涼葉は間もなくして亡くなり、その後、紅葉が手を入れ、〝牛門の四天王〟たる風葉・春葉・鏡花・秋聲が小品や跋文を寄せて刊行された涼葉遺作『仇浪(あだなみ)』初版をあわせて展示中です。
 また明治39年4月には、「青春」を執筆中の兄弟子・小栗風葉に原稿の督促をするため、掲載紙である「読売新聞」からやはり同地に派遣される秋聲。今度はきちんと役割を果たしたようで、秋聲による「心血を注ぎすぎて原稿遅れてんだって、ゴメン!」といった報告記事が同紙に掲載されています。おそらくこうした船旅が素材となっているのでしょう。同年9月、東京から房州へ向かう船中での出来事を描く名編「夜航船」が発表されます。ここで巻き込まれる小事件および痩せこけた奇妙な老婆との遭遇がすなわちすべて秋聲の実体験ということでなく、汽笛の音や船の揺れ、夏場に混み合うデッキにおける人いきれなど、読みながらどことなく息苦しくもなるリアルな描写が本作の魅力のひとつです。
 と、「東の旅」展でがっつり紹介しているくせ「夜航船」の入ったオリジナル文庫を切らしている間の悪い当館。全体重をかけ河出文庫さまの山前譲編『文豪たちの妙な旅 ミステリーアンソロジー』におんぶに抱っこです。この夏、子泣きじじいとして生きる…! 読んでみたい → 読める、をつくってくださる出版社さまに感謝です。



 
 

「潮の匂」
  2023.7.17

 「海の日」の今日、企画展「東の旅」に貴重な秋聲の海パン姿をパネル展示しているという事実を張り切ってお伝え申し上げます。以前、秋聲コラムを連載させていただいていた雑誌「月刊金澤」にもそんなお話を書いたことがありました。パンツなの? 海水パンツなの? といったご様子の無防備な秋聲、於房州の海。同地が何せ徳田家ご用達の夏の遊び場なのだということはこれまでにも折々にご紹介してきた通りです。なお、上記お写真のパネル展示におきまして妙な切り取り方になっているのは、掲載誌(「文学時代」昭和4年9月号)の前衛的なレイアウトにより別なお方(尾﨑士郎)の水着姿が被さってきているため…ちょっとインパクトが強く、目線をすべて持って行かれそうでしたので、徳田家のみなさまだけ切り抜かせていただきました。あしからずご理解くださいませ。そして現在、房州行きを描く短編「潮の匂」自筆原稿を展示中です(~9月4日まで)。

 「旅行つて何方(どちら)へ行くんです。」
 「山にしようか、それとも海にしようかと、考へ中なんです。」
  山野は子供が何時(いつ)からか望んでゐた海水浴に適当な場所を捜したい
 やうな気もしてゐた。
    (中略)
 「正夫は海へ行きたくて為様がないようですよ。」妻はさうも言つてゐた。
  彼が小学校時代から、自然にそんな風に慣されてゐた。彼の小学校では、暑中
 休暇の終りに、先生が旅行をしたか為ないかを、各々(めいめい)に訊ねるやう
 な風であつた。彼はいつも其(それ)を極(きまり)悪がつてゐた。

 …現代にも通じる夏休みあるあるでしょうか。夏の旅先に迷う主人公「山野」。どちらかと言うと海より山派の秋聲本人ですが(だから「山野」なのかどうなのか…)〈子供本位と、自分本位と〉どちらの心にしたがおう~と揺れに揺れた結果、胃弱な自分の治療にも海のほうがいいかも、〈そして其の海を択ぶには、子供に適当したやうな場所が好ましかつた〉として、旅の下見に木更津へ…結末には〈懐かしい潮の匂ひが鼻に通つて〉来る、そんな物語となっています。





新企画展「東の旅」開幕!
  2023.7.15

 本日、新企画展「東の旅」開幕です! 春から開催してまいりました「西の旅」展のシリーズ企画で、今度は秋聲の旅〈東日本編〉のご紹介です。昨日事務室でガイドペーパーを折りながら、「金沢って西日本なんですっけ…」と譫言のようにぽつりと呟かれたお隣の職員さんの小声にドキーン!としつつ、しっかり〈西日本編〉で紹介しきってすでに撤去さえ済んでしまった秋聲、金沢への帰省旅行に思いを馳せました。今度は、伊香保・箱根・熱海・川原湯・房州・諏訪・北海道あたりにスポットをあて、チラシにはひときわ道中(車中)感の強い秋聲先生にお出ましいただきました。「文章倶楽部」大正14年1月号に掲載されたお写真で、原版は徳田家蔵。当館ではチラシに秋聲のお顔を使うことはあまりしないのですが、こちらに関しましては具体的にどこへ行かれるところなのかは不明ながら、これぞ〝旅〟! との雰囲気とともに、ふだんと少し異なる雰囲気のいでたちとお顔つきが魅力的でしたもので即採用。ただ言っていることはいつもの秋聲節。夏に旅? 混むでしょ! ねー。ですよねー。嫌なところで切り抜いてしまったのはこちらの罪で、このあと出るならみんなが帰った頃じゃない? と仰せです。と、ここで思い出されるのが「西の旅」終幕近くにご案内させていただいたお客さまのこと。吉野の桜を見に行きたいけど、でも混雑すごいよね、近場でいっか…となる秋聲をご紹介するパネルの前で「ここの感想、完全に一致」と仰ったのに、とても嬉しくなってしまいました。行きたい気持ちはあるのに、つい現実的なシミュレーションをしてしまうのが悲しき大人の性(さが)…金沢もきっとこれからもっと混み合うでしょうけれども(記念館はそうでもない)企画展は11月まで開催しておりますので、どうか気長によろしくお願いいたします。
 また上述の「文章倶楽部」は実物を展示中です。文士たちの生態がわかることからいろいろな場面でよく引かれる「現代十作家の生活振り」というアンケートが掲載され、「散歩・旅行―その他」の項では、散歩は割合やるけど旅行はあまりしない、と答える秋聲。温泉はお好きだそうです。けれども〈温泉そのものは別に体にききもしない〉そうです。宿屋の雰囲気がいいんだそうです。早起きをした日は昼寝をすることもあるそうです。ただすぐ風邪をひいてしまうから、昼寝をするときにもしっかりお布団を敷くそうです(別府へ行き、鎌倉へ行き、北海道へ行っては体調を崩した秋聲より)。





故意ではない
 2023.7.8

 そして11月3日(金・祝)には、泉鏡花生誕150年記念対談「鏡花が見た秋聲、秋聲の見た鏡花」を開催いたします! どれだけ不仲と伝えられようとも(先方に嫌がられようとも)やはり慕わしき兄弟子ですから、当館においてお祝いイベントを開催しないわけにはまいりますまい・・・といったわけで某K花記念館さんの公式図録にもご寄稿のある鏡花研究者の鈴木啓子先生をお招きして、お誕生日イブにあたるこの日、当館蔀館長と対談していただくことになりました。某K花派vs秋聲派…さぁ火鉢を挟んで――ファイッ!! みたいなギスギスしたイベントにならなければよいな、とは思いながら、当日はどうなることか…客席もどちら派の方が多くなるのか、すこしでもバランスが悪いと会場の空気に影響するのか…お申し込みの際に「あ、某K花派です」と自己申告していただくことといたします。定員は約30名、それをもお聞きしたうえで、申し訳ありませんが川向こうサイドは満席です、などとお答えすることもあろうかと存じます。その場合、「やっぱり秋聲派でした」と改めてお電話をおかけ直し願います。
 10月初旬~中旬くらいには受付を開始する予定です。具体的に日程が決まりましたらイベントページで告知申し上げます。なお、これを含む会期で開催される「東の旅」展に某K花さん資料はお出しすることができなかったのですが、一箇所だけそのお名前が登場するパネルがございます。いったい何をお話ししたの秋聲先生・・・というかえって気になるくだり、開幕の折には是非探してみてください。
 そして実は現在、頑なに秋聲のしゅの字を紹介しない、で知られる某K花記念館さんにて、こともあろうに秋聲の『和解』初版が展示されているのです…! なんと! この生誕150年を機に! ついに和解を…!! 同館企画展のサブタイトル「泉鏡花と関東大震災」に関連し、本書に秋聲の震災体験を描く「不安のなかに」が収録されているため。いえ、決して。わざと『和解』を押しつけたわけでなく。他にもあったのに敢えて「これしかない」と嘘をついたわけでなく。たまたま、たまたま「不安のなかに」が入っているのが『和解』であったという。ほんとうに、何の作為もなく――ということを強調させていただきつつ、いずれにせよウン十年に一度の歴史的な出来事ですので他の何処でもない某K花記念館に展示される『和解』、しかとご覧ください。





新作新内
 2023.7.7

 さらにつづきましてナイトイベントのふたつめ、今年も「新内流し」を開催いたします! 実は当館恒例イベントの中でもこちらが最も古株。平成17年の開館の翌年から一度も休まず開催しておりますので、今回でなんと18回目。今年の演目は某K花さん生誕150年という節目をお祝いして泉鏡花原作「国貞ゑがく」でございます。今年も犀星記念館さんとともに、一緒に某K花さんをお祝いしましょうね~と言いながら打ち合わせのメールで何度となく「国定ゑがく」と書いてしまっていてたいへん申し訳のないことでした。すみません、秋聲まわりには真山青果がおりまして…「国定忠次」がありまして…おそらく過去の青果展の名残がわるさをしたのです。そして次回「東の旅」展にも青果さんはご登場です。その結果、秋聲が湯河原でもやもやしています。  
 青果は某K花さんの「日本橋」の舞台化も手がけており、同作は某K花さんご自身での戯曲化も経て、さらには現代にも長く愛され、今年「グランドシネマ日本橋」が上映されるそうな。こちらの不手際を誤魔化しながら無理やり宣伝に繋げてみました。それはそれとして新内は歌川のほうの「国貞」です(石川近代文学館さんの企画展「泉鏡花と、」ではその自筆原稿が見られるもよう。9日には同作の朗読イベントも)。
 いわゆる古典だけでなく、金沢で上演するにあたり毎年こうして新作を下ろしてくださる岡本紋弥さん、杉浦千弥さん。紋弥さんの脚色に千弥さんが曲をつけ、日本の近代文学が新内節に生まれ変わります。これまでにも秋聲の「あらくれ」や一葉「たけくらべ」、紅葉「金色夜叉」、某K花「義血俠血」、犀星「あにいもうと」などが上演され、何がすごいといって同じ演目が繰り返されたのは秋聲の「戦時風景」ただ一度きり! しかもこれは平成25年に上演していただいたものを、平成30年の企画展「秋聲の戦争」にあわせ、ぜひ再演を、というこちらのリクエストによるものです。毎年新作が楽しめるのは、おふたりのお心遣いにほかならず、毎年そのお題が届くのを楽しみにお待ちしている記念館です。また逆に言うとその年を逃せば次はいつになる・・・? という稀少さですから、当館・円長寺・犀星館の3チャンスのいずれか、お取り逃しになりませんよう。そう、今年も円長寺さんのご厚意に甘え、当館主催2日目は円長寺さんご本堂で開催させていただきます。その後すぐに犀星館さんで上演されるわけですが、時間、近くないですか!? 間に合いますか!? と気を揉む当館の一方、「喉が冷えないうちがいいんだヨッ!」と軽快に移動される、いつも粋な紋弥さんの後ろ姿です。






朗読会「稲妻」開催決定!
 
 2023.7.5

 つづきまして、先日専用サイトもオープンいたしました「金沢ナイトミュージアム2023」のうち、9月23日(土・祝)夜には、企画展記念朗読会「稲妻」を開催いたします! 昨年も同じ日にお招きいたしました板倉光隆さんとうえだ星子さんのおふたり。毎年9月23日=秋分の日=薄目に見れば〝秋聲の日〟、ご都合の許す限り、今度ともおふたりのこの日をぜひ当館にお譲りいただければ・・・とひそかに願っております。去年は久米正雄の「マギー」「黒蠅」「天花」の3編でしたね。今年はがっつり秋聲しばりで、「東の旅」展にちなみ、旅とか船とか汽車とかの出てくる3つの名編を選んでみました。表題となった「稲妻」はそこはかとなく代表作「縮図」の匂いのする短編。男女の会話もさることながら、何せ奥利根を観光してあるくその風景描写がすがすがしく、わずかな時間ですがお客さまとともに旅ができれば・・・と思い選びました。それから別府を描く「紀行の一節」、こちらは現在の「西の旅」展でその初出誌を展示中です。そして「夫恋し」。「紀行の一節」にもちょっとそんな雰囲気がありますが、本作こそ夜の記念館にふさわしい――というよりお昼間には出来ないかも・・・といった、なんとなく現代にも通じる痛みをも湛えた大人な一編です。
 こちらの朗読会はとくに板倉光隆さんのご演出により、朗読なのだけれども少しお芝居にも近いような感覚で、いつの間にかその世界にのめり込んで楽しんでいただけるつくりになっています。いかんせん主に東京でご活躍のおふたりですのでたびたび会って練習して・・・ということは出来ないのですが、生誕150年記念朗読劇「赤い花」の際に培った、リモートでのお打ち合わせを重ねながら当日を迎える所存です。
 また昨今、金沢への観光客の増加(戻り?)によりお宿がどこもいっぱい問題が生じており、ご参加をご検討のお客さまにおかれましてはお早めのご手配をお勧めいたします。と言いつつ、人気のおふたりのイベントに際し、もう早いとは言えない時期の情報解禁となり申し訳ありません。現状、一番向こうのイベントは秋聲忌。今年はご命日当日の11月18日の開催です。
 




『徳田秋聲俳句集』(龜鳴屋)刊行決定!
 2023.7.3

 次回企画展「東の旅」予告ページおよび会期中のイベント情報をアップいたしました! こちらでは順にイベントの内容についてご紹介してゆきたく存じます。
 まず、来月19日(土)、当館初代学芸員で現東海大学教授・大木志門先生をお招きして、トークイベントを開催いたします。題は「俳人・秋聲を考える」―『徳田秋聲俳句集』刊行記念・・・ということで、しれっと情報解禁した感じになりました。『徳田秋聲俳句集』! なんですって!? これは聞き捨てなりません!! 大木先生の手により、今夏また新しい秋聲の作品集がこの世に生み出されようとしております。昨日がご命日でありました秋聲長男・徳田一穂さんの作品集『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想』と同じ、こだわりの造本で知られる市内・龜鳴屋さんから今月下旬に刊行予定です。秋聲の俳句といえば、かつての企画展「俳句と遺墨」vol.1~2でもご紹介してきましたとおり、今まとまった形で読もうとすると八木書店版『徳田秋聲全集』第27巻を繙くほかありません。その生前、没後ともに、現在までに句集という形では一切刊行されておらず、今回の大木先生のご編著により初めて手軽に手にとることができるようになります。かつ197句を収める全集の約1.5倍の量が収録されるご予定とのことで資料価値も抜群に高く、これぞ前代未聞のとんでもなく有り難く嬉しいニュースなのにもかかわらず、イベント情報のサブタイトルで知らしめるという広報下手で恐縮です。当日にはきっと記念館のショップに燦然と並んでいることと存じますので、それを片手に知られざる秋聲の俳句に触れ、その句作の背景、紅葉先生や某K花さんたちとの句会についてなどなど(出席しないと先生の機嫌がわるくなる)、編著者ご本人さまの貴重なお話とともにぜひお楽しみください。嬉しさがこられきれず、「東の旅」展からその次の秋聲没後80年記念展の方も、ずいぶんと秋聲の俳句を意識した展示構成となりそうです。
 今夏は品切れとなっている『仮装人物』の復刊(カバーが変わります)に力を注ぎ、新刊をお出しできずにぐずぐずしている記念館の一方、館の外において秋聲の本を出していただけるというのは本当に本当に有り難いことなのです。また
龜鳴屋さんのおつくりになるご本ですから見た目にも素敵な装幀になること間違いなし。この感動を8月19日、みなさまと分かち合えましたら幸いです。
 追伸、7月になりましたので、書斎の掛軸を「生きのびて」の句にかけかえました。





6番7番
  2023.6.29

 明日7月1日から金沢駅バスターミナルの乗り場が改編されると聞きました。これまで当館および川向こうの某K記念館、金沢文芸館などの最寄りとなる「橋場町」にゆくためには、何せ金沢駅東口の6番乗り場に来るバスに乗ればよかったのですが、今後、観光用に特化した「城下まち金沢周遊バス」は7番乗り場に変更となるそうです。要は生活用(6番)・観光用(7番)と分離されるとのことで、もちろんどちらに乗っていただいても結局「橋場町」には停まるのですが、厳密に言うとルートが異なり、さらに同じ「橋場町」でも6番から出る路線バスは「橋場町(金城樓前)」に(一部例外あり)、今後7番から出る周遊バス(右回り)は「橋場町(ひがし・主計街茶屋街)」に停まったあと、同上「橋場町(金城樓前)」に停まります・・・すごくややこしいですね、すみません(画像は最近ネットで話題にしていただいたかつてのレトロ周遊バス「秋声号」ミニカー。当館受付にもおります。走ります)。
 近さで言うと、「橋場町(ひがし・主計街茶屋街)」のほうが当館最寄り、川向こうの某K記念館へゆくにはどちらでもまぁ同じくらい? 金沢文芸館さんには「橋場町(金城樓前)」の方が近い・・・といった感じでしょうか。いずれにせよたいした距離ではありませんが、暑さも本番になってくるとその数分が影響大。ご来館をご計画の際にはお手数ですが公式HP最新の停留所マップをご確認くださいませ。なお、当館HPのアクセス情報はよそさまよりやや口うるさめ。いかんせん土地によりバスのルールが大きく異なりますから、前乗り? 後ろ乗り? 先払い? 後払い? 運賃おいくら?? どれくらい乗ってれば着くーー??? と出張前の自らのビクビクをやわらげるようなつもりでこと細かに記載しております。
 乗車ルールをじゅうぶんに把握しておらず、あわや汽車に乗り遅れるところだった! と記されるのが秋聲の絶筆「古里の雪」。現在の「西の旅」展では部分的に現存するその貴重な原稿を展示中です。ちょうど、乗り場間違えて迷子になった! と書く背景には、前年に開戦した太平洋戦争への出征兵士たちによる混雑もあり。〈言つて見れば彼の生涯もまた哀れな人生の迷ひ児〉――せめてバスでは迷わせませんよう。




健康の秘訣
 
  2023.6.28

 ただいま水面下にて、旅シリーズの後期「東の旅」展の準備をすすめております。先日チラシが納品され、パネルもろもろも校了。間もなくビジュアルやら関連イベント情報やらも解禁となろうかと存じます。そうして展示資料のシミュレーションの結果、収集はしたけれどたぶん入らないだろうな・・・という逸品をこちらでご紹介。
 「実業之日本」大正13年4月発行の「健康号」です。「余が日常試みつゝある健康法」なるアンケートコーナーがあり、ざっと256人分の回答が掲載されるうち、われらが秋聲先生のお名前も発見されました。その見出しには「散歩と冷水浴」。「まァ散歩とか冷水摩擦ぐらゐのものですが、非常に体の虐待を余儀なくされる事がありますので、事務的には行きません。旅行なんかも保健法としての気分転換です。」というわけで、挙げていただきました〝旅行〟! タイムリーです。ありがとうございます。
 散歩は日課として想像もつきやすい一方、冷水摩擦とはなかなかストイックなお答えですね。そしてかえってお風邪を召されるのでしょうね。別府に湯治にゆき、逆に湯あたりを起こして当地の病院にかかる「西の旅」の顛末が思い起こされます。
 同じく旅行を挙げているのは巌谷小波。曰く「静座法を試みた外(ほか)別の健康法として何もやつてゐない。然し近来旅行を盛んにやるので益々丈夫になつたやうである」とのこと。それから、散歩と冷水摩擦がかぶるのは、仲良しの正宗白鳥さん。「(前略)、散歩、冷水摩擦など日常実行す。但し小生は充分の健康を保持し得ず。」・・・こちらの見出しおよび(前略)部分に入るのは、見るだにウッとなる四字熟語「間食廃止」。真理すぎて刺さりすぎて、いったん見て見ぬふりをしてしまいました。とかいって別に健康じゃないけど、と書き添えるあたりが実に白鳥さんです。同じく現在展にご登場いただいている阪神急行電鉄専務・小林一三氏の回答もいいですね! 「成り行きに任せてゐます。」・・・編集者の方も見出しに困りすぎてそのまま「成行に任せる」と載せています。似たところで相馬御風「無理せぬこと」。「ただなるべく無理をせぬことを第一の養生法といたし居り候。」・・・楽をしているようでいて、これがいちばん難しいのかもしれません。つい無理をしがちな現代人に届けたいお言葉です。
 最後にかっこいいのもひとつふたつ。鈴木三重吉「乗馬」。「四年前から乗馬の練習をつゞけてゐるお蔭で非常に健康になりました。」言ってみたさNo.1です。そしてお手本はこちらでしょうか、徳富蘇峰「此四則」。「唯(ただ)着衣、喫飯、安眠、労作するのみ」。特別なことでない、ひととしての基本四則を教えていただきました。





時計に注目
 2023.6.19

 15日、高砂大学院さまの講座で秋聲のお話をさせていただきました。毎年お招きくださいましてありがとうございます。無事終了し、帰館してふと腕時計を見ましたら、あれっ10分遅れてる…? と気づいた次の瞬間、ぶわっと冷や汗をかきました。まてよ、高砂さまで10分多くしゃべりすぎたのでは…!? となって、すぐにお電話をしてその旨お尋ねすると、「いや大丈夫ですよ、ぴったりでしたよ」とのお返事。それが本当であるのか、高砂さまの優しさであったのか、しかし心の安寧のため、「時計、どこで遅れたんでしょうかね~」と朗らかに仰ってくださるそのお言葉を信じることにいたします。館に帰るまでに十数分の間に、おくれたんでしょうね…ウンウン…。
 講座つながりで、今月頭には浅野川小学校さんにも派遣されてきたのでした。金沢文芸館さんの出前講座の一環です。こちらでは大人には懐かしのチャイムが鳴りますので時間をはみ出す心配はなく、ただ、とりわけ今年の4年生の人数が多く昨今では珍しく3クラスおありでしたので、3時間連続で同じ授業を…! すること自体に問題はないのですが、いかんせん声量と体力の無いにわか先生なものですから、最後のほうはカッスカスになっていたかもしれません。最後のクラスのみなさま、申し訳ありません。小学校の先生、それは偉大なるご職業…。
 授業では三文豪をテーマに秋聲と某K花さんの因縁、秋聲と犀星さんの仲良しぶりなどをお話ししながら、とくに食いつきの良い某K花さんの向かい干支を説明するのに便利なのがお教室にあるアナログ時計。十二支を時計みたいに配置して向かいにくるものを~と指差すとスムーズにご理解いただけます。今年の4年生は「巳」と「午」。お向かいに来るねずみは良いとして、いのししグッズはわりとレアかもしれませんね。また今年はふと犀星さんの干支も調べてみまして、なんと丑年だそうな。秋聲が未年ですから、どうりで相性が良いわけです(ちなみに紅葉先生は卯年。どうりで某K花さんとの相性が…)――ということを、4年前にも書いていたのに今年また新鮮にホウ!となった自分にびっくりです(2019年4月20日記事「徳田さんと僕たち」)。
 ちなみに現在「西の旅」展でご紹介している大阪における秋聲初恋の女性、於世野さんは「五黄の寅」だそう。勝ち気な性格につき、もしご縁があったとしても、秋聲さんとはうまくいかなかったかも…とご曾孫が館報第9号に書いてくださっています。





きのこたけのこ
 2023.6.15

 13日(火)、例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんに学芸員が出演させていただき、現在展示中の秋聲の短編「蕈(きのこ)」についてご紹介してまいりました。
 大正5年10月の母タケの死を題材にした作品で、当時、その死因はコレラと言われましたが、秋聲はそれを疑い、作中にある、嫂(次兄順太郎の妻)がお裾分けした松茸にあたったのでは…といったやりとりからのタイトル「蕈(きのこ)」。そして実はキノコと呼ばれる作品には2種類あり、死の翌年に発表された漢字の「蕈(きのこ)」(「太陽」大正6年1月号)と、8年後に発表されたひらがなの「きのこ」(「新潮」大正14年5月号)。秋聲長男一穂さんもこのタイトルだけ見た当初、同じ作品の再掲? 「爛」が当初「ただれ」だったみたいなこと?? と思われていたそうですが、実際には、母の死の前後を広く描く前者(長)と、死因の周辺にぐっと焦点を当てて描いた後者(短)で、テーマは同一ながら別の作品なのでした。
 「西の旅」展では、両方の自筆原稿を展示しており、特に「きのこ」の方は今回初公開。いずれも一穂さんが古書市で購入されたもので、原稿を見れば、前者の題が「故郷」、後者は「母の死」となっているのが確認できます。一度書いた母の死を、年を経てもう一度書き、さらにどんな思いでそれぞれ「蕈」「きのこ」に改題したか…(ついでに言うと前者は最終的に「夜行列車」に改題されます)。
 先日、展示解説においてそのあたりのことをお話しながら「『きのこ』はマツタケから…」と言いたかったところ、なぜか勢いよく「『きのこ』はタケノコ――」と口走ってしまい、別に間違えてませんけど風にすぐに言い直しましたが、心ひそかに笑ってしまいました。きのことくればたけのこ(そして、すーぎのこ~)…長くこの国に生きていれば自然そうなってしまうのです。
 ちなみに、2023年梅雨の候、当館内事務室における勢力図といたしましては、きのこ派2vsたけのこ派2vs中立派2…こうなっては名誉館長(秋聲令孫)の鶴の一声にかけるしかなく、かつて伺ったときの回答は「どちらかと言えばきのこ」でした(今は違うかもしれません。当時も召し上がったことがないと仰るのでわざわざ購入して来て「どっちですか!?」と詰め寄りました)。
 よって、秋聲記念館は僅差できのこの館です。





白鳥文学碑移転完了
 2023.6.14

 そうは見えなくても実は子煩悩な秋聲ですが、そんな秋聲が彼は身軽でいいなーといつも書くのが仲良しの正宗白鳥。ひとり旅のほか夫人とふたりであっちへこっちへ、さらにはホテル住まいなどする様子が、秋聲の短編「折鞄」に出て来ます。

〈融は彼自身と反対に子供や係累のないS-氏夫妻が、海岸の家を閉め切りにして、大晦日だというのに、東京へ出て来て、二人でホテル住ひなどしてゐる幸福が、如何にも羨ましくて仕方がなかつた。さう云ふ生活も余り幸福なものでないことは、時々S-氏から聞かされたことだが、融のやうな家庭の囚となつてしまつたものには、それは寧ろ贅沢の沙汰だと云ふ気がした。〉

 「人の知らない苦労をするよ」とは秋聲の常套句で、複数の作品のセリフに出てくるとおり、その立場になってみなければ…とわかっていつつも、お子さんが7人という大所帯を抱える秋聲からすれば、その重責のない白鳥が時に羨ましくもあったよう。ここにある〈海岸の家〉とは神奈川県大磯の自宅のこと。次回「東の旅」展では大磯に着いたよ~という白鳥自筆の秋聲宛葉書を展示予定です。
 そして綺麗に1ヶ月遅れで申し訳ありません! ご本人も身軽なら碑も身軽な白鳥さん、昨年から何度か話題にしておりました軽井沢の正宗白鳥文学碑、ついに移転が完了したそうです!! 5月16日に晴れて除幕式の日を迎えたことを、ご親切にも軽井沢町歴史民俗資料館さまよりご案内いただいておりましたのに、うかうかと日を過ごしてしまいました。ちなみに「折鞄」が収録されているのは短編集『過ぎゆく日』。日ってば目を離すとすぐに過ぎゆくもんですから…身体がついてゆかれませんで…。たいへん失礼をいたしました(画像はただ「軽井沢」なだけな白鳥さんの秋聲宛封書)。改めまして、こちらでもご紹介させていただきます。わりと山中にあったものが、このほどよりアクセスの良い、観光名所・雲場池ほど近くの旧別荘敷地に移されたそうで(有料記事ですが…)、昭和40年の建碑から今回の移転の経緯までを記した看板も設置されたもよう。知っている人がいなくなるとすぐにわからなくなってしまう過去のあれこれですので、これは有り難いことです。「軽井沢町」が誕生して今年で100年、資料館さまにおける町制施行100周年記念特別展「写真・ハガキで見る歴史展 軽井沢の今昔」とあわせてぜひご訪問ください。





父子共同制作
 2023.6.12

 「枇杷のたね」後編をアップいたしました。今後、枇杷を見るたび、ぶつけられた種の痛さを感じてしまうお話でした(厳密には日傘にバチバチ)。全国的にも有名な房州びわは今頃がまさに旬だそうですね。〈露も滴りさうな真黄の枇杷の一束〉がとても美味しそうだな、と思うと同時に、〈瓶詰のバナゝケイキ〉もまた美味しそうだな、とそこに引っかかってしまう食いしんぼうです。もしケースに余裕があれば、こちらの初出誌「新小説」明治33年7月号(徳田家寄託品)も展示いたしたく考えながら、現在「東の旅」のチラシ・パネルの校正中。「西の旅」展では頻度的に金沢への帰省旅行が展示室のメインケースを埋めていたところ、「東の旅」展では頻度的に〝房州通い〟がその座に収まることになりそうです。
 「枇杷のたね」には「北条」という地名が出てきており、房州は北条海岸から船で東京の霊岸島に渡りたかったお清ちゃん…逆に霊岸島から館山方面へ向かおうとするのが、4月6日付記事でご紹介していた「夜航船」です。作品とともに、秋聲をはじめ、徳田家全体で夏になるとは房州の海へ出掛けていたようですから、そのあたりのエピソーも交えて次回展の目玉となるのは昭和11年8月、家族で北条海岸に出掛けた際に制作した楽焼(お湯呑みver)です。いつか、秋聲単独で制作し「生きのびて又夏草の目に沁みる」の句が書き付けられた絵皿を展示したことがありましたが(←)、そのお仲間で同じ時にご家族で共同制作した湯呑み茶碗を徳田家よりお借りしてまいりました。父秋聲・長男一穂・四男雅彦がそれぞれ文字を入れているこの茶腕、大木志門氏ご編著『町の子の風貌 徳田一穂 小説と随想』(龜鳴屋)の写真集でもその姿を見ることができます。こちらを、二度目の出品となる秋聲絵皿、またその制作の背景を詳しく書き留めてくださっている一穂さんの随筆「感傷の旅」(記念館文庫『秋聲の家 徳田一穂作品集』に収録)初出誌とあわせて初公開する予定です。一穂さんによれば、そもそも雅彦さんと末っ子・百子さんが那古に遊びに出掛けていて、百子さんから水着が破れたから送って! というお手紙を受け、そんなら持っていってやろうと一穂さんと同地へ向かったもののよう。早くに母親を亡くした子どもたちの中でも、当時最も幼かった末っ子の百子さんへの秋聲の目のかけ方には特別なものがあったようです。





果物好き(仮)
  2023.6.11

 早急に、と言いながらすっかり遅くなってしまい申し訳ございません。前回記事の「どこかの島で果物だけ食べて暮らしたい」説、「不定期連載」にアップしていたこちらでしたね! 原文は〈遠く、伊豆のはなれ島などへ渡つて、緑の木陰で、そこで実る果物でも、心ゆくばかり食つてゐたらば、どれだけ宜い心持がすることかと、夏になるといつも思ひ出す。〉…というわけで、似て非なるお言葉でした。そこまで怠惰なニュアンスはなく、ピュアな果物好きでした。たいへん失礼いたしました。
 また、前回までに秋聲のお魚好きをさんざんアピールしておいて、同じ文章の上のほう、〈肉類はきらひ〉と言いつつ〈肉類はきらひだといふけれども、海岸などへ行けば、新鮮だから、この場合等外である〉…等外! 等外! 海岸の肉は等外! 号外を叫ぶ人のテンションでお伝えしてみました。人間ですから、誰しもに当然こういう例外は生じ得るもの…秋聲=肉嫌いの魚好き、と一言で片づけてはいけない人間の複雑さがここにあり、同じくいつかも何かでご紹介いたしましたとおり、〈嗜好の果物は無花果(いちじく)と柿など、然し食物の嗜好は年により日により甚だしきは同じ日にても腹具合、舌の加減にて変動あり一概に言ひがたし。〉(「秋の感想」)とのことですからウンウン好きなものが一生好きとは限りませんし、いくら好きでもお腹が空いていなければ要らないやってこともありますし、今は甘(あま)より辛(から)を所望!ってことだってありますよね、人間だもの! もはや、「秋聲? あぁ果物が好きですね」とも手放しで言いにくくなったところに、旅もまたしかり。
 昨日、「西の旅」展ギャラリートークの最終回を終えました。午前午後とご参加くださったみなさま、ありがとうございました。別に旅とか好きじゃありませんけど、を基本姿勢とする秋聲の複雑な中身を少しでもお持ち帰りいただけておりましたら幸いに存じます。7月は展示替えでワチャワチャいたしますので、解説はお休みさせていただき、次回は8月5日(土)「東の旅」展における第1回を予定しております。お申し込みは無用ですので、その日その時間に展示室へお越しくださいませ。
 そんな「東の旅」への橋渡しとなりそうな作品をひとつ「不定期連載」にアップいたしました。果物好き(暫定)、枇杷好き(昭和18年時点)の秋聲による小説「枇杷のたね」(明治33年)、30歳の頃の作品です。切りどころのない短編でしたが、無理やり切って、前後編に分けてお届けいたします。



 


アジと珈琲とビワ
 2023.6.5

 さて鰺からの鮎。「日経新聞」6月3日夕刊「文学周遊」のコーナーに、秋聲の「町の踊り場」を大きくご掲載いただきました! 記事および美しい界隈の写真特集、ご覧いただけましたでしょうか。館の一角で、記者さんとじっくり秋聲談義を交わしたのもまた楽しいお時間でした。ご紹介に心より感謝申し上げます。
 雑に要約すると、「姉の葬儀に帰省した話」「葬儀に帰省したのにダンスホールで踊る話」あるいは「主人公が生きた鮎を食べそこねる話」、それが「町の踊り場」です。とかく鰺、鮎はじめ、お魚が好きな秋聲さん。〈昭和十八年と云えば、喰べ物も酷くなっていた。父の一番の娯しみと云えば喰べ物であったので、喰べ物のないのは可なり遣り切れなかったらしい。魚がないのが、一番淋しいらしかった〉とはご長男一穂さんの記すところで(「思い出の一齣」/記念館文庫『秋聲の家』より)、昭和18年=秋聲の没年、太平洋戦争真っ只中。この年の1月、一穂さんらと房州・保田に出掛けた秋聲でしたが、〈父は久し振りにうまい魚が喰べられるのを楽しみにしていたらしかったが、食膳の魚は新鮮でもなく、いい加減なもので、煮方もぞんざいであった。「駄目だね」と云って、父は多少失望したようだった〉と……。しかし同年6月、同じく房州・御宿在住の浅見淵を二人で訪ねたときには、氏の心遣いによりおいしいお魚にありつけたようで、浅見淵『昭和文壇側面史』にそのときの様子が詳しく記録されています。
 〈カツオの刺身が食べたいとしきりにいわれていたが、あいにくカツオがなく、浜のほうに割りにうまい握り寿司ができるので、ちょっとした手づくりの幾品かに、これを添えて出したところ、〝房州の海岸を歩いていると、どこでも決まったようにアワビとサザエを出すのでネ。老人には苦手でネ〟と、アワビの混っている鮨を見ながら笑われた。しかし、小アジの鮨を、〝これはうまい〟といって非常に喜ばれ、二つほどつままれ、〝すこし食べ過ぎるかな、晩飯は食べられないかな〟と呟かれた。が、何といっても一ばん喜ばれたのは、珈琲とビワの実だった。〉――お寿司をふたつつまんだだけで、お夕飯用の腹具合の心配をしだす秋聲…愛おしいですね…! 小アジが美味しくて何よりでした。でも一番お気に召したのは珈琲とビワ…。そういえば、何かのおりに、「どこかの島で果物だけ食べて暮らしたい」みたいなことを書いていたようないなかったような…。「町の踊り場」の要約以上に雑な思い出し方でした。早急に確認いたします。



 

芙美子とアジ
 2023.6.4

 先日、秋聲の後輩にあたる金沢市立馬場小学校さんが館に見学に来てくださいました。館内をご案内しながら、最後にいただいたご質問のうち、ウッと答えに窮してしまったものがひとつ…「秋聲のあだ名はなんですか?」 あだ名? あだ名……徳田先生とか秋聲さんとか本名は末雄とか、いろいろと頭をよぎりましたが結局正解に行き着かず、「ごめんなさい、ちょっと聞いたことないです…」と正直にお答えをいたしました。なかなか想定外でした。
 今そのことを思い返しながら、ふと「秋聲 あだ名」で検索してみると、昔の寸々語がヒットしました。曰く〈芙美子さんが秋聲に何故か「鯵」とのあだ名をつけたため〉(「植物シリーズ」2017.6.26)――芙美子とは林芙美子。あぁそうか、そんなあだ名がありましたね。その記事には詳しく書いていないのですが、こちらの出典は芙美子の随筆「昭和初頭の頃」で、下記のような内容です。

 〈私は、上京して間もなく、秋江氏のところに、書生をしてゐた。こゝで、いろんな人にあつた。ひそかに、あだ名をつけて来客の顔をおぼえてゐたものだ。中村武羅夫さんが道鏡。徳田秋声先生が、魚のアジ、上野山清貢さんが、河童、新潮社の中根駒十郎さんが、天野屋利兵衛。〉

 道鏡の顔がすぐに浮かぶわけではないのですが、ちょっと最初のインパクトに笑ってしまいました。また秋聲のアジについてはもう少し説明が欲しいところ。あの時、すぐにこれを思い出し「アジってひそかに呼ばれてました!」とお伝えできたにしろ、「なんで?」と無邪気に聞き返されたら結局答えに窮してしまいます。同じ頃、かの「放浪記」を執筆しながら、「文章倶楽部」の臨時記者として芙美子が発表した秋聲宅訪問記「秋聲先生の創作生活」(大正15年10月)には、妻はまを亡くしたばかりのその家庭の様子が描かれます。〈「悪戯すると承知しませんよ」〉と隣室へ走っていっては子どもたちを叱りながら、〈「……生きてゆくつて事は大変ですね」〉、〈「子供がなかつたら死んだ方がいゝ」〉とまで発言したという秋聲。そんな姿を〈作家としては実に強い半生であるが、お子達のお父様としては実に弱いお父様である〉として書き留める芙美子。また、〈旅もお好きである。旅は先生の心を若々しくするのであらう〉とも。
 今年は、芙美子の生誕120年にあたるそうで、北九州市立文学館さんでは、記念企画展「拝啓 林芙美子様―芙美子への手紙」が開催されています。





第8回「秋聲とお座敷あそび」開催
  2023.5.29

  実に23日ぶりの更新、失礼いたします。そして晴れて今月27日、3年ぶりの「秋聲とお座敷あそび」を開催いたしました。ご参加・ご周知くださったみなさま、ありがとうございました。
 ひがし茶屋街には現在5軒のお茶屋さんがあり、東料亭組合さまご協力のもと、このイベントにはその中からお茶屋さんをまたぐ形で毎年3~4名の芸妓さんにお越しいただいております。今年はお茶屋「中むら」さんにお願いいたしまして、唐子さん(中むら)、かつ代さん(八しげ)、美月さん(春の家)、七葉さん(藤乃弥)に館内で舞や演奏をご披露いただきました。そして今年のお座敷あそびは「金比羅船々」。ご存じ、♪こんぴらふ~ねふね、の節(生演奏)に合わせて、対面するふたりが順にお椀にタッチしてゆく遊びです。お客様にもご参加いただき、芸妓さん対お客さま、お客さま同志の対決など、自然に拍手と笑い声がわきおこり、会場がワァッと盛り上がったひとときでした。中にはこの競技の選手みたいにお上手な方もいらっしゃいましたね! いかんせん、お酒のお出しできない当館ですので、最初の一歩はなかなか…といったところ、勇気を出して前にすすみ出てくださったみなさまに心よりお礼を申し上げます(そしてそのあたりはさすが芸妓さん方の誘い方のお上手なこと…!)。
 最後に主催者として少しご挨拶をさせていただく中で、「この館にほんとうに芸妓さんが来てくださる、お座敷あそびを体験できるって、なかなか信じていただけないんですけどォ~」というあたりでみなさまが深く頷かれたのが印象的でした。実はもう8回目なんですよ…! ひがし茶屋街と隣接する当館ならでは、そして、幼少期から茶屋町に出入りしていた秋聲ゆかりの催しとして、来年以降も開催するつもりにしております。季節によって演目も変わってゆきますので、どうぞお楽しみに。
 ちなみに今年の演目に「月兎」というのがございまして、唐子さんによる笛のご演奏だったのですが、それにちなみお配りしたプログラムに月に兎のイラストを載っけておりましたら、お客さまより「秋聲記念館でうさぎ使っていいの?」といとほがらかにお尋ねいただきました。えっ…うさぎ、使ったら駄目でした…!? たしかに川向こうさまの専売特許的なイメージはありますが、うさぎ自体はボーダーレス!! とはいえ見るたびよぎらないと言えば嘘になりますので、とくに口に出しては言いませんでしたけれども、気持ちは川向こうさんおめでとう、某K花さん生誕150年記念イベントとしてのお座敷あそびでした(11月3日に正式な関連イベントを開催予定です)。





東山・秋聲コース(案)を口で説明してみる試み
  2023.5.6

 【9時】朝一番のバスに乗り金沢駅から卯辰山「望湖台」下車(約25分)、秋聲文学碑とその右側にある本型の「光を追うて」碑(下記記事の「行きつけ」云々を刻む→)をご覧になって、景色などを十分堪能されたのち下山(本数が少ないので仮に徒歩)されましたら、【11時】郵便局を挟んで天神橋の何軒かお隣にある徳田家菩提寺・静明寺さんへ。境内の秋聲墓碑と徳田家累代のお墓参りを済ませ(秋聲自身のお墓は東京・小平霊園)、川沿いの「鏡花のみち」を「滝の白糸」碑を見つつ当館の方へと戻り、梅ノ橋を渡って、館を背に秋聲旧居跡(現金沢市営駐車場)を右手に見ながら細い路地を突っ切り、【11時半】「ひがし茶屋街」には敢えて入らず観音通りを山手(右)へ、茶屋街の周囲を反時計回りにぐるりと廻って宇多須神社手前の坂を少し登った右側に秋聲の行った料理旅館・山乃尾さん(奮発すればランチも…)、茶屋街の中へ入れば「挿話」に描かれるお茶屋さんの並び(八しげさんの界隈)、もっと北の奥の方までぐいとゆけば、幼少期に母とよく訪ねたという鬼子母神像を祀る真成寺さんあり。そのまま大通りへ出て(この途中にいつもお世話になっている名店「菓子舗 吉はし」さん)、交差点を渡ったところに金沢市立馬場小学校がありますが、卒業生である秋聲・某K花さん・尾山篤二郎を記念する「文学の故郷」碑は校門の内側なので、中を覗かれるとこのご時世ちょっと変な感じに…。
 《※このあたり、茶屋街か大通り沿いにいるうちのどこかで各自昼食休憩!》
 【13時半・南北分岐ルート】さらに大通りを北へ進めば秋聲次姉・きん旧宅を利用したお宿「Azuki旅音」があり、南に進み茶屋街の方にまた少し入れば『光を追うて』にもご登場の大銀杏で有名な円長寺さんがあり。浅野川大橋を渡り、金沢蓄音器館さん、某K花記念館さんで展示観覧、【16時】館前の下新町通りを、金沢駅方面へ向かう左側にある月極駐車場が、短編「町の踊り場」に描かれる水野ダンスホール跡。こちらはとくに看板も名残もなく、心のなかで(おぉ、ここが踊り場…)と思いながら陰鬱に爆笑することしかできませんが、レトロな沢田医院さんのお向かいであるということだけお伝えしておきます。
 【16時半】再び大通りに出て、交差点の角っこにある金沢文芸館さんを覗き(こちらは17時までの当館はじめ他の多くの館と異なり18時まで開館)、通り沿いの、秋聲も言及する森八さん本店にて、卯辰山由来の「夢香山」(どら焼き)や犀星さんが秋聲に贈ってくれた「長生殿」(落雁)を購入。【18時~】その裏手、「町の踊り場」中、秋聲が生きた鮎を食べそこねた料亭「まつ本」の後継店である「隠れ家まつ本」でお夕飯をいただけば、東山エリアの秋聲チェックポイントにだいたい○がつく、はずです。





30~40分はかかりそう
  2023.5.5

  件の卯辰山の秋聲文学碑につきましてよく訊かれることには「歩いて行けますか?」――物理的には行けます。が、おすすめしません。というのが館としての模範回答かと存じます。地図アプリによれば記念館から徒歩18分(1.3km)…これを見た第一声は「ウッソォ!?」です。エッ18分で行けますか…? すみません、正直に申し上げて車でしか行ったことがなく、実際歩いてみたことはないのですが、徒歩チャレンジをされたお客さま方からは口々に「歩いていくとこじゃなかった…」とお聞きしますので、「歩いて行けますか?」と訊かれると記念館職員たちの顔が一瞬曇り、前に斃れた先人たちの教えをごく粛やかにお伝えすることになるのです。「えぇまぁ行けますが、あまりおすすめしませんね…」と。
 地図だけ眺めてみても、当館前の梅ノ橋の一本上流、天神橋のほうから登り始めて、恐らく某K花さん句碑まではさくさく楽しく登ってゆけるのでしょう。アッ某K花さんだ~というテンションで次なるチェックポイントにそのうち某秋聲が出てくるかと思いきや、その先ぐにゃっとしてぐるーんとしてまたぐるーん、ってちょっと某秋聲ぜんぜん出て来ないんですけど…! となることが容易に想像できます。そしておそらく、だって秋聲、「小学生時代にも、この山は自分の庭のやうに行きつけになつてゐた」って…「飛騨境の山の色も漸く紫だつて来る頃になると〈等の家からは十分もたゝずに登つて行ける〉夢香山(向ふ山)の谷々の根雪も、日に日に陽炎と共に消え去つて〈麓にある招魂社や天満宮の境内に、〉梅の枝が白い珠を綴るのであつた。」って…ヒョイと登れそうな雰囲気で書いてるから…!!(自伝小説『光を追うて』より)などとお思いになることでしょう(画像は碑のちょっと上あたりからの眺め。高いです)。後者は秋聲・某K花さんの卒業した金沢市立馬場小学校(当時養成小学校)校庭にある「文学の故郷」碑に川端康成の筆跡で刻まれている文言ですが、実は引用中、山括弧でくくった2箇所は「…」として省略されているのです。揮毫の際、〈等(※モデルは秋聲)の家からは十分とたゝずに登つて行ける〉というのは後世の人に誤解を生むね、として削られたと聞きました(嘘です。たしかに登り口までは十分もたゝずに到着できます)。もちろんウォーキング(ハイキング?)コースに入っていたりもしますし、その健脚に自信のある方には強いてお止めしませんが、もろもろ考慮した結果、車でない場合にはバスかタクシーがおすすめ、ということになるのです。
 ついでにここで言う〈等の家〉とは、館から100メートルほど浅野川沿いの「秋聲のみち」をくだった、現市営有料駐車場の場所を指し、最近「秋聲旧居跡」および「秋聲記念館こちら」の看板が新しくなってちょっと嬉しいわれわれです。





秋聲文学碑ペナント
 2023.5.4

 2日(火)、例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんに学芸員が出演させていただきました。お話のメインといたしましては、現在「西の旅」展の金沢スペースに展示中の秋聲文学碑をモチーフにした〝ペナント〟です。昭和40~50年代に流行した、観光地のいろいろを描いた三角形のフラッグ・・・思い起こせば、どこのおうちの壁にも貼ってあったかもしれないソレ・・・まさか卯辰山の秋聲文学碑バージョンが存在していたとは、当館も把握していない事実でございました。いつか徳田家に伺った際に見せていただき、あら珍し!とは思いながらもお披露目するきっかけが掴めず、今回「西の旅」展で文学碑や絶筆「古里の雪」に触れるタイミングで、ここ!!と思いお借りしてまいりました。ラジオでもお話しいたしましたとおり、もちろん碑自体、昭和22年11月18日、かの谷口吉郎先生のご設計でもって建てられた〝日本の文学碑第一号〟ですからたいへん立派なものには違いないのですが、名所旧蹟のニュアンスを超え、こうした観光資源(お土産品のつくられるような)になり得たということに驚きを隠せません。当初、これに添えたキャプションに「そんな時代もあった」と書きかけ、後からイヤそんな雑な解説あるかーい、と冷静になって差し替えたのですが、これが正直な感想でした。この感動をお伝えしたい、みなさまと共有したい、というかこれ何!? が巡り巡って、同キャプションにおきまして「制作・販売元の情報募集中!」と赤字で記しております。制作の経緯や背景が知りたいですし、うっかりこれの色違いが発見されたりなどしたらとても楽しいのではないでしょうか。お持ちの方、もしいらっしゃいましたら・・・
 と、本当はラジオでこのお話をする予定ではなかったのですが、ちょうどその前日に展示をご観覧くださったお客様からメールが届き、「卯辰山だったら金沢ヘルスセンターで売ってたかもですね」と。あぁ確かに! 温泉や遊園地、動物園などを備えた、今は無き大きな娯楽施設です(のち「サニーランド」に改称)。また、あわせてお調べくださったところ、いわゆる三角形でなく、お尻が鯉のぼりのようになったこの形状は「吹き流し型」と言い、比較的珍しいものだそう。こちらのメールに触発され、思いきってラジオの電波をお借りし、みなさまに呼びかけさせていただいたのでした。さすがにペナントとしての復刻は難しいですが、ちっちゃなキーホルダーなどにしたら可愛いのでは、ウフフ、今はお休み中のガチャガチャに入れちゃったりなんかして・・・と夢想しております。メールくださった方、ご親切にありがとうございました! 館でも調査を進めるとともに、引き続きの情報提供をお待ちしております(追ってTwitterの方でも)。
 ちなみに本日は館の目の前で「浅野川・鯉流し」が開催中。川中をたくさんの鯉のぼりが泳ぎ、梅ノ橋からは無数の吹き流しが風にたゆたっています。





お座敷あそびとサンタ大集合
  2023.4.30

 長らくお休みしておりました「秋聲とお座敷あそび」を3年ぶりに復活させることになりました! 5月27日(土)16時~16時半、当館内での開催で、昨日より電話申込受付開始。東料亭組合さまのご協力により、ひがし茶屋街から数名の芸妓さんにお越しいただき、舞や演奏、簡単なお座敷あそびをご披露いただく予定です。参加費を1,000円頂戴するほか、15時以降、お座敷あそびご参加の方以外はご入館いただけない形(通常の展示観覧不可)となりますので、ご迷惑をおかけいたしますが何卒お含みおきのほどよろしくお願いいたします。
 また、おととい28日には、新たに受託商品の販売を開始いたしました。昨年12月23日の秋聲誕生日にサンタが集合した小皿をサプライズプレゼントしてくださった三栄工業株式会社さまが、このたび正式にグッズとして「サンタ集合小皿」をご制作くださったにつき! 三栄工業さん、いつもありがとうございます。そろそろサンタに魘されてはいないでしょうか、あらあらこんなに散らして…可愛いのだけれど、大量の目線と向き合う職人さんのメンタルがちょっと心配になる4月末のサンタまみれでございます。
 そう、ゴールデンウィークを前に。何故かサンタが大集合。秋聲豆皿より幾分大きく、ちょうどケーキを1ピース乗せられるくらいのサイズ感で税込1,650円。いや、一気に7人ものサンタ我が家に受け入れ不可だわぁ…という方には、引き続きおひとりさまサンタ豆皿も販売中です(税込500円)。いずれも数量限定品ではございませんので、順当に12月頃にお越しいただきましても大丈夫ですし、順当に12月頃にお買い求めいただき、クリスマスプレゼントなどにもしていただけようかと存じます。気持ちは南半球な記念館で申し訳ありません。
 そういえば、少し旅展にもかかわるところで、「不定期連載」にあげている談話「夏の旅・女・料理の味」に、秋聲先生による〝食事はTPO〟みたいなご主張のあることを思い出し、急に後ろ暗い感じになりました。他の随筆「涼しい飲食」(大正14年8月)にも〈食器なども見た目に涼しいものと暑苦しいものとある〉、〈雪白のテーブルクロース、さつぱりした西洋の花〉〈フオクやナイフ〉の立てる〈かちやりと涼しい音〉…GWにサンタがざわざわしているお皿はダメでしょうか。かわいいし、真夏じゃないのでセーフですね。セーフでした。
 さらには女性の服装の季節感にもうるさい秋聲。かつ、初っぱなから〈私は、旅行は、真に好きじゃないのだろうと想っている。〉…「西の旅」展、開催中です!





「郷国の美景から」
 2023.4.29

 前回記事で、「犠牲者」の入った『犠牲』に「犠牲」は入っていない、という謎かけのような文章を書きながら、先日「西の旅」展ギャラリートーク中、「西の旅」なる短篇が『西の旅』に入るんですが、その時点で「西の旅」は「浴泉記」とくっついて「西の旅」になって、でも『和解』には「西の旅」と「浴泉記」がくっついた「西の旅」が「浴泉記」になって…とこちらもお話ししながらニシノタビ・ゲシュタルト崩壊を起こしてしまったことを思い出しました。音(おん)でお聴きになっているお客さまはなおのこと、展示室最後のコーナーにして謎が謎を呼んだこととお察しします。次回(5月13日)までに上手に処理できるようになっているでしょうか…(パネルでは図解しています。かえってそちらの方が分かりやすい説)。
 さて、世間はゴールディンウィークに突入しましたね! 内容的にはニシノタビ展でもいいけれども、後半は次回「東の旅」展にかかってくるか~と思いながら結局手つかずで取りこぼしてしまった、旅にまつわる秋聲の短い談話「郷国の美景から」を「不定期連載」にアップいたしました。何故この日であったかといえば、本日4月29日が島田清次郎のご命日だから。本作には清次郎が登場してまいります。旅のこと知らんけどね、といった枕詞は相変わらず、とはいえまず郷里について話し始めるその語り口の珍しく穏やかなこと!(談話だから?) 吉野谷から、清次郎の生まれた石川県美川の浜、首洗池などの名所をご紹介してみる秋聲。おっいいぞいいぞ…! とぐっと拳を握ってしまうようないい感じの旅レポっぶりです。秋聲の口から「お国自慢」…いいと思います。微笑ましいです。そしてお国を飛び出し、伊香保、箱根、修善寺、湯河原…へと続く道すがら、ところどころいつもの辛口・苦言も挟みつつ、東京近郊だと森ヶ崎の料理旅館「大金(だいきん)」のお話も。このあたりは前々回の久米正雄展でご紹介いたしました。久米曰く、このお宿をよく使った文士たちが当時「大金派・大金組」などと呼ばれたとのこと。宇野浩二がその著書『文学の三十年』の中で挙げているメンバーには、近松秋江・広津和郎・加能作次郎・秋聲・久米正雄・三上於菟吉・細田民樹・室伏高信と自身の名が確認されます。また、これも久米展で展示した秋聲愛用の花札の小キャプションにしれっと組み込みました大正10年5月、「大金」において久米・菊池寛・加能作次郎と清次郎らが集い花札で秋聲が勝った、というエピソードを伝えているのは同席した近松秋江(長田幹彦宛書簡中)。つぶさではないけれど、そこここにちらほらと現れる、清次郎の後ろ姿。



 


館報「夢香山」の読みどころ
 2023.4.27

 昨日の記事から微妙に続き、露風と秋聲、露風の母・碧川かたと秋聲、そして露風の義父(母かたの再婚相手)・碧川企救男と秋聲について、秋聲にまつわる新出資料「女権」のご紹介から詳しくまとめてくださったのが館報「夢香山」最新号掲載の碧川かた研究会特別顧問・内田克彦氏のご論考「徳田秋聲と山田順子の出会いと碧川企救男」です。折良く、久米正雄展のご報告記事と同号にご寄稿賜り、秋聲の短篇「白木蓮の咲く頃」に描かれる当時について、久米も交えて考える道筋をつけていただきました。
 内田氏のご手配により、上記「女権」(複製)の画像をご提供くださった露風を顕彰する霞城館さまには、その昔、当館における三島霜川展で、霜川筆露風宛ハガキをお借りしたことがありました。霜川の自筆資料はあまり残っておらずとても貴重! その節も今回もありがとうございました。ご寄稿中にも少しご紹介がありますとおり、同館館長さまもコメントも寄せていらっしゃるこちらの記事は、今春、内田氏が特別顧問をおつとめになる碧川かた研究会さまより、かたの研究書『前進 決定版 碧川かたの生涯』の刊行を報じるもの。かたの生涯とご家系についても詳しく書かれています。 
 それから今回の館報には、ナイトミュージアム映画上映会でその作品「土手と夫婦と幽霊」を上映させていただきました渡邉高章監督にもご寄稿を賜りました。こうした、文学研究とは異なるジャンルからの秋聲考というのはたいへん有り難く、さらには具体的に作品も挙げ、ご自身の創作活動と照らし合わせたうえでの思いを語っていただけるというなんとも贅沢なアプローチ…。かつ、同作主演俳優・星能豊さんのTwitter(4月7日付)でも掲載についてご紹介をいただきました。ご執筆くださったお二方、星能さま、ありがとうございました。ちなみに渡邉監督が挙げてくださった作品のひとつは「犠牲者」。秋聲の長女・瑞子が早世したことに材をとるもの。実はほかに「犠牲」という短篇もあり、こちらは秋聲の兄・直松との絡みで現在の「西の旅」展にてご紹介をしております。なお、「犠牲者」の収録されている短編集は『犠牲』(←)といいますが、短篇「犠牲」は入っていません。ややこしいことに。



 


深山の桜
  2023.4.26

 前回の記事で、姫路出身の有本芳水のことを気にしながらふと目に入ったのが三木露風の名。同じ兵庫のうち露風は現たつの市の出身で、ともに中学時代にそれぞれ岡山に転居、広く同郷の誼ということで仲良くなり、露風は〈芳水が上京すると、追って上京し、二人は同宿同室して詩や歌をつくった〉(吉備路文学館さまHPより)そうな。その後、明治40年前後、露風は三島霜川の下宿に転がり込み、そこで出会ったのがわれらが秋聲。霜川と秋聲とはその少し前に同居していた仲で、秋聲に〈三木露風、石井漠、水守亀之助三氏なども、一度霜川氏の家で極度の貧乏を共にした方〉(『思ひ出るまゝ』)と記されるうちの石井漠は〈徳田秋声、詩人の三木露風などは毎日のように(※霜川宅に)やつて来る〉(『私の舞踊生活』)と言い、初めて霜川宅を訪れた亀之助は〈声をかけると、姿を現はしたのは正しく露風なので(中略)霜川は昨今森川町の友人徳田秋声の家にゐて創作をしてゐるとのこと〉(『続わが文壇紀行』)と言い、厳密に調べれば時期の幅があるのでしょうが、もはやどこが誰のお家なのやら、といった当時の行き来の様子が見えてきます。仮に明治40年に設定すると、秋聲は数えの37歳、霜川は32歳、漠と亀之助は22歳、露風は19歳。しかしながら、一回り以上年上の(しかも家主)霜川に対しても〈露風は「三島君が三島君が」といつて友達同様の呼び方〉をし、そもそも〈彼は十八九歳にして新進詩人といはれてゐる上に霜川の家にゐると判つて、私はいよいよ羨ましくなつた。貧乏だらうが奇人だらうが霜川は新しい傾向の作品を書く人として文壇に知られてゐる。その人に近づくなんて、何といつても露風は才物だと私は敬意を表せざるを得なかつた〉ともあり、露風は亀之助に、ウワー霜川に近づけるアイツすげー! みたいな尊敬のされ方をしていたようです(この後に上記のくだり。霜川宅を訪ね、あまりの家の汚さにドン引きする亀之助)。
 脳内にそんな彼らが入り乱れていたその日、ご近所のお茶の先生よりお菓子のお福分けをいただきました。御銘「深山の桜」。深い山奥にぽつりと残る桜がモチーフだそうで、深山(みやま)といえば霜川…秋聲『黴』に登場する「深山」のモデルとは霜川(上述の同居時代を描く)…山といえば川…みたいなひとり連想ゲームに興じながら美味しくいただきました(パッケージのままの撮影、不粋ですみません。そして今年の呈茶会もお休みさせていただきます)。
 




家出少年たち
 2023.4.21

 いつもお世話になっております東京都文京区の竹久夢二美術館さまより、今なら姫路で秋聲にめぐりあへると伺いました。ひ、ひめじで…!? 現在、姫路文学館さまで開催中の特別展「大正ロマンの寵児 竹久夢二展 夢二の世界にひたる春」に、なんと夢二装幀によります秋聲の『めぐりあひ』(復刻版)が展示されているそうです。同館にて過日、夢二美術館・石川学芸員さまのご講演が開催され、ご帰京ののちにさっそくご連絡をくださいました。もう山といえば川、くらいの勢いで夢二館といえば親切のかたまり、と口をついて出てくるレベル…何かしらの扉が開きそうです。
 二年前の秋聲生誕150年のときにも各地でめぐりあへた同書は16点の挿絵も含め、夢二×秋聲本の中でもとくに目を引く美しさですから、全国規模でのこの活躍は喜ばしい限りです。これを作ったのが当時版元の実業之日本社に在籍していた姫路出身の有本芳水で、著書『笛鳴りやまず』から芳水と夢二の関係性のほか『めぐりあひ』に関する例の秋聲にっこりエピソードもまたパネルでご紹介いただいているとのこと。姫路での秋聲が笑顔であるならなお言うことなしです。会いにお出かけくださいませ。
 姫路と秋聲といってすぐには結びつきませんが、同じ兵庫県のうち甥っ子の暮らす芦屋から神戸あたりにまで出かけたときのことを書いたのが、秋聲の短篇「蒼白い月」。大正9年5月、「大阪時事新報」主催懸賞小説当選披露講演会に、ともに選考委員をつとめた田山花袋、佐藤紅緑らと登壇するため夜行で大阪へ、ついでに〈奈良、宇治、嵐山、東山、黄檗、箕面、宝塚、香櫨園、神戸を一見、昨今こゝに落ついてゐます〉と神戸メリケン波止場の絵はがきを使って、遠縁にあたる劇作家・岡栄一郎に報告する秋聲です(石川近代文学館蔵/「西の旅」展で画像をパネル展示中)。行ったついでの回り方がなかなかハードなのではあるまいか…! また作中、〈須磨の料理屋で兄の養子夫婦と絵ハガキを書いているところが、描かれているが、その絵ハガキも私の手元に残っているのだ〉とは秋聲長男一穂さんの記すところで(「未発表・秋声の日記より」/大木志門編『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想』収録)、残念ながらその実物は今回展示できませんでしたけれども、小説と現実とが繋がる不思議な瞬間です。
 姫路文学館さまのチラシを拝見しておりましたら、夢二さんプロフィールの中に〈明治32年(1889)、神戸市の叔父宅から神戸尋常中学校(現兵庫県立神戸高校)に入学するも家の都合で中退〉との記述を発見いたしました。8ヶ月ほどの在籍期間だったそうですが、神戸にもお住まいだったのですね! なるほど、この二年後に家出して上京……当時の夢二さんより少し幼いですが、『めぐりあひ』の友吉少年もやはり家出して、東京へと向かうのです(その場面の挿絵あり)。





「閾(しきい)」
 
  2023.4.15

 いつもお世話になっている当館恒例イベントのご出演者さまより京都のおみやげをいただきました(今年も秋にお招き予定です!)。ありがとうございます! 伏見稲荷大社近く、総本家宝玉堂さんの「きつねせんべい」でございます。先日、当館唯一のビジュアル担当たるあのサンタクロースの正体は実は「お面」であって体もなければ人格もないのだということをTwitterのほうで改めてご紹介したところでしたが、これもこれ、きつねのお面のようなつくりになっていて、いざかぶろうとすればけっこうお顔がはみでますけれども、なかなかのサイズ感(サイズ比較のためのマウス→)。
 あ~京都~神社~・・・と言うところから思い出されましたのは現在開催中の「西の旅」展から秋聲の「閾(しきい)」です。大正14年6月に発表された短編小説で、この三年半前の大正10年12月、秋聲最大の庇護者であった兄直松の葬儀に、彼の暮らした大阪へやってきて、そこから京都にまで足を伸ばした体験が元となっています。展示では同年4月に京都の親戚宅を訪れた体験を描く短編「宇治の一日」とともに本作を収録する短編集『乾いた唇』(昭和15年、明石書房)を出品中。残念ながらお稲荷さんは出て来ませんが、たしか〝京都の神社で主人公がひどく転んだ話〟として脳内から引っ張りだされてまいりました。秋聲をモデルとする主人公・土井が京都で好物の牡蠣雑炊を食べ、それから北野の天神で電車を降りて、人混みでぎっしりしている境内を通り抜ける――北野の天神さまですから、北野天満宮を指すのでしょうか。そしてその〈いつも通りつけてゐる裏門の下をくゞつて出やうとしたとき、彼はそこに横たはつてゐる高い閾にいきなり躓(つまず)いた。そして劇(はげ)しい音をたてゝ石畳の上へ投(ほう)り出されてしまつた〉。あぁあぁ痛々しい場面です。〈彼が息が切れるかと思ふほど、石畳に体を打ちつけたが、やがて起きあがつた。道を歩いてゐる若い夫婦が立止つて、薄暗い釣燈籠の火影に透かして見てゐたが、土井が起ちあがるのを見ると、さつさと行きすぎた。〉冷たいようにも見えますが、大人の転倒に手を貸すタイミングというのはなかなか難しくもあり…。〈歩きだすと膝がひりひり痛んだ。右の掌も擦りむいてゐた。膝をまくつて手で触つてみると、黒い血がだらだら流れてゐた。〉秋聲先生、これで膝を怪我されるのは三度目では…!?(これは小説ですが) どっちのお膝ですか!! オチといいましょうか、帰宅してこの怪我を見た甥っ子とのやりとりにつきましては、是非原文で味わってみてください。有り難いことに去年の秋聲の旧暦お誕生日に青空文庫さんにて新たに公開していただいたことをわれわれくっきり記憶しております(粘着質なので)。





4月7日は開館記念日
  2023.4.8

 昨日4月7日は開館記念日ということで、当館は今年で開館18周年(19年目)を迎えました。みなさま方のご支援に厚くお礼を申し上げます。とはいえセレモニー的なものは何もなく、オリジナル文庫新刊『秋聲翻案翻訳小説集 世紀末篇』発売の紅白感だけを取り入れてお祝いに代えさせていただきました。それだけ買いに来ました、展示はまた今度ゆっくり! と急ぎ駆けつけてくださったお客さまや、通販のほうでもモリモリご注文をいただきありがとうございます。担当者より順次、注文受付メールをお返ししておりますので、すこしだけお待ち願います。
 見れば限定80冊の白帯ご指定の方が多いには多いのですが、中でも黒帯ご指定の方もいらっしゃり、デザイン面のお好みでお選びくださったのでしょうか、それもまた嬉しい出来事でした。編者は第一弾の怪奇篇に引き続き蓜島亘先生、そしてカバーデザインは当館グッズの多くやリーフレットを手がけてくださっている南知子さんです。本書収録作のひとつであるゴーリキー原作「熱狂」の初版、『熱狂』(明治40年、祐文社)表紙の小峰大羽による装幀をもとに文庫用にレイアウトしていただいたもので、飲んだくれの亭主・鉄造のシルエットがわかりやすいオレンジのカバー(左)はよくこちらでもご紹介していたところ、それをめくるとなんとこんなに赤いモダンな装幀が隠されていたという…
 南さんとも、この赤との取り合わせにおいて堂々として座りがいいのは黒ですね~、白(厳密にはアイボリー)には不思議な特別感がありますね~、とお話ししていたのでした。白帯、おかげさまで残り半分を切りました。そもそも少部数制作で恐縮ながら、気になっていらっしゃる方はどうかお早めにご注文ください。
 「熱狂」は、コレラ病と戦うなかで自我が芽生え、人生の目的について考え始める靴屋の鉄造・お増夫妻を描く物語。流行り始めたコレラへの対応のくだりなどはまさに現代と重なる部分も多く、また常日頃から夫の暴力を受けているお増の目覚めを、ぐっと拳を握りつつ見守ってしまう読者も多いのではないでしょうか。文庫全体の半分ほどを占める長さはありながら、すぐに引き込まれ、あっという間に読めてしまう勢いある作品です。またマゾッホ原作「曠野の暮」は秋聲全集未収録。その他も含め、蓜島先生による詳細な巻末解説とあわせてぜひこの機にお読みいただけましたら幸いです。



 

虎を狩る、犬を逐う
 2023.4.6

 前回記事で、秋聲の名編「夜航船」はポプラ社さんの「百年文庫(74) 船」でお読みいただけます、とご紹介いたしましたところ、この春もうひとつ読める媒体が増えるようです。
 山前譲編『文豪たちの妙な旅 ミステリーアンソロジー』(河出文庫)、なんと秋聲の「夜航船」を収めて本日発売…! 版元さま(※書影お借りしました)の概要には「徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、中島敦など日本文学史に名を残す文豪が書いた『変な旅』を集めたアンソロジー。旅には不思議がつきもの、ミステリー感漂う異色の9篇を収録」とあり、なんといちばんに秋聲に触れてくださって…というか秋聲に触れてくださって…というか秋聲を選び入れてくださって…! と深く感動をしております。「夜航船」を収めた当館の文庫はしばらくこの世界から消えますが、カバーしてくださる上記2冊にてぜひお読みになってみてください。ご収録に感謝申し上げます。〝ミステリー感〟とありましたので「西の旅」展でご紹介中の別府行きを描く「紀行の一節」かしら、とひそかに3サンタほど賭けていたのですが、秋聲のよく行く房州、「東の旅」編からの選出でした。
 目次に見える他の方々も、秋聲とお親しいお顔が多いですね。本郷でどうやら行き来のあったらしい石川啄木、秋聲を心の師と仰ぎ、最晩年まで寄り添ってくれた林芙美子、文壇のニコイチ・同年生まれの田山花袋、金沢の三文豪のひとりで「秋聲会」発起人の室生犀星、館報最新号巻頭に「秋聲と浩二の攻防」としてご登場の宇野浩二、昨夏お邪魔した堀辰雄記念文学館さんでアレコレ学び、これは掘り下げるべきおふたりであるよ…と反省した堀辰雄、犀星さんの親友にして秋聲を囲む「二日会」(「秋聲会」の前身)に出席した可能性のある萩原朔太郎、そして中島敦……中島敦……!? 某K花さんの館でよくお名前をお見かけする御仁ですが果たして秋聲とは…不勉強ですみません、ちょっと宿題とさせてください。中島敦作品からは「虎狩」が収録とのことです。
 そして虎ならぬ犬。おととい例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんに学芸員が出演させていただき、毎年4月になると思い出す秋聲ゆかりの幻の犬についてお話ししてまいりました。そう、桜を見ると思い出すんですよねぇ…としみじみ計4回くらい言ってしまった気がいたします(「無感動」で検索!) さらにそこからの連想でご紹介したのが短編小説「犬を逐ふ」。題から透かし見える通り、愛犬家にはなかなかつらい作品ですので、再び読み返すのはきっと半年先になりましょう。そういえばさっき館のTwitterを開きましたら、一瞬犬の幻のようなものが見えました。えっ…となって何度も戻っては開くなどして茶色の犬を追いました(※秋聲の「逐ふ」は追い払うの意)。





第14弾・第20号・第15号
  2023.4.2

 昨日、新刊第14弾のご案内をいたしましたが(4月7日発売)、1冊生まれると1冊消えてゆくの法則で、既刊分のうち『短編小説傑作集Ⅰ』が品切れとなりました。お買い上げありがとうございました。すでに欠品となって久しい『仮装人物』と並び、イヤ1冊生まれて2冊消えとるやないか…! 全体的にちょっと減っとるやないか…!! と、この世界における秋聲著作の占めるバランスのちぐはぐさに身悶えつつ(『黴』に関しましては講談社文芸文庫さまがカバーしてくださっておりますので、増刷の予定はございません)、今年度は代表作『仮装人物』の増刷を急ぎおこなうつもりでおります。『短編小説傑作集Ⅰ』につきましてはちょっとノーマークであったといいましょうか、いえ折々にもう在庫少ないですよ…とは遠くからうっすら聞こえていたような気もするのですが、聞かなかった振りをしていたといいましょうか、せっかく先日〝和解〟の兆しの見えた某K花さんとの和解を描く短編「和解」が収録されたこちらがない、そんな生誕150年…間の悪いことで恐縮です。次回「東の旅」でおそらくご紹介することになる名編「夜航船」も入っているというのに…本書につきましては再来年度の増刷ということになろうかと存じます。年に1冊しか生み出す力のない、よわよわ記念館なのでございます。なお「夜航船」だけであれば、ポプラ社さんの「百年文庫(74) 船」でお読みいただけます。ありがたいことです。
 それはそれといたしまして、今年も当館の所属する金沢文化振興財団発行による「研究紀要」第20号が発行されました。同財団所属の各館学芸員の研究成果を横断的に掲載する機関誌で、今年は当館分「秋聲と信州―矢島家の〝足迹〟」が掲載されております。「足迹」展開催に到った経緯と、秋聲の妻・はま夫人のご実家である小沢家、そして「足迹」にも彼らをモデルとした人々が登場する親戚の矢島家――ご子孫である矢島良幸氏からご寄贈いただきました資料、ご教示いただきましたご一家の歴史・背景につきまして、展示では出し切れなかった情報をこちらにまとめました。当館ショップほか、通販でもお買い求めいただけますし、当館にない既刊分も在庫のある館からお送りするシステムとなっております。バックナンバーの目次につきましては、金沢文化振興財団HPをご参照ください。
 と同時に、館報「夢香山」第15号も発刊いたしました。昨年度の事業をまとめる中に、今回は特別に映画「土手と夫婦と幽霊」の渡邉高章監督や、碧川かた(三木露風の母)研究会特別顧問の内田克彦氏にご寄稿をいただいた豪華版です。こちらも間もなくHPにアップいたします!





年度初めに世紀末篇
 2023.4.1

 4月1日、新年度を迎え、今年は秋聲生誕150年です! 嘘です! でも没後80年です!(本当です) 
 Twitterのほうで金沢ふるさと偉人館さんが話題にされていた今年生誕150年を迎える「MEIROKU 6」こと明治6〈1873〉年生まれの六人衆には桐生悠々、安宅弥吉、山崎延吉、野口遵、日置謙と某K花さんがいらっしゃるそうですね。当館の「西の旅」展には、このうち桐生悠々と某K花さんがご登場で、それぞれに「生誕150年です」のキャプションを添えてみました。そして実はもうおひとり、同年生まれの小林一三もこの旅のお仲間。当館的には「MEIROKU 7」あるいは「NISHINOTABI 3」といった心持ちでご紹介をさせていただいております。みなさまご存じ阪急電鉄の創業者で、秋聲が関西方面に旅に出た際、大阪で一三の手厚い歓待を受けた様子が、大阪を過ぎ、神戸から送られた秋聲筆一三宛礼状からわかります。今回、その書簡画像を阪急文化財団 池田文庫さまよりお借りしてパネル展示させていただきました。くわえて一三の業績のひとつでもある宝塚少女歌劇を秋聲と見にゆき、会場で一三と秋聲が交わした会話を書き留める吉屋信子著作『私の見た人』(徳田家寄託品)の出品をば。大阪にある逸翁美術館さまでは(逸翁は一三の雅号)、一三生誕150年を記念した特別展が続々開催されておりますので、ぜひぜひチェックしてみてください。
 彼らの二歳年上なのがわれらが秋聲。生誕150年記念朗読劇「赤い花」開催からはや二年、没後80年の今年は〝赤い本〟を出しました。厳密には令和4年度中(令和5年3月)の刊行物ですが、ちょうど没後80年の年に食い込みましたので、没後80年記念出版と言い張ります、新刊『秋聲翻案翻訳小説集 世紀末篇』! 前作『怪奇篇』と並べるとその表紙は赤と黒、とても対照的なつくりとなりました(※スタンダールは入っていません)。前作同様、ロシア文学研究者の蓜島亘先生による作品選定・語注・ご解説のもと、今回はモーパッサン、マゾッホ、ツルゲーネフ、ゴーリキー、ビョルンソン原作の翻案翻訳から計7篇を収録。詳しくはこちらからご確認ください。4月7日(金)、当館18周年の開館記念日より、館内ショップ・通販において発売予定です。テキスト入力にご協力くださった「NYURYOKU 7」のみなさま、たいへんお待たせをいたしました。この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。
 なおせっかくなので没後80年を記念して、初版のうち80冊だけ帯を白くしてみました。通常版は黒帯となります。決して多い数量ではないのですが、通販でもお選びいただけるようにしておりますので、白黒どうぞお好みで!(ご注文先着順)





小景異情
   2023.3.31

 前回記事の「森の家」こと森田一二は、大正4年5月の秋聲帰郷の際、その滞在先である実姉かをりの婚家・味噌蔵町(元兼六元町)にも会いに出かけています。というよりこれが初対面。まだ手紙のやりとりしかなかった自分にも心易く会ってくれた秋聲に対する喜びから語られるのが「北國新聞」大正4年6月16日記事、「森の家」による随筆「徳田秋聲氏を訪ふ」です。その時に話された金沢の印象には〈十一年前に帰省された時よりは、非常に飾窓(ショーワヰンド)と云つたやうな硝子(がらす)窓の殖えたことが、最も変つた現象だとお聴きしました。それから返す返すも残念がつて居られたのはあの百間堀の埋められたことでした。雄大な幾百年来の歴史の面影を偲ぶことの出来なくした文明の力、否、それよりも無智な人間の破壊力をある意味に於て非常に罵られました。今日若(も)しあれだけの石垣や濠(ほり)をこしらへるとしたら……そこに先生の悔(くい)があるやうでした。そしてあの橋が堪らなく気障に見えるそうです。〉と、こうした憤りがそのまま作品に生まれ変わったのが、短編小説「穴」(大正5年9月)。本作を収めた金沢シリーズ『感傷的の事』(能登印刷出版部刊)は当館(通販可)と金沢ふるさと偉人館さんでのみ販売中で、泉鏡花記念館・秋山稔館長によるご解説にも上記のことが資料とともに詳しく紹介されています。
 ここで秋聲が特に強いこだわりを見せた「百間堀」とは、金沢城と兼六園の間のお濠のことで、明治44年に埋め立てられ、車のじゃんじゃん走る幹線道路に生まれ変わりました。久々に帰省した秋聲が目にした光景は、かつての記憶とまるでその姿を違え、45歳の秋聲に大きな衝撃を与えたのです。
 続けて話されたのは秋聲の〝旅行観〟。〈私が今度の旅行によつて何か題材を得られましたでせうと云ふ言葉に対して、先生は旅行をするなら知らぬ土地へするんです、故里(ふるさと)へ帰るといふことは単に記憶を呼び起すに過ぎないものだと語られました。私は味はふべき言葉だと思つて聴きました。〉…むしろ〝故郷観〟と言い換えるべきでしょうか、秋聲なりの「小景異情」がここにあります。
 ちなみにこのお堀通りに繋がる遊歩道「白鳥路」に「金沢の三文豪像」が建てられたのは三者とも没後の昭和60年代のこと。そし本日をもちまして、かつて白鳥路を抜け、この三文豪像前を日々の通学路にしていたという当館の事務職員がひとり卒業します。ものは形を変え、人は居どころを変えてゆく…とは思いながらも、やはり寂しい今年の春です。





森の家
  2023.3.29

 花袋さんを挟んでまた話が戻りますが、「名古屋新聞」に秋聲訪問記を寄せてくれた森田一二(かつじ)につきまして、秋聲の随筆・本家「寸々語」(「文芸春秋」大正13年1月)に少し彼とのエピソードが綴られております。

「名古屋に『森の家』といふ男がゐる。以前郷里の金沢から出て来たとき、私の処にもちつと居たことがあるが、その頃の投書家では出色の才子であつた。勿論今も才人である。悪魔主義の芸術家で、作品も沢山あるけれど、別に発展しようともしないでゐる。評論も凡ではない。一度京へ引張出さうとしたけれど何故か応じなかつた。文壇人となるには、小機鋒がありすぎるかも知れないが、凡介ではない。私は森の家と『晩香』といふ家で天麩羅を食つた。その天麩羅も海老魚のうまいことと、仕立のいゝことに於て東京に遜色がなかつた。それから孝次郎の『道成寺』を御園座できいた。これも段々磨きがかゝりすぎて、身動きがならないほど調つてしまつたので、余り感心しなかつた。この頃森の家から川柳雑誌『小康』を送つて来た。『小康』は大阪の新川柳家半文銭氏の発行するところで、この人も平凡人ではない。森の家の川柳を三つ四つ紹介する。

  寝てみれば絹と木綿の肌ざはり
  雑巾とオペラパツクと仲そかひ
  監獄へ行くにも道が二つあり
  一尾の魚に似たり手術台
  トコロテン主義の文字校出たと云ひ
  学問をしろと云ふのに腹が立ち
 
 森の家といふのは、このお終ひの句のやうな男なのだ。
 俳句にも新しいのもあるかも知れないが、今頃は大抵お上品に化石してしまつて、民衆的な溌溂たる意気がない。それに比べると此種の川柳の方が端的で面白い。「文芸春秋」によく下らない洒落を書く人なんかも、古人の糟ばかり嘗めてゐないで、新境地を拓くのもいゝと思ふ。」

 
 …いろいろと言及・調査の上、広げるべきところはあるのだと思いますが、今は「秋聲の処にちょっと居たことある人全員手をあげて」という気持ちです。

(※一二およびその作品については画像の石川近代文学全集19『近代川柳』[石川近代文学館刊]に詳しいです。巻末解説に武者小路実篤との問答も一部掲載されホホウ。)





こちらから見た花袋
  2023.3.27

 先日ご紹介した随筆「久米君の結婚」は、式における菊池寛の名スピーチへの絶賛でもって結ばれます。その場に相応しいかどうか…とちょっと考えてしまう秋聲のと違い、あらゆる場面で秋聲が菊池寛のウィットに富む真心こもったスピーチを褒めていることは過去の菊池寛展でもご紹介したところで、逆に秋聲が〝褒めちぎらる〟場面と言えばやはり大正9年、花袋秋聲誕生五十年記念祝賀会にて。その口火を切ってくれたのが当日司会をつとめた久米正雄で、当時の新聞には「文壇の二星を頌(たた)ふ大講演会 花袋=秋聲両氏が文壇に褒めちぎらる」との見出しで〈開会前既に場内溢るゝ許(ばか)りの盛況を呈した久米正雄氏先づ割るゝ許りの喝采に迎へられて登壇し「田山花袋徳田秋聲両先生が今日迄になして来られた我が国文化に対する貢献文壇に対する功績は今更喋々申す迄もありませんが幾十年と云ふ作家生活の辛苦を嘗めて来られたと云ふ事は主義の如何(いかん)流派の如何を問はず感激なしには居られない(後略)」〉(「報知新聞」大正9年11月24日)と挨拶し、長谷川天渓、島崎藤村、正宗白鳥、吉江孤雁らのスピーチがこれに続きました。記事にもあるように、この場にいた斎藤龍太郎は〈舞台に出てくると大変な拍手でした。あの頃から久米さんは人気者だつたんですね〉と語っており(「文壇あれこれ座談会」/「文芸春秋」昭和10年6月号)、こうした場に似合う久米の華やかなオーラが想像されるようです。
 これらを受け、花袋は〈「私は文壇に対して何も貢献や功労もしない 御褒辞は有難いが自分では然(そ)う思つてゐる唯一(ただひと)ツあるのは我が文壇の為めに何か本当の芽を出さう出さうとしてゐた人々に其の花を咲かせたいと力めた事である」〉と謙虚に応えたそうで、きっと投稿雑誌「文章世界」主幹をつとめたことを指すのでしょう。そして秋聲は〈簡単に友人の好意を感謝して之れで演説は切り上げ〉(「国民新聞」同年11月25日)…あっ…引用なしパターン、シンプル…! だってこんな盛大な会、勝手に決められちゃって否も応もなかったんだから! とは後に語るところです。 
 なかなかのノリの悪さをご披露したかと思いきや、さらに問題児だったのはこの方、正宗白鳥。同記事中、みながちょっと空腹を感じ始めた頃、「早く余興が済めばいゝナー」と堂々発言したとのこと(そして気を利かせた食堂係・近松秋江と上司小剣(←白鳥と仲良しの彼ら)が残る余興を後回しにしたそうな)。こうした自由人たちの中において殊更常識的に見え、かつ好感度の高い花袋さんです。秋聲も〈実に正直な人〉〈づるさ〉や〈不良性といふやうなもの〉を持ち合わせなかった人と評し(「田山君の事」)、秋聲・白鳥も含むこうした13人の文士たちの語る花袋像を紹介する企画展「文士たちが見た花袋」のご案内をいただいたのでした! 田山花袋記念文学館さんで絶賛開催中です!






名古屋帰りの結婚式
 2023.3.23

 名古屋での悠々との再会は、短編「倒れた花瓶」として作品化されています。そのあたりをご紹介するパネルでは、当時「新愛知」主筆をつとめていた悠々の同社における肖像写真と、悠々旧蔵の名古屋城と飛行機のお写真を金沢ふるさと偉人館さんよりお借りして展示させていただきました。秋聲の二歳下の悠々さん、今年生誕150年おめでとうございます!
 森田一二による「秋聲来名の記」は実際の訪問から一ヶ月ほど遅れての掲載ですが、この名古屋訪問自体、大正12月11月8日に即日記事になっており、その見出しは「『名古屋新聞の小説を書くのだから』と落付けぬ東京を立退いて三嘉に納つた徳田秋聲氏のお話」。当時秋聲は同紙に長編小説「掻き乱すもの」を連載中で、「東京では落ち付いて執筆が出来ないのでいつも何処かへ出かけて書くのですが、名古屋新聞の小説を書くのだから一層名古屋へと思つてやつて来ました」とのこと。前回の森田の記事では「地震前に書いて送つておいた分が何処まで進んでゐたのか忘れた為、急に出かけて来たのだよ」と言っていましたね。忘れちゃったくだりはちょっとぼかされていますね。また、ここでも「魚なんかも非常にうまい」と手放しで誉めており、土地柄に加え、秋聲が納まったという三嘉旅館さんのお心意気もあったのかもしれません。
 地震とあるのは同年9月1日の関東大震災で「こちらで勉強して行くつもりです、もつともこの十七日に久米正雄君の結婚式に出る筈だから、それまでには引上げる」と、にわかに前々回の久米正雄展に繋がってくるこちらのインタビュー内容。いつかTwitterの方で話題になったとおり、この震災では、久米圧死の誤報が飛び交った模様。別の秋聲の随筆では、「久米君は――私は当日言つたとほり――鎌倉で圧死したなぞと、私の当時居た田舎の新聞が報じてゐた。場所が場所だし、何だかさうらしいやうな気もして、あの久米君にもう逢ふこともできないのかと一時は寂しい感じもしたが、それどころか、地震後急に――動機はずつと前にあるだらうが――結婚式を挙げ、久米君の作品そのものゝやうな新婦と新婚旅行なんかをされたことは返す返すおめでたい。」……最初こそ、エッそんな誤報が! とドキッとして読み進めてゆけば、次第に結婚式の話題になり、そこから翻って冒頭「当日言つたとほり」の〝当日〟について考えますと、他でもない久米の結婚披露宴の日かとお察しします。というのもこの随筆の題がずばり「久米君の結婚」だから。外野ながら、いやいやそんなおめでたい席でする話のチョイス…と思ったりもしてしまうのでした。なお秋聲は震災発生当時、金沢帰省中。それにちなんだ資料も今回少しお出ししています。



 


半々
 2023.3.21

 昨日の続きです。短編「籠の小鳥」には、次兄順太郎(←)が尾小屋の方の家で飼っている小鳥の描写がかなりの分量で出てまいります(瓢箪町の本宅とは行ったり来たりだそう)。〈二つの箱のなかに飼つてある六七話の鶫(つぐみ)と、二羽の青鳥とに摺餌をやるのが、出勤前の仕事であつた。それが十月の中頃から、かすみ網を張つて、昨夜泊つてゐた谷間を、朝早く出立して、長い旅を急がうとしてゐる鶫の種類を呼ぶための囮なので、亡父から伝はつた淳二(※順太郎がモデル)の一つの道楽であつた。この国の士(さむらい)たちは、昔しさういふことに深い興味をもつてゐたし、網や付属品などを作るのに極めて堪能であつた。囮の選択や飼養法にも特殊の目と優れた技能をもつてゐた〉と説明され、〈羊三(※秋聲がモデル)も幼年の頃から食べなれた其の鳥が、どこの国から貰つたものよりも美味いことを知つてゐた。勿論それは其の食物に因るのであつた〉…オゥ、食用…。さらに〈鶫は二種類あつた。胸毛に斑点のある黒いのと、美しい鵯色のものとであつた。前者は勇壮で始終籠のなかを忙しく動いて、空や森に憧るゝやうに、明るい方へ顔をあげてゐたが、後者は人の影を見ると、奥へ引込んでおとなしくしてゐた。「このしない(※三字傍点)の方が、品位がありますな。」「さうだ、味もその方がいゝとも言ふな。」〉…オゥ、またすぐに食の話…。〈「私は動物は犬も猫も嫌ひですが、小鳥は好きです。小鳥や草花がなかつたら、づゐぶん淋しいと思ふ。」〉…というわけで、いつぞやもこちらで書きましたとおり、秋聲の小鳥好きは観賞・食用半々です。
 上記と同じ感想が、「西の旅」展で一部パネル展示している「名古屋新聞」掲載の「近頃閑談 徳田秋聲氏来名の記」(大正12年12月15・16日)に出てまいります。〈来名〉の〈名〉とは名古屋のこと。この年の11月、秋聲はもろもろの事情で名古屋を訪れており、金沢出身の川柳作家で、名古屋鉄道に勤務した森田一二が、ここで交わした秋聲との会話を書き留めてくれたものです。
 「地震(※関東大震災)以来、東京の人間は食ひしんぼうになつたよ」と柿と葡萄に手を伸ばす秋聲。まず好物の柿を評し、それから〈鶫なども名古屋よりは雪国金沢のものが旨いと云う評である。小鳥の食物が違ふ関係であらうとのこと。〉と、森田曰くやはり鶫の餌問題に言及。珍しく秋聲の郷土愛がはみ出しちゃっていて、名古屋の方には申し訳ありません…。しかしながら「魚はたしかに名古屋の方が旨いよ」、「名古屋はいゝ処だね」だそうです! この旅の目的のひとつでもある名古屋在住の桐生悠々らしき人物〈K氏〉も登場し、その縁から金沢ふるさと偉人館さんに教えていただいた記事でした。偉人館さんいつもありがとうございます!       (つづく)





企画展「西の旅」開幕!
 2023.3.20

 18日(土)、新しい企画展「西の旅」が無事開幕いたしました。本展では若かりしころ長兄直松を頼った大阪訪問に始まり、別府・京都・奈良・芦屋・名古屋・豊橋・金沢にまつわるエピソードをご紹介しております。それぞれ仕事ないし友人・親族に会うという明確な目的がありますので、観光のための旅行とはそもそも認識が違うのかもしれませんが、そうは言っても各地に赴いたことは間違いありませんので、そこでの感想や当地を描いた作品などをピックアップいたしました。東京を生活の拠点として以来、当然と言えば当然ながら訪問回数としては群を抜く郷里金沢がメインケースを占め、中でも今回、秋聲次兄・正田順太郎宅で保管されていたものものも少しお出ししてみました。正田家の婿養子となった順太郎は金沢駅近く、瓢箪町の大きな武家屋敷に住んでおり、同家は父を早くに亡くした秋聲帰省時の拠り所でもありました。現在のお宿の形に生まれ変わる以前に、順太郎ご遺族のご厚意で中に入らせていただき、その際にご寄贈いただいた正田家ゆかりの品々です。そのひとつである双眼鏡は、小松市の尾小屋鉱山の所長であった順太郎が仕事で使ったか、あるいは武士の嗜みであったという鶫(つぐみ)猟に使用したか…(徳田家は元武家。秋聲の父と二人の兄までが武士でした)
 本日3月20日は、そんな順太郎が開通に尽力した尾小屋鉱山鉄道が廃線となった日だそうです。昭和52年と、順太郎が亡くなって約40年後の出来事にはなりますが、もとは大正5年、順太郎所長の個人事業として敷設を申請したもので、当時は「正田順太郎鉄道」とも呼ばれていたそう。同8年に開業し、翌年には雇用主である横山鉱業部にその権利が譲渡されました。秋聲は同11年にここを訪れていますので、順太郎から鉄道敷設のあれこれについて聞いていたかもしれません。また、山での体験を短編「籠の小鳥」に綴るなかに〈一度や二度行つて見たくらゐでは鉱山の人達の生活なぞわかる気遣ひはなささうであつた。淳二兄(※順太郎がモデル。写真は鉱山従業員とともに、後列中央)はいくらか用心もするだらうし、長くゐてぶらぶらしてゐるうちに、技師や坑夫に親しくなる機会でもなかつたら、迚(とて)も鉱山の生活の内部を知ることはできないだらうと思つた〉とあり、〈唯一寸(ただちょっと)旅をして見た位で其所(そこ)の色が書ける者ぢや無い。〉――「西の旅」展は、それと共通しそうな秋聲の考え方を記したパネルからスタートいたします。
                    




東西南北全員集合
   2023.3.17

 おととい「靴の記念日」のことを書いてから、ふと「鞄の日」はあるのかな、と調べにゆきましたら〝バッグ〟と読ませて8月9日が「かばんの日」だそうです(「鞭の日」は見つけられませんでした)。残念ながらこの日までは到達せず7月7日で閉幕予定の「西の旅」展では、秋聲愛用の籐のトランクをお出しいたしました。中に昭和8年の新聞が挟み込まれていましたので、その頃に使用したものでしょうか。あわせて遺品のパナマ帽もお隣に並べ、ちょっと涼しげなお出かけルックコーナーに。西の次は東、次々回「東の旅」展では別バージョンとして革のバッグとフェルトの帽子をお出ししようかと考え中です。なお、書斎にお出ししておりました今回初公開となった秋聲愛用の折鞄も、「足迹」展の閉幕とともに公開を終了いたしました。ご観覧くださったみなさま、ありがとうございました。
 西、東とそれぞれ名のつく企画展のくせ、設営を終えぐるり見渡しますと、東京から金沢(一応西日本)への帰省旅行を東海道回りでゆけば米原以降は北上する形となり、秋聲も〈北へ北へ〉とはっきり書いていてオゥッフ…。また、小説「西の旅」の中身である大阪経由別府方面へは、特に別府を中心に描く他の小説「南国」の字面でオゥッッフ…。加えて兄弟子・小栗風葉のいた豊橋へ向かったときも秋聲は当地を〈南国めいた〉と記しており……。そして最後のコーナーには「東の旅」展の予告パネルが鎮座し、〝西〟を贔屓するふりをしながら結果的に東・西・南・北、全員集合! といった期せずして全方向に配慮した形の展示となりました。
 「東の旅」展では主に東日本、伊香保や長野や鎌倉や、果ては北海道までを視野に入れているところ、秋聲長男一穂に東北・北海道ゆきを描いた小説「北の旅」あり、愛知県出身の風葉(南)と秋聲との曰くつき湯河原旅行伝説を残した風葉の弟子・宮城県出身の真山青果(北)との共著に『南北』あり(件の湯河原旅行を描く「温泉の宿」収録)。結局やっぱり全部でてきちゃう、みたいなぐだぐだ感がすでに滲みだしてきていてオゥッッッフ…。
 縦に見るか横に見るか、そんなことも示唆していたのか「西の旅」展のキャッチコピーよ…(チラシ参照)と、妙な感動を覚えている展示替え最終日です。





展示室のあばれんぼう
  2023.3.15

  静かに「足迹」展を終幕させ、展示替え休館に突入しております秋聲記念館です。ご観覧のみなさまにはご不便をおかけしております。さて本日は「靴の記念日」だそうですね。日本に初めて西洋靴の工場が出来た日だそうで、これがふと目に留まったのは、「足迹」からの連想でもなく、「縮図」のヒロイン銀子さんちが靴屋さんだったからでもなく、秋聲訳(ゴーリキー原作)「熱狂」の鉄造が靴の修繕屋さんだったからでもなく、次回「西の旅」展に出品しようと準備していた正宗白鳥訳(ゴーリキー原作)「鞭の響」を併録した秋聲『驕慢児』(アカツキ叢書、明治35年、新声社)のキャプションテキストが「靴の響」になっていることを発見してヒッ…となったところであったため…。慌てて修正し、毎度このようなことばかりで恐縮ながら、でも開幕する前でよかったね…などいう甘えた心をデスク上の日めくりカレンダーさまに見透かされたような恐ろしさがありました。「鞭の響」は、妻の不貞を鞭で懲らしめるというたいへん痛々しい怖ろしいお話ですので、「靴の響」ではいけないのでした。それをも収めた『驕慢児』、秋聲32歳、長兄直松に会いに出かけた大阪時代の執筆作としてご紹介しております。靴、鞄、鞭、パッと見、どれがどれやらですね!
 今日までで「足迹」展資料の撤去が終わり、パネルが貼り替えられ、ケース内の清掃が済み、いよいよ資料の陳列作業にさしかかっております。いつも第一章からでなく展示室最大となる全面ガラスケースから埋めてゆくのですが、秋聲の帰省旅行のくだりで、秋聲がひがし茶屋街を舞台にした「挿話」などに触れた川端康成筆 秋聲長男一穂宛書簡を展示しようとしていたところ、この巻紙がいつまで経っても終わらない…! イヤッ長…ッながい…まだ、まだある…ッ、と延々とくるくるくるくるしておりました。秋聲遺品のペン皿にも触れたもので、初公開ではございませんのでもちろん長さは承知しています。よってあくまでも頭でなく、体感の問題です。そしてこの脳内シミュレーションが行き届かなかった結果、他の資料スペースが圧迫され追い出され、ついにはケースが足りなくなって、1階常設展示室から小ケースを奪ってくるというあばれんぼう出現。「ケースはいねが~」「壁面はもういねが~」と、気持ちは餓鬼かあらくれたあばれんぼう(イメージはこの人→)ながら、今回はケース内だけでなく、壁面すらも繊細なパズルのようにせせこましく使用した様相でお送りすることになりそうです。





糖度高め
  2023.3.5

 昨日、「足迹」展展示解説の最終回を終えました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。とくに午前はおふたりさまのご参加でしたので、若干お客さまとの距離も近く(一方的な思いですみません)、ふだんは気まずい空気になったり要らぬ圧になることを避けあまりこうしたことは訊かないのですが、「ちなみに『足迹』って読まれてたり…?」とお伺いしてみると、おふたかたともが頷いてくださいました。
……なんということでしょう、展示室に三人いて三人が「足迹」を読んでいる…三分の三が「足迹」を読んでいる…それすなわち100%…この部屋、秋聲100%…!! じわじわと、気持ちのわるい盛り上がり方をしてしまいましたこと、お許しください。じゃああらすじの話とか要らなかったですねぇ~ウフフ~となりました。それもこれもあたたかく受け入れてくださり、ありがとうございました。
 午後もご遠方よりのお客さまのほか、たまたま居合わせ、おしまいまでご参加くださるお客さまもあり、最後の解説が賑やかなものとなりとても嬉しい一日でした。某K花記念館さんの再開館、石川県立図書館さんのご企画の影響も大きく、おかげまさまで解説以外にもたくさんのお客さまにお越しいただくことができました。それだけで十分有り難いのに、秋聲の好物であろうとあんこと餅気のお菓子を差し入れてくださったお客さま、まさに「秋声(しゅうせい)」なる同じ名をもつ抹茶・ほうじ茶味チョコレートをそっと受付に差し入れて帰られたあしながおじさんのようなお客さま、本当にありがとうございます。けれどもどうか…どうか気を…お遣いになりませんよう…! お気持ちと「秋聲のしゅの字」情報だけ頂戴できましたらそれだけで小躍りして喜べる記念館です。それだけで、この場、秋聲への気持ち100%ですね!! とかよくわからないフレーズを力一杯、躊躇なく叫べるわれわれですので、どうかどうか…なによりご恩返しの仕方がわからず…!
 とにかく秋聲の魅力を発信しつづけることで少しでもお返しできるでしょうか…「足迹」展は残り一週間、13日(月)~17日(金)は展示替え休館をいただき、春夏仕様の「西の旅」展にお色直しをいたします。3日、チラシも無事納品され、7日にはそれを携え、例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんにお邪魔し、その予告をさせていただく予定です(10時頃~)。今回のチラシは「西の旅」以上でも以下でもない(甘さのない)つくりとなりました。短篇集『西の旅』初版装幀をお借りしたベースに、秋聲の旅に対する所感を添えて。いかんせん、別に旅行とか好きじゃないし、実際ほとんど行ってないし、みたいな顔をすることの多い秋聲ながら、その十字にあしらわれたテキストは最晩年に語られたもの。人生の果てに辿り着いた、虚飾のない秋聲の言葉としてお受け取りいただけましたら幸いです。



 


濃度高め
  2023.3.4

 1日、再開館初日に潜入してまいりました川向こうの某K花記念館! 某K花さんをはじめ、芥川龍之介、谷崎潤一郎という三強によるきらびやかな資料がもりだくさんで、強い光にめっぽう弱いわれら秋聲記念館一味の目はちらちらぐらぐらいたしました。それくらいに豪華、豪華な展示です。あの一室に、天才たちが大集合…。
(画像はたまたまチラシを留めたマグネットが中原中也のご尊顔で、さらに天才がひとり加わりややこしくなったの図↑)
 展示室に入ってすぐ、まず目に飛び込む谷崎潤一郎の長襦袢が華やかですし、松子夫人は達筆ですし、芥川の便箋は赤いですし、二文豪の鏡花愛が熱烈ですし、うさぎがいっぱい…。習慣といえ、何故うっかり持って来てしまったのか、秋聲記念館オリジナルトートバッグ(左肩に菊池寛バッジ付)。慌てて裏返さねば生きて帰れぬ非常に濃密な空間でした。前後期で入れ替えられる資料も多そうですので、物理的に可能な方はぜひ二度三度足を運ばれることをおすすめします。再開館にあたり、ちょっと気合いが入りすぎではなかろうか…! これが生誕150年か…! とあらゆるコーナーでビシビシ圧を感じ、逃げ場がなく、出るころには足元がすっかりよろよろに。
 とはいえさっとトートバッグを小脇に挟み、記念館ロゴをギュッと隠したおかげさまか、あるいは某K花さん一味みたいな顔をしてキャッキャ無邪気に鮟鱇博士の写真を撮ったりしていたおかげさまか、わかりやすく塩をまかれることはありませんでしたが、あれっここはもしや塩分濃度高め…!? というケースがひとつ……芥川による「鏡花全集『開口』自筆原稿」のコーナーです。
 大正14年、春陽堂刊『鏡花全集』のために書かれたこのオリジナル原稿がバァーーン! と展示されており、その文言の一部がこう→「往昔自然主義新に興り、流俗の之に雷同するや、塵霧屢(しばしば)高鳥を悲しましめ、泥沙頻(しきり)に老龍を困しましむ。先生此逆境に立ちて、隻手羅曼(ロマン)主義の頽瀾を支へ、孤節紅葉山人の衣鉢を守る。轗軻(かんか)不遇の情、独往大歩の意、倶に相見するに堪へたりと言ふ可し。…」(テキストは「青空文庫」さんよりお借りしました) アッ…ここは確実に塩をまかれている…! 間接的に! 自然主義の冠をもつ一味に…! 
 芥川の原稿とともに、それを見返しにあしらった鏡花の『斧琴菊(よきこときく)』、ケース内で発光する青の美しさが弱った目にギュウと染み、その足で秋聲次兄・正田順太郎旧宅「町の踊場」さんに逃げ込み、ようやく息つくことができました。毎度長居をしてすみません。蔵カフェさんでは、間もなくカレーランチ(数量限定・予約不要)が始まるそうです。





旅と白鳥 
  2023.3.3

 本日、正宗白鳥お誕生日です! おめでとうございます! 秋聲の8歳下で、満144歳。そんなわけで再現書斎の床の間は白鳥自筆書幅「故郷」に掛け替えました(1月11日付記事の覚え書き〝3月の書斎は秋聲自筆書幅「春雨の草履ぬらしつ芝居茶屋」にすること〟は前倒しの2月に実行してしまいました。申し訳ありません。石川近代文学館さんの企画展「舞台―石川と近代演劇」は今月19日まで!)。
 また、しかるべき文脈ながら次の「西の旅」展でお出しすることのできなさそうな秋聲宛て書簡のうち、白鳥が故郷・岡山県和気郡から送ってくれた一通をこちらでご紹介。「急に思立ちて帰省いたしました(一人です)。汽車でも何でも満員で人間のうるさゝを感じましたが此方へかへると天地がひろびろとして、はじめて静かな春に接したやうです。」とは昭和5年4月16日の葉書で、ついでに秋聲の憧れる吉野の桜について「(吉野山へは落花の今でも宿がない有様だ)」と書き添え、わりとどこへも腰の重めな秋聲に各地の新鮮な空気を届けてくれています。
 そんな白鳥は、2月23日・25日付記事でご紹介していた上司小剣も交え「読売新聞」在籍仲間。秋聲とは重なっていませんが、古巣である同社に秋聲が顔を出したことで知り合い、〝早稲田の麒麟児〟との噂だけ聞いていた秋聲にまるで古なじみであるかのようにめちゃくちゃ話しかけてきたことからすっかり仲良しになったそう。そんなことを回顧する秋聲の随筆の題は「中々快活なお喋べり 正宗白鳥氏の印象」(「新潮」大正7年6月号)。旅に絡めれば、後半の記述はこうです。「また旅行も好きである。東京をまめに方々歩いてゐるとほり、まだ見ない土地を始終旅行してゐる。今年も暮に東京を立つて、この頃になつて漸(ようや)く帰京の噂が伝つたくらゐである。生活の単調と常套とを、或る限られた範囲で、始終突破(つきやぶ)らうとしてゐるらしく思はれる氏は、人と人との交渉が嫌ひで――それも利己的見地からではなく、恐らく人を強ふるとか、自分を曲げるとか云ふことが厭(いや)なので――それをば家庭でも女中など他人を容れることを可成(なるべく)しないやうにしてゐるので、長い旅行には世帯を畳んで出かける。それは可也億劫な仕事でもあるが、氏はきちきち其(それ)をやる。そして帰つて来るとまたせつせと家(うち)を捜す。家も時々変る。どこかほんとうに落着かないといつた風であるが、これも家庭が単純であるためで、私などの煩累の多い生活から言へば、羨ましいほど自由でもあり、孤独でもある。」。
 


 


おかえり、某K花館
 2023.2.27

 あさって3月1日(水)、ついに川向こうの某K花記念館さんがお戻りですね! 館内工事等の長期休館を経て、いつか当館も空調工事のため長く休館していた頃ちょこちょこと「リニューアルたのしみです!」のお声をいただきながら、(あっ…リニューアルじゃないんだ…中の機械を交換するだけなんだ…!)と再開館時の見た目の変わらなさへのリアクションにどぎまぎしたものですが(塗り込めた壁はちょっと綺麗になっている)、某K花館さんも今同じお気持ちでしょうか。そんなプレッシャーをはねのけ、堂々お戻りいただきたいとしみじみ思っていたところ、先日新しい展示のチラシが届き、一発目に持ってきたご企画が「谷崎潤一郎と芥川龍之介――鏡花を愛した二人の作家」! あっそう、そう来ましたか! 何せお強いご本人さまに加え、その両脇を芥川と大谷崎が固めるという最強の布陣…! そこで三文豪をつくられては出る幕がないんですけど…!? と裏面を見ればあらやだ、珍しく秋聲がいましたね…と一瞬にしてフニャッとしました。谷崎と某K花さんを引き合わせた人物として秋聲にも触れていただき、生誕150年にして、あの頑なに秋聲のしゅの字を展示しない、で知られる(風評)某K花記念館さんとの和解の兆しを感じました。引き合わせたのは秋聲ですが、今や谷崎氏に取り持ってもらった感。
 最近こちらでよく話題に載せている吉屋信子もまた、憧れの某K花さんに引き合わせてくれた秋聲の図を記録してくださっています。大正15年の随筆「憧れし作家の人々」によれば、信子は女学校二年のときに某K花さんの作品に出会い、〈たいへんな勢いで鏡花宗の信徒〉となったそう。また、同じ頃に谷崎作品にも引き込まれ、〈一方で鏡花宗で又一方で潤一郎熱で、なかなかその頃の私はいそがしかった〉と。大正9年、信子の長編『地の果まで』を「大阪朝日新聞」懸賞小説の第一等に最も強く推したのはその頃まだ面識のない秋聲でしたが、そもそも応募前に選者の顔ぶれを見て、秋聲か~~~とがっかりしたほどだったといいますから、その作品の系統が少し見えてくるようです。当選後、すっかり親しくなった信子に「ふふん、貴女が鏡花を熱心に読んだ?」と意外そうな顔で言ったという秋聲。〈そして芝の紅葉館の鏡花会へお連れ下すった、大広間の灯の下で、私は(湯島詣)の作者に御丁寧な挨拶を受けて、しどろもどろになった〉とのこと。
 以上、かなり脱線してしまいましたが、川向こうにおける鏡花生誕150年記念事業がいよいよ本格始動です。秋聲のしゅの字の載ったチラシを招待券のように振りかざし、我が物顔で上記特別展に乗り込まんとする秋聲記念館一味です(塩まかれる)。





人生案内
 2023.2.26

 3月4日(土)13時半~15時半、中央大学社会科学研究所ご主催の公開講演会で、当館蔀館長が司会を担当いたします。「みえていますか? 多様化する家族の問題」のテーマのもと、山田昌弘(中央大学文学部教授)・広岡守穂(同学名誉教授)の両氏がそれぞれ「新聞の『人生案内』からみた家族の変化」、「家族 本当のことは人には言えない?」の演題で基調講演、その後コメンテーターを交えてディスカッションというプログラム(←画像クリックでPDF開きます)。基本、夫婦・家族という小さな社会を主軸に世間を描き、時に「茶の間文学」とも呼ばれた秋聲作品ですから(「足迹」もまさに流動的な家族の物語)、文学サイドからそのようなお話も出るかもしれません。金沢市役所向かいにあるしいのき迎賓館の2階にて。ご興味おありの方は公式HPよりお申し込み願います。
 秋聲も雑誌の〝人生案内〟的なコーナーを担当したことがありましたね。「反響」大正4年2月号掲載「具体的問題の具体的解決」の題で、読者からの相談ごとに秋聲ほか伊藤野枝、与謝野晶子らが回答しています。相談ごと①「親の家に帰りたい」…18歳女性「はつ子」さんからのお便りです。両親の反対を振り切って上京しちゃったんですけど思った生活と違いました。どうやったら家に帰れますか。秋聲の回答はこう(意訳)→「本当に帰りたいなら口実なんかいらない、引き留めたくらいの両親なら喜んで迎えてくれる。でも帰ったら帰ったでまた行きたくなるんじゃない? そういうことまで慎重に考えて、目の前のこともうちょっとだけ頑張ってみなよ。」
 相談ごと②「姑を迎へるについて」…年齢不詳「世慣れぬ女」さんからのお便りです。姑との同居を夫が勝手に決めてきました。どういう気持ちで受け入れればいいですか。秋聲の回答はこう(意訳)→「別居できるならその方がお互いのため。時々逢うくらいがいい。でも生活に余裕がなくて同居やむなしとなれば、姑の気質次第で対応を変えていかないとだけど、自分の力以上のことをしようとすると大変だし、深く考えすぎると裏目に出る。この問題はもっと根深いからこれ以上は言えないけれど、とにかくできれば別居推奨。」
 相談ごと③「養子を迎へるについて」…「二十九歳の女」さんからのお便りです。「資産家の父、一人娘の私。父の決めた縁談は嫌なんですけど!」 秋聲の回答はこう(意訳)→「いっそ家を捨てちゃえば!?」
 いろいろ端折りすぎましたし雑にまとめすぎました(最後のには、家を出てなお家が心配なら子どもだけ返して継がせる案とか29ならもう晩婚だからグズグズできないよ、などとも)。原文は八木書店版『徳田秋聲全集』第23巻P274にて!





おはぎ
  2023.2.25

 前回のつづきです。〈その前、十八日の午後、訃を聞いて駈けつけたときは、一そう「生きてゐる」といふ感じが強く、この秋、お見舞ひに上つて、一緒におはぎを食べたときと、少しも違つてゐない。ただ東枕が西枕になほされてあるだけであつた。さうして、急に眠りから覚め『こなひだ島中君にもらつたおはぎ、うまかつたね。いまはめづらしいので……』とでも言ひ出しさうであつた。四十年前、初対面のときと、物言はぬ姿となられたときと、その風貌が、殆ど変つてゐない。ただ頭髪が、ごま塩になつたくらゐのもの。むかしは「老人のやうな若い人」であり、晩年(臨終の後も)は「若い人のやうな老人」であつた。その芸術のみかは、肉体もまた、私には永久に生きてゐる人といふ感じがする。〉
 おはぎ、おはぎ…今年の11月18日にはおはぎをお供えしましょう、そしてみんなでたべましょうね…秋聲先生てば、餡子と餅気のものがお好きだから…とちょっとべそべそしてしまうお話でした。そう、そんな没後80年。秋聲が小剣と知り合ったのは読売新聞在籍時でしょうから、明治32年、「子猫」の別府行きより前で、29歳頃かと思われます。3歳下の小剣は26歳。秋聲の享年73歳ですから、確かに約40年のお付き合いとなります。とはいえ、秋聲のほうは人見知りを発動したものか、「小剣氏に対する親しみ」なる文章の中で〈私は其の生活を全部知つてゐると言へる友人はほんの二三人しかもつてゐない。しかも小剣氏は其中(そのうち)の一人ではない。私が氏を知つたのは可也古いことではあるが、接触面は極めて微かなので、真の意味では昨今の友人であると謂つても差閊(さしつかえ)のない程度でしか氏を知つてゐない。素(もと)から嫌ひといふほどでは無論無かったが、実際氏を好きになつて、親しみを感ずるやうになつたのはつい此頃のことである。私自身は不聡明なために氏を理解することができなかつたのか、それとも偏狭な私が年を取つて比較的寛厚になつたのか、その辺は判らないが、兎に角氏の人格に興味をもつことの出来たのは、つい此の一二年のことである。〉…えっ、ちょっ…後半の巻き返しがあっても…なかなかキツ……大正6年、この年秋聲47歳。四年後、近松秋江と京都を旅しながら、「こっち来なよ~君がいてくれたら嬉しいよ~」と小剣を当地に誘っているハガキ(画像のみ)を次回「西の旅」展でお出ししますねっ! 声と見た目の話題から、思いがけずあぶりだされてしまった秋聲のパーソナリティ、人と仲良くなるのにけっこう時間がかかるタイプ(画像は小剣[左]と)。





金属性の声音
 2023.2.23

 昨日、秋聲の意外な特技をご紹介したところで、ハハァンそうですか~「子猫」ですか~ならばそのお得意の読み聞かせを(想像で)再現していただきましょうか~と、今年もチラリと当館が頼みにしている屈指の読み人・うえだ星子さんと板倉光隆さんのほうを見やりながら「秋聲の読み聞かせを想像でやってみる『子猫』朗読会」なる企画が頭をよぎったはよぎったのですが、この作品が案外長いものですからそれはまたちょっと別の機会に…。ちなみに前々回にご報告しました尾張町老舗交流館さんでの秋聲講座のメインテーマかつその場でもご紹介いたしましたうえだ星子さんによるご朗読「生活のなかへ」はこちらからお聴きいただけます。おふたりには今年も何らかの形でご登壇いただければ…とひそかに画策しておりますのでどうぞお楽しみに。
 秋聲自身、後年になってこの思い出を語りながら、まぁ若い頃はまだ声もよかったからね、と付け加えており、秋聲の声についてはこれまでにもちょこちょことご紹介してきましたように、最近読んだものの中では吉屋信子の「徳田秋聲」に〈低い渋味のある声〉と、現在「足迹」展で展示しているパネル中、遠縁にあたる映画プロデューサーの小笹正人は〈女のやうな黄(きい)ろい声〉(「秋聲先生と私1 辱知を得るまで」)、その自筆原稿は前期のみで下げてしまった川崎長太郎の「徳田秋聲の周囲」には〈持ち前の錆びついた、金属性の声音〉、追悼系から小寺菊子さんは〈例の疳高いキンキンした声〉(「思ひ出を辿りて」)、そして犀星さんは〈時々物をいひ直されるときには癇立った声になるが、平常は低い皺嗄れた声〉(「夏草愁」)と書き残してくれています。どうも平均すると、ふだんは低い渋めのしゃがれ声、テンションがあがると金属めいたお声になるよう。秋聲の言うようにもちろん年齢にもよるのでしょう、と書きたいところながら、声とともに秋聲と面識ある人々がみな一様に言うことには「あの人、若い頃から実年齢以上に年とって見えるよね」ということで、それを思うと声はどうなのだろう、と少し考えてしまいます。
←(写真は37歳くらい)
 その説の最たるものが、仲良しの上司小剣による追悼文「秋聲氏のこと」。〈十一月十九日夕の、納棺に、親戚の方や近しい友人たち七八人と、柩をめぐつて立つたとき、私は故人の死面に対して、どうしても「生きてゐる」といふ気もちを取り去ることができなかつた。立ち会ひの諸氏とともにドライアイスを一嚢づつ、白菊を一輪づつ、仏のまはりに納めたときも『おい、こつちの方へ、もう少し入れてくれないか』と、いつもの声で言ひさうに思はれてならなかつた。〉            (つづく)





「小説を読むのが上手と誉められた旅の話」
   2023.2.22

 2月22日、本日「猫の日」ということで、次回「西の旅」展で出せそうで出せなかった秋聲と猫にまつわるお話をば。明治35年、基本胃弱な秋聲32歳のとき、兄直松のいる大阪から嫂の親戚がいるという別府へ湯治旅行に出かけた際、滞在先の家の人々に求められ、秋聲が読んで聞かせたというのが村井弦斎の「子猫」なる物語。

「(前略)海は今干潮(ひしお)なり、磯も半ば膚(はだ)を晒して島に続ける白砂一帯、蟹は水を追うて孔(あな)を爬(はい)出(い)で、貝は潮を吐(はい)て砂の上に細孔(さいこう)を顕す、軈(やが)て何処より出で来(きた)りけん、一頭(ぴき)の可愛らしき子猫、襟に縮緬の細紐を巻き頸(くび)に銀(しろがね)の小さき鈴を着けたるが、チリンチリンと音して磯の上を飛び歩く、猫の眼には物珍しき磯の光景(ありさま)、平生己(おの)が食卓の珍味とせる小魚の類は、五尾(ひき)三尾群を為して波の間を泳ぎゐる、アラ物欲しの魚(うお)やと子猫は小さき手を水に入れ魚を捕へんとすれば、魚は驚ろき逃(にげ)散じて可惜(あたら)片手の濡し損、子猫は小さき手をブラブラと振ひ暫(しばら)く掌(たなぞこ)爪先を嘗め廻して、残り惜しさうに水の面を眺め居る、忽(たちまち)にして其(その)足元にガサガサと動くものあり…」このあと蟹vs子猫、章魚(たこ)vs子猫の闘争(あらそい)が繰り広げられ、それを見ていた金太郎少年が負傷した子猫を助け、送り届けた先が安房の豪族勝山さんちのお嬢さん…! といったストーリーを秋聲がまぁ上手に読んで聞かせたそうな。
 本日のタイトルにいたしましたのはこの時の思い出を語る随筆「私の『黴』が出た頃」が「サンデー毎日」大正13年5月11日号に掲載されたときの小見出しで、編集者が内容を要約して勝手につけたのでしょうけれどもなんとも微笑ましい響きではなかろうか、と見るたびほくほくしてしまうのです。秋聲自身、この「読むのが上手と誉められた」話を色々なところで繰り返し披露していますので、よほど自慢でもあったのでしょう。〈他の人が読むよりは、私の読方(よみかた)が一番甘(うま)いといつては度々読み役を命ぜられた〉そう。今のところ秋聲の肉声というのは確認できておりませんが、案外ちょっと小説読んでみてくださいよ~、とお願いすれば、満更でもないご様子で朗読してくださるのかもしれません。後にその家で見ていた雑誌に秋聲の名が載っていて、ほんとに小説家だった! 道理でうまいわけ! とみんなでアッハッハとなったところまでが可愛い本日のお話でした。





筆の遅さ、耳の痛さ
   2023.2.20

 18日、尾張町商店街さん主催「歴史と伝統文化講演会」の第9回にお招きいただきました。会場はご近所の尾張町老舗交流館さん。旧い商家を復元した趣ある建物のなかには昔の引き札や古地図などが展示され、さらには近隣の観光情報をも教えてくださるこの館の入り口にある文言→「ここに入ろうか迷ったあなた、それだけで有難うございます。入って頂ければもっと有難う!!」…な、なんと謙虚な…この親切さにかえって注文の多い料理店風味も感じながら「観光用パンフレット、トイレ、カサあり。休憩用テーブル、椅子あり。町家の風情あり。無いのはあなたのご来訪だけ。」とも至極ポップに記された看板に、つい深い共感を覚えてしまう秋聲記念館です。仲良くなれそうです。
 そうして仲良くしていただいた結果として、この講座には今回で5回目の登壇となりました。コロナでお休みされていた数年を経て、お久しぶりです~などなど雑談を交わしながら、交流館さんより受講者のみなさまに寸々語のことをご紹介賜り、(ギャッ最近さぼってる…!)とたいそう冷や汗をかきましたので、慌ててこちらも再開させてみた次第です。講座の内容につきましては、交流館さんがそれこそ熱い熱いブログ「尾張町かわら版」でご紹介くださっておりますので、ぜひHPも施設さま(無料)も覗いてみてください。過分なお言葉、恐縮に存じます。
 そして心を入れ替え、久々に目に留めましたデスク上の日めくりカレンダー様によりますと、本日は「旅券の日」だそうです。明治11年のこの日、法整備がなされ初めて「旅券」という言葉が使用されたことにちなむそう。これにオッとなるのは我々の頭が旅づいているからですね。本日、次回企画展「西の旅」のチラシが校了いたしました。残念ながら海外には行ったことのない秋聲ですので、旅券(パスポート)は存在しませんが、代わりに二葉亭四迷や正宗白鳥、島崎藤村の海外旅行にパネルでちらりとだけ触れております。ちなみに大正2年、藤村のパリ紀行に関する秋聲の感想はこう。
 「島崎藤村氏の『巴里だより』は、実によく描けて居る、私はあの文章によつて巴里の風光を、まざまざと目(ま)のあたりに看取することが出来た。あの中には国民性の相違が、実に明瞭に描かれてある。私は其処に、彼(か)の藤村氏が、あの眼で凝乎(じっ)と睨みつけ、華やかな巴里の町々を彼処此処(あちらこちら)と、鋭い観察をいやが上にも逞しくし乍(なが)ら、歩いて居る姿を想ひ出さずには居られない。藤村氏は実に稀代の記述家である。私は氏の天才を羨ましく思ふ。而(しか)して氏はまた筆の遅い割には、実によく書く。」(「時事新報」大正2年12月14日)

(…すごく褒めてはいるのでしょうけれどもどうしても一言多い感が否めない…!)





吉屋信子「文壇百花之譜」
  2023.2.9

 前回のつづき、下記に全員分を書き出してみます。

「ボンボンダリヤ。牧野信一。※」 「朝顔。小島政二郎。※」
「桜。久米正雄。※」       「白木蓮。芥川龍之介。※」
「梅。菊池寛。※」        「柘榴(ざくろ)の花。志賀直哉。※」
「向日葵。武者小路実篤。※」   「カンナ。谷崎潤一郎。※」
「牡丹。泉鏡花。※」       「合歓(ねむ)の花。久保田万太郎。※」
「夕顔。近松秋江。※」      「木犀。徳田秋聲。」
「蓮の花。正宗白鳥。」      「コスモス。南部修太郎。※」
「紫陽花。正岡容。※」      「女郎花(おみなえし)。山崎俊夫。※」
「沈丁花。水木京太。※」     「石楠花(しゃくなげ)。葛西善蔵。※」
「ぼけの花。水守亀之助。※」   「椿。加藤武雄。※」
「貝殻草。十一谷義三郎。※」   「白い藤。佐佐木茂索。※」
「サイネリヤ。岡田三郎。※」   「梨の花。生田春月。※」
「曼珠沙華。萩原朔太郎。※」   「あやめ。里見弴。※」
「フリージヤ。中河与一。」    「桐の花。広津和郎。」
「山吹。宇野浩二。※」      「栗の花。相馬泰三。※」
「シクラメン。横光利一。」    「南瓜の花。新居格。」
「山桜。田山花袋。※」      「つつじ。加能作次郎。」
「龍胆(りんどう)。秋田雨雀。※」「苔の花。室生犀星。」
「桔梗。犬養健。」        「夾竹桃。宇野千代。」
「月見草。鷹野つぎ。※」      (「忘れ得ぬ人たち」より)

 それぞれのイメージと比べていかがでしょうか?(当館にある芥川、こと白木蓮→) お尻に※をつけたのは、一言コメントのある人々で、ちなみに久米正雄の桜には「若木にして、いまだ古木の趣(おもむき)あらねど梢はうららかなり。」、萩原朔太郎の曼珠沙華には「異国の詩人に優るとも劣らぬ人ならずや、いかに人々」。かと思えば佐佐木茂索の白い藤には「藤棚はポーチの前、下には椅子にクッション卓子に麻雀――この見立が不足だって房子さん(※夫人)怒ったって知らないや、ビイだ。」 ビイだ。そんなテンションの入り混じる「文壇百花之譜」です(朝日新聞社『吉屋信子全集』第12巻所収)。                    



 


鬼と花
 2023.2.8

 昨日の記事にあげました宇多須神社の節分祭は、ひがし茶屋街の芸妓さん方が豆を撒いてくれることでこの季節、東山の風物詩となっています。当館でも毎年恒例、過去7回、ひがし料亭組合さまにご協力をいただき、館内におけるお座敷あそびを開催してまいりました。が、コロナ禍において密を避けられず、ここ数年はお休みを余儀なくされた本催事、来年度から通常通り再開してゆければ…と考えております。
 本日は遅まきの節分にちなみましてふたりの鬼のお話をば。秋聲を「小説の鬼」と称したのは宇野千代さんですが、「文学の鬼」こと宇野浩二展を開催中の福岡市文学館さんから同展図録をお送りいただきました! 当館蔀館長の専門分野が宇野浩二というご縁により。秋聲も出てた~と見せていただき、宇野が京都で宿泊したという宿屋「赤まんや(あか万屋)」の利用者として秋聲の名を確認!(冒頭、山岸郁子先生のご寄稿中にもチロリと!) 次回「西の旅」展をご用意していながら、このお宿はまったくのノーマークでございました…げに有り難きタイミングでのご教示でした。深く感謝を捧げると同時に、それはそれとしてなんといっても宇野の残した写真の数々が圧巻です…! 旅先での記録写真をほとんどお出しできそうにない「西の旅」展を顧み、まだ開幕してもいないのにすでにそんな痛みに耐えつつ、(いいね、この写真いいね…)と頁を繰るたび涎を垂らしつつ、素敵なつくりと充実のご解説とともにこれは広く手に取られるべき貴重な図録であることを大きな声でお伝えしてゆかねばならぬと思いました。な、なんと通販でもお買い求めいただけますよ!! 展示は2月26日(日)まで、19日(日)には増田周子先生(関西大学教授)による記念講演「宇野浩二と大阪―人物・追憶・風景―」も開催予定です。
 さて、この鬼ふたりを花にたとえるなら何とする…上記「宇野浩二と大阪」からの連想で、大阪と秋聲を掛け合わせると今思い出されるのは吉屋信子(前々回記事参照)。そして信子の「文壇百花之譜」に出てくるおふたりはこう→「木犀。徳田秋聲。」「山吹。宇野浩二。」…恥ずかしながらお花に疎く、木犀と書かれ、すぐにその画が浮かばなかったのですが、検索してみて、あぁキンモクセイの! となりました。単に「木犀」とだけ言うとギンモクセイ(銀木犀)を指すことが多い、ともあり、あぁ燻し銀の! ともなりました。宇野浩二の山吹には一言コメントがついており、これがやや辛口? ユーモア? といったニュアンスで、ちょっとスパイスの利いたたとえのようです。たくさん出てくる他の人々についてはまた次回。





三週間ぶりにこんにちは。
 2023.2.7

 馬込なるひとさまのところのお祭りに浮かれている間に、かつてないほど寸々語をさぼってしまったようです。最近、次回企画展「西の旅」を組み立てながら、本家・秋聲の随筆「寸々語」の登場シーンにぶつかり後ろめたさにハッとしたりなどいたしました。この間ハッとする以外に何をしていたかと申しますと、雪かきをしたりラジオの収録をしたり、収蔵庫を整理したり、資料調査に出かけたり、動画の撮影をしたり、雪うさぎを作ったり、会議に出たり、原稿を書いたり、雪かきをしたりとなんやらかんやらしているうちにあれよあれよと立春を迎え(画像はお隣の職員さんに行ってきてもらった宇多須神社の節分祭)、4日(土)には「足迹」展のギャラリートークをおこないました。次回3月4日(土)が「足迹」展最後のギャラリートークとなり、そのお申し込み受付も開始いたしました。コロナを鑑み、ここ1~2年ほどは5名様限定の要申込制をとりながら開催してまいりましたが、この3月を最後に、次回「西の旅」展のギャラリートークの第1回、新年度の4月からはお申込制をやめてみるつもりでおります。「申込不要」の文字が久々にお目見えする、そんなチラシを鋭意制作中の現在です。
 また今朝ほど、MROラジオ「あさダッシュ!」さんにも出演させていただき、「西の旅」展の予告をさせていただきました。今回は、2月といえば…で昭和17年2月、秋聲最後の帰郷を描く「古里の雪」のお話をしてきながら、ここ数日の暖かさたるや。雪? 雪はどこに?? という気持ちは絶筆「古里の雪」の読後感とも少し重なるかもしれません。肝心の古里に雪がないため、気持ちはすっかり秋聲が「南国」と呼ぶ西方および春から夏を向いており、同時にシリーズ展となる次々回「東の旅」を視野に入れつつ展示をつくっている都合上、パネル制作の打ち合わせをしながらデザイナーさんがぽつりと「もう11月かぁ…早いなぁ…」と呟いているのに気がついてしまいました。そう、「東の旅」の会期が7月~11月を予定しているため。
 そうですね…11月もすでに視界のはじっこに入れながら生きていることは間違いありませんが、さすがに「もう11月」ではないですね…だって秋聲忌はいまだノープラン…。某K花さん生誕150年の華々しさの後ろで、今年はこっそり秋聲没後80年にあたるのでした。しみじみと秋聲を想う、そんな企画を、ぼちぼち考えてゆく所存です。





「馬込文士村 空想演劇祭2022」②
 2023.1.15

 今日も今日とて「馬込文士村 空想演劇祭2022」を元気に、そして好き勝手にご案内申し上げます。プログラムから演目②は「花物語ごっこ」…『花物語』(大正5年~)すなわち吉屋信子の代表作! 秋聲とは、大正8年、信子の小説「地の果(はて)まで」が「大阪朝日新聞」の懸賞小説第一等に選ばれたことをきっかけにして交流が始まりました。選者のひとりで本作を高く評価したのが他ならぬ秋聲で(他の選者に幸田露伴、内田魯庵)、推薦のお礼に信子が徳田家を訪れて以来、親しくお付き合いするように。馬込×秋聲で言えば、大正11年には信子から「大森に引っ越しました~」のお手紙が届いており、平成19年開催の「秋聲と吉屋信子」展に出品履歴がありました。
 大正15年、例の「二日会」が結成された際にはそのレギュラーメンバーとなり、会の記録冊子に載るお名前をざっと数えてみただけでも14回の出席が確認されます(ちなみに尾﨑士郎も14回、宇野千代さんは4回、目安として馬込文士のおひとり犀星さんも14回タイです)。この頃、はま夫人を亡くして落ち込む秋聲を誰よりも賑やかに、華やかに支えてくれたお方であったと言えるでしょう。前回の久米正雄展でご紹介した秋聲会長によるダンス愛好会「昭和倶楽部」(昭和7年)に久米が勧誘されたと同様、信子にもお声がかかっていたようで、「私は此頃ダンス熱がすつかり醒めまして賛助員は不似合ですが、先生につらなつて私の名がお役に立つなら光栄ですから承諾いたします。」とのお返事をくれているほか、その前年1月、信子のお家で開催された「二日会」では同席した楢崎勤により「ダンス・ダンス吉屋信子嬢 ダンス非常に上手上達ノ事」との記録があり、当日ダンスのお披露目があった模様。ちなみにこの時秋聲もダンスを披露し、牧野信一に嘲笑されてムッとするの巻。
 馬込といえば宇野千代・尾﨑士郎夫妻、萩原朔太郎をはじめダンス文化も盛んであったそうですから、そうした土壌の中からこの「演劇祭」も生まれてきたのかもしれません。演目③の「馬込の文士2022」(無料)では、千代と信子を中心に、その人物像がスタンダップコメディの形で語られるとのこと。
 なお、信子には次回企画展「西の旅」にちろりとご登場いただくつもりでおります。そんな気持ちも手伝って、もはや当館の目にはこの演劇祭のプログラムが「花物語ごっこ~秋聲を添えて」、「馬込の文士2022~時々、秋聲」に見えているわけですが、こんなにはしゃいでおいてそもそも馬込文士ではないので、秋聲はたぶん出ません。





「馬込文士村 空想演劇祭2022」①
 2023.1.14

 前回の演劇の話題に続き、このたび館に面白そうなイベントパンフレットが届きました。「馬込文士村 空想演劇祭2022」。ご企画自体は昨年から始動しており、馬込にまつわるいくつかの演目を今月21日~3月16日までオンラインで視聴できるようです。そのプログラムといえば、演目①「千代と青児」…宇野千代と東郷青児! このおふたりと秋聲とは良き遊び仲間でありました。そもそも千代と秋聲が初めて顔を合わせたのも、昭和2年、馬込の地であったと言います。ここで千代は、青児より先に尾﨑士郎とともに暮らしており、ある日突然山田順子を伴った秋聲がその家に遊びにやってきたとも、同地の大森ホテルで仕事中の秋聲を千代が訪ねて行ったとも。また当時、売れっ子作家であった千代に順子が会いたがったのだとも、秋聲に会おうと千代が人に連れていかれたのだとも。当事者たちの回想もちょっとずつ食い違っていたりするのですが、いずれにせよ馬込×秋聲エピソードにはちがいありません。ここでの対面を機に、例の「二日会」にも参加するようになった千代と士郎。しかしやがて破局し、千代は画家の東郷青児と交際を始めます。平成29年の千代生誕120年記念企画展「罌粟(けし)はなぜ紅い~千代と秋聲~」では、青児との交際のきっかけとなった千代の小説『罌粟はなぜ紅い』をはじめとして、ここに秋聲を交えた三人の交流をご紹介いたしました。
 昭和5年には、ジヤン・コクトオ著/東郷青児訳『怖るべき子供たち』出版記念会にそっと混じっている秋聲(「東郷はもう子供のやうに喜んでゐるのでございます」@千代筆秋聲宛礼状)。翌年には、秋聲還暦祝賀会に千代、青児ともに出席。同年、青児のアトリエ開きにもそっと混じっている秋聲(曰く「東郷青児氏の新築披露のダンス会」Ⓒ秋聲)。
 この頃、千代からも青児からも「いついつ迎えにいきますー」といったような手紙が残されており、ともに26歳下のこのご夫妻に世話を焼いてもらいつつ、よく一緒に遊んでいたことがわかります。そういえば、どこだか旅行の話もあった…と確認にゆけば、昭和5年11月、千代から手紙で熱海に誘われておりました。さっそく展示したいところながら、これはどちらかというと次々回企画展「東の旅」向き資料。その少し前にも会っていたか、上記の出版記念会を指すか、「先生がご機嫌よくおいで下さいましたので東郷がとても嬉しがってをりました」@千代筆書簡)。そんなわけで、もはや当館の目にはこの演劇祭のプログラムが「千代と青児と秋聲」に見えているわけですが、秋聲はたぶん出ません。





企画展「舞台―石川と近代演劇」
  2023.1.11

 昨日火曜の休館日を利用して、「足迹」展出品資料の一部を入れ替えました。秋聲のはま宛て書簡の差し替えをいくつかと、川崎長太郎「徳田秋声の周囲」自筆原稿を真山青果筆秋聲宛書簡に変更。はま没後の荒れ果てた生活ぶりを綴る短編「暑さに喘ぐ」の初出誌「中央公論」大正15年9月号を新たにお出しいたしました。とくに青果の書簡ははまを喪った秋聲にどうやら再婚を勧める内容のようで、〈家事家政の煩雑事まで心を労されては貴下のお体がたまるまいと実に御心配申上居候 自分が病気して見ると余計こゝろにかゝりてお案じ申上候 くれぐれも老友の愚案をお取捨なきやう願上候 若し機会熟し申候はば小生方にも一人心当りの者あり候 急がず投げずよく々々御思慮被下度候 御一身内のことに余り差出がましく候へども自分に種々の経験あるだけに申上るのに候〉…と見え、青果もまた早くに妻と死別しておりますので、同じ境遇からこの頃の秋聲を気遣ったお手紙であると言えそうです。
 さてそんな青果といえば、小説家であり劇作家。明治末、秋聲と同年生まれの国木田独歩の死を看取った人物としてよく知られていますが、その界隈のことも含めて文壇ですったもんだあり、小説を離れ劇場の世界に活路を見出してゆきます。初代喜多村緑郎の誘いにより脚本作家見習として松竹に入社。やがて現代でも上演される「元禄忠臣蔵」などの歌舞伎脚本を生み出すほか、秋聲曰く〈友人関係の因縁で〉その作品のうち「誘惑」「路傍の花」「二つの道」の三作品の舞台化を手がけました。かつ、毎度しつこくも前回記事中に宇野浩二の言う藤村と秋聲の第二回野間文芸賞賞金折半話にちなみ、同賞の第一回受賞者こそこの真山青果!(第二回は受賞者なしであったため賞金を折半することに。藤村・秋聲ともにむしろ選考委員です)。そうしたゆかりでもしやお名前が出てくるでしょうか、7日より、石川近代文学館さんで新企画展「舞台―石川と近代演劇」が始まりました(~3月19日)。片眼に青果を宿してみれば、スポットライトに照らさるる秋聲の名の下に「二つの道」と見えますね。ぼくの作品の舞台化は難しいだろうね~だって起伏がないからね~と自覚的な秋聲であると同時に、展示概要にもご紹介くださっているとおり、幼少期から劇場通いの習慣のある秋聲です。「春雨の草履ぬらしつ芝居茶屋」と唱えながら、ぜひ観覧にお出かけください(覚え書き/3月の書斎はこの俳句幅にすることを忘れない)。





企画展「まなざしと記憶―宇野浩二の文学風景」
  2023.1.8

 昨年の久米正雄展の際に資料提供やご講演などでたいへんお世話になりました山岸郁子先生よりご案内を賜りました! 今月13日(金)~2月26日(日)、福岡市総合図書館1階ギャラリーにて企画展「まなざしと記憶―宇野浩二の文学風景」(福岡市文学館主催)が開催されるそうです。久米展にも今回の足迹展(ガイドペーパーのみ)にもご登場いただいている宇野浩二。とくに久米展では、その著書『文学の三十年』口絵から、例の玉川遊記の際に土手でカメラを構えている久米のお写真をご紹介させていただいたりなどしておりました。
 〈「文学の鬼」と呼ばれた作家・宇野浩二(1891-1961)が、大正時代、まだ稀少だったカメラを持ち歩き、大量の写真を残していたことをご存知でしょうか〉(展示概要より)とある通り、同館「宇野浩二文庫」に保管されているという一千枚を超える写真群のうち、宇野自身が撮影したものその他が、彼の残した文章とあわせて紹介されるとのこと。「日本古書通信」12月号では、山岸先生が「宇野浩二の写真」として展覧会の内容・意義を語るとともに、久米や直木三十五、里見弴、加能作次郎らのお写真も掲載されています。
 残念ながら、上記の玉川遠足に秋聲は欠席しましたので、この時は写りようもないのですが、ふたりの交流を「足迹」展との絡みで言えば、秋聲の妻はまの死をきっかけに発足した「二日会」に会員外から宇野君を招待したよ~と秋聲自身が記録した文章がありました(「実感から」昭和2年3月)。その会で宇野君と作品をめぐって議論になり、秋聲は〈少したぢたぢの形〉になってしまったとか。また「足迹」展でご紹介している宇野の作品評は戦後の「芸林閒歩」における座談会での発言で、これが実質的な秋聲追悼号であったと同様、雑誌「新潮」の追悼号(昭和19年1月)にも「徳田秋聲氏のことども」のうちのひとつとして宇野の「道なき道」が掲載されています。そこでは主に第二回野間文芸賞の賞金が秋聲と島崎藤村に折半して贈られることになった時の授与式に触れ、そのスピーチで、藤村にはいつも助けられていること、自分がいかに怠け者であるか、「五百円とか、千円とかいふのなら、小遣ひといふこともあるが、五千円はありがたい。」と語ったという秋聲のそのあまりに素直な物言いに心打たれたことなどが綴られています。そして結びには、上記「二日会」と同じ昭和2年頃、ふと寄った銀座の喫茶店で揮毫を依頼され、渡された帳面をぱらぱらしていると一番最後のページに秋聲の筆跡を見つけ、その文句にはっとした、と。曰く、「道なき道を歩む 徳田秋聲」。
 会期中はギャラリートークほか、1月21日(土)には山岸先生による講座「宇野浩二の『語り』の可能性」もおありとのことです。秋聲を置いておいてもこれはとても気になるご企画…!
 




春の雪
  2023.1.7

 本日「足迹」展の展示解説を開催いたしました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。次回は2月4日(土)、よく見ると午前の部が前回記事でご紹介した江戸村さまの「かきもち編み」とぶつかってしまい、解説は3月もございますのでどうぞレアな「かきもち編み」のほうへお出かけください、という気持ちでおります。あるいは当日解説させていただきながらその手でかきもちを編んでいるかもしれません。足下はかんじきかもしれません。わりと2月が雪本番といったイメージがございますので、冗談では済まぬやも…年末、早すぎる大雪にすでに一度やられており、正直雪はもうお腹いっぱいですが、秋聲先生が雪のない春は寂しいと仰いますので、心地よい筋肉の疲労で済む範囲の積もり方であることを祈ります。
 そういえば秋聲がはじめて東京へ旅立ったその日もちらちらと雪の舞う日であった、と『光を追うて』を読み返しましたら、3月の末〈裾端折(すそはしおり)の甲かけに草鞋(わらじ)といふ軽装〉であったそうな。それで森本、津幡を過ぎて倶利伽羅峠を越え、ちょっと人力車なんかにも乗りつつ市振を過ぎ、親不知子不知海岸をすり抜け、直江津でようやく汽車に。「ワットに感謝」。長野まで行き、そこから歩いて碓氷峠を越え高崎、そして再び汽車に乗って上野へ…というとんでもない道のりを突き進んだ草鞋履きの秋聲22歳、そして旅の道連れ・桐生悠々20歳です(悠々さん、今年生誕150年おめでとうございます!)。
 この上京物語は取り上げないのですが、次回3月中旬からの企画展タイトルは「西の旅」と言い、秋聲が出かけた西日本各地のエピソードをご紹介する内容です。なお、とくに何事もなければその後の夏秋でもって東日本篇「東の旅」をお送りする予定にしております。比べてみて「西の旅」という響きの方に座りがよい、と感じてしまうのは単に五音というだけでなく秋聲作品に同名の短編(と単行本)があるためでしょうか。ご存じ、『光を追うて』のお尻にくっつき、本編のうちに吸収された一作です。逆に「東の旅」という作品はなく、「西の旅」ありきのシリーズ展…とはいえ、すこし今回の「足迹」展とも重なる長野行きも含め、西日本に比べて東日本のボリュームの大きいこと!(金沢への帰省旅行は西に入れました) と、そんなバランスも考えながら、ただいま資料を探索しつつ、パネルの数量やケースの中身を組み立て中です(アッ、折鞄ならぬ秋聲愛用の旅行鞄がありましたね!)。


 


かきもち編み
 2023.1.5

 昨日うんともすんとも言わなかったエレベーターが元気になりました。おかげさまでほっと一安心いたしました。そしてそんな騒動を発端にあれよあれよと覗きに行った金沢湯涌江戸村さまのHPで、たいへん愉快なイベントを発見! 2月4日(土)11時~12時、「かきもち編みと冬の暮らし」。まず「かきもち」に「編む」という動詞がくっつくことにちょっとした衝撃を受けつつ、添えられたお写真がまさに秋聲没後に出版された『古里の雪』の表紙そのもの。外函は黒(濃紺?)に雪印のデザインですが(雪印繋がりで、雪印乳業発行の冊子か何かに作品が引用されたこともあるそうです)本体のデザインが「かきもち」柄であることを、以前、金沢ふるさと偉人館さんにお貸しした際にこちらでご紹介しておりました(2021年4月20日記事、「祝・『偉人館雑報』更新」より再掲↓)。

「常設展にいつもお出ししている秋聲遺稿「古里の雪」(レプリカ)も旅の一味となりまして、秋聲没後に刊行された単行本『古里の雪』もろとも当館を旅立ってゆきました。ちなみに本書には中にピロリとした名刺大の紙片が挟まっており、こんな記述がございます。
『装幀は、玉井敬泉画伯の筆になる。表紙カバーは、北陸地方色豊かなカキ餅の図。見返しは、加賀友禅、遠く卯辰山、三十塔、五本松、近く天神橋、静明寺の甍を北都の冬、降りしきる雪景色の中に表わし、配するに、秋聲先生自筆の一句を以つて飾つた。 白山書房編輯部』」
  
 というわけで、地方によってはご覧になったことのないかもしれない「カキ餅の図」とはこのような光景を言うのでしょう。この日は「かきもち編み体験やかんじき体験など冬の暮らしを体験できます」とのことで、あわせて秋聲はかんじきを履いたことがあるかしら? と雪原を行進したっぽい随筆を漁ればこう→「自分等の少年時代のウヰンタースポーツは雪合戦と、兎狩りに止めを刺す。」(「雪のない春」) アッ…うさぎを…! 四高時代の思い出です。ヤーッと威勢よく出かけたけれど「行軍中に大熱を出して、肝心の兎よりも先に倒れて了(しま)つた」そうで、その足下がかんじきかどうかも分からなかった上に今年の主役のうさぎを追い込んでいてハラハラしました。





謹賀新年
  2023.1.4

 あけましておめでとうございます。本日4日より、通常通り開館いたします。今朝いちばんで書斎の書幅を新しくいたしました。今月は万葉集から秋聲自筆 長奥麻呂(ながのおきまろ)の和歌一首。「大宮の内まで聞ゆ網引(あびき)すと網子(あこ)ととのふる海人(あま)の呼声」、「病秋聲謹書」と署名された最晩年の筆跡です。それから例月のMROラジオ「あさダッシュ!」さんへと向かい、こちらも新年初回にお邪魔させていただきました。以前の寸々語でもご紹介いたしましたとおり(去年の記事は過去ログに格納)、秋聲仕様のシンプルお雑煮のお話から、正月飾りを嫌う夫と出したい妻の攻防、そこから開催中の「足迹」展までご宣伝いただきたいへん有り難いことながら、大正15年以降はどうしてもお正月というと妻はまの死、という悲しい文脈になってしまう徳田家ですから、番組でも急にしめやかな空気にしてしまって恐縮でした。しかもその当時を描いた短編「折鞄」をご紹介してからの「一押しの展示品は?」とお訊ねいただき「秋聲自筆のはがきです~」ではなかったですね! そこは「折鞄です」と張り切ってお伝えすべきでした。今回1階再現書斎に投げ出すように無造作に展示いたしました秋聲愛用の折鞄。初公開。フェルトの帽子とともに、まさに〝その時〟を想像しながらご覧くださいませ。また、はま夫人の気遣いにより、秋聲には切らせなかったというお餅のくだり、「不定期連載」もしくは「青空文庫」さんからお読みいただけます。
 そんな資料各種によりいつになく厳粛な雰囲気漂う現在の書斎に似合わず、その少し手前がとてもカチャカチャしておりますのは、北陸名物〝鰤おこし〟(=冬の雷)の影響かどうか、エレベーターに不具合発生。新年早々、お客さまにはたいへんご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません。今業者さんが懸命に復旧作業にあたってくださっています。そして雷といって思い出されるのは雷嫌いの川向こうさん(某K花記念館、2月末まで休館中)とシュッと天に向かって屹立する避雷針をお持ちの金沢くらしの博物館さん(現在見られる避雷針は復元されたものだそうです)。
 企画展で三文豪の防寒についてご紹介くださるなかでもくらしさまの年末のブログ、ことさら秋聲まみれですね…! ありがたいことです。秋聲作品をふんだんに用いながら、当時の雪との暮らしをご解説くださっております。また記事中、金沢湯涌江戸村さんに言及があるのも面白いところ。文字→その実物→いっそ建物、と、どんどんスケール大きくあらゆる角度から歴史に触れることの出来るのが金沢という街の強みでございます。各施設あわせて、今年も何卒よろしくお願いいたします。




 

 

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